新世界秩序の目標

 

 

 

 

 

バハオラの信教を信じる同胞たちへ

 

 

 

 最近、さまざまな事件が容赦なく起こりつづけましたが、それにより、人類は、バハオラが予告した目標に近づいてきました。バハオラの信教を固く信じる者たちは、世界のいたるところで人びとが苦難にあえいでいるのを目にしながらも、それからの解放の時が近づいているという思いで、感動に満たされずにはおれないのです。

 

 

 

 現在、世界中でアブドル・バハのとつぜんの逝去(1921年11月28日)から十週年を記念していますが、この機会に、つぎのことを深く考えるのはふさわしいことだと思われます。つまり、バハオラは世界秩序が徐々に出現することを予期されていますが、それを速めた諸事件を、アブドル・バハが世界に残された教えに照らして、熟慮する適切な時期だと思われるのです。

 

 

 

 十年前のこの日、アブドル・バハの逝去のニュースが世界に流されましたが、かれこそ、その高貴な愛と力と英知により、世界を襲うもろもろの苦難を阻み、人びとに慰めをあたえることができる方でした。

 

 

 

 アブドル・バハの内なる光を認め、その支持者となった数少ない一団に属するわれわれは、かれが、生涯の終わりに、くり返し言及されたことを、いまだに思い起すことができます。それは、いぜんとして神にそむいている人類が、度をまして経験しなければならない苦難や動乱についての言及でした。われわれの何人かは、アブドル・バハの重大な意味にはらんだ言葉を思い起して、深く胸を刺される思いになるのです。それは、第一次世界大戦終末の祝典の直後、かれのもとに集まって来た巡礼者や訪問者の前で語られた言葉でした。恐怖と損失をもたらし、さまざまな問題を起したこの戦争は、人類の運命に多大な影響をおよぼすことになったのです。講和条約は、正義の勝利の現われであり、永続する平和の手段であると、諸国家や諸国民にたたえられましたが、アブドル・バハは、その条約にひそむ残酷な欺きを、平静ながらも力強く指摘されました。それは、後悔しない人類にふりかかるようになっていたのです。われわれは、アブドル・バハがつぎのように述べられるのを何回となく耳にしました。「平和を! 平和を! と為政者と人民は絶え間なく叫んでいるが、かれらの心には、いまだもって消すことができない憎しみの炎がくすぶっている。」さらに、人びとが勝利の興奮で大騒ぎしている最中に、そして、かれらがわずかでも不安を感じるずっと以前に、アブドル・バハは、幾度となく、確信をもってこう宣言されたのです。すなわち、解放された人類の憲章であるとたたえられるその文書には、苦い欺瞞の種がふくまれ、世界はさらにその奴隷とされようと。現在、アブドル・バハの判断の正しさが、何といたるところで証明されていることでしょうか。

 

 

 

 十年間つづいた動乱は、苦悩に満ち、文明の将来に計り知れない結果をもたらすものでありました。すなわち、それにより、考えるにもおそろしい災難が世界にふりかかろうとしているのです。全権大使たちが、ヴェルサイユで示した熱狂的な自信と比べて、現在のひどく幻滅した勝利者と敗北者のかくせない苦悩の叫び声を聞くのは、まことに悲しいことであります。

 

 

 

 

 

戦争に疲れ果てた世界

 

 

 

 講和条約の立案諸国と参加諸国が召集した軍勢も、国際連盟の契約条項の創始者を鼓舞した崇高な理想も、内部の分裂を阻むことはできないことが証明されました。その分裂は、苦心して立案された構造を終始一貫して襲ってきたのです。勝利諸国が課した和解条件も、アメリカの有名で先見の目をもった大統領が考案した機構も、かれらが設立しようと努力してきた秩序の完全性を確保するには、概念においても、実施においても、適切でないことが証明されました。

 

 

 

 一九二〇年一月、アブドル・バハはこう書かれています。「現在世界を苦しめている病弊は増大するであろう。世界を包んでいる暗やみは、より深まり、バルカン半島諸国の不満はつづき、より不穏になってゆくであろう。敗北した諸国は扇動しつづけ、戦争の炎を再燃させようとあらゆる手段に訴えるであろう。最近起こってきた世界的な規模をもつ諸運動は、最大限の努力をして進出してくるであろう。左翼の運動は重要視され、その影響はひろがるであろう。」

 

 

 

 これが書かれて以来、経済面の困窮と共に、政治面の混乱、財政面の大変動、宗教面の不穏と人種間の憎悪は、戦争に疲弊した世界がになっている重荷をいっそう深刻にしたかに見えます。これらの危機は、つぎからつぎへとおどろくべき速度で現われ、それらが重なった結果、社会の基盤そのものが揺れ動かされはじめたのです。世界は、どの大陸に目を向けようとも、どれほど遠隔の地を見ても、あらゆる地方で、説明することも、制御することもできない勢力に襲われています。

 

