万国正義院

 

20231128

  

世界中のバハイへ

 

1.        20211127日、静まり返った闇夜の中、全国精神行政会と地域バハイ協議会の約600人の代表者が、万国正義院と国際布教センターのメンバー、そしてバハイ世界センターのスタッフとともに、アブドル・バハの逝去100周年を聖廟の境内で厳粛に記念するために集まりました。 その夜を通して、世界中のバハイ共同体もまた、宗教史上比類なき「人物」に敬意を表し、彼自身が開始させた100年の偉業に思いを馳せるために、近隣や村、町や都市に集まり、献身的な祈りを捧げました。

 

2.       アブドル・バハを熱烈に愛するバハの人々であるこの共同体は、今や数百万人に達し、235の国と地域の約10万の地域に広がっています。  信教は無名の存在から世界の舞台でその地位を占めるようになりました。 草の根から国際的なレベルまで、何千もの機構のネットワークを構築し、精神的な変革と社会的な進歩のためにバハオラの教えを表現するという共通の目的のために、多様な人々を団結させています。 多くの地域で、活気ある地域共同体を構築するそのパターンは、何千、中には何万もの魂を受け入れてきました。そのような環境では、祈り深い雰囲気、教育や奉仕活動へのユースの献身、精神的・社会的に重要なテーマに関する家族、友人、知人間の目的意識に満ちた会話、物質的・社会的進歩のための集団的努力によって特徴づけられる、新しい生活様式が形作られています。 信教の聖典は800以上の言語に翻訳されています。 全国的、地方的なマシュレゴウル・アズカルの設立は、礼拝と奉仕に捧げられた何千もの未来の拠点の出現を予告しています。 信教の世界的な精神的・行政的センターは、アッカとハイファの対となる聖地に設立されました。 そして、その理想と最高の願望との関係で見た場合、共同体の現在のあまりにも明白な限界にもかかわらず、また、その究極の目的である人類の一体性の実現との距離にもかかわらず、その資源、その機構の能力、体系的な成長と発展を維持する能力、志を同じくする組織との関わり、社会への関与と建設的な影響力は、歴史的達成の前例のない高みに立っています。

 

3.       アブドル・バハがこの世を去った100年前のあの瞬間から、信教はどれほど前進したことでしょう! その悲惨な日の夜明けとともに、その逝去の知らせはハイファの街中に広がり、人々の心を悲しみで覆いつくしました。 老いも若きも、身分の高い者も低い者も、高名な役人も大衆も、ユダヤ教徒もイスラム教徒も、ドルーズ教徒もキリスト教徒も、そしてバハイ教徒も含め、何千もの人たちが葬儀に集まり、それはハイファの街が経験したことがない集まりでした。世界の目には、アブドル・バハは普遍的な平和と人類の一体性の支持者であり、虐げられた人々の擁護者であり、正義の推進者であると映りました。 アッカとハイファの人々にとって、アブドル・バハは愛する父であり友人であり、賢明な助言者であり、困っているすべての人の避難所でした。 アッカの葬儀では、熱烈な愛と嘆きが捧げられました。

 

4.       しかし、当然のことながら、師の喪失を最も痛切に感じたのはバハイの人々でした。師は、バハイの人々を導き、守るために神の顕示者から授けられた尊い賜物であり、バハオラの比類なき、すべてを包含する聖約の中心であり、枢軸であり、バハオラの教えの完璧な模範であり、バハオラの言葉の確かな解釈者であり、あらゆるバハイの理想の体現者でした。  アブドル・バハは、その生涯にわたって、バハオラへの奉仕のためにたゆまぬ努力を続け、父の神聖な信頼を全うされました。  彼は植えられた貴重な種を忠実に育て、保護されました。彼は、その誕生の揺りかごで大業を保護し、西洋での普及を導き、その行政の揺りかごをそこに設立されました。  信者の足元を固め、戦士と聖人の一団を育てられました。自らの手でカルメル山に建立した霊廟にバブの聖なる遺骸を埋葬し、一対の顕示者達の聖廟を献身的に管理し、信教の世界行政センターの基礎を築かれました。 また内外の敵から信教を守られました。彼は、バハオラの教えを全世界の人々と分かち合うための貴重な憲章を明らかにし、また、行政秩序のプロセスを生み出し、動かすための憲章を明らかにしました。  彼の生涯は、バブの宣言によって始まった英雄の時代の全期間に及びました。  彼の愛する人々に何が起こるのでしょうか?  彼なしには、彼の絶え間ない導きなしには、未来は不確かで暗いものと思われました。

 

5.       アブドル・バハの訃報に打ちのめされた孫のショーギ・エフェンディは、英国での学業から聖地へと急ぎ、そこで2度目の衝撃を受けました。  アブドル・バハは彼を信教の守護者、そして長に任命し、バハイの世界を彼に託したのです。  悲しみと苦悩の中にありましたが、バハオラの愛娘バヒヤ・カヌームの揺るぎない心配りに支えられながら、ショーギ・エフェンディはその職責の重いマントを身につけ、まだ始まったばかりの共同体の状況と展望を見極め始められました。

 

6.       ショーギ・エフェンディが守護者に任命されたという発表は、信者たちの安堵と感謝と忠誠の表明をもって迎えられました。  師との別離の苦悩は、師が彼らを一人にしたのではないという師の「遺訓」の保証によって和らぎました。  しかし、アブドル・バハに選ばれた後継者に挑戦し、自分たちの野心と我欲に突き動かされて、彼に反旗を翻した不誠実な少数の者たちがいました。  その重要な移行期における彼らの裏切りは、師の公然とした反対者たちの厚かましい策略によってさらに悪化しました。  しかし、ショーギ・エフェンディは、このような心痛と試練に打ちのめされながらも、また他の手ごわい障害に直面しながらも、広く散らばったバハイ共同体のメンバーを動員して、行政秩序の基礎を築くという巨大な仕事を始められました。  アブドル・バハの特異な個性によって活気づけられていた人々は、守護者の忍耐強くも毅然とした指導の下で、共通の事業への努力を徐々に調整し始めました。

 

7.       ショーギ・エフェンディは、バハイたちが新たな責任を負い始めたとき、自分たちが手にしている神聖な啓示についての理解がいかに初歩的であり、これから直面する課題がいかに困難であるかを彼らに印象づけました。「バハオラの啓示がいかに広大であるか!今日、人類に注がれた祝福がなんと膨大であるか。「それなのに、その意義と栄光に対する私たちの認識は、なんと貧しく、なんと不十分なものでしょう!この世代は、あまりにも巨大な啓示のすぐ近くに立っているため、彼の信教の無限の可能性、彼の大業の前例のない性質、彼の摂理の神秘的な配分を、完全に理解することができないのです。  「師の遺訓の内容は、現在の世代が理解するにはあまりにも深すぎる 」と、ショーギ・エフェンディの秘書が彼に代わって書きました。「その中に隠されている叡智の宝が明らかにされるまでには、少なくとも一世紀にわたる実働が必要です。バハオラが描いておられた新しい世界秩序の性質と次元を理解するために、「私たちは、時間と神の万国正義院の導きを信頼しなければなりません」と守護者が説明しました。

 

8.       一世紀にわたる「実働」を終えた今、この瞬間は、新たな洞察 を得るための絶好の機会となります。  そこで、私たちはこの記念日を機に、『遺訓』の規定に謳われた知恵について皆さんと一緒に考え、信教の発展の過程をたどり、その有機的な発展の段階の一貫性を観察し、その進歩を促す過程に内在する可能性を見極め、バハオラの驚異的な啓示の影響力の増大を通して社会を再形成するその力がますます世界に顕現されるであろう今後数十年にわたる信教の将来性を評価するために振り返ることにしました。

 

 

書かれていることを現実と行動に移すこと

 

9.       バハオラの目的は、人類の発展における新たな段階、すなわち世界の諸民族と諸国民の有機的かつ霊的な一体化を先導することであり、それによって人類の成熟を示し、時が満ちれば、世界文明と文化の出現によって特徴づけられるのです。  この目的のために、彼は人間生活の内側と外側を変革するための教えを明らかにされました。  「このペンが啓示した一節一節は、聖人のような敬虔な生活、純粋で汚れのない行いの栄光を開示する明るく輝く扉である」と述べられました。  そして、「聖なる医師」である彼は、数え切れないほどの書簡の中で、人類を苦しめている病を診断し、「地上の人々の向上、進歩、教育、保護、再生」のための癒しの治療法を示しました。  バハオラは、「われわれが与えた召喚とメッセージは、決して一人の土地や一人の民族のみに到達し、利益をもたらすことを意図したものではない」と説明なさいました。また  「洞察力と理解力のあるすべての人には、書かれたことを現実と行動に移そうと努力する義務がある」。「地上の諸民族の最善の利益を促進するために立ち上がる者は、祝福され、幸福である」 と書いておられます。

 

10.     成熟し、平和で、公正で、団結した世界を築くという課題は、すべての人々と国家が参加できなければならない広大な事業です。  バハイ共同体は、古い社会秩序を侵食する崩壊の力を克服し、それに代わる新しい秩序の展開につながる統合的なプロセスに具体的な形を与えることができる精神的な事業の主人公として、すべての人を歓迎します。  形成期は、信教の発展における重要な時期であり、その間、友らは、バハオラが自分たちに託された使命を理解し、啓示された言葉の意味と含意についての理解を深め、世界をより良くするよう、バハオラの教えを実践するために、自分自身と他の人々の能力を体系的に培うのです。

 

11.     ショーギ・エフェンディは、任に就いた当初から、バハイたちが自分たちの使命をより深く理解し、それが彼らのアイデンティティと目的を定義することになるよう努力するのを助け、指導しました。  彼は、バハオラの到来の意味、人類に対するバハオラのビジョン、大業の歴史、社会を再構築するプロセス、人類の進歩に貢献するためにバハオラが果たすべき役割について説明しました。  彼は、バハイ共同体が何十年、何世紀にもわたって多くの変容を遂げ、しばしば予期せぬ変化を遂げることを友らが理解できるように、バハイ共同体の発展の本質について概説しました。  彼はまた、危機と勝利の力学を説明し、彼らが通過しなければならない曲がりくねった道のために準備しました。  彼はバハイたちに、新しい世界を築くという挑戦に立ち向かうために、人格を磨き、心を磨くよう呼びかけました。  彼は、生まれたばかりで急速に進化する共同体や、激動の時代の問題、苦境、悪化した環境に遭遇した時に絶望しないように促し、バハオラの約束が完全に表現されるのは未来であることを思い起こさせました。彼は、バハイは、浸透し、活性化させる影響力を持つ酵母のようになるべきであると説明しました。他の人々が立ち上がり、分裂、紛争、権力争いの凝り固まったパターンを克服するように鼓舞することで、人類の最高の願望が最終的に達成できるように。

 

