<101>

 あらゆる聖典、否、神によって記されたあらゆる聖句の啓示の根底にある目的はこれである。つまり、ゆるぎない平和と平安が世に確立されるよう、人々に正義と理解力を付与することである。人々の心に確信を与え、人間の地位を高め、その満足を促進させるものはすべて神の御心にかなうものである。人はもし、人間に与えられた高貴な運命をまっとうすることを選ぶならば、何と崇高な地位に達することができようか。そしてまた、人は何という堕落の深淵の底にまで沈み得る存在なのであろうか。最も卑しい創造物さえもそれほどまでに落ちることはない。おお、友らよ。この日、汝らに与えられた機会をとらえてはなすな。豊富に湧きおこる彼の恩寵を逸することのないようにせよ。この祝福された日において、神の恩寵により、汝らの一人一人が純粋で聖なる行為の装飾で身を飾ることができるよう、われは神に嘆願する。まことに、神は欲するままになし給う。 

                                  

<102>

 おお、人々よ。われが汝らに告げるこの真理に耳をかたむけよ。神の栄光に讃美あれ。唯一真実の神は、人間の心を他にゆるさない御自身の占有物とみなし給う。このことは過去にも、未来にも不変である。それ以外のものは、それが海のものであれ、陸のものであれ、また、富であれ、栄誉であれ、神はそれらをすべて地上の王や支配者たちにゆずりわたしたのである。「神は欲するままになし給う」の言葉を宣言する旗印は、初めなき始まりより、神の顕示者の前に燦然(さんぜん)たる光輝をもってひるがえっている。人類が今日必要とするものは、為政者への服従と、英知の綱に忠実にすがることである。人類の当面の保護、保障、安全を確保するに必要な手段は人間社会の統治者に委ねられ、彼らの手中にある。これこそは神の望み給うことであり、神の命じ給うことである。地上の王たちのひとりが神のために立ち上がり、弾圧にあえぐこの虐げられた人々の勝利のために奮起することをわれは切望する。このような国王は永遠に讃美され、称えられよう。神はこの虐げられた人々につぎの義務を定めた。つまり、彼らは、彼らの援助に立ち上がるものを助けなければならない。そして、常に変わらぬ忠誠をその援助者に示し、その最善の利益の達成に務めなければならない。われにしたがう人々は、わが大業の勝利のために立ち上がるものに対し、そのものの福利を増進することに、いかなる場合においても努力し、常に献身と忠節の証を立てなければならない。わが忠言に耳をかたむけ、それを守るものは幸いなり。わが望みを果たすことを怠るものは不幸なり。 

 

<103>

 神は真実を語る舌を通して、つぎのような言葉を彼のあらゆる書簡の中で証言し給う。「われは栄光のアブハの王国に住む者である」。

 神の正義にかけて誓う。彼はこの崇高で、神聖にして力強い、そして超絶した地位の高みよりすべてを見、すべてを聞き、今このときこう宣言している。おおジャバードよ、汝に祝福あれ。汝は過去の時代の誰も達し得なかったものを手に入れたのである。永遠の真理なる彼にかけて誓う。汝は高遠なる楽園の住人の目に喜びをもたらしたのである。しかし、世の人々はまったく気づいていない。汝の地位が明かされれば世の人々の心は動揺し、足をすべらせ、虚栄心の権化たちは唖然として地面に倒れ、聞くことを恐れて無思慮の指を耳に押しつけるであろう。

 この世の事物に没頭するあまり、神の最も偉大なる面影を忘却したものらについて嘆いてはならない。永遠の真理なる者にかけて言う。全能者の激怒が彼らを捕らえる日が近づきつつある。まことに、神はすべてを征服する全能者におわし、最強の御方におわす。神は彼らの堕落の汚れを排除して地上を清め、神に近いしもべらにこの地上を継がすであろう。

 言挙げよ。おお、人々よ。聖なるヨセフをただ同然の値で売り飛ばしたことにより汝らの口は塵に埋もれ、汝らの目は灰につぶされよう。おお、正道より遠く迷いでた人々よ。汝らの上に宿るのは何というみじめさよ。彼と彼の大業をしのぐ力を汝らが有すると心に思っているのか。そのようなことはあり得ない。これが真実であることを神御自身が証言し給う。彼こそは最も力強い御方、最も高遠なる御方、最も偉大なる御方におわす。

 やがて神の懲罰の熱風が汝らを襲い、地獄の塵が汝らを完全に覆うであろう。地上の虚栄と虚飾を蓄積し、侮蔑(ぶべつ)をもって神に背を向けるものはこの世ときたるべき世の双方を失うものである。神は間もなくその威力の御手で彼らの所有物をはぎ取り、恩寵の衣を彼らより奪い去るであろう。彼らは間もなくこれらの出来事を目撃し、汝もその証人となろう。  

 言挙げよ。おお、人々よ。この世とその虚偽に欺かれてはならない。この世とそこに存在するすべてのものは神の意志の手中にしっかりと握られている。神は望み給うものに恩恵を与え、望み給うものより恩恵を奪う。神は選ぶままになし給う。もしこの世が神の目から見て価値あるものであったならば、神は決して御自分の敵に一粒のからしの種ほどもそれを所有させなかったであろう。しかし、汝らの手がこの大業において行ったことに対する報いとして、神は汝らを世俗の事柄に巻き込んだのである。まことに、これは汝らに対する懲罰であり、汝らは自らの意志によりこの懲罰を自らにもたらしたのである。汝ら、このことを感知し得たならば。神は世俗を価値のない卑しむべきものと見なし、疑うものの心を試す(すべ)として使い給う。汝らはそのようなものを自らの喜びとするのか。  

 

<104>

 おお、汝ら世界の人々よ。まことに、不慮の災難が汝らを追い、悲しき報いが汝らを待ち伏せていることを知れ。汝らの行える行動が、わが目より消されていると思うな。わが美かけて誓う。汝らなせることすべてを、わがペンは橄欖(かんらん)(せき)の書に、明らかなる文字もて刻みしことを。  

 

