【落穂集】その1

「落穂集」その1

バハオラ

すべてのものごとの始まりは神の知識であり、すべてのものごとの終りは天に在るすべてと地にあるすべてに遍在する神の意志の天上界より下されたあらゆることを厳格に守ることである。②

太古より総ての神の予言者等の目的及び約束として、そして神の使者等が最もいつくしんできた望みとして歓呼して迎えられてきた啓示は、今や全能の神の遍在の意志と、抗し難い命令により人類に明かされた。この様な啓示の出現はあらゆる聖典に予告されてきた。この様な告知にもかかわらず、いかに人類はその道より迷い出し、その栄光より遮られているかを見よ。言挙げよ、おお汝等、唯一真実の神を愛する者等よ!彼を真に認め、知るように努力し彼の敬えを正しく遵守せよ。この啓示に於ては、或る者がこの為に一滴の血を流せば無数の大洋がその報酬となるであろう。おお友等よ、これ程貴重な恩恵を失ったり、その超絶的な地位を無視することのない様に留意せよ。人々の空しい想像が生み出した単なる妄想によって惑わされた世界の中に犠牲にされてゆき、又は現在に於てもまだ犠牲にされている無数の生命について熟考せよ。汝等は心の望みを得、あらゆる国の約束である彼と結ばれた故に神に感謝を捧げよ。唯一真実の神―その栄光はまことに高遠である―の援助を受け、汝の到達した地位の高潔さを擁護し、彼の大業を促進させるものに愛着せよ。彼はまことに正義に適ったことと人間の地位の向上を促すものを命じ給う。全てに慈悲深き御方、この驚ろくべき書簡の啓示者に栄光あれ。③

今日こそは、神の最もすばらしい恩寵が人々の上に注がれている日であり、彼の最も偉大なる恩恵がすべての創造物の中に注入されている日である。自分達の間の不和を和解させて完全な統合と平和のうちに、彼の保護と慈愛の下蔭にとどまるようにすることは、世界中の人々の義務である。人々はまた、今日彼らの地位を崇高なものとなし、彼らの真の利益を促進させるものにすがらねばならない。栄光に満ちたペンが名を記憶するようにと記した人々は幸福であり、我の測り難い定めによって名を隠すようにした人々も祝福されている。我が認めることを総ての人がなし遂げられるよう慈悲深く助け給うよう、唯一真の神に懇願せよ。現在の秩序は間もなく巻き上げられ、その代りに新しい秩序が繰り広げられるであろう。誠に汝の主は真理を語り、眼に見えぬものをもお分りになる御方におわす。④

今日こそは、神の慈悲の大洋が人々に顕わされた日であり、神の慈愛の昼の星がその輝きを彼等に注ぎかけた日であり、彼の惜みない恩寵の雲が全人類に影を投げかけた日である。今こそ愛と親善の活気ある微風及び友情と慈善の活水で意気消沈の人々を励まし、元気づける時である。神より愛される者はいかなる場所に集合しても、誰と逢っても神に村する態度と彼の賛美と栄光を称賛する態度とに於て大いなる謙遜と従順さとを示し、彼等の足下のちりのあらゆる原子がその献身の深さを証言する程でなければならない。これ等の聖なる人々によって交わされる会話は偉大な力によって満たされ、ちりの原子はそれに影響されて喜びで身震いする程でなければならない。彼らは自分達の踏む足下の大地が決して次の様な言葉をもって話しかけることのないように振舞わなければならない。「汝等よりも我の方が好ましく思われるべきである。

何故なら農夫が我にのせる重荷を我がいかに忍耐強く支えているかを目撃せよ。我は全恩恵の源泉である神が我に託された祝福をあらゆる存在物に絶え間なく分け与えるための手段なのである。我に授けられた名誉と富―全創造物の必要物を供給するわが富―の数え切れない程の証拠にもかかわらず、いかに我が謙虚であるかを見、どれ程の絶対的な従順さをもって我自身を人の足下に踏みにじらせているかを目撃せよ…」お互いに忍耐と慈善と愛とを示せ。もし汝等のうち誰かが或る真理を把握できない時、又は理解しようと努力している時には会話中に大いなる親切と好意の精神を示せ。汝自身が彼よりも優越しているとか、より以上の才能を持つ者であるなどと少しでも考えることなく、彼が真理を見、認めることができるように援助せよ。今日に於ける人間の義務のすべては神が各人のために流し給うた恩恵の洪水の分け前に授かることである。それ故に、誰もその容器の大小を考えないようにせよ。或る者の分け前は掌にのる位であるかも知れないし、他の者の分は湯否みを満たし、その他の者の分は一樽程であるかも知れないからである。今日あらゆる者の眼は神の大業を最良に促進するものを追求すべきである。永遠の真理である彼は証言給う!今日に於て、神より愛される人々の間の不和、争い、論争・離反・冷淡さ以上に大なる害をこの大業に及ぼすものはない。神の威力と彼の至高の助けによりこれを避け、彼の名―統合者、全知者、全賢者のもとに人々の心を結び合せるように努力せよ。彼の道に於て達せられるような行為の香気を味わい、彼のために示されるような謙遜と従順の甘さにあずかるように唯一真実の神に懇願せよ。汝等白身を忘れ、眼を隣人に向けよ。汝の活力を人類の教育を促進するあらゆるものに向けよ。何事も神から隠されてはいないし、又決して隠し得ない。もし彼の道に従えば測り知れない不滅の祝福が汝等に注ぎかけられるであろう。これは輝かしき書簡であり、その中の句はあらゆる世界の主なる彼の筆の動きより流れ出たものである。このことを汝等の心の中で熟考し、その教訓を守る者であれ。⑤

言挙げよ、おお人々よ!今日は無比の時代である。同様に、あらゆる民衆の熱望する者を讃える舌も無比でなければならず、彼の眼に受け入れられる様にと熱望する行為も無比でなければならない。全人類はその地位にふさわしいことと、その運命に値することを完遂できるかも知れないとこの日を切望して来た。この世の事柄に妨げられず万物の主なる彼を認めた者は幸いである。

人間の心は、都市の破壊や山の灰じん化や大地の分裂などによっても目覚めない程に盲目となってしまった。諸々の聖典に言及されたことは示され、それに記録された諸々のしるしは現われ、予言的叫びは常にあげられている。しかも神の思召しにより導かれた者等以外はすべて無思慮の酔いの中で途方にくれているのである!日々新たな災難でいかにこの世が苦しめられているかを目撃せよ。その艱難は絶えず深まりつつある。(注)ライースヘの書簡が啓示されて以来今日に至る迄、世の中が静まることも人々の心が休まることもなかった。一時は論争と議論でかき乱され、他の時は戦争で極度に動揺させられ根深い疾病で苦しまされた。その病は全く絶望の階段に近付きつつある。と言うのは、真の医師は治療を施すことを妨げられ、一方未熟な医者が好まれ、完全に思いのまま振舞う自由を許されているからである。…騒乱の芥は人々の心を曇らし彼らの眼をくらました。彼らはやがて神の日に、自らの手による仕業の結果に気付くであろう。あらゆるものに精通するものなる彼は、最も強力なる者、全能者に命令された通り、この様に汝等に警告する。⑯

(注)バハオラがアドリアノ―プから追放される日の朝著わされた書簡。この中でバハオラはトルコの首相アリ・パシャを厳しく告発されている。

不可知なる御本質に在し、神々しい御存在である神は、肉体的存在、上昇や下降、出現や退却などという、あらゆる人間的属性よりはるかに崇高であることが、総ての明敏で啓蒙された心の持ち主には、はっきりとしている。人間の舌が神の讃美を十分に述べ、人間の心が神の測り知れない神秘を理解することは、神の栄光からして到底できないことなのである。神は、古今を通じ、御自身の本質の古の永遠性の中に隠れておられ、神の実在は永久に人間の眼からは隠れたままにされるのである。「如何なる視力も彼を包含せず、彼は如何なる視力をも包含し給う。彼は鋭敏なる御方に在し、総てを感知し給う御方に在します。」

(注、一)日の老いたる者を知ることへの門戸は、このように生きとし生けるものの面前から閉ざされているので、「彼の恩恵は万物を超越しており、我が恩恵は、万物を余すところなくおおい包んでいる」という彼の御言葉通りに、無限なる恩恵の源泉は、あの輝かしい聖なる宝石達を霊界から人体という高貴な形で現わし、万人の前に明らかに示された。それによって彼等が不変の存在の神秘を世間に伝え、また神の不滅の真髄の不可思議について語るようにと。これらの聖別された鏡遠、これらの古来の栄光の曙達は、皆、宇宙の中心天体であり、その真髄であり、究極の目的である神についての地上での解説者達である。彼らの知識や力は神に由来し、彼らの主権は神に源を発している。彼らの御顔の美は、神の御姿の反射にすぎないし、また彼らの啓示は神の不滅の栄光の御兆にすぎない。彼らは、神の知識の宝庫であり、天の英知の貯蔵庫である。彼らを通して、限りない恩恵は伝えられ、決して衰えることのない光が彼らによって啓示されるのである。これらの堰なる神殿達、不滅の栄光の光を反射するこれらの主要な鏡遠は、見えないものの中の見えないものである御方の表現にしか過ぎない。これら聖なる徳性の宝石の啓示によって、知識や威力、主権や支配、慈悲や英知、栄光、恵沢や恩寵というような神の総ての御名や属性が顕示されるのである。

