4章 若者と教育

 

1. 教育の究極の目的

 

1. 人間は鋼のようであり、その真髄は隠されている。勧告と説明、適切な助言と教育を通して、その真髄は明るみに出されるであろう。しかし、もし人間が当初の状態に置かれたままなら、事実上、渇望と欲望の腐蝕が人間を破壊するであろう。 (バハオラ:Bahá’í Educationp.5

 

2. 人間は最高のタリスマン[護符]である。しかしながら、適切な教育が欠如していたため、本来持っているものを預かることができなかった。神の口より発せられた一言により、人間は生み出された。もう一言で人間は己の教育の根源を認識するように導かれた。さらにもう一言により、人間の地位と運命は保護された。偉大なる御方はおっしゃる―――人間を、計り知れぬ価値のある宝石に富む鉱山と見なせ。教育のみが、その宝を発掘し、人類がそれから益を得られるようになすことができるのである。

(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhpp. 259-260

 

 

 

2. 三種類の教育とそのバランス

 

3. 教育には、物質的教育・人間的教育・精神的教育の三種類がある[1]。物質的教育とは、身体の健康維持、安楽、休息を得ることによって身体の進歩発達を図ることに関する。これは動物と人間に共通である。

 人間的教育は文明と進歩を意味する。すなわち、政府の行政機構、慈善事業、職業、技術や手工芸、科学、偉大な発明や発見、そして精巧に仕組まれた社会機構であり、これらは動物とは異なる、人間固有の活動なのである。

 神の教育は神の王国のものである。それは神々しい美徳を習得することである。これぞ真の教育である。なぜなら、この状態において人間は神の祝福の焦点となり、『我の形に、我に似せて人を造ろう』[2]という言葉の顕現となるからである。これが、人類の世界の目標である。

(アブドル・バハ:Some Answered Questionsp.8

 

4. 道徳と善行をしつけることは、書物上の学問よりもはるかに重要である。清潔で、愛想が良く、立派な人格で、行儀の良い子は、たとえ無知であったとしても、無作法で、不潔で、意地悪だがあらゆる科学や教養に精通している子供よりもましである。なぜなら、立派に振舞う子供は、たとえ無知であったとしても他人のためになるが、意地が悪く行儀が良くない子供は、たとえ学識があっても、堕落していて、他人に害を与えるからである。しかし、学識があり、しかも善良であるように子供が訓練されたなら、結果は光の上にさらに照らされた光である。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of ‘Abdul-Bahápp. 135-136

 

5. この大業は、私達の職業が何であれ、それに奉仕することができます。唯一必要な事は、私達が精神を持つことで、物質的な考慮のみに左右されずにいることです。私達は又、大業の文献に関する知識を深めることを、勉学によって妨げられるべきではありません。 (ショーギ・エフェンディの代理から、個人の信者にあてられた手紙より、11/9/31: Imp.ortance of Deep.eningp.30

 

6. 科学や教養を習得することは、人類の最大の栄光であるが、これは、人間の川が巨大な海へと流れ、神の古来の源より霊感を得るという条件においてのみそうなのである。これが起こると、あらゆる教師は岸のない海となり、あらゆる生徒は知識の泉となる。知識の追求が、全ての知識の目的である御方の美へと通じるならば、その目標は何と優れていることか。しかし、もしそうでなかったら、ほんの一滴が、溢れる恩恵から人を切り離す原因になるであろう。なぜなら、学識が傲慢とうぬぼれを伴い、神への無関心と過ちを引き起こすからである。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of ‘Abdul-Baháp.10

 

 

3. 全ての学識の源

 

7. 全ての学識の源は神――その栄光に誉れあれ――を知ることであり、これは、神の顕示者を知ることによってのみ達成し得る。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhp.156

 

8. 賢者らや神秘家達が言ったこと、あるいは記したことの全ては、人間の限りある知性が制約を受けている限界を越えることは決してなかったし、これからも、それを越えることも決してできないのである。いかに高く人間の知性が舞い上がろうと、又、離脱した理解力ある心が貫ける深度がいかに深かろうと、そのような知性や心は、それら自身の概念の作りもの、そしてそれら自身の考えの産物を超越することは決してできないのである。最も深遠なる、思索家の瞑想、最も神聖なる聖人らの祈り、人間の筆や舌による最も高遠なる賛美の表現は、 彼等の主なる神の啓示を通して彼等自身の内に創造されたるものの反映にすぎないのである...初めのなき初めより、神を心に描き、知るためになされたあらゆる試みは、神自身の創造の必要条件により必然的に制限されているのである。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhCXLVIIIpp. 317-318

 

 

 

4. 全てのことに優れること

 

9. その日[3]に生まれた赤ん坊は、この時代[4]の最も賢く最も尊敬すべき者等よりも優れ、又、その時代の最もみすぼらしく無知な者は、この時代に最も学識あり教養ある聖職者よりも、理解力において勝るであろう。(バブから生ける文字らへの言葉より:Dawnbreakersp.65

 

