【落穂集】その2

落穂集 その2

バハオラ

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我はまことに言う。この日こそは、人類が約束された者の顔を見、声を聴くことのできる時である。神の呼び掛けは発せられ、その御顔の光明は人類に向けられたのである。従って人は皆、自己の心の書よりあらゆる空虚な言葉の痕跡を消し去り、開かれた公平な心をもって彼の啓示のしるしを見、彼の使命の真を立証するものに向かい、彼の栄光の証しを見つめなければならない。

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この日は偉大なり。すべての聖典はこの日を神の日と称し、その偉大さをたたえている。神の予言者と聖なる使者は皆、この素晴らしき日の到来を心から渇望して来た、同様に、地上のすべての民はこの日に巡り合うことを切望して来た、しかし、彼の啓示の昼の星が神の御意志の天上に出現するやいなや、全能者の御心によって導かれた者を除き、誰もがただ唖然として、無思慮なままでいたのである。おお、我を記憶する者よ。地上の人々は最も嘆かわしいヴェールによって彼の栄光から遮断されており、彼の呼び掛けに聞き入ることを妨げられている。神よ、願わくは、和合の光りが地球全体を包み、そこに住むすべての人々の額に「御国は神のものなり」の印が記されるよう成し給え。(7)

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約束された時刻は今や満ちた。されば、おお人々よ、身を奮い立たせ、神の正義の日々の到来に傭えよ。その重大な意義を取り運えて、過てる人々の内に数えられることのないよう注意せよ。(12)

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おおアフフナン(注、一)よ、我か古来の幹より分枝した者よ。我が栄光と慈愛は汝に向けられる。神の大業の幕屋はなんと広大であろうか。それは地上のあらゆる国や民族を覆い包んでいる。そして、まもなく全人類はその庇護の下に結集されよう。汝の奉仕の日は今や来た。いかに大いなる恩寵が汝の上に注がれてきたかについては、無数の書簡が証言している。我が大業の勝利のために立ち上がり、汝の言葉の威力により人々の心を征服せよ。不幸な者、虐げられた者に安らぎと安寧(あんねい)を保証するものを汝は身をもって示さなければならない。汝の努カを通じ、囚われの身にある者等が鎖から開放され、真の自由を得ることができるよう精進せよ。この日、正義は苦境にあって嘆き、公正は圧制の頚木(くびき)の下でうめき声をあげている。暴虐の暗雲は地上より光をうばい、人々を包んだ。しかし、全能なる命令者の指示に

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従い、我は我が栄光のペンの動きにより、あらゆる人体に新しい生命を吹き込み、すべての言葉に新たな威力を付与した。この蘇生の波は全世界におよび、その証拠はあらゆる創造物に現われている。これこそがこの(注、二)虐げられし者のペンより人類に伝えられた最も偉大で、最も喜ばしい吉報である。それ故、おお我が最愛の者等よ、何を恐れる必要があろうか。汝等を狼狽(ろうばい)させ得る者がどこにいようか。この邪な世代の人々はかわいた粘土の土塊(つちくれ)にすぎず、それを溶かすには一滴の水で十分なのである。そして、汝等の集い合う行為だけでも、これら空虚で価値のない人々の勢力を分散するに十分なのである……。この日、洞察力のある者は皆、次のことを容易に認めるであろう。つまり、この虐げられし者のペンによって著わされた忠告こそが、世界の進歩と、人類の高揚にとって最高の推進力となるものである。立ち上がれ、おお人々よ。そして、神の御力の威力により、自己との格闘に勝利することを決意せよ。これが果たされるならば、人類、は自らの無益な幻想によって作り上げた偶像への隷属から開放され、聖別されよう。

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まことに、これらの偶像はその哀れな崇拝者たちに非常な損失を負わせ、彼等のみじめな境遇の原因となってきたのである。それらは完成への道を進もうと努力する人間の行く手を阻んできた障害物なのである。神聖なる威力の御手が人類に暖助の手を差し伸べ、彼等をその嘆かわしい零落(れいらく)の状態より救い給うよう、我は宿望する。我が書簡の一つに次のような言葉が記されている。おお、神の人々よ。私事に溺れるな。心を常に人類の繁栄の回復と、人々の心と魂を聖別させるものに向けよ。このことを成し遂げるための最善の道は、純粋で清らかな行為、そして徳の高い生活と正しい振る舞いにある。この大業の勝利を保証するものは勇敢な行動であり、その力を確固たらしめるものは聖人にふさわしい人格である。おお、バハの民よ、正義に愛着せよ。まことに、これはこの虐げられし者が汝等に与えた法であり、その拘束されることのない意志が、汝等全員に第一に選定したものである。おお、友等よ。魂も奮い立つこの神聖なる春季にあって、慈悲深い恩恵が汝等の上に雨のように注がれている。この恩恵を通して、汝等は自らの魂を活気づけ、蘇生させなければならない。神の偉大なる栄光の昼の星はその光輝を汝等に注ぎ、その限りない恩恵の雲は汝等を覆っている。この大いなる恩寵を逸せず、しかも新しい装いに身を包んだ最愛なる者の美を得た者の報酬は、なんと高遠なものであろうか。汝等、用心せよ。邪悪な者が汝等をわなに陥れようと待ち伏せている。その悪意みなぎる策略を警戒し、すべてを見給う神の御名の光に導かれて、汝等をとりまく暗黒より逃れよ。汝等の視野を汝等自身に限ることなく、むしろ全世界を包むものとなせ。邪悪な者とは、人の子の高揚を妨げ、その精神的発展を妨害する者である。この日、あらゆる国家と公正な政府の利益を促進し、その地位を高揚させるものに執着しなければならない。このことは万人に課せられた義務である。最も高遠なる者のペンが著わした各々すべての聖句により、愛と和合の門戸は、その錠が解かれ、人類の面前に大きく開け放たれた。過去に我は次のように宣言した、そして我が言葉は真理である。「親愛と友情の精神をもってあらゆる宗教の信者と交われ。」これらの言葉の啓示によって、人の子が互いに忌避(きひ)し合うよう仕向け、彼等の間に不和と分裂をもたらしたものは、すべてことごとく破棄され、廃止されたのである。全人類の教育にとって最も有効な手段が神の意志の天上より下されたのである。その目的は、存在の世界を高貴なものとなし、人々の心と魂を高揚することに他ならない。昔日(せきじつ)の人々が語り、または書き記した事柄の至上の真髄と最も完全な表現がこの最強の啓示を通して、すべてを所有し、常に持続し給う神の意志の天上より下されたのである。過去の時代には次のように記された。「自国への愛は、神の信教の基本的要素である。」しかし、荘厳なる舌はその出現の日に次のように宣言した。「自国を愛するは自慢に値せず、真に誇るべきは、世界を愛する者である。」この崇高なる言葉によって、世に大いなる力が放たれた。これを介して彼は、人類の心の鳥に新鮮な衝動を与え、新しい方向を定め、そして神の聖典より束縛と限定のあらゆる痕跡を抹消したのである。おお、正義の人々よ。燃える藪(やぶ)にきらめく光のように輝かしく、その火炎のように壮麗であれ。汝等の愛の炎の光輝は、疑いもなく、地上の争い合う国や民族を融合し、和合させるであろう。一方、敵意と憎悪の炎の激しさは、闘争と破滅の原因としかなり得ない。神が全創造物を神の敵の邪悪な策略より守り給うよう、我は嘆願する。まことに神はすべてのものを支配し給う。唯一真実の神に賛美あれ。神の栄光に誉れあれ。神は、最も高遠なる者のペンを通じて、人類の心の扉の錠を開け給うたのである。このペンによって啓示されたすべての聖句は、燦然(さんぜん)と輝く門戸である。そしてこの門戸は、清く敬度(けいけん)な生活と、清純無垢(せいじゅんむく)な行ないの栄光を明かすものである。我より発した声明と教えは、決して特定の国のみに宛てられたものでも、特定の民族のみを利するものでもない。この啓示によって下されたことは、全人類がそれをことごとく厳守しなければならない。そうしてこそ初めて、真の自由に達し得よう。地球上は、すべて神の啓示のけんらんと輝く栄光に照らされている。六十年(注、三)には、神の教導の光の先駆者が立ち上がり、聖霊の新たな啓示を発布した。すべての創造物が彼のために生命を捧げんことを。続いて、二十年後に現われた者により、この約束された栄光と、驚くべき恩恵が世界に授与された。見よ、いかに人類の大半が、神の最も高遠なる御言葉に傾聴する能力を与えられているかを。人類の集合と精神的更生は、すべてこの御言葉に依存するのである。おお、神の人々よ。真実無比の友の忠告に心を傾けよ。神の御言葉は人間の心に植えられた苗木にたとえられよう。この苗木がしっかりと根を下し、枝が天空とそのかなたまで高く伸びるよう、汝等は英知と聖別された清らかな言葉の活水をもって、その成長を育成しなければならない。おお、地上に住む人々よ。この最大なる啓示の卓越性を明示するものはここにある。つまり、我は一方において、人の子等の争いの原因となり、悪意と危害のもととなるものを神の聖典の紙面よりすべて消し去った、他方において我は、理解と調和、そして恒久にして完全な和合の必要条件を定め記したのである。我が法規を守る者は幸いなり。我が愛する者等に対し、害毒の匂いが察知される事柄をすべて避けるよう、いや、むしろそれより逃れるよう、我は幾度も忠告してきた。世界は大いなる動乱にあり、世の人々の心は完全な混乱状態にある。我はここに全能なる神に嘆願する。神よ、あなたの正義の御栄光により、この者等を御恩寵深く照らし給え。そして、彼等がいつ、いかなる状況にあっても、彼等にとって有益な道を常に見いだすことができるよう援助し給え。まことに、神はすべてを所有し、最も高遠なる御方であり給う。(43)

(注)一、枝の意味。バブの親族の称号である。この書簡はバブの伯に宛てられたものである。

二、 バハオラ御自身を指す。

三、 イスラム陰暦の一二六○年を示す。これは西暦一八四四年、バブの宣言の年に当たる。「二十年」後とは一八六三年、バハオラの宣言の年を指す。

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我が投獄の重荷を我は嘆かない。また、敵の手がもたらした屈辱と辛苦も、我を悲しますことはない。我が命にかけて誓う。これらの苦しみは我が誉れであり、神が自らを飾り給う栄光である。おお、汝等このことを知り得たならば。我に負わされた恥辱は、全創造物に付与された栄光を現わした。そして、我が耐え忍んだ虐待を通じて正義の昼の星が出現し、その光輝を人類に注いだのである。我を悲しませるのは、腐敗した情欲におぼれながらも、御恩寵にあふれ、すべてに賛美され給う神の信教の関係者として自らを名乗る者等である。楽園の住民がバハの人々の衣より高潔さの甘美な芳香を勾ぎ、地上の人々が彼等の顔に慈悲深き御方の輝きを見出し、彼等を通じて全能にして、すべてを知り給う神のしるしと証跡が広く普及されるよう、バハの人々は、この世とそこに存在するすべてのものに死し、あらゆる物質的事柄を超越しなければならい。世俗の事物にふけり、神の大業の令名を汚す者は、まさに非常な誤りにある。(46)