<105>

 おお、地上の王たちよ。すべてを支配する主が出現したのである。王国は神に属し、神こそは全能なる庇護者にして、御自力にて存在し給う。神のみを崇拝し、輝く心もてすべての名の主なる汝らの主に顔を上げよ。たとえ汝らの所有するすべてをもってしても、この比類なき啓示に比べ得るものでは決してない。汝ら、このことを知り得たならば。

 他のために積み上げたものを己の喜びとし、わが守られたる書のみが語り得る諸々の世界から自らを閉めだしている汝らの姿をわれは見る。汝らの蓄えた財宝は、汝らの究極の目的から汝らを遠く引き離している。この状況は決して汝らにふさわしいものではない。汝ら、もしそれを理解するものならば。心を清め、世俗の汚れをすべて洗いながし、主の王国へと急げ。主こそは天と地の創造者におわし、世界を震撼させ給う。そして、すべてを放棄して隠されたる書の定めにすがるものを除き、主は地上のすべての人々を嘆き悲しませたのである。

 この日こそは、神と語り合った者が日の老いたる者の光に到達し、海をもうねらせたこの聖盃から再会の清水を飲み干した日である。言挙げよ。唯一真実なる神かけて言う。シナイ山は啓示の曙の周囲を巡り、神の精神なる者は王国の高所よりつぎのように声たからかに宣言している。「おお、地上の傲慢なるものらよ、奮起せよ。そして彼のもとに急げ」。この日、カルメル山は敬慕の念を抱き彼の宮廷に向かって急ぎ、シオンの中心からは「約束は果たされた。神の聖典に予告されたものは実現した。神こそは最も崇高なる全能者におわし、最愛なるものなり」の叫びがとどろいているのである。

 おお、地上の王たちよ。最も偉大なる法はこの場所、このすべてを超越する輝きにつつまれたこの場所において啓示されたのである。隠されていたものはすべて、至上の命令者の意志により明かされたのである。彼こそは終末をもたらし、月を裂き、あらゆる不変なる命令を説く者なり。

 おお、地上の王たちよ。汝らは従属者にすぎない。今や王の中の王なる者がその最もすばらしき栄光につつまれて出現し、危急の場の救助者におわし、御自力にて存在し給う御自身のもとに汝らを召喚しているのである。汝らの慢心が啓示の源を認める妨げとならぬよう注意せよ。また、世俗の諸事が暗幕となって、汝らを天上の創造者から閉め出すことのないよう心せよ。立ち上がり、すべての国の望みの的である者に仕えよ。汝らは、彼の口をもれる一言によって創造され、彼は時代を超えて、汝らを御自身の主権の象徴と定めたのである。

 神の正義にかけて言う。汝らの領土を手に入れることがわが目的ではない。人民の心を捕え、それを所有することこそがわが使命であり、バハの目は常に彼らを見据えている。諸々の名の王国はこの真実を証言する。汝ら、それを理解するものならば。主にしたがう人々はみな、この世とそれに属するものをすべて放棄する。ならば、これほど崇高な地位にある者の世俗超脱は何と大いなるものであろうか。汝らの宮殿を捨て、彼の王国への入場を求めて急げ。まことにこれはこの世においても、つぎの世においても汝らを利することである。天上の領土の主はこのことの真を証言する。汝ら、もしそれを知り得たならば。

 わが王国においてわが大業の援助に立ち上がり、われ以外のすべてを離脱する国王を何と大いなる祝福が待ち受けていることか。そのような王は、神がバハの人々に用意した深紅の箱舟に乗る同伴者のひとりに数えられよう。万人はその王の名を称え、その地位に敬意を払わなければならない。目に見える王国、見えぬ王国のすべての住人の全能なる庇護者というわが名の鍵により、諸々の都市の開錠に努めるその王に万人は加勢しなければならない。このような王は人類の目に相当し、創造の世の額に輝く装飾であり、全世界を覆う祝福の源泉である。おお、バハの人々よ。汝らの財産、否、汝らの命をも捧げて彼に加勢せよ。

 

<106>

 すべてに精通した医師の指は人類の脈をとらえている。彼は病を診断し、誤りのない英知により治療薬を処方するのである。各時代にはそれぞれ特有の問題があり、人にはそれぞれ特別の願いがある。苦悩する今日の世界が必要としている治療薬は、後の時代が求めるものと決して同一ではあり得ない。汝らの生きる時代の要求を憂慮し、そこに関心を寄せよ。そして、その時代に必要とされるもの、また、急務とされることに汝らの審議を集中せよ。

 全人類がどれほど深刻かつ計り難い苦悩に悩まされているか、われには手に取るように見える。病床に伏し、激痛に苦しめられ、幻滅しきった人類の姿がわが眼前にある。慢心に酔いしれたものらが、人類と、決して誤ることのない聖なる医師との間に立ちはだかっている。そして、見よ、彼らの策略は自分たちをも含む全人類を抜き差しならぬ罠に陥れている。彼らは病の原因を発見することもできず、治療法についての知識も何ら持ち合わせていない。彼らはまっすぐなものを曲がっていると思い、友を敵と取り違えている。

 この囚人の優美なるメロディーに耳をかたむけよ。深い眠りにある人々が目をさますよう、立ち上がり、声たからかに告げよ。言挙げよ。おお、まるで死人のような人々よ。神のめぐみの御手は汝らに生命の水を差しのべている。急ぎ行き、心ゆくまで飲め。この日、生まれ変わったものは、もはや決して滅びることはない。また、この日、死んだままの状態にあるものは、決して生きることはない。 

 

<107>

 慈悲に満ちた汝らの主は、全人類が一つの魂、一つの身体のようになることを心から望む。創造された他のあらゆる日を超越するこの日において、神の完全なる恩寵と慈悲の分け前を勝ち取るよう急げ。神に属するものを得るために、自らの所有するすべてを捨てるものを待つ至福は何と大いなるものか。そのようなものは神に祝福された人々のうちに数えられることをわれは証言する。

 