10. 知識は人間の生命の翼のようであり、人間の上昇のための梯子のようである。その習得は全ての者の義務である。しかし、言葉に始まり言葉に終わるような学問ではなく、地球の人々のためになるような学問の知識を習得すべきである。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhpp. 51-52

 

11. 内面も外面も完璧になることに全力を尽くせ。なぜなら、人間の樹の実はこれまで、内面と外面の両面において完璧であったし、現在、そして未来もそうであるのだから。人間が知識あるいは技能のない状態に放っておかれるのは望ましくない。なぜなら、その場合、人間は実りなき樹にすぎないから。したがって、才能と能力が許す限り、汝等は、生命の樹を、知識、英知、精神的な理解力、そして雄弁な発言力といった実で飾らねばならない。(バハオラ:Excellence in All Thingspp. 1-2

 

12. 読み書きの習得に最善を尽くすのは子供達の義務である。ある子供にとっては、緊急な用事をまかなうための著述の技能で十分である。そしてその子供が実用的な知識の学習に時を費やすのは、より望ましく、適している。

 『最高なるペン』が、以前に書き留めたことについて――それは、あらゆる技術と技能において、神は最高の完全性をお望みになるということである。(バハオラ:Excellence in All Thingsp.2

 

13.  科学や教養の習得において他の子供等よりも勝るということは、バハイの子供の義務である。というのは、バハイの子供達は、神の恩恵のもとで育成されたのだからである。

 他の子供たちが一年かけて学ぶことを、バハイの子供達にはひと月で学ばせよ。アブドル・バハの心は、バハイの若者一人一人が、彼等の知的業績によって世界中に知られるのを、愛情ゆえに切望している。彼等が、科学や教養を習得するために全力を尽くし、全精力と誇りを発揮することは疑いの余地のないことである。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of ‘Abdul-Baháp.141

 

14.人々や天使等の理解には及びもつかない、はるかに、はるかに、はるかに及びもつかない力、神秘的な力が、この大業に存在する。その目に見えぬ力が、これら全ての外的活動の源である。それは、心を感動させる。それは、山を引き裂き、大業の複雑な業務を統治し、友人達を奮い立たせ、全ての反撃の力を木端微塵にし、新しい精神界を創造する。これぞ、アブハ王国の神秘である。(アブドル・バハ:Covenant of Bahá’u’lláhp.70

 

15. それゆえに、神の愛されたる者等よ、汝等自身がこの進歩とこれら全ての確証を示し、神の祝福の焦点となり、神の唯一性の夜明けとなり、文明生活の恩寵と恩恵の促進者となるまで、多大な努力をせよ。汝、その地において、人類のあらゆる美徳を示す指導者となれ。様々な分野の知識を促進し、発明や技術の分野で活発かつ進歩的であれ。人々の振舞いを改めるように努め、品行方正な人格の点で全人類に勝るように努めよ。子供等がまだ幼いうちから、天なる恩恵の胸より乳を飲ませ、全てに優秀であるように養育し、恩恵で包み込んで育てよ。あらゆる役に立つ知識を彼等に与えよ。新しく、優れた、すばらしい工芸や技術を全て身につけさせよ。子供等が働き、努力するように育て、苦難に慣れさせよ。非常に重要な事柄に人生を捧げるように教育し、人類のためになる勉学をするよう、子供等を激励せよ。(アブドル・バハ: Selections from the Writings of ‘Abdul-Baháp.129

 

16. あなたがたがこの大学で勉強している間、そこで教えられている様々な学問の分野において他の学生たちよりも非常に優れ、バハイの学生には特別な力があり、特別な努力に勇気づけられ、高貴な大望に満ち、より高遠な動機によって励まされ、他の人たちよりも幅広く深遠な努力を払っていると、他の学生達がみな証言する程になることを、私は期待しています。もしあなた方が他の人より優れていなかったら、どうやって差をつけるというのですか。だから、あなた方は、皆がこの事実を認めるように、彼等よりも優秀であるように努めねばなりません。

 あなた方は、道徳的教訓と精神的理想において輝くロウソクとなり、他者を啓発する手段とならねばなりません。あなた方の体を美徳の衣で覆(おお)いなさい。聖なる道徳性を身に付けた人々と同じ特徴を身につけなさい...あなた方は立派さの典型、高貴な性質の模範、道徳を守る人、より高遠な精神によって下等な要素を征服する人、自己を克服する人、そして人生の全ての道において健全な活力を備えた人であると教授や学生達が認めるよう、あなた方の生活の純潔さと神聖さで彼等に印象づけなさい。勤勉と真の功績によって、あなた方のクラスで首席になるように常に努めなさい。常に祈り深き状態にあり、全てのものの真価を理解しなさい。高遠な理想を抱き、あなた方の知的、又、 建設的な力を刺激しなさい。