12.     守護者はまた、これらの広範な理解分野を統合する一方で、信者たちが行政秩序の構造的基礎を効果的に確立し、バハオラの教えを系統的に他の人々と分かち合う方法を学ぶよう、一歩一歩導きました。その行政秩序を特徴づける性質、原則と手順を徐々に明らかにしながら、守護者は、信者たちの信教を教える能力を個人的にも集団的にも高めたことによって、彼らの取り組みを忍耐強く指導しました。全ての重要な事柄について、守護者は信徒たちに指導を与えました。その指導を生かすために、信者たちは協議し、努力しましたし、戸惑うような問題や困難に直面したときには、守護者に経験を分かち合い、質問をしました。そして、蓄積された経験を考慮した上、守護者はさらなるガイダンスを提供し、彼らの努力が効果的であることが明らかになって、より広範囲に適用できるようになるまで、友らが必要に応じて行動を調整できるように、概念と原則を詳しく説明しました。守護者のガイダンスに対する反応において、友らは、啓示された御言葉の真理に対する揺るぎない信仰、守護者のビジョンと無謬の英知に対するぐらつかない信頼、そしてバハオラの教えに示されたパターンに従って自分たちの生活の様々な側面を変革させるという動揺しない決意を示しました。こうして、バハオラの教えを適用する方法を学ぶ能力が、共同体の中で徐々に培われていきました。このアプローチの有効性は、守護者の任務の絶頂で、バハイ世界がその力を結集して10年聖戦という前代未聞の偉業の成果で最も鮮明に示されました。

 

13.     信者たちに学びの道を歩ませようとしたショーギ・エフェンディの努力は、彼の没後、万国正義院の指導の下、さらに伸ばされました。形成期の最初の世紀の最後の年月までには、その世紀の初めには萌芽的な状態であった学習のプロセスの本質的な側面が、世界中のバハイの友らによって意識的に把握され、彼らの努力の全範囲にわたって系統的に実施されるようになりました。

 

14.     今日、バハイ共同体は、学習、協議、行動と反省を特徴とする活動様式によって特徴づけられています。様々な社会空間で教えを適用し、社会秩序の物質的・精神的基盤を活性化させたいという願いを共有する、一般の社会の人々と協力する能力を着実に高めています。浄化器のように変革を可能にするこのような空間において、可能な限り、個人と共同体は自らの発展の主人公となり、人類の一体性を抱擁することによって偏見と他者扱いを排除し、原則の遵守と共同体の祈りに満ちた性格の強化を通じて人生の精神的側面が育まれ、学習能力が発展させられ、個人と社会の変容に向けられるのです。バハオラが啓示したことに包含されている意味を理解し、バハオラの癒しの救済を適用するための努力は、現在ではより明確に、より意図的に、そしてバハイ文化の消すことのできない一部となっています。学びのプロセスを意識的に把握し、それを草の根から国際的な場へと世界中に広げていくことは、形成期の最初の世紀の最も素晴らしい果実の一つです。このプロセスは、バハイの世界がこれまで以上に大きな課題に挑み、信教の社会構築の力をこれまで以上に大きく放つにつれて、これからの年月、あらゆる機構、共同体と個人の活動にますます大きな影響を与えるでしょう。

 

15.     ショーギ・エフェンディは、友らが信教の発展とそれに関連する自分たちの責任を理解するように支援する努力の中で、「バハオラによるカルメルの書簡の啓示と、アブドル・バハの遺訓、そしてバハオラの聖約の中心であるアブドル・バハによって遺された聖なる計画の書簡を通して発せられた3つの推進力」について言及しました。これらの三つの憲章は三つのはっきり区別できるプロセスを引き起こしました。それらのプロセスの中に、「最初のものは世界センターにおける信教の機構を発展させるために聖地で動いているものであり、その他の2つは、バハイ世界の他の各地域にわたって、信教の普及と行政秩序の確立のために動いているものです。」それぞれの神聖な憲章に関連するプロセスは、相互に依存し、相互に補強し合っています。行政秩序は聖なる計画を遂行するための主要な手段であり、一方、聖なる計画は信教の行政機構を発展させるための最も強力な機関です。行政の中心であり神経中枢である世界センターの前進は、世界の共同体の本体に顕著な影響を及ぼす一方、共同体の活力によって影響を受けます。バハイ世界は、個人、共同体と機構がバハオラの啓示の真理を現実のものにしようと努力する中で、常に有機的に進化し、発展します。今、形成期の第一世紀の終わりに、バハイ世界は、これらの不滅の憲章に内在する信教の発展への意味をより完全に理解することができるようになりました。そして、バハイ世界が携わっているプロセスへの理解を深めたからこそ、過去1世紀にわたる自らの経験をよりよく理解し、この先に待ち受ける数十年、数世紀において、人類のためにバハオラが意図した目的を達成するために、より効果的に行動することができるのです。

 

 

聖約の永続

 

16.     バハオラは、信教の統一を保ち、教えの完全性と柔軟性を維持し、全人類の進歩を保証するために、信奉者たちとの間に、その権威と明確で包括的な性質において、宗教史の歴史の中でも類のない聖約を定めました。  バハオラは、ご自身の最も聖なる書とその「聖約の書」において、また他の書においても、ご自身の逝去の後、信徒たちはその聖約の中心であるアブドル・バハに信教の事柄を導くよう指示されました。  アブドル・バハは、ご自身の遺訓の中で、バハオラの著作で定められた行政秩序の規定を定めることによって、この聖約を永続させ、それによって、守護者制と万国正義院という2つの機構を通じて、権限と指導権の継続を保証し、信教内の個人と機構の健全な関係を保証しました。

 

17.     歴史は、宗教が文明の進歩を推進する協力のための強力な道具として、あるいは計り知れない害をもたらす争いの源として機能することを十分に証明しています。  宗教の統一と文明化の力は、信者が神の教えの意味と適用について意見を異にするようになると衰え始め、信教の共同体は最終的に争う宗派や教派に分裂してしまいます。  バハオラの啓示の目的は、人類の一体性を確立し、すべての民族を統合することです。バハイ教が宗派主義の弊害に屈し、過去に目撃された神聖なメッセージの希薄化に陥れば、社会の進化におけるこの最後の、そして最高の段階を達成することはできません。  もしバハイ教徒が「一つの点を中心に団結することができない」のであれば、「どのようにして人類の統一をもたらすことができるでしょうか?  そして、彼は断言します「今日、存在世界の強力な力は、偶発的な世界の体の中で動脈のように脈動し、バハイの統一を守る聖約の力である。」

 

18.     前世紀の成果の中で最も重要なのは、信教を分裂から守り、すべての民族と国家のエンパワーメントを受け入れ、貢献することを推進した、聖約の勝利です。  宗教の核心にあるバハオラの鋭い問いかけ、「汝の信仰の紐をどこで守り、汝の服従の紐をどこで結ぶのか」は、バハオラを今日における神の顕示者として認識する人々にとって、新たで重要な意味を持つものです。  それは聖約における堅固さを求める呼びかけです。  バハイの共同体の応答は、アブドル・バハの遺訓の条項への不屈の固守でした。   主権者が服従を強制する世俗的な権力の関係とは異なり、神の顕示者と信者の関係、そして聖約によって指定された権威と共同体の関係は、意識的な知識と愛によって支配されています。  バハオラを認識することで、信者は自由な良心の行動として自発的にバハオラの聖約に入り、バハオラへの愛ゆえに、その要件を堅く守り続けます。  形成期の最初の世紀の終わりに、バハイ世界はバハオラの聖約の条項をより完全に理解し、それに基づいて行動するようになりました。  この偉業は、他の多くの偉業と同様に、危機を克服した結果なのです。

 

19.     聖約が存在するからといって、信教を分裂させようとしたり、信教に損害を与えたり、信教の進歩を遅らせたりしようとする者がいないわけではありません。しかし、そのような試みはすべて失敗する運命にあることが保証されています。アブドル・バハの兄弟を含む何人かの野心家は、バハオラがお亡くなりになった後、アブドル・バハに与えられた権威を横領しようとし、共同体の中に疑念の種をまき、揺れ動く人々を試し、時には惑わせました。ショーギ・エフェンディは、自らの聖職期間の間、聖約を破りアブドル・バハに反する者たちから攻撃されただけでなく、行政秩序の有効性を否定し、守護者制の権限を疑問視する共同体の一部からも攻撃されました。数年後、ショーギ・エフェンディが他界されたとき、大業の翼成者として長年奉仕してきたにもかかわらず、ある深く誤った個人が、「遺訓」に示された明確な条件を無視し、根拠のない無益な試みを行い、自分自身のために守護者の地位を主張したことから、聖約に対する新たな攻撃が現れました。万国正義院の選挙後、万国正義院もまた、積極的な大業の反対者の標的になりました。さらに最近の数十年間では、共同体内の数人が、正義院の権威に疑問を投げかけ、生前の守護者が不在な中で、信教を自分たちの好きな方向に導くことができる特権を主張するために、他の人たちよりも知識豊富であるかのように見せかけ、聖約の規定に関するバハイの教えを再解釈しようとしました。

 

20.     一世紀以上にわたって、バハオラによって確立され、アブドル・バハによって永続された聖約は、内外の反対者から様々な方法で攻撃されましたが、それは最終的には何の効果もありませんでした。その都度、何人かの個人は惑わされたり、不満を抱いたりしましたが、攻撃は大業をそらせたり、再定義したり、共同体に永久的な裂け目を作ったりすることはできませんでした。その都度、アブドル・バハ、守護者、万国正義院など、その時に指定された権威の中心を頼ることで、質問は答えられ、問題は解決されました。信者一体が聖約を理解し堅固になるにつれて、以前の時代には信教の存在と目的そのものを脅かしていた種類の攻撃や虚偽の表現に対して無関心になることを学びました。バハオラの大業の完全性は常に安全なままです。

 

21.     どの世代のバハイも、どんなに精神的に優れていても、それぞれの歴史的状況や信教の有機的発展の特定の段階の限界のために、バハオラの教えの完全な意味合いについての理解は必然的に限定されたものになります。例えば、信教の英雄時代には、信徒たちは、バブの時代からバハオラの時代へ、そしてアブドル・バハの時代へと、時に困惑させられるような革命的な変遷を経験しなければなりませんでした。そのすべてが、後から考えてみると、ショーギ・エフェンディにより照らされた明かりにより、神聖に展開する単一の劇の一連の幕として容易に理解できるようになりました。そして今日、形成期の最初の一世紀にわたる共同体のたゆまぬ努力の結果、バハオラが信者たちに与えた貴重な遺産である聖約の意義、目的、不可侵性をより完全に把握することができるようになったのです。聖約の本質を懸命に理解し、そのような洞察が生み出し、維持する堅固さは、この宗教制の間、団結と進歩のために不可欠であり続けるでしょう。

 

22.     バハオラの聖約が2つの権威ある中心を定めていることは、今や明白であり、確固たるものとなっています。ひとつは「書」(the Book)、すなわちバハオラの啓示そして、創造的な御言葉の権威ある解釈と説明を構成するアブドル・バハとショーギ・エフェンディの著作です。ショーギ・エフェンディの死去により、その権威ある中心が拡張されてきた100年以上の歴史は幕を閉じました。しかし、この「書」が存在することによって、啓示は人間による誤った解釈や付加によって汚されることなく、すべての信者が、いや全人類が入手できるよう保証されるのです。

 

23. 権威ある中心の二番目は万国正義院であり、それは、聖典が断言しているように、バハオラとバブの配慮と的確な導きの下にあります。アブドル・バハは、「正義院が独自の概念や意見に従って、なんらかの決定を下すだろうと想像してはなりません。」「滅相もない!最高の正義院は、聖霊の霊感と確証のもとに決定を下し、法律を制定します。なぜなら、それは古来の美の庇護と保護のもとに保管されるからである」と説明しておられ、バハオラは「まことに神はお望みのことを、彼らに霊感としてお与えになるであろう」と宣言しておられます。ショージ・エフェンディは、「こうして、直接または間接的に彼らを選んだ人々の一団ではなく、彼らこそ、この啓示の生命線でありかつ究極の防衛手段である神聖な導きの受け手となったのである」と述べています。