神のこれらの属性は、ある予言者にのみ特別に与えられ、他のものには差控えられるということは決してないのである。そうではなく、神の予言者達、神の寵愛を受ける者達、神の聖なる選ばれた使者達は皆、例外なく神の御名の保持者であり、また神の種々の属性を具現する権化である。彼らはただ、それぞれの啓示の威力が違い、各自の光の勢力を比較すると差があるだけなのである。まさしく次のように述べられている、「我は、使徒達の内の或るものを他の者達より卓越させておいた」と。それ故、これらの属性中のどれかの光が、たとえその輝かしい寺院から、人々の眼に外見上見えたり見えなかったりすることはあっても、預言者達や、神に選ばれたもの達の神殿の中には、神の無限の御名や、卓越した属性の光が反射されていたということは、明白になったであろう。神の或る一つの属性が、これら世俗超脱の精髄達によって外面的に現わされなかったとしても、神の属性の曙であり、神の聖なる御名の宝庫である彼等が、実際にそれを持ち合わせていなかったということを意味するものでは決してないのである。だからたとえ外見上では、俗界の総ての威厳を剥奪されているかのように見えたとしても、これらの輝かしい人達、これらの美しき御顔達には、一人残らず主権とか支配力とかいう総ての神の属性が賦与されていたのである。⑲

(注)一、神の称号。旧約聖書・ダニエル書に見られる特有の呼び名。

二、顕示者の意味。以下での「鏡達」、「曙達」、「聖なる神殿達」なども同じ意味。

不可視なる者は決してその精髄を具現し、人間に現わさない、ということを確実に知れ。彼は現在に於ても過去に於ても、説明又は知覚し得るすべてのものを越えて無限に高遠なるものであり給う。栄光の隠れ家より彼の声は絶えず宣言しつづけている。「まことに我は神である。全知者、全賢者なる我の他に神はない。我は我白身を人類に顕わし、わが啓示のしるしのあけぼのである彼を下した。我は彼を適してあらゆる創造物をして比類なき者、あらゆるものに精通するもの、全腎者なる彼の他は神はないことを証言させた。」人間の眼より永遠に隠されている神はその顕示者を通して以外には決して知られ得ないし、そして顕示者はその使命の真実性を証明するにあたり彼白身の人格の証拠よりも大なる証拠を提示し得ないのである。⑳

お、サルマン!古来の存在者の知識への扉は人間の面前で閉されてきたし、また未来永劫に閉され続けるであろう。いかなる人間の理解力も神の聖なる宮廷には決して、近付き得ないであろう。しかし乍らその慈悲のしるし、そしてその慈愛の証拠として一神は人類に聖なる教導の昼の星、神の一体性の象徴を顕わし、これらの聖別された存在者の知識をして神御自身の知識と同一であると定め給うた。彼等を認める者は神を認める者である。彼等の呼び声に耳を傾ける者は神の声に耳を傾ける者であり、彼等の啓示の真理を証言する者は神そのものの真理を証言する者である。彼等より顔をそむける者は神より顔をそむける者であり、彼等を信じない者は神を信じない者である。彼等のすべてはこの世と天界を結びつける神の道であり、天地の諸々の王国に在するすべての者にとって神の真理の旗標である。彼等は人類間に於ける神の顕示者であり、神の真理の証拠、 そして神の栄光のしるしである。(21)

お、神の一体性を信ずる者等よ、神の大業の顕示者間に差別をつけようとする気を起したり、又は彼等の啓示に伴なって表わされたしるし間に区別をつけようとする気を起さないように警戒せよ。これが実に神の一体性の真の意味である。もし汝等、この真理を理解し信ずる者等であれば…。その上、すべての神の顕示者の各事業と行為は、いやそれのみか、彼等に関係のあるあらゆるもの及び彼等が未来に顕わすものはすべて神より定められたものであり、神の意志と目的の反映であることを確信せよ。彼等の人格、言葉、メッセージ、行為、作法間にわずかでも区別をつけようとする者は実に、神を信ぜず神のしるしを否認し神の使者の大業を裏切る者である。(24)

神の一体性に全賛美あれ全くの無より万物の実存を創造し、無より彼の創造のうち最も優雅で微妙な要素を存在にもたらし、神の創造物を遠く離れていることの屈辱と究極の消滅の危機から援助し、神の清廉なる栄光の王国へと迎え入れ給うた卓越した主、比類なき全栄光の宇宙の支配者に全栄誉あれ。彼の全包含的な恩恵、彼の全遍在の慈悲の他にこのような事業を完遂し得たものはない。もしこれらがなければ、単なる無が不在の状態より存在の領域へとあらわれ価値と能力を自ら獲得することなどどうして可能であったろうか?神はこの世とそこに住み動くあらゆるものを創造し、神の拘束されない卓越した御意により人間に神を知り愛する独特の特異性と能力―全創造の基礎をなす発生進力、また主なる目的と見なされるべき能力―を与え給うた。すべての創造物の内奥の各実在に、神はその諸々の名の中のある一つの名の光を注ぎ、神の諸々の属性のうちのある一つの属性の栄光を受け入れるものとなし給うた。しかし乍ら、人間の実質には、神は神の諸々の名と諸々の属性のすべての光輝を集中し、人間の実質をして神自身の鏡となし給うたのである。全創造物のうち人間のみがそれ程偉大な恩恵、それ程不朽の恩寵のために選び出されたのである。しかし乍ら、神の恩寵の昼の星と聖なる教導の源泉が人間の実質に与えたこのエネルギーは、炎がローソクの中に隠され、光がランプの中に潜在するように人間の中に潜在している。このエネルギーの光輝は、太陽の光が鏡を被うごみやちりの下に隠されるように世俗の欲望で被い隠されるかも知れない。ローソクもランプもそれ自体、何らかの手助けなしには点され得ず、鏡も自らそのちりを取り除くことは決してできはしない。ランプは火を点される迄は決して燃えることはなく、鏡もその面よりちりを取り除かれなければ、太陽の映像を現わすこともその光と栄光を反映することもできないということは明々白々である。

唯一真実の神をその創造物に結びつける繋がりや直接の交りはあり得ない。また永遠なる絶対者と、はかない従属者の間にはなんらの類似点も存在し得ない。故に神は各時代、各時節において清廉潔白な人物が地上天上の御国に出現することを定め給うた。この不可思議で神秘的な、かつ霊妙な存在に対して神は二重の性格を割り当てられた。つまり物質界に関連する肉体的な性格と、神自身の実質から生じた精神的性格である。神はまたこの存在に二重の地位を授けられた。その第一の地位は神の最も奥に潜む実質に関するものであり、彼等の声は神自身の声であることを意味する。これを証言するために次のような伝承がある。「我の神との関係は多様で神秘的である。我は神自身であり、また神は我自身である。しかし我は我たるものであり、神は神たるものである。」また同様に次の言葉がある。「おおモハメッドよ、立ち上れ、見よ、愛する者と愛される者が結ぴつけられ、汝の中に一つになっている。」彼は同じく次のように言う、「汝と彼等との間には、彼等が汝の僕であるということ以外には全く差別はない」と。その第二の地位は人間としての地位であり、次の聖句で例えられる、「我は汝らのように人間にしかすぎない」「言挙げよ、わが主に誉れあれ。我は人間、使徒以上のものたるや。」これら世俗超脱の精髄であり、輝かしい真実である者達は、全てに行きわたる神の恩寵の水路である。確かな指導の御光に導かれ、最上の主権を授かった彼等は、彼等の言葉が持つ霊感と注ぎ出る彼等の誤りのない恩寵と、彼等の啓示の神聖な微風とをもって地上の煩労や限界から来る不用物や不純物を慕心と感受性を備えた全ての魂から取り除く任務を帯びている。それができる時のみに、人間の実質に潜在する神への信頼は潜伏のヴェールの後ろより神の啓示という昇りくる太陽と同じ位の光輝をもってあきらかにされて、人間の心の頂きに明確なる栄光の旗を掲げるのである。前述の章句や引喩より、天地の王国に於ては神性そのものなるあらゆるものを卓越した主の恩恵を伝達するために顕示者及び媒介者として行動する存在者、精髄が顕わされねぱならないということが疑いの余地もなく明白にされた。この真理の昼の星の教えにより、すべての人間は心の内奥にある真の自身に与えられている潜在力をすべて顕わし得る地位に達する迄進歩発展する。まさしくこの目的のためにあらゆる時代と宗教制に於て神の予言者等と、神より選ばれた人々が人間の間に現われ、神によってのみ生まれでる非常な力と永遠なる者のみが表わし得る力強さとを示したのである。自分では意味を理解し得ない言葉をきいて、神の無限の教導の扉が人々の面前で閉まるというようなことを健全の心意の持主が真剣に想像し得ようか?一体、人はこれ等の聖なる発光体、これ等のけんらんたる光にとって始めとか終りを考えることができようか。いかなる洪水の流出が彼の全包含的な恩恵の流れに比較できるであろうか。これ程偉大で遍在する慈悲を表わす行動に、いかなる祝福がまざり得ようか。この世から一瞬間でも神の慈悲と恩恵の湖がさし引かれるならこの世は完全に滅亡してしまうことは疑いない。この理由により、始めなき始めより神の慈悲の戸は全創造物の眼前で大きく開かれ、そして真理の雲は終りなき終り迄人間の才能と実質と個性の土壌に恩恵と恩寵を降らせ統けるであろう。これが永遠より永遠に続く神の方法である。(27)