 『祝福されたる美』[5]の好意と恩恵、神聖なる御方バブ、そしてこの神聖なる聖堂[6]を神聖にする、言葉に絶する祝福を通して、アブハ王国の確証があなた方を取り囲み、バハイの生き方の輝く特質と、輝かしい属性であなた方が特徴づけられることを私は望んでいます。あなた方の道徳心が、日に日に向上しますように。あなた方の信仰と確信が日に日に増しますように。あなた方が、アブハ王国へ日に日に引きつけられますように。あなた方が、科学や教養において達成することが日に日に広まりますように。願わくは、天意がかなえば、あなた方は、あらゆる見地において完璧で、熟達し、そして、ペルシャの啓発の手段となることでしょう。

(アブドル・バハから、バブの墓を訪れた学生らへの言葉より:Excellence in All Thingsp.11

 

17. 学問が神からの最大の贈り物であり、知識とその習得は天からの祝福であることは明らかである。したがって、今日、学校に通う子供達が全ての賢き者等のうちで最も学識の豊かな者等になるように非常な努力を尽くし、神の知識、 そして教養や科学を促進しようと非常に熱心に努めるのは、神の友人等の義務である。

 これは、神自身に対する奉仕であり、それは、神の避けられぬ命令のひとつなのである。(アブドル・バハ:Excellence in All Thingsp.8

 

18. 今日、人々の考え方は、非常に軽薄である傾向にあります。そして、現行の教育制度は、成人に成熟した知性をもたらす能力が全く欠けているように思えます。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へ、9/22/48: Lights of Guidancep.169

 

19. 学校や大学での勉学の間、バハイの若者らは、ある学科について、教師よりも深い見識を持ち合わせているという、変わった、少し気まずい境遇に出くわすかもしれません。バハオラの教えは、人間の生活や知識において、非常に多くの面に光明を投じていますので、バハイとしては.....与えられた情報を盲目的に受け入れるのではなく、それについてまず、よく考える習慣を学ばなくてはなりません。バハイは、この時代の神の啓示を知るという有利な点があります。そしてそれは、現代思想家を悩ませている非常に多くの問題に、サーチライト[探照灯]の如く光を投げかけているのです。したがって、 バハイは、正しい謙虚な態度を教師らに示しつつも、聞いたことを常にバハイの教えに関連させながら、周りの人々からあらゆることを学ぶ能力を養わねばなりません。なぜなら、バハイの教えは、人間的な誤りという粕(かす)から、金を選り分けることを可能にしてくれるからです。(万国正義院からあらゆる国のバハイユースヘの手紙より、6/10/66: Wellsp.ring of Guidancepp. 95-96

 

 

5.学科・専攻の選択について

 

20. 多様な可能性

 今後、バハイの共同体は、多くの技能と資格を持った男女を必要とするでしょう。なぜなら、共同体の規模が大きくなるにつれ、社会生活の活動範囲が拡大し、多様化するからです。したがって、バハイの若者が、生まれつきの才能を、人類への奉仕と神の大業のために使い、開発できる最善の道について考慮させましょう。それには、農場経営者、教師、医者、職人、音楽家、その他可能な生計の道が多数あります。(万国正義院からあらゆる国のバハイの若者への手紙より、6/10/66: Wellsp.ring of Guidancep.95

 

21. 包括的知識の必要性

 完全性の第一の属性とは、学識と教養である。そして、 この優れた状態は、神に関する複雑で高遠なる真理、コーランの政治的・宗教的法律に関する根本的真理、他の信教の聖典の内容、そして、この著名な国[7]の進歩と文明に貢献できる規則や手順――これらにに関する徹底した知識を、自分自身の内に統合する時に達せられる。人はさらに、他国の政治体制を特徴づける法律・原則・習慣・状況・風習、そして物質的・道徳的美徳について知っておくべきであり、又、現代のあらゆる役に立つ学問の分野に精通し、歴史上の政府や民族について学習すべきである。なぜなら、もし学識ある人が、聖典、神学と自然科学の全領域、宗教的法律学や行政法、その時代の様々な学問や歴史上の偉大な出来事について無知であったなら、非常事態に耐えることができない可能性があり、これは、包括的知識を有する必要条件を満たさないからである。(アブドル・バハ:The Secret of Divine Civilization pp.35-36

 

22. 発展途上国で特に必要な技能

 教育課程を決めるにあたって、若者は、教育、農村開発、農業、経済、科学技術、保健、ラジオ、そして世界の発展途上国で緊急に必要とされている、 その他多くの分野のためになる技能や職業の習得を考慮することができます。又、あなた方は、勉学やその他の活動の最中に、第三世界においてティーチング旅行、 あるいは奉仕の企画に時間を当てることもできます。(万国正義院から、インスブラック、オーストリアでのヨーロッパ青年大会への手紙より、7/4/83: Unrestrained as the Windp.71

 

23. 一般科学

 神に誉れあれ。この世紀は、科学の世紀である。この周期は、真理の周期である。知性は発達し、思考はより幅広い見地を持ち、知力はより鋭くなり、感情はより豊かになり、発明は地球の表面をすっかり変え、この時代は人類世界の一体性という荘厳なる啓示のための、栄光ある能力を得たのである。(アブドル・バハ:Lights of Guidancep.456

 