 

24. 正義院に与えられている権限と義務には、人類に対するバハオラの目的の成就を確実にするために必要なすべてが網羅されています。半世紀以上にわたって、バハイ世界は、神の法の公布、バハイ聖典の保存と普及、行政秩序の向上と新たな制度の創設、神の計画の展開における連続的な段階の設計、信教の保護とその統一の保護、さらには人間の名誉の保護、世界の進歩、諸民族の啓発に資する努力など、その範囲と表現を直接目撃してきました。正義院による解明は、すべての困難な問題、不明瞭な問題、相違を引き起こした問題、啓典に明示されていない事柄を解決します。正義院は、その時代の緊急性に応じて、その宗教制を通じて指導を提供します。その結果、大業が、まさしく生き物として、絶えず変化する社会のニーズと要求に適応できるのを保証します。そして、誰もバハオラのメッセージの性質を変えたり、大業の本質的な特徴を変えたりすることができないことを保証します。

 

25.「確信の書」の中で、バハオラはこう問いかけておられます。「真理を探求し、神の英知に到達したいと望んでいるものが、それを求めに行く場所が分からず、誰からそれを求めたらよいか分からないということほど辛い「抑圧」が又とあろうか。」と。バハオラの啓示の光にほとんど気づかない世界は、真理、道徳、アイデンティティ、目的という事柄について、ますます分裂し、混乱し、崩壊の力の加速と、腐食的な影響に困惑しています。しかし、バハイ共同体にとって、聖約は明晰さと避難所、自由と強さの源を提供します。すべての信者には、バハオラの啓示の大海原を探査し、個人的な結論を出し、他の人々と謙虚に洞察を分かち合い、日々教えを適用するために努力する自由があります。集団的な努力は、協議と機構の指導によって調和され、集中化され、個人間、家族間、共同体間の絆を変革し、社会の進歩を促進します。

 

26. バハオラへの愛から、またバハオラの明確な指示によって安心させられた個人、共同体、機構は、信教の展開と教えの完全性維持のために必要な導きを、この聖約の権威ある二つの中心に見出すのです。このようにして、聖約は啓示の意味に関する対話と学習のプロセス、および意味と実践に関する終わりのない論争によってもたらされる弊害を回避し、この宗教制を通じて、人類がその処方を実践するのを守り、維持します。その結果、個人、共同体、機構間の均衡のとれた関係が守られ、適切な道に沿って発展し、同時にすべての人が潜在能力を最大限に発揮し、その主体性と特権を行使できるようになります。こうして、バハイ共同体は、現実を調査し、知識を生み出し、その努力の範囲を広げ、文明の進歩に貢献することによって、団結して前進し、その重要な目的をますます果たすことができるのです。一世紀以上経った今、アブドル・バハの断言しておられることの真実性はますます明白になっています:「人類世界の一体性の軸は、聖約の力であり、それ以外の何ものでもない」。

 

 

行政秩序の展開

 

27. アブドル・バハの遺訓は聖約に永続性をもたらしただけではありません。形成期の最初の世紀のもう一つの最も重要な業績となる聖約の申し子たる行政秩序が出現し、発展するための基礎を築きました。選挙制を導入した機構の設立に焦点を置いて開始した行政は、一世紀の間に広がりと複雑性を増しながら、すべての民族、国、地域を結びつけるまでに世界中で展開するようになりました。また、これらの機構には、それらが創案されたバハオラとアブドル・バハの著書において、公正で平和な世界を構築するために人類を支援するビジョンと精神的な権限も授けられています。

 

28. バハオラは、信教の行政秩序を通し、前例なき制度の主人公である、個人、共同体、機構を関連付けました。そして聖職者が宗教的権威の下に信者の共同体を指導し、諸事を指揮する手綱を握っていた従来からの慣習を、人類が成熟する時代の要求に合わせて撤廃されました。また、競合するイデオロギーの争いを未然に防ぐために、真理の探求と人間の幸福の追求において協力するための手段を定められました。さらに、個人を他者支配のための権力追求に向かわせるどころか、その潜在的な力が育成され、共通善のために発揮される手はずを導入されました。そして現在、信頼性、誠実さ、正しい行い、寛容、愛、和合を始めとする精神的資質が新しい生き方を体現する主人公3者の間の関係基盤を形成するとともに、社会の進歩のための取り組みの全てが人類の一体性というバハオラのビジョンによって形作られています。

 

29. アブドル・バハが逝去した当時、信教の諸機構は、機能が統一されていない少数の地方行政会で構成されていました。地方水準を超えて活動する機関は一握りにすぎず、全国精神行政会はありませんでした。バハオラはイランで4人の「大業の翼成者」を任命し、アブドル・バハは信教の進展と保護のために彼らの活動を指揮しましたが、バハオラが逝去した後に任命した翼成者の数を5人以上に増やすことはありませんでした。このように、バハオラの大業は、精神性と潜在性に富んでいましたが、この時点ではまだ、その取組みの系統化を可能にする行政機構を形成するまでには至っていませんでした。

 

30. 信教の長に就任してからの最初の数ヶ月間、ショーギ・エフェンディは正義院を直ちに設立することを考えました。しかし、世界中の信教の状況を検討した結果、正義院の形成に必要な条件はまだ整っていないという結論にすぐに達しました。そこで代わりに、地方精神行政会と全国精神行政会を立ち上げることにエネルギーを集中するようにと、各地のバハイたちに勧めました。「全国精神行政会は、地方精神行政会という強固な地盤の上に徐々にしっかりと柱のようにすべての国で確立されるでしょう。そして、これらの柱の上に万国正義院という強大な殿堂が建立され、その高貴な枠組みをこの世の上に高くそびえ立たせるでしょう」。

 

31. ショーギ・エフェンディは、友らが自分たちの共同体の基礎を築くための仕事を理解しやすくするために、行政秩序はそれ自体が目的ではなく、信教の精神を方向付ける道具であることを強調しました。バハイの行政は「将来、社会生活と共同体生活の法則となるものの最初の形にすぎない」ものであり、「信者はそれを正しく把握し、実践し始めたばかりである」と説明し、その有機的な特徴を際立たせました。彼はまた、行政秩序は、人類の諸事を体系化するためにバハオラが構想した新しい秩序に最終的になるものの「核と様式」であると説明しました。このようにして友らは行政を立ち上げ始めていくなかで、信教が拡大し、世界の人々がより広く関与できる新たな生活様式を生み出していくことに並行し、個人、共同体、機構の間で確立されつつある関係が複雑に進化していく結果、その三者間の関係に内在する能力が時間をかけて成長していくことを理解できるようになりました。

 

32. ショーギ・エフェンディは、友らが彼との継続的な手紙のやり取りを通して、友らが行政について一歩一歩を習得しながら応用し、その目的、必要性、方法、形式、原則、柔軟性、運営方法はバハイの文献におけるそのような事柄の明確な根拠を確認するよう指導しました。彼は、バハイの選挙のプロセスロセスを発展させ、バハイ基金の設立と管理をし、全国大会を手配し、全国と地方の行政会の関係を築き、その他多くの事柄について彼らを補助しました。彼は、アブドル・バハの時代のバハイ生活の様式を継続することを疑問視する人々の迷いを払拭し、守護者として信教発展のための次の段階となる行政の基礎を示しました。信者たちが行政事務を管理する中、彼は辛抱強く彼らの質問に答え、問題を解決し、バハイ世界共同体の集団生活を育みました。徐々に、友らは調和して働くこと、組織の決定を支持すること、彼らの進歩を支援することを学び、理解と行動の能力の両方が時間の経過とともに増加することを評価するようになりました。地方行政会は、選挙、協議、財務、共同生活等の管理の実施について一貫した手続きに従って運営されるようになりました。当初結成された全国評議会は、イギリス諸島、ドイツとオーストリア、インドとビルマ、エジプトとスーダン、コーカサス、トルキスタン、アメリカとカナダです。行政会の組織的な性質を保つため、全国評議会はしばしば、複数の国にまたがる地域レベルで最初に設立され、信者や地方集会の数が増えるにつれて、国家や領土のレベルで後に設立されました。その結果、教え、翻訳、出版、教育、開拓、十九日の祝祭日や聖日の組織など、さまざまな分野で集団的な取り組みを進めるために、地方と国の両方のレベルで任命されたさまざまな委員会が構成されました。

 

33. 三十年間、地方レベル、国家レベルの管理体制の構築に専念してきたショーギ・エフェンディは、晩年、国際レベル、大陸レベルの機関を誕生させることによって、管理秩序の発展における新たな段階を開始しました。 それは、「長い間待ち望まれていた、聖地におけるバハオラの信教の世界行政センター の勃興と設立」から始まりました。1951年、彼は国際バハイ協議会の設立を宣言しました。(そして、)この新しい機関は、幾つかの変革の段階を得て、万国正義院として開花するだろうと説明しました。この劇的な進展は、同じ年の終わりに、ショーギ・エフェンディが、「大業の翼成者」を12人任命し、3つの大陸と聖地で等しく代表されるということにすぐに続きました。(*これは、「アブドル・バハの遺訓」の規定に従い設立された最初の「大業の翼成者」の一団でした)。

 

34. この劇的な進展は、すぐに、同じ年の終わりに、ショーギ・エフェンディが、「大業の翼成者」を12人任命し、3つの大陸と聖地で等しく代表されるということに続きました。(*これは、「アブドル・バハの遺訓」の規定に従い設立された最初の「大業の翼成者」の一団でした)。これらの優れた人々は、信教の拡大と保護の仕事を進めるために任命されました。信教の勢力拡大に重要な役割を担うが、立法、行政、司法の権限を持たず、聖職者としての役割や権威ある解釈を行う権利を全く持たないこの機関の存在は、過去の宗教では類を見ないバハイの行政の特徴です。長年、選挙で選ばれた行政会とその関連機関のシステムを育てた後、ショーギ・エフェンディは、この任命による機関を仕上げ、友らがそのユニークな機能を理解し、歓迎し、支援するように導きました。  1952年、第2陣の「翼成者」が任命され、その数は19人になりました。1954年には、各大陸の翼成者の代理として奉仕する補佐団が設立されました。守護者はその生涯の最後の日まで、この組織を拡大し続け、最後の翼成者の一団を任命してその数を27人に増やし、普及のための補佐団を補完するために保護のための補佐団を設立しました。

 

35. ショーギ・エフェンディは、初期の行政形態を構築するためのそれらの努力を振り返りながら、自分の指導の下で制定されたものの多くは一時的なものであり、信教の「将来の活動と運営を導く大枠をより明確に定める」のは万国正義院の役割であると、信徒たちに説明しました。別の機会に、彼は「この最高機関が適切に設立されたとき、この機関は全状況を新たに検討し、それが望ましいと考える限り、大業の業務を指示する原則を定めなければならないでしょう」と書きました。

 

36. 195711月の、ショーギ・エフェンディの予期せぬ死の後、大業の業務は一時的に「神の大業の翼成者」が負うことになりました。  彼らは、わずか一ヶ月前に、「バハオラの世界連邦の主要な執事であり、彼の聖約の中心の過ちのないペンによって、父親の信教の安全を守り、確実に広めるという二重の機能を与えられている」として、守護者によって指定されたばかりでした。翼成者たちは、守護者が示した道を忠実に、妥協することなく守りました。彼らの執政の下で、全国行政会の数は26から56に引き上げられ、1961年までには、国際バハイ協議会を任命制から選挙制に移行させるために守護者が説明した手順が実行され、1963年の万国正義院の選挙の舞台が整いました。

