1章 現代社会の課題と目標

 

1.真理の独立探究

 

 

盲目的模倣の危険性

1.大部分の人々は迷信を好んでいる。彼等は,幻想の海の一滴を確信の海よりも好ましいと見なす。彼らは名前に強くこだわり,内なる本質を失い,空虚な想像に執着し,王国の印の『夜明け』から遠ざかっている。願わくは,汝,あらゆる状況で迷信の現像を打ち砕き,人々の想像の暗幕を引き裂くよう,恵み深く援助されんことを。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláh,p.58

 

2.人は,模倣や単なる世襲に対する執着を捨て去り,真理を自ら探し求めなければなりません。国々は,真理ではなく模倣に従っています。模倣は多様であるため,信条の相違は争いや戦争を生み出してきました。このような模倣が残る限り,人類が一体となることは不可能です。それ故に,真理の光によって暗雲や暗黒が追い払われるよう,私達は真理を探求しなければなりません。真理はひとつであり,重複や分裂の余地はありません。もし,世界の国々が真理を探求すれば,和合し,一体となるでしょう。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacep.180

 

 

偏見のない真理の探求

3.おお心霊の子よ!

総てのもののうち,わが目に最愛なるものは正義である。汝もし,われを求むるならば,正義にそむくな。またわれ,汝を信頼し得るよう,それをなおざりにするな。その助けにより,汝,他人の眼ならぬ汝自らの眼にて見,隣人の理解力ならぬ汝自らの理解力にて知らん。汝の心のうちに熟考せよ。汝はいかにあるべきかを。まことに正義こそは,わが汝への贈り物であり,わが慈愛のしるしである。されば,それを汝の目前に置け。(バハオラ:隠されたる言葉,アラビア編,#2

 

4.人は,他人の目で見,他人の耳で聞き,他人の頭で理解するようにはできていません。神の創造の計画では,人はそれぞれ生まれつきの才能や力や責任を持ち合わせています。ゆえに,自分自身の理性と判断に頼り,自分自身の探求の結果を固守しなさい。さもなくば,無知の海にすっかり浸ってしまい,神の全ての恵みを奪われてしまうでしょう。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacep. 293

 

5.パリヘ到着してから私は,神和学会について話をうかがっております。又それは,栄誉ある尊敬された人々によって構成されている事を存じております。あなた方は,知性と思想の持ち主であり,精神的理想を持っておられ,そうしたあなた方と一緒におられる事は私にとって大変な喜びです。

今晩,私達をここへお導き下さった神に感謝いたしましょう。皆さんが真理の探求者であるということは,私にとって非常に喜ばしいことです。皆さんは偏見の鎖に縛られることなく,真理を知ることを最大の念願としておられるからです。真理は太陽にたとえられましょう。太陽はあらゆる暗い影を消散せしめる発光体であります。同様に,真理は私達の想像から来る暗い影を消散せしめるものです。太陽が人類という身体に生気を与えるように,真理はその魂に生気を吹き込むものであります。真理は地平線上の違った地点から昇る太陽です。

ときおり太陽は地平線上の中央から昇ります。やがて夏になると北寄りの地点から昇り,冬には南寄りの地点から昇ります――しかし,どの地点から昇ろうと,それは常に同一の太陽です。

同様に真理というものは,その顕現においていろいろ相違する点があるかもしれませんが,それはひとつのものです。ある人々には,それを見る眼があります。これらの人々は,太陽が地平線のどの地点から昇ろうと太陽自体を拝(おが)みます。太陽が冬の空に没して夏の空から現れて来ようと,彼等はどの方向に向かっていれば太陽が出て来るかちゃんと心得ているのです。しかし,太陽が昇った地点をのみ拝む人もいます。こうした人達は,太陽が違った地点から明るく昇る時でも,依然として前に昇った地点をのみ,じっと見つめています。悲しいかな,こうした人達は,太陽の祝福を受けることができません。本当に太陽そのものを拝む人達は,太陽がどの地点から昇ろうとそれが太陽であることを認め,その明るい輝きにまっすぐ顔を向けるのです。

私達は単にその出現の地点のみを崇拝するのではなく,太陽自体を拝まなくてはなりません。同様に,啓発された心の持ち主は,真理が地平線のどこから現れようと,真理を崇拝するのです。(アブドル・バハ:Paris Talkspp..127-129

 

 

 

 

 

2. 宗教と科学の調和

 

調和

6.科学が不可能と証明することを,なぜ事実と信ずることができましょう。理性にさからって信ずるなら,それは信念ではなく,無知なる迷信です。あらゆる宗教の真の原則は,科学の教えと矛盾しません。

神の一体性とは論理的であり,この考えは,科学の研究によって出された結論と矛盾することはありません。

人は良いことをし,寛大で,誠実で,正直で,法律を守り,忠実であらねばならない,とあらゆる宗教は説いています。これは全く理にかなっており,当然,人類が進歩するための唯一の方法です。

全ての宗教の法は理性にかなっており,それらが制定され対象となる人々と,それらが守られるべき時代に適しているのです。(アブドル・バハ,:Paris Talkspp..141-142

 

7. . . もし宗教が道理にかなわなかったなら,それは宗教ではなくなり,単なるしきたりにすぎません。宗教と科学は,人間の知性が絶頂に舞い上がるための二つの翼であり,それらによって人間の魂は成長できるのです。一方の翼だけで飛ぶのは不可能です。もし宗教の翼だけで飛ぼうとすれば, すぐに迷信の泥沼に落ち込んでしまうでしょうし,これに反して,科学の翼だけでは進歩することはできず,物質主義の絶望的泥沼に落ち入ってしまうでしょう。

