宗教界の指導者への書簡

 

すべての宗教の指導者への書簡

 

おお、宗教の指導者たちよ。現在、あなた方の間にあるような基準や学問をもって神の書を推し量ってはならない。何となれば、神の書はそれ自体、人の世に確立された誤りのない秤なのである。地上に住む諸々の民の有するものはすべて、この完全な秤にかけられねばならない。そして、この秤に用いられる基準は、この秤固有の標準によってのみ試されよう。おお、あなた方、このことを理解し得たならば。

あなた方は、昼に夜に、朝に夕べにあなた方に呼び続けてきた者を認めることができなかったのである。我はあなた方のこのありさまを嘆き、我が慈愛の眼には涙が溢れる。おお、人々よ。雪のように白い顔と、輝やく心をもって、祝福された真紅の場所に向かって突き進め。そこでは道しるべの樹が、「まことに、我の他に神はなく、我は全能なる保護者にして、自存する者なり」と呼びかけている。

おお、宗教の指導者たちよ。あなた方の中に、洞察力や看破力において我に匹敵するものがいようか。また、我が言葉と知恵に匹敵するものを持つとあえて主張できる者がどこにいようか。いや、慈悲深き我が主にかけて言う。地上にあるすべての物は朽ち果てる。そして、これこそが全能にして、敬愛されるあなた方の主の御顔である。

おお、人々よ。あらゆる学問の最高にして、究極の目的として我が定めたものは、すべての知識の的である者を認識することである。にもかかわらず、見よ、この有様を。あなた方の学識はまるでヴェールのように彼との間を遮断しており、あなた方はこの状態に甘んじているではないか。彼こそはこの光の曙であり、隠されていたものはすべて、彼を通じて明かされたのである。この言葉の輝やきの源を発見できたならば、あなた方はこの世の人々や、彼らの所有するすべてを捨て、この最も祝福された栄光の座へと近付いてたであろう。

言挙げよ。まことにこれこそは母なる書が納められている天界である。おお、あなた方、このことを理解しえたならば。彼こそはを叫ばせ、聖地にそびえる山頂に燃え盛る藪に、「王国は神のものなり。神は万物を支配し給う主に在し、威力に満ち、者なり。」と声高らかに語らせた者である。

我は学び舎に学んだこともなければ、あなた方の論文を読んだこともない。常に存在し給う神の下へとあなた方を召喚するこの無学なる者の言葉に耳を傾けよ。これはあなた方にとって地上の全ての財宝に勝るものである。おお、あなた方がこのことを理解するものならば。

おお、僧侶たちよ。我が言葉をのべ、我の明確な証拠が示されたときあなた方はヴェールの中にかくれていた。これは誠に不思議なことである……。我はそのヴェールを引き裂いた。いまふたたび、もう一枚のヴェールで人々をかくしてしまわぬよう気をつけよ。すべての人の主、神の名において、むなしい想像の鎖をむしり取り、人をあざむくような人間になってはならない。いますべきことは、顔を神に向け、神の教えを受けとめ、これを混乱させることをやめ、神の書物を自分の欲望のもの差しで推し量らないことである。これこそ、過去においても、また将来においても常に変らぬ神の忠告である。もし、神が顕示をもたらし給うた時に、まずあなた方が神を信じるならば、人々は神から遠ざかることもないであろうし、またあのようなことが我の身にふりかかることもなかったであろう。神を畏れよ。そして不注意な人間ではあってはならぬ。

おお、僧侶たちよ。この新時代のための教えを、まず自らが拒否し、人々にも認めさせなかったことはまだしも、地上の争いの原因を作ることだけはしないようにせよ。小さな小石でさえも呼んでいるこの言葉、「新しい世界は神のものである。すべての証拠の現われる場所である。」のまわりに人々を集めよ。その炸裂音が天国の人々にも聞こえるようヴェールをひきさけ。これは、過去と未来を通じての神の命令である。この命令されたことに従う者には祝福がもたらされ、これを無視する者には悲しみがもたらされるであろう。

おお、僧侶たちよ。あなた方はなんと長きにわたってバハ(神)の顔に憎しみの槍をつきつけてきたことであろうか。自分のペンで書くことをやめよ。見よ、最高のペンが天と地に向かって語りかけている。神に畏怖の念をいだけ。創造物の姿さえもかえてしまった自分の欲望に従ってはならない。神の声を聞くことができるよう耳を清めよ。隠蔽のヴェールを焼きつくす火の如く、全宇宙の人々を洗い清める水の如くになれ。

おお、僧侶たちよ。あなた方の中の一人でもこの若き顕示者と、その知識と言葉の場で競える人がいるだろうか。彼の心の内面的意味と、その説明において同等といえる人がいるだろうか。いや、主である恵み深き神に誓ってそのような人はいない。今のこの時代では、主の言葉の前ではすべて消えさってしまう。主であり、全能で、何ものにも制約されぬ神が例外として認めたただ一人の人を除き、すべては生命のない死人も同然である。この例外の人はすべてを知る神によって知識を与えられたただ一人の人である。天国の住人聖なる家の人々も、朝な夕なこの一人の人に恵みを与えている。神から鋼鉄の足を与えられている者に木の足をもった者がはむかえるものだろうか。すべての創造の世界を照らす神にかけて、これは無理なことである。

