バハオラは

 

バハオラは新しい創造をもたらされた

 

 バハイ信教の守護者は、こう言われた。我々は、二つの世界の間に、おさえられている。一つは滅亡しつつあり、いま一つは、生まれ出るだけの力をもたない世界である。あなたは時々こう感じないだろうか。我々には、みんな、 の過去に鎖でつながれているのではないだろうか。そして、それ故、我々はその過去を愛しまた憎む。我々の進歩を制限し、遅らせる。迷信に基づいたこれらの伝統を憎む。あなたは希望と不安をもって、未来を見るだろう。その偉大な工業発展を、もたらした近代文明が生活をよりひとさら興味あるものとし、ぜいたくで、まだ安全なものにするであろうという希望であり、一方、我々は精神性や独特の芸術、我々の先祖から学んだ生活の優雅さなどを永遠に失ってしまうのではないかという不安である。

 このような不安定に対して真の医薬は、どこにあるのだろうか。政治家の計画はこれらを真に変えることは、できない。役人達は問題について議論するのみで解決策を見い出しはしない。科学者は答えを出すよりも多くの質問を持ち出す。ただ一人、より高い知恵と権威を持つ者のみがこのジレンマに対する解決をもたらすことができる、 いつことになる。

 過去において、このような時には、それぞれ聖なる指導者達が現れ、人々の生命に新しい力を吹き込み、新しい治療薬を提起した。彼等の方への従順は全人類を新しい文明へと導く。バハオラは、彼こそ近代人に対して、最も高い精神性を最高の科学的進歩に結合させるところの世界文明をもたらす者であることを主張された。もしこれが、真実なら、今日、この世界に起こっていることの中で最も重要なことである。我々は既に、この新しい創造の始まりを見ることができただろおうか。

 バハオラ御自身の言葉が、我々の危機を述べておられる。「人類を分裂させ苦悩させる不和は、日毎に増加している…。現行の秩序は、嘆かわしいほどに不完全であることを露呈している。(「バハオラの世界秩序」p32)と、我々に希望を与えるべく、バハオラは更に、「地上のあらゆる人々を混乱に巻き込んでいる、この時代に、新しい生命、そして、誰一人、その原因を思い出せず、その動きを感知しては、いない。」と述べられ、彼御自身の大業について、「これは、真っ直ぐな であり、安定した、不変の基礎である。」(「バハオラの世界秩序」p32)と言われている。

 そこで、バハオラの信教について調べてみよう。彼の威力の証拠はあるか。もし、彼のすばらしい主張が真実なら我々は必ずや新しい創造の始まりを感じるであろう。

 バハイ共同体にバハイの人々の集まりを訪ねてみよう。我々は、そこに殆ど、信じ難いほど多種多様の人を見るであろう。そこには若い人、老人、黒人、白人、金持ち、貧貧、普通の人、高   を身につけた人、これら様々の人々がみんな、すばらしい喜びと和合をもって交流している。我々は、これらのバハイの間に社会から見捨てられていた人が、今、真の友情の中に平等を見い出している様を見ることができる。インドでは、我々は「最下層階級」の人々が親愛の情をもって受け入れられているのを見る。また、我々の選挙に於いては、もし少数民族の人との間で同点得票だった場合は機械的に少数民族の人の方が選ばれることになっている。アメリカでは、黒人と白人バハイの結婚がしばしば見られる。これらは確かに新しい文明の明白な印である。

 バハイの若者達を見てみよう。彼等の未熟さの中にさえ我々は、人類の美しい見本を見い出す。バハオラは彼等に、「我、汝を気高く創った…」(「かくされる言葉」アラビア編p22)と言われた。彼らは自身を麻薬などで害してはならない。彼等の心がいつも明確で輝いているように。彼らは、我々が来世に使うべき力を発展させるためにこの世にあるのである。ということを知っているので、高い道徳生活を送ろうと努力している。バハイの青少年達は、世界に、バハオラの大業を伝える責任は殆ど彼等の肩にかかっていることを認識しており、とても真面目で非常な生気と歓喜に満ち溢れている。彼らは将来の英雄となろう。

 バハイの家族はどうであろう。今日の世界では、特に西洋では、家庭は崩壊の危機にある。

 バハオラは、結婚は「社会的つながり」であると言われた。であるから、バハイが結婚する時は彼らは、双方の両親の承諾を要する。このバハイの法は、社会の基本的単位である強固な家庭の基礎となるものである。

 我々は「婦人解放」について非常に、しばしば耳にする。今日、婦人に関するバハイの標準は何であろうか。母親は、子供達にとって最初の教育者である。そこで、その母親は教育されていなければならない。とバハオラは我々に教えられた。たとえ、その機能に差はあっても男女は平等である。バハイの家庭では、その娘達にも息子達も同様に充分の教育を受けさせる。何故ならば、将来の文明はこれいかんに、関わるからである。バハイの婦人達は母性への強い関心を教えられているが、同時に職業をもち、その能力や才能を発展させるよう奨励されている。

