「ひとつの共通の信教」要約

 

1部:合理主義と物質主義は宗教的信仰の代わりにはなり得ず

2部:物質主義を精神性・道徳性から引き離した結果

3部:地球規模の統合の肯定的結果と否定的結果

4部:世界の大宗教が現代性の挑戦を受ける

5部:根本的な誤解とバハオラの反応

6部:累進的啓示、それを理解できないことの結果

7部:啓示・経典・宗教の一体性

8部:聖典は時代に適切な方法で人類を文明化する

9部:バハオラの原則は、道徳的な確信と信仰が背後にあって機能する

10部:和合の力とその示唆するところ

11部:「悪」は精神的な病――聖約の破壊の例

12部:人類が直面する危機に対するバハイ共同体の反応

13部:人類の歴史は「ひとつの共通の信教」へ導かれる救済のドラマ

 

 

1部:合理主義と物質主義は宗教的信仰の代わりにはなり得ず

1.        現在は信教への受容性が非常に高まっている。

2.        20世紀は合理主義と物質主義が世界的な「信仰」の対象となった。(3重の偽の神)結果、個人主義、そして人類が自らの運命を手中にできると信じるに至った。

3.        価値観・理想・研究分野は今や固定され、法律により実行できる、人類の幸福は科学的そして世俗的な手段で達成できる――と信じられた。

4.        未開発の地域では、宗教的な世界観が機能し続けていたが、軽視された。それらの地域の住民は、無力な状態へ押しやられ、彼らの信仰を一見、無力になした。

5.        しかし、宗教に代わる信用できるものはないので、宗教ブームが復活する。

6.        同時に、精神的な探求のブームが復活した。全ての大宗教でそのような動きを推進する宗派が出現した。「ニューエイジ運動」も同じような現象である。環境保護運動や女性権利拡張運動(フェミニズム)なども、(人類として、女性としての)「自我再発見」などにつながっている。

 

2部:物質主義を精神性・道徳性から引き離した結果

7.        宗教と精神性は今後、勢いを増していくであろう。そして、物質的生存が究極の存在なのだという誤った考えを破壊していくであろう。

8.        物質主義の見直しが迫られた最も明らかな原因は、物質主義的事業の崩壊にある。そしてそれは、ある種の新しい社会を目指す全体主義的体制(=共産主義)を産み出した。80年後、この体制も崩壊した。

9.        物質主義はさらに、人間は基本的に利己主義的な生き物であり、近代化が公正で繁栄する社会を創造できるという誤った考えを引き出した。

10.2次大戦後、人類史上最も野心的な集団事業である「開発」が進んだ。しかし、50年後、これも大失敗に終わり、貧富の差はますますと広がっていった。

11.消費文化も物質主義の落とし子で、それは、(世界人口に比べて)ごく少数の人々のみが益を得た。また、それは言語を歪曲させ、利己主義や虚偽を高め、様々な異常な行動を「人権」という名で擁護した。

12.バハイ信教は、物質的繁栄や科学的進歩そのものは必要なものと考えるが、物質主義がそれらを精神的・道徳的発展から切り離し、大きな災いをもたらしたのである。

 

第3部:地球規模の統合の肯定的結果と否定的結果

13.       これらの動きとは逆の勢力として、地球規模の統合があげられる。広範囲にわたる交流の機会を増やし、無数の時代にわたって蓄積してきた知恵を世界中の人々がアクセスするのを可能にしつつある。また、実在性に関する熟慮を刺激し、宗教・道徳・行政・メデイア・産業・科学などに関する疑問を促進した。

14.       地球規模の統合は、大勢の人々の旅行や大規模の移住をもたらした。その結果、かつてないほどの文化間・民族間の交流が可能になり、生存の意味に関する探究をさらに刺激した。

15.       バハオラから世界の統治者にあてられたメッセージは無視されたが、バハオラが予期された変革は実現され、地上の住民はみな「ひとつの樹の果実である」という感覚は、ゆっくりであるが、標準になりつつある。