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おお、思慮なき者等よ。怠慢のまどろみを振りはらい、彼の栄光を通じて全世界を取り巻いた輝きを見よ。彼の光の誕生には、いまだ時期尚早と反対をささやく者がある。何と愚かな者等であろうか。おお、盲目なる心を持つ者等よ。それが早すぎようと、遅すぎようと、現に今や彼の燦然(さんぜん)と輝く栄光の証拠は顕わされたのである。その光が出現したかどうかを確かめるのが汝等に課せられた義務である。その出現の時刻を定めることは、汝等の力も我が力も及ぶところではない。その時刻は、神の測り知ることのできない英知によって、前もって定められたものである。おお、人々よ。神が汝等のために望み、運命づけ給うたことに満足せよ…。おお、我が不幸を願う者等よ。永遠の教導の昼の星こそ我が証人なり。もし我にその権限があったならば、我はいかなる状況のもとでも、決して世に名を上げることに同意することはなかたであろう。何故なら、我の有する名は、汚れた舌と、偽りの心を持っこの世代の人々と係わることを全く蔑視するからである。そして、我が沈黙し、静止することを選ぶ時はいつも、見よ、我が右手に立つ聖霊の声が我を酵(さ)まし、我が面前に至上の聖霊が現われ、ガブリェルが我が頭上を覆い、そして栄光の精神が我が胸の内にあって奮い立ち、我に起ち上がって沈黙を破るよう命じるのである。汝等が聴力を清め、耳をすますならば、我が四肢のすべてが、否、我が存在のすべての原子が次の声明の言葉を宣言し、証言していることを必ず感知するであろう。「神をおいて他に神はなく、そして、今やその美が顕わされている者は、天と地にあるすべての者に向けられた神の栄光の反映である。」(50)

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我が最愛なる神の正義にかけて誓う。我は決して世俗の主権を求めたことはない。我が唯一の目的はここにある。つまり、御恩寵にあふれ、比類なき神が我に伝えるよう命じ給うことを人々に告げることである。それにより、人は世俗に係わるすべてのものを超越し、不信心な者が理解することも、不従順な者が想像することもできないほどの高みにまで達することができよう。(54)

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我が幽閉(ゆうへい)は我を何ら辱(はずか)しめ得るものではない。我が命にかげて言う。否、むしろそれは我に栄光を授けるものである。我を辱しめ得るものは、我を愛すると告白しながらも、実際は邪悪な者に追従する我が信徒等の行為である。まことに、彼等は滅びる者等に属する。この啓示の定められた時刻が満ちた時、世界の昼の星である者がイラクの地に出現した。そして彼は信徒等に対し、世俗のあらゆる汚れから自らを清めるものを厳守するよう命じた。あるものは、堕落した心の欲望に従うことを選んだ。一方、他のものは正義と真理の街道を歩み、正しく導かれた。言挙げよ。世俗の欲望に従い、または、地上の事物に心うばわれた者はバハの人々の内には数えられない。我が真の信徒とは、黄金の谷をも雲のごとく超然として通過し、振り向くことも、立ち止まることもない者である、このような者が、正に我に属する者である。天上の軍勢は、かような者の衣より高潔さの芳香を匂ぐことができよう……。そして、たとえ最も美しく、見目うるわしい女性に会ったとしても、彼の心にはその美を欲する影ほどの誘惑もおこらないであろう。かような者こそが純潔無垢な存在である。日の老いたる者のペンは、全能にして、恩寵あふれる汝等の主に命じられて、かくあるようにと汝等に指示するのである。(60)

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我が味わった悲しみや、我が深憂(しんゆう)と心痛、我にふりかかった災難と試練を回想せよ。また、我が幽閉(ゆうへい)の有り様、我の流した涙、我が苦悶の苦さ、そして今やこの遠隔の地における我が投獄を汝の心に想起せよ。おお、モスタファよ、神こそ我が証人なり。もし汝が、古来(注)の美にふりかかって来たことについて知らされていれば、汝は広野に逃げ、そこで大いに涙したに違いない。悲しみのあまり、汝は自らの頭を打ち、あたかも毒蛇にかまれた者のように泣き叫んだであろう。しかし、全能にして、最も力強き汝の主の御心の天上より我に下された測りがたい定めの秘密を、汝に知らせることを我は拒んだのである。このことを神に感謝せよ。神の正義にかけて我は言う。毎朝、床を立っとき、我は扉の外に群がる無数の苦難の軍勢を見た。そして毎タ、床に戻るとき、見よ、我が心は敵の悪魔のような残虐行為による苦悶に裂かれていた。古来の美が口に運ぶ食べ物の一片一片には、新たな苦しみの猛攻が添えられていた。また、彼の喉を通る一滴一滴の水には最も悲痛な試練の苦味が混入されていた。彼が一歩踏み出すごとに、そこには予期し得ない災難の軍勢が待ち受けていた。そして後方からは、苦悶の悲しみが徒党を組んで彼を追った。これが我が状態である。汝、このことを心の中で熟考せよ。しかし、神が我が身の上に注ぎ給うたことで、汝の心を痛めてはならない。汝の意志を神の御心に没入させよ。何となれば、我はいかなる時も、神の意志以外のなにものをも望んだことはなく、神の変わることなき定めのすべてを喜んで迎えたのである。汝の心を忍耐強く持ち、うろたえてはならない。心を痛く乱された者等の道を歩むな。(62)

(注)バハオラの称号

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おお汝、面(おもて)を我に向けた者よ。我が故郷の都市(テヘラン)の姿がはるかに見えた時、そこに立ち止まり、次のように告げよ。おお、ターの地(テヘラン)よ。危急の場の救助者に在し、御自力にて存在し給う神よりの音信をたずさえて、我はかの牢獄より汝の下へと来た。おお、世界の母よ。おお、全人類を照らす光の泉よ。汝の主の情あふれる慈愛を、我は汝に告げる。また、永遠の真理に在し、見えざるものを知り給う御方の名において、我は汝に挨拶を述べる。そして、我はここに証言する。隠された御名なる者は、汝のその地において出現し、見えざる宝物はその地において現わされた。万物の秘密は、それが過去のものであれ、未来のものであれ、すべて汝を通して明かされたのである。おお、ターの地よ。諸々の名の主なる者は栄光に満ちた地位にあって、汝に思いを巡らせた。汝は神の大業の曙(あけぼの)であり、その啓示の源泉であった。そして、汝は神の最も偉大なる名の現われであった。その名こそは、人類の心と魂を震わせた名である。汝の境内において、何とおびただしい数の男女が神の道に命をささげ、圧制の犠牲となり、あまりにも惨く汝の土の下に葬られて行ったことか。その情景は、神の栄誉ある僕等のすべてを嘆き悲しめるものであった。(63)

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おお世の人々よ。我が美の昼の星が沈み、我が幕屋の天界が汝等の目から隠される時、落胆してはならない。我が大業を促進し、我が言葉を人々の間に高めるために立ち上がれ。我は常に汝等と共にあり、真理の力で汝等を強めるであろう。我は真に全能である。我を認める者は皆、天と地のいかなる勢力もその行く手を阻むことのできないほどの強い決意をもって立ち上がり、我に仕えるであろう。世の人々は深い眠りにある。その眠りから目覚めれば、彼等は全知にして、聡明なる神の下へと一心に急ぐであろう。主が彼等のことを心に留め、わずか二言でも主に言葉を掛けてもらえるならば、彼等は地上のすべての財宝を所有していたとしても、それらを一切なげうつであろう。隠されたる諸事の知識を有する者は、かくして汝等に訓示する。彼はその知識を、創造物の目には触れることのない書簡に納めた。そしてその書簡は、諸々の世の全能なる加護者である彼以外の何者にも明かされることはない。邪悪な欲望に酔いしれるあまり、人々は非常な困惑に陥っている。そのためもはや彼等は、「我をおいて神はなく、我は強大にして、聡明なる者なり」と声高らかに四方より呼び掛ける万物の主を認めることができないのである。言挙げよ。汝の所有物を汝の喜びとしてはならない。それらは、今宵、汝が所有していようとも、明日には他人のものとなる。すべてを知り、すべてに精通した者が汝等にこう注意するのである。言挙げよ。汝の所有物が確かなものであり、永続するものであると断言できようか。否、最も慈悲深き我自身にかけて言う。汝の生涯の日々は一陣の風のごとく過ぎ去り、汝の誇る華美や栄華は、先立った者等の華美や栄華と同様に崩れ去るのである。熟考せよ、おお人々よ。汝等の過ぎし日々と、失われた幾百年もの時の流れはどうなったのか。神の思いに捧げた日々は喜びの日々であり、聡明なる御方の賛美に過ごした時は、祝福された時である。我が命にかけて誓う。権力者の栄華も、富豪の富も、また、不信心者の優勢さえも持続するものではない。神の一言でそれらはすべて消滅する。まことに神は御力に満ち、全能にして、すべてを屈服させ給う御方である。人々の所有するこの世のものに何の利益があろうか、彼等は自分達の真の利益となるものを全く無視している。そのうち彼等は眠りから覚め、全能にして、すべてに賛美される彼等の主の日々に逃したものは、もはや取り戻せないことを知らされよう。このことを悟っていたならば、神の玉座の前に彼等の名が語られるためには、彼等は自らのすべてを放棄していたであろう。まことに、彼等は死者の内に数えられる。(71)

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おお、人々よ。我が存在の栄光が退き、我が言葉の大海原が静まる時、心を乱されてはならない。我が汝等と共にあることには道理があり、我が不在にもまた逢った所以(ゆえん)がある。比類なき者、全知者なる神以外は誰もそれを知り得ない。まことに我は我が栄光の王国より汝等を見守り、我が大業の勝利のために立ち上がる者には誰であれ、天上の軍勢と、我が愛する天使の一団をもって援助の手を差し伸べるであろう。おお、地上の人々よ。永遠の真理に在す神こそ我が証人なり。何ら束縛されぬ汝等の主の語った甘美なる言葉により、岩の中からも静かに流れる清水が湧き出たのである。にもかかわらず、汝等は今もなお眠りにある。財物を投げ捨て、世俗超脱の翼に乗り、すべての創造物を超えて高く舞い上がれ。そのペンの動きにより全人類の魂に大変革をもたらした創造の主は、汝等にこう命じるのである。

