タラザトの書簡(飾り)

 

 全ての名の上に最高のものとして立つ、わが「御名」において

 

 

 賛美と栄光は「名前の主」、天の創造主なる御方に似つかわしく、その御方の啓示によって生じた海の波は、世界の人々の前でうねりを上げる。彼の大業の太陽はあらゆるベールを通して輝き、彼の断言の言葉は否定することができない。圧制者の勢力も、邪悪な者の残虐も彼の目的を妨害することはできなかった。彼の主権は何と栄光に満ち、彼の支配は何と崇高なことか!

 慈悲深き神よ、全く驚いたものだ!彼の印は世界を包みこみ、彼の証拠と証言は輝き、光のごとく明らかであるというのに、無知なる人々は無頓着、いやむしろ、反抗的であるかのようにさえ見える。もし彼らがその反対の態度で満足していたならまだよいのだが、彼らは常に、「聖なるロートの樹」を切り倒そうと企んでいる。この啓示が始まって以来、利己主義の権化(ごんげ)ともいうべき人々は残虐と圧制の手段に頼り、聖なる顕現の光を消そうと努めてきた。しかし神は、彼らの手を抑え、神の主権によってこの「光」を啓示なさり、神の勢力によってその「光」をお守りになり、遂には天と地はその輝きと明るさによって照らされたのである。あらゆる条件の下で、神に誉れあれ。

 あなたに栄光あれ、おお、世界の主にして、あらゆる国の望みなる御方よ、おお、「最大名」において顕現されたる御方よ。「最大名」によって英知と発言の真珠は、あなたの知識の大きな海の貝殻から現れ、聖なる啓示の天はあなたの御顔(おんかお)の「太陽」の出現の光によって飾られたのです。

 あなたの創造物の間で、あなたの証拠が完全になされた「言葉」、あなたのしもべたちの間で、あなたの証言が実現された「言葉」により、私はあなたに懇願致します。大業の顔が、あなたの領土において輝き、あなたの力の旗が、あなたのしもべらの間に立てられ、あなたの導きの領土の至る所に掲げられるよう、あなたの民を強くなし給え。

 おお、わが主よ!あなたは、彼らがあなたの御恵みの綱と御情けのマントのへりにしっかりとつかまっているのを見ておられます。あなたのおそばにさらに近づけるものを彼らにお定めになり、あなた以外のものから彼らを引き離し給え。私は懇願致します、おお、生存の王にして、見えるものと見えないものの保護者なる御方よ――あなたの大業に仕えるあらゆる者を、あなたの望みによって動く海のごとくなし、あなたの意志の天上にある地平線から輝く、あなたの聖なる樹の火によって燃え上がる者のごとくなし給え。まことにあなたこそは、全世界の力も、総ての国の強さも打ち負かす、弱めることができない強力な御方におわします。あなた以外に神はいまさず、あなたは唯一で、比類なく、保護者におわし、御自力にて存在し給う御方におわします。

 おお、わが知識の聖杯から、わが発言のワインを飲んだ汝よ!名前の主なる御方が、天の力の手によって最高の楽園に植えつけた「聖なるロートの樹」の葉の揺れる音から、次のような荘厳なる言葉が聞こえた。

 

 

   第一の飾り

 

 「母なる書」の地平線から出でた第一の飾り、第一の輝きは、人は己自身を知り、何が崇高につながり、また何がみすぼらしさへつながり、何が栄光または卑下へ、何が富または貧困へ人を導くかを認識しなければならない、ということである。実現の段階と成熟に達すると、人は富が必要になる。工芸や専門職業によって得る富は英知ある人々の目において、そして特に、自らを世界の教育やその人々の啓発のために捧げる僕(しもべ)らの目には、立派で賞賛すべきものである。彼らこそはまことに、知識の、生命を与える水をつぐ者らであり、理想的な道へと導いてくれるのである。彼らは世界の人々をまっすぐな道へと導き、人間の高揚と高尚さのためになることを人々に知らせるのである。まっすぐな道とは、人間を認知の夜明けと理解の曙の地へと導き、栄光と名誉と偉大さに人間を導く道のことである。

