カルメル山

イスラエルの北西部、地中海に面したハイファ市内にある小高い山。この山はその昔から「主の山」として知られている。この山は、ユダヤ教及びキリスト教にとっても神聖な山で、バハイ教にとっても神聖な山。ここはバハイ教の精神的及び行政的中心地。バハオラはカルメル山の書簡にやがて神は神の箱船を汝の上に漕ぎ出すであろう、そして、名称の書に述べられたバハの人々に明らかにするであろう…”と述べている。守護者はこの文を解釈して、神の箱舟とは神の掟のことで、箱舟を汝の上に漕ぎ出すと言う意味は万国正義院の設立を意味するとのべている。このカルメル山の中腹の斜面にバハイ世界本部である万国正義院、国際史料館、国際布教センター、聖典研究センターと、神の顕示者バブの霊廟とその霊廟をはさんで上段と下段合わせて1キロメートルにおよぶテラス式庭園、アブドル・バハの霊廟などが建てられている。カルメル山の麓にはアブドル・バハの家、旧西洋人巡礼館、ルヒヤ・カヌームの墓所などがあり名実共に世界本部である。特に、金色のドームをもつバブの霊廟と上下1キロメートルに及ぶテラス式庭園はバスや乗用車で市内に入る前から直ぐに目に入ってくる光景で知られている。カルメル山の頂上近くにはバハイの礼拝堂用地があり、今は、その場所を示すモニュメント(石塔)が建てられているが、やがては、そこに礼拝堂が建てられる予定である。海岸の大通りに近いところには、バハイ墓地がありハイファで亡くなられた人たちの墓所がある。日本人の藤田さんの墓もある。

ローへ・カルメル(カルメルの書簡)

   この日に賛美あれ。この日こそは、慈悲の芳香が全創物の上を漂った日であり、過ぎ去ったいかなる時代も及ぶことのできない日、そして日の老いたる御方の御 顔が彼の聖なる座へ向けられた日である。ここに全創造物の、そしてその彼方からは天上の群集の高らかに叫ぶ声が聞かれた。「急げ、おおカルメルよ。見よ、 名の王国の統治者にして天の造物主なる神の御顔の光は汝の上に投げかけられた故に。」

  歓喜に我を忘れ、カルメルは声高らかに叫んだ。「私の命があなたへの犠牲とならんことを。なぜなら、あなたは私を見つめ、あなたの恩恵を授け給い、あなた の歩みを私の方へ向け給うたが故に。おお、永遠の生命の源なる御方よ、あなたからの隔離で私はもはや焼き尽くされ、あなたのおそばから遠く離れることによ り私の魂は焼き尽くされてしまいました。あなたに賛美あれ。なんとなれば、あなたの呼び声に私の耳を傾けさせ、あなたの足音で私に栄誉を授け、あなたの日 から漂う生命を与える芳香と、あなたの民の間であなたのラッパの音と定め給うたあなたのペンのかん高い声により、私の魂を活気づけ給いました故に。そし て、あなたの抵抗できない信教の啓示の時がやって来ると、あなたはあなたの精神の息吹をそのペンに吹き込まれました。すると、見よ、全創造はまさにその基 盤より揺り動かされ、全創造物の所有者なる御方の宝庫に隠されていた神秘は人類に明かされたのです」。

  カルメルの声がその最も崇高なる場所へ届くやいなや、我はこう応えた。「汝の主に感謝せよ、おおカルメルよ。わが存在の海が汝の面前でうねり、汝の眼と全 創造の眼を慰め、全ての見えるものと見えないものを喜びで満たした時、我よりの隔離の炎は汝を焼き尽くしつつあった。この日、神は汝の上に神の玉座を確立 し、汝を神の印の黎明の場となし、神の啓示の証拠の曙となし給うた。それ故、大いに喜べ。汝の周りを巡り、汝の栄光の啓示を宣言し、汝の主なる神より汝に 与えられた、溢れんばかりの恩恵について述べる者は幸いである。栄光に満ち給う汝の主の名において不滅の聖杯をつかみ、主に感謝せよ。なぜなら、主は汝へ の慈悲の印として汝の悲しみを喜びに変え、汝の嘆きを転じて至上の歓喜へとなし給うたのであるから。まことに主は、御自身の玉座を据え、主の足が踏み入れ られ、主の来訪によって栄誉を与えられ、主が呼び声をとどろかせ、主が涙を流し給いしこの地を愛される。