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栄光に満ち給う汝等の主が、どれほど高遠な所から呼び掛けているかを、汝等は承知しているのであろうか。諸々の名の主である汝等の主が、汝等に命令するに用いたペンを、汝等は正しく認識したと想像しているであろうが。我が命に誓って言う、決してそうではない。もしこのことを理解していたならば、汝等はこの世のものを捨て、最愛なる者の御前へと一心に急いだであろう。そして、最愛なる者の言葉に魅せられ、汝等の魂は喜びに恍惚(こうこつ)となったであろう。その喜びは、全宇宙をも激動させるほどのものであり得たのである。とすれば、この狭く、取るに足りない世界にあっては、どれほどの激動が起こったであろうか。このようにして我が恵沢の天水は、我が慈愛の天上より注がれたのである。これこそは我が恩寵の証しである。されば汝等、感謝する者であれ。肉体の欲望と、堕落した心の抱く欲望とによって、汝等の間に分裂が生じることのないよう注意せよ。汝等、一つ手の指のごとく、また、一つ身体の器官のごとくあれ。啓示のペンは、かくして汝等に勧告するのである。おお、汝等、信じる者ならば。(72)

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神の慈悲と賜物について熟考せよ。神はいかなる被造物をも必要としない。にもかかわらず、神は汝等に対し、汝等を利することを命じ給う。汝等の悪行は決して我を害することはない。汝等の善行もまた、我を利することはない。我は全く、神のためのみに汝等に呼び掛けるのである。このことは、理解と河察力を持つすべての者が証言するところである。

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神の御口をもれる一つ一つの言葉は、すべての人体に新たな生命を授けるに十分な威力を有する。おお、汝等、この真理を理解する者ならば。この世に見られる驚くべき事業のすべては、彼の最も崇高にして、至上なる意志の働きと、その確固不変たる素晴らしい目的とを通じて現わされたものである。御自身の属性の一つを人類に告げるために御口から「創作者」という一言が啓示されることにより、世々代々を通じて人間の手が創作し得る様々な技巧を生み出すに十分な威力が放出されるのである。まことに、これは確かな真理である。この輝ける言葉が語られるやいなや、この言葉に備わった生気みなぎるエネルギーはすべての創造物の中で躍動を始める。そして、それによりあらゆる技巧が編み出され、完成されるための方法や手段が誕生するのである。今日、汝等が目のあたりにしている多くの驚くべき成果はすべて、この名称の啓示の直接的結果なのである。来るべき将来、まことに汝等は今だかつて聞いたこのもないことを目撃するであろう。神の書簡にはこのように定められており、洞察力の優れた者以外は、誰もこのことを理解し得ないのである。同様に、我が属性の一つである「全知者」を表わす言葉が我が口より発するやいなや、すべての創造物は、その能力と限界に応じて、科学の知識を解き明かす最も素晴らしい力を付与される。この知識を実現させる能力も、時の経過と共に、全能にして、全知なる彼の命により付与されよう。他にも、あらゆる名称が啓示される時、それに伴って同じような聖なる力が放出されるのである。このことを確信せよ。神の御口をもれるあらゆる文字は、まことに母なる文字である。そして、神聖なる啓示の源泉である者が語るあらゆる言葉は、母なる言葉であり、彼の書簡は母なる書簡である。この真理を理解する者は幸いなり。(74)

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さて、人間の創造に関する汝の質問について。人は皆、庇護者に在し、御自カにて存在し給う神によって築かれた性質をもって創造されたことを知れ。そして、神の保護された、威カあふれる書簡に定め記されたところに従い、各人に対しては前もって決められた分量が与えられている。しかし、汝が潜在的に有するものはすべて、汝自身の意志の働きを通じてのみ実現される。汝自身の行動がこの真理を証明している。例えば、バヤンの書に記された禁法について考えてみよ。神はその書の中で、御自身の命に従い、御心に召すままに合法なるものを規定し給うた、同様に、御主権の威力を介し、神は選び給うままに禁法を定め給うた。バヤンの書の聖句がこのことを証言している。汝もまたこのことを証言するに違いない。しかし、人は故意に神の法を破る。とすれば、その行為の責任を神に帰することができるのであろうか、それとも、その責任は法を犯した本人にあるのであろうか。公正な判断をせよ。善きものはすべて神に属し、悪しきものはすべて汝自身から出たものである。汝にはこのことが悟れないのであろうか。この同じ真理はあらゆる聖典に啓示されている。おお、汝、このことが理解できる者ならば。神にとって、汝が心に描く行為はすべて、その行為がすでに果たされた時と同様に明白である。神をおいて他に神はなく、森羅万象(すしんらばんしょう)とその統冶は神と共にある。神の御前において万事は明白であり、すべては神の聖なる隠された書簡に記録されている。しかし、神のこの先見を、人の行動の原因とみなしてはならない。それはあたかも、汝がある出来事を予知していたり、それが起こることを望んでいたりしても、そのこと自体が決してその出来事の原因となり得ないのと同様である。(77)

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神の諸々の世界に関する汝の質問について。神の世は無数にあり、その範囲は無限であるという事実を知れ。すべてを知り、すべてに聡明なる神以外に、これらの世界を計り知る者も、理解し得る者もない。睡眠中の汝の状態について考えてみよ。まことに我は告ぐ。睡眠の現象は、人の世における神の最も神秘なしるしである。おお、このことを人々が心の中で熟考するならば。見よ、汝が夢の中で見たことが、年月を経て完全に実現されることを。夢の中の世界が汝のいま住む世界と同一であれば、夢の中の出来事は同じ瞬間にこの世においても起こっていなければならない。同時の出来事であれば、汝自身がそのことを証言していたであろう。しかし事実はそれと異なる。従って必然的に、汝の住む世界は汝が夢の中で経験する世界とは異なり、別のものである。後者には始まりも終わりもない。この夢の中の世界は、栄光に満ちた全能なる神の定め給う通り、汝自身の内にあり、汝の内に包まれている、ともし汝が主張するならば、それは真実と一致する。また、汝の精神は睡眠の限界を超え、地上のあらゆる執着を脱ぎ捨てて、この世の最も内奥の真髄の中に隠された領土を神の成せる業により横切ったと主張しても、それもまた同様に真実である。まことに我は告ぐ。神の創造は、この世界以外の多くの世界に及び、地上の創造物以外の創造物を包含する。神はこれら各々の世界において、神以外の何者も捜し求めることのできないものを定め置き給うた。神こそは、すべてを探索し、すべてに賢き御方である。汝の主であり、諸々の世の主に在す神の御目的を発見することができるよう、我がここに汝に明かしたことについて冥想せよ。これらの言葉の中には、神聖なる英知の神秘が秘蔵されている。我はこの主題に関して詳しく論ずることを差し控えた。それは、我が言葉によって創造された者等の成す行為の結果、我は悲しみに取り巻かれているからである。おお、汝、我が声に耳傾ける者ならば。(79)

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さて、人間の魂は肉体より分離後も、引き続き互いに認識し合うかという汝の質問について。深紅の箱船に入り、そこに定住するバハの人々の魂は、肉体より分離後も互いに親密に交わり、語り合うことを知れ。彼等は生活、希望、目的、努力のすべての面において非常に密接な係わりを持ち、あたかも一つの魂のようになるであろう。彼等こそは、真に博識であり、鋭い洞察力を持ち、理解力を授けられた者等である。すべてを知り、すべてに賢き御方はこのように定め給うたのである。神の箱船の住民であるバハの人々は皆、互いの置かれている状態と様子を十分認識しており、親しさと友情の絆で結ばれている。しかし、この状態に達することは、各自の信仰と行ないとに必然的に掛かっている。同じ地位と等級にある者は、互いの能力、性格、業績、真価などを十分に知っている。しかし、低い地位の者は上級者の地位を正しく理解することも、真価を評価することもできない。各自は、汝の主よりその分け前を与えられよう。神のもとへと魂が飛び立つまで、常に面(おもて)を神に向け、神の愛の道を確固として歩む者は幸いなり。神こそは主権に満ち給う万物の主であり、最も力強く、常に許し給う御方、すべてに慈悲深き御方である。一方、不信心者の魂に関しては、我は次のように証言する。最後に息を引き取る時、彼等は生涯を通じて逸した善きものに気付き、自分の置かれた苦境を嘆き、神の御前において自らをいやしむであろう。魂が肉体を離れた後も、彼等のこの状態は続く。肉体の死後、人は皆、自分の行ないの価値を評価し、自らの手が何を成したかを知らされる。このことは、明白明瞭である。神の威力の地平線上に輝く昼の星にかけて我は誓う。唯一真実の神を信奉する者がこの世を後にする瞬問、叙述し得ない程の喜びと感喜を経験する。一方、過ちの内に生きて来た者は、比べようのない恐怖とおののきにとらわれ、非常な驚きと混乱に満たされる。すべての宗教の主に在す御方の、御恩寵に満ちた賜物と、諸々の御恩恵とにより、信仰の不朽なる選り抜きの美酒を飲み干した者は幸いなり…。神に愛される者等はこの日、神の顕示者に目を向け、顕示者が御心に従い啓示し給うものに眼をしっかりと据えなければならない。過ぎ去りし時代から引き継がれて来た伝承の中には、何ら根拠を持たないものがある。また、過去の世代の人々が心に抱き、書物に記して来た概念は大部分、堕落した心の欲望に影響されたものである。汝も見て知っている通り、今日一般に普及している神の言葉に関する評論や解釈の殆どは、真実を全く含んでいない。その解釈の過ちは、そこに介在するヴェールが引き裂かれることによって暴露される場合もある。神のいかなる言葉の意味をも理解できていないことを、彼等自身が認めるのである。人々は、過去の時代に語られた空虚な言葉より自らの心と耳を清めなければならない。そして、魂の奥底から神の啓示の曙(あけぼの)である御方に向かい、彼によって現わされたすべてのものに向かわなければならない。神に愛される者等がこのことを果たすならば、それは神の眼から見て、非常な賞賛に値するのである。この真理を示すことがここでの我が趣旨である…。彼の名を賛美し、感謝する者であれ。我が愛する者等に我が挨拶を伝えよ。彼等こそは、神の愛を受けるために、神によって選り抜かれた者等であり、神は彼等の目標を成就させ給う。諸々の世界の主に在す神に栄光あれ。(86)

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まことにこのことを知得せよ。正義の真髄と、正義の源泉とはいずれも、人類に対する神御自身の顕示者によって定められた法の内に具現化されている。おお、汝等、この真理を認める者ならば。実に顕示者は、最高にして、誤りのない正義の基準をすべての創造物に対し具現するものである。顕示者の定める法が、例え天と地にあるすべての者の心に恐怖をもたらすものであったとしても、その法は尚も明白なる正義に他ならない。この法の啓示が人々の心に引き起こす恐怖と不安は、実に、母親の乳より離された乳児の泣き叫ぶ声になぞられよう。おお、汝等、洞察力を持つ者ならば。人間はもし神の啓示の根底にある目的を発見することができれば、必ず恐れを捨て、感謝の念に心を満たし、至上の喜びをもって悦に入るであろう。(88)