<108>

   おお、人々よ。われは汝らに時刻を定めた。定められた時刻までに神に向かうことを怠るならば、まことに彼はすさまじい威力をもって汝らを捕らえ、恐ろしい苦悩が四方より汝らに襲いかかるであろう。汝らの主がそのとき汝らに下す懲罰は、何と厳しいものとなろうか。

                                  

<109>

 おお、カマールよ。必滅の人間が、この日、神の恩寵深きめぐみにより達し得る極みは、人類の目に未だ明らかにされていない。存在の世界は、過去においても、また現在においても、これについて理解する能力を持たなかった。しかし、この大いなるめぐみに秘められた潜在性が、神の命令により、人間に明らかにされる日が近づきつつある。諸国の軍勢が彼に向かって配列されても、世界中の王たちが彼の大業をくつがえすために同盟しても、彼の力の威力は動じることなく存続するであろう。まことに、彼は真理を語り、比類なき全知者の道へと全人類を召喚する。

 人間はみな、常に進歩する文明を前進させるために創造された。全能者はわが証人なり。野獣のように行動することは人間にふさわしくない。人間の尊厳にふさわしい美徳は、地上のすべての民族や種族に対する寛容、慈悲、憐れみ、慈愛である。言挙げよ。おお、友らよ。これこそは、諸々の名の主なる御方の天来の恩寵により放出された清水である。この清らかな流れより、心ゆくまで飲め。そして、わが名において、他の人々にもその清水を飲ませよ。これにより、あらゆる国の指導者は、永遠の真理なる者の出現の目的と、自分たちが創造された理由とを完全に理解するに至るであろう。  

                                    

<110>

 偉大なる存在者は言う。おお、人の子らよ。神の教えと宗教の根本の目的は、人類の利益を守り、その統合を促進し、人々の間に愛と友情の精神を養うことにある。それを、仲たがいと不和、憎しみと敵意の原因としてはならない。これは真の道であり、確固たる不動の基礎である。この基礎の上に築かれたものは何であれ、世の中の変転や不意の出来事などによってその力を損なわれることは決してない。また、幾世紀にもわたる変転もその構造をくつがえすことはできない。わが希望は、世界の宗教の指導者たちや支配者たちが、この時代の改革とその繁栄の復興のために、一致して立ち上がることである。世界の窮乏についてとくと考え、互いに協議するがよい。そして、現状を案じて充分な討議を行い、病んで、ひどくいためつけられている世界が必要とする治療薬を施すがよい。すべてのことに対して中庸をもって対処することは、権力の座にあるものの義務である。何事も中庸という限度を逸脱すれば、その有益な効果は失われる。たとえば、自由や文明というようなものを考えてみよ。賢者たちがそれらをどれほどすばらしいものと考えようとも、度を過ぎれば、かえって人々に有害な影響をおよぼすのである。指導者や学識者の尽力により、世の人々が自らの最上の利益を認識できるようみちびかれることを、われは神に嘆願する。いつまで人類は片意地を張るのであろうか。いつまで不正がつづくのであろうか。いつまで混乱と動揺が人々の間にのさばるのであろうか。いつまで不和が社会を騒がせるのであろうか。失望の風はあらゆる方向から吹き、人類を分裂し苦しめる闘争は日々増加している。現在、一般に行きわたっている秩序は痛ましいほど不備であるため、迫りくる激動と大混乱の徴候は今やはっきり見受けられる。われは神に嘆願する。神の栄光に誉れあれ。神よ、御恩寵により世の人々をめざめさせ給え。彼らの行いの結果を有益なものとなし給え。彼らの地位にふさわしい行いが実行されるよう、彼らを助け給え。  

 

<111>

 おお、地上で争っている民族や種族の人々よ。汝らの顔を和合に向けよ。そして、和合の光の輝きもて自らを照らせ。共に集い、たとえ自分たちの間の論争の原因が何であれ、神のためにそれを根絶するよう決心せよ。そうすれば、この世の偉大な発光体なる者の光輝が全地球をつつみ、そこに住むものはすべて一つの都市の市民となり、ただ一つの王座の居住者となるであろう。この虐げられし者[1]は、その生涯の初めからこのこと以外の望みは何も抱かなかった。そして、これ以外の望みを今後も抱くことはない。人種や宗教が何であれ、世界の人々はみな一つの天の源から霊感を受け、みな一つの神の民である。このことに何ら疑う余地はない。彼らの戒律の間に見られる相違は、それが啓示された時代の種々の要求や緊急度によって起こるものである。人間の我欲から起こるいくつかの例外を除けば、それらの戒律はすべて神の定めたものであり、神の意志と目的の反映である。奮起して、信仰の力で身をかため、汝らの空想の神々、汝らの間に不和をまき散らすものを粉砕せよ。そして、汝らを融合させ、和合させるものにすがれ。まことに、これは母なる書が汝らに啓示し与える最も崇高なる言葉である。荘厳なる舌は、その栄光に輝く住処にあってこのことを証言する。 

                                  

<112>

 永きにわたり地上を苦しめてきた動乱と、人々をとらえてきた混迷と当惑を見よ。地上は戦争に荒らされ、突如と訪れる不慮の災難に苦しめられてきた。世界は不幸と苦難に取りかこまれているにもかかわらず、その原因や源が何であるかを立ち止まって考えるものは誰もいない。真の勧告者が忠告の言葉を口にしたときはいつも、見よ、人々はみな、彼を害毒をもたらす扇動者として非難し、彼の主張を拒否したのである。人々のこの態度は何と途方もなく、訳のわからないものか。外面的にも内面的にも一致する二人の人間を見出すことはできない。万人は一致と調和のために創造されたにもかかわらず、不和と悪意の証拠はあらゆるところに明らかである。偉大なる存在者は言う。おお、わが最愛なる人々よ。和合の幕屋は建てられた。汝ら、互いに他人視してはならない。汝らは一つの木の果実であり、一つの枝の葉である。正義の光がこの世を照らし、この世を圧制より聖別することを、われは念願する。神の栄光は高遠なり。神の威力の象徴である地上の支配者や国王たちが、全人類の究極の福利の促進に献身することを決意して立ち上がるならば、必ずや正義の統治が人の子らの間に確立され、その光の燦然(さんぜん)たる輝きが地球を取りまくであろう。偉大なる存在者は言う。世界の安定と秩序は、報酬と罰の双柱の上に築かれており、将来もこの双柱によって支えられつづけるであろう。また、偉大なる存在者は他の節でつぎのように書いた。おお、世界の支配者たちよ。留意せよ。この地上には、正義と英知の持つ征服力にまさる力は存在しない。前方に英知の旗をひるがえし、後方に正義の軍勢を結集して行進する王は幸いなり。その王はまことに平和の額と、安全の(おもて)を飾る装飾である。正義の昼の星は、今や圧制の雲に覆われている。しかし、その光を人類に注ぐことができれば、地球上は完全に変わるであろう。このことに疑いの余地はない。

