序説

 

 1953年、バハイ信教の守護者ショーギ・エフェンディは、「アグダスの書」の翻訳の重要な前身となる「概要と体系化」を彼の十年計画のゴールの一つとして導入され、自らそれに着手された。しかし1957年、彼の逝去のときにはそれは完成されていなかった。その作業は、守護者の仕事ぶりを基盤として継続され、1973年についに完成し、発行に至った。それには、「概要と体系化」とその解説・注釈の他に、ショーギ・エフェンディがすでに翻訳し、様々な本で出版されていたアグダスの書本体の文節の編纂が含まれていた。「概要と体系化」にはアグダスの書とその補足をなす「質疑応答」が含まれている。1986年、万国正義院は、「最も聖なる書」全体の英語訳が可能であるだけでなく、それが必要な時期が来たと判断し、その完成を6年計画(1986ー92年)の目標の一つとした。英語以外の言語での出版は英訳版出版の後に続くことになる。

 聖典である「アグダスの書」は、学術書にあるような脚注や索引番号で煩雑にすることなく、分かりやすく、しかも感動的な形で提示すべきであるということが前提とされた。しかしながら、文の流れやそのテーマの変化に読者が容易についていけるようにするため、段落分け──そのような区分けは、一般にアラビア語の著書にはない──を施した。さらに、これらの段落には番号をつけて、アクセスや索引を容易にし、また今後出版される言語のすべてで同じように参照ができるようにした。

 アグダス本体の後には、最も聖なる書の補足を成す、バハオラの書からの短い編纂と、この版で初めて出版される質疑応答の翻訳が続く。

 ショーギ・エフェンディは「アグダスの英語訳には豊富な注釈が必要である」と述べておられる。注釈を作成するにあたって従った方針は、アラビア語を解さない読者にとって意味が不明瞭と思える点や、様々な理由から解説や背景となる情報を必要とする点に焦点を置く、ということであった。これらの注釈は、そのような基本的なニーズに応えるものであり、本体の包括的解説という意図で書かれたものではない。

 「概要と体系化」に続く「注釈」には、順に番号がつけられている。注釈の前には、それぞれに関連する本体からの引用文が提示されており、その文がでる段落の番号が示されている。これにより、本体と注釈の相互参照が容易になるよう配慮されており、同時に、繰り返し本体を調べることなく、読者の希望に応じて、注釈を学習できるように工夫されている。これにより、多様な背景や関心を持つ読者層のニーズを満たすことが期待される。

更に、この索引は、この書の扱うすべての主題のガイド役を果たす。

 「アグダスの書」の重要性と特徴、またそれが含む主題の範囲については、ショーギ・エフェンディがバハイの歴史書であり、最初の一世紀を語った「神よぎり給う」と題される書に鮮やかに描写されている。読者のためにそれを本書の「緒言」のすぐ後に付けた。「概要と体系化」は本書で再出版という形を取るが、それも、この聖典の全貌を知るうえでもう一つの助けとなるのである。

 

 

緒言

 

 バハイ暦で一四九年となる今年は、バハオラの昇天百周年を記念する年である。バハオラは、人類全体を成熟に導く、神の普遍的な啓示を携えてきた御方である。この機会が、全人類を代表する信者らの共同体によって記念されること、またこの共同体が一世紀半の間に地上の最も遠隔な地域にでも確立されたことは、バハオラの到来によって放出された和合の力を示す徴である。これら同じ力の働きを示すもう一つの証拠は、バハオラのビジョンが多くの局面で現代人の生活を予見したその程度の大きさに見ることができる。今この時は、バハオラの啓示の母なる書、バハオラの最も聖なる書、少なくとも一千年は続くと運命づけられた宗教制のためにバハオラが制定された神の法を述べた書の、最初の公認英語訳を発行するに相応しい時期である。

 バハオラの聖典を構成する百冊以上の書の中で、アグダスの書は独特の重要性を持つ。「全世界を新たに作り直すこと」がバハオラのメッセージの主張と課題であり、「アグダスの書」こそは、将来の世界文明の「憲章」である。バハオラはこの世界文明を築くために到来した。その憲章の規定は、過去の諸宗教が確立した基盤の上にしっかりと据えられている。と言うのも、バハオラの言葉によると、「これこそは過去においても、未来においても、神の永遠にして不変の教え」だからである。この啓示では、過去の概念は新しい理解の段階に引き上げられ、今明けようとしているこの時代に適合するように変更された社会的な法は、未だその輝きを想像することすらできない世界文明へと人類を導くよう設計されている。