 ヨーロッパは、これまで誇り高い文明の発祥地であり、自由のたいまつを持ち、世界の産業と通商の動力源とみなされてきましたが、現在、すさまじい大変動の前に、困惑し、麻痺しているのです。政治と経済面で、長い間はぐくまれてきた理念は、一方においては反動的な勢力、他方においては執拗で油断のならない急進主義の圧力で、はげしい試練を受けています。アジアの中心から、執拗で不穏なとどろきが遠くから聞こえてきています。それは、ある主義が着実に猛攻撃をかけてくる前兆なのです。その主義は、神とその法や教えを否定し、人間社会の基盤を崩壊しようとするものです。台頭してきたナショナリズムの叫びは、懐疑論と不信仰の再燃と結びついて、長い間安定し、乱されない象徴のように思われてきた大陸に、さらなる災難をもたらしているのです。最暗黒のアフリカから、帝国主義の政治的、経済的目標と方法に対する意図的で断固とした反抗のきざしが、いっそう明らかに見られるようになってきました。それはまた、ますます騒然となってきた時代の変動にさらなる混乱をもたらすものです。アメリカは、最近まで、伝統としてきた不干渉の政策、自己充足の経済、不死身の機構、増大しつつある繁栄と信望を誇ってきましたが、それでも、経済の大暴風を食い止めることはできず、その渦に巻き込まれたのです。その結果、今やアメリカの産業・経済生活の土台がおびやかされることになりました。また、遠方のオーストラリアは、ヨーロッパの暴風の中心から遠くはなれている理由で、病める大陸の試練と苦しみの影響を受けないと思われていたのですが、それでも、激動と苦難の渦巻きにとらわれ、それから抜け出すことができないでいるのです。

 

 

 

 

 

切迫した混沌のしるし

 

 

 

 これほど広範囲で根底からの大変動は、過去にはありませんでした。すなわち、現在世界の諸地方で起こっている社会面、経済面、政治面の変動はこれまで見られなかったことです。現在、社会構造をおびやかしている危機の原因が、これほど多種多様であったこともありませんでした。奇妙に混乱した今の世界情勢について考える際、バハオラのつぎの言葉はまことに意義深いものであります。「いつまで人類は不従順であり続けるのであろうか。いつまで不正が続くのであろうか。いつまで混乱と無秩序が人びとの間にはびこるのであろうか。いつまで不和が社会を騒がせるのであろうか。失望の嵐があるゆる方向から吹きつけ、人類を対立させ、苦しめる闘争が日々増えている。現在の社会秩序は嘆かわしいほど不備であるため、異変と混乱がさし迫っており、その徴候が今やはっきり見受けられる。」

 

 

 

 つぎにあげるものは、現代文明の将来に暗い陰を投げかけている重大な徴候であります。ヨーロッパ大陸中に、貧窮状態で居住している三千万以上の人びとの不穏な動き:増大してゆく膨大な数の失業者が、政府と国民に大変な重荷となり、士気をくじかせていること:すでに疲弊した国家の資力を使い果たしかねない危険で無謀な軍備競争:国際金融市場の困窮を深めている混乱:難攻不落の要塞と見なされてきたキリスト教とイスラム教の正統派を襲ってきた世俗主義。これらの徴候から、ヨーロッパの著名な思想家で、英知と慎み深さで尊敬されている人が、つぎのような大胆な発言をせざるを得なかったのはおどろくに当たりません。「世界は、文明史上最大の危機を経験している。」別の人はこう言っています。「われわれは、世界的な大災難に直面しているか、または真理と英知の偉大なる時代の夜明け前に立っている。」さらに、かれはこう付け加えています。「宗教が滅び、また新しく誕生するのは、このような時代である。」

 

 

 

 政治界を見ると、ヨーロッパ大陸を敵対する陣営に分割し、戦闘準備をしている軍勢を、すでに認めることができるでありましょう。この戦いは、前の戦争とちがって、人類進化の史上、重大な時代の終わりをしるすものでありましょう。貴重な信教を擁護する特権をもつわれわれは、政治面では根本的で、精神面では恩恵をもたらす大変革を目撃するようになっているのではないでしょうか。それは、西洋でローマ帝国の崩壊を引き起こした大変革と同様なものでありましょう。バハオラの信教に忠実に従う者はすべて、つぎのことを考えるべきでありましょう。すなわち、この世界の大変動から、すばらしい精神的エネルギーが流れ出し、それは、キリスト教の確立にともなった栄光にかがやくしるしを思い起させるどころか、それをしのぐものであろうと。衝撃を受けた世界の苦悩から、大規模で強大な宗教の復活が起こるでありましょう。それは、過去の諸宗教が、定められた時代に、神のはかり難い英知により、没落した時代と人民の運命を再生してきた威力を超えるものでありましょう。誇り高かった現代の物質文明の破滅は、奮闘中の神の信教の進展と未来の開花を妨げている雑草を取り除くものではないでしょうか。

 

 

 

 われわれが、この騒然とした時代の落とし穴や苦難の中を進んでゆくとき、バハオラ自身の言葉で、その道を照らそうではありませんか。

 

 

 