 

<113>    

 おお、帝都[2]におけるペルシャ国王の大使よ。神の大業の究極の運命はわが手中にあると汝は想像するのであろうか。わが投獄、われに強いられた辱め、もしくはわが死や滅亡が神の大業の進路を変え得ると汝は想像するのであろうか。汝が心に抱いた想像は何と卑劣なものであろうか。まことに、汝は自分の心が考案する虚しい想像にしたがって歩んでいるに外ならない。神以外に神は存在せず、神こそは自らの大業を現わす威力に満ち、自らの証言を高め、御心によって欲するものを確立し、それを汝の手や、彼にそむいたものらの手が決して届くことも、危害を加えることもできない崇高なる地位にまで引き上げ給う。

 汝は神の御心を阻み、神の決定の執行を停止させ、神の主権の実行を妨害できる力を有すると思っているのであろうか。天と地にあるもののいったい誰が神の信教に抵抗できるというのか。否、永遠の真理なる御方にかけて言う。全宇宙のいかなるものも神の目的を阻むことはできない。汝は妄想を追っているにすぎない。妄想を捨てよ。それは決して真理の代わりとなり得るものではない。心より悔い改めるものであれ。汝を創造し、汝を育み、汝と同じ信仰を唱える人々の中の大臣として汝を据えた神のもとに戻るものであれ。

 さらに、このことを確信せよ。神こそは、自らの命令により天と地のすべてを創造したのである。ならば、神の命令によって存在を得た人間がどうして神に勝利し得るであろうか。おお、悪意みなぎる人々よ。神は汝らの想像をはるかに越えて崇高なり。もしこの大業が神に属するものであれば、誰もそれを止めることはできない。また、もし神に属さないのであれば、汝らの中の聖職者や、自らのよこしまな欲望にしたがい彼に刃向かう人々の勢力は、この大業をくじくに充分な力を持つはずである。

 汝はファラオの親族に関する話を知っているはずである。神はこの古代の信者が語った言葉を神の使者に伝えたのである。神は、神の使者をあらゆる人間の上に置き、御自分の教えを託し、地上に生きるすべてのものに対する慈悲の源泉とした。真実を語る彼はまさにこう伝えたのである。「自らの使命の証拠をたずさえて汝らの前に現われたものを、『わが主は神なり』と宣言しただけの理由で汝らは殺害するのか。もし彼が虚言者ならば、その虚言は彼の身の上に降りかかる。また、もしその証言が真実ならば、彼の警告することの少なくとも一部は汝らに降りかかってくるであろう」。これは、あやまりのない書を通じて神がその最愛なる者に伝えた言葉である。 

 にもかかわらず、汝らは彼の指示に耳をかたむけず、彼の法を無視し、聖典に記された彼の忠告を拒絶し、彼のもとを離れ遠くさまよう人々に加わったのである。どれだけの数の人が、 毎年毎月、汝らのために処刑されてきたであろうか。汝らは何と数多くの不正を働いたことであろうか。汝らの不正は誰もかつて見たことのないものであり、いかなる歴史家も記録したことのないものである。汝らの残虐行為のために、何と多くの乳飲み子が孤児となり、何と多くの父親が息子を失ったことか。おお、不正を働く人々よ。何と多くの妹が兄を悼み、何と多くの妻が唯一の頼みである夫の死を嘆いたことか。

 汝らの残虐のほどは日々増大し、最後には、最も崇高にして、最も偉大なる神の御顔から一度たりとも目をそらしたことのない者の命を汝らは奪ったのである。通常の処刑の方法を選ぶならまだしも、汝らはかつて誰も見たことのないような状況のもとで彼を殺害したのである。彼のその姿に天界は涙を流し、神に近い魂たちは彼の苦悩を目の当たりにして泣き叫んだのである。まさに、彼は汝らの預言者の古来の家系に生まれた末裔(まつえい)ではないか。彼が神の使者の直系であることは汝らの間で広く知られていたではないか。過去のすべての歴史をさかのぼっても、誰も汝らが彼に負わたような仕打ちを人に負わたことはない。神かけて言う。創造の世は汝らのような存在を過去に見たことはない。汝らは、汝らの預言者の家に生まれた者を殺害し、名誉の座に居座り、そのことに歓喜して祝杯をあげているのである。汝らは過去の時代の人々をののしっているが、汝らは彼らと同じ罪を犯したのである。にもかかわらず、汝らは自分の犯した極悪非道の行為に気づいていない      

 判断に公正であれ。汝らがののしりその不幸を願う人々の行為は、汝らの行為とどう違うのか。彼らは、自分たちに遣わされてきた預言者の子孫を殺害したが、汝らも同様に自らの預言者の子孫を殺害したではないか。汝らの行為は、彼らの行為と同じではないか。ならば、なぜ自分たちを彼らと区別できるというのか。おお、不和の種を蒔く人々よ。 

 汝らが彼の命を奪った後、彼の信奉者のひとりがその死の復讐を目指して立ち上がった。この名もない復讐者の企てに誰も気づいていなかった。やがて、復讐者は運命によって定められていた行為を犯してしまった。したがって、公平に判断するならば、責められる立場にあるのは汝らのみである。汝らと同じ罪を犯したものがこの地球上のどこにいるというのか。諸々の世の主なる御方にかけて言う。汝らに比べられるものはどこにも存在しない。