 「アグダスの書」は過去の偉大なる諸宗教の妥当性を認めるにあたり、それら神聖なる使者たちすべてが説いた永遠の真理──すなわち、神の唯一性、隣人愛、地上の生活の道徳的目的を改めて述べている。同時に、出現しつつある世界の融合や人間社会の再建にとって障壁となる過去の宗教的な要素を宗教的規律の中から除去している。

この宗教制における神の法は、人類家族全体のニーズに応えるものである。アグダスの書には、殊に特定の人々に宛てた法もある。それらは、彼らにはすぐ理解できるであろうが、異なる文化の人々がそれらを最初に読む時は、分かりにくいかもしれない。たとえば、人に罪を告白することを禁止するという法はその一例である。これは、キリスト教を背景とする人には理解しやすいが、他の人々は当惑するかも知れない。さらに、法の多くは過去の宗教制、特に最近の二つ、コーランとバヤンに具現されたムハンマドとバブの宗教制に関するものである。しかし、アグダスの特定の法令はそのように焦点を絞っているとは言え、それらは普遍的意味合いも持っている。その法を通してバハオラは、世界の諸民族が到達すべき知識と行動の新しいレベルの重要性を徐々に明かされたのである。バハオラは精神的解説という設定にその教えを埋め込み、扱われている主題が何であれ、それらの法は人類社会に平穏をもたす多様な目的を果たし、人間の行動基準を向上させ、人間の理解を深め、万人の生活を精神化するという原則を常に読者に思い起こさせている。宗教の法の究極の目的は、常に、個々の魂の神に対する関係と、精神的運命の実現である。バハオラご自身、こう断言されている──「われが単なる法典を汝らに現したと思うな。否、まさにわれは威力と強大の指をもって、選り抜きの美酒の封を切ったのである」。バハオラの法の書は、「すべての人々に対する[バハオラの]最も重要な証言であり、天と地に住むすべての者に対する慈悲深き御方の証明」なのである。

 アグダスの書で明かされた精神的宇宙の紹介は、バハオラがこのように啓示された法体系と永続的に結びつけられた解釈、および立法の機構を読者に告げなかったなら、その目的を達成することはできない。この導きの根底には、バハオラの諸々の書──まさにアグダスの本体そのもの──が、彼の長男であるアブドル・バハに付与した独特の役割が存在する。この特異な人物こそは、「彼の父親」が説いた生き方の「模範者」、天よりの霊感を受けた、彼の教えの権威ある解釈者、バハイ啓示の著者が彼を認めるすべての者と交わした聖約の中心かつ枢軸である。アブドル・バハの29年にわたる使命期間は、彼の父親の目的の理解に多様な展望を開く輝かしい解説機関をバハイ世界に付与した。

 アブドル・バハはその遺訓で、彼の長孫ショーギ・エフェンディに、大業の守護者、その教えの誤ることのない解釈者という外套を授与し、また、「聖典に明確に示されていない」あらゆる事柄に関しては、万国正義院に対してバハオラが定められた権限と聖なる導きについての保証が付与されていることを確認しておられる。このように、守護者制と万国正義院は、ショーギ・エフェンディの言葉によると、バハオラとアブドル・バハの一対の後継者と見なすことができるのである。守護者制と万国正義院はアグダスの書で創設され、予期された行政秩序であり、アブドル・バハがその遺訓に詳しく解説され行政秩序の最高の機構である。

ショーギ・エフェンディは36年の使命期間中に、選挙によって作られる精神行政会という構造を立ち上げられた。この精神行政会はアグダスの書に言及されている正義院で、現在は胎児期にある。そして彼は、この行政会と協働して、聖なる計画の系統的実行を開始された。聖なる計画は、信教を世界中に広めるためにアブドル・バハが規定されたものである。更に守護者は、確立された強力な行政的構造を基盤にして、万国正義院選挙に不可欠な準備過程を推進された。1963年4月に誕生したこの機構は、世界中の成人バハイにより三段階の選挙で、秘密投票、多数得票式で選出される。バハオラの啓示された言葉は、聖約の中心及び大業の守護者の解釈や解説と合わせて、万国正義院が参照すべき事項を構成し、その基盤となる根拠である。