…科学は光であり,真に宗教と呼ばれるものは学識に反していません。

…科学と手を取り合って進まない宗教はそれ自体,迷信と無知の暗闇の中にあるのです。(アブドル・バハ:Paris Talkspp.143-144

 

8.真の科学は理性と真実であり,そして宗教は本質的には真実と純粋なる理性である。したがって両者は一致しなければならない。科学や理性と食い違う宗教の教えは受入れるには値しない,それは人間のでっち上げであり,空想なのである。なぜなら,知識と対極を成すものは,人間の無知から生じる迷信であるのだから。もし宗教が科学と反しているというなら,私達には真の宗教か,または真の科学の知識が欠けているのである。というのも,両方とも理性の前提と結果に基づいており,両方とも理性により試されなければならないのだから。 (アブドル・バハ,:Promulgation of Universal Peacep.107

 

 

物質的進歩と精神的進歩

9.人間には二つの力があり,人間の発達には二つの面がある。ひとつは物質世界と関連しており,それによって人は物質的進歩を遂げることができる。もう一方の力は精神的なもので,その発達により,人の内面的,潜在的本質が喚起される。これらは二つの翼のようであり,両方とも発達しなければならない。それは,片方の翼だけでは飛行は不可能だからである。(アブドル・バハ,:Promulgation of Universal Peacep.60

 

10. ある人々の人生は,この世の事柄のみに没頭してしまっています。彼らの考えは,もっぱら外見的風習や因習的なことに限られているので,他の生存領域や全てのものの精神的意義については無感覚なのです。彼らはこの世の名声や物質的進歩について考え,夢見ます。彼らの視野は,感覚的喜びや安楽な環境を得ることに限られ,世俗的な状況や境遇で成功することを最も熱望しています。彼等は,己の好みを抑えることもなく,ただ食べ,飲み,寝るだけです。動物のように,自分の肉体的幸福のこと以外は考えもしません。確かに,これらの必要な事柄は満たされなくてはなりません。人生とは,地上にいる間に背負わねばならない重荷です。しかし,人生の低いレベルの事柄に人間の全ての思考や熱望を独占させてはなりません。大志はもっと栄光ある目的に向かって飛び立ち,知的活動はもっと高いレベルに上昇しなければなりません。(アブドル・バハ:Paris Talkspp..98-99

 

バランスと中庸

11. 権威ある者の義務は,全てのことに対して中庸を持って対処することである。中庸という限度を越すものは何であれ,有益な効果を失うであろう。たとえば,自由や文明というものを考えてみよ。分別ある者がそれらをいかに素晴らしいものと考えようとも,度を過ぎれば,かえって人々に有害な影響を及ぼすであろう。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhCX, p.216

 

12. 教養や科学に博識な者らがそれほど誇りにしている文明も,中庸の限度を越えると,大変な悪を人類にもたらすであろう。全知なる御方はかく汝に忠告なさる。文明は,中庸という限度内にある限り,善の豊かな源であるが,度を過ぎれば,悪の源となるであろう。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláh, CLXIII, pp..342-343

 

13. 中庸は全ての事柄に必要である,人は,神の行いから教訓を学ねばならない。というのも,神は,樹が成熟に至るまで長期間成長し続けるようになさる。神は樹を一瞬のうちに実を結ぶまで成長させることがおできになるが,徐々に成長することが英知にかなうのである。(アブドル・バハ:Divine Therapy, p.163

 

 

禁欲主義ではなく,離脱していること

14. 人がもし地上の装飾品で身を飾り,衣装を着,この世で授かる恩恵をあずかりたいと望んだとしても,己と神との間に何の邪魔をも入れない限り,害はない。なぜなら神は,神を真に信ずるしもべらのために,天地いずれに創造されたものであれ,全ての良きものをお定めになったのであるから。おお人々よ,神が汝等に与えたもうたおいしい物を食べよ。また,神の驚くべき恩恵を拒むな。神に感謝し,賛美を与え,真に感謝深き者であれ。(バハオラ:Advent of Divine Justicep.33)

 

15.全ての創造物は,創造の頂点にある人類のためのものである。そして人は,神から授かった恵みに感謝せねばならない。全ての物は私たちのためにある。というのも,それに対する感謝を通して,人生を天からの恵みとして理解できるからである。もし人生にうんざりしていたら,私たちは恩知らずである。なぜなら,私たちが物質的かつ精神的に存在しているということは神の慈悲が外に現れた証拠であるのだから。それ故に,私たちは幸せであり,あらゆるものをありがたく思いながら賛美に日々を過ごすべきである。(アブドル・バハ:Bahá’u’lláh and the New Erap.103

 

 

3. 神の唯一性と宗教の一体性

 

同一の源

16. 地上の多様な宗教団体や信仰の様々な体系が人々の間に敵意の感情を決して起こしてならないということは,今日,神の信教と宗教の精髄である。これらの原則や法律,又,これらの確固として確立された強力な体系は,同一の根源から生じたもので,同一の光源の光線である。お互いに異なっているということは,これらが広められた時代の様々な要求によるものと見なされなければならない。

(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhpp..287-288

 

精神的な教えと社会的な教え

17. 神の宗教には,二種類の法がある。最初にあげられるのは,神の言葉の本質的,精神的な教えを構成する法である。これらは,神への信仰,完全な人間性を特徴づける美徳の獲得,誉めたたえられるべき道徳や神の光輝から発散する恩恵や恩寵の取得など,つまり,道徳や倫理の領域に関する教えである。これは神の宗教の根本的な部分であり,最も重要なものである. . .