五十余年前、世界がまだ災難や試練で苦しまされる以前に、バハオラのペンからつぎの予言の言葉が流れ出しました。「世は苦しみの中にあり、その動揺は日毎に強まりつつある。その顔は強情と不信心に向っている。その状態は実にあわれなものになり、現在それを明らかにすることはふさわしくない。そして、定められた時が来れば、とつぜん、人類の四肢を震撼させるようなことが現われるあろう。それからはじめて神の旗はひるがえり、楽園のうぐいすはその美しい調べをさえずるであろう。」

 

 

 

 

 

政治家の無力

 

 

 

 親愛なる友らよ。遺憾ながら、人類は、個人の行動を見ても、組織された共同社会や国家間の関係を見ても、あまりにもひどく没落してしまっており、最も卓越した支配者や政治家の力だけでは救われることはできなくなってしまいました。どれほどその動機に私心がなく、どれほどその行動が一致し、どれほどその大義への熱望と献身が深いものであっても、もはや人類を救うことはできなくなっているのです。最高の政治的手腕をもつ人たちによる企画も、最も卓越した経済学者たちによる学説も、最も熱心な道徳家たちによる信条も、結局、混乱した世界を再建するための適切な土台を提供することはできないのです。

 

 

 

「お互いに寛容であろう」という世才のある人たちの訴えも、たとえそれがどれほど強烈で、執拗なものであっても、人類の情熱を静めることも、その活力を回復させることもできないのです。また、人間活動のどの分野であれ、単に組織された国際共同による企画も、たとえその概念がどれほど独創的で、大規模なもであっても、現代社会の均衡をこれほど乱暴にくつがえした害悪の根本原因を除くことはできません。世界の政治的、経済的統合―最近ますます唱道されるようになってきた原則―に必要な機関を案出しても、諸民族や諸国民の活力を着実にそいできている害悪の矯正手段となることはできないと、わたしはあえて主張するのであります。

 

 

 

 われわれは、つぎのことを確信をもって断言できるのではないでしょうか。六十年前、バハオラが、簡潔に力強く宣言された聖なる計画―現代における人類和合のために神が定めれた計画―を無条件に受け入れ、その規定のすべては間違いなく効力を生み出すという絶対の確信をもたなければ、結局、内部からの崩壊力に耐え得るものはないと。この崩壊力は、阻止されなければ、絶望状態にある社会の核心に食い込んでゆくでありましょう。苦悩している人類は、この目標に向って努力しなければならないのです。すなわち、それは新しい世界秩序の目標で、神に起源し、すべてを包含し、公正な原則と挑戦的な課題をもつものであります。

 

 

 

 バハオラは、全人類が結束できるために、驚異的な計画を示されました。それに含まれている意味をすべて把握した、またはその重要性を理解したと主張することは、バハイ信教を公然と支持する者にとってさえ僭越と言えるでありましょう。その可能性をすべて心に描いたり、その未来の恩典を評価したり、その栄光を想像したりすることは、人類の進化がこれほど進んだ現段階でさえ、時期尚早と言えましょう。

 

 

 

 

 

世界秩序の指導原理

 

 

 

 われわれが、あえてできることは、約束された夜明けの最初の一条の閃光をとらえようと努めることだけであります。それは、時が満てば、人類を取り巻いてきた暗やみを追い払わなければならないものです。われわれができることは、アブドル・バハがくわしく、また明確に説明されたバハオラの世界秩序の指導原則をかいつまんで指し示すことだけであります。アブドル・バハは、バハオラが全人類との間に交わした聖約の中心者であり、バハオラの言葉の解釈者・解説者であります。

 

 

 

 人類全体を苦しめている不安と艱難の大部分は、世界大戦の直接の結果であり、平和条約の立案者たちの無分別と先見の明のなさに帰せられますが、偏見をもつ人だけが、このことを認めようとしないでいます。戦争中に契約した財政上の責務、同じく戦敗国に負わされた膨大な賠償の重荷は、世界の金貨の不平等配分と不足をもたらす主な原因となりました。それはまた、物価の異常低下をもたらし、貧しい国々の重荷を容赦なく増やしました。このことは、公正な心をもつ人なら疑いをはさむことはないでしょう。

 

 

 

 政府間の負債は、ヨーロッパの大衆に重い負担となり、国家の予算の均衡を狂わせ、国内の産業を損ない、失業者の数を増やしたことは、同じく、偏見のない人には明らかであります。戦争が生み出した復讐心、疑念、恐怖心と競争心は、平和条約の規定に助長され、国の軍備を巨大化してきました。そのため昨年の出費総額は約一兆ポンドとなり、その結果世界的不況をきたしたことは、皮相な観察者も容易に認める事実であります。戦後の自己決定論で強化された偏狭で不合理なナショナリズムは、とてつもない高額な関税の主な原因となり、国際貿易の健全な流れと国際財政機構に害をあたえてきました。これも、ほとんど反論のない事実であります。

 

 

 

