アメリカと最大平和

America and the Most Great Peace

 

 

ショーギ・エフェンデイ

Shoghi Effendi

 

 

 

 

 

 

バハイ出版局

Baha’i Publishing Trust Japan
アメリカと最大平和

 

アメリカ合衆国とカナダの主から愛される者らと慈悲深き御方の侍女たちへ

 

友らと神の信教の共同促進者たちよ、

 

 バハオラの名がアメリカ大陸で最初に述べられてから、今年の夏で40年が過ぎ去ることになります[1]。われわれの愛する信教の創立者について、はじめて公の場で紹介されたときの状況は、すべての傍観者に不思議に見えるに違いありません。それは、偉大なアメリカ共和国の精神史上、非常に画期的な出来事であり、その意義を深く考えるとき、不思議に思えるに違いないのです。その歴史的会議で述べられた簡潔な言葉が、聴衆の心に呼びさましたであろう連想も、さらに不思議に思えたでありましょう。

 

 バハオラの啓示の存在とその目的が、そのときはじめてアメリカ国民に知らされたのですが、それを迎える盛大な儀式や宴会も、公の喜びも、民衆の拍手喝采もまったくなかったのであります。さらに、この知らせを伝えるために選ばれた人自身も、バハオラのメッセージに内在する力を信じることはありませんでした。また、この極めてぞんざいな公表で、どれほどの威力が放出されるようになっているかにも気づくことはなかったのです。

 

 バハイ信教は偏狭な教会主義に挑戦し、その廃止を求めてきました。宗教会議では、その教会主義を信じる人からバハイ信教が公表されたのであります。そのとき、最大名のメッセージは、軽蔑すべき宗教の無名の分派と見なされました。しかし、絶え間ない試練の流れから滋養を汲み取り、アブドル・バハの慈愛ある導きという太陽の光で暖められて、アメリカの肥えた土壌に深く根をさすことができました。それから半世紀足らずの間に、その枝分かれした根は、地球の最遠隔の土地にまでとどき、現在、アメリカ大陸の中心に聖なる殿堂を建てることができたのです。その威厳につつまれ、バハイ信教は、その正当性を主張し、打ちひしがれた人びとを救済できる能力を立証しようとしているのであります。

 

 アメリカのバハイ共同体は、才能も地位も富もなく、また、設立したばかりで、信者の数も少なく、経験も限られていました。しかし、霊感を受けた英知、一致した意思、その管理者と布教者の清らかな忠誠心により、東西の姉妹共同体の中で、バハオラが予期した黄金時代の到来を促進する上で、確実なリーダーの地位を獲得したのであります。

 

 しかしながら、この祝福された幼児期の共同体が、その波乱万丈の史上で切り抜けなければならなかった危機は、どれほど重大なものであったことでしょうか。世に知られない状態から徐々に公に認められるまでの過程は何とのろく、苦しいものであったことでしょうか。臆病者の背信、離間者の悪意、尊大者と野心家の裏切りで、熱心な信者たちが受けたショックは何と強烈であったことでしょうか。バハイ共同体の代表者たちは、何というあざけりと侮辱と誹謗の嵐に直面しなければならなかったでしょうか。その嵐の中で、彼らは自分たちが受け入れた信教の清らかな名を勇敢に守ったのであります。この恩恵を受けた信教のメンバーは、老いも若きも同様、個人的にも団体としても、敬愛する師(アブドル・バハ)が求めた高みにのぼるために、どれほどの変動と逆転を切り抜けなければならなかったことでありましょう。

 

 信教の敵は数多くまた強大でありました。彼らは、信者たちが、勢いを増してきているのに気づいたとたん、競い合って最悪の非難の言葉を投げかけ、献身の的なる御方に、はげしい怒りを浴びせたのです。どれほど彼らは、バハイ共同体の資源の乏しさと一見停滞しているように見えた活動を冷笑したことでしょうか。どれほど痛烈に、その起源をあざけり、その目的を誤解して、消滅しつつある宗教の無用な分派として片付けたことでありましょうか。文書での攻撃で、彼らは、この聖なる啓示の先駆者である英雄的人物に、信仰を取り消した臆病者、正道をそれた背教者という汚名をきせ、その御方の膨大な数にのぼる著作全体を、思慮のない人間のむだ話であると非難したのではなかったのでしょうか。さらに彼らは、聖なる創立者を、破廉恥な陰謀者と侵害者だけが思いつけるような極悪卑劣な動機をもっているとみなし、聖約の中心者を、無情な圧制の化身、害毒の扇動者、方便主義と詐欺の名うての唱導者であると考えたのではなかったのでしょうか。この無力な敵たちは、着実に進展してきている信教の世界和合の原則を、根本的に欠陥あるものであるとくり返し非難し、そのすべてを包含する計画をまったくの空想であると断言し、その未来のビジョンを突飛で、明白な詐欺であるとみなしたのであります。信教の不運を願う愚か者たちは、その教えの基本となっている真理を、むだな教義の偽装であると主張し、その行政機構と信教の精神との差違を認めず、信教が崇め、確認する神秘を、単なる迷信だとみなしました。信教が唱導し支持する和合の原則を、彼らは画一性へのあさはかな試みであると思い違いをし、信教は超自然の力によるものであるという度々の主張も、むだな魔術信仰であると非難し、その栄光ある理想も単なるユートピアであると退けたのであります。計りがたい英知者は、選ばれた信者の一団を清めるために、時々望ましくない者らと下劣な者らによる汚染を取り除きました。嫉妬をつのらせた敵は、この清めの過程を、分裂が入り込んだしるしであり、それによりまもなく勢いは弱まり、活力は損なわれ、完全に消滅するであろうと喝采して迎えたのです。

 

 親愛なる友らよ! 進展しつづける大業の強大な腕である機関の発生と、その強化の歴史を、正確に、かつ十分にたどることは、わたしにはできません。また現世代のだれにもできないように思えます。現在、この機関は進化過程の初期にあり、今それを推進してきたもろもろの力について、徹底的に分析したり、あるいは正しい評価をすることは時期尚早と言えましょう。それらのもろもろの力によって、この機関は、全能者の御手で造られた諸機関の中で、ひじょうに高い地位を占めるようになり、現在、聖なる目的の達成のために、成熟しようとしているのであります。この強大な啓示の発展を記録する未来の歴史家たちは、現在の支持者たちのだれよりも有能でありましょう。彼らは、確実に、それらのもろもろの力の源泉について、見事な説明を後世に残すでありましょう。それらのもろもろの力は、おどろくべき諸事件により、信教の行政機構のセンターを、その発生地よりアメリカ大陸の沿岸へと、それから内陸の中心へとひきつけたのであります。そこは現在、すみやかに発展しつつある諸機構の動力源であり、主なとりでであります。未来の歴史家たちは、ゆるやかに成熟に向かっている信教の急激な変革の歴史を記録し、その意義を評価する仕事を受けもつでありましょう。歴史家たちは、この達成にかかわった男女の行動を称え、その記憶を不朽のものとなし、また、バハオラの世界秩序建設に関与した闘士たちが、黄金の千年期を迎えるために担った役割を評価するという特権ももつでありましょう。千年期の到来は、バハオラの教えに約束されているものです。