次に,本質的ではなく,一時的な法律や法令がある。これらは世俗的な業務や人間関係に関するものである。これらは偶発的なもので,時と場所の必要条件によって変わるものである。これらの法令は永久的でもなければ根本的でもない。たとえば,ノアの時代には,海産物を食べることはその時代の必要条件にかなっていた。それで,神はノアに魚貝類を食べるようにとお命じになった。モーゼの時代には,これはイスラエルの生活の必要条件に応じていなかった。それゆえ,海産物に関する規則を部分的に廃止する別の法令が示されたのである。アブラハム――彼に平穏あれ――の時代では,ラクダの乳が法にかなっていて好ましい食物であると考えられた。ラクダの肉についても同様であった。しかし,ヤコブの時代には,彼が交したある誓いのために,これは不法のものとなった。これらは,本質的ではなく,一時的な掟なのである。聖書には,その過ぎ去った時代に応じて,その時代の真の精神,その時期の真の光を構成していた命令がある。たとえば,モーゼの五書[1]によると,ある種の窃盗を犯したら,その人の手を切り落とすことになっている。現在,1ドルの盗みに対して,人の手を切り落とすということが現実的で理性にかなっているであろうか。モーゼの五書には,殺人に関する十の法令がある。今日これらを執行することが出来ようか。疑いの余地なく,答えは否である。時代は変わったのである。聖書の明白な原文によると,もし人が安息日の法律を変えたり破ったりしたら,又,安息日に火にさわったりしたら,死刑に処されることになっている。今日,その様な法律は廃止されている。もし父親に対して不敬意な言葉を吐いたら,死刑に処されねばならない,とモーゼの五書では宣言している。これを今日,執行することが出来ようか。否,人間生活の状況は変化したのである。同様に,キリストの時代には,その時代にかなった副次的な法令が執行されたのである。

したがって,神の宗教の基盤は永久かつ不変であるということが確実に示された。社会全体の進歩と安定,そして人類の啓発を確実にするのは,その変わることなき基盤なのである。神の宗教は常に人々の間で愛と正義の根本となってきた。それは全人類の親交と和合のために作用する。なぜなら,それは決して変わることもなく,廃止されることもないのだから。社会的な処置や日夕の生活の事柄を統制する偶発的,非本質的法律は,変更され,廃止されることがあるのである。〈アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacepp..403-405

 

18. 宗教は,精神的なものと実用的なものの二つの部分から成っています。

精神的な部分は不変であります。神の全ての顕示者や預言者らは同一の真理を教え,同一の精神的法律を与えてきました。彼らは皆同じ道徳律を説いています。真理には分裂がありません。『太陽』は人間の知性を照明するためにたくさんの光線を放ってきましたが,その光源は常にひとつです。

宗教の実用的な部分は,外的な形式や儀式について,又,ある犯罪に対する処罰の規則について取り扱うものです。これは法律の物質的な面であり,人々の習慣や風習を指導するものです。

. . . 精神的法律は不変であるが,実用的規則は,その時代の要求に応じて応用を変えなくてはなりません。宗教の精神的な面は,この二つのうち,より偉大かつ重要であり,常にひとつで,決して変わることはありません。過去,現在,そして永遠にひとつなのです。(アブドル・バハ:Paris Talkspp..142-143

 

累進的啓示

19. アダムの顕現以来, バブに至るまでの一連の啓示について,汝の内なる目をもって熟考せよ。これらの各々の顕示者は,神の意志と目的によって送られてきたこと,各々が特定のメッセージを持って現れたということ,又,各々が神によって明示された書を託され,強力な書簡の神秘を解く任務を与えられたということを,われは神の御前で証言する。それぞれの顕示者の『啓示』の度合いは,あらかじめ明確に定められたものである。これはまことに,彼らへのわが好意の印である,もし汝がこの真理を理解する者であるなら。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhXXXI, pp. 74-75

 

20.神の使徒なるムハンマドに下されたことを熟考せよ。彼がもたらした啓示の程度は,全能者,いと力強き御方より前もって明白に定められたものである。しかしながら,彼の言葉を聞いた者等はただ自らの地位と精神的能力の程度に応じてのみ, 彼の目的を理解し得た。彼も同様に,そのメッセージの重荷に耐え得る彼等の能力に応じて,英知の顔を現わしたのである。人類が成熟の段階に達するやいなや,神の御言葉がその中に潜在的に賦与されているエネルギーを人々の眼に明らかにした。すなわち,このエネルギーは,六十年にアリ・ムハンマドなるバブの中に『古来の美』が現わされた時,完全な栄光をもって顕れた。(バハオラ:落穂集:その1#33pp. 29-30

 

21. 貴方の手紙の中で,汝は神の預言者のうちで誰がすぐれていると見なされるべきかと尋ねた。あらゆる神の預言者の精髄は一つであり同じだということは確かなことと知るべきである。彼等の一体性は絶対的である。創造主なる神は言い給う――わがメッセージの伝達者の間には,何らの区別もない。彼等の目的はただひとつである。彼等の秘密は同じ秘密である。或る者に他の者等より好意を寄せたり,或る者等を他の者等より高めたりすることは決して許されない。あらゆる真の預言者は自分のメッセージを以前に現れたすべての預言者の啓示と基本的には同じであると見なした...