 しかし、大損失をもたらし、激情をあおり、不満を残した戦争だけが前例のない混乱をもたらした唯一の原因だと主張するのは無駄でありましょう。現在、文明世界は、ほとんどあらゆる面で混乱状態に陥っています。わたしが強調したい中心となる考えはこうであります。つまり、世界の不安の根本原因は、早晩、絶えず変化してゆく社会の営みにおける一時的な混乱によると見なされるでありましょうが、それよりもむしろ、国家や国民の運命を任されていた者らが、経済・政治機構を、急速に進化してゆく時代の要求に応じて調整しなかったことによることを強調したいのであります。

 

 

 

 さらに、現代社会を断続的に震撼させている危機は、主に、世界の指導者たちの嘆かわしいほどの無能さによるのではないでしょうか。すなわち、時代の徴候を正しく読み取る能力、先入観と足かせとなっている信念をきっぱりとすてる能力、それぞれの政府の機構を、バハオラの人類は一つであるという崇高な宣言に含まれている基準にしたがって改造する能力に極度に欠けていることによると思われるのです。人類の一体性は、バハオラが宣言された信教の主な特徴であります。この人類の一体性の原則―バハオラの世界を包含する主権の土台―は、世界の和合のためバハオラがあたえられた計画の実施を意味します。この計画については、すでに言及しました。

 

 

 

 アブドル・バハはこう書かれています。「どの時代においても、聖なる教えの光は、一つの中心テーマに焦点を合わせてきた......。このおどろくべき時代、この栄光ある世紀においては、神の信教の土台とその法の特徴は、人類が一つであるという意識である。」

 

 

 

 実に、人間が造った諸機構の指導者たちの努力は、何と悲しむべきものでありましょうか。かれらは、時代の精神をまったく無視し、バハオラが予告したように、世界の和合が達成されなければ滅びてしまう時代に、昔の自己充足の国家にふさわしい国事を行おうと努力しているのであります。文明史上これほど危機に瀕した現代において、世界のすべて国家の指導者たちは、大国であろうと小国であろうと、東洋、西洋にかかわらず、また戦勝国、戦敗国にかかわらず、バハオラの力強い呼び声に耳を傾けるべきです。世界が一つであるという意識―バハオラの大業に忠実であるための必要条件―に満たされ、聖なる医師であるバハオラが、病んだ人類のために処方した治療計画全体を実施するために決然として立ち上がるべきなのであります。かれらに、すべての先入観、国家的偏見をきっぱりと捨てさせ、バハオラの教えの解説者であるアブドル・バハの崇高な勧告に注意を向けさせようではありませんか。米国政府の高官が、政府と国民の福利を促進するための最善の方法について質問したとき、アブドル・バハはつぎのように答えられました。「貴国の政府の土台をなす連邦主義を、世界の諸国家と諸国民間の関係に適応するために、世界市民の立場に立って努力されることが、自国に奉仕する最上の方法である。」

 

 

 

 アブドル・バハが世界にあたえられた抜群の貢献は、「聖なる文明の秘密」という本で、今後の世界の改革について述べられたものです。その中につぎの言葉があります。

 

 

 

「真の文明の旗じるしが、世界の中心に掲げられる日は、高い理想をもつすぐれた主権者たち―見事な献身と決断力を示せる模範者たち―が、全人類の福利のために、固い決意と明確な展望をもって、世界平和達成のために立ち上がる時であろう。かれらは、平和について討議し、あらゆる手段をつくして、世界の諸国家の連合を樹立しなければならない。そして、条約を結ばなければならないが、それは、確としたもので、絶対に破られないものでなければならない。さらに、全世界にその条約を公表し、全人類の承認を受けなければならない。この崇高な事業―全世界の平和と福利の真の源泉―は、地上に住むすべての人びとによって神聖視されなければならない。人類は全力を結集して、この最大条約の永続を守らなければならない。このすべてを包含する条約において、各国の境界が明確に定められ、諸政府間の関係の土台となる原則が確立され、国際協定や義務事項が確定されなければならない。同じく、各国の軍備の限度も厳重に定められるべきである。なぜなら、一国の軍備の増大は、他国の疑惑を生じさせるからである。この厳粛な条約の土台をなす基本原則は、確固としたものでなければならない。もし、後にある政府がその条約のいずれかを破っても、ほかのすべての国が一斉に立ち上がり、その政府を屈服させるほど確固としたものであるべきである。それどころか、全人類は、全力をつくして、その政府を滅ぼす決意をすべきなのである。この大療法が、病める世界に適用されれば、世界は確実に病から回復し、末永く安全な状態を維持できるであろう。」

 

 

 

 さらに、アブドル・バハはこう付け加えられました。「中には、人間の努力にひそむ力に気づかず、その事業(大療法の適用)は実行できそうもなく、人間の努力の範囲を超えたものだと考える者もいる。ところが、それは正しくない。神の尽きることのない恩恵に感謝あれ。実際、神から愛される者らの愛情、賢明で有能な者らの最大の尽力、現代の比類のない指導者たちの思考や知識のおかげで、成就できないものはなくなったのである。しかし、不断の努力が必要である。また不屈の決意がなければ達成不可能である。過去理想にすぎないと思われた大業が多数あったが、現代、それらは容易に実施できるようになった。それゆえ、なぜこの偉大で崇高な大業が、達成不可能と見なされべきなのか。この大業は、真の文明の天空にかがやく昼の星であり、全人類の栄光と進歩と福利と成功の源なのである。その美しい光が人びとの集会を照らす日は必ず到来しよう。」