 

 原始キリスト教の歴史とイスラム教の出現時の歴史は、それぞれ、現在の不思議な現象と驚くほど似ていることを示しているのではないでしょうか。その現象の始まりを、今、われわれはバハイ紀の最初の世紀に目撃しているのであります。これらの偉大な宗教機構をこの世にもたらした神の推進力は、信教の発展にともなって放出されたもろもろの力の作用により、信教をその発生の地から、より温和で準備のできた地方に移したのではないのでしょうか。そこは、信教の精神の具体化と、その大業の宣布に適切な土地でありました。エルサレム、アンチオキア、およびアレクザンドリアのアジアの教会に属していたのは、主にユダヤ教から改宗した人たちで、モーゼ時代からの伝統的な儀式にまだ心が向いていました。そのため着実に衰えていった彼らは、ギリシャやローマの同朋信者たちが勢いを増してゆくのを認めざるを得なかったのではないでしょうか。これらのイエス・キリストの大業の旗手たちは、(ローマ)帝国の廃墟に、キリストの世界的主権の象徴を打ち立てましたが、そのすぐれた勇気と熟練した能力を、アジアの教会に属していた者たちは、認めざるを得なかったのではないでしょうか。イスラム教の活力にあふれた精神も、同様な状況の圧力の下で、住みにくい荒廃したアラビアの故郷、最大の苦しみと偉業の劇場を棄て、ゆるやかに熟してゆく文明の最高の果実を生み出すために、遠隔の土地に移るように強いられたのではなかったのでしょうか。

 

 アブドル・バハはこう断言しています。「歴史が始まって現在まで、神の啓示は東洋に現われ、その光輝は西洋に注がれた。そして、その光輝は西洋で強烈に輝いた。イエスがもたらした宗教を考えてみよう。最初東洋に現われたが、その光が西洋に注がれるまでは、その秘められた力を十分発揮できなかったのである。」アブドル・バハは、別の個所で、つぎのように述べて、われわれに確信をあたえています。「バハオラの信教の光輝により、いかに西洋が東洋に代わって、神の導きの光を放つかを見る日が近づいている。」さらに、つぎのようにも主張しています。「預言者たちの書に、吉報が記録されているが、それらは全く正しく、疑いの余地はないものである。真理の太陽はつねに東洋からのぼった。すなわち、神の預言者はすべて東洋に現われたのである……。西洋は東洋から光を受けたが、いくつかの面では、その光は、西洋でより強烈に反映した。とくにキリスト教でそれがみられる。イエス・キリストはパレスタインに現われ、かれの教えの基礎はそこで築かれた。そして、王国の戸は最初その土地で開かれ、神の教えはその中心から広がった。しかしながら、キリスト教を受け入れ、より十分に広めたのは西洋の人びとであった。」

 

 アブドル・バハは、忘れがたい西洋への訪問を終えて、つぎのように書きましたが、それはおどろくにあたりません。その言葉はよく引用されますが、その重要性は、どれほど強調しても足りないほどです。アブドル・バハは、アメリカ共和国の北東諸州に在住するバハイに、聖なる計画をあらわし、その中でこう宣言しました。「アメリカ大陸は、唯一真の神の目には、神の光輝が現われ、その信教の神秘が明らかにされる地となろう。そこは正義の人びとが住み、自由な人びとが集まるところである。」さらに、メリカ訪問中に、つぎのような言葉をあらわしました。「この民主主義のアメリカを、国際協調の土台を敷く最初の国となしたまえ。この国を、人類の一体性を宣言する最初の国となしたまえ。また、『最大平和』の旗をかかげる最初の国となしたまえ……。アメリカ国民は、最大平和のテントを張り、人類の一体性を宣言するにふさわしい人たちである……。アメリカが精神的な啓蒙を広げる中心となり、全世界がこの天の祝福を受けるようになしたまえ。アメリカは、ほかの国々より偉大で、よりすばらしい能力と才能を伸ばしたからである……。この国の住民が、顔をつねに神に向ける天国の天使のようになり、現在の物質的な業績を超えて精神的な高みにのぼり、全世界の人びとに天国の光を投げかける中心となるようにしたまえ……。全住民を全能の神のしもべとなしたまえ。アメリカ国民は、歴史の頁をかざる業績を成し遂げ、勝利を得て、世界の羨望の的となり、東西で祝福される能力をそなえている……。アメリカ大陸では、著しい進歩の証拠がいたるところで見られる。しかも、未来はもっとすばらしいものになろう。その光は広範囲に影響をおよぼすからである。アメリカは、世界の諸国民を精神的に導くようになろう。」

 

 このアブドル・バハの崇高な言葉から、羨望の的であるアメリカで、つぎのことを期待するのは途方もないことでありましょうか。すなわち、前例のない危機がもたらす苦悶と破壊から、とつぜん精神的な復活が起こり、それがアメリカ人の信者たちによって普及され、堕落した時代の運命を再生させるという期待です。アブドル・バハが再三述べた言葉を側近はこう伝えています。父上の信教が北アメリカ大陸で確立されたことは、自分の任期期間に成就すべき三つの目的の中で最大の業績であると。アブドル・バハは、父上の昇天直後のまだ血気盛りの時期、前途有望な国の住民を、バハオラの旗の下に参加させることで、自分の使命を始めることにしました。そして、生涯の終わりまで、その確かな英知と慈愛あふれる心で、この愛する弟子たちに、特別の恩恵を注いだのです。晩年になって、長期間にわたる苛酷な監禁から解放されるとすぐ、長年かぎりない愛情ををもって育成してきた国を訪れ、実際にその地に滞在し、魂を引きつける言葉で、その国のすべての信者に、信教の精神と教えを吹き込みました。それによってのみ、信者たちは、普及活動にともなって起こってくるさまざまな試練に耐えることができたのです。

 

 アブドル・バハは、アメリカに滞在中、いくつかの目的を果たしました。礼拝堂の礎石をすえたり、フィーストを開き、自ら接待したり、より厳粛な集会で、自らの精神的な地位の意義を強調したりしました。こうして、精神的遺産の基本のすべてを伝えようとしたのではないでしょうか。それにより、信者たちが信教を守り、行動を通してより豊かなものに発展させ得ることを、かれは知っていました。最後に、晩年に書いた「聖なる計画」の中で、アメリカの信者たちに、精神的に高い地位をあたえたことを明らかにしました。信者たちが、それに頼って自らの高貴な運命を成就できるようにと。このことをだれが疑えるでありましょうか。