 最も賢く全知なる御方の慈愛によって、視界をさえぎる塵が払い落とされ、認知力が高められ、増すという望みをわれは抱いている――そうすれば、人々は自らが生まれてきた目的を発見するであろう。この「日」には、無知をなくし、ビジョン(洞察力)を増す役目を果たすものは全て、考慮するにふさわしい。このビジョン(洞察力)は真の知識を得るための手段であり、そして指針としての役目を果たす。まことに英知ある人々から見ると、理解力の鋭さはビジョン(洞察力)の鋭さによるものである。バハの人々はいかなることがあっても、適切でふさわしいことを守り、それに応じて人々に勧告しなければならない。

 

 

    第二の飾り

 

 第二の飾りは、あらゆる宗教の信奉者らと友好や親善の精神をもって交わり、シナイの山で「語りし者」が述べたことを宣言し、あらゆることにおいて公平な態度を持つことである。

 誠実で忠実なる者らは、地上のあらゆる民族や親族と喜びや輝きをもって交わるべきである。なぜなら、そのような態度が人々の間に和合と調和をもたらしたからである。それは今後も変わらない。そして和合と調和はさらに、世界の秩序の維持と国々の再生に役立つのである。親切と優しさの綱にしっかりとつかまり、敵意や憎しみを持たぬ者らは幸いである。

 この虐げられた者は、世界の人々にこう忠告する。世界の暗闇の中の二つの光であり、また人類向上のための二つ教育者である寛容と高潔を遵守せよ。そこへ到達した者は幸いであり、無思慮な者哀れなるかな。

 

 

    第三の飾り

 

 第三の飾りは、立派な人格に関することである。立派な人格はまことに、神から人間へ与えられた最善のマントである。それをもって、神は神の最愛なる者らの聖堂を飾られるのである。わが命にかけて誓う!立派な人格の光は太陽の光やその輝きに勝るものである。それを得る者はみな、人々の間の宝石として見なされる。世界の栄光と向上はそれに依存しなければならない。立派な人格は人々が「一直線の道」と「偉大なる告知」へ導かれるための手段である。聖なる属性や「天上の群衆」の性質で飾られた者は幸いである。

 あらゆる状況下で、正義と公平に目を据えることが汝にふさわしい行いである。「隠されたる言葉」の中で、「わが最も尊きペン」から次のような高尚なる発言が啓示された。

 「おお聖霊の子よ!総てのもののうちわが眼において最愛なるものは『正義』である。汝もし、われを求むならば、『正義』にそむくな。またわれ、汝を信頼し得るよう、それをなおざりにするな。その助けにより汝は他人の眼ならぬ自らの眼にて見、隣人の理解力ならぬ汝自らの理解力にて知らん。汝の心のうちに熟考せよ。汝はいかにあるべきかを。まことに正義こそは、わが汝への贈り物であり、わが慈悲の印である。されば、それを汝の目前に置け。」

 己の判断において公正かつ公平なる者らは、荘厳なる地位と高貴なる地位を占める。信心深さと正直の光は、これらの人々から眩く(まばゆく)輝き出でる。世界の人々や国々がこれら二つの発光体の輝きを失わぬよう、われは心から望んでいる。

 

 

 

   

 第四の飾り

 

 第四の飾りは、信頼できるということに関する。まことに、それは地上に住む全ての者らのための安全の扉であり、「慈悲あふれる御方」の栄光の印である。それを頂く者はまことに、富と繁栄の宝庫をも頂くものである。信頼性は人々の平穏と安全につながる最大の門戸である。まことにあらゆる事柄の安定はそれに依存してきたし、またこれからも依存するのである。権力や偉大さや富の領域は、その光によって照らされている。