 我々の観察に於いて見る殆どのバハイが、バハオラの我々へ与えられた膨大な知識について勉強をし始めたばかりの人々である。しかし、たとえ彼等がこの信教において、いまだに未成年ではあっても、我々は、彼等が総べての人々に対して敬虔な態度であるのを見ることができる。何故ならば、バハオラは各人が神の創造物であり、総べての人は、お互いに敬意を払い、助け合わねばならない、と教えておられるからです。

 さて、我々は、これらのバハイの行動は、すばらしいものであり、人々の生命に、働きかける新しい力の証拠である。 ? ということを認めるのであるが、しかしながら、この美しさは世界の問題を解決し、社会の無秩序を訂正するに、充分であろうか。

 そこで出現すべき社会の新しいパターンの証拠がそこにあるかどうかを見るためにバハイの機構を見てみよう。

 我々の人間的問題は、簡単にいって、いかに人々は、和合をもって共に働くことができるかという点であろう。大衆の利益と個人の発展の均衡は、いかなる社会組織の中でも決して達せられなかった。バハオラの新しい世界秩序は、この均衡をもっている。バハイ共同体の会議を訪れてみよ。一つに、あなたはメンバー達が、指名制でなく、神聖な、投票によって選ばれたのであり、このようにしてグループ全体の和合を保つということを知るであろう。またあなたは、バハイの協議法が運用されるのを見るのであろう。討議は自由に、充分に、率直に、行われねばならない。誰も、自らを、分不相応と恐れることなく自分の考えを自由に表面し、また自分の意思を押し付けようとせず、しかも、真面目に柔和に解決策を見い出すために努力すべきである。真のバハイ協議の方法で達した結論は、いかなる一個人が考えたものよりも良いものであろう。小グループの行動は世の中で重要には見ないが、しかしもし、あなたが、バハイ共同体の ? を考える時、それはあらゆる所で、大都会で、また小さな村で、社会のために実用的な新しい秩序を静かに創造しつつあるのだが、あなたは、彼等が雑草のように謙虚にしかも力強く育ち世界中に新しい緑地を広げているのを見るであろう。これらのグループは新しい社会の基礎そのものあることを確信せよ。同じく簡素ではあるが、効果的な共同体組織が国家のレベルにも用意されている。あらゆる市町村からのバハイ代表は、その全国行政会として奉仕する9名の人(男女を問わず)を選ぶ。彼らもまた地方行政会と同様の方式で選挙される。彼らは、自身を総ての人々の下僕と考えるべきである。これらの共同体の何と強力で打ち破りがたいことよ。

 バハオラの力を示すもう一つの大きな証拠は、バハオラの計画に基づく世界共同体をバハイは既に持っているという事実である。それは万国正義院と呼ばれる。今日の世界で種々の国家の代表達が会合する時、彼らは議論をし彼ら自身の利益のみを得ようとする。全国精神行政会が、万国正義院として奉仕する9名の男性達を(あらゆる人種、国家の中から)選ぶために完全なる愛の和合と高い精神的高揚をもって世界会議に集まるということは、何と注目すべきことであろうか。このような集まりは、以前の人類の歴史には決して無かったことである。これは新しい創造の明白な証拠である。

 バハイは何の疑いもなく万国正義院に従う。何故ならば彼らの決定はバハオラの法律に基いたものでありバハオラは約束をされたからである。彼は、この高遠なる機関が、世界中の全国バハイ行政会の自由な選択によって実存させられた時、彼ら(万国正義院の男性)は、神から決して誤りのない導きを与えられるであろうと宣言された彼らの決定は常に完全で誤りのないものである。

 文明のもう一つの深刻な問題、主要な宗教が、その本来の純粋さから変化させられたために、適切な力と権威を失い始め、彼らの宣告が人類の発展を抑える傾向にあるという事実である。バハイらの計画は、このすい衰微と老衰に対する警護である。何世紀もの間、万国正義院は、バハオラの計画中で決定をし続けるであろうが、人類の条件が変われば、彼らは、限りない将来にわたり人類を導くために、(バハオラの示された枠のなかで)新しい決定をなすことができる。バハオラによって見通されている栄光ある世界文明に向かって総ての自然の成長は徐々に行われる。しかし力強く、しっかりと。その初期の段階にあって、たとえその開花は人類の心にぼんやりとかすんでしか見ることができないが、この新しい創造の偉大さは、既に見てとることができる。

 バハオラの計画の総てを詳細に示すには、時間とスペースがないので控える。バハオラの文明が、より広い範囲に広められたなら貧富の差はなくなる。総ての子供達は教育を与えられる。彼の聖なる「青写真」による機構と方法が運用されている時、人類の発展と平和を妨害する総てのものが取り除かれるであろう。世界中で他の人々が、我々の危機をはらむ問題に対する問題解決策を試み狂気のように走り回っている時、バハイは、静かに新しい文明を一歩一歩築き上げているのである。そしてこの文明こそ、総ての者の利益を守り、創造を超えた栄光の未来に人類を運び込むものである。