 法そのものに関しては、三つの分野に適用されることを精査している。それら三つの分野とは、個人の神に対する関係、個人を直接益する身体的・精神的事柄、人間同志の関係及び個人と社会の関係である。それらは次のような見出しで分けられる。すなわち、祈りと断食、結婚・離婚・相続に関する個人的な地位の法、その他の法、禁止令、勧告、及び過去の宗教制の特定の法や法令の廃止である。これらの法の顕著な特徴はその簡潔性にある。これらの法は、これから先、何世紀にもわたって制定される膨大な法の中核を成す。この法の詳細化は、バハオラご自身によって付与された権限の下に万国正義院が実施する。アブドル・バハはこの原則について、彼の書簡の一つで以下のように述べておられる。

 

 神の法の基盤を成す最も重要な事柄は聖典に明確に記されているが、補足的な法については正義院に委ねられている。これの英知は、時代は常に変化するということである。と言うのも、変化はこの世、そして時間と空間に必然の特質であり、本質的な属性だからある。そのために、正義院はそれに応じて行動するであろう…

 簡潔に言うと、これが社会の法を正義院に委ねることの英知である。イスラム教においても同様に、すべての法令が明確に啓示されてはいなかった。いや、十分の一のさらに十分の一でさえも、原典に含まれてはいなかった。主要な事柄はすべて明確に言及されていたが、明記されていない法が何千もあったということは疑う余地もない。これらは、イスラム法学の法則に応じて、後世の神学者らによって考案されたものであり、個々の神学者らは、もともと啓示されていた法令から、それぞれ異なった結論を導き出した。それらはすべて執行された。今日、この演繹的結論のプロセスは正義院という機構の権限であり、正義院によって是認されない限り、一個人としての学識者たちの演繹や結論には何の権限もない。その違いは、まさに次の通りである。つまり、そのメンバーが世界中のバハイ共同体によって選出され、知られている万国正義院という機構の結論と是認により、いかなる意見の相違も生じ得ないのであるが、一方、一個人たる聖職者や学者らの結論は、必ず意見の相違につながり、分派や、分裂、分散を生み出す。聖なる言葉の一体性は破壊され、信教の統一性は消え、神の信教の建物は揺らいでしまうのである。

 

 万国正義院には、状況の変化に応じて、自らが制定した法を変えたり、廃止したりする権限が明確に与えられており、こうしてバハイ法に柔軟性という不可欠な要素が付与される。しかし、聖典に明確に規定されている法は一切、廃止や変更はできない。

アグダスの法が想定している社会のある部分は、徐々に現れるものであり、そのためバハオラは、バハイの法の段階的な適用を規定された。

 

 まことに、神の法は大洋のごときもので、人の子らは魚に例えられる。彼ら、それを知り得るならば。しかし、法を守るにあたっては、機転と英知を利かせなくてはならない…大方の者は非力で、神の目的からかけ離れている故、人はあらゆる状況で、機転と慎重さを守らなくてはならない。それにより、混乱や衝突を引き起こしたり、不注意な者らの間に騒ぎを生じさせたりすることがないようにするのである。まことに、神の恩恵は全宇宙をしのぐものであり、神の賜物は地上に住むすべての者を包囲した。人は、人類を愛と寛容の精神をもって真の理解の大海へ導かねばならない。アグダスの書自体、神の愛の摂理を雄弁に証言するのである。

 

この法の段階的適用を規定する原則については、1935年、守護者の代理がある全国精神行政会へ宛てた手紙で解説されている。

 バハオラによってアグダスの書に啓示された法は、実施が可能で、その国の法律に直接反しない限り、いつでも、西洋でも東洋でも、すべての信者及びバハイ機構に完全に課せられるものです。一部の法は、全信者に対し、現時点で普遍的、かつ絶対的に適用されると見なされるべきです。またある法は、今日の混乱とした状態の中から出現すると運命づけられた社会を予期して規定されています…「アグダスの書」で規定されていない事柄は、バハオラがすでに制定されている法の適用から生じる細目や二次的課題に加えて、万国正義院によって規定されねばなりません。この機構は、バハオラが既に規定されていることに関して、それを補足することはできますが、無効にしたり、いささかたりとも修正したりすることはできません。それほどまでに根本的で神聖なる書の規定の拘束力を弱めたり、ましてやそれらを廃止したりするような権利は、守護者にさえもまったくありません。