 

 

 

 

 

七つの和合の光

 

 

 

 アブドル・バハは、ある書簡の中で、バハオラの崇高なテーマについて説明されています。「過去、調和がある程度達成されたが、全人類の和合は、手段に欠けていたため達成することができなかった。大陸間のへだたりは大きく、また、同じ大陸の民族の間でさえ、思考の交流は不可能であった。したがって、地上のすべての民族や国民間の交際、理解、和合を実現することはできなかった。しかし今日、通信機関が増え、五大陸は事実上一つとなった......。同様に、すべての民族、政府、町、村の人類家族全体がますます相互依存になってきた。政治的な提携で、すべての民族と国民は和合し、また貿易と産業、農業と教育の絆が日々強められているため、だれも自給自足で生きてゆけなくなったのである。それゆえ、全人類の和合は、今日達成できるようになった。実に、これは驚嘆すべき時代、栄光ある世紀の奇蹟の一つである。この世紀―光明の世紀―には、過去の時代には見られなかった栄光と威力と啓蒙があたえられているため、おどろくべきことが日々現われているのである。やがて、そのローソクの火が、人びとの集合であかあかと燃え上がるのが見られるであろう。

 

 

 

 その光が現在、世界の最暗黒の地方に現われはじめているのが見られる。最初のローソクは、政治界における和合で、その光はかすかに見られるようになった。第二のローソクは、事業面における考えの一致で、それはまもなく達成されるようになろう。第三のローソクは、自由の一致で、これも確実に成就されよう。第四のローソクは、宗教の一致で、これは基礎となる柱石で、神の威力により、その全栄光を現わすであろう。第五のローソクは、諸国家間の和合で、それは今世紀間に確立され、全人類が自らを同じ祖国の市民であると見なすようになろう。第六のローソクは、人種の和合で、地上に住むすべての民族を一つの人種となすものである。第七のローソクは、言語の統一で、全人類が選択された言語を学び、用いるようになることである。以上のすべては、確実に実施されるようになろう。神の王国から威力ある援助が下されるからである。」

 

 

 

 

 

世界超国家

 

 

 

 六十年前、バハオラはヴィクトリア女王に宛てた書簡の中で、「地上の為政者の集合よ!」と呼びかけ、つぎのように述べられました。

 

 

 

「共に協議し、人類に利益をもたらし、その状態を向上させることにのみ関心を向けよ......。世界は、完全に造られたにもかかわらず、さまざまな原因で、重病にかかっている身体と見なされる。世界は、一日も休まることはなく、その病はますます重くなっている。なぜなら、世俗の欲望に駆られ、正道からそれてしまった未熟な医師たちに治療を受けているからである。たとえ有能な医師の治療で、身体の一部が治ったとしても、ほかの部分は病にかかったままなのである。全知者であり、全賢者の神は、このようになんじらに告げたまう......。主が、世界を癒すための最高の医薬、最大の手段として定められたものは、全人類を一つの世界的大業、一つの共通の信教の下に和合させることである。これは、熟練し、威力があり、霊感を受けた聖なる医師の力以外には達成できない。まことに、これは真理であり、それ以外はすべて誤りである。」

 

 

 

 さらに、バハオラは次のように付け加えられた。

 

「われは、なんじらが毎年経費を増やし、国民に重荷をかけているのを見る。これは、まことに重大な不正である。この虐げられた者のしるしと涙を恐れ、国民に耐えうる以上の重荷をかけてはならない......。自国の属領と領土を守るための兵器以外は不用になるよう、互いに和解せよ。世界の国王たちよ。不和の嵐がしずまり、人民が平安を見いだせるよう和合せよ。もし国王の一人がほかの国王を攻撃すれば、皆一斉にその攻撃者に立ち向うがよい。これこそ、明らかな正義である。」

 

 

 

 この重大な言葉は、国家主権の必然的な縮小を指摘する以外にはどんな意味がありましょうか。それは、将来全世界の諸国家が一つの連邦国家となるために必要な準備なのであります。何らかの形の国家を超える世界機構が進化的に樹立されなければなりません。そのために、世界の諸国家は、戦争宣言権、ある種の課税権、自国内の秩序を保持する以外のすべての軍備の保有権を進んですてなければなりません。この超国家世界機構は、国際行政部をもち、連邦内の反抗的な国に対して最高の絶対的な権威をもつものでなければなりません。世界議会も設置されますが、そのメンバーは、各国の国民から選ばれ、その選挙はそれぞれの政府で承認されなければなりません。さらに世界裁判所は、当事者が自発的に提出しない問題にも、拘束力のある判決を下します。

 

 

 

