レズワンの庭園

「アッカのモフティ(イスラムの高僧)、シェイク アリイ ミリはアブドル・バハの提言でバハオラのもとに(おもむ)き、9年間にわたる牢獄都市の塀内への幽閉を終結させるよう、バハオラに熱心に懇願した。バハオラは遂に懇願を受け入れ、塀の外に出られた。町の東方にある川の中州にあるナマインの庭は、レズワンという呼称を授かり、バハオラにより『新しいエルサレム』、『新緑におおわれたわが小島』と呼ばれた。この庭園はアッカの北2、3マイルに位置し、アブドル・バハがバハオラのためにアブドラ・パシャの邸宅と一緒に賃借され、準備された。町を囲む塀の外へは10年近く一歩も出られることがなく、唯一の運動と言えば、ご自分の寝室の中をゆっくりと歩くことだけであったバハオラにとって、この庭園は、お気に入りの憩いの場となった。」28(ショーギ・エフェンディ)

 

アッカの南東、市壁から1キロのところを流れる川の中州。アブドル・バハは1875年にバハオラのためにこの土地を借り庭園を造った。バハオラはこの庭園をレズワンの庭園と命名された。バハオラはここを何度も訪問されている。小さな中州には草が生い茂り、季節の花が咲き、噴水がある。また、小さな小屋も建てられている。バハオラはここを訪問すると、ベンチに腰をおろして、小屋で休息してくつろがれたという。

 

   

 

「彼こそは神におわします。彼に賛美あれ。崇高と権威は彼のものなり。

「あの祝福された金曜の朝、我々は邸宅を出て庭園へ行った。すべての木は語り、あらゆる葉は歌い、木々は『神のご慈悲の証拠を見よ』と宣言した。対を成す小川は、『万物は我らから生命を与えられた』という聖句を雄弁に唱えた。神に賛美あれ! 神秘は彼らによって語られ、それは驚嘆を引き起こした。我は考えた−彼らはどの学校で教育され、誰のもとで学びを得たのであろうか?実に!虐げられし御方は知り、述べる−『全てを包み給い、ご自力にて存在し給う神からである』、と。

「我々が着席すると、ラディイ −彼女の上にわが栄光あらんことを がそなたの代理で出て来た。彼女は神の恵みの食卓を用意し、そなたの名で皆をもてなした。実際、食欲をそそり、目を楽しませる物はすべて供えられ、実に、木の葉が神のご意志で揺り動かされるように耳を楽しませるものも聞かれた。そしてこの動きから、この宴にいなかった者を招く喜びに満ちた呼びかけをあたかも発するかのような爽やかな声が上がった。神の威力とその創造の完璧さは、咲き誇る花々や果実、木々、葉や流れの中に楽しくも見ることができた。このように、そなたと彼女に確証を与え給うた神を称えよ。

「要するに、庭園にあるすべてのものは選り抜きの恩恵の受領者であり、自分たちの主に感謝を捧げるものである。ああ、神に愛されるすべての者らが、この日に参列できたならば!

「我は、崇高におわす神に懇願する。御前より、常にそなたの上に祝福とご慈悲と聖なる恩寵とを下し給うように。神は許し給う御方、すべてに栄光ある御方におわします。

「我は彼の愛し給う者らに挨拶の言葉を送り、彼らの一人一人が言及され、彼の御前で受け入れられるに相応しい者となるよう嘆願する。そなたと神の誠実な僕らの上に平穏あれ。全人類の主に誉れあれ。」29 (バハオラ)

 

マズラエの家

「バハオラは田舎の美しさと新緑を愛された。ある日、彼は次のようにおっしゃった−『我は9年間、青葉の生い茂った景色を見ていない。田舎は魂の世界であり、町は肉体の世界である。』これを人づてに聞いたとき、私はバハオラが田舎を愛されていることを知った。そして、私がバハオラの願いを実行するためならば、すべてのことが成功するであろうと確信した。その頃、アッカには、私たちを強く否定していたモハメッド・パシャ・サフワトという男性がいた。彼は町から北へ4マイルのところに、庭と小川に囲まれた美しい場所であるマズラエという邸宅を所有していた。私はその家を、年間約5ポンドという低価格で借り、彼に五年分の賃料を支払い、契約を交わした。そして、その邸宅を修理し、庭を整え、浴室を作るため、労働者を派遣した。そしてまた、『祝福された美』のために馬車を用意した。」30(アブドルバハ)

 

「友らに知らす。50年以上経過後、カスル・マズラエのカギがイスラエル当局より渡される。牢獄都市アッカを去った後バハオラが住まわれた歴史的な住居が修復。じきに巡礼者のために扉開かれん」。31 (ショーギエフェンディ)

 

19733月、万国正義院はさらなる朗報を電報で送った−「バハイ紀元130年ノウ・ルーズ、バハイ世界にマズラエの邸宅購入の吉報知らす」。31 マズラエの家は、アブドル・パシャの子孫から購入され、聖地のバハイの財産への貴重な追加となった。そして、19809月、邸宅の北東側にある土地が庭園拡大のために新たに購入された。万国正義院の電報には次のように記されている−「急速に開発される地域にてマズラエの邸宅を守るため、邸宅の北側に隣接する、5万平方メートルの農地を新たに購入。」33

 

マズラエの邸宅はアッカの北7キロの田園地帯にある。バハオラは1876年アブードの家からこの家に移りここで2年過ごされた。この家に関してアブドル・バハは次のように言われている(「バハオラと新時代」より):「バハオラは田舎の青々とした緑を愛された。ある日バハオラは言われた−『予は9年間草木の繁った景色を見なかった。田舎は魂の世界であり、都市は肉体の世界である。』」アブドル・バハは間接にこの話を聞いた時、バハオラは田舎を愛しておられるのだと思った。アッカにモハメッド・パシャと言う者がいて、彼はマズラエと呼ばれる邸宅を持っていた。この邸宅は花園に囲まれ、近くに小川もあり非常に好ましい場所であった。その上、邸宅の持ち主はこの家を空き家のままにしていた。アブドル・バハは邸宅の持ち主にその家を貸してもらいたいと頼んだ。低廉な家賃で5年分を前払いして契約した。その後、この家にはいろいろな人が住んだが、その内、この家がイスラエル政府の建物となり、政府の役人の保養所にする話を聞いた守護者ショーギ・エフェンディは時の総理大臣ベングリオンに直々面会し、バハイにとってこの家がかけがえのない大切なものであると説明し、バハイが賃貸契約を結ぶことが出来た。守護者はこのことを1950年に世界のバハイに報告している。