ローへ・アクダス(最も聖なる書簡)[1]

 

これは、世界の崇敬の的なる御方の方へ顔を向けた者へ送られた、聖なる王国からの最も神聖なる書簡である。その御方とは、超越した栄光を与えられ、永遠の天からやって来た御方である。

 

偉大なる栄光の主の御名において

 

 これは、名前のベールによって天と地の創造主なる神から遠ざけられることのなかった者に宛てられた、わが存在からの書簡である。それによって苦難の中の救助者におわし、ご自力にて存在し給う御方なる主の日々において、その者の眼が活気付けられんがために。

 言挙げよ、おお子[2]の信奉者たちよ!わが御名のために、我から汝ら自身を閉め出してしまったのか。汝らの心の内で熟考しないのか。汝らは日夜、全能者なる主を求めていたのに、彼がその偉大なる栄光において永遠の天からやって来られると彼より顔をそむけ、無頓着の底に沈んだままであった。

 聖霊[3]が明らかな統治権をもってやって来た時、彼を拒否した人々のことを考えてみよ。彼からの別離を嘆きつつ、彼の名のシナゴーグ[4]に引きこもったパリサイ派の人々がどれだけいたことか! しかし、再会の門が広く開け放たれ、聖なる発光体が美の夜明けからまぶしい輝きを発した時、彼らは、崇高で強大なる御方である神を信じなかった。彼の到来はイザヤの書においてだけでなく、預言者や使者たちの書においても、彼らに対して約束されていたにもかかわらず、彼らは彼の面前に達することができなかった。人々の間で権力を持たなかった人々の他は誰も、神の恩恵の夜明けに顔を向けなかった。しかし、今日では権力を授けられ主権を与えられた者はみな、彼の名を誇りとしている。さらに、イエスに死刑を宣告した者のことを思い出してみよ。イエスの母国においてその時代に最も学識あるものであったその者ではなく、一介の漁夫に過ぎなかった者[ペテロ]がイエスを信じたのである。十分用心し、警告に従う者であれ。

 同じ様に、今日、どれだけ多くの僧が、聖霊を求めて教会の中に引きこもりながらも、真理の力によって彼が現された時は彼に近づくことができず、道から遠く逸れてしまった人々として数えられているか考えてみよ。彼らを見捨て、天と地にある全ての人々の望みである御方に顔を向けた人々は幸いである。

 彼らは福音書を読み、栄光に満ちた主が彼の崇高なる力と、彼の強大で慈悲深い支配の力を通して現されたにもかかわらず、彼を認めるのを拒んでいる。まことに我は汝らのために来、汝らを救済するためにこの世の不幸に耐えた。汝らは汝らを目覚めさせるために命を犠牲にした御方から逃げるのか。おお、聖霊の信奉者たちよ。神を畏れよ。そして、道から逸れた聖職者のように振舞うな。彼は常に敵の剣によって脅かされているが、汝らは彼が自分の利益を求めていると思っているのか。また、彼は都市の中でも最も荒れ果てた所に投獄された後、世俗的虚栄を求めたと思うのか。汝ら、公平に判断せよ。そして、不正なる人々のような行いをするな。

 汝らの心の扉を開け。聖霊なる御方はまさにその扉の前に立っておられる。汝らを輝かしい場に導こうとされた御方をなぜ遠ざけるのか。言挙げよ。まことにわれは、汝らのために御国の門を開けた。わが顔の前で汝らの家の戸を閉じるのか。これこそ重大な過ちに他ならない。まことに、彼は天よりやって来た。ちょうど最初にやって来たときのように。昔の人々が彼の発言に異義を唱えたように、彼が宣言することに異義を唱えることがないよう注意せよ。真実なる御方はこのように汝らに指図された。汝ら、もしそれを理解するならば。