 

 バハイが遵守するよう義務付けられる法の数が、この翻訳の発行によって増えることはない。時が熟せば、バハイ共同体は、どの法が新たに信者に適用されるかを知らされ、また、それに必要なガイダンスや補足的な法律制定がなされるであろう。

 一般的に、アグダスの書の法は簡潔に述べられている。この簡潔性の一例として、多くの法が男性のみに適用されるように表現されているという点があげられる。しかし、守護者の書かれたところから明らかであるように、女性に対する男性の行動に関する法をバハオラが定める時、文脈からしてそれが不可能でない限り、女性から男性に対する場合にも準用される。たとえば、アグダスの書では男性に対して、父親の妻(つまり義母)との結婚を禁止しているが、守護者は、女性も同様、義父との結婚を禁止されていると指摘している。この法の含蓄についてのこの理解は、男女の平等というバハイの基本的な原則から見て極めて深遠な意味を有するのであり、聖典を学習する際はこれを念頭に置いておかねばならない。いくつかの特徴や機能において男女が互いに異なるということは自然の避けられない真相であり、社会生活のある領域で互いに補足的役割を果たすことを可能にする。しかし、この宗教制において「男女の平等は一部の些細な点を除き、十分かつ明確に確立されている」と、アブドル・バハが述べていることは特記に値する。

 アグダスの書と、以前の宗教制の聖典との密接な関係についてはすでに言及された。特に密接な関係があるのはバブの啓示した法の書バヤンである。これについては、守護者の代理による手紙から抜粋した次の言葉で解説されている。

 

 ショーギ・エフェンディは、バハイの啓示の統一性は、バブの信教をも包括する一つの完全な総体を成すということを強調すべきと感じておられる…バブの信教はバハオラの信教から切り離されるべきではない。バヤンの教えは廃止され、アグダスの法がそれに取って代わったが、バブは自身をバハオラの先駆者として見なした故に、私たちは、バブの宗教制はバハオラの宗教制と共に一つの体系を成すものであり、前者は後者の到来の導入部にあたると見なす。

 

 バブは自分の法は仮のものであり、将来の顕示者の承諾に依存すると述べている。このため、バハオラはアグダスの書において、バヤンで定められた法の幾つかを是認し、幾つかを修正し、また多くを廃止している。

 

 バヤンが、バブの使命期間のほぼ中間点で啓示されたように、バハオラも、テヘランのシア・チャールでご自身の啓示の暗示を受けてから約二十年後の1873年ごろに、アグダスの書を啓示された。アグダス啓示後もしばらくの間は、イランの友らにそれを送るのを保留していたと、バハオラはある書簡で述べておられる。その後の展開についてショーギ・エフェンディは次のように解説している。

 バハオラがご自身の宗教制の根本的な法をアグダスの書で規定された後、ご自身の使命の終盤にかけてバハイ信教の核となる教義や原則のある部分が明確に述べられ、以前に宣言した真理が再確認され、すでに規定された法の幾つかが解説され、解明され、さらなる予言や忠告が啓示され、最も聖なる書の規定を補足する補助的な法令が確立された。それらは無数の書簡の啓示に記録されており、それらの啓示はバハオラの人生の最後の日まで続いた。…

 

 そのような著作の一つが「質疑応答」で、それは、バハオラの書の写字生で最も著名なゼイノル・モガレビンによって編纂された。これは様々な信者からの質疑に対するバハオラご自身の応答で構成されており、アグダスの書の貴重な付録部分を成している。この種のもので他に最も注目に値する書簡が、「アグダスの書後に啓示されたバハオラの書簡」という題の編纂書として、1978年に英語で発行されている。

 アグダスの書が啓示されてから数年後に、バハオラはこの原稿の複写のいくつかをイランのバハイに送り、人生の晩年に向かうイスラム暦1308年(西暦1890ー91年)に、アラビア語原典のボンベイでの発行を手配された。