 

 アブドル・バハは、ある書簡の中で、つぎのように呼びかけています。「おお、バハオラの使徒たちよ。皆のためにわが命が犠牲にされんことを! ……バハオラが皆の眼前で開かれた門を見なさい。皆が到達するようになっている地位は何と高貴で崇高であろうか。皆に与えられた恩恵はどれほど比類なきものであろうか。」ほかの個所でこうも述べています。「われは思いを皆に寄せ、皆の話が出ると、わが心は躍るのである。わが魂が皆の愛で輝くのを皆は知っているであろうか。皆の心は幸福感であふれ、そのためお互いに魅了されるであろう。」ほかの書簡で、アブドル・バハはこう宣言しています。「皆の成功の程度はまだ明らかにされていない。その意義もまだ理解されていない。まもなく、自分の目で、いかに各人が自国の天空で、輝く星のように、神の教導の光を放射し、国民に永遠の生命を与えるかを目撃するであろう。」かれは再度、つぎのように確認しています。「皆の今後の偉業の程度はまだ明らかにされていない。わが熱烈な願望は、近い将来、皆の偉業の結果、全地球がゆり動かされ、覚醒されることである。」そして、こう保証しています。「全能なる神は、その恩恵により必ず援助を下されるであろう。皆に力を与え、魂に聖霊の耐久力を付与されるであろう。」さらにつぎの忠告をしています。「バハイの数が少ないことを気にしないように。また、世界の大多数が信じようとしないことに悩まされないように……。努力しなさい。皆の使命は言語に絶するほど栄光あるものである。皆の大事業が成功すれば、アメリカは確実に発展して、精神の力の波がひろがる中心となり、神の王国の御座は、しっかりと確立され、最高の尊厳と栄光に輝くであろう。」

 

 アブドル・バハは、さらにつぎのように激励しています。「アブドル・バハが皆に望むことは、アメリカでの努力が成功したように、世界のほかの地方での努力にも成功することである。皆を通して、神の大業の名声が東西あまねく広がり、万軍の主の王国の到来が、五大陸のすべてに宣言されることである……。これまで皆はたゆまない努力を重ねてきたが、今後は、その努力を千倍に増やし、もろもろの国、首都、島、集会や教会で、人びとをアブハの王国に入るように呼びかけなさい。皆の努力の範囲を広げなければならないのである。範囲が広がれば広がるほど、神の援助が下されるのがより明らかになるであろう……。われが、たとえひじょうに貧しいながらも、徒歩で、もろもろの地方に旅することができれば! そして、町や村や山や砂漠、そして海でも、ヤバハ・オル・アブハの呼び声を上げ、聖なる教えを促進できれば! しかし、残念ながら、それはできない。どれほど遺憾に思っていることか。皆が達成できるように神に祈るばかりである。」

 

 そして最後に、アブドル・バハは、これまでの言葉を仕上げるかのように、アメリカの精神的運命について、つぎのビジョンをはっきりと示しました。「アメリカの信者たちが、この聖なるメッセージを、アメリカの沿岸から、ヨーロッパ、アジア、アフリカの諸大陸、そしてオーストラレーシア、さらに太平洋諸島に広めるとき、アメリカの共同体は、確実に永遠の王国の王座につくのがわかろう。そうすれば、全人類は、この共同体が精神的に啓蒙され、神から導かれていることを目撃するであろう。そうしてはじめて、全地球は、その尊厳と偉大さをほめ称えるであろう。」

 

 思慮深く良心的な信者はすべて、上述のアブドル・バハの言葉に照らして、つぎのバハオラの重大な言葉の意味を深く考えるべきです。「神の啓示の光は東洋で輝き出した。その主権のしるしは西洋で現われた。おお人びとよ、これについて考え、全能者、すべてに賛美される者なる御方の忠告に耳を傾けない者にならないように……。大陸で、彼らがその光をかくそうとすれば、確実にそれは大洋の真中から頭をもたげ、『われこそ、世界に生命を与える者なり』と声をあげるであろう。」

 

 親愛なる友よ。われわれの目は、現在アメリカの国民を苦しめている苦難と混乱を認めることができないほど弱っているのでしょうか。その苦難は、どの国より激しく、アメリカ史上例を見ないものであります。その精神的復活が始まった証拠は、アブドル・バハの意味深い言葉で、明確に予告されていたのではなかったでしょうか。国民が、現在体験しはじめている激しい苦しみが、そのことをはっきりと表わしています。世界の諸国民、とくに西洋のこの大共和国民の悲惨な状態と、その国の少数の市民の盛り上がってきた運命を比べてみましょう。すなわち、彼らの使命は、導きに忠実にしたがって、国民の傷を癒し、自信を取りもどさせ、くじかれた希望を回復させることであります。おそろしい動乱、血なまぐさい戦争、心根の卑しい紛争、時代遅れの論争、大衆をかき乱す止めどもない革命と、バハオラの法と慈愛を受け継いだ勇敢なる信者たちを包み、導き、支える平和と真理の新しい、穏やかな光を比べてみましょう。崩壊寸前の諸機構、信用を落とした政治家、論破されたもろもろの理論、おどろくべき堕落、愚行と激情、方便、ごまかし、妥協などは現代の特徴ですが、それらと、着実な強化、聖なる規律、和合と団結、確信、固い忠誠心、英雄的な自己犠牲といったバハオラの信教の忠実な管理者たち、その黄金時代の先駆者である人たちの特徴を比較してみましょう。

 

 アブドル・バハが、つぎの予言的な言葉を明確に述べたのは少しも不思議でありません。「まことに、東洋は聖なる王国の光で照らされた。まもなく、この同じ光は、西洋により強大な光を照らすであろう。そのとき、西洋の人びとは、神の教えの力により生命を与えられ、魂は、神の愛の不滅の火で輝くであろう。」そして、このように断言しました。「神の信教の威光はかぎりなく強大となった。その偉大さは現在明らかである。その光が人びとの心に、すさまじい動揺を起こす日が近づいている。それゆえに、アメリカの住民たちよ、喜ぶがよい。大いに喜ぶがよい。」

 