我が注意深く見てみると、我に反対する者はほとんどの場合僧侶たちである....中には「彼は僧侶を否定した」と語った者もいる。我の主に誓っていう。そのとおり、我だけがいままであった偶像を否定するただ一人の人間である。我は、最も聖なるペンであるトランペットを高らかに吹いて、知らせたのである。その結果、見よ。神の恵みのしるしとして神が守り給う人々をのぞき、すべての僧侶たち、学者、知識ある者、そして為政者たちは卒倒してしまった。神こそはまさに、恵みに満ち、昔からの時代のお方である。...

おお、僧侶たちよ。愚かな夢と想像を捨てされ。そして、真実が現われる地平線に向かえ。神に誓って断言する。あなた方が所有するものは決して利益にはならず、それだけでなく、地上のすべての宝も、手にした支配力も無に等しい。神を畏れよ。み捨てられた人とならぬように。...断言する。おお、僧侶たちよ。身をかくし、眼をふさいでいるものを捨てされ。このすばらしい時代に最も聖なペンが呼びかけていることに耳を傾けよ。...この世はあなた方の愚かな想像のために塵に埋まっている。神の近くにいることが喜びである人々は、あなた方の残酷な行為のために苦難の日を送っている。神を畏れよ。そして、公正に判断を下す人間となれ。

おお、知識の曙の座に立つ者たちよ。自分が変われば他の人も同じように変わるという懸念から、自分を変えることができないというようなことがないよう注意せよ。もしそうなら、これは自分自身にとっても、また他の人々にとっても正しいことではない。...あなた方は、あたかも泉のようなものである。泉が変われば、その泉から流れ出る流れも変化するであろう。神を畏れ、信仰深い人々の一人となれ。同じことであるが、もし人の心が不健全ならその人の体も不健全になるし、もし木の根が腐っていれば、その枝も、小枝も、葉も、実も腐ってしまうであろう。おお、僧侶たちよ。神かけて命ずる。公正であれと。そして、自分がいま所有しているもののために真実を水泡に帰してしまうようなことがないように。真実をもって我が送ったことをよく調べてみよ。これこそが、本当にあなた方の役に立ち、力強き神へと近づけてくれるのである。神の使徒モハメッドが現われた時、どのように人々が彼を否定したかよく考え、思い起こしてみよ。人々は彼に対して、聖霊(イエス)がその最上の場において嘆き悲しみ、信仰深き魂の涙を流させるような行為をしたのである。さらに彼の前に現われた神の使徒、神の使者たちが、不正を働く人々の手によってどのようなことを身に受けたか考えでみよ。我は神のためにあなた方のことを語り、神のしるしを思い起こさせよう。そして最も聖なる国最高の天上にいます神に近い人々のために定められたことを語りかけているのである。我こそはまさに、語りかける者、すべてを知る者である。神はあなた方を救けために来られ、言葉というはしごでのり越え、理解という頂上に達することができるよう、苦難を与えられるのである。...公正と正義の気持ちをもって我が送ったことをよく調べてみよ。これこそまさに、真実を通して自身を高め、かつては身につかなかったものを与え、そして神の生気に満ちた美酒を飲みほすことができるようにしてくれるものである。

僧侶たちは世の中の頭脳であり、一国の眼であり、すばらしい知識と善良な性格という衣を身につけている...。人々は今までも、また現在も、つねに、このように恵まれた人の魂にその指導を仰いできたのである。

高潔な態度の僧侶や、正しい賢人は、世の中を体にたとえれば、その精神にあたる。正義の冠をその頭上におき、公正という衣で身をつつんでいる僧侶は幸せである。

最も聖なる美酒を手にし、神聖な統治者である神の名においてこれを飲みほした僧侶は、世界という体にとって眼にあたる。彼に従い、彼を思い起す者は幸せである。

自分の知識のために、自分とすべての知識の目標である御方の間に幕をたらすことなく、自立する御方が現われた時、神に対し喜びに輝やく顔を向けた僧侶への恵みは大である。まさに彼は賢い人の中に数えられる。天国の住人たちも彼の息吹きを求め、彼のかかげる火は天上と地上のすべての人々を照らす。彼はまさに、予言者の後継者となる。彼を見つめる者は真実の御方を見ることができ、彼に顔を向ける者は、全能であり全知の神に顔を向けることになるのである。

おお、すべての聖職者たちよ。あなた方は今後いかなる力も所有せぬ自分自身を見ることになる。それは、我があなた方からすべての力を奪い取り、それを、唯一の、すべての権力を所有する、全能で、拘束されることのない神を信じてきた人々に分け与えることにしたからである。

 

 


法王ピウス九世への書簡

 

