万国正義院よりのメッセージ

1973年レズワン

全世界のバハイへ

親愛なる皆さん

 

1. 全世界にわたっておし進められた九年計画が、圧倒されるようなすばらしい勝利をもって、今ここに終ったことを喜びと感謝の気持ちをこめて報告します。「光をかかげる人々」が、第二次世界計画の一大事業に勝利をおさめたのです。今回は教えの拡大とすべての人の参加が、計画の二つの柱でしたが、拡大の目標は大幅に上まわり、すべての人の参加という目標の達成状況も、まことに驚くべきものがあります。一人一人がバハオラに感謝の気持ちと、心からの愛をもってしたがい、奉仕の仕事や献身の態度、犠牲、心からの祈りなどを各人に実行可能にしてくれたバハオラの確証、雨のごとくに降り注ぐその確証を今、証明できるのです。「最も神聖なる本」が啓示されてからのこの百年間、「最大名」をかかげるバハイは勝利を得てきましたが、勝利自体が、バハオラの与えてくれたものである事を考えれば、すべてバハオラのおかげなのです。

 

2. 九年計画の終りにおける神の教えは、計画が始まった1964年に比較して一層広く、そして着実に根をおろし、国際間の協力も一層密接になってきています。新たにバハイに開かれた領土は95、世界中でバハイの仕事を担当している全国精神行政会の数は、69から目標を五つこえて計113となりました。新しく選出された万国正義院は、一万七千の世界中の地方精神行政会によって支えられていますが、この数も目標をこえること三千、計画当初より一万二千増加しています。バハイの住む地域数は、目標より一万五千多い六万九千五百となっており、これは1964年より五万四千の増加となっているのです。バハイの文献も新しく225の言葉に訳され、全部で571の言語に訳されたことになりました。礼拝堂用地として63、全国センターとして56、全国財産62が新しく確保され、総計世界で礼拝堂用地98、全国センター112、全国財産104となっています。研修センターおよび夏期・冬期学校施設は全部で50にのぼり、それぞれの機能を果しており、15の出版局が主要言語での出版の仕事を続けています。さらにラテンアメリカの礼拝堂も建設され、献堂式も終っています。この他の目標として、私達の努力だけではどうしようもない、外部の事情によって左右されるものがあります。それは行政会の登記とバハイの祝日の承認です。それでも、90の全精会と、目標より181多い1556の地方精神行政会が正式に登記され、祝日も64の国において認められ、バハイ結婚証明書の正式承認も40の国で実現しています。

 

3. この偉大なるバハイの拡大は何百という多くの海外パイオニアの出現を必要としていました。二回にわたってパイオニア参加への呼掛けが行われ、それぞれ461名、733名のパイオニアの必要性がさけばれ、他の特定の目的地をも含めて、総計1344人のパイオニアが必要であったわけです。これに対して「最大名」をかかげている私達のバハイ共同体は、実に3553名の人々がパイオニアとして目分の故郷を離れるという結果で答えてくれたのです。その内の2265人は、なお各地にとどまってくれています。

 

4. バハイ世界本部では、聖なる書物およびショーギ・エフェンディの書かれたものの編纂が行われており、その数も次第に増えてきています。この仕事はイランの全精会により任命された特別委員会によって遂行されています。この山にはバハオラ直筆の書簡二千六百通、アブドル・ババのもの六千通、ショーギ・エフェンディの二千三百通の手紙が含まれ、その他のものも含めると合計一万八千通にもおよびますが、いずれも充分に検討され、重要な部分が四百にのぼる索引によって分類されています。

 

5. 「ケタベ・アグダスの書」のきまりと掟の大要法典の編集は、守護者がなされた偉大な業績の完成ともいえますが、この「最も聖なる本」が書かれて、ちょうど百年目の今、出版されることになりました。この出版にあたって、すでにお知らせしましたように、ハイファの聖地において、また世界各地においても記念行事が行われます。

 

6. また、「万国正義院憲法」は、ショーギ・エフェンディによって、バハオラの教えのうちで最も「重要な掟」といわれていましたが、これも出版されました。

 