 しばらく前に、次のような荘厳なる言葉が「最も高遠なる方のペン」から啓示された。

 「われは今、『信頼性』について、また『強力な王座の主』、汝の主なる神の目における『信頼性』の地位について汝に述べん。ある日われは、わが『緑の島』へ(おもむ)いた。そこへ着いたとき、われはそこに小川が流れ、木に緑が生い茂り、太陽の光が燦爛(さんらん)と輝いているのを見た。右へ顔を向けると、われのペンは弱すぎて描写し得ないようなものを見た。また、そのペンでは、『人類の主』の目がその最も神聖で最も荘厳な、あの祝福された最も高貴なる『場所』で目撃したものを述べることもできない。そうして左へ顔を向けると、われは『最も荘厳なる楽園の美』のひとつを見つめた。それは光の柱の上に立ち、声高らかにこう叫んだ――『おお天と地の住人たちよ!わが美と輝きと啓示、そして光輝を見よ。真実の御方なる神にかけて誓う!われこそは『信頼性』であり、その啓示とその美である。われは、われにしがみつき、わが地位を認め、わがへりにしっかりとつかまるあらゆる者に報うであろう。われこそは、バハの人々の最も偉大なる飾りであり、創造の王国に住む全ての者への栄光の衣(ころも)である。われこそは世界の繁栄のための最高の手段であり、全生存物への確信の地平線である』。われはかくのごとく、人々を創造の主に近づかせるものを汝のために送り出したのである。

 おおバハの人々よ!信頼性こそは、まことに汝らの聖堂における最高の衣(ころも)であり、汝らの頭(こうべ)のための最も栄光ある王冠である。お命じ給う御方、全てを御存知である御方の命令に従って汝ら、信頼性を固守せよ。

 

 

  第五の飾り

 

 第五の飾りは、神の僕(しもべ)らの地位の保護と保存に関することである。人はあらゆる事柄の真理を無視してはならず、正しくかつ真実なることを表現すべきである。バハの人々は、ある人に当然与えられるべき報酬を拒むべきではないし、職人を、敬意をもって扱うべきである。また、これまでの人々とは違って己の舌を悪口で汚すべきでない。

 この「日」において、技巧の太陽は西洋の地平線の上に輝き、技術の川はその地域の海から流れ出でている。人は公平に語り、かような恩恵をありがたく思わねばならない。神の生命にかけて誓う!「公平」という言葉は太陽のごとく明るく、かつ眩く(まばゆく)輝く。その輝きを恵み深くあらゆる者に放って下さるよう、われは神に祈る。神こそはまことに全てを支配なさり、あらゆる者の祈りに答えられるのを常となさる御方なり。

 この頃、正直や誠実は、偽りの支配によって苦しめられ、正義は不正の鞭により苦しめられている。あらゆる方向に兵士の連隊だけが見られ、あらゆる地に剣の衝突の音しか聞こえないほど、堕落の煙は世界を覆(おお)ってしまった。世界を復帰させ、平静を国々にもたらし、神の権力を行使する者らを強化して下さるよう、われは「真なる御方」である神に嘆願する。

 

 

  第六の飾り

 

 知識は神のすばらしい贈り物のひとつである。知識を得ることはあらゆる者の義務である。今明らかとなっている技術や物質的手段は、神の知識と英知によって得られたものである。この神の知識や英知は、神の「最も高遠なるペン」によって「書簡」の中に啓示されてあり、この「ペン」の宝庫から英知と発言の真珠が現れ、世界の技術や技能が明るみに出されたのである。

 この「日」、地上の秘密は人々の目の前に明かされた。すみやかに現れる新聞のページはまことに、世界の鏡である。それらは様々な民族や親族の行いや活動を映し出し、人に知らされ、知られるようになる。それらは聴覚や視覚や発言力を授けられた鏡である。これは驚くべき、かつ強力な現象である。しかしながら、それを書く者らは、邪悪な情欲や欲望の誘惑から清められ、正義と公平の服で身をまとうのが似つかわしい。彼らはできる限り状況を調べ、事実を確かめた上で、それからそれらについて書き記すべきである。

 この「虐げられた者」に関して、新聞で報告されたことのほとんどは偽りである。公平な発言と正直は、その深遠な地位のために、知識の地平線上に輝く太陽として見なされている。この「海」から来る波は世界の人々の目の前において明らかであり、英知と発言の「ペン」から出ずるものは、あらゆる所で明白である。