24. 教養、科学、あらゆる技能

 バハイ信教では、教養、科学、あらゆる工芸は崇拝行為と同じであると考えられている。一枚の紙を作るにも、作る人が全能力を尽くし、良心的に、しかもそれを完全なものとすることに集中して作るならば、その人は、神を賛美しているのである。簡単に言えば、人が心魂を尽くすあらゆる努力精進は、至高の動機に促され人類への奉仕の意欲に燃えるものであれば、崇拝行為なのである。人類のために奉仕し、人々の要求に応じて奉仕すること、これが崇拝である。奉仕は祈りである。医師が優しく、親切に、偏見を持たず、人類はひとつであるという信念の下に病人と接するとき、神を賛美しているのである。(アブドル・バハ:P.aris Talkspp. 176-177

 

25. 技術

 この世において汝が見る全ての驚異的な産物は、神の最高にして最も崇高なる意志、神のすばらしく確固たる目的を通して明らかにされたのである。『お作りになる御方』という言葉が神の口を通して啓示され、神の属性が人類に宣言されるだけで、その後諸々の時代を通して、人間の手が作り出すことのできる全ての様々な技術を生み出す力が放たれるのである。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhLXXIVpp. 141-142

 

26. 歴史、経済学、社会学

 将来教師をするという目的で、どういった学科を専門にすべきかということに関してあなたがショーギ・エフェンディに求められた助言についてですが、彼は歴史、経済学、あるいは社会学を提案なさいます。なぜなら、これらの分野は、バハイが関心を持つのみでなく、私達の教えが全く新しい光明を投じる主題を含んでいるからです。あなたの知識は、将来、 大業について教えることに役立つでしょう。そして、おそらく教育者として、バハイの概念をあなたの講義に導入することもできるでしよう。 (ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者への手紙より、3/13/44: Unrestrained as the Windpp. 70-71

 

27. 歴史、社会学、経済学

 宗教の歴史を含めた歴史、社会的・経済的な主題に関する十分な知識は、知的な人々に大業について教える場合、大いに役立つと守護者は感じておられます...(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてた手紙より、5/4/46: Unrestrained as the Windp.65

 

28. 演説

 演説は疑いの余地なく、ティーチングをしたい人にとって非常に重要ですが、これは、そのような訓練のために特別に準備された学校やクラスで学ぶべきです。将来、大業をより効果的に紹介したいという理由のためだけで、公衆に質の悪い紹介をすることを許可すべきではありません。若者は、学校あるいは大学で勉学を続ける間に演説の訓練を受けるように奨励されるべきです。 (ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてた手紙より、12/25/31: Unrestrained as the Windp.70

 

29. 演説

 あなたの子供さんたちが、人々の前で大業について話をされるようになられたということを私達は様々な経路を通して聞きました。ショーギ・エフェンディのお望みは、彼等三人とも大業やそれと同じような主題に関して、有能で献身的な演説者になられるということです。これをきちんと行なうためには、彼等が幸いにも学習中の科学や文学や教育の、しっかりとした基盤が必要です。バハイの若き男子や女子が名声の高い大学できちんと教育を受けることは、精神的に発達することと同様に重要であります。若者が大業のために能率的に奉仕できる前に、精神的な面と同じく知的な面も発達していなければなりません。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、11/28/31: Unrestrained as the Windp.70

 

30. 哲学

 現代の学識ある者らは、哲学や人文や工芸に非常に精通しているが、識別力ある眼で観察するならば、この知識の大部分が過去の賢者達から習得されたことを誰でも容易に理解するであろう。なぜなら、哲学の基礎を築き、その構造を育成し、その柱を強化したのはこの賢者達であるのだから。汝の主、『日の老いたる御方』[8]は、かく汝にお知らせになる。過去の賢者達は、知識を預言者達から学んだ。というのも、預言者達は神の哲学の解説者であり、天の神秘を啓示する者であったのだから。ある人々は彼等の発言の透明で命あふれる水を飲み干したが、他の者はその粕(かす)で満足した。あらゆる者は、自分の程度に応じて分け前を受け取るのである。まことに、神は公平で賢明なる御方である...

 哲学の真髄と根本は預言者たちから発した。その内的な意味や神秘に関して人々の意見が異なるという事は、 彼らの見解や考えの相違のためと見なされるべきである...

 まことに哲学者らは、『日の老いたる御方』を否定しはしなかった。彼らの大部分は、幾人かが証言したように、神の神秘を見極めることが出来ないことを嘆き悲しみながら死んでいった。まことに、汝の主は助言をなさる御方、全ての事に通じておられる御方である.....

 真の哲学者は、決して神と神の証拠を否定することもなく、むしろ、全ての創造されたものよりも勝る神の栄光と圧倒的な威厳を認めるのである。まことに、われは、人類の最善の利益を促進するようなものを明るみに出した学識ある者らを愛し、われの命令の権力によって、彼らを援助した。というのも、われはわが目的を達成することが出来るのだから。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhpp. 144-145

 

31. 哲学

 あなたがこれから勉強され、後にそれを教えることになる哲学は、もちろん、言葉に始まり言葉に終わる科学のひとつではありません....