法王よ、ヴェールを引き裂いてすてよ。主の中の主である神が雲に深くつつまれて訪れたのである。そして、全能で誰も抑制することのできない神が天意を成就したのである。最初に天より神が降り来たとまったく同様、神は事実、再び天より降り来たのである。かつて、パリサイ人たちが何らはっきりした証拠もなしに、彼(キリスト)と争ったように、あなたが、彼(バハオラ)と争うことのないよう注意せよ。彼(バハオラ)の右手には慈愛に満ちた生命の水が流れ、左手には正義のよりぬきの美酒が溢れている。また、楽園の天使たちが彼の前を、神のしるしのついた旗を振りかざして行進している。いかなる名目によっても、地と天の創造者たる神から自分を隔てることがないよう注意せよ。俗世間を背後にすてされ。そして、あなたの主に向かえ。この全世界は主を通じて照らされて来たのである。あなたはあまたの宮殿に居を構えているが、神の啓示の王たる彼(バハオラ)はこの世で最も荒廃した所に住んでいる。宮殿などはこれを欲するものに与え、歓喜に満ちて、その顔を神の国に向けよ。慈悲そのものである主の名において、この世の人々の中に立ち上がれ。そして、確信の手で生命の杯をしっかりつかみ、それを飲みほせ。そして、次に、深き信仰を持つ人々の中でこの杯を求める者にこれを提供せよ。

聖霊と呼ばれた彼(キリスト)について考えてみよ。彼が訪れた時、当時の最高の見識者たちは彼の祖国において、彼に敵対する判決を下した。しかるに、一介の漁師(ペテロ)が彼を信じたのである。理解力ある心を持つあなたよ。よく注意してみるがよい。あなたはまことに、神の名の天界の太陽の一つである。暗闇があなたの上にヴェールを広げぬよう、また、暗闇が神の光からあなたをおおい隠すことがないよう、自らを見守れ。キリストが威厳と力をもって現われた時、このキリストに反対した者たちのことをよく考えてみよ。いかに多くのパリサイ人たちが、神よりの救世主を見ることを待ち望み、神よりの救世主から隔離されることを嘆き悲しんでいたことか。それにもかかわらず彼の到来の芳香が吹き流れ、彼の美のヴェールが取りさられた時、彼らは顔をそむけ、彼と争ったのである。ほんのわずかな人々だけが、しかも、世俗の中にあっては何の力も持たぬ人々だけが、彼の顔に自らの顔を向けたのである。しかし、今日、権力を与えられ、主権を受け継いでいるすべての者が彼(キリスト)の名のもとに自らを誇っているのである。同様に、無数の修道士たちが神の名のもとに教会に引きこもって来たが、今日、いざ約束された時が到来し、我が神の美を明らかにした時、彼らは朝な夕なに神を求めていながら、我を知ろうとしなかった。

息子であるキリストが秘めていた言葉が明らかにされたのである。今日、これは人間の形で送られたのである。父なる主に祝福あれ。彼は誠に最も偉大なる尊厳をもって世界諸国民の上に訪れたのである。多くの正義をもって任ずる者たちよ。彼に顔を向けよ。いまこそ(ペテロ)が、「見よ!父が訪れた。神の国で約束されていたことが実現されたのだ。この世がその罪悪から浄められるよう、慈悲深き神の道において、我が肉体は十字架を熱望し、我が頭は突きささる槍を待ち望んでいるのである」と声高く叫びながら、すべてを所有し、最高の御方である主を称讃する日であると言ったその日である。

おお、最高の地位にある法王よ。朽ち果てる肉体の創造者があなたに忠告すること、彼の最も偉大なる名を現わす者の声に耳を傾けよ。あなたが所有するすべての美しい装飾品を売り払え。そして、夜を日に戻し、日をまた夜に戻す神の道のために、売って得た金を遣え。あなたの王国を諸々の王に与えよ。そして自分の住家より抜け出し、顔をしっかりと神の国に向け、この世から超越し、地と天の間に存在する主の称讃を声高らかに語れ。すべての名の所有者である彼(バハオラ)は、全知全能の主に代わり、このように命じているのである。あなたは諸々の王に対し、「民を公正にあつかえ。そして、聖書に示された境界を犯すことがないよう注意せよ。」と勧告しなければならぬ。このように勧告することこそあなたにふさわしいことである。この世の物や富を自分自身のために費やすことがないよう注意せよ。この世の富などは、それを望む者に任せておけ。そして、創造主があなたに命じて来たことのみに執着せよ。たとえ、誰かがあなたに地上の全財宝を提供して来たとしても、そのようなものに一瞥すら与えるな。あなたの主のようであれ。天啓の言葉は、神が創造の書の飾りつけを行なったことについて、このように語っているのである。...