 このような世界共同体では、経済上の障害は完全に除かれ、労資の相互依存は明確に認められ、宗教的狂信と争いの騒ぎは永久に静められ、人種間の憎しみの炎はついに消されるでありましょう。また、唯一の国際法典―世界の国々の代表が熟慮・審議して設定した法典―により、連邦構成諸国の合同兵力をもって、即時的、強制的に干渉できるでありましょう。最後に、この世界共同体では、気まぐれで、好戦的なナショナリズムの激情は、世界市民という確固とした意識に変えられるでありましょう。以上が、バハオラが予想した世界秩序のあらましであります。この秩序は、徐々に成熟してゆく時代の最高の果実と見なされるようになりましょう。

 

 

 

 バハオラは、全人類へのメッセージで、こう宣言されました。「和合のテントが張られた。互いに他人視してはならない......。皆一本の木の果実であり、一つの枝の葉である......。世界は一つの国であり、人類はその市民である......。誇りは、自国を愛する者にではなく、人類同胞を愛する者にある。」

 

 

 

 

 

多様性の中の和合

 

 

 

 バハオラの世界的な法の目的に関して不安を感じてはなりません。それは、現存する社会基盤の転覆を目指すものではありません。それどころか、社会の土台を拡大し、絶えず変化してゆく世界の必要に応じて諸機構を改造するものであります。国家への正当な忠義と相反するものでもなく、また基本的な忠誠心を危うくするものでもありません。その目的は、人が心にいだく健全で、理性的な愛国心の炎を消すことでも、過度の中央集権の弊害を避けるために欠かせない国家自治の機構を廃止することでもありません。さらに、バハオラの法は、世界の民族や国民を区別する人種、風土、歴史、言語と伝統、思想と習慣などの多様性を無視したり、抑圧したりすることはありません。それは、これまで人類を鼓舞してきたものより幅広い忠誠と高い熱意を求めるものです。それはまた、国家の望みと利益よりも先に、和合された世界の必要を満たすように主張するものです。そして、一方において過度の中央集権を否み、他方においてすべての画一性への試みを否定します。その合言葉は、「多様性の中の和合」で、これについてアブドル・バハはつぎのように説明しておられます。

 

 

 

「庭園の花々を考えてみよう。種類、色、形などは異なっているが、同じ泉の水で生気を得、一吹きの微風でさわやかとなり、太陽の光線で活気づけられるのである。したがって、この多様性は、花々をより魅力あるものとなし、より美しいものとなすのである。もし、庭園の花、植物、葉、果実、木、枝などすべてが、同じ形と色をしていれば、何とつまらなく見えることであろうか。色や形の多様性こそが庭園を豊かにし、美観をそえるのである。同じように、多様な考え、気質、性格が、中心となる神の影響下に集まれば、人間完成の美と栄光が明らかとなるのである。万物を支配し、超越する神の言葉の威力がなければ、人びとの多様な思考、情感、知識、確信を調和させることはできない。」

 

 

 

 バハオラの呼びかけは、主にあらゆる形の地方第一主義、すべての島国根性と偏見に反対するものです。もし、長い間の念願である理想や由緒ある機構、そして社会的臆測や宗教的信条が、人類一般の福利を促進しなくなり、絶えず進化してゆく人類の必要性を満たさなくなれば、すみやかに廃止させ、すたれて忘れ去られた教義として葬むろうではありませんか。すべてが変化し、衰退するという不変の法則に支配される世界で、それらだけが衰退を逃れることができるでありましょうか。すべての人間機構は、いつかは衰退に見舞われるのです。法の規範、政治・経済理論は、人類全般の福利を守るためにのみ作られているのであり、人類が苦しんでまで、それらを保存するためではありません。

 

 

 

 

 

一体性の原則

 

 

 

 つぎのことを誤解してはなりません。すなわち、人類の一体性の原則―バハオラのすべての教えの枢軸―は、単なる無知から起こる感情主義が爆発したものでも、漠然とした望み薄の希望を表現したものでもありません。それが訴えているものは、単に人びとの間の同胞精神や善意の復活でもありません。その目的は、個人や民族・国家間のなごやかな協力を促進することだけでもありません。それが意味するものは深遠で、その主張は、過去の予言者たちが唱道したものより偉大なものであります。そのメッセージは、個人にも当てはまりますが、主に、すべての国家と国民が人間家族として和合されるときの根本となるものなのです。それは、理想を宣言しているだけではありません。その真理を具体化し、その効力を示し、その効果を永続させるために設立された機構と結び合わされ、分離できないようになっているのです。それは、現代社会の構造に有機的な変化、これまでに世界が経験したことのない変化をもたらすことを暗示しています。それは、国家的信条のすたれた合言葉への、大胆で世界的な挑戦であります。この信条は、かって役に立った時代もありましたが、神が支配する自然の成り行きで、新しい信条にその地位を譲らなければならないのです。その信条は、人類がこれまで考案したものより根本的に異なり、はるかに卓越したものであります。それは、文明化された世界全体の再建と非武装化を求めるものです。この世界というのは、政治機構、精神的願望、通商と財政、文字と言語などのあらゆる基本的な面で有機的に統合されながらも、その連邦を構成する各国が、それぞれ多様な特性を保持する世界なのであります。

 