 新聞には、この「僕」(しもべ)が「タ」の地(テヘラン)から逃げ出し、イラクへ行ってしまったと報告されてある。全く驚いたものだ!この「虐げられた者」は、ほんの一瞬でも身を隠したことはなかった。むしろ「彼」は常に確固とし、全ての人々の目にあらわであった。われは決して退却したことはなかったし、逃げようとすることもしない。まことに、愚かな人々こそ、わが面前から逃げ出すのである。われは、ペルシャとロシアという二つの尊敬されている政府を代表する、二人の乗馬した護衛者に伴われて故国を去り、遂には栄光と力に満ちあふれてイラクへ到着した。神に誉れあれ!この「虐げられた者」が「使者」とされている「大業」は、天のように高くそびえ、太陽のようにまばゆく輝く。隠れることなどは、この地位にある者にはありえないし、恐れや沈黙の余地もない。

 

 

  「復活」の神秘と「最後の時」の出来事は全て明らかであるが、人々は無頓着に落ち入り、ベールに包まれてしまっている。「そして海が沸騰する時...そして経典がひも解かれる時」[1]。神の廉直性にかけてまことに夜明けが訪れ、光は輝き、暗闇は去っていった。理解する者らは幸いである。そしてそこに達した者は幸いである。

 神に栄光あれ!「ペン」は何を記してよいか戸惑い、「舌」は何を発してよいか迷う。前例のないほどの苦難にもかかわらず、そして長年の牢獄生活や監禁生活や痛ましい試練の後にもかかわらず、われは今、われがすでに引き裂いたベールよりもさらに厚いベールが妨げに入り、視野を遮り(さえぎり)、理解の光を覆い隠しているのを見る。さらにわれは、今広まっている新たな悪態は以前にも増してさらに悪意あるものであることを見る。

 おお、バヤンの人々よ!慈悲深き主を畏れよ。昔の人々について考えてみよ。彼らは何をし、どんな実を集めたというのか?神がその力によってお守りになられたこと以外、彼らが発したことはみな詐欺にすぎず、彼らがなしたことは全て何の価値もないことが明らかになった。

 われは、世界の望みなる御方の生命にかけて誓う!もし心の奥深くで熟考するなら、人は、この世への愛着から解放され、「最も偉大なる光」の方へと急ぎ、空虚な想像の塵とたわいなき空想の煙から自らを洗い清めるであろう。何によって昔の人々は過ちを犯し、誰によって過った方向に導かれたのであろうか? 彼らはいまだに真実を否定し、己の利己的な欲求に向かってしまっている。この虐げられし者は、神のために大声で呼びかけん。そこへ顔を向けたい者はそうするがよい。そして、顔を背(そむ)けたい者は背(そむ)けるがよい。まことに神は過去であれ未来であれ、いかなるものの助けも必要となさらない。

 おお、バヤンの人々よ!圧制と妨げの源となり、人々に迷信の重荷を負わせたがために、今でさえ人々が、架空の場所から架空の人々を待ち望むようにしてしまったのは、ハディ・ドーラット・アベディ[2]のようなターバンと杖[3]を持った者たちであった。警戒せよ、おお、汝ら理解力ある人々よ!

 おお!ハディよ!この信頼できる「勧告者」の「声」に耳を傾けよ――汝の歩みを左から右へと向けよ。つまり、たわいない空想から顔を背(そむ)け、確信の方へと向かうがよい。人々を過ちの方へ導くな。聖なる「発光体」は輝き、彼の大業は明白であり、彼の印は全てを包みこんでいる。危難の中の救助者にして自力で存在し給う神の方へ、汝の顔を向けよ。神のために、己の指導権を放棄し、人々を放っておくがよい。汝は本質的な真理について無知なのであり、そのことに気付いていない。