もし、我の詩句の美酒の酔いがあなたをとらえ、天地の創造者たる主の王座の前に自ら進み出る決心をするならば、我の愛をあなたの衣服とし、我の思い出をあなたの楯とし、全能の啓示者である神に頼ることをあなたの碇とせよ。明らかに、収穫の日は訪れた。そして、すべてのものはたがいに分離され、神が正義の器の中で選び出し給うたものを貯え、焼却するにふさわしいものは火中に投げ入れたのである。今日、この約束された日において、力と愛に満ちた主はこのように天意を下し給うたのである。神こそ、まことに、自ら欲することを定め給うのである。全能にして、感嘆せずにはいられぬ神の他に神はなし。

 

 


各宗教の僧侶たちと信者への書簡

 

種々の宗教を信ずる人々と僧侶たちへ

 

我は、ある時は旧約聖書を信ずる人々に語りかけ、すべての言葉を啓示し、すべての人が頭を低くする神へと彼らを召喚した...。またある時は福音書を信ずる人々に語りかけて、「神の香りがあらゆる場所にただよっており、その名において、『栄光に満ち給うお方が現われた』と告げた...。そして、またある時はコーランを信ずる人々に語りかけ、「恵み深き神を畏れ、すべての宗教の根元であるお方をとがめるな。」と告げた...。さらに我は、ゾロアスター教の人々にも書簡を送り、我の教えを告げたということを知れ...。我は彼らの聖書と信ずる書物の中のすべての比楡と暗示の本質的な意味を啓示したのである。主こそはまさに、全能で、すべてを知り給う。

シオンの山に向かって叫べ。おお、カルメル山よ。そして、喜びのおとずれを宣言せよ。死滅の運命を持つ者の眼からは、かくされている方が来られた。その方の万物を征服し給う主権は現われ、すべてをおおい包む神の光輝は出現した。躊路したり立ち止まらぬよう注意せよ。天から下った神の町・神に愛されている心の清い者が、天使の仲間たちが、また最も崇高な、敬慕して取りまいた神聖な場所へ、急いで行って取り囲みなさい。おお、我はどれほど地球上のあらゆる場所に、また、その町の一つ一つに、この啓示の福音を伝えようと切望していたことか。その啓示に、シナイ山の心は引きつけられ、そして、その名において「燃えさかる藪」は呼んでいる。「主の中の主なる神に、天地の王国は属している。」と。まことに、今日こそは、陸も海も、この宣言を喜ぶ時代であり、人間の意志や心では測り知れない大きな恵みをとおして、神が啓示を受けるよう定められた時代である。やがて、神は、あなた方に「箱舟」を差し向け、「御名の書」に述べられているバハの人々を、明らかにするであろう。

「地上最高の捷」が現われた。そして神は、ユダヤの王タビデの王冠をもその支配のもとにおいているのである。我の筆は、過ぎさった日の事についても述べているが、今のこの時代にも、タビデは大きな声で叫んでいる。「おお、愛する主よ!我も、主の教えをしっかりと守っている人々の中に数えて下さい。主によってはじめて、人々の顔は輝やき、そのあゆみをも運ぶことができるのです。」と。

「神のいぶき」が漂い、「神のそよ風」がふき、そして、エルサレムの山シオンから、長い間、人々の眼からかくされていたものが現われ、そのエルサレムから、ただ一つ、比類ない、全能の神の声が聞こえている。

タビデの歌に耳を傾けよ。彼は「だれが、我を『力に満ちた町』へつれていってくれるのか?」といっている。この「力に満ちた町」とは、「世界最大の牢獄」とよばれており、要塞と城壁にかこまれた、かのアッカの町の事である:::。イザヤ書の中で彼が述べた事を考えてみよ。彼は「高き山になれ、おお、シオンよ。そしてよい知らせをもたらすようにせよ。おお、エルサレムよ、よい知らせをもたらすよう声高らかに叫びなさい。恐れずに叫びなさい。そしてユダヤの町々に、神を見つめよ、主なる神が強き力を持って現われ、その腕が神のために支配するであろうと告甘よ。」と語っている。今の時代に、すべてのしるしが実現している。「偉大な町」が天から下り、シオンは神の声をあらゆる場所で聞き、その神の啓示に、喜ぴで.身をふるわせている。

おお、キリスト教徒たちよ。

おお、キリスト教徒たちよ。我はすでに以前、あなた方の前に現われたが、あなた方はこれを見過した。今、再び、あなた方にその機会が与えられた。今こそ神の日である。神に向かえ...。最愛の御方は、あなた方が我欲の火によって消滅させられることを好まれない。もしあなた方が神よりヴェールにおおわれたように断絶されているとすれば、それは、もっぱら、自分たちのわがままと無知によるものである。あなた方は我を語り、しかも、我を知らない。我を呼び、しかも、我の啓示に気付かない...。おお、福音の民よ。神の王国に入っていなかった人々が、今やそこに入ったというのに、いまでもなお門前でためらうのか。主であり、全能者である、恵沢多き神の威力でそのヴェールをこなごなに引き裂け。そして、我が名において、我の王国に入れ。これは、あなた方に永遠の生命を望み給う神の命令である...。おお、くらやみにいる神の王国の子らよ。そこは、まことに、あなた方にふさわしくない所である。の面前にあってなお、自己の行為の故におそれているのか。自己をまっすぐに神に向けよ。...。まことに、彼(キリスト)はこう言った。「我に従え。あなたを人々の漁師にしょう。」と。今や我は、「我に従え。そうすれば、あなたを人類の再生者とすることであろう。」と言う。