 あなた自身の勉学について――彼は、あなたが、哲学の抽象的な面にあまり時間をかけすぎずに、むしろもっと歴史的な観点からそれに取りくまれるように助言なさいます。哲学とバハイの教えとの関連について――これは、将来、学者達が手がけることのできる膨大な仕事です。私達は、全ての教えが必ずしも英語に翻訳されているわけではないということと、教えが全て収集されてもいないことを頭に入れておかねばなりません。現在、 個人的に所有されている多数の重要な書簡が、さらに明るみに出て来るかもしれません。(ショーギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手紙より、2/15/47: Unrestrained as the Windp.71

 

32. ジャーナリズム

 .....バハオラのメッセージの宣布を目標とし、演説、報道記事、ラジオ放送などを通して、念入りに企画され、効果的に調整された前例のない全国的な運動が、即座に開始され、活発に遂行されるべきです。(ショーギ・エフェンディから米国とカナダの全国精神行政会へあてられた手紙より:Lights of Guidancep.457

 

33. 広報活動

 中南米諸国で活発、 かつ全面的に支援する人たちが着実かつより増えることを確実にし、注目を集め、共感を勝ち得るため、その他の手段、例えば、新聞の広告や宣伝、正確で改善されたラジオ放送の台本、地域布教委員会を通しての布教企画の拡張、視覚教育や公開講演などが十分に利用されるべきです。(ショーギ・エフェンディ:Citadel of Faithpp.15-16

 

34 外国語

 世界のいろいろな言語について教育を受けることを、主は、それを望む者全てにお許しになった。そうすることにより、神の大業のメッセージを東洋と西洋の至る所に伝え、心が蘇り、朽ちる骨が生気づけられるよう、また、世界中の人種や民族の間で神について述べることが出来るようにするためである。(バハオラ:Synopsis and Codification of the Kitáb-i-Aqdasp.24

 

35.国際補助語

 和合と調和のためになり、全地球がひとつの国と見なされるようになすもののひとつは、様々な言語がひとつの言語に統一され、同様に、世界の文字が単一の文字に限定されることである。会合を召集し、世界の全ての学校に教えられるべきひとつの言語を、現在存在する様々な言語のうちから合同協議によって選ぶために、あるいは新しい言語を発明するために、理解力と学識のある者等を任名するのは、全ての国家の義務である。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláhpp. 165-166

 

36. 国際補助語(エスペラント語)

 さて、神に誉れあれ、ザメンホフ氏がエスペラント語を発明された。これは国際的なコミュニケーションの手段になり得るあらゆる資質をすべて備えています。われわれは皆、 この尊い努力に対して彼に感謝すべきです。なぜなら、このようにして彼は人類同胞に貢献したからです。エスペラント語使用者の絶え間ない努力と自己犠牲によってこれは世界的なものとなるでしょう。それ故、 われわれは皆この言葉を学び、出来る限りこれを広め、日毎にこれが一般から認められ、世界の全ての国や政府から受け入れられ、そしてあらゆる公立学校において学課のひとつとなるように努めねばなりません。私はエスペラント語が未来における全ての国際会議の公用語となり、万民が自国語とこの国際語の二語のみを習得すればよいとなるように望んでおります。そこで完全な融合が世界万民の間に樹立されるでしょう。今日、 様々な国民と交際することがいかに困難であるかを考えてみましょう。五十の国語を学ぶとしてもなお、その言語が理解できない国を旅することになるでしょう。ですから、私は皆さんが全力を尽くしてこのエスペラント語が世に普及するように努力されんことを切望いたします。(アブドル・バハ:19122月、パリのエスペラント同好会での講演より:Bahá’u’lláh and the New Erap.165

 

37. 国際補助語(エスペラント語)

 汝は、 エスペラント語について書いた。この言語はある程度まで広まり、普遍的になるであろう。しかし後に、これよりも完全な言語、あるいはこの言語が修正されたものが、採用され、普遍的なものになるであろう。(アブドル・バハ:Tablets of ‘Abdul-BaháVol. III p.692

 

38. 国際補助語(エスペラント語)

 エスペラントの課題に関して――その言語を教えることをアブドル・バハは繰り返し勧められましたが、それが必ず未来の国際補助語に発展するということを信じさせるような言及は、アブドル・バハもバハオラもしておられないということを、信者に明確にしておくべきです。そのような言語は、世界の国々や民族間の交流の手段として、現存する言語のうちから選ばれるか、あるいは全く新しい言語が創り出されるように、バハオラが書簡で明確にお示しになりました。この最終的な選択がなされるまでは、信教の現在の発展段階において、世界中の個人バハイ、グループ、 そして行政会の間のコミュニケーションをかなり促進できるであろうという考えにおいてのみ、バハイはこの言語を勉強するように勧められているのです。 (ショーギ・エフェンディの代理から米国とカナダの全国精神行政会へあてられた手紙より、6/4/37: Lights of Guidancep.250

 