 最も貴重で、最愛なる同胞たちよ。幸運をもたらすバハイ啓示の光が、はじめてアメリカ大陸を照らした後の40年をふり返ってみると、その間は四つの期間にはっきり分けられることがわかります。それぞれの期間には、重要な意義をもつ出来事が起こっています。それらは、アメリカの信者たちが、約束された勝利に向かう途上の道標となるものです。この40年のうち、最初の期間(1893-1903)は、ゆるやかではあるが着実な発酵で、それが最高点に達したのは、アブドル・バハのアメリカ人の弟子たちが、バハオラの廟を訪れた歴史的巡礼であるとみなされます。その後の10年間(1903-1913)は、さまざまな試練と苦難に満ちた時期でしたが、それにより、アメリカの信者たちは、ゆり動かされ、清められ、活気づけられました。そして、アブドル・バハの忘れがたいアメリカ訪問で最高潮に達しました。つぎ(1913-1923)は、静穏で、途切れずに強化されつづけた期間で、その結果、神が定めた行政機構が設立されました。その土台は、アブドル・バハの遺訓で明白に示されていました。最後の10年(1923-1933)は、さらなる国内での発展と著しい国際的活動の拡大できわだった時期です。また、この期間内に礼拝堂の上部構造が完成しましたが、それは、行政機構の強大なとりでであり、その力の象徴であり、未来の栄光のしるしであります。

 

 以上の四期間はそれぞれ、共同体の精神生活の高揚と、そのメンバーがユニークな使命を果たすための準備に、大いに寄与したと思われます。それは実に大変な責任でありました。バハイ歴史の初期に、主な代表者たちが実施した巡礼で、信者たちの魂は愛と熱意で燃え立ち、どれほどの逆境にあってもその炎を消すことはできませんでした。その後、バハイ共同体をおそった試練や苦難を耐え忍んだ人たちは、確固たる信念の意味を把握することができました。すなわち、どれほど強大で、十分に組織された反対も、バハイ信教を弱めることは決してできないという確信をもったのであります。試練を受けて信仰を試された信者たちが、後日設立した行政機構は、信教の促進者たちに平静と安定をもたらしました。それはメンバーの数の増加と拡大しつづける活動に緊急に必要とされていたものでした。最後に、行政機構の支持者たちが建造した礼拝堂がもたらしたビジョンは、内部の混乱の嵐によっても、国際的な激動の旋風によってもくもらされることはありませんでした。

 

 バハイ啓示が新世界(アメリカ大陸)に最初に紹介された直後の動揺について、簡潔に述べようとしても、あまりにも時間がかかり過ぎるでありましょう。この紹介は、われわれの敬愛する師(アブドル・バハ)が考え出し、指示されたものでした。また、画期的な出来事であるアメリカ人巡礼たちのバハオラの聖廟参詣について述べたり、彼らが、新しい福音をもって帰国後はじめた活動を述べたり、その成果を評価したりすることも、紙面の余裕がないためできないのであります。アブドル・バハは、目覚めた大陸のために希望と期待と目的を示しました。それを聞いた者らの知性と心は、瞬間的に強烈な感動に満たされましたが、わたしの言葉ではそれを十分に表現することはできません。彼らは、アブドル・バハの計り知れない祝福と信頼を受ける者となったのであります。そして、師が監禁されていた家で、その足元に座り、あふれ出る聖なる英知を心に銘記しようと、熱心に聞き入っていました。そのとき、彼らの勇敢な心に湧き立った情感を、適切に述べることはわたしにはできないのであります。アブドル・バハの魅力ある人格とその強大な言葉が、巡礼からもどってきた者らの一団に点した固い決意に、十分な賞賛の言葉を呈することもできません。彼らは、神の聖約の先駆者たちで、生涯を左右する決定的時期にありました。今、栄光あるバハオラの元に集められた不滅の星々の中には、ルア、チェイス、マクナット、ディーリィ、グッダール、ドッジ、ファーマー、ブリティンガムなどがいますが、この人たちは、バハオラの信教をアメリカ大陸に設立した人たちとして永遠に記憶され、時の経過によってもあせない輝きを歴史に注ぎかけつづけるでありましょう。

 

 バハオラの昇天後まもなくして、聖約の光は、継続的に実施された巡礼により、苦難の中から明るく輝きはじめました。その光は、主犯の聖約破壊者が優勢であった期間くもらされていたのですが。この巡礼たちの到着によって、アブドル・バハの家族をおおっていた暗やみは、ついに追い払われました。最大の聖なる葉(アブドル・バハの妹)は、謀反を起こしたほとんど全部の親族と仲間に、兄とふたりだけで直面しなければなりませんでした。そういったとき、巡礼たちの訪問で大いに慰められ、それは生涯の終わりまで強い支えとなりました。この巡礼からもどった少数の一団の力で、アメリカ大陸の中心で、神の大業の破壊をめざした者の陰謀がすべて破滅するという予告の鐘が鳴らされたのであります。

 

 その後アブドル・バハは、疲れることなく書簡をあらわしました。それらは、熱烈で、明白な言葉で書かれた指示と忠告、要請と解説、希望と願望、懸念と警告でありました。それらはすぐ翻訳しはじめられ、北アメリカ大陸中に配布され、たえず拡大しつづけた初期のバハイの一団に、精神的栄養を供給したのであります。それによってのみ、まもなく直面するであろう激しい試練に耐えることができたのです。

 

 そのとき、前例のない危機が容赦なく近づいていました。高慢と野心から起こされた不和が、新しく誕生した共同体の輝きをくもらし、その成長をおくらせはじめたのです。この共同体は、アメリカの初期の布教者たちが努力して確立したものでした。(不和を起こした)男は、かって信教の歴史に光輝ある時代を開き、バハオラの聖約の中心者から、「バハのペテロ」「神の羊の羊飼い」「アメリカの征服者」という称号を与えられていました。また、アブドル・バハが、カルメル山上のバブの廟の礎石をすえたとき、その手伝いをするという特別の恩恵を付与されたのです。それほどの人間が、異常な成功と、同朋信者たちの信仰と活動を自由に支配したいという野心に燃えて、ごう慢にも反旗をひるがえしたのであります。かれは、アブドル・バハから離れ、神の信教の主敵と手を結びました。この妄想に駆られた背信者は、教えを曲げて、アブドル・バハに容赦ない非難を浴びせ、信者たちの信仰を揺るがせようとしました。この信者たちは、かれがおよそ8年間にわたって大変な努力をして改宗させた人たちでした。小冊子の出版、主な提携者の使者たちとの密な提携、さらにバハイ啓示に敵対するキリスト教会の努力に強化され、誕生したばかりの神の信教に打撃をあたえることに成功したのです。信教は、時間と苦しみを通してのみ、その打撃から回復することができました。

 

 バハオラの大業のアメリカ人信者間で起こった分裂は、深刻でありましたが、一時的なものでした。それによる直接の影響についてくわしく語る必要はないと思います。また、彼らに浴びせられた中傷的な書き物の内容について詳細に説明する必要もないと考えます。さらに、信者たちの不安を和らげ、やがてそれを除いてしまうために、つねに注意深い師が取られた方法を詳述する必要もないと思います。アブドル・バハは、混乱しているアメリカの共同体に平穏をもたらし、活力を取りもどさせるために、矢継ぎ早に4人の使者を送りましたが、その各人の使命についての評価は、未来の歴史家の仕事でありましょう。歴史家は、アブドル・バハの使者たちに委任された仕事、すなわち巨大な行政機構の基礎作りについて調べるでありましょう。この使者たちは、行政機構の礎石を敷く指示を受けていたのであります。行政機構の象徴である礼拝堂の礎石は、後日アブドル・バハ自らの手で置かれました。また、行政機構の土台と範囲は、アブドル・バハの遺訓で拡大されるように定められていました。