しかしながら,この世に於ける神の預言者等の啓示はその程度が異ならなければならない。各々全ては別個のメッセージの伝達者であり,特定の行為により彼等自身を明かすように委任された者である。この理由により,彼等の偉大さの程度が異なる様に見えるのである。彼等の啓示は地上に輝きを注ぐ月光に似せられる。月は現れる度に新たな明るさを見せるけれども,その固有の光輝が減じる事もその光が消滅する事も決してないのである。

故に,彼等の光の強さに見られる明らかな差異は,光そのものに固有なのではなく,むしろ絶えず変わる世界の受容性が異なることによるものである...

神の預言者は医師と見なされるべきで,その仕事は,和合の精神でこの世と人民の健全を促進する事により,分裂した人類の病をいやすことである. . . もし医師によって処方される今日の治療法が以前に処方されたものと同一でないことがわかっても,何ら驚くことはないのである。(バハオラ:落穂集,#34pp. 32-34

 

22.およそ千年に一度,この『市』は更新され,改装されるのである. . .

その『市』とは,あらゆる時代に,またあらゆる律法時代において,啓示された神の言葉に他ならない。それは,モーゼの時代にあっては『モーゼの五書』であり,イエスの時代にあっては『福音書』であり,神の使徒ムハンマドの時代にあっては『コーラン』,今日では『バヤン』,また,『神が顕示なさるであろう御方』の律法時代においては,その『彼』の聖典がそれにあたる。そしてその聖典は,それまでの律法時代のあらゆる聖典の中で特に卓越した最高のものであり,これ以前にあった諸々の聖典は全て,この書に照会されなければならない。 (バハオラ:確信の書,pp. 211-212

 

精神的周期

23.どの時代にも宗教の指導者たちは,人々が永遠の救済の岸に達するのを妨げた。指導者たちは強力なる支配権を手中に握っていたからである。ある者たちは権勢欲ゆえに,他の者たちは知識と理解力の欠乏のために人々が顕示者たちを認めることを妨害した…権力と学識の座を占めていた者たちは世界の真の君主たち,聖なる美徳の宝石たちを何という言語に絶するほどの残酷さで虐待したことであろうか。(バハオラ,バハイ:なぜ今バハイなのか,pp. 37-39

 

24. . . これらの指導者達[2]は我欲に没入し,無常で下劣なことの追及にばかり没頭しているために,これらの聖なる『発光体』達を,自分達の知識や理解の基準に反するもの,また,自らのやり方や判断に敵対するものとしてみなしていたのである。彼等は,神の言葉や『和合の文字』[3]の言ったことや伝承を,文字どおりに解釈したり,また自身の不十分な理解をもって説明したりしていたから,自分自身は勿論のこと,信徒達全員をも神の恩寵と慈悲の豊かな贈り物から遠ざけてしまったのである。(バハオラ:確信の書,p. 96

 

25. . . 聖なる顕示者の出現の日は,精神的な春です。それは神の輝きです。それは天の恵みであり,生命の微風,『真理の太陽』の上昇です。精神は生き返り,心は爽やかに活気づき,魂は善良になり,全てのものは動かされ,人間の神髄は喜びに満ち,成長発達して善良かつ完全な性質となるのです。全体的な進歩が遂げられ,復活が生じます。と言うのも,これぞ復活の日であり,刺激と興奮の時代,そして幸福,歓喜,強烈な恍惚の季節だからです。

 その後,生命を与える春は,実り豊かな夏となります。神の言葉は高められ,神の法律は広められます。全てのものは完全になるのです。天のテーブルは広げられ,聖なる微風の香しき香りが東西へと発散し,神の教えは世界を征服し,人々は教養を身に付け,称誉に値する成果が生じ,普遍的進歩が人類の世界に現れ,そして天与の恵みが全てのものを取り囲むでしょう。『真理の太陽』は,最も偉大な力と熱を持って神の国の地平線より昇ります。それが最高点に達すると,傾き,下り始めます。精神的な夏に続いて秋がやって来て,成長と発展は阻まれます。微風は,ものをしおれさす風と変わり,実りのない季節は,園や平原や東屋の美を消滅させます―――すなわち,魅力や善意の精神が去り,天なる特質は変化し,心の輝きは衰え,魂の精神性は変えられ,美徳は悪徳に取って変わられ,神聖と純潔は消え失せてしまいます。神の宗教の名前,聖なる教えの外見的な形式のみが残ります。神の宗教の基礎は破壊され,廃止され,形式と習慣のみが残ります。分裂が生じ,確固とした精神は不安定になり,精神は死んだようになります。心はやつれ,魂は不活発になり,冬が到来します―――すなわち,無知という冷たさが世界を覆い,人間の過ちという暗黒が広く行き渡るのです。この後,無関心,不従順,思慮の無さ,無精,卑劣,動物的本能,そして石のような冷淡さや無感覚がやって来ます。それは太陽の熱の効果を剥奪された地球が荒れ果て疲れ果ててしまう冬の季節の様なものです。知性と思考の世界がこの状態に達した時は,絶え間ない死と永遠の虚無が残るのみです。

この冬の季節が効果をあらわすと,再び精神的春季がやって来て,新しい周期が現れるのです。(アブドル・バハ:Some Answered Questionspp. 74-75

 

26.その[諸国民間の不穏状態の]主なる理由とは,宗教が宗教上の様々な指導者や教師達によって誤って世に伝えられるという事です。彼等は,とかく自分達の宗教の形式だけが神意にかなうものであり,他のあらゆる宗派の信徒達は宿命的に全てを愛したもう父なる神の罰を受け,神の無限なる慈愛の恩恵を剥奪されるのだと信徒達に説くのです。まさにそのために人々の間に非難,軽蔑,反抗,憎悪というものが起きるのです。こうした宗教上の偏見を一掃することができたならば,諸国民はすぐに平和と調和を得るようになるに違いないでしょう。(アブドル・バハ:Paris Talkspp. 45-46