16.       物質主義への信念が薄れ、地球規模の統合が進んだことが、普遍的な騒乱をもたらした。これが、コーランで予言された「復活の日」であるが、プロセスそのものは精神的である。

 

 

4部:世界の大宗教が現代性の挑戦を受ける

17.       歴史を通して、精神的な発展と文明の推進の主要な力は、世界の大宗教であった。

18.       大宗教の膨大な遺産は、精神的再覚醒の中心的役割を担えないでいる。その理由は、探求のプロセスは散漫化し、一貫せず、個人のレベルで進められたからである。

19.       大宗教を通して啓示された真理は変わることなく、妥当性は維持されている。しかし、世界は変わった。民主主義、女性の権利、科学的革命、教育の普及、その他の要因が、様々な選択肢を有し、道徳的・倫理的意思決定を要する世界をもたらした。しかし、従来の宗教では、これらの新しい課題に対する導きは見出せない。

20.      地球規模の統合も、従来の信仰体系の再出現のバリヤ(障壁)となっている。つまり、地球規模の統合は、根本的に異なる信仰体系を有する人々との交流を可能にした。しかし、そのような人々も、自分たちと同じように道徳的な生活を送っており、それが、従来の宗教的な考え方に疑問の光を投じる。

21.       過去の確立された宗教体系は、現在の人類の究極の導きとはなれない。なぜなら、創始者の言葉に忠実に教えを再構成することはできないでいるからである。また、近代化がもたらした多様な疑問に対する答えを出すこともできないでいるからである。

 

 

5部:根本的な誤解とバハオラの反応

22.       バハイがバハオラのメッセージを伝えようとしているその世界の秩序には、人間の性質と社会の進化に関する概念に根本的な過ちがある。これが、改善に関する努力がうまく行かない理由である。したがって、バハイは、周りの人々の精神的ニーズについて熟慮し、現代社会の課題について深い理解を得なくてはならない。

23.       ある特定の宗派を指して、それを宗教と考えたり、あるいは歴史的に有名な大宗教全体を指して宗教といったりすることが、「宗教」を人間の考えという限られた概念に閉じ込めてしまった。組織化することのできない漠然とした人生に対する態度、儀式的な苦行などを指して宗教とすることも、同様に制限された宗教の概念を植えつけた。

24.      バハオラの教えは、このようにもつれた概念や解釈を一掃し、真理を改めて系統的に打ちたてた。バハオラは、神の実在性(本質)がこれだと限定しようとすること自体、自己欺瞞の現れであると述べ、神、創造主と人間との交わりは、預言者たちを通して可能であると断言している。

25.       神の使者たちの間に差異をつけようとすることは、人間的な気まぐれ屈服することになる。神の顕示者たちは、神の属性そして意思を現し、信者たちと神の交わりの仲介役となる。

26.       宗教は、魂の有する想像を超えた潜在能力に目覚めさせる。この時代の神の啓示の影響力を通して、人は、神の世界の属性を身につけることができる。また、それは、将来幾世代にも及ぶ個人的な犠牲を刺激する。次の世(精神世界)では、そのような魂は、生存の世界の最高の動力となる。

27.       信仰は、人間に必要な、消し去ることのできない衝動であり、これは否定できない。もしそれを阻止しようとすれば、それに代わる崇拝の対象を創り出す。

28.       神の啓示は、累進的であり、継続する。それは、宗派的な野心からは解放されている。神の顕示者は、人間的な価値判断を超越した権威と自立性を有する。

29.       バハイの人々は、この啓示に秘められた真理のほんの一部のみしか理解していないと考えるべきである。バハオラは、現在存在する数多くの宗教に並列させるかのようにもうひとつ宗教を差し加えたのではない。いや、人類の意識を改革し、発展させる主要な原動力としての宗教を更新したのである。バハイは、そのような精神的遺産を受け継いでいるのであり、それは、人類全体が預かることのできる遺産なのである。