 

 無敵のバハイ信教の現在の進化段階では、こう言えるでありましょう。すなわち、もろもろの活動により信教の規模が広がったため、敵は、新しい攻撃方法を案出せざるを得なくなった一方、最高の推進者(アブドル・バハ)は、信者たちに、適切な代表者や布教者を通して、行政機構の基本を教えることになったと。行政機構は、発達にともなって、信教の精神を具現し、擁護し、育成するようになっていました。執拗な攻撃者たち、すなわちヴァトラルスキー、ウィルソン、ジェスップ、そしてリチャードソンは、信教の神聖さを汚し、その発展を阻止して、放棄させようと、お互いに張りあったのです。それはもちろん、無駄な試みでした。彼らは、バハイ信教をニヒリズム(虚無主義)、異端、イスラム教グノーシス主義、背徳、神秘主義、共産主義であるなどと思う存分非難しました。信者たちは、そのようなひどい非難にも心を動揺させず、アブドル・バハの指示にしたがい、一連の活動をはじめることで、それに応えたのあります。それらの活動は、永久的で正式の行政機構を確立するための準備となるものでした。アブドル・バハによって「正義院」と呼ばれたシカゴの最初の精神議会の設置;バハイ出版協会の設立;グリーン・エーカー会の創設;西の星の出版;バハイ全国大会の開催と同時に行われたバブの聖なる遺体のカルメル山への安置;バハイ・テンプル・ユニティ(註:礼拝堂建造のために設立された委員会)の法人化と礼拝堂の執行委員会の設立。以上は、アメリカの信者が成し遂げた最も顕著な業績であります。それらは、アメリカのバハイ史上最も激動の時期に達成されたもので、永遠に残るものであります。バハオラの聖約の箱舟は、それらもろもろの活動により、絶えない苦難の海に乗り出し、アブドル・バハの強大な腕で導かれ、極度に苦しまされた信者の一団の大胆な率先力とあふれる活力で推進されました。それ以来、猛威をふるいつづけた災難の嵐もものとせず、着実にその進路を進んできたのです。この嵐は、聖約の箱舟が、安全で平和な約束された港に向かって進むときも、襲いつづけるでありましょう。

 

 アメリカのバハイ共同体は、国内の選ばれた代表者たちが、共同一致で成就した業績に満足しませんでした。そして、パイオニアが海外の英国、フランス、ドイツで布教に成功したことに勇気づけられ、その他の遠隔の国々でも、前進するバハオラの軍隊に新たに加入する人たちを探す決心をしたのです。このバハオラの福音を伝える布教旅行者たちは、自国の西海岸から踏み出し、新しい信仰がもたらした不屈の精神に駆られて、太平洋諸島、そしてはるか中国と日本まで突き進み、海のかなたの最遠隔の地に、最愛の信教のセンターを確立する決意を固めたのであります。この共同体は、それまでに、その膨大な活動範囲を国の内外で拡大し、土台を強化する能力を示していました。バハイ信教の進出に反対する怒りの声は、東洋での最近の勝利を迎える歓呼の叫びで消されてしまいました。目前に不気味に迫ってきていた醜い顔は、次第に遠のき、この気高い戦士たちに、さらに広い活動の場をあたえることになりました。そこで彼らのかくされた能力は発揮できるようになったのであります。

 

 こうして、アメリカ大陸のバハオラの信教は生気を取りもどしました。不死鳥のように、生き生きと、活気にあふれて、美しい姿で蘇ったのです。そして、これまでの成功で喜びにあふれた代表者を通して、アブドル・バハにアメリカ訪問を熱烈にこん願したのであります。熱心な信者たちに託された使命が成果を生み出したことで、そのこん願は強く心に訴えるものとなりました。アブドル・バハは、苦しい監禁から釈放されたばかりでしたが、そのこん願を無視することはできませんでした。そして、信者たちへのかぎりない深い愛に駆られて、要請に応じることにしたのです。さらに、ほかの団体の代表者たちからの多数の招待で、こん願は一層熱烈なものとなりました。それらは、宗教や教育や人道的な団体で、アブドル・バハの口から直接、かれの父上の教え説明してくれるように切望したのであります。

 

 アブドル・バハは、老齢のため腰はまがり、また50年にわたる追放と監禁の苦労から病におかされていましたが、海のかなたのアメリカへ向かって、忘れがたい旅に出ました。かれの訪問により、アメリカは祝福され、またかれの行動により、信者たちの偉大な業績が清められるようになっていたのです。この偉大な業績は、かれの精神で導かれたものでした。かれのアメリカ合衆国とカナダの主要な都市での活動は大きな成果を生み出しましたが、その状況について述べることは、わたしにはできません。かれの到着発表がもたらした喜び、かれの活動が世間に知られたこと、かれの言葉が放した勢い、かれの教えに対する反対、かれの言葉と行為にまつわる重要なエピソードなどは、未来の世代が間違いなく、詳細かつ適切に記録するでありましょう。彼らは、それらの特徴を注意深く叙述し、記憶を大事に保存し、詳細に描写した記録を損なわれることなく、子孫に伝えるでありましょう。

 

 現在、これほど巨大で、これほど心をうばわれるテーマについて、ほんのあらましだけを描写することさえ、われわれにとって厚かましいと思われるのであります。アメリカの精神史上におけるこの画期的な出来事から20年たちましたが、それでもその重要性を把握し、その神秘を計ることはできないと告白せざるを得ません。わたしは、前のページで、決して忘れ去れない訪問の特徴のいくつかに言及しました。ふりかえって見ると、それらの出来事は、アブドル・バハの明確な目的を雄弁にあらわしていることがわかります。それは、西欧で最初に設立された共同体に、最高の精神的な地位を付与するもので、それは、アメリカ人信者たちの生得権でもあるのです。

 

 アブドル・バハの絶え間ない活動でふんだんにまかれた種は、アメリカ合衆国とカナダだけでなく、大陸全体に、潜在能力を付与しましたが、それは、過去のアメリカの歴史にはまったく見られなかったものでした。アブドル・バハは、この訪問で、訓練された愛する少数の弟子の一団とその子孫に、貴重な遺産を残しました。その遺産には、かれ自ら、その肥沃な土地で着手し始めた栄光ある仕事を引き継ぐという聖なる義務が含まれていました。われわれは、その願望をおぼろげながら心に描くことができます。それは、その有望な国に別れを告げるとき、かれの熱烈な心から湧き出たものにちがいありません。われわれは、アブドル・バハが出発前夜に、弟子たちに語った様子を想像することができます。かれは、計りがたい英知から、また、かぎりない恩恵をもって、偉大な目的の達成に、あなた方の故国(アメリカ)を選んだのであります。