 ヨルダン川は最大の海へとつながり、子は聖なる谷において叫ぶ。「我はここにあり。我はここにあり。おお主よ、わが神よ。」そして、シナイは家の周りを回り、燃える柴は、「望みの御方は、その超越した威厳においてやって来られた。」と大声で叫んだ。言挙げよ、見よ。父はやって来られた。そして、御国において汝らに約束されたことは果たされたのである。これが、彼が彼の周りに居た人々に、「汝らは今、それに耐えることができない。」と言った時、子が隠した言葉である。そして、約束された時が到来し、時計が鳴った時、言葉が神の意志の地平線上に輝き出たのである。おお、子の信奉者たちよ。それを投げ捨てることがないよう注意せよ。これにしっかりとつかまれ。これは、汝らが所有する全てのものにもまして良いものである。まことに彼は善行をなす人々のそばにいる。我が、地上の人々や寵愛を受けた天使たちの知識から隠していた時はやって来たのである。言挙げよ。まことに彼は我について証言し、われは彼について証言する。まことに、彼が意図し給うたものはわれ以外の何ものでもないのである。これについては公平な心と理解力あるあらゆる者が証言する。

 数え切れぬ苦難に悩まされながらも、我は名の主である神に人々を召喚する。言挙げよ。神の書で汝らに約束されたものに達するために努め、無知なる人々の道を歩むな。汝らが自我の束縛から解放されるよう、わが肉体は投獄に耐えてきたのである。それゆえ、汝らの顔を彼の顔に向けるがよい。そして、悪意に満ちた圧制者の後を追うな。まことに、汝らが栄光を得るようにと、彼は大いなる卑しめを受け入れた。しかるに、汝らは無頓着の谷に遊び惚けている。汝らは自分の宮殿に住んでいるのに、実に彼は汝らのために最も荒れ果てた住まいに住んでおられるのである。

 言挙げよ。バヤンの荒野において大声で叫び、全てに慈悲深き御方なる汝の主の到来という吉報を告げるふれ役人の声に耳を傾けないのか。見よ。彼は決定的証拠を携えて、証言の庇護を受けてやって来た。そして、彼を真に信ずる人々は彼の存在を神の御国の権化と見なすのである。彼に面を向けた者は幸いなり。彼を否定したり、疑ったりする者に災いあれ。

 聖職者たちにこう告げよ――見よ!統治者なる御方がやって来られた。あらゆる者の頭を下げさせる御方なる汝らの主の名において、ベールの後ろから歩み出でよ。そして、この強力で栄光ある啓示の吉報を全人類に宣言せよ。まことに、真理の御霊なる御方は、汝らを全ての真理に導くためにやって来た。彼は自らに促されて語るのではなく、全知にして全てに賢き御方に命ぜられて語るのである。

 言挙げよ、この御方こそ、子に栄光を与え、その大業を賛美した御方なり。おお、地上の人々よ、汝らの所有するものを放棄し、神の信託を受けた者である御方、力に満ちた御方が汝らにお命じになったものに

しっかりとつかまるがよい。汝らの耳を清め、心を彼の方に向けよ。そうすれば、最も栄光ある御方なる汝らの主のお住まいであるシナイからあがった、最も驚異的な叫びに、汝らは耳を傾けることができよう。それはまことに、この輝かしい地平線上に輝く、彼の御顔の光輝を知覚できる場所に汝らを近付けるであろう。

 おお、聖職者の群衆よ!鐘を置いて教会から出でよ。国々の間で最大名を大声で宣言することは、今日、汝らにふさわしいことである。あらゆる石や樹は、「主は、その偉大なる栄光においてやって来られた!」と大声で叫んでいるというのに、汝らは沈黙を好むのか? 彼のもとへと急ぐ者は幸いなり。まことに、そのような者は、自分の名が永遠に記録され、天上の群衆によって語られる人として数えられる。この驚くべき書簡において、それはかくのごとく聖霊によって定められた。わが名において人々を呼び出す者は、まことにわれのことを語るものであり、地上のいかなる力も及ばぬ力を示すであろう。主の道を進み、無頓着の底に沈んでしまった人々のような振舞いをするな。神の微風によって奮起させられ、主の道に歩みを向けながら、死人の中から起き上がった眠りにあった人は幸いである。まことに、そのような者は、真なる御方である神の目において人々の間の宝石として見なされ、この上なく幸福な者として見なされる。