30.      神の存在を証明する証拠は、神が顕示者を繰り返し遣わされるという「聖約」の成就である。人類は、それにより、発展に必要な導きを得ることができる。

 

 

 

6部:累進的啓示、それを理解できないことの結果

31.       啓示宗教の教えの内容は根本的に異なりすぎて、ひとつの共通の信仰体系の異なる段階や局面であるという説明は不可能だという反論がしばしば聞かれる。これは、バハイにとって、人類の進化という背景状況を説明する機会となる。

32.       慣習や教義の違いは、文化的な進化の段階に応じたものであり、これは、歴史的・人類学的研究でも明らかである。

33.       宗教的な慣習は教えの中で規定されており、何世紀にもわたって几帳面に実践されてきた。行動に関する規範は、その目的が果たされても権威を失うものではない。

34.      規則・儀式・慣習の違いは、宗教の一時的な局面であり、永久的なものではない。宗教には二つの役目がある。ひとつは、個人の魂が創造主とより成熟した関係をもつこと、もうひとつは、文明建設のプロセスを推進することである。

35.       累進的啓示という概念は、新しい啓示が下される時に、それを認めることを強調する。さもなくば、人類は、旧い法令と慣習を儀式的に繰り返すことを永遠に繰り返すことになる。

36.       聖職者が宗教を解釈する権威を有することは、知的活動やインスピレーションを妨害し、儀式に注意がそらされ、他の宗教や宗派への憎悪を引き起こした。

37.       「小麦とそら豆」をごちゃ混ぜにする聖書の寓話に見られるように、神学は長い間、啓示された教えに対抗した有害な権威を振るってきた。

38.       その結果、啓示はやがて凍結し、道徳的な生命力を失った解釈で次から次へと表現されていった。例:肉体的な復活、輪廻転生、多神教、宗教間・宗派間の衝突や離別。

 

7部:啓示・経典・宗教の一体性

39.       このような誤った概念から解放されると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典を通して流れる共通の目的を見て取ることができる。神の一体性が累進的に説かれていることがわかる。

40.      聖典によると、人類は神を知り、神の目的を成就するために創造された。

41.       聖典によると、創造主の目的を理解する能力は、独自の努力と神の介入に依存する。

42.      聖典によると、神の啓示の連続性が認められる。

43.      聖典を読むと、宗教の一体性が読み取れる。宗教はひとつであり、神の啓示を通して聖なる価値観が徐々に説かれ、人類の進化の目標が定義される。科学は、人類が現象世界を探求し、それに影響を及ぼすための手段であり、科学を通して、前述の目標を達成するのである。

44.      したがって、神の顕示者たちを、単なる宗教の創始者と見なすのは不十分である。彼らこそは、歴史上最も偉大な精神的教育者たちであり、文明が栄えるための原動力なのである。顕示者たちを愛することにより、人類は、神を愛することを学ぶのである。

 

 

8部:聖典は時代に適切な方法で人類を文明化する

45.      聖なる教えは常に、文明の推進を目的としていたが、それは、社会的な発展の段階に応じて説かれた。たとえば、過去、女性の社会的な地位は低かった。しかし、今日、これは明らかに偏見であり、不正である。宗教の教えで女性を劣ったものとして扱うことは、宗教の役割そのものが疑問視され、道徳性を養うという宗教の目的さえ挫くことになる。

46.      ユダヤ教徒たちは、自分たちに授けられた使命を遂行するには、周りにいる偶像崇拝者たちの誘惑を克服しなければならなかった。できない者は、厳しく処罰された。イスラム教でも、同様に、偶像崇拝に対する教えは厳しかった。アラブの諸部族を和合させ、新しい文明を築くには必要なことだったのである。

47.      過去の聖典で説かれている犯罪に対する厳しい処罰は、現代社会では議論の対象となっている。しかし、当時の社会の状態に照らし合わせると、理解できる。

48.      物乞い、奴隷制、独裁制、民族間の偏見など、対応すべき課題はたくさんあったが、当時は、対応すべきより身近で緊急な問題があった。それで、過去の宗教では、直接触れることもなかったのである。しかし、そのような問題について対応しなかったといって宗教を責めることはできない。