まことに、我はあなた方のために来た。あなた方を救うために世界の不幸を背負った。あなた方がよみがえるためにいのちをささげた者を解き放て。おお、聖霊(キリスト)に従う者らよ。神を畏れよ。遠く道を踏みはずした聖職者の足跡を踏むな。心の扉を開け。聖霊(キリスト)はその前に立っている。なぜ、あなた方を輝ける点に近づけようとする者から遠ざかろうとするのか。言挙げよ。まことに、我はあなた方のために王国の門を開いた。にもかかわらず、我の顔前で家の戸を閉ざしてしまおうとするのか。これこそ、重大なる誤まり以外の何ものでもない。

おお、すべての大司教たちよ。神の書簡の中であなた方に約束されていた御方が到来した。神を畏れよ。そして、迷信の空虚な想像に従ってはならぬ。あなた方が所有している物をすてされ。そして、神の最高に卓越せる力によって示された書簡をしっかりととらえよ。このようにすることの方が今のすべての所有物より、あなた方にとってはるかに優っている。このことは、理解力ある心と洞察力あるすべての人々の証言するところである。我の名において自分自身を誇れ。これでもなお、ヴェールのようなもので自分を我から閉ざそうとするのか。これは全く不可解なことである。

おお、全ての大僧正たちよ。全人類の主である御方が現われた。明瞭な案内を示して人類に呼びかけているにもかかわらず、あなた方は死人の中に数えられているのである。神の微風に揺り動かされ、そしてこの明白なる名のもとに、死者の中から立ち上った者の祝福こそ偉大である。

おお、すべての司教たちよ。おののきが地上の民族をとらえた。そして、永遠なる父が声を大にして天と地の間で叫んでいる。天国にいるすべての者、また、地上にいるすべての者の憧れの的である神、その声を聴いた耳、この神を見た目、この神に向かった心は祝福される。

おお、すべての司教たちよ。あなた方は我の知識の天の星である。我の慈悲はあなた方が地上に朽ちはてるのを望んではいない。我の正義にかけて次のように宣言する。「これは子なるキリストが定めたことである。そして、彼の潔白な真実のみを語り、信頼に価する口から発せられた言葉はすべて改めることはできない。事実、鐘は我の名を鳴り響かせ、そして、我のことを悲しんでいる。しかし、我の精神は明らかな歓びで満ち満ちている。悲深き神の道において、神の愛する者の体は十字架を求め、その頭は槍を熱望している。圧制者の権勢はけっして我が目的を果すのを妨げることはできない」と。知識の天の星は落ちてしまった。彼らは我の教えの真実性を示すために自分たちの所有する証拠を引用し、我の名において神のことを述べているが、実際、彼らの前に我が威厳と共に現われた時、彼らは顔をそむけたのである。彼らは墜落した星である。これこそ、キリストが真実と共に到来した時に予言したことである。そして、ユダヤの学者たちは、彼をむやみやたらにとがめ、ついに、聖霊が最も悲しむことを犯し、神の近くにいることを最大の喜びとする人々の目に涙をさそったのである。

おお、すべての牧師たちよ。鐘を棄てて自分たちの教会から出よ。今日、世界諸国民の間に最も偉大なる名を声高く宣言することがあなた方の義務である。あなた方は口を閉ざしたままでいたいのであろう。しかし、すべての石、すべての樹木は、「主は、その偉大なる栄光の中に到来した」と声高く叫んでいる。神の名において人々を召喚しているあの顕示者は、事実、神より遣わされた者であり、地上のあらゆる力もおよばぬことを示すであろう。神の微風があなた方を目覚めさすように。神の微風は全世界にわたって吹きつけたのである。この微風の芳香を発見した者は祝福され、幸福を保証された者の中に数えられる。

おお、すべての牧師たちよ。最後の審判の日は出現したのである。この日、かつて天国にいた御方が到来したのである。彼こそ、まことに聖らかで全能にして、すべての称讃に価する神の書物の中であなた方に約束されていた御方である。あなた方はこれから、どれほどの期間、不注意と迷信の荒野にさまようことか。すべてを許し、寛大なる主の方向にあなた方の心をすえて彼に向かえ。