 それ(人類の一体性の原則)は、人類進化の完成を意味します。家族生活の誕生から始まり、つづけて部族の結束を成し遂げ、都市国家を樹立し、その後独立国家へと発展してきた進化です。

 

 

 

 バハオラが宣言された人類の一体性の原則は、つぎの厳粛な主張を含みます。このおどろくべき進化における最終段階への到達は、必要であるばかりか、避けられないものであり、その実現の時はすばやく近づいており、そして神の力以外はそれを成就することはできないという主張であります。

 

 

 

 この驚嘆すべき概念は、意識的な努力により徐々に示されはじめました。すなわち、自らの使命の崇高さを認識した信者たちによって、バハオラの行政機構の高貴な原則に入れられ、地上にバハオラの王国を建設するために前進しているのであります。それは、間接的には、社会の混乱から自然に生じてきた世界結束の精神が徐々に普及されていることに現わされています。

 

 

 

 この崇高なる概念は、諸民族や諸国民の運命に責任ある者たちの注意を一層引きつけるようにならなければなりませんが、その成長・発展の歴史をたどることは刺激にもなりましょう。ナポレオン一世時代の大変動の混乱から出現したばかりの諸国家や諸公国は、独立国家としての権利を取り戻すか、国家統一を成し遂げることに気を取られていました。かれらにとって、世界結束の概念は、思いもよらないことでありました。かって神聖同盟は、高まってきたナショナリズムの勢力を抑制しようとしましたが、その土台はナショナリズムの勢力でくつがえされました。そのときはじめて、国の政治機構の範囲を超える世界秩序の可能性が真剣に考えられはじめたのです。

 

 

 

 これらの尊大なナショナリズムの唱道者たちが、そのような世界的秩序は、有害であると見なすようになったのは第一次世界大戦後でした。国民生活が依存しなければならない愛国心がそこなわれると、かれらは思ったのです。かって、神聖同盟のメンバー(訳者注:ロシヤ皇帝、オーストリア皇帝、プロイセン王)は、ナポレオン一世時代のくびきから解放された諸国民の愛国心を精力的に抑圧しようとしました。ところが今度は国家主権の唱道者たちが、同じ精力をもって、世界結束の諸原則を汚そうとしてき、現在もそうしているのです。しかも最終的には、それらの原則によって自分たちの国が救われるのでありますが。

 

 

 

 激烈な反対でジュネーブ条約原案を流そうとした企み、ヨーロッパ連邦国家の提案(これはその後進展したが)に浴びせられたあざけりとヨーロッパの経済統合企画の失敗は、先見の明のある少数の人びとの、この高尚な理想実現への真剣な試みを妨げているように見えるかも知れません。しかしながら、われわれは、それからあらたな励みを受けると言えましょう。そのような提案が出されるという事実そのものが、それ(連邦国家の概念)が人びとの心に着実にめばえているという証拠であるからです。この高尚な概念を傷つけようとする組織的な試みに、西欧諸国が和合される以前のはげしい争いが、より大きな規模でくり返されているのを目撃しているのではないでしょうか。しかもその争いは、西欧諸国の再建を助長したものではなかったのでしょうか。

 

 

 

 

 

人類の統合

 

 

 

 一つだけ例をあげてみましょう。北米大陸の諸州が統合される以前は、連邦政府へと進展する道に立ちふさがっていた障害は克服できないように見えました。人びとは、その障害は除けないと大変な自信をもって主張していたのではないでしょうか。州と州を分割していた矛盾し合う利益、相互不信、政治体制や習慣の違いは、精神面においても、世俗面においても、あまりにもかけ離れており、いかなる力でも、それを調和させ、統制することはできないと、広くく公言されていなかったでありましょうか。しかも、150年前の状態は、現代社会の状態からどれほど異なっていたことでしょうか。

 

 

 

 現在、科学の発展で人びとの生活は便宜になりましたが、当時はそれがなかったため、アメリカの諸州を一つの連邦政府に統合するのは困難でありました。現代、分割された人類は、全人類の和合達成に向って努力していますが、それには、アメリカ諸州の統合と似ている点がいくつかあります。しかし、この全人類の和合は、はるかに複雑な大事業であると言っても誇張ではないのです。

 

 

 

 これほどの高尚な概念(人類の和合)が実現するには、これまで以上のはげしい苦難が人類に降りかからなければならないことにだれが気づいているでしょうか。激烈で変動をともなった市民戦争―偉大なアメリカ共和制を崩壊寸前に追い込んだ戦争―の火炎以外には、何がそれぞれ多様な人種から構成される諸州を統合させ、さらに一つの国家に統一させることができたでありましょうか。社会の構造をこれほど根本的に変える大変革が、普通の外交と教育を通して成就できるでしょうか。われわれは、血で染められた人類の歴史を見て、はげしい知的苦悩と肉体的な苦痛だけが、文明史上最大の画期的な変革を成し遂げ得たことを認識するばかりであります。

 

 

 

試練の火炎

 

 

 