 おお、ハディよ!神の道において汝の容貌を変えることなかれ。不信心な者らといる時、汝は不信心であり、敬虔(けいけん)なる者らといる時、汝は敬虔である。その地において己の命と財産を捧げた者らのことをじっくり考えてみよ。それにより汝が勧告され、眠りから呼び起こされるように。つまり、己の肉体や命や所有物を守る者と、神の道において全てを捨てる者とのどちらがより好ましいであろうか?公平に判断せよ、そして不公平な者ではあるな。利己的な動機のために、宗教を罠(わな)として利用したり、金欲のために真理を無視したりせぬよう、正義にしっかりとつかまり、公平を固守せよ。まことに、汝や汝のような者らの不公平は甚(はなは)だし悪化したため、「栄光のペン」はこのように記さざるを得ない。汝、神を畏(おそ)れよ。この啓示の先駆者なる「御方」はこう宣言された――「あらゆる条件下で彼はこう宣言なさるであろう――『まことに、われこそは神であり、危難の中の救いにして自力で存在するわれ以外に神はおらぬ』」。

 おお、バヤンの人々よ!汝らは、神に愛されたる者らと交わることを禁ぜられた。なぜ、そして何が目的でこれを課せられたのであろうか?われは神にかけて命ず。公平であれ、そして無頓着な者らのようであるな。洞察力ある者らにとって、そして「最大の美」の面前では、この禁止の目的ははっきりと知られており、明らかである――つまり、それによって誰も彼(ハディ)の秘密や行いについて気づかないようにするため、ということである。

 おお、ハディよ!汝はわれに同伴しなかった。故に、この大業について知らないのである。己の無駄な想像に従って行動してはならない。これらに加えて、「文書」を己自身の眼にて綿密に調べ、これまで起きたことについて熟考せよ。汝自身と神の僕(しもべ)らを哀(あわ)れみ、昔の人々のように強情を引き起こすことなかれ。道を間違える余地はなく、証拠も明らかである。神の霊感の息が汝を強くし、汝の内なる耳が次のような聖句に耳を傾けることができるようになるという望みをわれは心に抱いている――「言挙げよ、『神なり』と。それは神である。そのあとは、彼らには、難癖をつけることに没頭させておくがよい」[4]。汝はそこ[5]にいたし、彼[6]に出会ったことがある。ならば公平に発言せよ。汝自身にも人々にも、その事柄について偽って述べることなかれ。汝は無知であり、またよく知らされてもいない。この虐げられた者の声に耳を傾け、神の知識の海へと急ぐがよい。そうすればおそらく、汝は理解の飾りによって飾られ、神以外の全てを放棄するであろう。王たちやその臣民の前で、公然と大声で呼びかけるこの情け深き「勧告者」の声に耳を傾け、世界の人々をひとり残らず、永遠の主なる御方の方へ呼び出すがよい。これは、その地平線から完全なる恩恵の太陽が輝き出でる「言葉」である。

 おお、ハディよ!この虐げられた者は、地上の人々の心の中に激しく燃える敵意と憎しみの火を消さんがために、この世への愛着を全てなくし、できる限りを尽くしてきた。神――その栄光に誉れあれ――に感謝し、この卓越した大業を促進するために立ち上がることが、あらゆる公正で公平な心の持ち主にふさわしい。それにより、火が光に変わり、憎しみが愛と友好に取って代わらんがために。神の正義にかけて誓う!これが、この虐げられた者の唯一の目的なのである。まことに、この重大な大業を宣言し、その真実性を実証するにおいて、われは様々な苦痛や試練や苦難に耐えてきた。汝自身、われが述べたことについて証言するであろう、もし公平に語りさえするなら。まことに、神は真実を語られ、「道」を先導される。彼こそは力に満ち、強大にして恵み深き御方におわす。

 バハの人々の上に、わが栄光があらんことを――圧制者の残虐にも、攻撃者の勢力にも、諸々の世界の主なる神から引き離されることのなかったバハの人々に。

 



[1] コーラン 81:681:10(英語訳注)

[2] ミルザ・ハディ・ドーラット・アバディイシファハンの聖職者のひとりで、バブの信奉者となったが後にミルザ・ヤーヤの支持者となり、ミルザ・ヤーヤのイランの代理人、そして後継者として指名された。バビ教徒の迫害のとき、彼は信仰を否定した。(英語訳注)

[3] ターバンと杖=ムラ[イスラム教律法学者]のしるし、象徴。(英語訳注)

[4] コーラン 6:91(英語訳注)

[5] キプロス

[6] ミルザ・ヤーヤ