39. 国際補助語

 国際語とバハイ信教との関係に関する問題について...私達は、この役を果たすためのどのひとつの言語の支持者でもありません。世界中の政府が、国際的に使われるために、ある現存する言語、あるいは新しく創られた言語を合意して定めるならば、私達は、人類の和合におけるこの一段階の実現を出来るだけ早く見たいが故に、それを心から支持するでしょう。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、10/17/44: P.rincip.les of Bahá’í Administrationp.27

 

40. 外国語(ペルシャ語)

 神の言葉の意味を学び、神の神秘について知り、雄弁に話す力を身につけ、バハオラの神聖なる書簡を翻訳するために、ペルシャ語を習得せよ。この周期において、ペルシャ語は注目に値するものになるであろう。否、むしろ、人々は、全世界でそれを勉強するであろう。 (アブドル・バハ:Tablets of ‘Abdul-BaháVol. III p. 306

           

41. 天文学

 天文学は科学のひとつでありますが、占星術は同じ部類に入りません。しかし、私達は、それを信じる人達に対して忍耐強くあるべきで、その様なものに依存することから、徐々に彼らを引き離していくべきです。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、12/24/41: Lights of Guidancep.390       

 

42. 天文学

 汝は更に、天球の特質に関してわれに質問した。その特質を理解するには過去の諸々の聖典で述べられた天球と天空についての暗示の意味を調べ、この物質界との関係の特徴と、物質界に及ぼしている影響を発見することが必要である。あらゆる心は、この途方もない主題に驚嘆で満たされ、あらゆる知性は、その神秘性に当惑する。ただ神のみがその意義を測り知ることができ給うのである。この地球の生命は数千年であると定めた神学者らは、長年にわたる観察にもかかわらず、他の惑星の数、又はその年齢を推測することすら考えつかなかった。なお、この人々が提出した理論から生じた多種多様な相違について考慮せよ。あらゆる恒星には惑星があり、あらゆる惑星にはそれ自体の創造物がおり、そしてその数は誰も計算し得ないことを知れ。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláhLXXXIIpp.162-163

 

43. 経済学

 ...信教の創始者らの書から私達が憶測することではなく、彼らがおっしゃっていることを主張することが出来るように、まず、現代の問題に照らして、より徹底的に経済についての教えを学習しなければなりません。偉大な原則を宣言することと、目下の現状に対してその応用策を見つけることとの間には大きな差があります。 (ショーギ・エフェンディの代理から米国とカナダの全国行政会の経済委員会へあてられた手紙より、1/11/33: Lights of Guidancepp.82-83

 

44. 経済学

 大業には、金融業や物価制度やその他、経済に関する専門的な教えは、ほとんど何もありません。大業は経済制度でもなければ、その創始者らが専門的な経済学者であったわけでもありません。この課題に信教が貢献できることは、本質的には間接的なものです。なぜなら、それは、精神的な原則を、私達の今日の経済制度に応用することだからです。世界の経済関係を調整するような機関を設立するにあたって、将来のバハイの経済学者らを導くべきいくつかの根本的な原則を、バハオラは私達に与えてくださったのです。 (ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、1/25/36: Lights of Guidancep.83

 

45. 経済学

 主に考慮すべきことは、私達の経済生活に浸透する精神であります。この精神は徐々に具体化され、確実な機関や原則になることでしょう。そして、バハオラによって予告された理想的な状態をもたらすのに役立つでしょう。(ショーギ・エフェンディの代理から米国とカナダの全国精神行政会へあてられた手紙より、12/20/31: Lights of Guidancep.83

 

46. 経済学

 .....それにも関わらず、バハイ信教の経済についての原則は、信者がそれらの性質や応用に関する詳細で明確な言明をするにはまだ十分に具体化されていない、と彼は感じております。それを考慮した上で、彼は、今のところは、バハイの経済学に関する図表を作る試みをあきらめるように助言なさいます。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、5/12/34: Lights of Guidancepp.84-85

 

47. 音楽

 われは、汝が音楽や歌に耳を傾けることを許可した。それが、汝に、慎みと尊厳の領域を越えさせることのないよう注意せよ。心が魅せられ、神に愛されたる者らの知性が引き寄せられる、わが『最大名』において喜べ。

 われは、音楽を、魂が天上の領域に昇ることの出来る梯子となした。それを、自我と欲情のための翼へと変えるな。汝が無知な者らのひとりでないように、われは神の保護を求めん。(バハオラ:Bahá’í Writings on Musicp.3)

 

48. 音楽

 この栄光ある時期に、バハオラは神聖なる書簡の中で、歌や音楽は心と魂の精神的食物であると啓示なさった。この時代に、音楽は非常に歓迎され、悲しく沈んだ心を高揚させるものと考えられる芸術のひとつである。

 それ故に...集会において、魂をかきたてるような旋律で神の言葉を歌えるよう、又、聞く者の心を高揚させ、嘆願と祈りのうちにアブハの王国へと昇ることが出来るように、聖なる語句や文節に音楽をつけよ。 (アブドル・バハ:Bahá’í World Faithp.378)

 