 過去における変革は大なるものでありましたが、それらを正しい観点から見ると、これまでに見られなかった壮大さと規模をもつ変革へと向かう補足的な調整としか見えないのであります。現在人類は、その変革を経験しているのであります。遺憾なことに、世界的な大惨事のみが、人間に新しい考え方をもたらし得ることがますます明らかになってきました。これまでにない激烈な試練の火炎だけが、和合に欠けた諸国家を、未来の世界共同体の構成メンバーとして融合できることができるでありましょう。この真理は、今後の諸事件でますます証明されてゆくでありましょう。

 

 

 

「世の人びとよ、不慮の災難がなんじらを追い、悲しき報いがなんじらを待ち伏せしている」という「かくされたる言葉」の最後の部分にあるバハオラの予言的警告は、悲嘆に暮れる人類の当面の運命に、陰惨な光を投げかけております。はげしい試練によって、人類は純化され準備できますが、その試練のみが、新しく誕生した時代の指導者たちが負わなければならない責任感を注入できるのであります。

 

 

 

 ふたたび、以前すでに引用したバハオラの不穏な言葉に、皆の注意を向けていただきましょう。「定められた時が来ると、人類の四肢をおののかせ、震わせるようなことが突然現われるであろう。」

 

 

 

 アブドル・バハは「以前よりもさらに激烈な戦争が確実に起こるであろう」と明確に述べておられたではないでしょうか。

 

 

 

 過去の詩人たちが歌い、予言者たちが長い間夢見てきた千年期の実現は、この巨大で、言語に絶するほど栄光ある事業の完成によるのであります。それは、ローマ時代の政治家たちの知謀を挫折させ、ナポレオンの必死の努力でも達成できなかった事業であります。昔の予言者たちが口にした「剣がすきに変えられ、ライオンと羊が共に休む」時代についての予言の実現がそれに依るのであります。それのみが、イエス・キリストの宗教が期待してきた天国の御父の御国の到来を告げることができるのであります。それのみが、バハオラが心に描かれた新しい世界秩序―アブハ王国の言語に絶するほどの偉大な光輝をわずかであっても地上に反映するであろう世界秩序―の土台を敷くことができるのであります。

 

 

 

 結論にもう一言付け加えましょう。人類の一体性の宣言―バハオラのすべてを包含する主権の主な柱石―は、過去に表現された望み薄の願望と比較できるものではないのです。バハオラが、同時代の最も強力な東洋の君主二人の合同による残酷な反対に直面して、だれからの援助もなく、自分一人であげた呼び声は、単なる宣言ではありません。しかもその時、バハオラはこれらの君主たちに追放され、囚人の身であったのです。その宣言は、警告でもあり、約束でもありました。深刻な苦しみにある世界を救済できる手段が、その宣言の中にあるという警告と、その実現が目前にせまっているという約束であります。

 

 

 

 この宣言が出されたのは、世界のどの地方においても、人類が一つであるということをだれも真剣に考えたことがない時でした。しかしついに、この概念は、バハオラの聖なる精神によって注入された天の力により、その実現がせまっているという可能性だけでなく、現在世界に作用している諸力により必然的にもたらされるであろうと、思慮深い人びとに見なされるようになってきました。そして、そういった人びとの数はますます増えているのです。

 

 

 

 

 

神の代弁者

 

 

 

 たしかに、世界は自然科学の分野におけるおどろくべき発達、そして通商と産業の世界的な拡大により、一つのひじょうに複雑な有機体へと縮小され、変革されました。が、物質文明の落とし穴に落ち込み、世界経済の圧力のもとであえいでいるのが現状です。世界が緊急に必要としていることは、過去の啓示の底に流れる真理が、現代にあてはまる言葉で再表現されることです。バハオラ―現代のための神の代弁者―以外に、根本的な変革を社会にもたらし得る人がいるでありましょうか。バハオラはすでに、ひじょうに多様で、和解不可能と見える世界中の信者たちの心に、根本的な変革をもたらしています。

 

 

 

 この偉大な概念は、人びとの心の中で急速に芽を出し、それを支持する声はあげられ、その重要性は、権力の地位にある人びとの意識にすばやく結晶していることをうたがう人はほとんどいないでしょう。そのささやかな始まりは、バハオラの信者たちが世界中に設立しはじめている行政機構に実りはじめたことは、偏見をもつ人以外はだれも認めることができましょう。

 

 

 

 親愛なる共同者たちよ。われわれの重要な義務は、明確なビジョンと変わらない熱意をもって、バハオラが、その基礎をわれわれの心に敷かれた大構造物の最終的な完成を援助しつづけることであります。どれほど当面の結果が暗いものであっても、最近の諸事件から希望と力を得、バハオラが、そのおどろくべきビジョンの実現を速められるように、祈りつづけることであります。そのビジョンは、バハオラの心から生み出された最も輝かしい産物であり、世界がこれまで見たことがない最もすばらしい文明の最高級の果実であります。

 

 

 

 バハオラの宣言(1863年)から百周年記念日は、史上最も偉大な時代の始まりをしるすものでありましょう。

 

 

 

あなた方の真の兄弟、

 

ショーギ

 

 

 

パレスチナ、ハイファ市

 

1931年11月28日