 「おお、カルメルよ、シオンに 呼びかけ、吉報を告げよ。人類の目から隠されていた御方は今や出現した!すべてを征服する彼の主権は現され、すべてを包みこむ彼の光輝は明示された。ため らったり、立ち止まったりすることなきよう注意せよ。急ぎ行きて、天より降りてきた神の都の周りを駆け巡れ。この神の都とは、神の寵愛を受けた人々、心清き人々、そして最も崇高なる天使の集合が崇敬にその周囲をかけ巡った天のカーバである。おお、この啓示の吉報を地上のあらゆる場で告げ、その一つ一つの都 市にあまねく伝えることを我は切に願う。この啓示にシナイの心は魅惑され、この啓示の名において燃える柴は こう叫んでいる。「天と地の王国は、主の中の主におわす神に属す。」まことにこの日こそは地と海とがこの吉報に歓喜する日である。そして、人間の知性や心 の理解力を超える恩恵をもって神が啓示のために定め給うたものは、この日のために蓄えられてきたのである。やがて神は、汝の上に神の箱舟を走らせ、名称の書で述べられたバハの人々を現されるであろう」。

 全人類の主は神聖なり。主の名が述べられるやいなや、地上のすべての原子は震動し、壮大なる舌は、主の知識に包まれ、主の威力の宝庫に隠されていたものを 明かされたのである。まことに彼こそは、強大にして力に満ち、最も高遠なるその御名の力によって天と地にある全てのものを統治し給う御方なり。

モニュメント・ガーデン 

ナバーブ

 

ピュアレスト・ブランチ

 
万国正義院の建物の前方の階段を下りた所に聖なる家族の墓のあるモニュメント・ガーデンがある。ここには、アブドル・バハの妹であり、アブドル・バハの亡き後、守護者ショ−ギ・エフェンディを支えてバハイ信教を守ったバヒヤ・ハヌーム(最大の聖なる葉)、バハオラの妻であり、バハオラと一生苦難を共にしたナバーブ、アブドル・バハの弟でアッカの牢獄の明り取り窓から転落して亡くなった「最も聖なる枝」(ミルザ・ミッデイ)、アブドル・バハの妻ムニレ・ハヌーム(聖なる母)の4名の墓がある。 

最大の聖なる葉のお墓            最大の聖なる葉         最も純粋な枝

 

最も純粋な枝とナヴァーブのお墓     ムニレ・ハヌームのお墓

国際史料館 建物

国際資料館は、アークの建物の一つで、カルメル山の中腹に建てられている。この資料館の中には、バハイの歴史に関係ある大切な史料が保存されている。中でも大事なものは、バブとバハオラの肖像画と写真である。それに、バブやバハオラ自身の書かれた多数の書簡と、身につけられていた、衣服、手袋,帽子などと、実際に使われた印鑑、すずり、ペンなどである。この国際史料館は手狭になったのでアーク・プロジェクトの一環として拡張工事が行われた。この史料館に入室を許可されるのは、9日間の巡礼を許可された者と、国際大会の代表者だけに限られている。

万国正義院の建物

   

万国正議院はバハイ信教の最高機関であるとバハオラの最も聖なる書「アグダスの書」に書かれている。万国正義院のメンバーはすべて男性でなければならない。万国正義院のメンバーは5年に一度イスラエルのハイファで世界各国の9名の全国精神行政会メンバーによる投票で選ばれた9名のメンバーで構成される。バハオラは万国正義院は不謬であると言われている。万国正議院はバハオラの定めていないすべての事柄について決定することが出来る。万国正義院の建物は地上3階地下2階の建物である。この建物の外壁の周囲にはギリシャの大理石の円柱が立ち並び建物の外壁も大理石が嵌め込まれた美しい建物です。この建物を中心にアーク状に、国際布教センター、聖典研究センター、や国際資料館がある。また、建物の表面階段を下ったところにモニュメント・ガーデンがある。