おお修道士たちよ。教会や修道院で隠遁生活など送るな。我の許しのもとに前向きに進み、あなた方の魂と人々の魂のためになることに従事せよ。これが最後の審判の日に現われる王の命令である。我の愛のとりでの中に隠遁せよ。これこそ、望ましい隠遁生活である。このことを理解するものならば。家の中に自分を閉じ込めた人間は死人も同然である。すべての創造物の利益になることをおし進めるのは人の義務であり、実を結ばぬ人間は火に投げ入れるべきである。これが、あなた方の主である神が忠告していることである。神こそ全能で、恵み深き御方である。あなた方の後を継ぐ者がでるよう、結婚せよ。我は、不実な行為は禁じたが、忠誠を示す行為は禁じなかった。あなた方は自分で作り出した基準にしがみつき、神の基準をすてさっている。神を畏れよ。そして愚か者となるな。我の土地で我の名をよぶ人なくして、どうして我の属性、我の名前が啓示されようか。十分に考え、そして眼をおおわれて深いねむりの中にいる者となってはならぬ。結婚しなかった彼(イエス)は悪をもたらす者の手にかかり、住む所も頭を横にできる所も見つけられなかった。彼の神聖な行動はあなたが考えたり想像したりするものとは違い、顕示者たちが持っているもの自体に帰属する。この地上のいかなるものの想像をもはるかに越えている彼の地位を理解できるよう頼むがよい。これを理解する者に恵みがもたらされるであろう。

おお、キリスト教の修道士たちよ。もし我に従うなら、あなた方は我の王国の一人となれるであろう。しかし、たとえ、我に対して罪を犯しても、我は長い苦難のうちにそれをじっと耐えていくであろう。我こそは常にゆるす者、すべてに慈悲深き者である。キリストの生地ベツレヘムにも神の微風が吹きわたっている。そのベツレヘムの地が叫んでいるのが聞える。「おお、最も寛大なる主よ。主の偉大な栄光はどこにうち立てられるのか。ここの地が主から離れ消えてしまってからは、主のおそばの甘い香りが主のみもとに行きたいという気持ちをかりたてている。ヴェールをひきあげ、すばらしい栄光の力をもたらす主が現われる時、主に恵みあれ」と。神は荘厳な偉大な神殿から、ベツレヘムの地に呼びかけている。「おお、ベツレヘムよ。その光は再び東方より昇り、西方へと拡がり、やがてその地にも到達するであろう。その時、神の子らは父なる神をみてそれを認めることができるであろうか。それとも、はじめにキリストを認められなかったその昔と同じように拒否するのか」と。しかるに、ベツレヘムの地は泣き叫んでいる。「主はまさに、すべてを知り給い、すべてに通じておられる」と。

考えてみよ。今なお、数えきれぬほど多くのキリスト教の僧侶たちが神の名のもとに教会の中にとじこもり、約束された時がきて、神の美が示されているにもかかわらず、朝に晩に、神を求めながら、なお、神を認めることができずにいるのである。

あなた方は福音書を読んだにもかかわらず、なお栄光に満ち給う神を認められないのか。おお、知識ある人々よ。それはあなた方らしくないことである...。恵み深い御方の香りがすべての創造物の上を漂よっている。自分の欲望をすて、導きをしっかりと手にした者は幸いなり。

あなた方はコーランを読んだことがないのか。真理を見い出すためにそれを読んで見よ。何となれば、その聖典はまことに、真直な道だからである。これは天上にあるすべてのもの、および、地上に住むすべての者たちにとって神に達する道である。たとえ、コーランについては無関心であっても、あなた方にとってバヤンの書は遠い存在ではなかろう。その書を開き、眼の前にすえて見よ。神の顕示者たちが嘆き悲むようなことをせぬよう、その聖句を読んでみよ。

あなた方の柩より急ぎ出でよ。いつまで眠っているのか。二度目のラッパの音も鳴らされた。あなた方は誰を目の前にしていると思うのか。これこそは慈悲の神であるあなた方の主に他ならないのである。彼の証を否定する自分の姿を見よ。大地は大きくゆれ、孕んでいたものは出現した。あなた方はそれを否定するというのか。言挙げよ。山々が糸屑のようになったのをあなた方は認めないのであろうか。また、畏怖の念を呼び起こす神の大業の荘厳さによって人々が深い苦悩に陥っている事実をあなた方は否定するのであろうか。廃虚と化した彼らの家々を見よ。また、溺れる軍勢と化した彼ら自身を見よ。

今日こそ、慈悲深いお方が明白な主権の衣に身をつつみ、叡知の雲に乗って天上より降りて来る日である。彼は人々の行ないをすべて知り給う。いかなるものも、彼の栄光を見誤ることはない。おお、このことを理解するものならば。あらゆる宗教の天界は裂かれ、人知の大地は破壊された。神の天使たちが降りて来る様子を見よ。言挙げよ。今日は、人々がおたがいに欺く日である。ならば、あなた方はどこへ逃げるつもりなのか。山々は押し流され、天空は折りたたまれ、地球は彼の御手に握られている。このことを理解するものならば。あなた方を守ることのできるものが何処にいようか。慈悲に満ち給う者にかけて言う。誰もあなた方を守ることはできない。全能にして栄光に輝き、良きものを授け給う神以外にあなた方を守りうるものはない。すべての女性は孕んでいたものを出産したのである。人間と天使が共に集うこの日、わが目に映るのは泥酔しきった人間の姿である。