神が人間を造り給うた御目的は、人間にその創造主を知らしめ、神の御前に臨ませることであったし、未来永劫においてもそうである。天上の書物と、神が顕わされた壮重な聖典のすべては議論の余地なくこの最も崇高で至上の目的を証かしているのである。神の御導きの曙を是認し、その廷内に人って来た者は誰であれ、神に近付き、その御前に到達できた者である。神の御前にあることこそは真の楽園であり、天国の最も崇美な邸もその象徴にすぎない。そして、そうした者は、二矢の距離にある者、サドラトル・モンタハの向うに立ち給う者の地位を理解し得たのである。また、神の御導きの曙を是認し損った者は誰であれ、神との遠隔の苦しみを自らに宣告することになるであろう。神から離れているそのことは地獄の烈火そのものであり、全くの無そのものに他ならない。これこそがそのような者の行き着く所となろう。例え見た目にはその者が地上の最も絢爛たる座を占め、最高の玉座に着いていようとも。真理の曙である彼にとって、迷っている魂をこのような遠い隔りから救い、神の宮廷に彼らを引き寄せ、神の御前に到らしめることは充分可能である。「もし神が望みであったなら全ての人々を一つの民となし給うたにちがいない。」しかし乍ら、彼の御目的は心の清らかな人と心の超脱した人が自らの生来の力によって最大の大洋の岸辺に昇りつくことを可能にすることである。それにより栄光に輝き給う御方の美を探し求める者が、我まで強情なるものか区別され、分けられる。このように、栄光と光輝に輝くペンにより制定されているのである。神の正義の顕示者、天上の恩寵の曙が人々の間に現われた時は常に地上の主権を全く持たず、世俗的な権勢の手段を奪われているのであるが、そのことも神の御目的を活気づける区別と分類というこの同じ原則に帰するものである。もし永遠なる真髄が自らの内に潜むもの全てを顕示するならば、またもし彼が自分の栄光の全てをもって輝くならば、誰一人として彼のカを疑ったり彼の真理を拒んだりする者はないであろう。否むしろ、全ての創造物は彼の光の証拠により皆無そのものに零落する程までに幻惑させられ、驚嘆させられるであろう。そしてそのような状況ならば、いかにして信仰厚き人々は強情な人々と区別されることができようか。この原則は以前の各宗教制において実施され、数多くの実地教授がなされた・・。この理由により、いつの時代でも新しい顕示者が現われ、神の卓越した力の新たな啓示が人々に授けられた時には、神について誤った信念を持っている者は、類なき永劫の美が死すべき人間の姿で出現することに惑わされ、彼を認識し損った。彼等は彼の道からさまよい出て、彼の同行、つまり神の御側近くいることの象徴である彼の同行を避けたのである。彼等は信心深い人々を無数に殺し、また彼を信じる人々を壊滅するために立ち上りさえした。この宗教制において、価値の無い者や愚か者たちは、大虐殺や略奪、追放などのような手段で、神の御力の手によって点されたランプを消したり、永遠の輝きの昼の星の光を覆い隠すことができると、なんと甘い想像をしていることか見よ。このような逆境は、このランプの炎を煽る油であるという真理に彼らは全く気付いていないようであることよ。神の変換の力はこのようなものである。神は御意のままに変え給う。誠に神は全てのものに対して力を持ち給う・・・。理想の王により採用された主権を常に熟考せよ。また神の御力と至上の影響力の証拠を見よ。否認の象徴であり、暴力と怒りの代表であるものらの空虚な話から汝の耳がいせんを清めよ。唯一、真なる神の御力が全創造物の上に凱旋し、神の主権の御徴がしんら万しょうをおおい包むことを汝らが目撃する時は近付きつつある。汝らはその日、神以外のものは全て忘れられ、皆無そのものとしてみなされるようになるということを発見するであろう。しかし乍ら、神とその顕示者は彼ら固有の高貴と崇高さからはいかなる状況にあろうとも分離され得ないということを汝ら、心にとめておくべきである。否むしろ、高貴と崇高さ自体、神の御言葉の創造物なのである。汝らもし、自らの目でなく我の目にて見ることを選ぶならば。(29)

神の御言葉とその潜在力のすべては、全知者、全賢者なる神により前もって定められた条件と厳密に一致して人々に顕わされるように我は定めてきた。更に又、我はその隠蔽のヴエールは言葉そのものに他ならない事を定めた。これが、まさしく、我の目的を達する我の威力である。もし言葉のうちに潜むエネルギーのすべてが突然放出されるならば、この非常に強大な啓示の重さに耐え得る者は一人も居ないであろう。いやそれ所か、天と地に在るすべてのものは、ろうばいして逃げ去るであろう。神の使徒なるモハメッドに下された事を熟考せよ。彼がもたらした啓示の程度は、全能者、いと力強き御方より前もって明白に定められたものである。しかし乍ら、彼の言葉を聞いた者等はただ自らの地位と精神的能力の程度に応じてのみ彼の目的を理解し得た。彼も同様に、そのメッセージの重荷に耐え得る彼等の能力に比例させて英知の顔を現わしたのである。人類が成熟の段階に達するやいなや、神の御言葉がその中に潜在的に賦与されているエネルギーを人々の眼に明らかにした。即ち、このエネルギーは、六十年にアリ・モハメットなるバブの人の中に古来の美が現わされた時、完全な栄光をもって顕われた。(33)

その力の威力により創造物を無存在の裸より救い出し、生命のマントを着せ給うた神に全賛美と栄光あれ。神は特別の恩恵として全創造物の中より人間の持つ純粋で宝石の様な本質を選び出し、神を知り、神の栄光の偉大さを反映し得る独特の能力を付与し給うた。人間に与えられたこの二重の特異性は、人間をして、あらゆる空ろな欲望のさびを心より洗い流させ、創造主が人に着せ給う衣服にふさわしいものとならしめた。それは無知のみじめさより人の魂を救う役に立った。人間の身体と魂を飾るこの衣服は、人間の健全と発展の基礎そのものである。お、唯一真実の神の恩恵と力に援助されて、人がこの世とその中のあらゆるものの束縛と腐敗から自らを解放し、知識の木の下陰で、真の永続する安穏に達する時は何と祝福された日であろうか!

友等に対する偉大な愛から口にした汝の心の小鳥の歌が彼等の耳に達した。そして我は汝の質問に答え、あらわす事が許されている秘密を汝に明かす様に動かされた。貴簡の中で、汝は神の予言者等のうちで誰がすぐれていると見なされるべきかとたずねた。すべての神の予言者の精髄は一つであり同じだということは確かなことと知るべきである。彼等の一体性は絶対的である。創造主なる神は云い給う―わがメッセージの伝達者間にはなんらの区別もない。彼等の目的はただ一つである。彼等の秘密は同じ秘密である。或る一人に他の者等より好意を寄せたり、或る者等を他の者等より高める事は決して許されない。あらゆる真の予言者は自分のメッセージを以前に現われた他のすべての予言者の啓示と基本的には同じであると見なした。それ故、もし誰かがこの真理を理解しそこない、空ろな見苦しい言葉を勝手に口にしたとしても、視力が鋭敏で啓発された理解力を持つ者は、決してその様な無駄話によって自からの信仰をゆるがせるようなことはないであろう。しかし乍ら、この世に於ける神の予言者等の啓示の程度は異ならなければならない。

各々すべては別個のメッセージの伝達者であり、特定の行為により彼自身を明かす様に委任された者である。この理由により、彼等の偉大さの程度が異る様に見えるのである。彼等の啓示は地上に輝きを注ぐ月光に似せられる。月は現われる度に新たな明るさを見せるけれども、その固有の光輝が減じる事もその光が消滅する事も決してないのである。故に、彼等の光の強さにみられる明らかな差異は、光そのものに固有なものではなく、むしろ絶えず変りつつある世の異った受容性に帰せられるべきである。全能者、比肩なき創造主が地上の人間のために下し給うたすべての予言者は一つのメッセージを委任され、その現われた時代の要求に最も適した態度で行動する様に命ぜられて来た。神が予言者等を下される目的は二重である。第一は、人の子等を無知の暗黒より解放し、真の理解の光に導くためである。第二は人類の平和と平隠を保証し、それらが確立されるためのあらゆる手段を備えるためである。神の予言者は医師と見なされるべきで、その仕事は、和合の精神でこの世と人民の健全を促進する事により、分裂した人類の病をいやすことである。彼等の言葉に疑いをはさんだり、彼等の行動を軽視したりする権利は誰にも与えられていない。何故なら彼等のみが患者を理解し、その疾病を正確に診断したと公言出来るからである。知覚力がいかに鋭敏であろうとも神の医師が達した叡知と理解の高さに達する事は誰にも望み得ない。だから、もし医師によって処方される今日の治療法が以前に処方されたものと同一でない事がわかっても何ら驚くことはないのである。病人を冒している疾病がその進行の各段階に於て特別の治療法を必要とする時、どうしてその他の方法があり得ようか?同様に神の予言者等は神の知識の昼の星のさん然と輝く光輝でこの世を照らした度毎に、彼等の現われた時代の緊急な情勢に最も適した手段を用いて神の光を信ずる様に常に人々を召喚したのである。この様にして彼等は無知の暗闇を消散させ、彼等自身の知識の栄光を世に注ぐことができた。従って、あらゆる明敏なる人人の眼は、この予言者等の最も奥深くにある精髄に向けられなければならない。と云うのは彼等の唯一の目的は常に、誤った人々を指導し、苦しむ人々に平安を与える事だったからである。現代は繁栄と勝利の時代ではない。全人類は多種多様の疾病にとらわれている。それ故に、誤まらない医師の全能なる手により用意された有益な薬を用いて人類の生命を救助する様に努力せよ。さて、宗教の本質についての汝の質問に関して。真に賢明なる者等がこの世を人間の身体にたとえた事を知れ。人間の身体がそれに着せる衣服を必要とする様に、人類の身体も正義と叡知のマントで必ず飾られなければならない。その衣は神によって与えられた啓示である。この衣がその目的を果した時には、いつでも全能者は必ずそれを更新し給うであろう。何故なら、あらゆる時代は新たな神の光を必要とするからである。神の啓示はすべてそれが現われた時代の環境に適する万法で下されて来た。過去の宗教の指導者等の言説に関する汝の質問について。賢明で賞賛に価する人は全て疑いもなく、その様な空虚で無益な話を避けるであろう。比類なき創造主はすべての人間を一つの同じ物質より創造し、その実在を他の創造物よりも高め給うた。それ故に成功と失敗、利得と損失は人間自身の努力に依らなければならない。努力すればする程人の進歩は大である。我は、神の恩寵の春雨が人間の心の土壌に真の理解の花を咲かせ、あらゆる俗世の汚辱を洗い流す様に切望する。(34)

