注:この文書は校閲を受けていない非正式の訳です。暫定版としてお使いください。ただし、暫定版と明記してお祈りの会や学習等に使用できます。Note: This is a provisional translation, not officially reviewed or approved by the National Spiritual Assembly. However it may be used for devotional gatherings and other similar purposes while indicating clearly these are provisional translations.

 

ローへ・セイエド・メーディ・ダハジ

(セイエド・メーディ・ダハジへの書簡)

 

彼は至高、最も聖なる、最も偉大で、最も賛美され給う。

わが名よ![1] 汝、神に感謝を捧げよ。清く祝福された土にわれが撒いてきたものへの恵みの水の一つとして、神が、恩寵深くも汝を選び給うたことに。また、汝をして、われが植えた称賛と感嘆を呼ぶ樹木への慈愛の春とならしめ給うたことに。実に、このご厚意は、存在の世界にあるいかなる創造物もそれに比べるものを得ないほど大きなものである。さらに、われは、慈悲深き主の天来の賜物の聖杯から、言葉の美酒を汝に飲ませしめた。その言葉とは、ほかならぬわが聖なる舌が発したものである。この言葉が発せられるや、全創造物はたちまち活力を得て動き、かの小夜鳥はその調べを表し始めた。この舌こそは、存在の領域に住む全てのもののための命の泉である。

 我は、何ものにも束縛されぬ強大なる御方、主の書簡の上にそよぐこの枝から、慈悲深き御方の甘美な香を一度ならず汝の上に漂わせた。唯一にして真正なる神にかけて!全ての創造物が、目に見えるものも見えぬものも、それに沿って進路を彼に向けるなら、至高の目的地を目指して羽ばたく彼らの姿を見ることができるであろう。その目的地とは聖なるロートの木がこう叫ぶ所である。すなわち、真に、我の他に全能にして恩恵に満ち給う神はなしと。

 汝への祝福は大きい。なぜなら、汝は、神の御国をくまなく巡り、神を除く一切への拘わりを断った民、四方の領土に向けて光輝を放つわが宮廷に心を寄せるバハの民のために、喜びと確信の具現者となり、自身も浴びた全創造物を覆うわが大海の湧き上がる水を、彼らに注いだからである。

 汝は、神に奉仕を捧げることの意義を知るや、実に、それを知恵と言葉の力によって達成せんと立ち上がった。言挙げよ。我に奉仕するとはわが大業を人に伝えることである。この主題こそ、多くの書簡の主題のすべてである。これは、久遠の過去から永遠の未来まで変わることなき神のご命令である。これを知れ、理解ある者らよ。知恵の許す範囲を逸脱してきた者は、この聖なる書に定め置かれているにもかかわらず、神に奉仕するとはどういうことかを理解しそこなっているのである。言挙げよ。汝、神を畏れ、人々の中に不和の種子を播いてはならぬ。全能にして全知の主から受けた命令を遵守せよ。彼は、勝利への道、その実相を知り、それを汝に教え給うた。疑いの荒野をさまよう者等の無益な想念によっては決して損なわれることのない言葉を通して。

 おお、わが名よ!全ての創造物をして、再度、海という海の面を高めたわが聖杯から飲ましめよ。しかして、この深紅の樹が点火した火炎をもって民の心を燃え立たせよ。さらば、彼らは、諸々の宗教に固執する人々の真っただ中で、神の御名を賛美し広めるために立ち上がるであろう。

 わが玉座の前に汝の手紙が数多く提出された。我はそれを精読し、もってわが恩寵の証とした。そして我は、手紙の中で汝が言及した名前の一つ一つのために、人の心を動かし、精神を高揚させるものを著した。さらに我は、汝が天の鳥の声を傾聴し、枝々に集う小夜鳥の歌声に耳傾けるのを幾度も可能にした。かくのごとく神の筆は汝のために走ったのである。それは、汝をしてわが言葉の威力を借りて人に警告を与えさせんがためである。神は、わが言葉を神の栄光の証と定め給うた。

 祝福されたるかな、彼に賛美の祈りを捧げるところよ、また慈愛の天上から下される慈悲深き汝の主の声を聴こうとする耳よ。

 汝、努力して、母なる書が禁じたことの何らをも神の僕らが犯さぬよう、我が汝にした如く断固として導け。民の間に混乱起こすような行動に走る者らは、実に、神とその大業を助けることからはかけ離れており、神が全ての書簡の誕生の地と定め給うたかの書簡において、乱行狼藉の徒とされた。

 言挙げよ。もし我が欲するならば、わが面前からのたった一言でこの大業を勝利せしめるであろう。真に彼は全能にして全てを従わせる御方である。もしそれが神の御心であれば、山々にこだまする雷鳴の如き咆哮と共に、不屈無敵のライオンが天の威力の森から現れ出るであろう。しかし、わが摂理は、何よりもまず人々に安寧をもたらすべく慈愛に満ちるがゆえに、完全な勝利は言葉と発話の力により達成されるべきものと定めた。それは、地球上の全てのわが僕が聖なる宝を得ることを可能にするためである。これは、神が汝らに与え給うた恩寵の一つである。まことに汝の主は全てを与え給い最も賛美される御方である。

 言挙げよ。汝、神を畏れよ。地上のわが愛する者らが嘆くことになるような行いを控えよ。知恵と真の理解の領域において栄光の筆を始動させたわがペンが汝に命じることである。