49. 音楽

 端的に言って、音楽の旋律は、交わり、すなわち外的性質と内的性質という人間の二つの性質の関連において重要な役割を果たす。それは、物質的感受性と精神的感受性の両方に生気を与えるものであり、起動力であるから。 (アブドル・バハ:Bahá’í Writings on Musicp.7

 

50. 音楽

 音楽は重要な芸術のひとつである。それは、人間の精神に多大な影響を及ぼす...実際、音楽は物質的なものであるが、その偉大な影響は精神的なもので、魂の領域へ深く入り込んでいく。(アブドル・バハ:Bahá’í Writings on Musicp.6

 

51. 心理学

 ...心理学はまだ新しく不正確な科学であり、年が経つにつれて、バハオラの教えによって人生のあり方を知るバハイの心理学者らが、この科学の発達において多大な貢献をすることができ、人間の苦しみの軽減に大きな役割を果たすでしょう。(万国正義院の代理によって書かれた手紙より:The Throne of the Inner Templep55

 

52. 心理学

 心とその働きについては、まだほとんど知られていません。しかし、ひとつだけ確かなことがあります。つまり、バハイは、この世において驚くべき援助と保護を受けることができ、事実、それを受けているのです。このことは、しばしば彼等の医者たちを非常に驚かせます。 (ショーギ・エフェンディの代理からある信者にあてられた手紙より、4/9/48: Lights of Guidancep.224

 

53. 精神医学

 私達の教えには、フロイトや彼が用いる方法については何も言及されていません。一般の精神医学は、疑いの余地なく、医学へ重要な貢献をしていますが、それは完成された科学というよりも、まだ成長中の科学であると考えるべきです。優れた医者の援助を利用するように、 とバハオラが私たちに促されたように、バハイはもちろん、援助を得るために自由に精神医学に頼ることができるだけでなく、望ましい時はそうすべきです。これは、精神医学者たちが常に賢明で常に正しいという意味ではなく、医学が提供する最善のものを私たちは利用できる事を意味します。(ショーギ・エフェンディの代理によって書かれた手紙より、6/15/50: Lights of Guidancep.222

 

54. 精神医学

 病気、特に精神病にかかることは、とてもつらいことです。しかし、これらの病気は、私たちの魂や、私たちと神との内面的な関係とは何の関係もないことを決して忘れてはなりません。心とその働き、そして心を苦しめる病気についてははまだほとんど知られていないのは、太変残念なことです。疑いなく、人類がもっと精神的に成熟し、科学者たちが人間の真の性質を理解するにつれて、精神病のために、より人道的で完全な治癒法が見つけられるでしょう。

 守護者の心は、あなたの恐怖と苦しみに関して同情を寄せておられますが、電気ショック治療を使用すべきかどうかを言うことはできません。なぜなら、これは全く医学的なことであり、また、私たちの聖典には、そのような詳細事に関する情報がありませんから。素人ではなく、最も優れた学者らが、そのような方法についての判断を下さねばなりません。

 あなたや他の人々が、精神的な問題やこれらの公立施設の屈辱的な環境によっていかに苦しめられようと、あなたの精神は健康で、私たちの最愛なる御方の近くにおり、次の世では、魂の幸せで正常な状態を享有するであろうことを、決して忘れずにいるべきです。それまでは、科学者たちが、精神的に苦しめられている人々のために、より効果的で完全な治癒法を見つけることを期待しましょう。しかし確かに、この世において、そのような病気は、まことに耐えがたい負担であります。(ショーギ・エフェンディの代理からある信者へあてられた手紙より、4/12/48: Lights of Guidancep.225

 

55. 精神医学

 バハイの教えでは、病気の時は、入手可能な最善の医学的助言を求めるべきである、とはっきりと述べられています。そうするにあたって、何が医学的に良いと考えるかの選択は、もちろん、個人にあります。もし、あなたと――さんのお母様が、あなたがかかっておられるお医者さんの管理のもとで、彼女の容態が良くなっているとお感じになり、また、――さんが辛抱して、容態が回復し続けるかどうか見る準備ができておられるなら、もちろん、彼女がそうなさるのに何の異議もありません。あなたがご存知のように、現在、非常に多くの精神的な病気や問題がありますが、ひとつバハイがしてならない事は、それらに対して敗北者的な態度を取る事です。病気が何であるに関わらず、信教の力は非常に驚くべきもので、その力はその援助を受けないでいる他の人々よりもずっと高いレベルで、私たちを支えることができるのです。しかし、これは、私たちが医学的な意見や治療を無視すべきであるという意味ではありません。いやむしろ、私たちは、専門家や有能な医者らの意見を得るよう最善を尽くすべきなのです。(ショーギ・エフェンディの代理からある信者へ宛てられた手紙より、1/12/57: Lights of Guidancep.225

 

56. 医学

 この(治癒の技術の)知識は、全ての科学のうちで最も重要なものである。なぜなら、それは全ての人々の身体を保護するために、『塵に生命をお与えになる御方』なる神がお与えになった最も偉大なる手段であるのだから。また、神は、それを全ての科学と英知の中心となさったのだから。この日は、汝が、われの勝利のために立ち上がらねばならぬ日なのである。(バハオラ:The Throne of the Inner Templep.53