あらゆる宗教制に於て、神の啓示の光は人々の精神的能力に直接比例して与えられたという事を確かに知れ。太陽について考慮せよ。水平線上に現われる瞬間の光は微弱であるが、天頂に近付くに従ってそれは徐々にその暖みと力を増して行く。その間に、全創造物がその強まり行く光の強さに順応して行くことができるように。そしてそれは、沈む地点に達するまで徐々に傾いて行く。もし太陽がその中に潜在するエネルギーを突然顕わせば、それは疑いもなく全創造物を傷つける原因となるであろう…。同様に、真理の太陽がその顕現の初期に、全能者の摂理によって与えられた潜在力を突然、完全に明かせば人間の理解という地球は消耗し尽してしまうであろう。何故なら、人間の心はその啓示の強さに耐える事も、その光の輝きを反映する事も出来ないであろうからである。彼等はろうばいし、圧倒されて息絶えるであろう。(38)

お、人々よ!神はわが証人なり!我が寝所に眠っていた時、見よ、神の微風が漂い来て我を眠りより覚ました。神の、生気を与える精神は我をよみ返らせ、わが舌は神の召集を声に出すために解かれた。神にそむいたといって我を非難するな。汝の眼ではなく、我の眼で我を見よ。恩寵深き者、全知者なる神はその様に忠告し給う。お、人々よ、神の究極の意志と目的を我が手中におさめていると思うのか?我は決してその様な主張を唱えはしない。この事を我は全能者、高遠なる者、全知者、全賢者なる神の御前で証言する。神の信教の究極の運命がわが手中にあったとすれば、我は決して一瞬たりとも我自身を汝等に顕わす事に同意しはしなかったし、わが唇より言葉の一つさえも漏れる事を許さなかったであろう。これについてはまことに神御白身が証人であり給う。(41)

古来の美が鎖で縛られることに同意したのは、人類がその束縛から放たれる様にするためであり、この最も強力なとりで内に囚人とされることを甘受したのは全世界が真の自由に達する様にするためであった。地上のあらゆる人々が永続する喜びを得、喜悦で満たされる様にと、彼は悲哀の杯を飲みつくした。これは汝の主なる憐れみ深き者、最も慈悲深き者の慈悲である。お、神の一体性を信ずる者等よ。我は汝等が高められる様にと、卑下される事を受け入れ、汝等が繁栄する様にと、多様の苦悩に耐えた。全世界を再建するために到来した彼が、いかにして、神と提携した者等によって最も荒廃した都市の中に住む事を強いられたかを見よ。(45)

まことにこの若者は、自分自身に眼を向けるたびに、自分は全創造のうちで最も取るに足りないものである事を認めると云う事を知れ。しかし乍ら、自分が授けられた能力により顕わしている輝かしい光彩を熟視する時、見よ、自分自身が自分の眼前で、見えるものと見えざるものすべての精髄にしん透する主権の力に変貌する。真理の威力により御自身の顕示者を下し給い、全人類へのメッサージを彼に委任し給うた神に栄光あれ。(49)

言挙げよ、お、人々よ!汝等白身を神の恩恵や慈悲から差し控えるな。白らをそれより差し控える者は実に痛ましい損失をしている者である。お、人々よ、汝等はちりを崇拝し、汝等の主なる恩寵深き御方、全てに寛人なる御方より顔をそむけるつもりなのか?神を怖れよ。そして滅びる者の仲間になるな。言挙げよ。神の書はこの若者の姿で下された。それ故に、最も卓越した創造者なる神にほまれあれ!お、世の人々よ、彼の顔より逃げ去らない様に十分注意せよ。いや、それ所か、彼の面前に達するために急ぎ、彼に戻る者の仲間であれ。お、人々よ、汝の神に対する義務のし損じと、神の大業に対しての罪が許される様に祈り、愚か者の仲間に入るな。汝等を創造し給うたのは神である。神の大業により汝等の魂を育成し、全能者、最も高遠なるもの、全知者なる神を認めさせ給うたのは神である。神の知識の宝物を汝等の眼にあきらかにし、神の抵抗し難い、諭ばくし得ない、最も高遠なる信教の確信の天国にのぼらせ給うたのは神である。神の恩恵を失ったり、汝等の仕事を無に帰したりしない様に気を付け、この最も明白な、この高貴な、この輝かしい、栄光に満ちた啓示の真理を否認するな。汝等の創造主なる神の大業を公正に判断し、いと高き王座より下された事を見て、潔白な、聖別された心でそれについて冥想せよ。その時、この大業の真理は真昼の栄光に輝やく太陽の様に明白になるであろう。そして、汝等は神を信じる者になるであろう。言挙げよ。彼の真実性を立証する第一、最大の証拠は彼自身である。この証拠の次に来るものは彼の啓示である。この第一の、又は第二の証拠を認めることが出来ない者のために彼は彼の明かした言葉を彼の真実性と真理の証拠として定め給うた。これこそまことに彼の人々に対するやさしき慈悲の証拠である。彼はあらゆる人々の魂に神のしるしを認め得る能力を与え給うた。そうでなければいかにして彼は、彼の証言を人々に証明し得たであろうか?もし汝等が心の中で彼の大業について熟考する者であれば。彼は誰と云えども、決して不正に取扱ったり、誰の魂にもその能力以上の事を課したりはされない。彼はまことに燐き深き御方、すべてに慈斐深き御方である。言挙げよ。盲目の人でさえもそれを知覚し得るほどに神の大業の栄光は非常に偉大である。ましてや、視力が鋭敏で、視野が純粋な者にとってはどれ程そうであろうか。盲目の人は太陽の光を知覚し得ないけれども、その絶える事のない熱を感じ取り得る。しかし乍ら、バヤンの人々の中で、心の盲目な者等はいかに長い間太陽に照らされてもその栄光の輝きを知覚する事にも、その光線の暖みを感知する事にも無力である―このことについては神がわが証人であり給う。言挙げよ。お、バヤンの人々よ!我は汝等が我自身を知り認める様にこの世の中で汝等を選んだ。そして我は、不滅の火焙が種々の語調で「いと力強き者、最も高遠なる者たる我の他に神はない」と叫ぶ地点、即ち楽園の右側に汝等を引き寄せた。汝等の主であるすべてに慈悲深き御方の御意のあけぼのに輝き、その光は小なるもの偉大なるものも共に取巻くこの昼の星を、汝等自身からヴェールの様なもので遮閉しない様に留意せよ。汝等自身の眼でその栄光を知覚することができるように汝等白身の視力を清めよ。また汝等自身以外の視力には頼るな。何故なら、神は誰の魂にもその能力以上の重荷を決して負わせ給う事はないからである。この様に以前の予言者と使者に下され、そしてすべての聖典に記録されて来た。お、人々よ、この広大な無限の空間に入る許しを得る様に努力せよ。その空間に神は始めも終りも定め給わなかった。その中で彼の声があげられ、その上に神聖と栄光の甘美な芳香が漂よった。汝等自身より壮麗なる衣を失わず、汝等の心より汝の主を想起する恩恵を奪われず、汝等の耳より彼の驚くべき、荘厳で、すべてを動かさずにはおかない、明白な、そして最も雄弁な声の甘美なメロディを傾聴する恩恵を失わせるな。(注)バブによる啓示の書。ペルシャ編とアラビア編とがあり、前者の方が大作である。「バブによって制定された法律の宝庫、バブの教えを納めたものの中で最も重要なもの」と言われる。(52)