49.      ある宗教の信奉者たちが、とっくの昔に目的を果たしてしまった社会的な教えを今日の社会に当てはめようとする時、問題が生じる。それぞれの時代には、独自の社会的なニーズがあるからである。

 

 

9部:バハオラの原則は、道徳的な確信と信仰が基盤にあってこそ機能する。

50.      バハオラが全人類に採用を迫れた原則や教えは、かつては希望のない非現実的なものとして扱われた。しかし、今日では大部分が――少なくとも理想論として――採用されており、多くの機関が活用している。

51.       しかし、これらの諸原則は、道徳的な確信を持たずに採用されているため、多くの場合、嘲笑されている。19世紀の奴隷制廃止の背後には、聖書に基づいた道徳的確信により、実現されたが、20世紀になると、宗教的な動機は、ガンジーでさえも、宗派間の暴力を抑える援助ができなかった。従来の宗教は、その権威を失ってしまったのである。

52.       バハイにとって、「男女平等」、「人種の和合」、「教育の普及」、「人権」、「科学の奨励」、「国際補助語採用」といったバハオラの原則は、神の権威が背後にある、啓示された真理である。単なる法の寄せ集めではない。これらの原則は、人類全体の未来の共通のビジョンを構成する局面である。

53.       これらの教えに欠かせないのは、人間社会の諸業務を統制する原則である。たとえば憲法に基づいた民主的な政府の運営などがあげられる。しかし、現代社会では、さらに地球規模の行政が必要である。これには、世界連邦的な制度が要される。

 

 

10部:和合の力とその示唆するところ

54.      これらの目標を達成させる力は「和合」である。現代社会の危機に関する和合の意味は、ほとんどの話し合いで取り上げられていない。「不和」は人類の健康そのものを奪い取り、政治的な意図を弱め、変化を遂げようとする集団的な意思を挫き、国家間、宗教間の関係に毒を盛る。和合は達成不可能と考えているのである。

55.       「和合」とは、人間精神の状態であり、教育や法律により支えられる。メデイアは和合の力を理解していない。社会における宗教の力が復活すると、和合の力も復活する。

56.       バハオラの使命の中心にあるのは、人類の一体性を反映する地球共同体の創造である。バハイ共同体は、これまで世界がかつて見たこともない現象である。それはすでに、地上の組織化された集団の中で最も多様で、最も地理的に広まっているグループである。

57.       しかもこの業績は、膨大な富や、他の組織の援護や、攻撃的な改宗活動なしに達成された。これは、普通の人々から、普通でない犠牲と理解力を引き出させる精神的力の現れである。

58.       バハイの大業は、その最もか弱い初期の成長段階を通して、途切れることも、弱められることもない和合を保ってきた。幾人かの人たちが、野心にかきたてられて、分派を作ろうと努力した。このような努力は、以前の宗教では成功を収めた。しかし、バハイ信教ではできなかった。むしろ、「信教」の和合を強めたのである。

 

 

11部:「悪」は精神的な病――聖約の破壊の例

59.       信仰を失うことにより生じた必然の結果は、「悪」という問題を扱う能力が、いや「悪」の存在を認める能力さえ麻痺してしまうことである。「悪」そのものには肯定的な存在はないが、それが与える影響力は大きい。世の中には「悪」に関する記事や書籍が溢れているが、それを精神的な病として捉えているものはまれである。

60.      「和合」に故意に対抗する者は、歴史も天も許しはしないであろう。人は、共に協力し合うためには信頼が必要である。したがって、和合の原則を違反することは、基本的な信頼の原則を違反することである。人類全体としての不和は、これまで思いもよらなかった凶暴な行動の扉を開いた。