 

「バハオラの聖約の力で、われは耕夫として任命されて以来、その土地を掘り返し、開拓するように求められてきた。皆が活動を始めた時期に、大いなる確証が下されてきたが、それにより、アメリカの土地は耕されて準備されたのである。その後ふりかかってきた苦難で、われが準備した耕地に深い畝が立てられた。われは、託されていた種を、今、皆の前で、いたるところに振りまいた。これらの種はすべて、皆の愛情をこめた世話とたゆまぬ努力で、芽を出し、定められた果実を実らさなければならない。前例のないきびしい冬がまもなく訪れるであろう。嵐雲が地平線上にすばやく群がってきている。すさまじい暴風が四方八方からおそってくるであろう。わが出発で聖約の光はおおいかくされるであろう。しかしながら、これらの暴風と荒涼とした冬は過ぎ去り、成長を止めていた種は、勢いよく動き始めるであろう。そして、芽を出し、強大な機構となって、葉と花をつけるであろう。わが天の御父が、愛情にあふれる慈悲から皆に降り注がれる春雨で、この若木は、枝を国境を超えてはるかな地方にまで延ばすであろう。そしてついに、バハオラの啓示の太陽は着々と昇り、子午線からけんらんとかがやき、その信教の木は、時が満てば、皆の土地に最高の果実を実らすであろう。」

 

 この別れのメッセージに含まれた意味は、まもなく明らかになりました。アメリカとヨーロッパへの長期間にわたる困難な旅を終えると同時に、かれが言及していたすさまじい事件が起こりはじめました。かれが予言していた戦争が起こり、絶対の信頼を置いていた弟子たちとの交信が絶たれ、待ち望んでいた返事が受け取れなくなったのです。大破壊と殺戮をともなった荒涼とした冬は、無情にも4年間つづきました。その間アブドル・バハは、バハオラの聖なる廟の近くで、静かに過ごし、自分の思いや願望を、後に残してきた人たちに伝えつづけました。かれは、その人たちに、特別の恩恵を与えていたのです。この最愛の友らとの長時間の交信で心を動かされたアブドル・バハは、不朽の書簡をあらわし、その中で、彼らの精神的な運命をあきらかにし、実施してもらいたい計画を示したのであります。自らの手で植えた種に、今や同じ思いやりと愛情と忍耐をもって水をかけていたのでありますが、その尽力は、アメリカ滞在中にかれが示した特質でもありました。

 

 アブドル・バハが出した力強いクラリオンの音は、勢いをつけて活動を再開せよとの合図でありました。それにより信者たちは鼓舞され、行動力をあたえられたのであります。それは、以前のアメリカではほとんど見られなかったものでした。バハオラのメッセージの使節たちが、遠隔の地で始めた仕事に、これまで以上のはずみをつけたこの強大な運動は、今日まで拡大しつづけてきました。そして、地上にその枝を伸ばすにつれて勢いをまし、最初の推進者(アブドル・バハ)の最後の望みが完全に達成されるまで進展しつづけるでありましょう。

 

 こうして少数の男女が、故郷、親族、友人、地位を離れ、人間の力では点すことのできない熱意と確信で燃え、アブドル・バハの指示を実行するために立ち上がりました。このバハオラの信教の勇敢な先駆者たちは、北はアラスカまで航海し、西インド諸島に進み、南米のアマゾン河岸まで入り込み、アンデス山脈を越えてアルゼンチン共和国の南端まで達し、西はタヒチ島からオーストラリアに進み、さらに、それを越えてニュージランドとタスマニアまでひろがったのであります。彼らは、東洋中の現世代の同朋信者たちが、同じように立ち上がるように、行動でもって模範を示したのであります。活動の先頭に立ったのは、彼らの見本である有名な人[2]で、彼女は、アブドル・バハの呼びかけ以来、地球を二周し、現在もおどろくべき勇気と不屈の精神で、だれも匹敵できない奉仕の記録をより貴重なものにしているのであります。これらの男女は、彼女につづき、バハオラの世界的主権を拡大してきていますが、バハイの歴史ではまだその業績に並ぶものはありません。彼らは、克服不可能と思える障害に直面しながら、訪問または居住した国々のほとんどで、信教の教えを宣布し、文献を配布し、大業を擁護し、行政機構の土台を敷き、バハイの人数を増やすことに成功しました。このかぎられたページで、彼らの勇敢な活動について語ることは不可能でありましょう。また、この神の宗教の旗手たちをして、それほどの栄冠を勝ち取らせ、その世代に栄誉をもたらした精神を適切に賞賛することもわたしにはできないことであります。

 

 その時、バハオラの大業は地球を一周していました。最暗黒のペルシャで生まれた大業の光は、引きつづいてヨーロッパ、アフリカ、アメリカの諸大陸に伝えられ、今オーストラリアの中心に浸透しています。こうして、全地球は栄光にかがやく帯で取り巻かれました。この賞賛に値する勇敢な弟子たちが、アブドル・バハの晩年をどれほど明るくしたかは、かれのみが真に認めることができ、十分に評価できるのであります。この人たちの業績がどれほど特殊で、永久につづく意義をもつかは、やがて次代をになう人たちの努力によって明らかにされるでありましょう。また彼らの名と努力の記憶も適切に保存され、称えつづけられるでありましょう。アブドル・バハは、この世を去る時間がせまっているのを知る一方、父上の信教の英雄たちがもたらした世界的な活動の最初の成果を目撃して、深い満足感をおぼえていたにちがいありません。かれは、偉大な遺産を彼らに委任していました。そして、生涯の終わりに、これらの有能な手で、その遺産は完全に保存され、その美徳は高められることができるという確信で満足していたのであります。

 

 アブドル・バハのとつぜんの逝去は、劇的な結果をもたらしましたが、信教のダイナミックな力の働きを阻止することも、その目的をくもらすこともできませんでした。師の遺訓に含まれている熱烈な要請は、その目標を確認し、その特質を定義し、その最終的成功の約束を固めるものでありました。

 