 ここで、アグダスの書の英語訳の文体について一言述べておく。バハオラはアラビア語に精通されていた。そして、アラビア語の持つ原語としての意味の正確性に鑑み、根本原理の説明など、意味の正確さが特に求められる書簡やその他の書にアラビア語を好んで使用された。しかし、このような言語の選択を越えて、用いられた文体は崇高で情感豊か、極めて強い説得力を有している。その文体が生まれる背景となった偉大な文学的伝統を知っている者にとってはとりわけそうである。ショーギ・エフェンディは、英訳にあたり、原本の意味の正確性を忠実に伝えるだけでなく、アラビア語原典を読む時に生じるような瞑想的な畏敬の念を抱かせるような英語の文体を見つける課題に直面した。彼が選んだ表現形態は、17世紀の聖書翻訳者らが用いた文体を思い起こさせるもので、バハオラのアラビア語の高尚な様式を捉える一方、現代の読者でも取り組み易い文体である。さらに、守護者の翻訳は、原典の意図と含蓄についての、特有な霊感による理解によっても啓発されている。

アラビア語と英語は共に豊富な語彙と多様な表現形式を有する言語であるが、その形態は大きく異なる。アグダスの書のアラビア語の特徴は非常な濃縮性と表現の簡潔さにある。この種の文体においては、明らかに暗示的意味合いを持つ場合は明確に述べるべきではないという特徴がある。これは、文化的・宗教的・文学的背景がアラビア語と全く異なる読者にとっては問題である。アラビア語では明確な文を英語に直訳すると、曖昧になることがある。したがって、原典で明らかに暗示的であるアラビア語の文章の要素は、英訳にもそれを含める必要がある。同時に、原文の持つ意味に不当に手を加えたり、その意味を制限したりするほどにこのプロセスを過度に追求しないことも非常に重要である。一方では表現の美しさと明快さ、他方では逐語性、この二つを正しく調和させることは、翻訳に携わった人々が抱えた難題の一つであり、特定の文章の翻訳を何度も練り直させた原因でもあった。もう一つの難題は、あるアラビア語の用語の持つ法的含意が、類似する英語の用語とはいくつかの異なる意味を持つ場合である。

聖典を翻訳するときは、明らかに特別の注意と忠誠心を要する。これは、法の書の翻訳にあたっては最も重要である。なぜなら、読者を誤解や、無意味な議論に引き込まないようにすることが肝要だからである。予想されていたように、最も聖なる書の翻訳は極めて困難な仕事で、多くの国の専門家との協議を要した。本体の約三分の一がショーギ・エフェンディによってすでに翻訳されていたため、残りの翻訳には、意味の正確さ、英語の美しさ、そしてショーギ・エフェンディが用いた文体との一致という三つの特質を確保する努力を要した。

 我々は今、原本の適切な翻訳と言えるところに達したと感じている。しかしながら、内容に更なる光明を投じるような質疑や提案が出るであろうことは疑う余地もない。我々は、アグダスの翻訳を準備し、見直し、また注釈を付けるために委任命した諸委員会のメンバー各位の、熱心で入念な仕事に深く感謝している。我々は、このアグダスの書最初の、公認英訳版が、これを読む者らにバハイ宗教制の母なる書の光輝の白熱を垣間見せると確信している。

我々の世界は、その波瀾に満ちた歴史のなかでも未曾有の根本的な変動の時代のまっ暗闇に突入している。人種、国籍、宗教を問わず、世界の諸民族は、副次的な忠誠心と、限定的なアイデンティティーのすべてを地球という一つ祖国の市民としての一体性に従属させるという課題に直面している。バハオラの言葉によれば、「人類の和合が確立されない限り、人類の幸福、平和、安全は決して実現しない」。我々は、このアグダスの書の英訳版発行が、この普遍的なビジョンの実現に新たな推進力を与え、世界の再建への展望を開くことを願って止まない。

万国正義院

 

 

 

アグダスの書に関する

ショーギ・エフェンディの描写

 

 

バハイ信教の最初の一世紀を記した歴史書「神よぎり給う」からの抜粋

 