 

37. 守護者が大切に育んできた行政の有機的な発展は、正義院の指揮のもとで体系的に培われ、さらに拡大していきました。その後、半世紀以上の間に、多くの成果が生まれました。中でも、守護者が「最も偉大な法」と賞賛した万国正義院憲法は、1972年に採択されました。1968年に大陸顧問団、1973年に国際布教センターが設立され、「大業の翼成者」との協議の結果、この機関の機能は未来へと拡張されました。さらに、草の根における普及と保護のための奉仕の範囲を広げるために、補佐団のメンバーには初めてアシスタントを任命する権限が与えられました。全国行政会と地方行政会の数は増加し、その能力はバハイ共同体に奉仕し、より広い社会との関わりを通して影響力を拡大するために発展しました。全国精神行政会が直面する複雑化する問題に対処するのを助ける一方で、共同体の行政事務における中央集権と地方分権の間のバランスを維持するために、1997年に地域バハイ協議会が導入されました。守護者の時代に確立された布教委員会のシステムは、徐々に、近隣や村落にまで浸透し、より分権化されたレベルで計画や意思決定に責任を持つことができる組織へと移行していきました。300を超えるトレーニング・インスティチュート、200を超える地域協議会、5,000を超えるクラスターに管理体制が確立されました。  1992年のレズワンに、ホゴゴラの法はバハイ世界全体に普遍的に適用され、その後、その組織的構造は、地域レベル、国レベルの理事会と代理人のネットワークの設立を通して、また2005年には国際受託人理事会の任命を通して強化されました。  ショーギ・エフェンディの逝去後、ウガンダ、オーストラリア、ドイツ、パナマでマシュレゴウル・アズカルの建設が完了し、サモア、インド、チリでも徐々に建設されました。2012年に、礼拝堂建設のプロセスは全国、および地方レベルに拡大されました。

38. そして100年以上にわたって、一連の発展段階を経て、個人と共同体と機構の関係はますます複雑な形に進化し、行政の基盤は拡張され、その方法は絶えず適応され、協力のための取り決めは明確化され、絶えず洗練されてきました。  形成期の最初の世紀の始まりに、選挙で選ばれた組織のネットワークとして始まったものは、その世紀の終わりには、草の根から国際的なレベルまで広がる、広大な組織や機関の群となり、多様な文化的背景や社会的環境の中で、共通の事業の中で、思想と行動においてバハイ世界を団結させています。

 

39. 今日、行政機構はまだ完全に成熟していませんが、バハオラによって発足したシステムは、人間関係の新しい交流の形と顕著な力強さを示しています。それは、三主人公がバハイ教の有機的な発展とより良い世界づくりへの献身という共通の目的に従事するなかで、この三主人公の関係性に見ることができます。  志を同じくする仲間たちとともに過ごすなかで、また、勉強やリフレクションその他多くの社会的交流のさまざまな場において、個人は自分の考えの正しさを強く主張することなく、協議のプロセスを通じて自分の意見を述べ真実を追求します。彼らはともに周囲の現実を読み取り、利用可能な導きの深さを探求し、教義と蓄積された経験から重要な洞察を引き出し、協力的で精神的に高揚する環境を作り、能力を高め、時とともに効果と複雑性を増していく行動を開始します。彼らは、個人が最もよくイニシアチブを発揮できる活動分野と、機関だけに委ねられている活動分野とを区別しようとし、また、機関からの指導と指示を心から歓迎します。先進的なクラスターや、活発な活動の中心地である村や近隣地域には、共通のアイデンティティ、意志、目的意識を持った共同体が生まれます。その共同体は、すべての人を歓迎し、すべての人を向上させようとするさまざまな補完的で相互強化的な活動のなかで、個人の能力を育むとともに人々を団結させる環境を提供します。このような共同体は、メンバー間の一体感、あらゆる偏見からの解放、献身的性格、男女平等への取り組み、人類への無私の奉仕、教育過程と美徳の育成、そして体系的に学び、社会の物質的、社会的、精神的進歩に貢献するための能力によって、ますます際立つようになってきています。  機構に仕えるため召集された共同体のメンバーは、自分の好き嫌いを捨て、自分が大業の中心的な誇りある存在であると考えたり、他の人より優れていると考えたりせず、信者たちの考えや行動を支配しようとするいかなる試みも避けなければならないという義務を自覚するよう努めます。 機関は、自分たちの責任を果たすなかで、共同体のすべてのグループ間の創造的で協力的な交流を促進し、合意を形成し、課題を克服し、精神的な健康と活力を育み、共同体の目的と目標を追求するための最も効果的な方法を、経験を通して決定するよう努めます。 共同体は、 教育機関の設立を含む様々な手段を通じて、信者の精神的、知的成長を促します。

 40. このような三主人公の新たな関係性と能力の結果、戦略的に考え、行動する能力を持つ人々の輪は広がり、援助、資源、励まし、愛情に満ちた指導が必要なところに広がっています。  草の根レベルから国際レベルまで、世界中で経験と見識が共有されています。このダイナミックな活動によって生み出された生活パターンは、統一された世界というバハオラのビジョンによって活気づけられ、あらゆる階層の何百万もの魂を包含しています。  次々と多くの国で、世界の差し迫ったニーズに対処するバハオラのシステムの力に、両親、教育者、伝統的な指導者、役人、思想の指導者たちの注意が、引きつけられています。当然のことながら、すべての共同体が最も前進した特徴を示しているわけではありません。 バハイの歴史上、常にそうでした。 とはいえ、ある場所での新しい能力の出現は、明らかな進歩のシグナルであり、他も必ずその道をたどるという予兆となります。

 41. これからの時期(epochs)や世紀にわたって、行政秩序は、信教の成長と変化する社会の必要性に応じて、その有機的な進化を続けるでしょう。  ショーギ・エフェンディは、「その構成要素、つまりその有機的な機構が効率と活力をもって機能し始める」につれて、行政秩序は、「時が満ちれば全人類を包含する運命にある新世界秩序の核のみならずその型自体と見なされる主張を確言し、その能力を示す」ようになると予期しています。  このように、バハオラのシステムが結晶化するにつれて、それは人類に新しい、より生産的な組織化の方法を提示するでしょう。  この有機的な進化の過程で、個人と共同体と機構の間の関係は必然的に新しい方向へ、時には予期せぬ方法で展開するでしょう。  しかし、正義院を包含する揺るぎない神の保護は、バハイ世界が人類の社会進化における非常に危険な時期の混乱を航行する中で『摂理』によって定められた道を逸れることなくたどることを保証します。

  

信教の世界的な広がりと発展

 42. バハオラによって育てられた共同体は、その設立当初から、人数も少なく、地理的にも限られていましたが、バハオラの高尚な教えによって活気づけられており、個人的、社会的変革への精神的な道を求めるすべての人に、その教えを惜しみなく分かち合うために立ち上がりました。  やがて友らは、人間の精神を高揚させ、家族、共同体、そして社会全体の改善に貢献するため、志を同じくする人々や組織と緊密に協力して活動することを学びました。  バハオラのメッセージへの受容性があらゆる土地で見出され、何世代にもわたる献身的で犠牲的な努力によって、バハイの共同体は世界中、遠く離れた都市や村々に生まれ、人類の多様性を包含するようになりました。

 

43. バブの宗教制には、信教は2カ国で確立されました。  バハオラの時期には合計15カ国に広がり、アブドル・バハの時期が終わるまでにはおよそ35カ国に達しました。  世界大戦の激動の時代に、アブドル・バハはその貴重な遺産の一つ、つまりバハオラの教えの広がりによる地球の精神的啓蒙の壮大な構想である『聖なる計画の書簡』を啓示しました。この貴重な憲章は、集団的で組織的な努力を呼びかけました。しかし、師が亡くなる頃には、これは共同体の思想と行動にはほとんど浸透しておらず、信教の数少ない英雄のみ、中でもマーサ・ルートがこれに呼応して立ち上がりました。

 

44. アブドル・バハのペンによって聖なる計画が啓示されてから20年間、その実行は、ショーギ・エフェンディに導かれた友らが、信教の行政体制を作り上げ、その適切な機能を育むことができるようになるまで、保留されました。  初期の行政構造がしっかりと整って初めて、守護者はアブドル・バハの聖なる計画に基づいた信教の発展のビジョンを明確にし始めることができました。  行政が複雑さを増していく異なる段階を経て発展していったように、バハオラの教えを分かち合い適用する努力もまた有機的に発展していきました。それは、ますます拡大していく数の人を包含し、友らがより大きな課題に挑むことを可能にし、一層の個人的および社会的変革に貢献できる共同体生活の新しい模様を生み出しました。

 

45. この体系的な努力を始めるために、ショーギ・エフェンディは、「精力的に追求し、継続的に拡大されていく」「体系的で、注意深く構想され、確立された計画」を考案するよう、アメリカとカナダの共同体に呼びかけました。その両共同体は、聖なる計画の書簡の受取人に選ばれたのであり、ショーギ・エフェンディはそれぞれをその主要な実行者とその同盟者に指名しました。この呼びかけの結果、バハオラの教えをラテンアメリカに伝えた第一次七ヵ年計画が1937年に開始され、それに継いて、ヨーロッパにおける信教の発展に重点を置いた第二次七ヵ年計画が1946年に発足されました。 ショーギ・エフェンディは、他の国の共同体でも同様にティーチング活動を奨励し、それらの共同体もその後、彼が目を光らせる下で国レベルの計画を採用しました。 インドおよびビルマの全国精神行政会は1938年に最初の計画を採用し、イギリス諸島は1944年、ペルシャは1946年、オーストラリアおよびニュージーランドは1947年、イラクは1947年、カナダ、エジプトおよびスーダン、それにドイツおよびオーストリアは1948年、中央アメリカは1952年に採用しました。  これらの計画はいずれも同じ基本的なパターンに従いました。それは、個人を教え、地方行政会を設立して共同体を育て、本国や別の土地にさらなる地方を開拓し、また同じパターンを繰り返すというパターンでした。  ある国や地域で健全な基盤が築かれると、新しい全国行政会を立ち上げることができました。

 

46. この数年間、ショーギ・エフェンディは、それぞれの国の行政会で採択された計画の中で、信教を教える責任を果たすよう、常に友らを励ましました。  そのうちに、パイオニア、布教旅行、ファイヤサイド、サマースクール、志を同じくする団体の活動への参加などの方法が、特定の場所で効果的であることが証明され、彼は世界の他の地域の友らにそれらを採用するよう促しました。  拡大への努力は、バハイ信教の独特な宗教共同体としてのアイデンティティと性格を確固たるものにするために必要な、内部の発展に重点を置くことと一致しました。  この変革の過程は、信者のために信教の歴史を説明し、バハイ暦の使用を促進し、祝祭日や聖なる日の記念に定期的に参加することを強調し、バハイの結婚の規定などのバハイの掟に従う義務を受け入れるように忍耐強く導いた守護者によって注意深く育成されました。 徐々に、信教は世界宗教として台頭し、姉妹宗教の中でその地位を占めるようになりました。

 