 

宗教は争いのもとではなく,和合のもと

27. . .神が預言者等を下される目的には二つある。第一は,人の子らを無知の暗黒より解放し,真の理解の光に導くためである。第二は人類の平和と平穏を保証し,それらが確立されるためのあらゆる手段を備えるためである。(バハオラ:落穂集,p.33

 

28.宗教は全ての心を結び,戦争や論争を地球上から消滅させ,精神性を向上させ,各々の心に生と光をもたらすべきです。もし宗教が,嫌悪や憎悪や分裂のもととなったら,それはない方がましで,又,その様な宗教から脱退することは真に宗教的な行為です。なぜなら,治療の目的は治療をすることだというのは明らかです。しかし,もし治療が病を悪化するだけであったら,そのままにしておいた方がましです。愛と和合のもとにならない宗教は宗教ではありません。全ての聖なる預言者等は,魂のための医者のようなものでした。彼等は,人類の治癒のために処方をほどこしたのです。したがって,病を引き起こすような治療法は,偉大で最高なる『医者』〔つまり神の顕示者〕から来るものではありません。

(アブドル・バハ:Paris Talksp.130

 

 

 

4. 人類の一体性

 

人類の平等性

29.和合の幕屋は建てられた。お互いを見知らぬ者と見なすな. . . 汝等は一本の樹になる実であり,一本の枝に茂る葉である...世界はひとつの国に他ならず,人類はその市民である. . . 自国を愛することを誇りにすべきではない。むしろ,人類を愛することを誇りにすべきである。(バハオラ:The World Order of Bahá’u’lláhp.41

 

30.汝の主,慈悲深き御方なる神は全人類をひとつの魂,ひとつの身体として見られたいという望みを心の中に抱き給う。創造された他のあらゆる日の光輝を卓越するこの日において,神の完全なる恩恵と慈悲の分け前を勝ち得るように急げ。神のものを得る望みを持って,自らの持つ全てを捨てる者を待っている至福は何と多大なものであろうか。そういう者は神より祝福された者等のうちに数えられるということを我は証言する。(バハオラ:落穂集,p.80

 

31.全能なる神は,地球のちりから全人類を創造なさった。神は人類を皆同じ要素からお創りになった。人類は同じ種族に由来し,同じ地球に生きる。神は,人類が同じ天の下に住むように創造なさった。人類の家族の一員として,また,神の子供達として,神は全人類に同じ様な感受性をお与えになった。神は全ての者を養い,保護なさり,全ての者に親切であられる。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacep.297

 

32.まことに,人類の世界は,ひとつの民族,ひとつの家族のようである。気候の相違のために,時が経つにつれて皮膚の色が違ってきた。熱帯地域では,太陽の影響が強烈なために,時と共に黒人種が現れた。極寒地帯では,激しい寒さと太陽熱が弱いために,時代を経て白人種が現れた。温暖な地帯では,黄色,赤色,そして褐色の人種が現れた。しかし,実際,人類はひとつの人種である。ひとつの人種であるが故に,疑いなく,分裂や不和を起こすことなく和合と調和を保たねばならない。(アブドル・バハ:Peace: More than an End to War, p.104

 

33.解決すべき根本間題は,闘争というかたくなな行動様式を持つ現代社会をいかにして調和と協力が力を持つ世界に変えることができるか,であります。

世界秩序は,人類の一体性という確固とした意識の上にのみ樹立されます。人類の一体性は人間の科学のあらゆる分野で確認されている精神的意味での真理であります。人類学,生理学,心理学は,生命の第二義的な側面において,人間は限りなく多様であるが,種としての人間は一つしかないことを認めております。この真理を認識するためには偏見,あらゆる種類の偏見,つまり人種,階級,皮膚の色,主義,国家,性別,物質文明の発達段階の差などにかかわるあらゆる偏見と,自分達が他よりも優れていると思わせるような全てのものを放棄しなければなりません。(万国正義院:世界平和への確証,pp.16-17

 

相互依存

34.世界を人間の身体と見なせ。そして,それはいろいろな病気によって苦しめられていて,回復はその構成要素の調整次第である。われが汝等に命じたことの下に集まれ。又,不和を起こす者等のように振る舞うな。世界とその人々の状態について熟考せよ。(バハオラ:Epistle to the Son of the Wolf, pp.55-56

 

35.肉欲や堕落的な欲望が汝等の間に分裂を起こさせぬように注意せよ。汝等,ひとつの手の指,ひとつの体の部分の様であれ。かく,『啓示のペン』は汝等に勧告せん――汝等が信ずる者等であれば。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhLXII, p. 140

 

36.誠実で忠実なる者等は,地球のあらゆる民族や人種と,喜びと輝きを持って交わるべきである。なぜなら,人々と交わることは,昔も,そしてこれからも,和合と調和を促進するものであるから。そして,和合と調和は更に,世界秩序の維持と国々の新生の助けになるのである。親切と優しさの綱にしっかりとつかまり,敵意や憎しみを持たぬ者等は幸いである。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhp.36

 

37.あらゆる宗教の人々が汝等から神の甘美な香りを吸い込むように,友好と和合を持って彼等と交われ。(バハオラ:Synopsis and Codification of the Kitáb-i-Aqdasp.25

 