 この宣布はユニーク、かつ驚異的なものであったが、それは、その著者の創造的な力のさらに強大な啓示と、彼の使命期間中の最も際立った行為として評価されるアグダスの書の公布の前段でしかなかった。アグダスの書は、確信の書で暗示され、また、預言者イザヤによって予期された法の主要な宝庫であり、その同じ法は、黙示録の著者が「新しい天」と「新しい地」、「神の幕屋」、「聖なる都」、「花嫁」、「神から下されてきた新しいエルサレム」と描写していたものである。そして、この最も聖なる書──そこに規定されていることは、少なくとも一千年は侵されることなく、またその制度は全地球を包括する──は、バハオラの心から発せられた最も輝かしい光線、バハオラの宗教制の母なる書、そして彼の新世界秩序の憲章と見なすことができる。

 バハオラがウディ・カマールの家に移されてから間もなく(1873年頃)、未だ彼が敵や彼の信教の自称信奉者らの犯した行為のために苦難に包囲されていた時に啓示されたこの書、バハオラの啓示の貴重な宝石を納めたこの宝庫は、それが説く諸原則、それが定める行政機構、そしてその著者の指名した後継者に付与される機能を規定していることで、特有性と比類なさにおいて世界の諸聖典の中にあってユニークで類を見ないものとなっている。なぜなら、預言者自身が実際に発した教えの言葉が存在しない旧約聖書や、それ以前に書かれた諸々の聖典と異なり、また、イエス・キリストが語ったとされる数少ない言葉がその信教の諸事を将来どう管理して行くべきかに関する明確な導きを記していない福音書とも、更には、神の使徒によって定められた法や法令に関しては明確でありながら、後継者という極めて重要な主題については黙しているコーランとも異なって、アグダスの書は始めから終わりまで、この宗教制の著者自身により啓示されたものであり、彼の未来の世界秩序の構造の基盤となる根本的な法や法令を後世の人のために確保しているだけでなく、彼の後継者に付与する解釈者としての機能に加えて、信教の完全性と一体性を保護するための必須の諸機構を定めているのである。

 将来の世界文明の憲章であるこの書の著者──審判者であり、律法制定者であり、人類の統合者および救済者であるその著者──は、地上の国王らに対して最も偉大な法の発布を宣言し、国王らは自分の従者であると断言し、自分は「諸王の中の王」であると宣言し、国王たちの領土に手をつける意志のないことを断言し、「人民の心を捕らえ、所有する」権利は自分のものとして保持するとしている。また、世界の聖職者らに対して、彼らの間に流布している基準で「神の書」を推し量らぬようにと警告し、その書自体が人々の間に確立された「誤りのない秤」であると断言している。この書においてバハオラは「正義院」という機構を正式に定め、その諸機能を定義し、その財源を定め、そのメンバーらを「正義の紳士ら」、「神の代理人」、「慈悲に満ちたもう御方の信託人ら」と指定し、将来の、彼の聖約の中心について暗示し、その彼に聖典を解釈するという権利を付与し、守護者制という機構を含意的に予期し、彼の世界秩序の革命的な影響力について証言し、神の顕示者の「最高の不謬(ふびゅう)(せい)」という教義について宣言した。そして、この不謬性は預言者たちに本来備わっており、彼らの独占的な権利であることを断言し、少なくとも一千年が経過する前に次の顕示者が出現する可能性を否定している。

 さらに、この書においてバハオラは必須の祈りを規定し、断食の時期と期間を定め、故人のための祈り以外の会衆の祈りの慣行を廃止し、ゲブレを制定し、ホゴゴラ(神の権利)を制定し、遺産相続の法やマシュレゴウル・アズカルの機構を定め、十九日毎のフィーストやバハイの祭典や閏日を確立し、聖職者制度を廃止し、奴隷制度や禁欲主義や物乞い、修道院制度、懺悔、説教壇の使用、手への接吻を禁止している。また、一夫一婦制を規定し、動物の虐待、怠慢・怠惰、陰口および中傷を咎め、離婚をとがめ、賭博や阿片の使用、酒やその他酔いを引き起こす飲料の使用を禁止し、殺人や放火や姦通や窃盗に対する罰則を指定し、結婚の重要性を強調し、結婚の基本要件を定め、商いや何らかの職業に従事することを義務づけ、そのような仕事に勤しむことを崇拝の地位にまで引き上げ、子ども教育のための手段を提供する必要性を強調し、遺言を書くことと自国の政府に厳格に従うことをあらゆる者に義務づけている。