47. 国際的な機関の発足とともに、布教分野における信教の集団的な努力は、国際協力の場へと移っていきました。  1951年、5つの国の共同体が協力して、信教をアフリカ大陸全体に広めるための「非常に有望」で「非常に意義深い」アフリカ・キャンペーンを実施しました。  そして1953年、「10年聖戦」が開始され、現存する12のすべての行政会の努力が、この種のものとしては初めてとなる世界共通の計画に統合されました。守護者の働きのこの頂点に立つ段階において、友らが育て上げた管理組織のネットワークと、彼らが開発した実証済みのティーチング方法は、バハイ・共同体がかつて目撃したことのないような集団的な精神的事業に用いられました。

 

48. 信徒たちがその貴重な信教を伝えるために遠くまで旅をする中で、彼らは多様な人々の間に、その原理と教えに対する大きな受容性を見出しました。これらの人々は、バハオラの啓示の中に、自分たちの人生に対するより深い意味と目的、そして自分たちの共同体が困難を克服し、精神的、社会的、物質的に進歩することを可能にする新鮮な洞察を発見しました。  最初は個人から個人へと徐々に広まっていった神の光は、こうして人類の大衆の間に急速に拡散し始めました。アブドル・バハによって予言された隊を成す集団加入現象の前触れは、ウガンダ、ガンビア、ギルバート島とエリス島、そして後にはインドネシアとカメルーンでの数百人の信者の入信で明らかになりました。  この計画が終了する前に、そのプロセスは他の多くの国々でも始まり、信教を受け入れた人々は数万人、あるいはそれ以上に達しました。

 

49. ショーギ・エフェンディの逝去後、大業の翼成者たちは、守護者が概説した道を揺るぎなくたどることによって、10年聖戦を成功裏に完了させました。 守護者の指導の下で学んだ教訓を適用することによって、10年間で前の世紀よりも多くのことが教えの分野で達成されました。信教は131の新しい国と地域に広がり、バハイが居住する地域の数は11,000を超え、全国精神行政会は56、地方行政会は3,500以上設立されました。 この事業は、アブドル・バハによって定められた規定に従って、全国行政会のメンバーによる万国正義院の選挙で頂点に達しました。

 

50. 正義院は設立後、神の計画を組織的に遂行し続けました。守護者が提供する活動の範囲を徐々に拡大し、強化し、活動の様々な側面を追加または拡張し、すべての全国行政会の活動を調整及び統一することで、第二期(second epoch)を開始しました。重点分野の中で、注目が集まる、または注目が高まった分野があります。それは、大業への奉仕における全員参加と法や教えに対する個人の理解を深めることでした。  さらに、機構を強化する過程では、新しく設立された顧問委員会と全国行政会、また補佐団と地方精神行政会の協力が強調されました。  共同体生活は、子どもクラス、ユースと女性のための活動の導入、定期的に行政会の会議を開催することで充実しました。他の取り組みには、信教の広範囲にわたる宣布とメディアによるプロモーション、サマースクールや教育機関を含む学習センターの開発、社会生活へのより深い関与、バハイ奨学金の促進などがありました。

 

51. これら全ての努力の結果として、1990年代までに信教は数万の地域に広がりました。そして全国行政会の数は3倍以上の約180となりました。この間、国レベルの共同体の発展は大まかに2つのパターンに展開しました。それは主に、より幅広い人々の反応に依存していました。最初の地域共同体は規模が小さい傾向にありました。信者数が100人以上に成長したところはわずかでした。これらの共同体は、多くの場合、強力な強化プロセスを特徴としました。そのおかげで、幅広い活動とバハイのアイデンティティの強い意識が芽生えました。しかし、次第に明らかになったのは、団結し信念を共有し、高い理想を特徴とし、物事の管理とニーズへの貢献に熟練していても、そのような小さな共同体がどれほど繁栄し、人道的取り組みを通して他者に奉仕しようとしていても社会全体を再構築するためのモデルとなることは決して期待できないということでした。

 

52. 二番目のパターンは、集団加入が始まった国々で具現化しました。その結果、会員数、新しい地域、新しい機構が飛躍的に増加しました。いくつかの国では、バハイ共同体が10万人以上の信者で構成され、インドでは約200万人に達しました。  実際、1980年代後半のたった2年間に、世界中で100万人以上が信教を受け入れました。しかし、そのような場所では、創造的で犠牲的な努力がなされたにもかかわらず、強化のプロセスは拡大に追いつくことができませんでした。 多くの人々がバハイとなりましたが、これらの新しい信者たちが信教の基本的な真理を十分に深め、活気ある共同体を発展させるための手段は存在しませんでした。増加し続ける子供たちと青少年に提供するのに十分な数のバハイ教育のクラスを設立することができませんでした。3万以上の地方行政会が結成されましたが、機能し始めたのはそのうちのほんの一部だけでした。 この経験から、時折行われる教育コースや非公式の共同体活動は、重要ではあるものの、十分ではないことが明らかになりました。なぜなら、結局、大業の積極的な支持者の比較的小さいグループを立ち上げる結果となり、彼らがどんなに献身的でも、何千人もの新しい信者のニーズを満たすことができなかったからです。

 

53. 1996年には、バハイ世界は、長年にわたって多くの進歩に貢献してきた多くの活動領域が再評価と方向転換を必要とする段階に達していました。  個人、共同体、組織は、多くの人々が到達できる行動様式を開始する方法を学ぶだけでなく、加速する拡大に合わせて強化を進められるように、奉仕行為に従事できる個人の数を急速に増やす方法を学ぶ必要がありました。  世界の多くの人々に信教を紹介する努力は、より体系的なものにならなければなりませんでした。  4年計画の中で「集団加入のプロセスを大幅に前進させる」という呼びかけは、信教の状況と人類の状況が、バハイの世界共同体を大規模に持続的に成長させることを可能にし、必要でさえあることを認めることを意図していました。  そうして初めて、人類の性格を変革するバハオラの教えの力がますます実現されました。

 

54. 4年計画の当初、各地域の仲間たちは、それぞれの状況に適したアプローチや方法を特定し、成功や困難を検証し、それに応じて方法を調整・改善し、学び、ためらうことなく前進する、体系的な共同体発展のプロセスを開始するよう奨励されました。  行動方針が明確でない場合は、同計画によって特定された具体的な課題に対するさまざまなアプローチを、異なった場所で試すことができました。特定の地域でのイニシアチブが、経験を通じて効果的であることが証明された場合、その特徴は、国や国際レベルの機構と共有され、その後、他の場所に普及し、将来の計画の構成要素になることさえありました。

 

55. 四半世紀の間に、成長について学ぶこのプロセスは、さまざまな概念、手段、アプローチを生み出し、共同体の行動の枠組みを絶えず進化させていきました。  その中でも最も顕著なものは、子ども、ジュニアユース、若者と成人のための教育プログラムを提供するトレーニング・インスティチュートのネットワークを構築し、大勢の仲間を力づけ、奉仕のための能力を高めることを可能にしたことです。もう一つは、クラスターの構成でした。これは、成長プログラムの開始と漸進的な強化を通じて、管理可能な地理的地域におけるティーチング活動の体系化を促進し、各国内および全世界における信教の普及と発展を加速させるものでした。  このような成長プログラムの中で、共同体生活の新しいパターンが生まれました。それは、多くの人々の入口となる4つの中心的な活動を増やすことから始まり、個人的・集団的なティーチング、家庭訪問、社交的集会の主催、フィーストと聖日の遵守、共同体の運営、社会的・経済的発展のための活動の推進など、さまざまな努力と組み合わされ、これらすべてが一体となって共同体の精神的性格に変化をもたらし、個人や家族の間の社会的結びつきを強めることになりました。

 

56. 「聖なる計画の書簡」の規定を実行するために努力した一世紀を振り返ってみると、バハイの世界が文化のレベルで大きな進歩を経験したことが明らかになります。  これまで以上に多くの人々が、友らの経験と正義院の導きによって発展する行動の枠組みの中で、成長と発展に関連する教えを適用することを意識的に学ぶプロセスに従事するようになりました。この学びのプロセスに従事する能力の向上は、バハイ共同体でますます顕れてきた特徴にはっきりと見られます。それらは、成功を祝うにせよ、障害や挫折に直面して忍耐するにせよ、謙虚に学ぶ姿勢を維持すること、すべての人を歓迎する方向性を保ちながらバハイのアイデンティティを強化すること、体系的で首尾一貫した大業の活動へのアプローチを育み続けながら、これまで以上に広範囲に及ぶ活動領域で行動することです。  何千ものクラスターで、ますます多くの人々が、自分自身の発展と進歩のために知識を獲得し、生成し、適用する主人公として自分自身を見るようになりました。  彼らは、家族、友人、知人として、高尚な精神的テーマや社会的に重要な事柄について議論し、祈りに満ちた性格によって際立った生活パターンを形成する活動を開始し、若者に教育を提供し、彼らの奉仕の能力を高め、地域社会の物質的・社会的進歩に貢献しています。  彼らは、地域社会と世界全体の向上に貢献する力を与えられています。  このように考え、行動することで、彼らは宗教の目的そのものの理解をより深めています。

 

 

社会生活への関与

 

57. アブドル・バハの聖なる計画の展開のもう一つの側面は、バハイ共同体が社会の生活により深く関わることです。  ショーギ・エフェンディは、その在任期間の当初から、バハオラの啓示が社会に有機的な変化をもたらす力を持っていること、つまり、その変化は最終的に精神文明の出現をもたらすプロセスであるということに、友らの注意を繰り返し引きつけました。  それゆえ、バハイは、バハオラの教えを個人の精神的な変容のためだけでなく、物質的、社会的な変容のためにも適用することを学ばなければなりませんでした。その試みはまず自分たちの属する共同体から始まり、次第にその輪を一般社会にひろげました。

 

58. アブドル・バハの時代、イランのいくつかのバハイ共同体は、近隣諸国のいくつかのバハイ共同体とともに、社会的・経済的発展のための系統的な努力を追求できる規模に達し、条件を備えていました。  アブドル・バハは、彼らの進歩を導き育てるために、友らと共に精力的に働かれました。  例えば、彼はイランの信者たちに、社会のあらゆる部門から、男子だけでなく女子にも開かれた学校を設立し、そこで芸術や科学と同様に優れた人格形成の訓練を奨励しました。  彼はこの発展の開発作業を支援するために西洋から信者を派遣しました。  近隣のアダシイイと遠く離れたダイダナウのバハイの村々には、これらの共同体の精神的・物質的繁栄のための指導を与えられました。  イシュカバードにあるマシュレゴウル・アズカルの周辺に、教育やその他の公共サービスのための関連施設を作るよう指示されました。  彼の奨励により、エジプトとコーカサスに学校が設立されました。  彼の昇天後、ショーギ・エフェンディは、これらの活動を拡大するための指導をお与えになりました。  健康、識字、女性と女子の教育を促進する活動は、イランの共同体全体に広がりました。  アブドル・バハが与えた最初の推進力に突き動かされ、イラン全土の都市や村に学校が続々と開校されました。  これらの学校は、1934年に政府によって閉鎖を余儀なくされるまで、ひとときの間繁栄し、イランの近代化に貢献しました。

 