言挙げよ。神に疑いの余地があろうか。威力と主権を纏い、恵みの天界から降りて来る彼を見よ。彼の証に疑いの余地はあろうか。楽園はあなた方の右手に位置し、あなた方のすぐ側まで来ている。そして地獄の炎は燃え盛っている。すべてを飲み込むその猛烈な炎を見よ。急いで楽園に入り、慈悲深い御方の手から命の美酒を飲め。これこそは、あなた方に対するわが慈悲の徴である。

偉大なる宣言者である神に誓う。御恵み深い御方が確かな主権を授かって到来された。決着の日が定められ、地上に住むすべての者は皆集められ、ラッパが鳴り響いた。見よ、すべての眼は恐怖のあまり一点を見つめている。そして、神の聖句の息吹で活気づけられ、この世の中のものから超越していた者を除いては、天上と地上のすべての者の心は震えているのである。

今日は、地球がその流れの方向を告げる日である。罪悪を行なう者たちは地球の重荷になるのである。怠惰で気まぐれな月は裂かれ、天は明白なる煙を放った。我には、全能で最も威力ある主に恐怖を抱いてひれ伏している人々が見える。人々に告げている者の声は高く、神の激怒はあまりに強烈であったため、人々は引き離されてしまった。ある人々は、嘆息し、嘆き、悲しんでいるが、また他の人々は立派な住居を手に入れることができた。その人たちとは、御恵み深い御方の手から命の美酒を飲みほし、本当に幸福な人たちのことである。地は震え、山々は消え去り、そして、天使たちが我の前に整列して現われた。大部分の人々は酔いのあまりうろたえ、顔には怒りのあとが残っていた。我は罪悪を行なった者たちを集めた。彼らが偶像の方に向かって突き進んで行くのが見える。今日、人は誰でも、神の掟を離れては安全ではあり得ない。今日は、まことに、悲しむべき時代である。我は彼らを迷わすものを指摘してみよう。彼らはそれを見ていながら、まだ、それに気付いていない。彼らの眼は酔っている。彼らはまことの盲人である。彼らのあかしは自らが述べる中傷である。

彼らの中傷は、危難の時の救助者であり、自存し給う神によって非難される。悪魔は彼らの心の中で害毒をかき立てているにもかかわらず、誰もそれを避けることができずに悩んでいる。彼らは罪人の登録簿を担ってよこしまな者らの方へ急いで行く。これが彼らの行いなのである。

天は一つにたたみ込まれ、地は神の支配下に握られる。そして、汚れたことを行なう者たちの前髪は握られているのに、彼等はまだそれに気付いてはいない。彼らは汚水を飲んでいるが、一向にそれに気付いていない。叫び声が挙げられ、人々は墓場から立ち上がり、あたりを見まわしている。ある者は慈悲の神の宮廷へと急ぎ、他の者は地獄の火中にうつ向いて倒れ、さらに、他の者は狼狽して気を失っている。神の聖句が啓示されても、なお、彼らは顔をそむけている。神のあかしが示されても、なお、彼らはそれに気付いていない。慈悲深いお方の顔を見ても、彼ら自身の顔は悲しそうであった。けれども、彼らはなおも遊び戯れている。彼らは光と間違えて、地獄の火の方に走って行く。彼らが愚かにも想像していることは、およそ、神から遠くかけ離れたことである。あなた方が喜こぼうと、激怒に燃えようと、そのようなことには関係なく、天はばらばらに裂かれて、神は輝かしい主権をもって降りて来られた。すべての創造物は、「王国は全能にして全知、いと賢き神のものである」という叫び声を聞いた。

おお、ペルシャの聖職者たちよ。我が名において、あなた方は人民の統治権を得、我との関係ゆえに名誉ある地位につくことができた。しかるに、我が目前に現われるや、これにそむき、我を認めた者らに涙を流させるような暴挙に出た。ほどなく、あなた方の持つものは滅び、その栄光は最もみじめな凋落に変えられ、そして、命じ給う御方、聡明なる御方である神の定め給うたところにしたがって、自分たちの犯したことに対する罰を知るであろう。