聖典研究センタ

万国正義院の建物と国際資料館の間にある。この建物の中で、バハオラの書かれた膨大な書簡及び書物に何が書かれているかを詳細に調べ、新しく発見したことなどを万国正義院に報告する。

国際布教センター

従来、国際布教センターはアブドル・バハの家の前にある建物が使われていたが、そこは、最初は「西洋人の巡礼の家」と呼ばれていた。1963年に万国正義院が設立されると、その建物は万国正義院の建物として使われていたが、新しい.万国正義院の建物が完成し、新しい建物移った後、国際布教センターがこの建物を使っていた。その後、万国正義院の隣に国際布教センターが完成したのでそちらに移った。この建物は地上2階地下7階と建物全体の殆どの部分が地下にある。

国際布教センターは1973年万国正義院によって設立された。最初の目的は、大業の翼成者がいなくなった後の時代にその任務を引き継ぐ機関として設立された。任務は大陸顧問団と密接な連絡をとり、彼らを激励し、新しい布教目標を設定するとともに、大陸顧問団から得た情報を万国正義院に伝える。国際布教センターは9名の国際顧問によって運営されている。国際布教センターの主な役割は、万国正義院の指示のもと、世界各地にいる大陸顧問を通して世界各地のバハイ信教の布教と保護の仕事の企画、普及、および指導にあたっている。

巡礼の家

バブの霊廟完成後間もなく、聖地巡礼に来ていたイシカバッドのバハイ、ミルザ・ジャファー・ラーマニが、アブドル・バハに巡礼者の便宜のために巡礼者の家を建てる申し出をし、アブドル・バハはそれを許可した。彼はハイファに残って、巡礼の家の建設を監督し完成し、すべての経費を支払った。アブドル・バハはこの建物が完成したとき、大変喜んで祝賀会を催した。アブドル・バハはラーマニ氏に何か私のしてあげられることはないかと尋ねた。ラーマニ氏はアブドル・バハに、建物完成記念にアブドル・バハの言葉をこの建物に残していただきたいとお願いした。アブドル・バハは笑顔で承諾なさり、紙に「ここは巡礼者の心温まる宿泊所です。この宿泊所はミルザ・ジャマル・ラーマニにより1909年に設立」と書かれた。この言葉は、建物の入り口のすぐ上の石に彫られていて、今でも見ることが出来る。この建物は、アブドル・バハによる巡礼者たちとの会見や講演会などにしばしば利用された。また、守護者ショーギ・エフェンディもこの建物で巡礼者との会見に使っていた。この建物は、バブの霊廟の側面入り口から入って真っ直ぐにつき当たった所にある建物。最初この建物は、イランやイラクなどから訪問された巡礼者の宿泊場所に使われていた。巡礼の家からの眺めについて、アブドル・バハは、次のような言葉を残したとされる−「巡礼の家からの眺めは素晴らしい。特にそれはバハオラの祝福された廟に向かっている。将来、アッカとハイファはしっかりと手をつなぎ、一つの強大なメトロポリスの二つの拠点となろう。ここから眺めると、世界でも最初の巨大な商業複合施設になる光景が見えてくる。この巨大な 半円形の湾は、最高に美しい港となり、あらゆる国の船がそこに停泊するであろう。諸国の船がやってきて、世界中の人々、何千人もの男性女性をその波止場に降ろすであろう。山と平原には近代的な建物や邸宅が立ち並び、産業が発達し、博愛的な機関が設立されるであろう。世界中の文明と文化という花がもたらされ、その香りが混合され、人類同胞愛を燃え盛かすであろう。素晴らしい庭園や果樹園、森林や公園があらゆる方向に現れるであろう。夜には、町に電気で明かりが灯され、アッカからハイファまで一続きの明かりの道ができるであろう。カルメル山の両側には巨大な探照灯が設置され、蒸気船の導きとなろう。カルメル山そのものが、山上から麓まで、光の海に浸されるであろう。山上に立つ者、またそこへ向かう蒸気船の乗客らは、全世界で最も荘厳で威厳に満ちた光景を見るであろう。山のあらゆる地点から、『ヤーバハオルアブハ』の交響曲が聞かれ、夜明け前には、魂を揺さぶる音楽が旋律\あふれる歌声と共に、全能者の玉座へと奏でられるであろう。」