59. しかし、ショーギ・エフェンディは、他の場所では、限られた人的・財政的資源を布教と行政機構の設立に集中するよう、友らに助言しました。  彼の代理により書かれた手紙によると、「信教への献金は、飢えと困窮の重荷を人類からきっぱりと取り除くための確実な方法なのです。なぜなら、神に起源を持つバハオラの機構を通してのみ、世界は立ち直らせる」ことができるからです」。さらに手紙は、他の人たちは「私たちの仕事のために寄付できず、また、私たちの代わりにそれをすることもできないのです」と続き、 「従って、私たちの第一の義務は、私たち自身の布教活動を援助することであります。それによって、諸々の国が立ち直ることになるからです」と説明しています。  個人が物質的、社会的な発展に貢献できる私的な道を見つける一方で、たいていの場合バハイは、その資源を成長と共同体の構築に集中させました。  正義院が選出された後の最初の数年間、指導はこの潮流に沿って続けられました。  このように、社会的、経済的発展の概念はバハオラの教えの中に謳われていますが、守護者の在任期間とその後の年月を通しての信教の状況により、バハイ世界の大部分にとって発展の活動を行うことは現実的ではありませんでした。

 

60. 1983年、ティーチングの分野での数十年にわたるたゆまぬ努力の結果、また、世界の多くの国々で著しい成長を遂げた結果、「最大名」の共同体は、社会的・経済的発展のための活動を、その通常の活動に取り入れることができる、いや、取り入れなければならない段階に達しました。  友らは、精神的な原則を実践し、行いを正し、協議という手法を実践することを通じて、自分自身を高め、自分自身の発展の主体者として責任を負うよう努力するよう促されました。  正義院が世界中でこの分野における友らの活動を促進し、調整するのを支援するために、社会経済開発局が世界センターに設立され、 やがて開発についての学びに対する全世界的なプロセスを援助するようになりました。個々の信者は、バハイだけでなく、より広範囲の共同体を包含する様々な活動を開始するために立ち上がりました。

 

61. 十年も経たないうちに、女性の地位向上、教育、保健、マスコミ、農業、経済活動、環境など、さまざまな問題に取り組む何百もの開発活動が世界中で開始されました。  それらの活動には、様々な程度の複雑さが見られました。村や町での短期間の極めて単純な活動は、その地方が直面する特定の問題や課題に対応して計画されたものでした。  学校や診療所のような持続的なプロジェクトは、長期間にわたって社会的ニーズを満たすために設立され、多くの場合、その存続と効果を保証するための組織構造も伴っていました。  そしてついに1996年までに、比較的複雑なプログラム構造を持つ、バハイに影響を受けたいくつかの組織が、一定の地域に重要な影響をもたらすような首尾一貫した開発アプローチを、住民の中で体系的に追求することを学ぶために、個人らによって設立されました。 これらのすべての努力において、友らは精神的な原則を現実的な問題に適用しようとしました。

 

62. バハイの影響を受けた機関や、バハイの機構の直接の監督下にある機関が国々に現れるようになると、共同体やより広い社会における彼らの努力の影響はますます明白になり、生活の物質的な次元と精神的な次元の間の生き生きとした調和が見られるようになりました。  進歩は行動だけでなく、思考のレベルでも起こりました。  仲間たちは一連の基本的な概念を理解するようになりました:  世界は先進国と低開発国に分けられるものではなく、すべての人々が変革と彼らの安全と繁栄に必要な精神的、社会的、物質的条件を提供する環境を必要としているのです。  開発とは、ある人々が他の人々に代わって行うプロセスではなく、むしろ、どこに住んでいようと、人々自身が自らの開発の主役なのです。  知識へのアクセスと、その生成、応用、普及への参加が、努力の中心です。  取り組みは小さなものから始まり、経験の蓄積とともに複雑さを増していきます。  ある地域で効果が実証されたプログラムは、他の地域にも体系的に導入することができます。  これらの原則や概念が特定の環境において適用されるにつれて、仲間たちはますます社会状況を分析すること、バハイの文献や関連するさまざまな知識の領域から洞察を引き出すこと、地域づくりの活動と完全に一体となった活動を開始することに習熟するようになります。

 

63. 2018年までに、世界中のバハイの開発に対する活動の拡大と複雑さの増大は、聖地に新しい機構-バハイ国際開発機構-の設立を促しました。この世界的な機構は、それまで社会経済開発局が担ってきた機能と任務を引き継ぎ、さらに拡張し、世界中の個人、共同体、機構、機関の社会的活動のための努力を強化します。  以前の社会経済開発局と同様に、その主な目的は、すべて信教の教えに照らして実施される行動と考察、経験の集積と体系化、概念化、訓練を促進し支援することによって、バハイ世界で展開されている開発についての世界的な学習プロセスを援助することです。  最終的には、開発へのバハイ特有のアプローチを促進することを目指しています。

 

 

64. 拡大と強化、社会経済開発のプロセスの体系的な展開と並行して、もう一つの主要な行動領域が現れました。つまり、社会に普及している論議にますますと参加することです。 人類の抱える問題についての討議が行われる社会的な場において、バハオラはバハオラの啓示の海から引き出された適切な洞察を分かち合おうとしています。  バハオラ御自身が、当初、世界の指導者たちに直接、その癒しの療法を宣言され、全人類がそれを採用するよう訴えられたのです。  王たちや支配者たちがバハオラの主張する内容が神からのもであることに肯定的な反応を示さなかったにもかかわらず、バハオラは彼らに、世界平和の確立のために彼の原理を適用するよう呼びかけました:  「『最大平和』を拒否した今、この『小平和』を堅持せよ。それにより、自身と人民の状態をいくらか改善できるように」。 アブドル・バハは、「ハーグへの書簡」のような書の中で、また特に西洋への旅行中に行われた講演の中で、人類が直面している無数の困難に取り組む権力を持つ人々や大衆に父の教えを絶え間なく宣べ伝えました。

 

65. ショーギ・エフェンディは、バハイの教えに収められている洞察と知恵を世界の人々や指導者たちに知らせることの不可欠の重要性を認識し、そのためのイニシアチブを彼の在任期間の初期に育成しました。  1925年にジュネーブにバハイ情報局を開設したこと、『バハイ世界』(The Baha’i World) の各巻を出版したこと、知識のあるバハイたちに、世界のさまざまな差し迫った問題に関連して、教えを現代の思想と関連づけるよう呼びかけたことなどです。  国連の設立後、バハイ国際共同体は、世界中のバハイ共同体を代表する非政府組織として1948年に設立され、その国際機関の活動の側面にますます関与するようになりました。  これは、信教と政府、国際機関、国際領域における市民社会の機関との継続的な関係における新たな章を開いたのです。  守護者は、この分野での活動により、布教活動の重要性を弱めないようにしながらも、バハオラの教えの意味を一般社会に知らせるよう友らに勧めました。そして、ある全国共同体に、こう書きました− 「行政秩序の基盤を強化し、その基盤を広げるこのプロセスに付随して」、特に「公共思想の指導者たち」とのより緊密な接触を確立するために、「断固とした試みがなされるべきです」。  また、交流関係は持っても所属関係を持つことはなく、また政治的な問題に参加することのないように強調しながら、守護者は、社会的な問題に関心を持つ同種の団体と関わりを持ち、世界平和の確立などに関する信教の目的・目標や教えの本質を知らせるよう、信徒たちに促しました。

 

66. 万国正義院の設立後、社会の論議に参加するこのプロセスはさらに拡大されました。  タイミングよく、正義院自体が、世界の人々に向けたメッセージ「世界平和の確証」のように、信教の原理を広く普及するよう手配しました。  バハイ国際共同体は、国連での地位を強化し、最終的には1970年代に国連の様々な機関とより正式な提携を結びました。  世界情勢に関する声明を発表し、非政府組織だけでなく、政府とも関わる独自の場を作りました。交流関係を持った組織から、私利私欲に走ることなく、すべての人々の幸福のために活動していることが認められ,  リオデジャネイロの「環境と持続可能な開発会議」、北京の「世界女性会議」、コペンハーゲンの「世界社会開発サミット」、ニューヨークの「ミレニアム・フォーラム」など、さまざまな国際シンポジウムで建設的な役割を果たしました。  イラン革命とイランにおけるバハイ教徒に対する迫害の再燃の後、いくつかの国の共同体は、様々な国内機関や国際機関とより緊密な対話をする必要に迫られました。  その結果、信教を擁護するための国際レベルでの努力を強化するために、全国レベルで外務局を設立しました。

 

67. 二十一世紀が始まると、大業の有機的な進歩は、社会の論議により体系的に関与するための状況を生み出しました。  国際的、又は国内バハイのウェブサイトは、様々なトピックにわたる教えのプレゼンテーションを劇的に拡大しました。  世界繁栄研究所は、差し迫った社会問題に対するバハオラの教えの影響について研究を行うために設立されました。その後、バハイの大学生が理解を促進させ、能力を発達させるための一連のセミナーも開始しました。バハイ国際共同体の活動は、当初ニューヨークとジュネーブが中心でしたが、アディスアベバブリュッセル、ジャカルタの地域センターに拡大されました。  国レベルでは、外務局がそれぞれの共同体を代表して、組織的に特定の国における論議に参加する方法を学ぶようになりました。  さまざまな国で集中的に取り上げられたテーマの中には、女性の地位向上、社会における宗教の役割、青少年の精神的・道徳的エンパワーメント、正義の推進、社会的結束の強化などがあります。  今日、このような各国での論議に貢献した経験から学ぶ世界的なプロセスは、バハイ世界センターの広報局によって促進されています。  また、近隣や村落の草の根、そして職場や個人として参加する上記以外の社会的空間で、友らは、建設的な変化をもたらすために必要な同胞間の思考と行動の進化への貢献として、バハイの著作から概念を提供することを学んでいます。

 

68. 旧世界秩序の崩壊のプロセスが激化し、論議がますます粗雑化し、分極化し、人類を分断している競合する派閥やイデオロギー間で対立が再燃するにつれて、社会のこれらすべてのレベルでの関与がより急務となっています。  バハオラの描く変革にはすべての人の参加が必要であるという理解に基づき、バハイは共通の目的を追求する多くの共感的な個人や組織と協力することを求めています。  このような協力的な取り組みにおいて、友らはバハオラの教えからの洞察や、自分たちの共同体形成の取り組みで得た実践的な教訓を分かち合うと同時に、協力し合うパートナーの経験から学びます。  個人、地域社会、市民団体や政府組織と協力する際、友らは多くの社会問題についての議論が対立的なものになったり、政治的野心が絡んだりする可能性があることを意識しています。  バハイがより広い社会とより深く関わるようになるすべての状況において、友らはコンセンサスと思考の統一を促進し、人類の差し迫った問題に対する解決策のための協力と共通の探求を促進するよう努めます。  友らにとって、目的を達成する手段は目的そのものと同じくらい重要なのです。

 