 地上のすべての王や支配者たちは、彼らに遣わされた預言者や聖者たちの子孫を敬い尊敬する。汝ら、このことを理解し得たならば。一方、汝らは、いかなる時代のいかなるものも犯したことのない行為を犯したのである。汝らの犯した罪のために、理解力を有するあらゆるものの心は悲嘆に暮れたのである。にもかかわらず、汝らは無思慮の淵に沈んだままであり、自らの行いが極悪非道であることに気づいていないのである。

 汝らの強情はなおもつづいた。そして、やがて汝らの矛先は、汝らの敵意を招くようなことを何一つ行っていないわれに向けられたのである。汝らを創造し、汝らに命を与え、汝らが力を得ることを可能とし、神に従順なる人々の仲間に汝らを加えた神を汝らは畏れないのか。汝らの強情はいつまでつづくのか。反省することをいつまで拒みつづけるのか。いつになれば眠りから覚め、無思慮の状態を脱するのか。真実に気づかないその状態はいつまでつづくのか。

 つぎのことについて心の中で熟考せよ。汝らの行動や、汝らの手が犯した様々な所業をもってしても、汝らは神の炎を消し、神の啓示の光を覆い隠すことに成功しなかったではないか。まさに、神の啓示の光の輝きは、永遠の生命の波うつ大海に浸る人々をつつみ込み、神の一体性をまことに信じ、支持する人々の魂を引き寄せたのである。神の御手は汝らの手をはるかに越えたものであることを知れ。神の取り消すことのできない命令は汝らのすべての企てに勝り、神はすべてのしもべの上に君臨し給う。神は御目的を果たすに充分な力を有し、欲するままに成し、欲するままに定め、御力に満ち給う全能者におわす。これを真実と認めるならば、汝らはなぜ心を掻き乱すことなく平静をもって生きないのか。 

 日毎、汝らは新たな不正を働く。われは汝らの政務に一度たりとも干渉したことはない。にもかかわらず、汝らは過去の時代と同じようにわれを処遇する。われは汝らに反対したことも、汝らの法にそむいたこともない。見よ、ついに汝らはわれをこの遠隔の地に投獄したのである。しかし、つぎのことを確信せよ。汝らの手や、不信心なるものらの手が犯すいかなる行為も神の大業を変え、神の道を変更させることはできない。これは過去においても、現在においても同様である。

 おお、ペルシャの国民よ。わが忠告に耳をかたむけよ。もしわれが汝らによって殺害されれば、神は必ず代わりの者を立て、わが死によって空いた座に据えるであろう。これこそは神の古来よりの方法であり、神の方法に変化を見ることはない。汝らは神の地上に輝く神の光を消そうというのか。神は汝らの望みを忌み給う。そして、汝らが心の中で密かに憎むこの光を神は必ず完成し給う。      

 おお、大臣よ。しばし立ち止まり、反省し、公正に判断せよ。汝は国王の大臣たちに対しわれを誹謗(ひぼう)し、自らの欲するままに真実をねじ曲げ、われに中傷を浴びせたのである。汝のこのような言動を正当化し得る行為をわれはいつ犯したというのか。かつて、イマム・ホセインの殉教祭のころにわが父の家汝と会ったとき以外、われは汝と会ったことはない。殉教祭のときは、自分の考えや信条を他に伝えることのできるような会話や議論の機会はなかったはずである。汝が正直なものならば、わが言葉のまことなることを証言するであろう。さらに、われは汝、もしくは汝以外のものがわが心の内を知ることのできるような会合に参加したことはない。わが証言をわれ自身の口から一度たりとも耳にしたことのない汝がなぜわれに判決を下すことができるのか。栄光に満ち給う神のつぎの言葉を汝は知らないのであろうか。「汝に挨拶するあらゆる人をつかまえて『おまえは不信心者である』とは言うな」。「主の顔を見ることを切望し、昼も夜も涙する人々を押しのけるな」。まことに、汝は神の書の教えを破り、なおも自らを信者と自負しているのである。

 神の一体性の信奉者が決して耐えることのできないような危害を汝らはわれに浴びせた。その行為にもかかわらず、われは汝に対しても、他のものに対しても何ら悪意を抱いていない。神こそこの真実を証言し給う。わが大業は神の御手の内にあり、われは神のみに信頼を置く。やがて汝の生涯の日々は過ぎ去り、今は目にあまる傲慢な態度をもって隣人に優勢を誇っている人々の日々も終末を迎える。間もなく汝らは神の御前に集合させられ、自らの行いについて詰問され、汝らの手のなしたことに相当する報いを受けるであろう。悪を働く人々の住処は何と悲惨な場所であろうか。                              

  神に誓って言う。自分が何をしてきたかに気づくならば、汝は涙を流し、神のもとに避難所を求め、汝に残された日々を失望と悲嘆のうちに過ごすであろう。その状態は、神が汝を許すまでつづくが、まことに神は最も寛大にして恩恵に満ち給う。しかし、汝は汝の心と魂と内なる真髄のすべてをかたむけてこの世の虚栄に没頭しているため、汝の無思慮は死の瞬間までつづくであろう。そして、この世を後にしたとき、汝はわれが汝に示したことを発見し、汝のすべての行いが神の書に記録されていることを知らされるであろう。その書には、地上に住むすべての人間の、原子の重量にもみたない行為までが漏れなく記録されているのである。したがって、わが忠告を受け入れ、汝の心の聴力をもってわが発言を傾聴せよ。わが言葉をないがしろにするな。わが真理を拒否するものとなるな。汝に与えられたものを汝の誇りとするな。危急の場の救助者におわし栄光に満ち給う神の書に記された言葉を眼前に置け。「彼らが警告を忘れたころ、われは万物の門戸を彼らに開け放った」。これと同様に、われは汝と、汝の同類のものにこの地球上とその装飾にみちびく扉を開け放ったのである。この聖句の後半に約束されたことの成就を待つがよい。これは全能者におわし、すべてに賢き御方の約束であり、必ず成就するものである。           