 

57. 医学

 わが神聖で愛されたる『御名』において病を癒す者は幸いである。 (バハオラ:The Throne of the Inner Templep.53

 

58. 医学

 汝は、医学の勉強に努めるべきである。この科学に有能になれるよう、日夜勤めよ。そして治療をしようとする時には、神の確証を請うために、汝の心をアブハ王国の方へ向けよ。(アブドル・バハ:The Throne of the Inner Templep.54

 

59. 医学

 真なる御方の忠実なしもべで、人々の精神的な医者である汝よ!患者を看護するときにはいつでも、汝の顔を王国の主の方へ向け、聖霊からの援助を懇願し、病める者の病気を癒せ。(アブドル・バハ:The Throne of the Inner Templep.59

 

60. 医学

 著名な医者なる汝よ!...神に誉れあれ。汝には、肉体的治療と精神的治療をなす二つの力がある。精神に関する事柄は、人間の肉体の状態に多大な影響を及ぼす。例えば、汝は、患者に喜びを与え、慰めと歓喜を与え、その患者を恍惚と喜びの状態にもたらすべきである...それ故に、この二つの力にて、病める者を治療せよ。精神的な感情は、神経病に驚くべき効果がある。(アブドル・バハ:The Throne of the Inner Templep..60)

 

 

6.教育と結婚

 

61. 結婚生活以外では、 性本能の合法的で健全な用い方はあり得ません。一方、バハイの若者は自制する方法を教えられるべきで、それが実行されると、概して性格と個性の洗練に有益な効果を及ぼすことは確かです。そして他方、若くて肉体的精力を十分保持している間の結婚が勧告、いや激励されねばなりません。しばしば、 経済的要因が若い時の結婚への大きな妨害となるのは確かであります。しかしほとんどの場合、それらはただの言い訳にすぎず、強調しすぎるべきではありません。 (ショーギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手紙より、12/13/40: 和合への道、p39

 

62. もちろん、正常な状況下では、結婚は全ての人の道徳的義務と見なされなければなりません。バハオラはバハイにそうするように奨励されています。しかし、結婚は決して義務ではありません。家庭を持つか、独身生活をするかを決めるのは、最終的には個人本人です。 (ショーギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手紙より、5/3/36: 和合への道、p39

 

63. さらに、結婚していることは非常に望ましく、そしてバハオラは強くそれを勧められてはいますが、それは人生の中心目的ではないことを明記すべきです。もし、 人が伴侶を見つけるまでにかなりの長い間待たなければならない、あるいは結局、独身のままで過ごさなければならないとしても、それによって人生の目的が達成できないわけではありません。(万国正義院:和合への道、p.40

  

64. バハイ信教は性の衝動の価値を認めますが、性の不法で不適当な表現はとがめます。たとえば、自由恋愛、友愛結婚などで、これらは全て人間と人間の住む社会に明らかに害があると考えられるからです。性本能の正しい行使は、あらゆる人間の当然の権利であり、まさにこの目的のために結婚の制度が確立されているのです。バハイは性的衝動の抑圧ではなく、その調整と制御を信じるものであります。 (ショーギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手紙より、9/5/38: 和合への道、p.38

 

 

 

7. 義務教育

 

65. 大業によって認められ、世界中至るところで行われるべきバハイ教育制度は、現在のバハイの世代では明らかに系統立てることのできない仕事です。それは、未来のバハイの学者や教育者達によって徐々に成し遂げられねばならないものです。(ショーギ・エフェンディ:Bahá’í Curriculum Guideiii

 

66. 子供達が学校で教わるべき科目は多数ある...まず、最も重要なものは、行儀と立派な人格形成における訓練である――つまり、性格を改めること、熟達しこの上なく優れた性質を得たいという願望を喚起すること、神の宗教への忠誠を守り、神の法律を硬く守ること、あらゆる正当な政府に従うこと、その時代の統治者へ忠誠と信頼を示すこと、人類の幸福を祈るものであること、全ての者に親切であること、である。

 そして更に、人格の理想と同様に、役に立つような教養や科学、そして外国語の教育も重要である。それから、統治者と統治される者らの幸福のために祈ること。そして、自然の因果関係のみを見る者らの間に広まっている物質主義的著作、恋愛物語、そして欲情を招く本を避けること。

 つまり、全ての教科を、熟達した人間性の習得に、完全に捧げよう。

 手短かに言って、これが、これらの学校の教科課程に関する指示である。(アブドル・バハ:Bahá’í Educationpp.42-43

 



[1] 訳注:別に言えば、 体育・知育・徳育と言えよう。

[2] 訳注:「創世記」1:26を参照のこと。

[3] 訳注:バハオラがもたらす時代。

[4] 訳注:バブの時代。

[5] 訳注:バハオラのこと。

[6] 訳注:バブの廟。

[7] 訳注:ペルシャのこと。

[8] 訳注:神のこと。