おお、都にすむ聖職者たちよ。我は真理を持って来たが、これに気付こうともしない。あなた方は自我のむしろをかけられた死人に等しい。何よりも、我の前に来ることが良いという時にそうしようともしなかった。これを知れ。もしも、あなた方が忠節を誓い、誇りとし、日夜そのものについて語り、その足跡に導きを求めているその指導者たちが今日生きていたなら、彼らは夕べといわず、朝といわず、我を囲み、我より離れようとはしないであろう。しかるに、あなた方は一刻たりとも我が顔にむかうことなく、ますます高慢さを示し、思うままに苦しめたこの我に対して注意すら払わなかった。あなた方は我の状態を調べもせず、我の身にふりかかったことを知ろうともしなかった。そして、あなた方はこの光あふれる明瞭な一点から吹き起こるけだかい風と恵沢のそよ風を自ら放棄した。外なるものにのみしがみつき、内なるものを忘れていながら、忘れていないと言う。名称のみを愛し、それに自己を捧げてしまっているようだ。自分たちの指導者の名称のみを口にするのはそのためである。そして、その指導者たちと同じ、または、それ以上の者が現われると、そこから逃げようとする。あなか方は彼らの名称により高められ、その地位を保ち、生き、栄えたのではないか。にもかかわらず、自分たちの指導者が現われると、いま自分がもっている指導権を放棄しようともせず、彼に向かうこともせず、顔も向けようともしない。多くの人類とまったく同じ様に、あなた方も名称のみを拝み、名称のみを命のかぎりに唱え、名称のみにこだわっている。しかるに、これらの名称を持つ者が現われるや、たちまちこれを否認し、反対方向に背をむけるのである。今では、この神の僕を正しく評価し、新しく生まれ変わらない限り、たとえ自分で考え、神を記憶し、神に心を向け、身をささげ、心をくばっても、神から受けいれられることはないであろう。このことを知れ。

あなた方のためにかの使徒(モハメット)は嘆き悲しみ、かの純潔なる者(ファティメ)は泣き叫んだ。そして、諸国は荒廃し、暗闇があらゆる場所をつつんでしまったのである。おお、すべての聖職者たちよ。あなた方のために人々の品位は卑しめられ、イスラム教の旗は引き降ろされ、その強力なる王座はくつがえされてしまった。分別ある者は、イスラム教を高めるものを固守しようとたえず求めてきた。しかし、あなた方は争いをひき起し、神が目的を達成されるのを妨げたのである。そして、その間に国土は完全に廃虚と化してしまったのである。

世界のあらゆる国民の中で最大の損失をこうむり、今なお、苦悩している民はペルシャの民である。栄光の絶頂で全世界に輝きわたる昼の星の言葉によって我は誓う。この国、ペルシャでは説教壇上にたえず悲嘆の声があがっている。はじめのころ、そのような悲嘆の声はまずテヘランの地にて聞かれた。栄光ある、気高い真実の御方を思い起こすことを目的として設立された説教壇は、今や全ペルシャにおいて、神を冒漬する場所と化し、全世界の願望である顕示者に向けてののしりの言葉が発せられる場所と化してしまったからである。

今のこの時代は、古来の王である神の新しい啓示という花から漂ってくる芳香に満ちている。それなのに、僧侶たちは徒党をくみ、自分たちの座にしがみつき、人間はもとより、動物さえもはずかしくなるようなことを語っている。もし、僧侶たちが自分たちの行いの一つだけでも、犯した間違いに気付いくなら、彼らは自らの手が自分たちを窮地に追いんでいるということが分るであろう。

おお、僧侶たちよ。...あなた方の手にしているものをすて、心を静め、そして、偉大なる御方、また主権者の舌が語りかけることに耳を傾けよ。ヴェールをした侍女たちの何と多くが我に顔を向け、我を信じたことだろうか。それにひきかえ、何と多くの、ターバンを巻いた男たちが我を妨害し、はるか過去の時代の人々の考えに従っていることか。

おお、高い地位にいる僧侶たちよ。何物によっても制約されることなき御方がもつ神秘を聞くことができるようにと耳が与えられ、その顕示者を見ることができるようにと眼が与えられている。なのに、何から逃れようとしているのか。二人といない友が現われたのである。その友は真に救いとなることを語っている。僧侶たちよ。もし、理解というバラ園の香りを見つけたならば、彼以外は求めず、たとえ衣は新しく変わっていたとしても、すべてを知り、比類なき顕示者を認め、そして、この世の物や、この世の物しか求めない者らから眼をそらせて、この新しい顕示者のために立ち上がるであろう。

我が書に書かれていることはすべて明らかに証明されている。どこから見ても証拠は明らかである。今のこの時代に、全能なる御方が人々に呼びかけ、至上の天国の出現について述べているのである。

今はもう、高い地位の僧侶たちが命令を下し、自分たちの正当性だけをおしつける時代ではない。自分たちのかかえている聖書の中にも、いつか、僧侶たちが人々を困惑へとおとし入れ、神に近づくのを妨げるだろうと書かれているではないか。真の光を見つけ、愛される御方である神へと近づく道を急ぐ者こそ、真の意味で立派な僧侶といえる。

おお、高い地位の僧侶たちよ。全能なる神の手が雲のかなたから伸びてきている。新しい眼でこれをみつめよ。神の尊厳さと偉大さが現われている。清らかな眼でこれをみよ。おお、高い地位をほこる僧侶たちよ。あなた方は神の名のお蔭で尊敬されているのに、神から逃げ去ろうとしている。あなた方は神の館の高い地位の僧侶である。もし、全能なる神の高い地位の憎侶であるならば、どうして、神のもとに一つになることができないのか、また、神を認められないのか。はっきり言う。おお、僧侶たちよ。今の時代は、人間のもっている物すべてをすてて、全能なる神に面を向けなければ、いかなる行為も認められぬであろう。