 おお、われに悪意をいだく集団よ。汝らが選び、汝らが歩む道についてわれは知らない。われは汝らを神のもとに召喚し、神の日を思い起こすよう忠告する。われは神との再会の吉報を汝らに伝え、汝らを彼の宮廷に引き寄せるのである。そして、われは彼のすばらしい英知の象徴を汝らに下し与えるのである。にもかかわらず、見よ、汝らはわれを拒絶し、偽りを語る汝らの口をもれる言葉によってわれを異端者と責め立て、われに対して様々な策略を企てたのである。そして、あふれんばかりの恩恵によって神がわれに付与し給うことをわれが汝らに明かすとき、汝らは「これは魔術にすぎない」と言う。過去の時代の汝らと同類の人々も同じ言葉を吐いたのである。おお、汝らこのことが理解できたならば。この言動によって汝らは神の恩恵と恩寵を逸し、神が汝らとわれの間に裁きを行うときに至るまで神の恩恵と恩寵を得ることはできないであろう。まことに、神こそは最高の審判者なり。

 汝らの中にこう言うものがいる。「彼は自分を神だと主張した」。神かけて言う。これぞ最悪の中傷である。われは神を信じ、神の証を認め、神の預言者や天使を信じる神のしもべにすぎない。わが舌も、わが心も、わが内なる存在も、わが外なる存在もすべてこう証言する。神以外に神はなく、神以外のものはすべて神の命令によって創造され、神の意志の働きによって形作られたのである。神以外に神は存在せず、神こそは創造主におわし、死者をよみがえらせ給う御方にましまし、命を与え、命を奪い給う御方におわす。われは、神の恩恵によってわれに与えられた恵沢を広く伝える者である。これが罪だとすれば、まことにわれは罪人の中の最大の罪人である。われとわが家族は汝らのなすがままである。ためらうことなく、汝らの欲するままにせよ。そうすれば、われは主なるわが神のもとに戻り、汝らの顔を見なくてもすむ場所に到達できよう。まことに、これこそがわが最大の望みであり、わが切なる願いである。このわが状態を神は見給い、熟知し給う。 

 おお、大臣よ。汝の姿は常に神の目に映っていることを記憶せよ。汝は神を見ることはできないが、まことに神は汝をはっきりと見給う。わが大業を観察し、公平に判断せよ。われのどの行為が原因で汝はわれに刃向かうのか。われのどの行いが原因で汝はわれに対する誹謗中傷を流布するのか。われは国王の命令にしたがってテヘランを去り、国王の了承を得てイラクに定住した。もしわれが本当に国王に対し罪を犯していたならば、国王はわれを釈放したであろうか。一方、われが無罪ならば、汝はなぜわれにこれほどまでの苦しみを浴びせるのか。実に、これは汝と同じ宗教を唱えるいかなるものも経験したことのないほどの苦しみである。イラク到着後、われの行動は政府の権威を損なうものであったであろうか。このような非難すべき行為をわが行動の中に発見したものがひとりとしていたであろうか。その地の住民に問いただすがよい。そうすれば真実を発見することができよう。

 われはかの地に十一年間滞在した。やがて、汝の政府を代表する公使がその地に赴任してきた。その名を書き記すことすらはばかられるが、その公使は酒に溺れ、肉欲に支配され、悪事を働き、腐敗し、イラクの国土にその腐敗を広めた。汝が真実を求めるものならば、バグダッドの大半の住民はこのことが事実であることを証言する。その公使は他人の財産を不当に接収し、神のすべての掟を破り、神が禁じ給うあらゆる罪を犯した。自己の欲望にしたがい、公使はやがてわれに刃向かい、不正なる人々の道を歩んだ。公使は汝に手紙を送り、われを告発した。そして、汝は何の証拠も、何の信頼できる証言も求めることなく、公使の告発の内容を信じ、彼と同じ道を歩んだのである。汝は虚偽と真実を識別し、正しい判断を下すための説明を何ら求めず、調査や確認を試みることすらしなかった。公使がどのような人物であったかを知りたいならば、当時イラクに赴任していた他の公使たちや、バグダッドの都を治めた知事や参事たちに尋ねてみよ。そうすれば真実が露呈し、汝は確かな情報を得ることができよう。

 神こそわが証人なり。われはいかなる状況にあっても公使やその他のものに反抗したことはない。われはいかなる状況にあっても神の教えを厳守し、動乱にくみしたことはない。公使自身がこのことを証言する。公使はわれを捕らえ、ペルシャに送還することによって自分の名声と名誉を高めようと意図していたのである。汝は、まったく同じ目的のために彼と同じ罪を犯したのである。全知者におわし、すべてに君臨し給う神の目には、汝らは同類のものとして映る。                 

 汝にこれらの言葉を向けるわが目的は何か。わが苦悩を軽減し、もしくは汝がわがためにとりなしをするよう求めているのではない。否、すべての世の主なる神に誓って言う。これらのことを汝に示すわが趣旨はつぎの通りである。汝が自分の行いを自覚し、われに加えたような危害を他のものに加えることを思いとどまらせ、汝と全宇宙を共に創造し給うた神に対してまことに悔い改め、汝にこれからは分別をもって行動させることがわが目的である。このことは、汝のすべての所有物と、残り少ない汝の公職の任期に増して貴重である。

 不正を企てることのないよう注意せよ。汝の心を正義にしっかりと据え、神の大業を変えようとしてはならない。そして、神の書に記されたことに目を向けるものであれ。いかなる状況にあっても自らの邪悪な欲望の誘いに屈してはならない。汝の主におわし、恩恵に満ち、日の老いたる者におわす神の法を遵守せよ。汝がやがて朽ちて土に戻ることは確実である。そして、汝の楽しみとするものと同様に汝は必ず死滅する。これこそは真実と栄光の舌が語る言葉である。