38.様々な人種があることは,調和と色調の美を全体に与える,とバハオラはおっしゃった。それゆえに,人種間の不和や仲たがいなしに,花が一緒に並んで成長し調和するように,全人類をこの花園で交わらせよう。(アブドル・バハ:Advent of Divine Justicep.37

 

39.花園に入って,全ての花が皆同じ形,同じ種類,同じ色であるなら,それは目にとって退屈である。花園は,花々が異なったたくさんの色を添えている時が最も美しいものである。多様性は魅力と装飾を与える。鳩の群れの中には白い鳩や黒い鳩,赤や青の鳩もいる。しかし,鳩は,鳩自身の間に何の区別もつけはしない。どんな色であろうと,鳩は皆, 鳩なのである。全ての世界[4]に明らかなこの形や色の多様性は創造の英知によるもので,神の目的によるのである。しかし,生き物が皆同じであるか違っているかということは,争いやけんかの原因となるべきでない。特に人間は,その仲間の皮膚の色や人種に不和の原因を断じて見つけるべきではない。いかなる啓発を受けた教養人もこのような差別や不和が存在すべきとは思えないし,又その根拠があるとも認めはしない。(アブドル・バハ,Promulgation of Universal Peacep.113

 

40.バハオラの世界的な法律の活気ある目的について誤解ないようにしなければならない。これは社会に現存する基盤の転覆を目指すどころか,むしろその土台を拡大し,絶えず変わりゆく世界の必要性に応じて諸機関を改革するものである。当然の忠誠と矛盾するものではなく,また基本的な社会的良心を危うくするものでもない。その目的は,人間の心の中にある健全な愛国心の炎を消すことではないし,また,極端な中央集権の弊害を避けるために必要な, 現在の国家自治制度を廃止することでもない。これは世界の民族や国民を特徴づけている人種,風土,歴史,言語と伝統,思想と習慣の多様性を無視したり抑圧したりすることではない。これは,これまで人類に活力を与えてきたいかなる忠誠と熱望より幅広く大いなるものを求めている。また,統合された世界が緊急に必要とするものを優先し,一国家の衝動と利益を次に置くことを主張する。極端な中央集権を拒み,また一方では,画一性へのあらゆる試みをも否定する。これを一言で表すならば,多様性の中の統合である。 (ショーギ・エフェンディ:世界平和への確証,p.18

 

 

5. 男女の平等

 

男女は人類の両翼

41.女性と男性は,神の目から見れば平等であったし,又,常にそうである。『神の光の夜明けの地』からさす光は全ての人に同じ光彩を与える。まことに,神は女性を男性のために,そして男性を女性のために創りたもうた。神の御前において最も愛されるべき者は,最も確固としている者,または神――彼の栄光,高遠なれ――への愛が他の者より勝っている者である。(バハオラ:Womenp.23

 

42.真の男女平等が十分に確立され達成されるまでは,人類の最高の社会的発展は不可能である。(アブドル・バハ:Womenp.32

 

43.人間の世界は,男性と女性という二つの翼から成り立っている。この二つの翼の強さが同等でなければ鳥は飛び立てない。女性が男性と同等の地位に達し,同等の活動舞台を得ない限り,人類の非凡なる達成は実現できない。人類は,真の達成の頂に飛んで行くことができないのである。この二つの翼,または,この二つの部分の強さが等しくなり,同等の特典を得た時,人類の飛行は非常に高く,驚くべきものになるであろう。したがって,女性は男性と同じ教育を受け,全ての不平等は正されなければならない。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacep.375

 

母親は人類の最初の教育者

44.さらに,女性の教育は男性の教育より,もっと必要かつ重要である。なぜなら,女性は,子供が幼い頃からその教育者なのであるから。もし女性自身が欠点を持ち不完全であるなら,その子供も必然的に不完全となるであろう。したがって,女性が不完全なら,全人類が不完全な状態にあることを意味する。なぜなら,子供を育て,養い,成長を導くのは母親であるから...母親は人類の最初の教育者である。もし母親たちが不完全であるなら,人類の状態と未来は,あわれなるものであろう。(アブドル・バハ:Womenp.18

 

45.おお,尊重されたる侍女よ!...汝は女子の学校について書いた。以前に記されたことは,いまだに事実である。少女が学校や勉学の施設で教育されず,科学やその他の学問について教えられず,必要に応じた様々な技術を習得できず,神の道において養育されなければ,進歩するはずがないのである。というのも,これらの女の子たちが母親になる日がやって来るからである。母親は,子供たちの最初の教育者であり,子供たちの内なる性質に美徳を築き上げるのである。母親たちは,子供が美徳や立派な礼儀作法を習得するように励まし,好ましくない性質にならないよう警戒させ,困難なときにも決心を守り,不屈であり,忍耐するように励ます。したがって,女子の教育に対する十分な配慮が必要である。これは,非常に重要な課題であり,精神行政会の保護のもとで管理され,組織化されるべきである。(アブドル・バハ:Womenp.20

 

46.おお,汝等,愛情ある母親たちよ,神の目から見て,神を崇拝する最高の方法とは,子供たちを教育し,人類のあらゆる美徳の中でしつけることであることを知れ。これより崇高な行いは考えられない。(アブドル・バハ:Womenp.25

 

世界平和に関する女性の役割

47.人類の一体性を宣言するにあたって,彼〔バハオラ〕は,男性と女性は神の目からは平等であり,両性間にいかなる差別もすべきではないと教えられた。現在,男女間の差異は[女性の]教育と訓練の不足のみによるものである。もし女性が平等に教育を受ける機会を与えられたら,女性を差別したり, 女性を劣っていると評価したりすることはなくなるであろう...