 これらの規定に加えて、バハオラは、自らの信奉者らに、友情と調和をもって、差別することなく、すべての宗教の信奉者らと交わるよう勧告し、狂信や扇動行為、傲慢や論争や争い事を避けるよう忠告している。また、完璧な清潔さ、厳格な正直、汚れなき貞節、信頼性、もてなしの精神、忠実、礼儀、寛容、正義、公平を説き、「一つの手の指のごとく、一つの身体の手足のごとく」なるよう助言し、立ち上がって大業に奉仕するよう呼びかけ、彼らに対して彼の疑いのない援助を保証している。さらに、人の世の不確実性について詳説し、真の自由は彼の命令への服従にあることを宣言し、彼の法の実行にあたっては甘くしないようにと戒め、「神の啓示の曙」を認めることと、その啓示の曙が示したすべての法を守るという一対の、切り離すことのできない義務を規定し、この二つの義務は一方だけでは受け入れられないと断言している。

 神の日において与えられた機会を掴み、正義を擁護するようにという、アメリカ大陸の共和国の諸大統領へ宛てた意義深い召喚。世界共通の文字と言語を採用するよう促した世界中の議会のメンバーらへの訓令。ナポレオン三世の征服者であるウイリアム一世への警告。オーストリア皇帝フランツ・ヨセフに浴びせた叱責。「ラインの川岸」宛てに彼が頓呼法で書いた「ベルリンの嘆く声」への言及。コンスタンチノープルに確立された「残虐の王座」に対する非難、およびその都市の「外見の輝き」の消滅とその住人らを襲うべく運命づけられた苦難に関する予告。神が彼の生まれ故郷を「全人類の喜びの源」として選ばれたことを確信させるべくその都市へ向けられた歓呼と慰めの言葉。彼らの主の栄光を賛美して「ホラサンの英雄らの声」が上げられるという彼の予言。彼のことを述べる、「大いなる勇気を付与された」人々がケルマンに現れるという断言。そして最後に、バハオラをそれほどまでに苦しめた不実な弟に対する寛大な保証の言葉、つまり、もし悔い改めさえすれば、「常に許し給い、全てに恩寵深き」神がその不正行為を許し給うであろうということ。これらの言葉はすべて、その著者が「真の喜びの源」、「誤りのない秤」、「一直線の道」、「人類を蘇生させるもの」と称したこの書の内容を、一層豊かなものとするのである。

 さらにバハオラは、この書の主要テーマを構成する法と掟の特徴を次のように述べておられる──「全創造物への生命の息吹」、「最も強大なる要塞」、彼の「樹の果実」、「世の秩序の維持と人々の安全にとって最高の手段」、彼の「英知と愛情あふれる摂理のランプ」、彼の「衣の甘い香り」、そして創造物に対する彼の「慈悲の鍵」と。「この書は、われがわが命令と禁止という星をもって飾った天である」とバハオラは自ら証言し、さらに次のように述べている──「それを読み、力の主であり、全能者である神によってそこに下された聖句について熟考する者は幸いなり。言挙げよ、おお、人々よ。忍従をもってそれを手にするが良い…。わが生命にかけて。それは人々の理性を驚嘆させる方法で下された。まことに、それは全人類に対するわれの最も厳粛なる証言であり、天と地に住む全ての者に対する慈悲深き御方の証拠である」。そしてさらに、「その甘味を味わう口蓋、そこに秘められているものを認識する感知力ある目、そしてその暗示と神秘を悟る理解力ある心は幸いなり。神にかけて!そこに明かされていることの威厳はあまりに大きく、またヴェールに包まれた暗示の啓示は並外れているため、それらの描写を試みる時、発言の腰は震えてしまうのである」と述べ、そして最後に、「アグダスの書の啓示の方式は、神により定められた宗教制のすべてを引きつけ、包みこむほどである。それを精読する者は幸いなり。それを理解する者は幸いなり。それについて瞑想する者は幸いなり。その意味について熟考する者は幸いなり。その範囲はあまりにも広大であるため、人類がそのことに気づく前にそれは彼らを覆い包んだのである。やがて、その最高の力と浸透力とその強大なる偉大さは地上に現わされるであろう」と述べている。