 アブドル・バハの逝去を悼む信者たちの苦悶から、そして絶えず襲ってきた敵の攻撃の真最中で、バハオラの強大な信教の行政機構は生まれたのであります。聖約の中心者の昇天で放出された強大なエネルギーは、この崇高で、絶対確実な機構に結晶されました。それは、神の目的を達成するためであります。アブドル・バハの遺訓で、その特質が明らかにされ、その土台が再確認され、その原則には補足がつけられ、その不可欠性が主張され、その主な諸機構が説明されました。アメリカは、バハオラのメッセージに自発的に応じてきましたが、それとまったく同じ自発性をもって、今、バハオラの長子がその遺訓で明確に示した行政機構の建設を支持するために立ち上がったのであります。その重要な文書が公開された後の荒れ狂った何年間に、アメリカだけに、行政機構の勇敢な闘士となり、その枢軸となり、その拡大を促進する先導者となる役割があたえられたのです。信教の英雄時代に殉教の栄冠を勝ち取ったのはペルシャの同朋信者たちでしたが、黄金時代の先駆者であるアメリカの信者たちは、今や見事に彼らのあとにつづき、努力により勝利を得たのであります。その輝かしい業績の記録から、彼らは、うたがいもなく信教の発展に重要な役割を果たしたことがわかります。世界は苦しみでもだえ、混沌となってきていますが、その中で、この共同体―バハオラの解放軍の前衛―は、アブドル・バハの逝去後、東西の姉妹共同体が設立した諸機構よりも高度の機構を設立することに成功しました。これは、未来の正義院の主な柱となるでありましょう。この正義院は、後世から滅び行く文明の最後の避難所とみなされるものであります。

 

 彼らは、裏切り者たちの中傷や、公然の敵たちのはげしい攻撃によっても高尚な目的からそれれることはありませんでした。また、崇高な使命への確信をゆるがせることもなく、努力をつづけたのであります。あさましい物欲に駆られた者[3]が起こした騒ぎも、アブドル・バハの警告で、信教の名声は汚されることなく、ほとんどの信者たちも乱されることはありませんでした。苦難できたえられ、急速に発展しつつある機構のとりでの中で安全に守られ、不動の忠誠心をもった信者たちは、その者の野心をくじくことができたのです。かれの父親や仲間は名声があり、業績を残していましたが、信者たちは、そういうことに影響されず、かれを完全に無視したのであります。アブドル・バハは、その者をひじょうに強く非難されていました。その後、少数の妄想にかられた熱狂者たちが、定期刊行物のなかで、ひそかな攻撃をしかけてきました。それは、幼児期にある行政機構の発達を阻止し、その展望をくもらすためでした。しかし、これも同じく目的を果たすことはできませんでした。

 

 その後、妄想に迷った女性[4]が、アブドル・バハの遺訓を厚かましくもあざけり、それは本物ではないと挑戦してきました。そして、そのばかげた主張で、遺訓の内容をくつがえそうとしましたが、これも同様、勇敢な信者たちの間にわずかなひびも入れることはできませんでした。より最近の敵で、野心をもった裏切り者[5]の陰謀もまた完全にくじかれました。かれはいまだもって、アブドル・バハの高貴な事業を汚し、かれが示した行政原則を腐敗させようと必死になっています。

 

 このように、敵たちは新しく建造された信教のとりでを征服するために、断続的におそってきましたが、とりでの防御者たちは、最初からまったく問題にしませんでした。敵の攻撃がどれほどはげしく、その策略がどれほど巧妙なものであっても、防護者たちは、わずかでも確信をゆるがすことはありませんでした。また、巧みな当てつけや叫びも終始一貫して無視してきました。彼らは、敵の動機、攻撃方法、一時的に占めているように見えたあやふやな特権などをすべて軽蔑せずにはいられなかったのです。敵は、狡猾な陰謀と、名声と能力、または富という一時的に有利な立場に支えられて、ある期間、そのみにくい顔を突き出すことに成功しましたが、すばやく恥ずべき泥沼に落ち込んだのであります。彼らは実に、腐敗と異端をもたらす名うての唱導者たちでありました。

 

 これらの苦しい試練は、信教がアメリカに最初確立されたときにおそってきた激烈な嵐を思い出させる面もありますが、アメリカの信者たちは、ふたたびそれに打ち勝ち、針路からそれることも、名声を汚されることも、遺産を損なわれることもなかったのであります。次から次へとすばらしい業績がなされましたが、それぞれ後につづいたものは前のより重大な意義をもつもので、過去の輝かしい記録に一層の光輝をそえるものでした。アブドル・バハの昇天後の暗い期間に、彼らの活動は明るく輝き、それほど恵まれていない同朋信者たちからうらやましく思われ、また賞賛を受けたのであります。共同体全体が、妨げられずに、深い確信をもって、栄光に輝く機会をとらえるために立ち上がったのであります。信教の誕生をもたらし、その確立を促進してきた諸力は、そのとき、その成長をはやめていました。その発展はすばやく、世界中の悲嘆も、混乱時代の絶え間ない動乱も、その努力をまひさせたり、その進行を遅らすことはできませんでした。

 

 アメリカの共同体は、国内で数多くの活動に着手しましたが、それは一方において、精神的管轄範囲をひろげるためで、他方においては、そういった拡大に必要となる諸機構の設立と強化のための手段(註:精神行政会の定款や法人組織のための定款など)をもうけるためでした。国外でもこの二重の目的に鼓舞され、解放された信教が直面しはじめた微妙で複雑な問題に対処し、解決法を見出す役割を果たすようになりました。それは、国際布教者たちが五大陸で成し遂げた業績よりも一層すばらしいものでした。アメリカ大陸における行政機構の設立で、これらの賞賛すべき業績がもたらされることになったのであります。行政機構は、強化されるにつれて、その業績は確実に積み重ねられ、その効果も増してゆくでありましょう。

 

 現在わたしができることは、アメリカ国内と国外において、アメリカの信者たちの信望を大いに高め、最大名の栄光と栄誉を高揚した最も顕著な業績をあげることだけです。その業績の意義を説明し、その価値を適切に評価することは、今後の世代に残したいと思うのであります。

 

 東西の姉妹行政会のうち、最初に基本的な手段[6]を案出し、発布し、法人化したのは、アメリカの選出された代表者たちであります。これらの手段は、団体としての業務を効果的に果たすために欠かせないものです。正式に設立されたバハイ共同体はすべて、それらを価値のある手本と見なすべきであります。さらに、アメリカの選出された代表たちは、全国のバハイ財産を法人化して確実なものとし、その補助機関設立に必要な委員会を設置するという歴史的事業をなしとげました。補助機関の機能は、受託者に代わって、当面の管轄範囲以外で所有する財産を管理することであります。

 

 エジプトの同朋バハイたちは、アメリカの選出された代表者たちから精神的支援を十分に受けて、最も手ごわい障害のいくつかを除くことができました。それは、バハイ信教が正統派的イスラム教の足かせから解放されるために苦闘しなければならないものでした。また、同じ代表者たちの効果的で、時宜にかなった干渉により、ソヴィエト共和国の同胞バハイを脅かしていた苦難や危険を避けることができました。そして、最も貴重で壮大なバハイ機構のひとつ[7]を即座に破壊しようとする暴威を防ぐことができたのです。ペルシャで迫害を受けて貧窮にあえぐ同朋バハイに、アメリカのバハイは個人的にも、団体としても数回にわたり、心をこめた精神的、財政的援助を差しのべました。それがなかったならば、アブドル・バハの昇天後の数年間に、災難の犠牲者となった不運な人たちを救うことはできなかったでありましょう。アメリカの同朋バハイは、広報や抗議や訴えや請願により、ペルシャのバハイの苦しみを和らげ、その国における信教の最悪非道な敵の攻撃に歯止めをかけたのであります。