バハオラは,男女に同じ教育課程の採用を広められた。娘も息子も,同じ学業課程に従い,それによって両性の調和を促進することになる。全人類が教育への同等の機会を与えられ,男女の平等が実現されたなら,戦争の基盤は一掃されるであろう。平等なしでは,これは不可能である。なぜなら,あらゆる差別や区別は不和や争いの元になるからである。女性は決して戦争を許しはしないという理由から,男女の平等は戦争の廃止に役立つのである。(アブドル・バハ:Womenp.19

 

48.献身的な母親によって20年間育てられ,教育された息子について考えてみよ。何という眠られぬ夜,落ち着かず不安な日々をその母親は過ごしたことか。危険や困難を通して,息子を成熟の年まで育て,そして彼を戦場への犠牲に払うとしたら,それは何という苦悶であろう。したがって,女性は決して戦争を許しはしないし,それに満足もしない。したがって,女性が存分かつ平等に世界の諸事に参加し,自信を持って,巧みに法律や政治の大いなる活動舞台に参加する時,戦争の終わりが来るであろう。なぜなら,女性は戦争を阻止し,妨げるからである。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacepp.134-135

 

49.女性の解放,男女間の完全な平等の達成は,まだ広く一般には認識されておりませんが,平和への最も重要な必要条件のひとつであります。この平等性を否定することは世界の人口の半分に対して公正を欠くことになり,男性には有害な態度と習慣を助長させ,それは家庭から職場に,政治活動の中に,そして最終的には国際関係に持ち込まれます。男女平等の否定を正当化できる理由は,道徳的にも,実際的にも,生物的にも見いだすことはできません。女性が人間の活動のあらゆる分野で完全なパートナーとして歓迎される時にのみ,国際平和達成を可能とする道徳的,心理的状況が生み出されるでありましょう。(万国正義院:世界平和への確証,pp.14-15

 

男女間の肉体的,心理的,機能的差異

50.男女間の関係における特定の役割に関して聖なる文書で述べられた全てのことについては,聖典のなかで繰り返し宣言されている男女平等という全般的な原則から見て考慮されるべきである,と万国正義院は提案します。アブドル・バハは,ある書簡の中でこう断言しておられます――『この神の時代において,神の恩恵は女性の世界を取り囲んだ。男女の平等は,いくつかの取るに足りない例を除いては,十分かつ定言的に発表された。差別は完全に取り除かれたのである』――男女がある特徴や機能において異なるということは,自然界での避けられない事実です。大切なのは,アブドル・バハは,男女間にあるそういった役割上の違いを,『取るに足りない』と見なされているということです。(万国正義院からニュージーランド全国精神行政会にあてられた手紙より,12/28/80: Lights of Guidancepp.523-524

 

51.母親の役目の大きな重要性は,母親は子供の最初の教育者であるという事実から生じます。母親の態度や祈り,そして母親が食べる物やその身体状態は,お腹にいる子供に大きな影響を与えます。子供が生まれる時,子供に定められた最初の食物である乳を神によって授けられたのはまさに母親です。そして,できれば母親は,生後最初の数ヶ月間に子供を育て,養うために一緒に居るようにと意図されています。これは,父親が自分の赤ん坊を愛さず,赤ん坊のために祈らず,世話を見ないという意味ではありません。しかし,父親は,家族を養うという基本的な責任があるので,子供と居る時間は,普通限られています。しかし母親は,赤ん坊の生涯のうちで最も急速に成長し発達する,この初期形成の期間に,赤ん坊と密接に交わるのが普通です。子供が大きくなり,自立できるようになるにつれて,子供と両親の関係は変化し,そして父親はより大きな役目を果たすようになれるのです。(万国正義院から個人の信者にあてられた手紙より,8/23/84: Womenp.31

 

 

6. 世界的共同体の設立

 

国家建設から世界共同体の設立へ

52.政府は,彼らが統治する人々の状態を十分に熟知し,功績と能力に応じてその人々に地位を与えるべきである。反逆者が忠実なる者の地位を横領せぬよう,又,略奪者が信頼できる者の代わりに統治したりせぬ様に,あらゆる統治者や君主には,この事について最大の注意を払って考慮することが命じられている。

(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhp.127

 

53.全人類の和合は,人間社会が今,近づきつつある段階の特徴である。家族,部族,都市国家,そして国家の和合は相次いで試みられ,十分に確立されてきた。世界の統合は,苦悶する人類が得ようと努めている目標である。国家建設は終わりを告げた。国家統治につきものである無秩序状態は,その頂点へと向かって進みつつある。成熟へと発展している世界は,これを盲目的に崇拝するのを止め,人間関係の一体性と全体性を認識しなければならない。また,世界の生命の根本であるこの原則[人類の一体性]を最善に具体化できる機構を,断じて確立しなければならない. . . (ショーギ・エフェンディ:The World Order of Bahá’u’lláhp.202

 

世界政府と世界裁判所

54.世界の全政府は一致し,会合を編成しなければならない。そしてそのメンバーは,国々の国会や貴族から選ばれるべきである。(アブドル・バハ:Foundation of World Unityp.43

 

55.世界は国際平和を最も必要としている。平和が確立されるまでは,人類は安定と平穏に到達しえないであろう。諸国家と諸政府は,論争や紛争を調停するための国際裁判所を編成する必要がある。その裁判所の裁決は最終的なものである。個人間の争い事は地方裁判所によって裁かれ,国際的問題は国際裁判所に提出されなければならない。そうすれば,戦争の原因は取り除かれるであろう。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacep.301)