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言挙げよ。おお、宗教の指導者達よ。汝等の間に今日普及している基準や学問をもって、神の書を推し量ってはならない。何故ならば、神の書はそれ自体、人の世に確立された誤りのない秤なのである。地上に住む諸々の民の有するものはすべて、この完全なる秤にかけられなければならない。そして、この秤に用いられる基準は、この秤固有の標準によってのみ試されよう。おお、汝等、このことを知り得たならば。昼に夜に、朝に夕べに汝等が呼び続けてきた者を、汝等は認めることができなかったのである。汝等のこの有様を我は嘆き、我が慈愛の眼に涙が溢れる。おお、人々よ。雪のように白い面(おもて)と、輝く心とをもって、祝福された深紅の場所に向かって進行せよ。そこでは、(注)サドラトル・モンタハがこのように呼びかけている。「まことに、我以外に神はなく、我は全能なる庇護者にして、自力にて存在する者なり。」

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おお、宗教の指導者達よ。洞察力や看破力に右いて、我に比ぶる者が汝等の中にいようか。また、我が言葉と英知に匹敵するものを持つとあえて主張できる者がどこにいようか。否、慈悲深き我が主にかけて言う。地上にあるすべてのものは朽ちて去る。そして、これこそが全能にして、敬愛される汝等の主の御顔である。おお、人々よ。あらゆる学問の最高にして、究極の目標として我が定めたものは、すべての知識の的である者の認識である。にもかかわらず、見よこの有り様を。汝等の学識はまるでヴェールのように彼との間を遮断しており、汝等はこの状態にあまんじているではないか。彼こそはこの光明の曙であり、隠されていたものはすべて、彼を通じて明かされたのである。この言葉の輝きの光源を発見できたならば、汝等はこの世の人々と彼等の所有するすべてを捨て、この最も祝福された座に接近したであろう。言挙げよ。まことにこれこそは母なる書が納められている天界である。おお、汝等、このことを理解し得たならば。彼こそは岩を叫ばせ、聖地のそびえる山頂に燃え盛る藪に、「御国は神のものなり。神は万物を支配し給う主に在し、脚力に満ち、愛し給う者なり」と、声高らかに語らせた者である。我は学び舎に学んだこともなければ、汝等の論文をひもといたこともない。常に存在し給う神の下へと汝等を召喚するこの無学なる者の言葉に耳傾けよ。これは汝等にとって地上のすべての財宝に勝るものである。おお、汝等、このことを理解し得たならば。(98)

(注)アラビア語で「限界点に立つ樹木」の意味。顕示者を指す。

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神に対する信仰心は、あらゆる国で衰えつつある。彼の健全なる妙薬の他にそれを回復させ得るものはなにもない。不信心による腐食は、人間社会の核心をも蝕(むしば)みつつある。彼の威力みなぎる啓示の霊薬をおいて、何が人間社会を浄化し、復活させ得るであろうか。おおハキムよ、物質の微小かつ不可分な分子の構成要素に完全な変化をもたらし、その物質を純金に変えることが果して人間の力で可能であろうか。これは複雑で困難な課題に見えよう。しかし、これにも増して偉大な事業を成し遂げる力を一我は付与されている。その事業とは、悪魔的勢力を天来の威力に変貌させることである。このような変貌をもたらし得る力は、かの霊薬の効能をも超越するものである。神の例言葉以外に、これほど崇高な、そして広範囲にわたる変革を達成するに必要な能力を有するものはない、神の例言葉のみがこのような卓越性を誇り得るのである。(99)

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神の王座より発せられた聖なる布告者の声は次のように宣言する。おお汝等、我が愛する者等よ。我が聖なる衣服の裾を、この世の事物で汚してはならない。そして、汝等の腐敗した邪悪な欲望の衝動に従うな。その栄光の頂点に達し、この牢獄の天界に鱗燃(さんぜん)と輝く神聖なる啓示の昼の星こそ我が証人なり。森羅万象(しんらばんしょう)の愛慕の的である者に心を向ける人々は、この日、目に見えるもの、見えざるもののすべての創造物を超越し、それらより自らを聖別しなければならない。もし我が大業を教え拡めるために起ち上がるならば、彼等は、何ものにも束縛されぬ御方の息吹によって奮い立たされなければならない。そして決意を固め、思いを全く彼のみに集中し、あらゆるものを完全に超越し、独立した心と、この世とその虚栄より聖別された魂とをもって、我が大業を地上に広く伝えなければならない。旅の備えとして彼等が選び得る最上のものは、神への信頼である。また、最も崇高にして、栄光に満ち給う彼等の主の愛をもって身を装うことが彼等にとって最も似つかわしいことである。これを成せば、彼等の言葉はその聞き手に影響を及ぼすであろう。この日、自らの邪悪な欲望に溺れ、地上の事物とそのはかない栄光に望みを掛けた者等は、正に広大な深淵によって我より隔てられている。その疎遠の程はいかに大であろうか。慈悲に満ち給う者の宮廷は、外見上この世の財を完全に剥奪された状態に、幾度となく置かれて来た。そのつど、彼と親しく暮らす人名は悲惨な貧窮に苦しんだ。彼等のその苦しみにも拘らず、最も高遠なる者のペンはいかなる時にも、この世とその財貨に係わるものに言及することも、わずかに暗示することも良しとしなかった。そして何らかの贈り物が彼に贈られた時は、それはその贈り主に対する恩寵のしるしとして受け取られた。もしかりに、我が地上のすべての富を我自らの使用のために専有したとしても、我が主権に対し異論を唱え、我が権限に挑戦を起す権利は誰にも与えられていない。人の所有する富を、唯一真実の神の名のもとに懇請することは最もいやしむべき行為である。汝を始めとし、永遠の真理なる御方に従う者等に課せられた義務はこれである。つまり、人間を地上の事物への執着から聖別させ、その汚れを清めるものの下へと万人を召喚することである。それにより、栄光に満ち給う御方の衣の甘美なる芳香が、彼を愛するすべての者より漂って来よう。しかし、富める者は貧窮者に対し最善の配慮を払わなければならない。何故ならば、貧しい中にあって、ゆるまず忍耐する者に対し、神は大いなる栄誉を準備し給う。我が生命にかけて誓う。神が御心により与え給う栄誉以外に、この栄誉に比較し得るものはない。忍耐強く耐え、自らの苦しみを覆い隠す貧しき人々を待ち受ける祝福は大いなるものなり。同様に、自らの富を貧窮者に分け与え、彼等を自分自身より優先させる富裕者は幸いなり。神よ、願わくば貧しき者も生計を立てるに努力せんことを。これは、この最も偉大なる啓示に於いて、万人に課せられた義務であり、神はそれを善行とみなし給う。この義務に忠実なる者に対しては、見えざる御方の援助が確実に下されよう。神は望み給う者を、御恩寵を通じて富ますことが出来給う。まことに、神は万物を支配し給う。おおアリよ、神より愛されし人々に告げよ。人間の持ち得る徳の中にあって、最も基本的なものは公正である。あらゆる事柄の評価は公正によらなければならない。この囚人の身に降り掛かって来た悲痛と苦難についてしばし熟考せよ。生涯を通じて我は常に我が敵の意のままにされた。そして、神の愛の道において日毎、新たな苦難を味わって来た。だが我は、神の大業の名声が地上に広く伝えられるまで、忍耐強く耐え忍んで来た。もしここである人物が立ち上がり、自らの心の内に案出した空虚な想像に導かれるままに、人々の間に不和の種をまこうと、公に、またはひそかに努力したとすれば、そのような人間は公正に行動したと言えようか。否、万物にその脚力が及び給う御方に誓ってそうではない。我が命にかけて言う。我が心は榊の大業のために、そして、自らの発言の意味をも理解せず、自らの理解し得ないことを想像する者等のために嘆き、我が眼は悲痛の涙を流す。

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この日、万人に求められることはこれである。つまり、最大名に確固としてすがり、人類の一体性を確立することである、彼の下に向かう以外に逃げ場はない。彼以外に避難所を求めることは誰にもできない。人々をして、神の無限の大海原の岸辺に背を向かせ、人間的制約を受ける姿をもって現われた、この栄光あふれる明白な存在者以外に人々の心を向かせる言葉を語る者がいたとすればどうであろうか。それがいかに高い地位の人物であれ、その者は全創造物の非難を浴びるに逢いない。即ち彼自らが慈悲に満ち給う御方の甘美なる芳香を逸したのであるからである。言挙げよ。おお、理解力を持つ心を有する人々よ、汝等の判断に公正であれ。判断に公正を欠く者は、実に、人間の地位を特徴づける特性を欠く者である。永遠の真理なる御方は、人の胸の内に隠されたものをよく知り給う。しかし、神の寛容は長きにわたり、そのため人類はその大胆さを増した。つまり、定められた時が来るまで、神は諸々の覆いを引き裂く手を留め給う。すべてに勝る神の慈悲は、神の激怒の嵐を押さえているのである。そのため、殆どの者は、唯一真実の神は彼等がひそかに犯したことに気付いていないと想像するに至った。すべてを知り、すべてに精通し給う御方にかけて誓う。あらゆる人間のあらゆる行為は、完全な明白さをもって、神の知識の鏡に正確かつ忠実に映し出されている。言挙げよ。おお、弱き者と哀れなる者の罪の隠蔽者(いんぺいしゃ)に在す御方に賛美あれ。御名に誉れあれ、おお、あなたに対して罪を犯す無思慮な者等を許し給う御方よ。人々が、自らの心の内に抱く想像に従って歩むことを、我は断じて禁じた。その趣旨はこれである。つまり、諸々の英知の荘厳なる源に在し、すべての知識の目的に在す御方を人々が認め、彼が御心のままに現わし給うあらゆることを受け入れることができるようにするためである。しかし見よ、いかに人々が自らの無益な幻想と、空虚な想像に巻き込まれているかを、我が命にかけて言う。彼等は、自らの心が案出したものの犠牲となった。だが、そのことに気付いていない。彼等の口をもれる言葉は空虚で無益なものである。だが、そのことを彼等は悟っていない。我は神に嘆願する。万人が彼を知り、自らをも知り得るよう、御恩寵を慈悲深く垂れ給え。我が命にかけて言う。彼を知った者は、彼の愛の限りない空間に舞い、この世とその中のすべてを超脱するであろう。地上のいかなる勢力も、ここに至った者をその進路からそらすことはできない、ましてや、空虚な想像に導かれ、神の禁じ給うことを語る者等が彼等をその進路からそらすことは到底できない。言挙げよ。この日は、万人が彼の声に耳を傾けなければならない日である。この虐げられし者の呼び声に傾聴し、唯一真実の神の御名を崇めよ。神を記憶することをもって汝等の身を飾る装飾とし、神の愛の光をもって汝等の心を照らせ。これこそが人々の心の錠を開ける鍵である、これこそが命あるものすべての魂を清める研磨である。神の御意志の指より注がれたことを心に留めない者は、明らかなる過ちの内に生きる者である。真の信仰の証しは親和と公正なる行為であり、決して不和と害毒ではない。真理を語り、神の信託を携えた者が汝に守るよう命じたものを人々に伝え知らせよ。おお汝、我が名を呼び、自らの眼を我が宮廷に向け、自らの舌をもって恵沢多き汝の主の賛美を語る者よ、我が栄光は汝と共にあらん。(100)