69. より広い社会の生活に今まで以上に関わるようになるプロセスが世界中のバハイ共同体に根付いてくる際、それは当初、布教活動や行政機能の発展と並行して展開されました。  しかし、ここ数十年で、社会的な活動や社会の論議への関与のための努力は、友らが地球規模計画の行動のための概念的枠組みの要素をますます適用するにつれ、拡大や強化に関連する努力と顕著な一貫性を持つようになりました。  クラスターで活動するにつれ、友らは否応なく周囲の社会生活に引き込まれ、成長と共同体形成のための努力を後押しする学習プロセスは、活動の幅を広げています。  友らが周りの社会の状況を理解する能力を培い、バハオラの啓示や人間の知識の関連分野の概念を探求する場を作り、現実的な問題に洞察をもたらし、信者の間やより広い共同体の中で能力を構築するにつれ、 共同体の生活は、物質的、社会的、精神的な進歩への貢献度によってますます特徴付けられます。  このような様々な分野にわたる努力の一貫性が急増した結果、社会経済発展のための最も基本的な草の根活動は、1990年の数百件から2000年には数千件に、そして2021年には数万件にまで増加しました。崩壊の力が作用したために生じたさまざまな問題に困惑し、分断されている人類が新たな洞察を切望するにつれ、 社会的論議へのバハイの関与は、地域から国家に至るまで、数え切れないほど多くの場面で反響を呼び、肯定的な反応を得ています。  社会のあらゆるレベルにおいて、思想の指導者たちはバハイの共同体を、これまで以上に不統一で機能不全に陥った世界が切実に必要としている新鮮な概念やアプローチと一層関連付けています。  形成期の最初の世紀の始まりにはほとんど潜在的であった信教の社会構築の力は、今、各国でますます明瞭になっています。  世界中の個人、共同体、機構間の新しい学習能力と新しい意識から生じるこの社会構築力の放出は、神の計画の展開における現在と次の数段階の証となる運命にあります。

 

 

バハイ世界センターの発展

 

70. 信教の成長と行政の展開と並行して、もう一つの憲章であるバハオラの「カルメルの書簡」の推進力によって動き出した形成期の最初の世紀に、バハイ世界センターで同様に重要な発展が起こりました。  3つの憲章に関連するプロセスの相互作用については、バハイ世界の行政センターの制度や機関の出現を含め、すでに言及しました。  この説明に、今度はその精神的中心の発展についての考察を加えることができます。

 

71. バハオラの足跡がアッカの海岸に達した時、バハオラの宣布のクライマックスが始まりました。 万軍の主が聖地に顕現されたのです。  彼の到着は、何千年も前に預言者たちの舌を通して予言されていました。  しかし、その予言の成就は、御自身の意志によるものではなく、御自身が公言する敵の手による迫害によるものでした。 ある書簡でバハオラはこう書いています−「到着したとき、我々は幾重の光の旗で歓迎された。そして聖霊の声が次のように轟いた−『やがて地上に住むすべての者はこれらの旗の下に集められよう』」。その土地の霊的な効力は、主の臨在と、主の神聖な遺体の埋葬によって、またその後まもなく自身が神の顕示者であるバブの遺体の埋葬によって、計り知れないほど高まりました。  現在この地は、すべてのバハイの心が惹かれる場所であり、彼らの献身の中心地であり、巡礼を目指す人々の目標地となっています。  バハイの聖地は、聖地の人々、そして実にあらゆる土地の人々を歓迎します。  聖地は全人類のための貴重な信託なのです。

 

72. しかし、英雄の時代が終わり、その後何年もの間、信教の精神的な中心をバハイが所有する力はほとんどありませんでした。  アブドル・バハが父の眠る場所で祈りを捧げることさえ、どれほど困難であったことか。  殉教の地からの長旅の後、バハオラの命によりバブの遺骸が安置された建造物を構築しことで、扇動罪で告発されたアブドル・バハの状況はどれほど悲惨なものであったことか。  世界センターの危険で不安定な状態は、守護者がその任に就いて間もなく、バハオラの廟の鍵が聖約の破壊者たちによって押収されたことからも明らかなように、守護者の在任中も続きました。  このように、ショーギ・エフェンディがその在任期間を通して追求した最初の、そして最も重要な任務の一つは、対となるの聖廟とその他の聖地を保護し、保全し、拡張し、美化することでした。  この目的を達成するために、彼は世界的な経済の混乱、戦争、度重なる政治の転換、社会の不安定などを含めた、聖地が劇的に変化する時代を切り抜けなければなりませんでしたが、一方で、彼以前にアブドル・バハがしていたように、すべての人々との親交と確立された政府権威への敬意という不変のバハイの原則を支持しなければなりませんでした。  一時は、バハオラの遺骨をカルメル山の適切な場所に移し、その保護を確保することを考えなければならなかったほどでした。  そして、地元の小さな信者の一団を世界の他の地域に分散させるように指示しながらも、騒乱と争いの時代にもハイファに確固として留まりました。 この苦労の多い、しかし精力的に果たされた守護者の義務は、人生の最期まで続きました。その最後日々に、バハオラの廟は最終的に行政当局によってバハイの聖地として認められ、バハイの世界はその最も神聖な場所を保存し、美化する自由を得たのです。

 

73. 聖地を取得し、修復し、保持する努力の過程で、守護者は聖なる廟とバージの館を囲む敷地を大幅に拡張し、最終的に広大な幾何学式庭園となるものに着手しました。  神の山では、アブドル・バハによって始められたバブの廟を長らく遅れていた完成へと導き、3つの部屋を追加し、回廊を作り、黄金のドームを掛け、緑で囲みました。  彼は、「世界的バハイ行政秩序の建物が建設されることになる遠大な弧」をたどり、そのアーク(弧)の一端に最初の建造物である国際資料館を建て、その中心に、「最大の聖なる葉」、その弟、そして母親の安息の地を据えました。  世界センターの発展のための守護者の努力は、万国正義院の指揮の下で続けられました。  アブドル・バハによって構想され、守護者によって始められたように、追加の土地と聖地が取得され、美化され、アーク上の建物が建てられ、カルメル山の麓から頂上までテラスが造られました。 形成期の1世紀が終わる前に、バブの廟の近辺の敷地は17万平方メートル以上に広げられ、一連の土地の交換と取得によって、バハオラの廟のすぐ近辺の敷地は約4000平方メートルから45万平方メートル以上に拡張されました。  そして2019年、アブドル・バハの永眠の地としてふさわしい廟の建設が、レズワン庭園近くのアッカで始まりました。

 

74. 一世紀の間に、バハイの行政センターの発展のペースも加速しました。  守護者は、任に就いた初期の何年もの間、有能な助力者の支援を切望していましたが、当時のバハイの世界は小さすぎて、必要な支援を得ることはできませんでした。  しかし、共同体が成長するにつれて、正義院は、急速に発展する信教に不可欠な部署や機関を設立し、世界センターだけでなく、世界中に拡大する共同体のニーズに応えるために、とぎれなく集まるボランティアから恩恵をますます受けることができるようになりました。  質問と助言、洞察と指導、訪問者と巡礼者は、今や地球上のあらゆる場所とバハイ世界の中心地との間を絶え間なく行き来しています。  ショーギ・エフェンディがイスラエルの民政当局と良好な関係を築くために始めた忍耐強い努力は、数十年にわたる変化と不確定の期間後、1987年、万国正義院の庇護の下で運営される世界的なバハイ共同体の精神的・行政的中心としてのバハイ世界センターの地位の正式な承認という形で結実しました。

 

75.個人、共同体、機構の間の関係がこれまでの成果を土台にして、新たな課題に立ち向かいながら、時とともに進化してきたと同じように、バハイ世界センターと世界中のバハイとの関係も進化してきたといえるでしょう。  精神的・行政的センターとバハイ世界の発展との親密で切り離すことのできない関連性は、 2001524日、カルメル山のプロジェクトの完成を記念する行事に集まった信者たちに宛てた我々からのメッセージ の中で、こう描かれています :「ショーギ・エフェンデイが神の山に思い描かれたアーク上に立つ荘厳な建物と、バブの廟を包み込むすばらしい庭園テラスは、われわれが奉仕する大業を動かす、圧倒的な力の表れです。それらは、バハオラの信奉者らが、世界共同体の基盤を敷くことに成功し、また、その共同体の生活を形成する、独特で難攻不落の「行政秩序」の主要機関を出現させたという事実の、永遠の証言となります。その世界共同体は、現在人類を分裂させているすべての相違を超越するものです。カルメル山上に起きた変革において、バハイの大業は、地球規模において目に見える、抵抗できない現実として、また、神の時が熟したときに社会の再建をもたらす諸々の勢力の中心点として、そして大業へ向かう者すべてのための精神的更新の神秘的な源泉として、出現するのです。」

 

 

展望

 

76.         亡くなられる数週間前、アブドル・バハは友らの一人と自宅にいました。「一緒に来て下さい。庭の美しさを共に感服しましょう。」とアブドル・バハは言いました。そして庭を眺めながら:「見よ、献身の精神が達成できることを!数年前までは石ころの山にすぎなかったのが、今では葉も花も青々としている。私の願いは、私が去った後、愛する者たちが皆、神の大業に仕えるために立ち上がることである。神の御意思に沿えば、そうなるであろう。」と言いました。そして、「世界に生命をもたらす人々が、遠くないうちに」現れるだろうと約束されました。

 

77.       親愛なる友らの皆さん!形成期の最初の一世紀が終わろうとしている今、バハイ世界はアブドル・バハの逝去時には漠然としか想像できなかった能力と資源に恵まれています。何世代もの尽力の末に、今日、世界の端々まで広がる軍勢が育っていますそれは、共に信教の行政機構を築き、共同体生活の範囲を広げ、社会との関わりを深め、その精神的、行政的中心を発展させている聖別された魂達です。

 

78.     ここまで、過去100年間を簡単に振り返ることで、バハイ共同体が、3つの神聖なる憲章を体系的に実行しようと努力する中で、アブドル・バハの予期していたように、いかに新しい存在となったかを描き出してきました。人間が成熟するまで、身体的、知的な成長と発達の様々な段階を経るように、バハイ共同体もまた、規模や構造において、また理解やビジョンにおいて、有機的に発展し、進んで責任を担い、個人、共同体、機構の間の関係を強化しています。一世紀の間に、地域レベルでも、世界的な規模においても、バハイ共同体が経験した一連の進歩は、これまで以上に広範な分野で、意義深い行動を追求することを可能にしました。

 

79.      英雄の時代が幕を閉じたとき、共同体は、神の計画の要求に応えるために、どのように行政的業務を組織するかという基本的な問いに直面しました。守護者は、そのような最初の段階の疑問にどのように対処すべきか、友らが学べるよう導きました。このプロセスが実を結び、守護者の逝去時には初期段階の国際的な仕組みが整っていました。この期間に構築された能力によって、バハイ世界は、万国正義院の指導の下で、どうすればより広範で複雑なレベルで信教の活動を前進させられるかについて、多くの新しい問いに取り組むことができました。そしてまた、数十年にわたって顕著な進歩を遂げた後、世界全体で集団加入のプロセスを大きく促進させることを目的とした発展期間である4カ年計画の開始前に、大業の将来の方向性を左右する大きな機会に関するさらに多くの問いが生じました。このように、複雑な問いを解決し、さらに複雑な問いに取り組む能力を高めていくことこそ、信教の進歩を推進する学習プロセスを特徴づけるものなのです。バハイ世界は、その有機的な展開において一歩一歩前進するごとに、人類のためのバハオラの目的を達成しようとする中で生じるより大きな挑戦に挑むための新たな力と新たな能力を開発していることは明らかです。今後も、世界の変化や巡り合わせにかかわらず、危機や勝利、多くの予期せぬ展開を経て、形成期と黄金期の数え切れない段階を越えて、宗教制の終わりに至るまで、そうあり続けるでしょう。

 