 

56.議会設定,協議の会合の編成がまさに政府の土台と基礎をなす一方,これらの機関が満たされなければならない本質的必要条件がある。第一に,選ばれたメンバーは,公正で,神を畏れ,志しが高く,清廉でなければならない。第二に,彼らは,あらゆる点において,神の法律を熟知しており,法律の最高の原則に精通し,国内諸事の管理や,外交関係の管理を支配する規則に通じていて,文明の有用な教養を身につけており,そして妥当な報酬に満足しなければならない。(アブドル・バハ:The Secret of Divine Civilizationp.23

 

57.議会を設立する目的が公正と正義をもたらすことであるということは,疑いの余地のないことである。しかし,全ては選ばれた代表者の努力次第で決められる。もし彼らの意志が誠実であれば,好ましい結果と,目覚ましい改善が生じるであろう。そうでなければ,全ては無意味となり,国は停止状態となり,公の事務は相続いで悪化することは確実である. . . (アブドル・バハ:The Secret of Divine Civilizationp.23

 

58.しかし, バハオラが述べられた最高裁判所は,最高の勢力と権力をもって,この神聖な事業を達成するであろう。バハオラの計画とは次の通りである。各国の議会,すなわち国会は,その国の最も優れた国際法や国家間の関係について熟知し,そして現代の人間社会が本質的に必要としているものを知っている,二,三人の人々を選出すべきである。これらの代表者らの数は,その国の住民の数に比例すべきである。全国議会,つまり国会によって選ばれたこれらの人々は,全国民や国家によって選ばれた者らとなるように,上院,国会や内閣,そして大統領あるいは君主によって承認されなければならない。最高裁判所はこれらの人々によって構成され,各代表が自分の国を十分に代表していることで,全人類がそれに参与していることになるであろう。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of ‘Abdu’l-Bahápp.306-307

 

 

7. 国際補助語の採用

 

59.会合を招集し,世界の全ての学校で子供に教えるべきひとつの言語を,合同の協議によって,現在存在する様々な言語のうちから選ぶために,または新しい言語を作り出すために,理解力と学識のある者らを任命するのは,全ての国家の義務である。

世界の全ての民族が同一の国際語と共通の文字を採用する日が近づきつつある。これが達成された時には,いかなる都市に旅をしようと,まるで自分の故郷へ行くようなものになるであろう。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhpp.165-166

 

60.国際語は,あらゆる国家との交際を可能にするでしょう。したがって,母国語と国際語の二つの言語のみを知るだけでよいでしょう。後者は,世界中のあらゆる人との通信を可能にしてくれるでしょう。(アブドル・バハ:Paris Talksp,156

 

61.したがって,国際補助語の問題は最も重要である。この手段により,国際的な教育や訓練が可能となり,過去の歴史とその実証が習得できるのである。人間世界の既知の事実が普及することは言語に依存する。神の教えの説明はこの手段によってのみできるのである。言語が多様であり他の言語の理解が不足していると,これらの輝かしい目標は実現できない。したがって,世界への最初の奉仕は,この国際的補助語を確立することである。それは,地球というひとつの連合体を平穏にするもととなるであろう。それによって,科学や技術は国々の間に広まり,全人類の進歩と発展の手段となることであろう. . . (アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peacepp.60-61

 

 

8. 教育の普及

 

62.知識は,人間の生命の翼のようであり,上昇のための梯子のようなものである。その習得は全ての者の義務である。しかしながら,言葉に始まり言葉に終わるような学問ではなく,地球の人々のためになるような学間の知識を習得すべきである。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhp.51)

 

63.第一の,そして最も緊急な必要条件は,教育の促進である。この最高にして根本的な事が先へ進められない限り,どの国家も繁栄と成功に達することは考えられないのである。(アブドル・バハ:The Secret of Divine Civilizationp.109

 

64.東洋と西洋を人類の支配下にもたらすのは教育です。すばらしい産業を生み出すのは教育です。偉大なる科学や技術を広めるのは教育です。新しい発見や制度を現わすのは教育です。もし教育者がいなかったら,安楽や文明や人間性といったものはなくなるでしょう。自分以外の人間を誰も見ることのない荒野にひとり置き去りにされたなら,ひとは,疑いの余地なく,全く残忍な人になってしまうでしょう。それゆえ,教育者の必要性は明らかです。(アブドル・バハ:Some Answered Questionspp.7-8

 

65.義務教育普及の大事業には,あらゆる宗教団体や国家から集まってきた献身的な人々の一団が奉仕していますが,これは世界の各国政府から最大の支持を受けるにふさわしいものであります。無教育は議論の余地なく国民の衰微と滅亡,および偏見の存続をゆるす主要な原因であるからです。全ての市民が教育を受けなければ国は繁栄しません。多くの国は資源の不足から何を最優先とするかにあたって教育の必要に応える事ができない状況にあります。教育に関する政策決定機関は女性と少女に対する教育に第一優先権を与えることを考慮すべきでありましょう。知識の恩恵が最も効果的に,そして急速に社会に分散されるのは,教育を受けた母親たちを通してであるからです。また,時代の要求に従って,世界市民の概念はすべての子供の基本的な教育の一部として教えられるべきであります。(万国正義院:「世界平和への確証」,p.15

 



[1] 「旧約聖書」の最初の五書

[2] その時代の聖職者達

[3] 預言者の使徒達

[4] 訳注:つまり鉱物、植物、動物、そして人間の世界。