世は苦しみの中にあり、その動揺は日毎に強まりつつある。その顔は強情と不信心に向っている。その状態は実にあわれなものになり、現在それを暴露することは相応しくないほどである。その強情は長く続くであろう。そして定められた時刻が来れば、突然、人類の四しを震感させる様な事が現れるであろう。それからはじめて神の旗はひるがえり、楽園のうぐいすはそのメロディーをさえずるであろう。(61)

世の中の平衡状態は、この最も偉大な、この新しい世界秩序の震えんばかりの影響力によってくつがえされたのである。人類の整然とした生活は、人間の眼がこれまでに決して見たことのない、このふたつとない素晴らしい制度の力によって大改革されたのである。汝等がその秘密を解き、深い所に隠されている知恵の真珠を残らず発見できるように、わが言葉の大洋に身を沈めよ。神の威力の可能性を示し、神の主権を確立したこの大業の真実を奉じる汝等の決意にぐらつきがないよう注意せよ。喜びに輝やく顔をもって、汝等、神の下に急げ。これこそは過去においても、未来においても、神の永遠にして不変の教えである。求める者には、それが得られんことを。また、それを求めることを拒む者については、誠に神は創造物を必要とすることを全く超越し、白ら満ち足り給う者である。言挙げよ、これこそが神の御手に握られた誤りのない秤である。天上地上のすべてのものはこの秤にかけられ、その運命が決定されるのである。お、汝等この真理を認め、信ずる者ならば。言挙げよ。これにより貧しい者は富み、学識者は啓発され、また探求者は神の御前に上ることができたのである。汝等、これを自分達の間の不和の原因にせぬよう注意せよ。強大にして慈愛深き主の大業の中にあって、不動の山のようにしっかりと定住せよ。(70)

神の予言者と神に選ばれた人々は別として、人は肉体の死後、この世で彼の生涯を特徴ずけた個性、人格、意識及び理解を全くそのまま保持するかどうかと汝は我に質問した。もしそうだとすれば、失神や重病の様な頭脳能力への軽い傷害が人の理解と意識を失わせるのに、どうして肉体の分解とその要素の分離を必然的に含まなければならない死が、理解力を滅ぼし、意識を消滅させる力を持たないのかと汝は述べた。人間の存在と機能に必要な器官そのものが完全に分解する時も、人間の意識と性格が保たれていくと誰が想像し得ようか?人間の魂は、肉体、又は心意のあらゆる虚弱さを越えて高遠なるものであり、独立したものである事を知れ。病人が虚弱の徴候を示すのは魂と肉体間に介在する妨害物によるものである。と云うのは魂そのものはいかなる肉体の病気によっても影響される事はないからである。ランプの光について考えよ。外部にある物体はその光輝を妨げるかも知れないが光そのものは衰えない力で輝き続ける。同様に人間の肉体を苦しめるすべての疾病は、魂がその固有の実力と能力を顕わす事を妨げる障害物である。しかし乍ら、魂が肉体を離れる時には地上のいかなる力も匹敵し得ない程の権勢を表示し、影響力を現わす。各々すべての純粋で洗練され、聖別された魂は途方もない力を付与され、非常な喜びに喜悦するであろう。枡の中に隠されているランプについて考慮せよ。その光は輝いているけれどもそれは人間には隠されている。同様に雲にかくされている太陽について考えよ。実際は、光の源泉は不変であるのにその輝きはなんと減じた様に見えるかを観察せよ。人間の魂は、この太陽に例えられるべきであり、地上の万物はその肉体であると見なされるべきである。外部の障害物がこの両者間に介在しない限り、肉体全部は魂の光を反映し続け、魂の力によって支えられるであろう。しかし乍ら、両者間にヴエールがさしはさまれるやいなや、その光の光輝は減ずる様に見えるのである。

更に、完全に雲のかげに隠されている太陽について考えよ。地球はそれでもなおその光で照らされているが、受け取る光の程度はかなり減じられているのである。太陽は雲が消散させられる迄その栄光を完全に輝かし得ない。雲の存在、不存在はいずれも太陽固有の光輝に影響を及ぼす事は出来ない。人間の魂は太陽であり、肉体はそれによって照らされそれから生命を維持するものを得る。以上の様に考えられるべきである。更に又、果実は実を結ぶ前に、いかに木の中に潜在的に存在しているかを熟考せよ。木が寸断されても果実の徴候もその少片さえも探知し得ない。しかし乍ら、それが現われる時には汝が観察した様に驚くべき美と栄光ある完全さの中に自らを顕わすのである。実際、或る果実は木から切られて後にのみ最高の発展段階に至る。(80)

さて、人間の魂とその死後の生存に関する質問について。魂は肉体より分離後、年代と世紀のめぐりもこの世の変遷と運命も変え得ない状態で神の面前に達する迄進歩し続けると云う事実を知れ。それは神の王国、神の主権、神の統治権と威力が続く限り続くのである。それは神の諸々のしるしと神の諸々の属性を顕わし神の慈愛と恩寵をあらわす。これ程高遠なる地位の崇高さと栄光を適切に述べようとする時、わがペンの動きはとどまる。慈悲の手が魂に付与する栄与はいかなる舌も適当に明かし得ず、いかなる地上の力も述べ得ない程のものである。肉体より分離の時、世の人々の空ろな想像より聖別されている魂は幸いである。その様な魂は創造主の意志に従って生き、行動し、最も高遠なる楽園に入る。最も崇高な館の住民なる天の乙女等はその廻りをまわり、神の予言者等と、神より選ばれた人々はその魂と交友を求めるであろう。その魂は彼等と自由に会話を交わし、あらゆる世界の主なる神の道において耐え忍ばねばならなかった事どもを彼等に物語るであろう。いと高き所の王座と地上の主なる神の諸々の世界において、その様な魂のために定められている事を知らされれば、誰でもその全存在は、一瞬のうちにその最も高遠で聖別された、けんらんたる地位に達したいと云う大いなる熱望で燃え立つであろう・・・。死後の魂の特質は決して叙述され得ず、又人間の眼にその全性質を明かす事も適当でなく、許されてもいない。神の預言者達と使者等は人類を一直線の真理の道に導く目的のためにのみ下されて来た。彼等の啓示の根底にある目的は人々が死に際して最高度

の純粋さと、聖別された状態で、そして完全なる超絶をもって最も高遠なる者の王座にのぼる様にすべての人々を教育する事である。これ等の魂が放射する光は、この世の進歩と人々の発展の原因となるものである。彼等は存在の世界を発酵させる酵母の様なもので、この世の技巧や不思議が顕わされるよう活気づける力となるものである。彼等を通して雲は人々の上に恩寵を降らせ、地球はその果実を結ぶのである。万物は原因、原動力、活気のための源を必要とする。これ等の魂と超絶の象徴は、存在の世界に崇高なる運動の推進力を供給して来たし、又、供給し続けるであろう。この世界が母親の子宮にいる子供の世界と異なる様に、彼方の世界はこの世界と異なるのである。神の面前に達するとき、魂はその不滅性に最も適った、そして天界の住居にふさわしい姿を装う。その様な存在は因果的なものであり、絶対的なものではない。というのは、前者は原因に先行されるものであり、後者は原因から独立したものだからである。絶対的存在は厳密に神―彼の栄光は高遠である―に限られる。この心理を理解する者等は幸いである。心の中で神の預言者等の行為について熟考すれば、汝等は必ず、そして進んで、この世界のほかに世界があらねばならないことを証言するであろう。諸々の時代を通して、真に賢明で学識のあるものらの大部分は、叡智の書簡に栄光のペンで記録されている様に、聖なる神の書が明かしたことの真理を証言して来た。唯物論者さえも彼等の書の中で、これらの神より指定された使者等の叡智を証言し、楽園、地獄の火、未来の報酬と罰についての預言者等による言及は、人々の魂を教育し高揚とする望みに駆られたものであると見なした。それ故に、いかに人類一般は各々の信仰や意見にかかわりなく神の予言者等の卓越性を認め、優越性を容認して来たかを考慮せよ。これ等超脱の宝石は、或る者等によって叡知の権現として喝采され、一方他の者等によっては神自身の代弁者であると信じられた。もしこのような魂が、あらゆる神の世界はこの地上の生命に縮少されると信じたとすれば、いかにして敵に自らをひきわたすことができるであろうか?また、誰もかつて経験したり目撃した事もない程の苦難と責苦を彼等は快く受けたであろうか?(81)