アブドル・バハの家             

アブドル・バハはバブの霊廟建設に情熱を燃やしていた。そのためには、足がかりとなる自分の住居を建てたいと思っていた。この話を聞いたジャクソン夫人が建設資金の提供を申し出た。 早速、バブの霊廟建設予定地に近いところに土地を購入した。アブドル・バハは、早速、アブドル・バハの家の設計をされた.この家は1908年に完成したが、当時、アブドル・バハはアッカ市外に出られない軟禁中であったので、家族の者たちだけが新しい家に移り、アブドル・バハ自身は1910年になってやっとこの家に移転した。その後はこの家は(House of the Master)アブドル・バハの家と呼ばれるようになった。アブドル・バハがヨーロッパやアメリカ訪問から帰った後は、外国からの巡礼者のリセプションの場所としても使われた。日本の文豪徳富蘆花が1919年にアブドル・バハを訪問したのもこの家であった。アブドル・バハのアブハ王国への他界後は、ショーギ・エフェンディによって増築された。1957年からルヒヤ・カヌームがこの家の主人となりルヒヤ・カヌームの客人の接待などに使われていた。ルヒヤ・カヌームが亡くなられた時は、この家の広間で葬儀が行われた。

ルヒヤ・カヌームの墓所

1937年守護者ショーギ・エフェンディと結婚され、守護者存命中は守護者の書記を勤められ、1952年に大業の翼成者になられる。1957年に守護者がなくなられた後は、守護者の意志を継いで世界各国を廻り日本にも2度来日されている。その後は、国際布教センターのメンバーとして高齢にもかかわらず活躍された。2000119日、聖地のアブドル・バハの家で没す。葬儀には万国正義院メンバー、国際布教センターメンバー、大陸顧問、世界各国の全国精神行政会の代表者、などが参列した。ルヒヤ・カヌームの遺体はアブドル・バハの家の前の庭園に埋葬された。

ハパルシム通り10

これはバハオラがかつてテントを張られた場所で、後にアブドル・バハの指揮により建物の建設が開始され、守護者の時代に完成した。当初、この建物は西洋人の巡礼の家として使われたが、1951年にはバハイ国際評議会の建物となり、1963年から83年までは万国正義院の建物として使われた。1983年から2000年までは国際テイーチングセンターの建物となり、現在はバハイ国際共同体とその関連機関の事務所となっている。

ハパルシム通り4

アブドル・バハが欧米訪問から戻られてしばらくの間、この建物は西洋人巡礼の家として用いられ、アブドル・バハが西洋人巡礼者をここで迎えられた。アマトルバハ・ルヒヤ・ハヌームによると、彼女と母親は、アブドル・バハのご逝去後、ここに滞在したということである。また、彼女が敬慕する守護者と会ったのも、この建物である。

テラス式庭園

バブの霊廟の上方と下方に広がる各9段、計19段あり、総延長距離は1キロメートルほどある。また、このテラス式庭園の下には2本の道路があり、テラスはこの道路を橋で跨いでいる。このテラス式庭園は20015月に正式な開通式が行われた。このテラス開通式には各国から代表者19名が参加を許された。テラスの一番下の段の前方には広い道路の両側にジャーマン・テンプラー・コロニイの特徴ある煉瓦色の屋根の家が並んでいる。その先は海岸通に通じている。テラスの階段の全長は1キロメ−トル、標高差は225メートルある。そのテラスの中央に金色のドームを戴くバブの霊廟がある。テラス完成以前にもバブの霊廟から海岸通に通じる階段があって「王様の道」呼ばれていた。時来たれば、世界中からこの階段を上ってバブの霊廟に参拝に来るといわれていた。このテラス式庭園はハイファ市が誇る観光名所となっている。

ハイファの礼拝堂用地

カルメル山の頂上近くにある。現在のところ建設予定はたっていないが、やがてはこの地に礼拝堂が建設される。現在この地にオベリスクが建っている。この用地は大業の翼成者アメリア・コリンズ氏によって寄贈された。