7. バージおよびカルメル山の庭も大々的に広く整備され、バージとハイファの聖なる廟(びょう)の周囲のバハイ所有地も、それにふさわしく整備する計画がすすんでいます。

 

8. 九年計画のうちの第三段階において、強力にかつ長期にわたって続けられてきた、世界的な規模におけるバハイの宣布は、アドリアノーブルのスリイ・ムルクにおけるバハオラの啓示にみられた、各国の国王・為政者への書簡が出されてから、ちょうど百年目にあたる1967年の10月に始まりました。この歴史的な行事を記念して、世界の六ヶ所で大陸間会議が開かれ、さらに後になって九ヶ所で大洋間および大陸会議が開かれ、この宣布計画に大きな推進力を与えました。この合計15の大会に出席したバハイ総数は約一万七千人で、新聞・ラジオでも大きく報道され、各国の有名人や見識者にも神の教えが広く伝えられる機会がみられました。また、バハオラが約百年前に全人類にあてた力強い言葉をおさめた本が、特別に装頓されて142の国の元首に、万国正義院の代理が贈呈しましたが、これは今後、九年計画が終ってもずっと続けていく宣布の仕事の第一歩でもありました。

 

9. バハイ国際共同体と国連との関係は、この委員会が国連の社会経済機構において諮問をうける、国連の認める非政治団体として認められてから、一層の発展をみてきました。バハイ世界委員会は、今、国連に常駐代表を送り、ニューヨークにその事務所を設けています。

 

10. 敬愛する大業の翼成者も、この九年計画の間、犠牲と奉仕を示してくれました。世界各地においてバハイの友を勇気づけ、全精会を助け、布教計画をおし進め、九年計画を成功へと導く重要な役割を果してくれました。一人の大業の翼成者の訪問によって、それまで計画の遂行が遅れていた全精会に、大きな変革がなされた例は一つや二つではありません。翼成者によって喚起された機敏な力に満ちた行動が、驚くべき結果をもたらし、その国のバハイ共同体の将来を明るく変えてしまいました。また、翼成者はバハイの書物についても大きな仕事をしてくれました。「神の大業の翼成者の機能を、翼成者全体と協議の上、バハイの宣布と擁護という任務を将来大きく発展させるため」の計画を実現するために、世界で11の大陸顧問団の任命がありました。万国正義院によりそのメンバーが任命され、さらに大陸顧問は、やはり宣布と擁護の目的のために補助委員を任命することとなったのです。翼成者はもはや特定の地域の担当としてではなく、(もちろんその居住地区については別ですが)、全世界にわたって活動を広げてくれています。大陸顧問も、大業の翼成者の助言と密接な協力のもとに、まだ任命後、まもないにもかかわらず、卓越したすばらしい働きをしてくれています。

 

12. 九年計画の間に三つの大きな発展がみられました。つまり、バハイ青少年の布教活動が前面に出てきたこと。バハイの財源の大きな増加。そして複数の全精会の協力のもとに行われた仕事の驚くべき成果です。

 

13. まず、第一に、バハイ青少年の活動の心あたたまる盛りあがりは、布教の様相を変えてきました。こえがたい障害も青少年の熱心なチームによりやぶられ、あるいは克服され、献身的な祈りにみちた態度によって、同世代の人々に神の教えが伝えられ、そこから社会のあらゆる階層へと広まりつつあります。世界のバハイはこの発展に心をおどらせているのです。また、バハイの青少年は古い社会での価値基準を否定し、熱心にバハオラの示した基準にしたがおうとし、古い秩序を捨て去ったあとに残る割れ目を神の計画で補っていこうとしているのです。

 