魂の特質について汝等は我に問うた。まことに魂は神のしるしであり、天国の宝石であり、その実体は最も学識ある者等も理解し得ないものであり、その神秘はいかに鋭敏な心意も決して測り知る事を望み得ないものであると云う事を知れ。それは全創造物の中で最初にその創造主の卓越性を宣言し、最初に彼の栄光を認め、彼の真理に愛着し彼の前で賛美をもってひれ伏すものである。もしそれが神に忠実であれば彼の光を反映し、やがて彼に戻るであろう。しかし乍ら、もしその創造主への忠誠を怠れば、自我と情欲の犠牲となり、結局はそれらの深淵に沈むであろう。この日、人々の疑惑と空想によって、永遠の真理なる彼より顔をそむけさせられる事を拒否し、聖職者や世俗の権威ある者等に挑発された騒ぎによって、永遠の真理なる彼のメッセージを認める事を妨げられなかった者、そう云う者はあらゆる人々の主なる神により彼の力強いしるしの一つとして見なされ、彼の書に最も高遠なるペンによってその名を記録される者等のうちに数えられるであろう。その様な魂の真の発達の程度を認め、その地位を確認し、その徳を発見した者は幸いである。昔の書に、魂の多様な発達段階に関して、例えば強欲、短気、霊感・慈悲・満足・神の思召しにかなう事、その他についてかなり書かれて来た。しかし乍ら、最も高遠なるペンはそれについてくわしく書くつもりはない。この日、神と謙虚に歩み、彼に愛着するすべての魂は、あらゆる立派な名と地位の栄与と栄光を授けられる自分を見出すであろう。睡眠中、人の魂は外部の物体によって本質的に影響されるものではない。その本来の状態又は特性に於いてはいかなる変化も受ける事はない。その機能に於ける変化はすべて外部的原因に帰せられる。その環境、理解カ、感知に於ける変化はすべてこの外部的影響に帰せられるべきである。人間の眼について考慮せよ。それは全創造物を感知する能力があるけれども、わずかの障害は事物を識別する力を失わせる程にその視力を妨げるであろう。これ等の原因を創造し、これ等の原因の原因であり、この存在の世界に於けるあらゆる変化と変動はその原因に依ると定め給うた神の名に讃美あれ。全宇宙に於ける創造されたもののすべては、彼の知識へ導く戸、彼の主権のしるし、彼の諸々の名の啓示、彼の威厳の象徴、彼の威力のしるし、彼の真っすぐな道へ入る手段に過ぎない…。まことに我は告ぐ。人間の魂は本質的には神のしるしの一つであり、神の神秘のうちの神秘である。それは全能者の力強いしるしの一つであり、神のあらゆる世界の実在性を宣言する先駆者である。その中に、世界が現在全く理解し得ないものが秘められているのである。神の法律のすべてに遍在する神の魂の啓示について汝の心の中で熟考せよ。そして、神に反抗して、諸々の名の主に向う事を人々に禁じ、欲望と邪悪に従って歩む様に人々に強いた、かの賎しく、どん欲な性格とそれとを対照せよ。その様な魂は誠に、誤謬の道に遠くさ迷っているのである……。更に汝は、魂が肉体より分離した後の状態に関して我に質問した。

もし人の魂が神の道を歩んだならば、必ず最愛なる者の栄光に戻り、引き寄せられるであろう事実を知れ。神の正義にかけて誓う!その魂はいかなるペンが叙述する事、もいかなる舌が述べる事も出来ない程の地位に達するであろう。神の大業に忠実であり続け、彼の道にゆるがずに確固としていた魂は、昇天後、全能者が創造し給うたあらゆる世界に利益を与え得る程の力を所有する。その様な魂は、理想の王と聖なる教育者の命令により、存在の世界を発酵させる純粋な酵母を供給し、この世の技巧や驚異を顕わさせる力を供給する。粉が発酵するにはいかに酵母を必要とするかを考慮せよ。超脱の象徴である魂は世界の酵母である。これについて冥想せよ。そして感謝する者であれ。数通の書簡の中で我はこのテーマに言及し、魂の様々な成長段階について説明した。誠に我は告ぐ。人間の魂はあらゆる出現と退却を越えて高められたものである。それは静止してい乍らも飛翔する。それは動いてい乍らも静止するそれは本質的に始めも終りも持たない世界の実在性、並びに偶発的な世界の存在を証言する証拠である。いかに、夢の中で見た事が多年の後、汝の眼前で再演されるかを見よ。汝の夢の中で現われる世界の神秘がどれ程不可思議なものであるかを熟考せよ。汝の心の中で、測リがたい神の叡知を熟考し、その多種多様に亘る啓示について冥想せよ。神の工作の驚くべき証跡を目撃し、その範囲と特性について熟考せよ。予言者等の封印なる彼は述べた。「お、神よ、あなたへの我が驚嘆と驚異を増し給え!」と。物質界は限界を免がれないかどうかと云う汝の質問に関して。この事についての理解は観察者自身に依存する事を知れ。或る意味ではそれは限られたものであり、他の意味ではあらゆる限界を越えて高遠なるものである。唯一真実の神は永遠に存在してこられたし、将来も永遠に存在し続け給うであろう。同様に神の創造は始まりを持たなかったし、又終りも持たないであろう。しかし乍ら、創造されたものはすべて原因に先行される。この事実自体、少しも疑う余地なく創造主の一体性を確証するものである。汝は更に、天球の特質に関して我に質問した。その特質を理解するには昔の諸々の聖典の中で述べられた天球と天空についての言及の意味を調べ、この物質界との関係の性格と、物質界に及ぼしている影響を発見することが必要である。あらゆる心は、それ程途方もない主題に驚異で満たされ、あらゆる知性は、その神秘性で当惑させられる。ただ神のみがその意義を測り知る事が出来給うのである。この地球の生命は数千年であると定めた神学者等は、長年に亘る観察にもかかわらず、他の惑星の数、又は年を考える事に失敗した。なお、この人々が提出した理論から生じた多種多様に亘る相違について考慮せよ。あらゆる恒星は惑星を持ち、あらゆる惑星はそれ自体の創造物を持ち、そしてその数は誰も計算し得ない事を知れ。お、我が顔に眼を向けた汝よ!この日、栄光のあけぼのはその光輝を顕し、最も高遠なる声は呼びかけている。我は以前、次の様な言葉を口にした。「この日は誰もその主を疑う日ではない。栄光のあけぼのなる彼が声に出した神の呼び声に耳を傾けた者等はすべて起ち上り、次の如く呼ぶべきである―お、あらゆる名の主よ。我ここにあり、我ここにあり。お、天の創造者よ!我ここにあり、我ここにあり、汝の啓示により神の書に秘められて来たものは明かされ、汝の使者によって聖典に記録された事はすべて実現された、と証言いたします、と。」

(往)モハメッドのこと。モハメッドは「神の日」の出現以前の宗教制の周期の最後の預言者に当る。

(82)

唯一真実の神を全創造物より別の、そして限りなく高められた存在として考えよ。全宇宙は彼の栄光を反映しているが、一方彼自身は彼の創造物より独立し、超絶した存在であり給う。これが神の一体性の真の意味である。永遠の真理なる神は、存在の世界に争う者のない主権を行使する威力であり、その像はあらゆる創造物という鏡に反映する。あらゆる存在は神に依存し、そして神より万物の生命を維持するための源泉が得られるのである。これが神の一体性の意味であり、これがその根本的な原則である。或る者等は、自らの空虚な幻影に迷わされて、全創造物は神の仲間、同僚であると考え、自らを神の一体性の解釈者であると想像した。唯一真実の神なる彼にかけて誓う!その様な人間は盲目的模倣の犠牲者であったし、そうあり続けるであろう。そしてそのようなものは、神の概念を制限し、限定した者等のうちに数えられるのである。神の一体性を真に信ずる者は二元性と単一性を混同しないだけでなく、自分のもつ神の単一性の概念を曇らせるような多様性の観念をしりぞけ、聖なる存在者をその特性により数の限界を越えるものとみなすのである。神の一体性の信仰の真髄は、神の顕示者である彼と、眼に見えない、近づき難い、不可知の精髄である神を、一つであり、同じであると見なす事より成り立つ。ということは、前者に関するものは何であれ、即ち、彼の行動と行為のすべてと、また彼が定め、禁ずるもののすべては、あらゆる様相とあらゆる状況の下で、そして何らの制限なく神自身の意志と同一視されるべきであると云う意味である。これは神の一体性を真に信ずる者が到達する事を望み得る最も高遠な地位である。この地位に達し、自らの信仰に確固としている者は幸いである。(84)

天上にあろうが、地上にあろうが、万物はみなその中に示されている神の属性や御名の直接の表れである。例えば、原子一つ一つの中には、あの最大の光の啓示を雄弁に立証する数々の御光が秘められている。思うに、あの啓示の偉大なる力がなかったなら、総ての存在はあり得なかったのであろう。一つの原子の中に輝く知識の発光体は、何と輝かしく、一滴の雫に波打つ英知の大洋は何と広々としていることであろう。総ての創造物の間にあって、人類はこのような天賦の衣を与えられ、このように素晴しい栄光が得られるよう選び抜かれているのであるから、この原理の真実性は、人類に至って最高に実証されているのである。というのは、人類には他のどんな創造物も抜きんでることも、凌ぐこともできないほどの神の属性や御名が潜在的に示されているからである。これらの御名や属性は総て、人類が享受できるものである。まさしく、波はこう述べられている、「人は我が神秘であり、我は人の神秘である」と。この最も微妙で高遠な主題を表現する聖句は、総ての天来の書や聖典の中で数多く繰返し述べられている。まさしくこう述べられている、「我は、あのものどもに、我の徴を見せてやろうぞ、世の中にも、彼ら自身の中にも」と。またこうも述べられている、「それからお前達自身の中にも。お前達、神の御徴が見えないのか」と。さらにまたこう述べ給う、「神を忘れ、そのため神により自らを忘れるようにされた者らのようにはなるな」と。この点に関して永遠の王にまします彼―願わくば神秘な礼拝堂の中に住む総てのものの魂が彼への犠牲とならんことを―はこう述べておられる、「已を知ったものは、神を知った者である」と。前述のことから、万物は、その奥底の本質の中で神の御名や属性の啓示を立証していることが明白となる。各人は、それぞれの能力に応じて、神の知識を示したり表したりする。この啓示は非常に力強く、普遍であるから、眼に見えるもの、見えないもの総てをおおい包んでいる。彼は次のように述べておられる、「神を出現させることができ、神でさえ所有されない啓示の威力を持つものが、神を置いて他にあろうか。神を認めないような眼は盲である」と。同様に、永遠の王はこう言われた、「我は何を見ようとも常に、その内部に、またその前後に神を見た」と。またコメイルの伝承の中にこう書かれている、「見よ、永遠の朝から、一条の光がさした。そして見よ!その光の波は、総ての人々の奥底の本質を貫いた」と。総ての創造物の中で最も貴品高く、最も完全である人類は、この啓示の強さにおいて万物に卓越しており、その栄光をよリ完全に表現している。そして総ての人間の内で最も完成され、最も秀でて、最も卓越したものは、真理の太陽を顕示する者達である。それどころか、これらの顕示者達以外の総ての人々は、顕示者の意志の作用によって生き、そのあふれるような恩寵をうけて存在し、活動するのである。(90)