バハの光輝を受けて顔を輝かせているに人々に、わが祝意を伝えよ。次いでその正義の民の目を輝かせるこの言葉を聞かせよ。聖句の開示者なる神の綱にしっかりとすがる者の上に、そして汝の上に、栄光あれ

 汝、その地域の住民による挑戦的な行動や紛争など、闘争、騒乱のもととなることは一切制止せよ。今日称えるべきはこの大業を普及することである。例えば、ある目的を実現しようとしている者が、その代わりのこの大業を伝えることに身を挺するならば、その地の住民は遠からずして信仰という衣を授かるであろう。

ガエンのナビル[2]のために著した書簡にある次の一節に潜む優しい心、それを感得する者は、誰もが援助の意義を会得するであろう。すなわち、人が語る言葉はその本質において、聞く者に影響を与えることを願うものであり、節度を要する。言葉の影響力は、洗練さによって決まる。そして、その洗練さを生むのは、純粋高潔な心である。言葉の穏やかさには、人の反感を招かない冷静さと知恵が伴うべきことは聖なる書と書簡によって定めたとおりである。

 おお、わが名よ!言葉は浸透する力を持たねばならぬ。それを欠いては影響を与えることができない。そして、この浸透し、影響を与える力は汚れなき心と純粋な精神にかかっている。言葉はまた、節度を必要とする。さもなければ、聴く人はその言葉を聴くに耐えず、最初から反感を示すであろう。節度は、言葉に聖なる書と書簡に記された天来の知恵の要素を調合することによって生みだされるであろう。これら二つの要件が備わった時、言葉は高い効果を発揮し、人の魂を変革するための主役を演じるであろう。それは、至高の勝利の地位であり、天の主権を戴く地位である。そこに至った者は、神の大業を広め、人々の心意を掌握する力を与えられる。

 おお、わが名よ!発言の真昼の星は神の啓示の地平線上に輝いている。その光輝は諸々の書物や書簡を照らし、かくして言葉という王国と理解という気高き領土は喜悦に震え、彼の光を華麗に放っている。だがしかし、大方の人類はそれに気付いていない。

 援助と助力という主題はこれまで幾度となく神のペンから溢れ出し、これからも止むことなく溢れ続けるであろう。それは、闘争や擾乱を引き起こすような行動をせぬよう、神の友等に警告するためである。彼ら皆が誰も違うことなくなすべきことは、上述のような方法で神の大業を援ける道を真摯に追及することである。これこそは、神が、その愛する者だけに、特別にくだされた御恵みの一つである。彼らをして、「一人の魂を呼び覚ました者は、実に万人を呼び覚ました者である。」という言葉にふさわしい地位に到達せしめんがための恵みである。

 この世における優勢は、これまでも、またこれからも、常にこの地位の陰の下に置かれる。その決められた時刻は神の書にあらかじめ定められている。誠に、彼はその時刻を知り、それはやがて彼の御力の威力により確立されよう。まことに神は御力を持ち、万象を従え、全知全能にして聡明なる御方である。

 聖別された者は布教の方法について心中深く沈思黙考すべきである。また、素晴らしい天来の書物の文中からいろいろな状況に伴う記述を選んで覚えるべきである。それにより、説話をする中で、その場の必要に応じ、聖句を引用することができる。そういう聖句は、最強の妙薬であり、最強最大の護符である。その影響力の大きさ故、聴く者の心の迷いは打ち消される。わが命にかけて断言する!この啓示には、地上のあらゆる民族、国民を惹きつける磁石として働く力が備わっている。もし人が立ち止まって注意深く思慮するならば、誰にとっても逃げ隠れする場所はないし、有りえないことを認めるであろう。

 アグダスの書は、神が指定し給うた宗教制の全てを引き寄せ、覆い包む形で開示した。これを熟読する者に祝福があり、これを理解する者に祝福があり、これを熟考する者に祝福があり、その意味を熟思する者に祝福がある。その及ぶ所広大にして、誰も気づかぬうちに全ての人を包含した。ほどなく、その比類なき支配力、その全てに浸透する影響力、その偉大なる力が、地上全域で明らかとなるであろう。まことに、神は全知にしてすべてに精通し給う。

 おお、わが名よ!わが玉座の方角より流れ来るわが声を聴くがよい。彼は、常に汝の名に言及することを望んでいる。汝が、彼の数ある徳を、人中に称揚してやまないからである。実に主は、創造の領土に咲く忠誠を愛でられて、これを褒むべき資質の中でも特に優先すべきものとされた。まことに神は威力あり、御力に満ち給う御方である。

 更に、汝が、高遠にして恩寵深き汝の主、神と心を通わせつつ口にした賛美の言葉が、わが耳に達したことを知るがよい。まことに汝には、大いなる祝福が待っている。なぜなら、神聖不可侵にして啓発と威力に満ちたわが大業を優先させ、自身のことは二の次にしているからである。汝の呼び声をして、存在の世界において諸々の名称の具現者らを惹きつける磁石となし、命あるものがこぞって躊躇なくその教訓に心を寄せるよう、神に懇請しよう。彼のほかには、すなわち、高位にあって崇高なれば常に祝福され、荘厳にして尊厳あれば最も栄光あり、恵み深く、全知にして全てに精通し給う御方なる彼のほかに神はなし。



[1] セイエド・メーディ・ダハジ この書簡の受取人。バハオラは、彼にIsmu'lláhi'l-Mihdí「神の名ミディ」という称号を授与された。彼は後に聖約を破った。(God Passes By, 319頁参照)

[2] ナビル・アクバル ロウヘ・ヒクマットの最初の文参照