 言挙げよ――東洋では彼の啓示の光が差し、西洋では彼の統治権の印が現れた。これについて心の中でよく考えてみよ、おお人々よ。そして、すべてに称えられ、全能なる御方である彼の警告に耳を傾けない人々のようであるな。神の微風によって目覚めよ。まことに、それは世界中に漂った。その芳香を嗅ぎつけ、確信を持った者として見なされた者は幸いである。

 おお、牧師の群衆よ!汝らは、わが知識の天の星である。わが慈悲は、汝らが地に落ちるのを望まない。しかしながら、わが正義は宣言する。「これは、子が命じたことなり。」と。そして、潔白で、真実を語り、信頼できる彼の口から発せられたことは何であれ、決して変更することはできない。まことに、それらの鐘はわが名を鳴り響かせ、われのことを嘆き悲しむが、わが精神は明らかな喜びに歓喜する。すべてに慈悲深き御方の道において、愛される御方の身体は十字架を切望し、彼の頭は槍を欲する。圧制者の優勢は、彼をその目的から引き離すことは決してできない。我は全創造物に対し、すべての名の王、汝らの主の面前に達するように呼びかけた。自らの顔を審判の日の主なる神に向けた者は幸いなり。

 おお、修道士の群衆よ!もし汝らがわれに従うことを選ぶなら、われは汝らをわが御国の相続人となすであろう。そして、もし汝らがわれに叛くなら、われはわが忍耐においてそれを辛抱強く耐えよう。われはまことに、常に許し、すべてに慈悲深き者なり。

 おお、シリアの地よ!汝の公正さはどうなったのか。汝はまことに、汝の主の足跡によって高潔にされている。汝は天の再会の芳香に気づいたか、それとも無頓着な者として見なされるか。

 ベツレヘムは神の微風によって奮い立っている。われは、彼女がこう言っているのを聞いた。「おお、最も寛大なる主よ!あなたの偉大な栄光はどこに確立されているのでしょうか。あなたからの隔離で溶かされた私は、あなたの存在の甘い香りによって活気づけられました。ベールを挙げ、明らかな栄光の力をもって来られたあなたに賛美あれ。」われは、威厳と壮大の幕屋の後ろから、こう彼女に叫んだ。「おお、ベツレヘムよ!この光は東洋で昇り、西洋へ向かって進み、最終的に汝の所へ到達した。それでは、われに答えよ。子らは父を認め、承認するのか、それとも、以前に人々が彼(キリスト)を否定したように、父を否定するのか。」そこで、彼女は、「あなたこそはまことに、全知にして、全てに精通なさる御方です。」と叫んだ。まことに、われは、全創造物がわれについて証言させられたのを見る。あるものはわれを知り、証言する。しかし、大部分は証言はしても、われを知らずにいる。

 シナイ山は、わが顔を見た喜びで奮い立っている。彼女は、主を賛美するためにその魅惑的な声をあげて、言った。「おお主よ!私はあなたの衣の芳香を感じます。神の印を授けられたあなたが近くにいらっしゃると思います。あなたは、あなたの足跡によってこれらの地域を高潔にされました。あなたの民への祝福は大きい。もし彼らがあなたを知り、あなたの甘い香りを吸い込むことができるなら。そして、深い眠りにある者らのなんと哀れなることよ。」

 わが顔に己の顔を向けた汝は幸いである。なぜなら、汝はベールを引き裂き、偶像を粉々にし、汝の永遠なる主を認めた故に。コーランの民は、なんらの明白な証拠もなしにわれに対して立ち上がり、常に、休みなくわれを苦しめた。彼らは、苦難によってわが目的を挫くことができるとたわいない想像をしている。彼らの想像のなんと空虚なことよ。まことに、汝の主こそは、望み給うことのすべてをお命じになる御方なり。