さて、二つの神の存在に関する汝の言及について。主なる汝の神に共同者が在るなどと思わぬよう留意せよ。留意せよ。神は現在も過去も久遠より唯一であり、単独であり、比肩者も同等者もなく、過去に於て永遠であり、未来に於て永遠であり、万物より超脱し、常に永続し不変であり、御自力にて存在し給う御方であり給う。彼の王国に於て神は仲間も相談役も指定する事なく、御自分と比較する者も御自分の栄光と対抗する者もない。宇宙のあらゆる原子、その他、いと高き王国の住民、即ち最も高遠な座を占め、栄光の王座の前にその名が記憶されている者等はこの事を証言する。神御自身が自身のために宣告し給うたこの証言、即ち彼の他に神はなく、彼以外のものはすべて彼の命令に依って創造され、彼の許可により形造られ、彼の法により支配を受け、彼の単一性の栄光ある証拠に較べると忘れられたものであり、彼の一体性の力強い啓示と直面させれば無と同様のものであると云う事を、汝の最奥の心の中で証言せよ。彼は事実、永遠にその精髄に於て一つであり、その属性に於て一つであり、その業に於て一つであり給う。ありとあらゆる比較は彼の創造物にのみ適応され、すべての関係についての概念は彼に奉仕する者等にのみ属する概念である。神の精髄はその創造物の叙述を越えて無限に高遠である。神のみが超然的威厳、崇高で近付き難い栄光の座を占め給う。人々の心の小鳥は、いかに高く飛翔したとしても、神の不可知の精髄の高みに達する事は決して望み得ないのである。創造全体を存在に呼び起したのは神であり、神は御自分の命令であらゆる創造物を生じさせ給うた。それでは、神のペンが明かし、神の御意志が指図した言葉に依って生まれたものは、神の仲間、又は神白身の顕現であると見なされるであろうか?神の栄光は、人間のペンや者がその神秘について暗示したり、人間の心が神の精髄について想像したりするものからはるかにへだたった存在である。神以外のすべては神の御扉の前に貧相でわびしく立ち、神の威力の偉大さの前ではすべては無力であり、神の王国に於てはすべては奴隷にしか過ぎないのである。神はあらゆる創造物なしで済むほど富裕であり給う。崇拝者と崇拝される者、創造物と創造者の間にうち立てられた隷属のきずなは、それ自体、神の人々に対する慈悲深い恩恵の証跡として考えられるべきであり、人間の持つ価値を示すものとして考えられるべきものではない。明敏で、真の信者はすべて、この事を証言する。(94)

あらゆる人々の主なる汝の主が、その書に定め給うた事に従って人類に与れられた恩恵はその範囲に限りがなかったし、未来も又そうあり続けるであろうと云う事を知れ。全能者が人間に付与し給うた恩恵のうちでまず第一に重要なものは理解力と云う贈物である。神がこの贈物を与え給うた目的は、創造物をして唯一真実の神-その栄光は高遠である―を知り、認めることを可能にするための他の何ものでもない。この贈物は、万物の中に真理を識別する力を人間に与え、正しい事に人間を導き、創造物の秘密の発見を助ける。二番目は視力であり、理解力が機能し得るための主な手段である。聴覚や心臓の感覚その他は同様に人間の身体に付与されている贈物のうちに数えられるべきである。これ等の能力を創造して人間の身体内に顕わされた全能者は、無限に高速であり給う。

これ等の贈物のすべて各々は、唯一真実の神一その栄光は高遠である―の威厳、威力、主権、そしてあらゆるものを包含する知識の疑いない証拠である。触覚について考慮せよ。いかにその力が人体の全体に亘って拡がっているかを目撃せよ。視力と聴力の機能は、それぞれ特定の局部に限られているが、触覚は人体全部に亘る。神の威力に栄光あれ、神の主権に賛美あれ!これ等の贈物は人間の中に固有のものである。あらゆる他の贈物より卓越し、不朽の特性をもち、神自身に属するものは、神の啓示という贈物である。創造主によって人間に与えられている恩寵はすべて、物質的なものであれ精神的なものであれ、それはすべて、神の啓示という贈物に対する補助的な働きをするものにすぎない。この贈物はその本質において天より下されて来るパンであり、将来もそうあり続けるであろう。それは神の崇高なる証言であり、その真理の最も明白な証拠であり、神の無上の恩寵のしるしであり、その全包含的な慈悲の証拠であり、その最も慈愛に満ちた神意の証明であり、神の最も完全な恩恵の象徴である。この日、神の顕示者を認めた者は、実にこの最高の神の贈物の分け前にあずかった者である。それ程に偉大な恩寵を汝に与えた汝の主に感謝を捧げよ。汝の声をあげ、告げよ、「あなたに全栄光あれ、おお、あらゆる理解力ある心にとっての望みよ!」(95)

最も高遠なるペンは絶え間なく呼び続ける。しかもその声に耳を傾ける者は何と少数であろうか!この世の識別力ある眼と聞く耳を持つ者にとっては、その色彩がいかにはかないものであるかが容易に認められるものだと云う事を諸々の名の王国の住民等は忘れて、派手な装いに気をとられてしまった。現代、新しい生命は地上のあらゆる国民の中に目覚めつつある。しかも誰もその原因を発見し、その動機を感知した者はいない。西洋の人々について考慮せよ。彼等が、空ろ細些な事を追究し、それを確立させ促進させることに数え切れない程の生命を犠牲にして来、又現在もそうしているということを感知せよ。一方、ペルシャの人々は明白で輝やかしい啓示の容器であり、その啓示の高遠さと名声の栄光は全地球を取り巻いたにも抱わらず、意気消沈し、深い無気力に沈んでいるのである。おお、友等よ!汝等に付与されている徳に不注意であったり、汝等の高遠なる運命をなおざリにしたりしてはならない。誰かの心が案出したうつろな想像のために汝等の努力を浪費するな。汝等は理解の天の星であり、夜明けにそよぐ微風であり、あらゆる人々の生命そのものが依存しなければならない静かな流水であり、彼の聖なる巻き物に書き込まれた文字である。最高の和合と完全な友情の精神で、この神の日にふさわしい事を完遂し得る様に努力せよ。誠に我は告ぐ、紛争や不和やその他、人間の心が忌み嫌うものは何であれ、人間の地位に決してふさわしいものではない。汝等のエネルギーを神の信教の普及に集中せよ。それ程に高遠な神のお召しに価値のある者は立ち上がり、それを促進させよ。それが出来ない者は自分の代りに、この啓示―その力は最も強力な構造物をも震わせ、あらゆる山々をちりと粉砕し、あらゆる魂を唖然とさせた啓示-を宣布する者を任命する義務がある。この日の偉大さが十分に明かされれば、あらゆる人々はたとえ一瞬間であろうともその偉大な栄光の分け前にあずかろうとする熱望の故に、この世とその滅ぶべき宝物はおろか、何千回でも生命を捨てるであろう。汝等のあらゆる行為を叡智によって導かせよ。また、その叡智に粘り強く執着せよ。汝等のすべてが神の意志を成就するために強められ、神に愛される者等の中で神に奉仕し、神の御名を賛美するために立ち上った者に付与される地位を正しく評価し得る様に慈悲深く援助されるよう、神に懇願する。神の栄光と、天と地に在るすべての栄光そして最も高遠な楽園である天国の中の天国の住民の栄光はこの地位を得られた者らに向けられる。(96)