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あらゆる聖典、否、神によって記されたあらゆる聖句の啓示の根底にある目的はこれである。つまり、ゆるぎない平和と平安が世に確立されるよう、人々に正義と理解力を付与することである。人々の心に確信を与え、人間の地位を高揚し、その満足を促進させるものはすべて、神の御心にかなうものである。人はもし、人間に与えられた高貴な運命を遂行することを選ぶならば、何と崇高な地位に達することができようか。そしてまた、人は何という堕落の深淵の底にまで沈み得る存在なのであろうか。最も下劣な創造物さえもそれほどまでに落ちることはない。おお、友等よ。この日、汝等に与えられた機会を把えよ。豊富に湧き為こる彼の恩寵を自ら逸することのないようにせよ。この祝福された日において、神の恩寵により、汝等の一人一人が純粋で聖なる行為の装飾で身を飾ることができるよう、我は神に嘆願する。まことに、神は欲するままに成し給う。(101)

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おお、人々よ。我が汝等に告げるこの真理に耳を傾けよ。神の栄光に賛美あれ。唯一真実の神は、人間の心を他に許さない御自身の占有物とみなし給う。このことは過去にも、未来にも不変である。それ以外のものは、それが海のものであれ、陸のものであれ、また、富であれ、栄誉であれ、神はそれらをすべて地上の王や支配者達に譲り渡し給うたのである。「神は欲するままに成し給う」の言葉を宣言する旗じるしは、初めなき始まりより、神の顕示者の前に、燦然(さんぜん)たる光輝をもって翻っている。人類が今日必要とするものは、為政者への服従と、英知の綱に忠実にすがることである。人類の当面の保護、保障、安全を確保するに必要な手段は、人間社会の統治者に委ねられ、彼等の手中にある。これこそ、神の望み給うことであり、神の命じ給うことである……。地上の王建の一人が、神のために立ち上がり、弾圧にあえぐこの虐げられし人々の勝利のために奮起することを我は切望する、かような国王は永遠に賛美され、称えられよう。神はこの虐げられし人々に対し次のような義務を定め給うた。つまり、彼等を援助する者に対し、彼等はその者を助け、その最善の利益の達成に務め、常に変わらぬ忠誠を示さなければならない。我に従う人々は、我が大業の勝利のために立ち上がる者に対し、その者の福利を増進することにいかなる場合においても努力し、常に献身と忠節の証しを立てなければならない。我が忠言に耳を傾け、それを守る者は幸いなり。我が望みを果たすのを怠る者は不幸なり。(102)

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すべてに精通し給う医師の指は人類の脈をとらえている。彼は病を診断し、過ちのない英知により治療薬を処方し給う。各時代には、それぞれ特有の問題があり、各人には、それぞれ特別の願いがある。現在の苦悩に際して世界が必要としている治療薬は、次の時代に求められるものと決して同一ではあり得ない。汝等の生きる時代の要求を憂慮し、そこに関心を寄せよ。そして、その時代に必要とされるもの、また、急務とされることに汝等の審議を集中させよ。全人類がどれほど深刻な、そして、計りがたい苦悩に悩まされているか、我には手に取るように見える。病床に沈み、痛みに苦しめられ、幻滅しはてた人類の姿が我が眼前にある。慢心に酔いしれた者等が、人類と、過ちのない神聖なる医師との間に立ちはだかっている。そして見よ、彼等の工作は、自分達をも含む全人類を抜き差しならぬ罠(わな)に陥れている。彼等は病の原因を発見することもできず、治療薬についての知識も何ら持ち合わせていない。彼等はまっすぐなものを曲がっていると思い、友を敵と取り違えている。この囚人の優美なるメロディーに耳を傾けよ。深い眠りにある人々が目を覚すよう、立ち上がり声高らかに告げよ。言挙げよ。おお、まるで死人のような者等よ。神の恵みの御手は汝等に生命の水を差し出している。急ぎ行き、心ゆくまで飲め。この日生まれ変わった者は、もはや決して滅びることはない。また、この日、死んだままの状態にある者は、決して生きることはない。(106)

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人間は最も不思議な力を有する存在である。しかしながら、適切な教育の欠如のために、人間は自己に内在するものを逃してしまっている。神の御口をもれる一言により人間は生み出された。次に発せられた二言で、人間は自らの教育の源泉を認識できるよう導かれた。さらに発せられた二言によって、人間の地位と運命は保障された。偉大なる存在者は告げ給う。人間を、計り知れないほど高価な宝石に富む鉱山と見なせ。教育のみがその宝を放出させ、人類にその利益を享受させることができる。神の聖なる意志の天より下された諸々の聖典が明かすことについて冥想するならば、その目指す目標は以下の通りであることを容易に認めることができよう。つまりその目標とは、「王国は神に属せり」の言葉の印がすべての心に刻まれ、聖なる恵沢と、恩寵と、慈悲の光が全人類を取り巻くよう、全人類があたかも一つの魂のように見なされることである。神の栄光は高遠なり。唯一真実の神が御自身のために欲するものはなにもない。人間が神に誓う忠誠は、神にとって何の利益にもならない。同時に、人間の背信は、神に何ら危害をおよぼすものではない。例言葉の領土の飛鳥(ひちょう)は、絶え間なく次のように呼びかけている。「我は万物を汝のために望んだ。そして、汝自身をも、汝のために望んだ。」この時代の学識者や世俗にたけた者等が、人々に融和と愛の芳香を吸収することを許すならばどうなるであろうか。理解力を有するあらゆる心は真の自由の意味を悟り、乱されることのない平和と、完全な平静の秘密を発見するであろう。地球上がこの地位に達し、その光に照らされる時、まことに次の言葉がこの大地に当てはまるであろう。「汝はそこに、くぼ地も、高まる丘も見ることはない。」(122)

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しかし、おお我が兄弟よ、真に道を求めようとするものが、日(注一)の老いたる者の知識に通じる道に足を踏み入れようと決心するなら、先ず最初に、神の内奥の神秘の啓示の場である自身の心を清浄にし、後天的に得たすべての知識という、光をさえぎる塵(ちり)や、悪魔のような幻想の化身どもの暗示を払い除けなければならない。真に道を求めんとするものは、敬愛する御方の永続的な愛の聖所である自分の胸中を、あらゆる不浄なものから聖別し、自らの魂を、水と粘土に属するあらゆるものや、すべての影のようなはかない愛着から清めなければならない。愛が人をして盲目的に過ちに傾かせ、あるいは憎みが、その者を真理から追払わないように、愛憎いずれの残津も残らないように、求道者は己れの心を大いに浄めなければならない。まさしく汝は今日、いかに多くの人達が、このような愛や憎しみのために不滅の御顔を見失い、神の神秘の権化達から遠く離れてさまよい歩き、導きもなく、忘却と錯誤の荒野をあてどなくさまよい歩いているかを、まざまざと眼のあたりに見ている。求道者たるものは、常に神を信頼し、俗界の人々と断交し、塵の世から自身を引き離し、主中の主に在す御方におすがりしなければならない。道を求めるものは、決して自己を他の人より高位に置こうとしてはならず、自分の心の紙片から、傲慢や虚栄のすべての痕跡を洗い流し、忍耐と甘受を固守し、沈黙を守り、無益な無駄話を慎まなければならない。何となれば、舌は、くすぶっている火で、過度の饒舌(ぎようぜつ)は致命的な毒となるのである。物質的な火は、肉体を焼き尽くすが、舌の火は心も魂も共に焼き滅してしまう。前者は、ほんの一時しか燃えていないが、後者の影響は、一世紀も持続する。求道者たるものは、また、陰口を重大な罪と心得なければならない、陰口は、心の灯を消し、魂の生命を亡すものであるから、その支配より自らを遠ざけなければならない。求道者は、わずかのもので満足し、あらゆる法外な欲望を棄てなければならない。世俗を棄てた人達との交りを大切にし、高慢な俗人達から遠ざかることを、得がたい恩恵と考えなければならない。道を志すものは、毎日夜明けに神と親しく語り合い、全魂を傾けて、敬愛する御方を、不屈に求め続けて行かなければならない。求道者は、神の御名を切に唱えるその炎により、あらゆる気まぐれな考えを焼却し、稲妻の如き速さで神以外のすべてのものを通り過ぎなければならない。探求者たるものは、追い立てられているもの連を救い、貧しい人々への親切を差控えるようなことがあってはならない。道を求めるものは、動物に親切にしてやらねばならない。ならば、言譜を与えられている人類には尚一層親切でなければならない。求道者は、敬愛する御のために自らの生命を捧げることを騰曙(ちゅうちょ方)してはならない。また人々の非難に左右され、真理から顔をそむけるようなことがあってはならない。求道者は、自分の欲せざることを他人に望んではならず、また、自分が守れないことを約束してはならない。悪事を行うもの達と交ることを心して避け、その人達の罪が許されるよう祈らなければならない。道を求めるものは、罪深い人達を許し、彼等の地位の低さを決して軽蔑してはならない。何故ならば、誰も、自分の最期を知る者はいないからである。罪深いものが、臨終の際に、信仰の本質に到達し、不滅の盃を飲み干し、天上の群衆の方へと舞い上がっていったという例が、何としばしばあったことか。また、実に信心深かった人が、霊魂の昇天に際し、あまりもの変わりように、地獄の火の中に落ち込んでしまうということも何と度々あったことか。我が今ここで、これらの得心のいく重要な話をした目的は、神以外のものはすべて、束の問のはかないものであり、全幅の崇敬の的である神以外のものは皆、全くの無であることを、求道者に痛感させたいがためである。これらのことは、崇高な人々の属性の一部であり、霊的な心の持ち主であることを証するものである。これらの属性については、既に、確実な知識の道を歩む旅人として必要条件に関する記事の中で述べてある。超越した旅人や、誠実な求道者が、これらの必須の条件を満した時、初めて、真の求道者と呼ばれることができるのである。人が、「我等のため奮斗する人々」という聖句中に含まれる条件を満たした時はいつでも、「我等自らその手を引いて、正しい遠を歩ませようぞ」という言葉によって与えられる祝福が受けられるであろう。求道心、真剣な努力、燃えさかる願望、情熱的な献身、熱烈な愛、歓喜と忘我、の灯が求道者の心の中に点され、また神の慈愛の微風が、その者の魂の上に漂う時、初めて、過誤の暗黒は追い払われ、疑いや不安の霧は晴らされ、知識と確信の光はその者を蔽い包むようになるであろう。その時にこそ、神秘の先駆者が、聖霊の喜ばしい昔信を持って、神の町から朝の光のように輝き出し、知識のラッパの吹奏により、心や魂や精神を怠慢の眠りから覚醒(かくせい)させるであろう。ここに至り、神聖な不滅の聖霊の豊かな恩寵の発露によりその求道者はかくも新しい生命を与えられ、彼は、新しい眼、新しい耳、新しい心、新しい意志が授けられることを発見するであろう。その者は、この宇宙の明らかな御しるしを熟視し、魂の、隠されたる神秘を見通すであろう。神の眼で凝視すれば、彼は、絶対的確信の地位への門が、すべての原子の中にあることを感知するであろう。その者は、万物の中に、神の啓示の神秘と永遠なる顕示の証拠を発見するであろう。