 過去の時代に語られた神の警告を想起し、神の忠告を聞き入れるものであれ。まことに、真実を語る御方はつぎのように述べ給う。「われは土をもって汝らを創造し、汝らを土に戻す。そして、われは汝らを再び土の中から呼び起こす」。このことは、地位の高い低いにかかわらず、この世に住むすべてのものに及ぶ神の定めである。神と神に愛されし人々を前に横柄な態度をとり、彼らを傲慢にもさげすみ、軽蔑することは、土をもって創造され、土に戻り、再び土より呼び起こされる運命にある人間に似つかわしい態度では決してない。否、神の一体性の顕示者にしたがうことこそが汝にふさわしい行為である。また、神のためにすべてを放棄し、栄光に満ち、すべてに讃美される神の街道より人間を引き離し、人の注意をそらすあらゆるものより解脱した信仰深い人々の前に謙虚であることが汝や汝と同じ状態にあるものらにふさわしい姿なのである。われはこのようにして汝の利益となるものと、全幅の信頼と確信を主に置く人々の利益となるものを汝に下し与える。    

 

<114>

 おお、国王よ[3]。真実を語る者の言葉に耳をかたむけよ。真直ぐな道を過ちなく進む者は、神が汝に選び与えたものを報酬として求めているのではない。われは汝の健全なることを欲し、そのために汝を汝の主なる神のもとに召喚し、正しき道を指示し、真の喜びに至る大道を示すのである。   

 おお、国王よ、注意せよ。よこしまな欲望に走るものを汝の周囲に置いてはならない。託された信託を放棄し、その信託を明らかに裏切ったものを大臣に据えてはならない。人民の権利をこのような大臣に委ねてはならない。神は汝に恩恵を授け、汝も同様に人民に恩恵を与えなければならない。神への畏敬をなおざりにせず、正しく行動するものであれ。信仰と正義の芳香につつまれたものを大臣に据え、共に協議し、汝の心に最善と思えることを選び行え。そして、寛大を汝の常とせよ。

 このことを確信せよ。神を否定するものは信頼に値せず、真を欠くものである。まことにこれこそは真実であり、疑いの余地のない真理である。神に不誠実なるものは、国王に対しても不誠実である。このような人間を悪行から踏み止まらせるものは何もない。隣人を裏切ることを踏み止まらせるものも、正しき道を歩ませるものも存在しない。

 国政を他人にまかせきることのないよう注意せよ。汝の信任に値しない大臣たちに信頼を置くな。そして、無思慮な人生を送るものであってはならない。汝に心をそむけた人々を避け、彼らに信頼を置くな。汝に係わることや、汝と同じ信仰に帰依する人々に係わることを彼らに委ねてはならない。狼が、神の羊の群れの羊飼となることを許すことのないよう注意せよ。神に愛されし人々の運命を悪意みなぎるものらに委ねるな。神の戒律を破るものが信頼に報い、彼らの公言する信念に忠実であることを期待するな。彼らを避け、彼らの策略や悪事が汝を傷つけることのないよう自らをしっかりと防御せよ。彼らに背を向けよ。そして、栄光に満ち、恩恵にあふれる汝の主なる神に目を据えよ。神は、神に自らを完全に委ねるものと共にあることは確かである。まことに神は、神に全幅の信頼を置くものをあらゆる危害から守り、すべての悪の策略者の不正より保護し給う。 

 わが言葉に耳をかたむけ、わが忠告にしたがうならば、地上のいかなるものの策略も汝に触れ、汝を害することのできないほど崇高な地位に神は汝を引き上げるであろう。おお、国王よ。汝の心の底より、そして汝の全存在をもって神の教えを遵守せよ。そして、圧制者の道を歩んではならない。汝の権力の手をもって国政の手綱をしっかりと握り、人民に係わることについては自らがおもむいて調査せよ。何ごとも見逃してはならない。何となれば、最高の善はそこに宿るからである。    

 神に感謝せよ。神は万人の中から汝を選び、汝を汝と同じ信仰に帰依する人々に君臨する王として据えた。神が汝に与えたこのすばらしい恩恵の真価を認識し、神の名を讃美しつづけることこそが汝にとってふさわしい行為である。また、汝にとって、神を讃美する最善の方法はこれである。つまり、神に愛されし人々を愛し、神のすべてのしもべらが圧制から解放され、二度と迫害されることのないよう彼らを不誠実なものらの悪事から守り擁護することである。さらに、汝は人々の間に神の法を確立するために立ち上がらなければならない。そうすることにより、汝は神の法に確固として立つものとなろう。

 正義の大河の清水が汝の国民に届くようにせよ。そうすれば、神は目に見えるもの、見えぬものの軍勢をもって必ず汝を援助し、諸事において汝を強化するであろう。神以外には神は存在せず、森羅万象とその王国は神に帰属する。そして、忠実なる人々の業績は神のもとに届くのである。

 汝の財宝に信頼を置いてはならない。否、汝の主なる神の恩寵に全幅の信頼を寄せよ。何ごとにおいても神を信頼し、神の御心に服従するものであれ。神を自らの援助者とし、天と地の財宝を所有する神の財宝をもって自らを富ませよ。神は選び給うものに与え、望み給うものからは差し控える。神以外に神はなく、神はすべてを所有し、すべてに讃美される。神の慈悲の門前にあって、人はみな等しく貧民である。神の主権の出現の場にあって、人はみな等しく無力であり、神の恩恵を乞い求めるものである。  

 中庸の道を踏み外してはならない。汝に仕えるものに対し公平であれ。彼らの必要に応じて彼らに報酬を与えよ。蓄財に走り、自らを着飾り、自宅に装飾を施し、何のためにもならないものを取得し、贅沢に溺れるものらの内に数えられるような報酬を彼らに与えてはならない。困窮するものも、逆に贅沢に溺れるものもないよう、揺るぎなき正義をもって彼らを処遇せよ。これこそが明白なる正義である。  

 卑劣な人間が、高貴で栄誉に値する人々を支配する状況を許してはならない。また、高潔な人々を、下劣で価値のない人間の思いのままにさせてはならない。実に、これこそは帝都(コンスタンチノープル)に到着するやわが目に飛び込んできた光景であり、われはこのことを証言する。帝都の住民の一部は莫大な財産を所有し、度を越えた富に囲まれて生活している。一方、他の住民は困窮と極度の貧困にあえいでいる。これは、汝の主権からしてあるまじき状況であり、汝の地位にまったくふさわしくない。