pp. 76-77

神は真理を語る御自分の舌を通して、次の様な言葉をそのあらゆる書簡の中で証言し給うた。「我は栄光のアブハの王国に住む者である、」と。神の正義にかけて誓う!神はこの嵩高で、この神聖にして力強い、そして超絶した地位の高みよりあらゆる事を見、あらゆる事を聞き、今この時、宣言し給いつ、ある―お・ジャバッドよ、汝に祝福あれ、汝は前時代の者が誰も達した事のなかったものに達したからである。永遠の真理なる彼にかけて誓う!汝により高遠なる楽園の住民の眼は喜ばされた。しかし乍ら、人々は全く無思慮である。汝の地位を明かせば人々の心はひどく動揺し、足はすべり、虚栄心を権現する者等は唖然となり、地面に倒れ、聞く事を怖れて無思慮の指を耳に押しつけるであろう。この世の事物に気をとられ、最も偉大なる者である神を想起することを忘れた者等について嘆くな。永遠の真理なる彼にかけて誓う!全能者の激怒が彼等を捕える日が近付きつつある。神はまことに全能者、あらゆるものを征服する者、最も力強き者であり給う。神は彼らの堕落の汚れから地上を清め、神に近いその下僕等にその地上を遺産として与え給うであろう。言挙げよ、お、人々よ!聖なるヨセフを最もつまらない交換物と取り変えたことにより、ちりが汝等の口を満たし、灰が汝等の眼を盲目にせんことを。おお、遠くに迷った汝等よ!汝等の上に宿るのは何というみじめさよ。汝らは神と彼の大業にすぐる力を自分が所有するとでも心の中で想像したのか?途方もないことよ。この事については最も力強き者、最も高遠なる者、最も偉大なる者なる神御自身が証言し給う。やがて神の懲罰の疾風が汝等を襲い、地獄のちりが汝等を完全に蔽うであろう。地上の虚栄と虚飾を蓄積し、侮蔑をもって神に背を向けた者等は、この世も来世も逸した者等である。間もなく神は威力の御手で彼等の所有物をはぎ取り、神の恩寵の衣を剥奪し給うであろう。この事を彼等白身がやがて目撃し、汝等も証言するであろう。

pp. 78-79

言挙げよ。お・人々よ、この世とその虚偽によって欺かれるな。何故ならこの世とその中のあらゆるものは神の意志にしっかつと把握されているからである。神は彼の望む者に恩恵を与え、彼の望む者からそれを剥奪し給う。神は望む事は何であれ偽し給う。もしこの世が神の眼から見て価値あるものであれば、神は決して御自分の敵に一粒のからしの種程もそれを所有させ給わなかったであろう。しかし乍ら、神は汝等の手が彼の大業にもたらした仕業の代償として、この世の事柄に汝等を巻き込み給うたのである。実にこれは、汝等が白らの意志により、自らにこうむらせた懲罰である。もし汝がその事を感知し得れば。神の判断によればいやしむべき、そして価値のない事物、すなわち神が疑惑者の心を試された事物を汝等は楽しんでいるのか? (注)一、「バハ」は栄光という意味で「アブハ」は「バハ」の最上級。共にバハオラとその王国をさす称号。二、ハジ・セイエド・ジャバッド。初期の頃のバビ教徒の一人。バブ、バハオラは共に彼のことをたたえている。彼はバハオラにはバグダッドで会った。(103)

p.79

おお汝等世界の人々よ!まことに不慮の災難が汝を追い、悲しき報いが汝を待伏せしていることを知れ。汝の行なえる行動が、わが眼より消されていると思うな。わが美にかけて誓う!汝等のなせること総てをわがペンはかんらん石の書に、明らかなる文字もて刻みしことを。(104)

pp. 80-81

汝等の主、慈悲深き御方なる神は全人類を一つの魂、一つの身体として見る望みを心の中に抱き給う。創造された他のあらゆる日の光輝を卓越するこの日に於いて、神の完全なる恩恵と慈悲の分け前を勝ち取るように急げ。神のものを得る望みを持って、自らの持つすべてを捨てる者を待っている至福は何と多大なものであろうか!そう云う者は神より祝福された者等のうちに数えられるということを我は証言する。(107)

おお、カマールよ、死ぬ運命にある人間が今日において神の最大の恩寵をもって到達できる極みは、人類の目に末だ明らかにされていない。存在の世界は、過去においてもまた現在においても、そのような啓示を受ける能力を所有しなかった。しかし神の命令により、これ程大きな恩寵の可能性が人間に現わされる日が近付いている。諸国の軍勢が彼に向って配列されても、世界中の王建が彼の大業をくつがえすために同盟を結んでも、彼の力の威力は動揺しないで存続するであろう。まことに彼は真理を語り、比類なく、全知の御方である神の道へと全人類を召喚する。全ての人は、常に進歩する文明を前進させるために創造された。全能なる御方がわが証人である。野獣のように行動することは人間に相応しくない。人間の尊厳に適する美徳は、地上の全ての民族、種族に対する寛容、慈悲、憐れみ、慈愛である。言挙げよ、お・友らよ、諸々の名の圭である神のこうごうしい恩寵によって流れるこの澄みわたった流れから充分に飲め。わが名において、他の人々にもその水を飲まさしめよ。そうすれば、全ての国の人類の指導者たちが、永遠の真理の啓示の目的と、自分が創造された理由とを完全に認めるようになるであろう。(109)

(注)

ハジ・ミルザ・カマール。博学で有名なバビ教徒。バハオラの宣言の前にバグダッドでバハオラに会い、既にその地位を認識していた。カマールはすべての人々に新しい知らせを伝えたいと願った。そしてペルシャヘ送られた。

p.83

偉大なる御方は宣べられた。おお、人の子らよ。神の教えとその宗教の根本の目的は、人類の利益を守り、その統合を促進し、人文の間に愛と友情の精神を養うことにある。それを、仲たがいと不和、憎しみと敵意の源にさせるな。これは真の道で、確固たる不動の基礎である。この基礎の上に建てられるものは何であれ、世の中の変転や不意の出来ごとなどによってその力を損なわれることはけっしてない。また、何世紀も何世紀もの間の変転もその構造をくつがえすことはないであろう。我の希望は、世界の各宗教の指導者達や支配者達が、現代の改革とその繁栄の復興のために、一致して立ち上がることである。世界の窮乏をとくと考えておたがいに話し合い、これを案じて充分な討議を行ない、病んで、ひどく傷めつけられている世界が必要とする治療薬を施すがよい。すべてのことに対して中庸を持って対処することは、権戚を持っている者達の義務である。中庸という限度を越すものは何であれ、有効な効果がなくなるであろう。たとえば、自由・文明というようなものを考えてみよ。分別ある者がそれらをどんなにすばらしいものとして考えようとも、度を過ぎれば、かえって人々に有害な影響を及ばすであろう。願わくば、支配者や賢い学問のある人々の尽力の結果として、世の人々が自らの最高の利益を認識できるよう導かれんことを。いつまで人類は片意地を張るのであろうか。いつまで不正が続くのであろうか。いつまで混乱と動揺が人々の間にのさばるのであろうか。いつまで不和か社会を験がせるのであろうか、失望の風があらゆる方角から吹いて来て、人類を対立させ、苦しめる闘争が日々増加している。現在、一般に行きわたっている秩序は痛ましいほど不備であるため、動揺と混乱が差し迫っておりその徴候が今やはっきり見受けられる。神が、地上の人々を慈悲深くめざめさせ彼らの行いの結果が有益であり、彼らの地位にふさわしい行いが果せるよう彼らを肋け給うよう、我は神に愁頗する。神の栄光がほめ称えられんことを。(110)

おお、地上で争っている民族や種族の人々よ。汝等の敵を和合の方に向け、その光の輝きを、自分達の上に照りはえさせよ。ともに集い、たとえ自分達の間の論争の源は何であろうと、神のためにそれを根絶するよう決心せよ。さすれば、世界の偉大な輝かしいものの光輝が全地球を包み、そこに住む者は、全て一つの町の住民となり、ただ一つの王座の居住者となるであろう。このしいたげられし者は、その生涯の初めからこのこと以外の望みは何も抱かなかった。そして、これ以外の望みは今後もずっと抱かないであろう。人種や宗教が何であろうとも、世界の人々は、一つの天の源から霊感を受けた一つの神の民である、ということに何らの疑いもない。彼らの守っている掟の間の相違は、それが啓示された時代の種々の要求や緊急度によって起こるのである。人間の我欲の結果から起こるいくつかの例外を除けば、それらは全て神の定め給うたものであり、神の意志と目的の反映である。奮起して、信仰の力で身をかため、汝等の空想の神々、汝等の間に不和をまき散らすものを粉砕せよ。そして汝等を結合させ和合させるものにすがれ。このことは、まことに、母なる書が、汝等に天から啓示された最も崇高な言葉である。栄光ある神の住居から来る荘厳な舌がこれを証言している。(111)

(注)神の啓示の原本、つまり宗教の源。

幾年も長い間、地上を苦しめて来た動揺と人民を捕えて来た攪乱を見よ。地上は戦争で荒らされたり、突然起った不慮の災難によって苦しめられて来た。世は不幸と窮迫に取巻かれたにも拘わらず、誰もその原因、源が何であるかを熟考するために止まる者はいなかった。真の勧告者が忠告の言葉を口にした時は何時でも、見よ、彼等はすべて彼を害毒の扇動者として非難し、彼の主張を拒否したのである。彼らのその様な態度は何と途方もなく、訳のわからないことよ。外面的にも内面的にも一致している二人の人間を見出す事は出来ない。すべては一致と調和のために創造されたにも拘わらず、不和と悪意の証拠はあらゆる所に明らかである。偉大なる存在者は云い給う―お、最愛の者等よ!和合の幕屋は建てられた。お互いに他人視してはならない。汝等は一本の木の果実であり、一本の枝の葉である。正義の光がこの世を照らし、この世を圧制より聖別することを我は念願す。神--彼の栄光は高遠である――の威力の象徴である地上の支配者等と国王等が起き上り、全人類の最大の利益を促進することに献身する決心をすれば、正義の君臨が人の子等の間で確実に確立され、その光のさんぜんたる輝きが全地球を取巻くであろう。偉大なる存在者は云い給う1世界の安定と%E