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神かけて誓う。教導の道を歩み、正義の極点に登りつめようと努力する者がこの栄光ある最高の地位に到達したならば、その者は、三千里も離れた所からでも、神の芳香を嗅きつけ、万物の曙に登る神の御導きの燦然(さんぜん)たる旭を認めるであろう。およそあらゆるものは、例えそれがいかに小さなものであろうとも、道を求めるものにとっては、それぞれ、探求の目的である敬愛する御方の方へ導く教示となるであろう。この探求者の洞察力は非常に鋭くなるため、あたかも太陽と影とを区別する如くにはっきりと、真理と虚偽を見分けるであろう。母方遥か彼方の個々で、神の香わしい芳香が漂うならば、たとえ身は西方の遥か果てに住んでいようとも、必ずやその芳香を感知し嗅ぐことであろう。同様に、探求者は、神のあらゆる御しるし即ち、神の不可思議な例言葉、偉大なる業、力強い偉業と、人間の行動や言葉や手段とを明白に見分けるであろう。それは丁度、宝石と石ころの違いを知っている宝石商のように、あるいはまた、春と秋、寒冷と温熱とを見分ける人のように。人間の魂の水路が、流れを妨げるあらゆる世俗的執着から浄められた時、果てしない遠方からでも、必ずや敬愛する御方の息吹を感知することができ、またその芳香に導かれ、確信の町に到達し、その中に入るであろう。その町の中で、探求者は、神の古来の英知の不可思議を理解し、その町に繁茂する木のさわさわ揺らぐ葉から、隠された教えのすべてを感知するであろう。その求道者は、内なる耳と外なる耳とをもって、栄光と賛美の聖歌が、その土塊から、生中の主の方へと鳴り響いて行くのを聞くであろう。また彼は、自分の内奥の眼で「再来と復活」の神秘を発見するであろう。御名と属性の王にまします神が、あの町のために定め給うた御光、証、啓示、光輝は、何とも言い現しようのないほど素晴しいものである。この町に到達すると、水がなくとも喉の乾きは消え去り、火がなくとも神の愛が燃えあがる。草の葉一枚一枚の中に、測り知れない知恵の神秘が秘められ、あらゆるバラの茂みで、数知れぬ夜啼鳥(よなきどり)が、無上の歓喜に心ひかれて、美しやぶい調べを奏でている。そこに咲き乱れる色麗しいチューリップの花は、燃えさかる藪の神秘を現わし、その香わしい聖らかな香りは、救世主の御霊の芳香を漂わせている。それは黄金なくして富を与え、死のない不朽性を授ける。その一枚一枚の葉の中に、

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言い現わせない程の歓喜が貯えられており、その一つ一つの部屋の中に、数知れぬ伸一秘が秘蔵されている。神の御意を探し求めて雄々しく精進する人達が、一度、神以外のものをすべて捨て去った時、あの町に強く心をひかれ愛着を感じ、一瞬の離別すら考えられないものと一なるであろう。彼等は、その集合に咲くヒヤシンスの花から語られる過ちのない証拠一に耳を傾け、またそこにバラの美や、そこで囀る(さえず)夜啼鳥(よなきどり)の調べから、最も確かな証言一を得るであろう。およそ一千年に一度、この町は更新され、改装されるのである。その町は、あらゆる時代に、またあらゆる宗教制において、啓示された神の言葉に他ならない。それは、モーゼの時代にあってはモーゼの五書(注、二)であり、イエスの時代にあっては福音書であり、神の使者マホメッドの時代にあってはコーランであり、今日、ではバヤン(注、三)であり、また、神(注、四)が現わし給うであろう者の宗教制においては、その彼の聖典がそれに当たる。そしてその聖典は、それまでの宗教制のすべての聖典中で特に一卓越し最高のものであり、これ以前にあった諸々の聖典はすべて、この書に照会されなければならない。 (125)

(注)一、神の意味。

二、旧約聖書の最初の五つの書。

三、バブの聖典。

四、バブに続く神の顕示者、すなわちバハオラを指す。この文書はバハオラの宣言の以前に書かれたものである。

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おお、神の道を旅する者よ。神の恩寵の大海原より汝の分け前にあずかり、その深底に秘められたものを逸するな。その財宝を享受する人々の一員となれ。この大洋の雫の一滴は、それが天と地にある万人に注がれるなら、それだけで彼等を神の恵沢に富ますに十分なのである。神は全能者に在し、すべてを知り、すべてに賢き御方に在す。無欲なる手もてこの大海原より生命を与える水を汲み上げ、全創造物に散水せよ。そうすることにより万物は、人間が造り上げたあらゆる限界より清められ、この栄光に輝く神聖なる場所に近付くことができよう。この場所こそは神の強大なる座である。汝、たった一人でこの事業に従事していても、それを決して嘆いてはならない。神をして、汝を完全に満ち足らすものとなせ。神の聖霊と親密に語らい、感謝する者であれ。天と地にあるすべてのものに、汝の主の大業を宣言せよ。汝の呼びかけに応える者があれば、神の精神が汝に与えた主なる神の英知の真珠を技露せよ。そして、まことに信ずる者であれ。逆に、汝の提供するものを拒む者があれば、退却し、汝の信頼と確信とを主なる汝の神、諸々の世の主に置け。神の正義にかけて誓う。この日、唇を開き主の名を述べる者の上には、全知者にして全賢者なる我が御名の天上より聖なる霊感の軍勢が下り来るであろう。天上の集合もまた、各々純粋な光の聖杯を高々とかかげて、彼のもとを訪れるであろう。このことは栄光に満ち、最も力強い御方の命により、神の啓示の領土において前もって定められたことである。神への奉仕のために準備された選ばれし人々の一団が、聖なるヴェールの内に隠されている。彼等はいずれ人類の前にその姿を現わし、神の大業を助けるであろう。彼等は何者をも恐れず、全人類が奮起して彼等に闘いを挑んだとしても決してひるむことはない。彼等は、天と地にあるすべての住民のみつめる前で立ち上がり、声高らかに全能なる御方の御名を歓呼し、人の子を、栄光に満ちすべてに賛美され給う神の道に召喚するであろう。汝も彼等の進む道を歩め。そして、何者にも狼狽(ろうばい)させられてはならない。創造主の道において、世の中の動乱が汝をどれほど動揺させても決して悲嘆に暮れることなく、非難者の非難によっても決してその目的を挫(くじ)かれることのない者であれ。神の書簡と、神の諸々のしるしとを携え、我を信ずる者等との再会へ向かえ、そして、最も聖なる我が楽園よりの音信を彼等に伝えよ。更に、神には共同者枢在るとする者等に警告せよ。言挙げよ。おお、人命よ。我は神よりの知らせを携えて、栄光の王座より汝等のもとへと来た。神は最も強大にして、最も高遠なる御方、最も偉大なる御方に在す。汝等の主であり、汝等の古えの祖先の主なる神の証言を、我はこの手に携えて来た。汝等の有する正しき秤を用いてこの証言を推量せよ。その秤とは、過去の予言者や神の使者達の証言に外ならない。そして、この証言が真理に基づくことを発見し、それが神からのものであると信ずるならば、それに対しとがめ立てすることを控えよ。さもなければ、汝等の業績は無に帰され、汝等は不信仰者達のうちに数えられよう。まことに、この証言は真理の威力を通じて下された神のしるしである。まことに、この証言により、神の大業の真実性は神の創造物に示され、純粋無垢の旗印は天と地の間に掲げられたのである。言挙げよ。これこそは、神の取り消し難い定めを納めた神秘なる封印の巻き物である。神聖なる指が書き留めた言葉を記したこの巻き物は、不可知なる神秘のヴェールの内に包まれて来た。しかし、今やそれは全能者なる日(注、一)の老いたる者の恩寵の証しとして下されたのである。我はこの巻き物に、天と地にあるすべての住民の運命を定め記し、万事に係わる知識を始めから終わりまで書き記した。過去に創造されたものであれ、未来に創造されるものであれ、何者も神を逃れ、神の目的を挫(くじ)くことはできない。おお、汝等このことを理解し得たならば。言挙げよ。神より遣わされた啓示はまさしく繰り返されたのである。そして、差し伸べられた我が威力の御手は、天と地にあるすべてのものを覆い包んでいる。我は真理の、まさしく真理の力により、我が不可知なる神秘の光明をわずかに現わし、その深紅の光は我が啓示のシナイ山を包んだ。すると、見よ、シナイの壮麗なる光輝を認め知る人々はこの深紅の光を一瞥するやいなや、息絶えた。慈悲に満ち給う神の美に在す者は、このようにして彼の証言の雲により降下したのである。そして、栄光に満ち、すべてに賢き神の意志により定めは成就された。言挙げよ。おお、至上の楽園に住まう天界の乙女よ。汝の聖なる室より出よ。不滅の生命の優雅なる衣を汝が望むままにまとい、栄光に満ち給う御方の御名において、刺繍(ししゅう)を施した光の美衣(びい)を身に着けよ。そして、最も高遠にして、近付き難い汝の主の王座より聞こえて来る声の甘く、不思議な調べに耳傾けよ。汝の顔を遮るヴェールを取り、黒い陳の乙女の美を現わし、汝の輝く顔の光を神の僕等から取り上げるな。たとえ地上の人々の嘆息や、天上の住民の悲嘆の声を耳にしても、それを嘆いてはならない。彼等を消滅の塵(ちり)の中に滅びるままに放置せよ。憎悪の炎が彼等の胸の内に燃え盛っている故、彼等を無に帰せよ。天と地にある人々の面前で、最も美しい調べにのせて賛美の聖歌を唱え、神の諸々の御名と属性の王に在す御方を記憶せよ。我は汝の運命をこのように定めた。我はまさしく我が目的を達し得る。おお、純粋無垢の真髄なる者よ。燦然(さんぜん)と輝く汝の栄光の衣を脱ぎ捨てることのないよう注意せよ。否、むしろ、創造の王国においても、汝の神の不朽の衣もて自らをますます豊かに飾れ。このことにより、全能者の美しき姿は汝を通じてあらゆる創造物に反映され、汝の主の恩寵は満開の威力をもって森羅万象(しんらばんしょう)に浸透されよう。汝の主の愛の香りを漂わす者があれば、自らをその者に捧げよ。何となれば、我は汝をこの目的のために創ったのである。そして我は、我が寵愛する人々の集う前で、まさしくこの目的のために汝との間に古えより続く聖約を交わしたのである。心の盲目なる者等が愚かなる妄想の槍(やり)を汝めがけて放ったとしても、汝は決して忍耐を欠いてはならない。邪悪なる者等の衝動に従う彼等を放置せよ。天と地にあるすべての住民がみつめる前で、次のように声を張り上げよ。我は天界の乙女であり、バハの精神から生まれた子である。我が住居は、栄光に満ち給う御方の御名の邸宅にある。天上の集合を前にして、我は、彼の御名の装飾をもって飾られた。我は犯し難い保護のヴェールの内に包まれ、人間の目より隠されて来た。その時、慈悲なる神の右手より、神聖にして比類なき甘美なる声が聞えてくるように思えた。すると、見よ。その声の調べを聞き、それを語る者の美を眺めることを熱望するあまり、我の見る前で楽園全体が震撞(しんかん)され、興奮のるつぼと化した。このようにして我は最も甘美なる言葉を用いて、久遠の舌がガユモル・アズマ(注、二)の中で語った聖句を、この輝かしい書簡に記したのである。言挙げよ。神は御主権により望むままに命じ給う。また、御自身の命令により欲するままに成し給う。望むままに命じ給うたことにおいて、神は何者にも問われることはない。まことに神は、何者にも束縛されず、すべてに力強く、すべてに賢き御方に在す。・神を信ずることを拒み、神の主権に反抗する者は、自らの堕落した心と欲望の救い難い犠牲者に外ならない。彼等は地獄の炎の中にある自らの住居に戻るであろう。拒否者の住居は哀れなり。(129)