 

 アメリカの最も著名な代表者のひとりが、史上はじめて出現した最高の裁判所に、信教の最も神聖な場所のひとつ[8]を横領されたことを強く訴えましたが、そのほかにこれをできた者がいたでありましょうか。また、迫害を受けている大業の正当さを宣言し、独立した宗教としての権利をもつことを暗黙に認める文書を、根気強い努力で確保できた者は、ほかにいたでありましょうか。国際連盟の常設委任統治委員会は、つぎの決議をしました。「委員会はつぎの勧告をする。すなわち、評議会は英国政府に要請して、即刻、請願者[9]に対する不正な取り扱いの是正をイラク政府に抗議してもらうこと。」

 

 アメリカの信者以外にだれが、王族[10]から神の信教の再生力に関して、おどろくほどすばらしい証言を重ねて得ることができたでありましょうか。それは、信教の教えの普遍性とその使命の崇高さを明確に述べたものでした。つぎは、女王の文書での証言であります。「バハイの教えは平和と理解をもたらします。それは、あたかも希望の言葉を長く探索してきたすべての人びとを集める大抱擁のようなものです。そして、以前に出現したあらゆる大預言者たちを受け入れ、ほかのいかなる信条を損なうことなく、すべてに向かって戸を開いています。さまざまな宗教の信者間の絶え間ない争いに心を痛まされ、お互いに不寛容であることに疲れきっていたわたしは、バハイの教えの中に、キリストの真の精神を見出しました。それは、しばしば否定され、誤解されているのですが。争いではなく和合、非難ではなく希望、憎しみではなく愛、そしてすべての人びとへの励みがバハイの教えなのであります。」

 

 ほとんど一世紀の間、ペルシャの同胞信者の成長を阻み、エネルギーをそいできた障害を除くために道を開いたのは、アメリカの信者たちではなかったのでしょうか。それも、その共同体の最も明敏なメンバーのひとりの勇気によってなされたのであります。アブドル・バハの熱烈な要請をつねに心に留めて、共同体のうち最も献身的な人たちを、地上の隅々に、数を増加させながら送りつづけたのはアメリカではなかったでしょうか。この男女から成る人たちの唯一の生涯の願望は、バハオラの世界を包含する主権の土台を強化することでありました。現在、ヨーロッパの北端にある諸首都、ヨーロッパの中央に位置するほとんどの国々、バルカン半島の至る所、アフリカ、アジア、南米の諸大陸の海岸沿いの至る所に、女性パイオニアの小一団が見出されます。彼女らは単独で、乏しい資金でもって、アブドル・バハが予言された偉大なる日の到来のために努力しているのです。

 

 最も高貴な葉[11]は、生涯の終わりに、自分の心にあまりにも長い間、そしてあまりにも重くのしかかってきていた重荷を、アメリカ大陸の信者たちが軽くしてくれたことを、雄弁に証言されていなかったでしょうか。彼らは、不動の信念をもち、自己を犠牲にした人たちで、彼女の愛する人たちでした。

 

 最後に、礼拝堂―アメリカのこれまでの最高に輝かしい業績―の上部構造の完成で、それを建造した闘士たちの心とアブドル・バハを結ぶ神秘的な鎖は、以前より強固になったことを、だれがあえて否定することができましょうか。アブドル・バハは、彼らの信仰の源泉であり中心であり、彼らが真心から愛慕する的なる方であります。

 

 アメリカ大陸の同胞信者たちよ。あなた方の過去と現在の業績はまことに偉大なものでした。今後皆に待ち構えている業績は、はるかに驚嘆すべきものであります。皆が犠牲をはらって建造した礼拝堂には、外部装飾が必要です。万国正義院は、皆が設立した最高の行政機構で支えなければなりませんが、まだ樹立されていません。その運営をつかさどる法や規定の大部分は、現在明らかにされていません。アブドル・バハの望みを果たすために、皆の国で掲げられなければならない旗はまだひるがえっていません。その旗は、和合の象徴ですが、それも達成からほど遠いのであります。その和合を実現し、保存する機関もまだ造られていません。この騒然とした現代の運命を定めるためにはリーダーシップが必要ですが、そのために立ち上がるのはアメリカでしょうか、それともヨーロッパの一国でしょうか。アメリカは東西の姉妹共同体にその卓越した地位を譲るのでしょうか。そして、自らに与えられた精神的な首位権―これまでそれを見事に保ってきたのですが―を失うというのでしょうか。アメリカはむしろ、自らの生命を鼓舞してきた生来の能力を一層発揮して、今は亡き師が愛情と英知をもって付与した貴重な遺産を豊かにするために、貢献するのではないでしょうか。

 

 アメリカの過去は、その不屈の生命力であふれた信仰を証言するものでした。今後もそれを確認するものではないでしょうか。

 

あなた方の真の兄弟

ショーギ

 

パレスチナ、ハイファ

1933421


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカと最大平和

America and the Most Great peace

ショーギ・エフェンデイ

Shoghi Effendi

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2004115日 発行

翻訳:コールドウエル本子

発行所:バハイ出版局        

160-0022 東京都新宿区新宿7-2-13

TEL: (03)3209-7521  FAX: (03)3204-0773

印刷所:いづみプリンテイング

7530051 山口市旭通り2-6-47

TEL: (083)924-4607  FAX: (083)924-4603

Published on January 15, 2004

Translated by Motoko Caldwell

Published by The Baha’i Publishing Trust Japan

Printed by Izumi Printing, Yamaguchi, Japan

 


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Copyright: © The National Spiritual Assembly of the Baha’is of Japan  2003 Printed in Japan

ISBN 4-902208-17-2 C0031


アメリカと最大平和

America and the Most Great peace

ショーギ・エフェンデイ

Shoghi Effendi

ISBN 4-902208-17-2 C0031

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バハイ出版局

Baha’i Publishing Trust Japan



[1] 1893年シカゴで開かれたコロンビア博覧会の宗教会議で、ヘンリー・ジェスップ博士が書いたものが公表。

[2] マーサ・ルート

[3] アミン・ファリド博士、米国でのアブドル・バハの通訳者

[4] ルース・ホワイト夫人

[5] アーマド・ソーラブ

[6] 精神行政会の定款など

[7] バハイ礼拝堂

[8] バグダッドのバハオラの家

[9] バグダッドのバハイ精神行政会

[10] ルーマニアのマリー女王

[11] バヒア・カヌーン、アブドル・バハの妹