61.       「悪」に名前があるとしたなら、それは、「平和と和解という誓約を故意に破壊すること」と定義できよう。和合には自己犠牲が必要であり、わがままな自己満足を捨て去らなくてはならない。究極的には、魂を神の意思に委ねることにより和合が可能になる。

62.       神に服従できないことの中で最も破壊的なのは、神の使者たちとその教えを裏切るという行為である。バハオラは、「聖約」を破る者らを非常に強い言葉でとがめておられる。聖約の破壊者は、和合をもたらすための手段を破壊しようとしているからである。聖約の破壊は、知的なレベルでの意見の相違や、道徳的な弱さとは異なる。

63.       聖約の破壊は根本的に異なる現象である。それが、自分の意思を共同体に押し付けようとする衝動に現れる。「自分」が最高の権威者になるのである。今日、和合に必要なことに身を捧げる態度が、神の意思に従い、人類の安寧に献身的であることの試金石である。

 

 

12部:人類が直面する危機に対するバハイ共同体の反応

64.      バハイの大業には、人類は直面するチャレンジに対応する準備ができている。共同体の性質と業績は、文明の危機について真剣に考えている人の注目を引くに値する。バハイ共同体は、世界中の人々が、ひとつの人種、ひとつの地球共同体として共に生き、仕事をしていける証拠である。

65.       上記の事実は、連続する拡大と強化の「計画」の緊急性を強調することになる。人類は、和合に献身する人たちの集まりが、和合に依存する社会改善のプログラムにますますと貢献することを期待して当然である。バハイ共同体は、もっと速く成長し、同じような考えを持った組織ともっともっと協力していかなくてはならない。

66.       前述のチャレンジに対する最も効果的な反応は、共同体に根を挿してきている系統だった成長の文化であろう。神の「言葉」に集中的かつ継続的に浸ることにより、物質主義的な考え方から解放され、和合への切望の援助する能力を養える。これらの活動は、信教に「関心のある人々の集まり」をつくり出している。

67.       バハオラの命に従うことは、二つの不可欠で補足的な活動を実行することを意味する。それは、教えを広めることと、社会の改善を推進することである。バハオラの教えを探求する人は、世界全体の変化のプロセスと、自分自身の生活に対する意味合いの両方について視野を広める必要がある。

68.       宗教の一体性という理想は中心的な概念である。しかし、バハオラのメッセージを広めることは、単なる宗教間の交流活動ではない。魂は知的確信を求めるが、真に欲しいものは、その確信に達成することである。「改宗」という経験は、偶然の出来事でも、無関係な出来事でもない。それは直接対応しなければならない、重要不可欠な課題なのである。

 

 

13部:人類の歴史は「ひとつの共通の信教」へ導かれる救済のドラマ

69.       現代性の顕著な特徴とは、歴史的な意識が呼び起こされたということである。それは、人類が有する膨大な聖典全体が、歴史という背景の中で、救済というドラマを展開しているということを人々が認識できるという意味である。

70.      聖典は全て、ひとつの共通の目標について語っている。それは、封をされた聖典の紐が解かれる偉大なる「約束の日」、新しい「創造の日」に、人類が寄り集まる、という目標である。

71.       歴史上の連続する予言的啓示の目的は、個人の魂の救済だけではなく、人類という家族を「終末の日」に起こる出来事、すなわちバハオラの啓示に準備させる、ということであった。バハオラの啓示は、神の御国を地上に建てる基盤を敷く作業を始めたのである。

72.       バハオラの使命と、人間が考え出した政治的あるいは思想的事業の間には根本的な違いがある。宗教は、人間の理知的魂の実在性に訴える。これは、神が初めのなき初めに人類に植えつけられ、これまで育んでこられた潜在能力のことである。バハイの人たちは、これを育まなくてはならないのである。

73.       このプロセスには、必ず実現されるという確信が備わっている。新しい創造が出現しつつある。連続する神の宗教制は、人類をひとつの人種として成熟の敷居にまでもたらした。世界の最高の治癒薬は、人類が「ひとつの普遍的大業、共通の信教」において和合することである。