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(注)一、神の意味。

二、バブが宜言の際に著わされた書。

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繁栄の中にあっては寛大であれ。逆境に際しては感謝する者であれ。隣人が汝に信頼を置くにふさわしい者であれ。明るく、親しみのある顔をもって隣人を見よ。貧しき者には宝庫であれ。富める者には警告者であれ。困窮者の叫びに答える者であれ。汝の誓約の神聖を守る者であれ。判断に公正であれ。発言に慎重であれ。何者にも不公平であってはならない。如何なる者にも全く謙虚であれ。暗闇の中を歩む者には明かりであれ。悲しみに打ちひしがれた者には喜びとなれ。渇きにあえぐ者には大洋であれ。苦悩に溺れる者には避難所であれ。圧制の犠牲者には、その支持者となり、その擁護者であれ。汝のすべての行動を、誠実さと高潔さとをもって際立たせよ。異邦人には住家であれ。苦しみにある者の慰めであれ。亡命者には力みなぎる砦であれ。盲目なる者には眼となり、過てる者にはその歩みを導く光であれ。真理の面を飾る装飾であれ。忠誠の額に置かれた冠であれ。正義の殿堂の支柱であれ。人類の身体には生命の息吹であれ。正義の軍勢の旗印であれ。美徳の地平線上に輝く光体であれ。人の心の土壌を潤す露であれ。知識の大洋に浮ぶ箱船であれ。恩恵の天上に光る太陽であれ。英知の王冠の宝石であれ。汝の世代の天界にきらめく光であれ。そして、謙遜の樹に実る果実であれ。(130)

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神の栄光は高遠なり。唯一真実の神が御自身を人間に現わし給う目的はここにある。つまり、人間の最も奥にある真の自已の鉱山に潜む宝石をあらわにするためである。地上の多様な宗教団体や信仰の様々な体系が人々の問に敵意の感情を決して起こしてならないと言うことは、今日、神の信仰と宗教の精髄である。これらの原則や法律、また、これらの確固として確立された強力な体系は、同一の根源から生じたもので、同一の光源の光線である。互いに異なっているということは、これらが広められた時代の様之の要求によるものと見なされなければならない。おお、バハの人々よ。地上の人々を混乱に陥れた宗教的不和と争いの動乱が静まり、その痕跡さえも完全に抹消されるよう努力せよ。神の愛と、神に奉仕する者等のために立ち上がり、この最も崇高にして重大なる啓示に加勢せよ。宗教的狂信と憎悪は世界を焦土と化す炎であり、何者にもその猛威を冶めることはできない。神の威力の御手のみが人類をこの荒廃の苦悩から救出し得るのである。神の例言葉はともし火であり、その放射する光は次の言葉である。汝等は皆一本の樹の果実であり、一つの枝の葉である。互いに最高の愛と調和、親愛と友情をもって振る舞え。真理の昼の星なる者こそ我が証人なり。和合の光は非常に強力であり、それは地球上をすべて照らし得るほどである。唯一真実の神、万事を知り給う神御自身が、この言葉の真理を証言し給う。この超越した、最も崇高なる域に到達し得るよう努力せよ。この地位こそは、全人類の保護と安全とを保障できるものである。この目標は他のいかなる目標にも優り、この望みはあらゆる望みの君主である。しかしながら、正義の昼の星を曇らす圧制の暗雲が散らされない限り、この地位の栄光が人間の眼にあらわされることは困雌である。おお、バハの人々よ。親愛と友情の精神をもって万人と交われ。もし汝がある真理を把握し、他人の知らない宝石を有するならば、最高の親切と善意の言葉とをもってそれを彼等と分かち合え。もしそれが受け入れられ、その目的を果たしたならば、汝の目的も果たされたことになる。また、もしそれを拒む者があれば、その者を放置し、神が彼を導き給うよう嘆願せよ。彼を不親切にあしらうことのないよう注意せよ。親切なる舌は人々の心を引きつける磁石である。それは魂の糧であり、言葉に意味と言う衣を授ける。それは、英知と理解力の光の泉である。(132)

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神の律法は、神の最も荘厳なる啓示の天より下された。万人はこれらの律法を厳守しなければならない。人間の最高の殊勲、その真の進歩、その究極の勝利は常にこれらの律法にかかっている。また、将来もそうあり続けるであろう。神の法を守る者は永遠の喜びを得よう。神の一体性の曙(あけぼの)を認め、神の唯一性の顕示者の真理を認めた者にかかる義務は二つある。最初の義務は、彼の愛に確固不動たることである。その不抜さは、敵の引き起こす動乱にも、愚かな詐称者の主張にも怖じず、永遠の真理に在す彼にすがる手を決して放すことのない程のものでなければならない。それはまた、彼等のことを全く意に留めない程の不抜さでなければならない。第二の義務は、神の定め給う法を厳格に守ることである。神は人間に対し常に法を定め、未来を通じても定め続けるであろう。これらの法を介し、偽りは真理より区別され、分離されよう。(133)

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永遠の真理に在す御方を認め知ることの次に、人間に課せられた最初、且つ、最大の義務はこれである。つまり、彼の大業において確固不動たることである。汝、これにすがり、神に心をしっかりと据え、神に基礎を置く者であれ。いかに賞賛される行ないも、この行為に比較されるものではない。また、未来永劫を通じてこれに優る行為はない。それはあらゆる行為の中の王である。この真理を、最上の御方に在し、御力に満ち給う汝の主が証言し給う。神に係わる美徳や属性はすべて明白明瞭であり、それらはあらゆる天来の書に記され、説明されている。次のものもそこに含まれる。つまり、信頼に値すること、正直であること、神と語らう時は心が純粋であること、寛容であること、全能者の命じ給うことすべてに忍従すること、神の御心によって与えられたものに満足であること、忍耐強くあること、否、むしろ、苦難の中にあって感謝の心を持つこと、そして、いかなる境遇にあっても神に全幅の信頼を置くことである。神の評価し給うところによれば、これらはあらゆる行為の中で最も高貴にして、最も賞賛されるものに数えられる。他のすべての行ないはこれらの行為に対し副次的なものであり、従属するものである。このことは時を超えて不変である。神を認め知ることこそ秘人の心に生気を与える息吹である。人の心を飾る真の装飾は、「神は御心のままに成し給い、欲するままに命じ給う」という真理を認識することにある。人の心を装う衣服は神に対する畏敬の念であり、その完成の極みは神の信教の中にあって確固不動たることである。神を求める者に対し、神はこのように指導し給う。まことに神は、神に向かう者を愛し給う。寛恕者に在し、御恩寵に満ち給う神の外に神は在さず、諸々の世の主なる神に賛美あれ。(134)

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汝等の一人一人が全人類に対しあらゆる善きものの源泉となり、高潔さの見本となることが我が願いであり、我が望みである。隣人を差し置いて、自らを優先させることのないよう注意せよ。人々の間にあって、神の神殿に在す者に汝等の眼を据えよ。彼はこの世の救済の代償として、まさに自らの生命を捧げたのである。まことに彼は恩寵深く、最も高遠に在し、恩恵に満ち給う。汝等の問にもし何らかの不和が生じたならば、汝等の眼前に立つ我を見よ。そして、我が名のために、また、燦然(さんぜん)と輝く我が明白なる大業への汝等の愛の証しとして、互いの欠点に目をつぶれ。我が御心の楽園に汝等が常に融和と一致をもって交わるのを見、汝等の行動より親愛と和合、慈愛と友情の芳香を感知することを我は愛す。すべてを知り、忠実なる者は汝等にこのように忠告する。我は常に汝等と共にある。汝等の友好の芳香を匂ぐことにより我が心は必ず喜びに満たされよう。また、それ以外に我を満足させ得るものはなにもない。真の理解力を有する者はすべてこのことを証言する。(146)

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最大の御名こそ我が証人なり。この偉大なる日において、この世のはかない事物に心を囚われる者があれば、これほど悲しむべきことはない。立ち上がり、神の大業にしっかりとすがれ。最高のいたわりをもって互いに接するがよい。最愛なる者のために、不滅の火の炎で自我のヴェールを焼き捨てよ。そして、光り輝き、喜びあふれる顔をもって隣人と交われ。汝等と共にある真理の御言葉なる者の言動を、汝等はあらゆる面で十分に観察している。神の愛し給う人冷の中の誰かが、この若者(注)のために心に悲しみをおぼえた時、その状態をたとえ一夜でも放置したままにすることがこの若者にとってどれほど苦痛であるかを、汝等はよく知っている。神の御言葉は世界の核心に点火したのである。もし汝等がその炎に灯されなければ、これほど残念なことはない。願わくは、汝等がこの祝福された夜を一致和合の夜と見なし、汝等の魂を互いに結び合わせ、賞賛に値する立派な人格をもって自らを飾る装飾となすよう決意することを。堕落した人冷を、迫り来る消滅のぬかるみから救出し、神の盲えの信教を奉じるよう彼等を助けることを汝等の最大の関心事とせよ。隣人に対する汝等の態度は、唯一真実の神の御しるしを明白に現わすものでなければならない。何となれば、汝等はこの世にあって、彼の聖霊により新たな生命を得た最初の者等であり、最初に彼の前にひざまずき、彼を崇め、最初に彼の栄光の王座の周囲を巡った人々であるからである。御心に適うままに我に啓示させ給う神にかけて誓う。汝等が自らについて知っている以上に、天上の王国の住民は汝等について知っている。この言葉を根のない空言として聞き流しては決してならない。すべてに慈悲深き汝等の主が見給うものを汝等も感知する能力を持っていたならば、汝等の地位の卓越性を証明し、汝等の伍値の偉大さを証言し、汝等の位の崇高さを宣言するものを、汝等も目撃したであろう。汝等に定め与えられたものに向かう中で、汝等が、未だ制するに至っていない情欲や欲望によって妨げられることのないよう神に嘆願する。(147)