 わが心はいかなる樹木に対しても、「ああ、わが名において汝が切り倒され、わが身体が、汝の上にはりつけにされるなら。」と、語りかけることなく通り過ぎることはない。この節が、諸々の宗教の信奉者たちに忠告としての役割を果たすようにと、われはペルシャ国王への書簡の中でこの節を啓示した。まことに、汝の主は全知にして全てに賢き御方なり。

 彼らが犯したことによって煩わされるな。まことに、彼らは死んでいるに等しく、生きてはいない。彼らを死人にゆだね、世界に生命を与える御方の方へ汝の顔を向けよ。無頓着な人々の発言が汝を悲しませることなきよう警戒せよ。大業に確固とし、最高の英知を持ってその人々に布教せよ。天と地の統治者はかくのごとく汝に命じる。彼はまことに、全能にして最も寛大なる御方なり。やがて、神は汝の記憶を賛美し、神の愛のために汝が発したことを栄光のペンをもって記されるであろう。彼はまことに、善行をなす人々の保護者であり給う。

 わが記憶をモラードという名の者に与え、言え。「汝は幸いなり、おおモラードよ。なぜなら、汝は己の欲望の誘惑を投げ捨て、全人類の望みである御方に従ったのであるから。」

 言挙げよ。わがそよ風によって覚醒させられた、眠りにあった人は幸いである。復活をもたらすわが息吹によって、活気づけられた死人は幸いである。わが栄光と威厳の大聖堂へ、己の歩みを向ける旅人は幸いである。わが天蓋のもとに避難を求める、苦悩する者は幸いである。わが慈愛の、穏やかな流水へと急ぐ、ひどく喉の渇いた者は幸いである。われへの愛のために利己的欲望を捨て、われの選んだ人々のため、我が聖なる恩恵の天から送った宴の座に席をとる、飽くことを知らない者は幸いである。わが栄光の綱にしっかりとつかまる卑下された者、わが富の大聖堂の下陰に入る困窮者は幸いである。わが知識の泉を求める無知な者、わが記憶の綱にしっかりとつかまる無頓着な者は幸いである。わが蘇生の息吹によって蘇り、わが天上の王国へ入ることを許された者は幸いである。われとの再会の甘い香りによって奮起させられ、わが啓示の夜明けへと近づいた者は幸いである。壮大さと統治権を与えられた、偉大な栄光と威厳をもち給う主御自身の述べられたことを聞いた耳、その主について証言した舌、その主を見、認識した目は幸いである。彼の面前に達した人々は幸いである。わが言葉の太陽から啓発を求めた者は幸いである。わが愛の王冠で己の頭を飾った者は幸いである。わが嘆きを聞き、わが人々の間でわれを援助するために立ち上がった者は幸いである。わが道に己の命を捧げ、わが名のために様々な苦難に耐えた者は幸いである。わが言葉を確信し、わが賛美を祝うために死人の中から起き上がった者は幸いである。わがすばらしき旋律によって魅惑され、わが威力の力を通してベールを引き裂いた者は幸いである。わが聖約に確固とし、世俗のことによってわが神聖の宮廷に達することを妨げられなかった者は幸いである。われ以外の全てから離脱し、わが愛の大気へと舞い上がり、わが王国へ入り、わが栄光の領土を凝視し、わが恩恵の活水を飲み、わが愛しの摂理の天の川から存分に飲み、わが大業に精通し、わが言葉の宝庫にわれが隠したことを理解し、われを賛美することに従事した、聖なる知識の地平線から輝き出た者は幸いである。まことに、そのような者はわれのものである。わが慈悲と慈愛、わが恩恵と栄光はその者の上にある。

 

 

 



[1] 時に「キリスト教徒への書簡」とも呼ばれる。(英語訳注)

[2] イエス・キリスト(英語訳注)

[3] イエス・キリスト(訳注)

[4] ユダヤ教の教会(訳注)