14. 九年計画達成に必要な財源の、大幅な増加の必要性に対する呼びかけに、全世界のバハイが答えてくれました。単にバハイ世界基金のみならず、全国基金・地方基金・大陸基金がバハイの友の犠牲的精神によって支えられています。このようにバハイに対する愛の気持ちを、実際の行為に移すことによって、パイオニアや布教旅行者への援助、礼拝堂の建設、バハイ財産の獲得、バハイ誕生の地および世界中心地の確保、バハイ教育施設の充実など、先へ先へとおし進められる建設的なバハイ世界の、すべての計画が遂行されてきたのです。バハイ世界基金の60パーセントが全精会を援助し、布教活動をおし進め、世界各地のバハイに対する攻撃から身を守るために使われたことは興味深いことです。全世界のバハイのこのような援助がなかったなら、多くの全精会のバハイの拡大と強化の機能は、まひしてしまったことと思われます。献金の制度も、世界の他の地域へ広めるために強化されました。バハイ世界援助基金は、布教へ出かける用意はあるのに、経済的理由で出かけられないパイオニアや、布教旅行者を助けるために設立され、後には各国単位の目標を達成するためにも使われるようになりました。基金への参加「献金」は、すべてのバハイがいつでも可能なことなのです。バハイの成長とその行政機構の確立には、常に、たとえどんなに少量であっても、バハオラの約束してくれた恵みと贈りものに見合うだけのものとして、私達も常に持っているものを出していかねばなりません。

 

15. 九年計画の当初、各地の全精会が、地理的にも遠い他の全精会を経済的に援助したり、パイオニアを派遣したり、布教を助けるというような計画が219ありました。これらの計画の目的は、世界のバハイが、社会も文化も、そして歴史的背景も異なる他の地域との間で、和合のきずなを強く保つということでした。そして九年計画の終りには、実に600にものほる計画が実現しました。他の地域との間の協力は、特にスペイン語・フランス語、そしてアフリカのいくつかの言語での出版において、一層の発展をみました。これも各分野における実り多い努力のたまものです。

 

16. ある国においては、自由がないために、また他の国においては圧制のため、あるいは法的・物理的障害のためにバハイを法人組織にしたり、正式に政府から認められたものとする目標が、充分に達成されませんでした。しかし、これを見越して万国正義院は、バハイの活動が自由な国々について、それまでの目標を越えてより多く達成するように呼びかけ、世界全体としては、目標が達成されるように計画しました。それでもなお、テヘランに礼拝堂を建てることは不可能でした。しかし詳細にわたる設計図については、すでに契約が結ばれ、地形の測量も終り、イランにおける情勢がゆるせば、すぐにも建設にとりかかれるはこびになっています。

 

17. 九年計画とは特に関係ないものでも、いくつかの重要なでき事がありました。特にその中でも、バハイ世界中心地において行われた、すでに遠い昔から出現を「約束されていた者」として書かれていたバハオラが、アッカへ到着した時から百年目の記念行事は重要なことでした。

 

18. 「マズラエの館」は、「祝福されたる美」バハオラが、壁に囲まれた牢獄の町アッカで過ごした九年間の後、住まわれた所で、守護者の言葉によると、「二つの館」の一つであり、当時のバハイが心おどらせてバハオラに会うことのできた所でもあります。ここがついに、その東側の地所二万四千平方メートルといっしょに購入されました。

 

19. カルメル山に、将来建てられる礼拝堂の地点を示すオベリスクが建てられました。やはりこれも守護者が計画されたものです。

 

20. さらに、守護者ショーギ・エフェンディが示されたその場所に、万国正義院の本部が建てられることになり、すでに全世界のバハイに知らされ、その第一歩をふみ出しました。

 

21. 神の大業の発展はさらに勢いを得、私達は神のよき時代に守護者が指摘された段階へと進む日が必ずくると確信をもって待ち望んでいるのです。そして、この苦悩に満ちた地上に「神の真の王国」をうちたてるのです。そこでは全人類が自らまねいた混乱、無秩序、荒廃からのがれて安らぎを見出し、この憎しみと暴力のあふれた世の中がいつまでも続く兄弟愛と平和の世界へと変わっていくのです。これらはすべて、永遠に続く父バハオラの聖約によってなしとげられていくことでしょう。

 

(署名)万国正義院