(注)バハオラ御自身を指す。

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汝等の眼は我が信託である。空虚な欲望の塵(ちり)でその輝きを曇らせてはならない。汝等の耳は我担恩恵のしるしである。不浄な動機より立ちのぼる騒音のために、全創造物を包む我が言葉に耳を背けてはならい。汝等の心は我が宝庫である。我がそこに秘蔵した真珠を、自我の反逆の手が強奪することを許してはならない。汝等の手は我が慈愛の象徴である。我が庇護され、秘められた書簡を確固と掴もうとするその手を差し止めてはならない。求められないままに、我は汝等の上に我が恩寵を注いだ。請願されないままに、我は汝等の望みをかなえた。汝等はそれに全く値しないにもかかわらず、我は汝等を選別し、計り知ることのできない最も豊かな恩恵を汝等に授けた…。おお我担僕等よ。大地のごとく忍従し、従順であれ。されば、我が知識の香り高い聖なるヒヤシンスが、汝等の存在の土壊より色とりどりに咲き誇るであらう。

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炎のごとく燃え盛れ、そしてその火炎により無思慮のヴェールを焼き尽くせ、また、神の愛の生命力あふれるエネルギーにより、寒々とした、かたくなな心に点火せよ、風のごとく軽く、自由であれ。されば、犯し難い我が聖所と、我が宮居の境内に入ることができよう。(152)

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永遠の真理に在す御方は、栄光の曙(あけぼの)より御眼差し(おんまなざ)をバハの人々に向け、次のように呼びかけ給う。「汝等は人の子の福利と平安の増進に取り組まなければならない。汝等は自らの心と意志とを地上の民の教育に傾け、人類の分裂をもたらす不和が、最大なる御名の威力を通じて、この地球上より排除されるよう努力しなければならない。されば、全人類は一つの秩序の支持者となり、一つの都市の住民となろう。汝等の心を照らし清めよ。憎しみの茨や、悪意のとげによって心を汚してはならない。汝等は皆一つの世界に生き、一つの意志の働きによって創造されたのである。至上の親切と愛の精神をもって万人と交わる者に幸あれ。」(156)

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神はあらゆる者に対し、神の大業を教え広める義務を与え給うた。この義務の遂行のために立ち上がる者は、神の教えを宣布する前に次のことをしなければならない。つまり、感受性をそなえた人の心を魅くためには、まず賞賛に値する高潔な特性をもって自らを飾る装飾としなければならない。これなくしては、聞き手に影響を及ぼすことは決して望めない。(158)

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汝の隣人を、慈悲に満ち給う神の法の下に導くよう努力せよ。すべてを所有し、最も高遠に在す神の目には、このことこそが他のいかなる行為にも勝るものとして映るのである。世俗のいかなるものも、汝を自らの義務より引き止めることのないよう、汝は神の大業にあって確固不動でなければならない。地上の勢力が軍をなして汝に刃向かっても、万人が汝に反対しても、汝の心は揺らいではならない。神の教導の夜明けをもたらした者の教えを伝える時、縛られることを知らない風のごとくあれ。しばし風について考えて見よ。風は神の命令に全く忠実にこの地上の各地に、つまり人の住む所にも、荒涼とした所にも吹き渡るのである。荒涼たる風景も、繁栄の姿も、風を苦しめたり喜ばせたりできない。風はその創造主に命じられるままにあらゆる方向に吹く。唯一真実の神を愛すと告白する者も、こうなければならない。

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自らの目を神の信教の基礎にしっかりと据え、その普及に勤勉に努力しなければならない。神のためにのみ彼の教えを宣布せよ。そして同様の精神をもって、自らの言葉が聞き手に呼び起こした反応を受け入れよ。神の教えを受け入れ信ずる者にはその報酬が与えられよう。また、それに背く者は自らの罰を受けるに過ぎない。イラクを出発する前夜、我は忠実なる信徒達に対し、暗黒の鳥の出現に注意するよう警告した。かのか’ら’す’の声は近年すでに聞こえて来ているが、疑いもなくその鳴き声は今後各地で聞かれよう。何事が起ころうとも、神が汝等を偽り者の策略より守り給うよう、唯一真実の神の下に庇護を求めよ。まことに我は告ぐ。過去のすべての宗教制はこの最も強大な啓示において、その最高、且つ最終の極点に達したのである。すべてを知り、すべてに賢き汝等の主はこのように忠告し給う。諸々の世の主に在す神に賛美あれ。慈悲に満ち給う御方は、人間に視力を与え、聴覚を授け給うた。ある者は、人間を「小世界」と称した。しかし、正に人間を「大なる世界」とみなさなければならない。

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人間の地位に備わった潜在力は、神の約束されたこの日において現わされるであろう。また、この地上における人間の運命の全貌も、そして、人問の実体に宿る天性の卓越性も、すべてこの約束の日において現わされるであろう。最も高遠なる者のペンは、いかなる状態にあっても常に、彼の愛する者等を喜びといたわりとをもって思い起こし、彼の道に従うよう彼等に勧告して来た。この世の変化と偶然によっても、神の一体性の曙(あけぼの)を認めることを妨げられなかった者に幸あれ。揺ぎない決意を抱き、御自力にて存在し給う御方の御名において、彼の啓示の選り抜きの美酒を飲み干した者に幸あれ。そのような者は、諸々の世の主に在す神の書に、楽園の住民と共に数えられよう。(161)

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おお人類を構成する者等よ。何者にも切断されない綱にしつかりとすがれ。実に、これは生涯を通じて汝等に利益をもたらすものである。何故なら、その力は諸々の世の主に在す神に由来するからである。正義と公正にすがり、愚者のささやきより顔を背けよ。愚者とは、神の下を遠く離れ、学問の装飾で頭上を飾りながら、英知の源である者に死刑の宣告を下す者等である。彼等は我が名により、高き地位に引き上げられたのである。にもかかわらず、我が彼等の眼前に我が姿を現わすやいなや、彼等は明白なる不正をもって我に死刑の宣告を下した。このようにして我がペンは真実を明かした。しかしながら、人々は尚も無思慮の内にある。正義にすがる者は、いかなる場合にも中庸の範囲を超えてはならない。正義にすがる者は、すべてを見給う御方の教導を通じて、万物に真理を認めるであろう。技術や科学を推進する学識者がしばし自慢の種とする文明も、中庸の域を逸脱することが許されれば、文明とて人類に大なる悪をもたらすであろう。すべてを知り給う御方は汝等にこのように警告し給う。中庸が守られる時、文明は最も豊かな善の源泉となる。しかし、極端に走れば、文明は同様に大量の悪の源泉となろう。おお人々よ、このことについて熟考し、過ちの荒野を混乱に覆われてさまよう者となるな。文明の火炎が都市を飲み込む時が近ずきつつある。その日、荘厳なる舌はこう宣言する、「御国は神に属せり、神こそはすべてに賛美される全能者なり」と。中庸の原則は他のすべての事柄にも適用される。このすばらしき書簡に汝等を記憶し給う汝等の主に感謝せよ。栄光の王座の主に在す神に賛美あれ。最も高遠なる者のペンが著わしたことを心の中で熟考し、その甘美なる味を覚えた者は、自分自身が牢となり、自らの欲望から開放され、全能者の意志に完全に従順となった自己を必ず発見するであろう。これほど高遠な地位に達し、これほどの恵みに満ちた恩寵を逸することのない者は幸いなり。

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この日、恐怖に襲われ、自らの信仰を隠そうとする者の行為を、我は容認することはできない。同様に、大業への忠誠を騒しく主張する者の行動をも、我は是認しない。両者共、賢明なる道に従い、信教の最善の利益を促進するために勤勉に努力しなければならない。汝等皆、この虐げられし者の行動を観察し、熟考せよ。この啓示の誕生より現在に至るまで、我は敵から身を隠すことも、友との交遊から身を引くことも、常に拒んで来た。数限りない苦悩と苦しみとに取り巻かれながらも、我は最強の確信をもって地あけぼの上の人々を栄光の曙(あけぼの)の下へと召喚した。最も高遠なる者のペンはこれと関連して、自らに降り掛かった苦悩を述べることをよしとしない。それらを明かすことは、敬愛の的である信徒達を悲しみに落とし入れ、神の一体性を真に支持し、神の大業に完全に献身する者等が悲嘆に打ちひしがれることになる。まことに彼こそは真実を語り、すべてを聴き、すべてを知り給う御方である。この聖地はあらゆる聖典にその名が記され、賞賛されている、神の予言者達や、神の選ばれし人々はこの地に現われたのであった。神のすべての使者はこの荒野をさまよい、彼等の叫ぶ「おお我が神よ、我ここにあり、我ここにあり」の声はこの地より上がった。これこそは、神の啓示に在す者が出現する運命にあった約束の地である。これこそは、神の知られざる定めの谷であり、純白の地点であり、薄れることのない光輝の地である。この日の出来事はすべて、昔よりの聖典に予告されている。同時に、これらの聖典は一致してこの地に住む人々を非難している。この地の人々は、時には「毒蛇の世代」の汚名を被った。そして見よ、この虐げられし者を。彼はこの「毒蛇の世代」に包囲されながら、尚も声高らかに万人を召喚し、この世の究極の希望の的であり、栄光の頂点であり、その曙である者の下へと人々を呼びよせているのである。言葉の王国の主なる者の声に耳傾ける者は幸いなり。そして、彼の真理より遠く迷い出た無思慮な者は不幸なり。(163)

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このことを知得せよ。聴力あるすべての耳は、それが純粋で汚れのないものであれば、四方に轟く次の聖句を語る声を常に聴くであろう。「まことに、我々は神に属し、神の下へと帰らん。」肉体の死と、人間の帰還に係わる神秘は露呈されておらず、それは未だ解読されないままである。神の正義にかけて誓う。もしこれらの神秘が解き明かされるならば、ある者は恐怖と悲しみのあまり死滅してしまうであろう。他方、ある者は非常な喜びに満たされ、そのため死を渇望し、切なる思いをこめて、自らの死期を早め給うよう唯一真実の神に絶え問なく嘆願するであろう、神の栄光は高遠なりo確信を得た信者に対し、死は生命そのものの聖杯を提供する。死は喜びを与え、歓喜を運ぶ。それは永遠の生命の賜物を付与する。

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唯一真実の神を認識することこそが地上での生活の果実である、神の栄光は高遠なり。この果実を味わった者の死後の生については、それは我が叙述し得ない程のものである。その知識は、諸々の世の主に在す神のみにある。(164)