80.      形成期の最初の1世紀が終わるころには、共同体の活動の軸となる共通の行動の枠組みが生まれ、それが思考を促し、これまで以上に複雑で効果的な活動を形づくるようになりました。この枠組みは、経験の蓄積と万国正義院の指導によって絶えず進化しています。この枠組みの中枢にあるのは、啓示の基本原則と精神的真理です。この他に、価値観、態度、概念、方法といった要素も思考と行動に貢献します。さらに、さまざまな知識分野からの洞察を通して得られる物理的・社会的世界に対する理解という要素も貢献します。この絶えず進化する枠組みの中で、バハイたちはバハオラの教えを体系的に行動に移し、世界をより良くするというバハオラの高い目標を実現する方法を学んでいます。このような学習能力の向上と、現在の社会発展段階における人類の進歩に対するその意義は、過大評価することはできません。

 

81. バハイ世界はどれほどのことを成し遂げてきたことでしょう!  そして、なすべきことがどれほど多く残されていることでしょう!  この9年計画には、この先にすぐに待ち構えている課題が概説されています。  焦点となる分野の中には、世界中のクラスターにおける成長プログラムの増殖と強化、そして、この計画の3つの主人公の一致した努力による、共同体構築、社会的活動、世間の注目を集める言説への参加における一貫性の向上があります。  インスティチュートはさらに強化され、奉仕のための能力を開発する教育機関として進化し続けます。  また、このインスティチュートから後世の多くの若者集団の心に蒔かれた種は、他の教育機会によって育まれ、一人ひとりの魂が社会の進歩と幸福に貢献できるようになります。  若者の運動は、共同体の活動における完全なパートナーとしての女性の前例のない進歩によって、世界中で補完されるでしょう。  バハイ機構の能力は、地方行政会の設立と発展、そして一般社会とその指導者たちとの関わりを強化することに特に注意を払いながら、あらゆるレベルで育成されます。  共同体の知的生活は、バハオラの教えの癒しの救済の適用可能性を懐疑的な人類に証明するために必要な厳密さと明晰な思考を提供するために育成されます。  そして、これらすべての努力は、バハイ世界をその第3世紀への入り口の敷居をまたぐ、一世代以上にわたる挑戦を構成する一連の計画を通して継続されるでしょう。

 

82. バハオラの教えをより深く理解し、それらに従って生きるための決然とした努力は、ショーギ・エフェンディが述べた崩壊と統合の二重のプロセスという大きな文脈の中で行われています。  現在の一連の計画の目的である、信教の社会建設の力をますます増大させる手段を解放するためには、この二つのプロセスに反応し、それによって形成される社会の現実を読み取る能力が必要です。

 

83. 環境の悪化、気候変動、パンデミック、宗教と道徳の衰退、意味とアイデンティティの喪失、真理と理性の概念の侵食、奔放なテクノロジー、偏見とイデオロギーの対立の悪化、蔓延する腐敗、政治的・経済的混乱、戦争と大量虐殺など、過剰な破壊的力と出来事は、歴史の1ページと何十億もの人々の生活に、血と苦悩の痕跡を残してきました。  同時に、ショーギ・エフェンディが「人類の全体性が認められ、その統一が確立される日を予期して、人類を浄化し、再形成している」と述べた「普遍的な発酵」に寄与している、希望に満ちた建設的な傾向も見分けることができます。  世界連帯の精神の普及、世界的な相互依存の意識の高まり、個人や組織間の共同行動の積極的な受け入れ、正義と平和への切望の高まりは、人間関係を深く変容させています。  こうして、バハオラのビジョンに向けた世界の動きは、人類が団結した平和な世界の基礎を構成する人間関係を構築する中で、進歩が時折停止し、時には逆戻りさえしながら、数え切れないほどのたどたどしい歩みと時折の劇的な飛躍と断続的な伸びを伴って前進しているのです。

 

84. 世界を覆い尽くす破壊的な力は、バハイ共同体にも少なからず影響を及ぼしています。 実際、すべての国のバハイ共同体の歴史は、その痕跡を残しています。 その結果、様々な場所、様々な時に、陰湿な社会的傾向によってある共同体の進歩が妨げられたり、反対によって一時的に制限されたり、あるいは消滅させられてしまった場合もありました。 周期的にやってくる経済危機は、信教のすでに限られている財源を減らし、成長と発展のためのプロジェクトを妨げました。世界大戦の影響は、ほとんどの共同体が系統的な計画を実行する力を一時的に麻痺させました。世界の政治的な地図を塗り替えた激動は、バハオラの大業に仕える人々が、全面的に参加することに障害をもたらしました。 宗教的、文化的偏見は一度は後退しているように思えましたが、再び出没し激しくなってきました。 バハイは、忍耐と決意をもってこのような困難な課題を解決しようと努めてきました。しかし、過去一世紀にわたって、バハオラの大業の前進を妨害する制御のきかない敵対勢力に対してイランに住むバハイたち以上に気高い答え方は他にはありませんでした。

 

85. 守護者が任命された初期の時代より、イランのバハイたちが英雄時代を通して耐え忍んできた迫害は、イラン革命勃発にともなって集中的な攻撃と系統的な弾圧のキャンペーンが、より激しくなりながら暴力的な抑圧の波となってイランのバハイ共同体を襲いました。このような全てのことに耐えてきたにもかかわらず、イランのバハイたちは、屈することのない勇気と建設的な回復力を持って対応してきました。彼らは後世の教育を保証するためのバハイ高等教育研究所の設立、国の内外を問わず同胞の中の公正な考えを変革する努力、そして何よりも、同胞の信者を守り、バハオラの愛する祖国における信教の完全性を維持し、市民の利益としてその地における信教の存在を保護するために、数え切れないほどの不正義、屈辱、剥奪を耐えてきた忍耐力を通して不滅の栄誉を勝ち得てきました。このような揺るぎない不屈の精神、献身と相互支援の表現には、バハイ世界が今後数年間に予想される破壊的な力の加速にどのように対応しなければならないかについての本質的な教訓が隠されています。

 

86. 統合と崩壊のプロセスの相互作用によってもたらされる課題の核心は、限定された人間の概念、唯物論的な哲学、煽られた競争心によって人間のアイデンティティと社会の現実を定義しようとする無益な試みを反映した、意見を分裂させ二極化する議論や 魅惑的な処方の誘惑に抵抗しつつ、バハオラの真実についての言及と神の教えを堅持することです。 「すべてに精通した医師の指は人類の脈をとらえている。彼は病を診断し、誤りのない英知により治療薬を処方するのである」とバハオラは述べておられます。 「全人類がどれほど深刻かつ計り難い苦悩に悩まされているか、われには手にとるように見える。」さらに、付け加えておられます。「慢心に酔いしれたものらが、人類と、決して誤ることのない聖なる医師との間に立ちはだかっている。 そして、見よ、彼らの策略は自分たちをも含む全人類を抜き差しならぬ罠に陥れている。」もしバハイが、争う民族の妄信的な観念に巻き込まれ、自己中心的で利己的な時代を特徴づける価値観、態度、慣習を模倣するならば、人類をその苦境から救済するために必要な力の解放は遅れ、妨げられるでしょう。 むしろ、守護者が説明するように、「バハオラの新世界秩序の建設に奮闘するものは、人類が絶望、堕落、不和、苦悩のより深い深みに陥る中、より崇高な英雄的行為の高みに登らなければなりません。人類の急速に衰えつつある繁栄の衰退の極みにいたる終末的な激変が、私達が最も力強い努力し、最も偉大な功績のための最高の機会であることを静かに確信して、未来に向かって前進しましょう.”

 

87. 崩壊の力がどのような道をたどるのか、この苦難の時代にどのような激しい動揺が人類を

襲うのか、あるいはどのような障害や機会が生じるのか、この過程が、人類の一体性と和合を認め、各国が「戦争の武器を捨て、世界の再建の道具に目を向ける」段階の到来を告げる大平和の出現という頂点に達するまでは、誰も正確に予想することはできません。 しかし、確かなことがひとつあります: それは、バハオラの教えを自分の生活に取り入れることを学んでいる人々の努力と、正義と平和を求めているそのまわりの人々の努力とが、より密接に織りなされるようになりながら、この統合のプロセスがさらに加速化されていきます。 『神の正義の到来』の中で、ショーギ・エフェンディは、 アメリカ のバハイたちに、自分たちの共同体の規模は小さく、その影響力も限られていることから、その時点では、バハオラの教えを適用することを学びながら、自分たち自身の成長と発展に集中しなければならないと説明しました。 しかし彼は、自分たちの国の病を癒し、改善するプロセスに、同胞である市民を参加させるよう求められる時が来ると約束しました。 今やまさにその時が来たのです。 そして、信教に内在する社会構築の力がますます大きく解放されるようになってきたにつれ、それはアメリカのバハイだけでなく、世界中のバハイにも訪れました。

 

88.     このような力を解放することは、今後何十年にもわたる意味を持っています。  すべての人々、すべての国が、人類社会の根本的な再構築における次の段階で果たすべき役割を担っています。  すべての人々と国が、和合された世界を築くために提供すべき独自の見識と経験を持っています。  そして、諸々の人々が潜在的な可能性を解放し、最高の願望を達成できるよう支援することは、バハオラの回復のメッセージの担い手である(バハイの)友らの責任なのです。  この努力において、友らはこの貴重なメッセージを他の人々と分かち合い、個人と共同体の生活の中で神の救済の効力を示すよう努力し、同じ価値観と願望を認め、共有するすべての人々と協力します。  そうすることで、和合された世界というバハオラのビジョンは、世界に蔓延する混乱によって認識を歪められている人々に、希望に満ちた明確な方向性を示し、長年の社会的弊害を解決するための協力のための建設的な道筋を示すことでしょう。  信教の精神がますます人々の心に浸透し、愛を燃え立たせ、人類が一つの民として共有するアイデンティティを強化するにつれて、忠実で良心的な市民としての責任感を植え付け、世俗的な権力を追求する代わりに、共通善の追求における利害関係のない奉仕へとエネルギーを向けさせます。  人々は、果てしない争いや対立に取って代わるために、協議、行動、反省という方法をますます採用するようになります。  多様な社会にまたがる個人、共同体、機構は、派閥間の対立を克服するために、共通の目的の中でますます努力を調和させ、人類の進歩と幸福の基礎となる精神的、道徳的な資質が、人間の性格と社会的実践に根付いていきます。

 

89.     世界は実に、運命に向かって進んでいます。  バハオラの大業が形成期の第二世紀へと前進するとき、すべての人は、その導き手が過去の世紀を揺るぎなく形作った、最愛の守護者の言葉からインスピレーションを受けましょう。  1938年、「聖なる計画」の第一段階の実行について、彼はこう書きました:  「全能の摂理がこの計画に与えた潜在能力は、間違いなくこの計画の推進者たちがその目的を達成することを可能にするでしょう。  しかし、多くのことは、その任務を遂行する精神と方法にかかっています。 『最大名』の栄光のために働く者たちは...その視野の明瞭さと堅固さ、信念の揺るぎない活力、人格の高潔さ、決意の堅固な力、目標と目的の比類なき優越性、達成の比類なき範囲を通して、自分たちが属している、視野がなく、信仰心がなく、落ち着きのない社会に対して、自分たちの破滅が現実となる時に、その構成員に避難所を提供する力を最もよく示すことができます。  そうして初めて、この柔らかな苗木は、神から任命された『行政秩序』の肥沃な土壌に埋め込まれ、その諸機構のダイナミックなプロセスによって活力を与えられ、最も豊かな、定められた実を結ぶのです」。

 

 

[署名:万国正義院]