 わが忠告を受け入れ、公正をもって国を治めるよう努力せよ。そうすれば神は汝の名を高め、汝の正義の名声を世に広めるであろう。国民を犠牲にしながら大臣たちを富ませることのないよう注意せよ。毎日、夜明けと共に苦悩のうめき声をたてる貧者や心正しきものの嘆息(たんそく)を恐れ、彼らに対し慈悲深い王であれ。まことに、彼らこそはこの地上における汝の宝である。汝は汝に託された宝を守り、その宝を盗もうとするものの襲撃を撃退しなければならない。彼らの生活について調査し、毎年のように、否、毎月のように彼らの状況を確認せよ。このことにおいて、義務を怠るものであってはならない。     

 神の誤りのない天秤を汝の目前に据えよ。神の御前に立つ思いで、自らの行動をこの天秤にかけて日ごと評価せよ。そして、生涯を通じて自らの行いを常に評価しつづけよ。裁きの場に召喚される前に自らを清算せよ。裁きの日、神を畏れるあまり誰も立ちつづけることはできず、無思慮な人々の心は恐怖に震えるであろう。

 国王たるものは太陽のように恵みに満ちた存在でなければならない。太陽のようにすべての生命の成長を育み、各人にその正当な報酬を与えなければならない。そして、太陽と同様、その恵みは自らに由来するものではなく、威力に満ちた全能者の定めによるものである。国王たるものはその慈悲において、すべてを知り給う至上の命令者の指示にしたがい大地を隈無く潤す雲のように寛大で惜しみない存在でなければならない。

 国政の一切を他人の手に委ねることのないよう注意せよ。汝の果たすべき機能を、汝よりも有能に果たし得るものはない。われはこうしてわが英知の言葉を汝に解き明かすのである。われはまた、汝が圧政の左手より正義の右手に移り、神の輝く恵みの大海に接近することを可能とするものを汝に下し与えるのである。これこそは公正をもって国民に接し、正義の道をひたすら前進した過去の王たちの歩んだ道である。

 汝はこの地上における神の影である。この崇高にして卓越した地位にふさわしく行動するよう努力せよ。われが汝に与え教えた道から外れることがあれば、汝は汝に与えられた偉大で比類なき価値を持つこの栄誉を汚すこととなる。したがって、神のもとに帰還し、神に完全にすがり、この世とその虚栄に係わるものを心から排除せよ。異邦人に対する愛が汝の心に侵入し、汝の心を住処とすることを許すな。そのような愛着の痕跡をことごとく排除し、心を浄化しない限り、神の光の光輝は汝を照らすことはない。何となれば、神は人間に心を一つしか与えていないからである。まことに、これは神の指示により神の古来の書に書き記された真実である。神の創造により、人間は一つの不可分の心を与えられた。したがって、汝の心に宿る愛も唯一不可分であるよう注意せよ。汝の心に存在するすべての愛をもって神の愛にすがれ。そして、神以外のものへの愛着から自らを遠ざけよ。これを果たすならば、汝は神の援助により神の一体性の大海に浸ることができ、神の助けにより神の唯一性の真の支持者となり得るであろう。神はわが証人なり。汝にこれらの言葉を現わすわが唯一の目的は、汝をこの世の無常から解き放ち、永遠の栄光の領土に入ることを助け、神の許しにより汝がその領土に定住し治めることを可能とすることである

 おお、国王よ。われは神に誓って言う。わが迫害者について汝に直訴することがわが狙いではない。わが悲しみと苦悩について、われは神のみに訴える。神こそはわが創造主であり、わが迫害者の創造主であり、わが状況を知り、すべてを見つづけ給う。わが狙いは、迫害者たちに対し彼らの行為の結果について警告することである。わが警告を聞き入れ、われに対して行なったことを、二度と他のものに繰り返すことがなければ幸いである。

 われが味わった辛苦も、われを苦しめた困窮も、われを包囲した諸々の苦難もすべて過ぎ去るであろう。同様に、わが迫害者に喜びをもたらす快楽も、彼らの味わう富もすべて過ぎ去るであろう。これは、地上の何人も否定できない真実である。われが塵に埋もれた生活を強いられる日々は間もなく終了する。同様に、彼らが栄誉の座にある日々も間もなく終わる。神は真実に照らして必ずわれと彼らの間に裁きを行うであろう。まことに、神は最高の審判なり。

 われに降りかかったすべてのことについてわれは神に感謝する。神がこれまでに定めたことも、これから命令するであろうことも、われは忍耐をもってすべてに耐えよう。われは神に信頼を置き、わが大業を神の手に委ねる。忍耐強く耐え、全幅の信頼を神に置くものに神は必ず報いるであろう。創造の世とその主権は神に属する。神は選び給うものを高め、定め給うものを卑しめる。神の行いについて疑念をはさむ権利は誰にもない。まことに、神は栄光に満ち給う全能者なり。

 おお、国王よ。汝に宛てられた言葉を注意深く吟味せよ。迫害者の暴虐をやめさせ、正義にそむくものを、汝と信仰を同じくする人々から切り離せ。神の正義にかけて言う。われの味わった苦悩は、それを語ろうとするあらゆるペンを悲しみで圧倒するものである。わが苦悩を列挙するとすれば、神の一体性をまことに信じ支持するものは決してそれに耐えることはできない。わが苦しみのために、わが敵も涙し、洞察力を有するあらゆる人間の目は涙にうるんだのである。汝が神の一体性を信じ支持する人々の最も強固な要塞となることをわれは願った。そのためにわれは汝に接近し、汝の庇護のもとに入るよう人々に勧告した。にもかかわらず、われはこのような試練に見舞われたのである。

 おお、国王よ。われは汝にそむいたことがあろうか。一度たりとも汝の法を破ったことがあろうか。イラクの地にて汝を代表する大使たちは、汝に対するわが不実の証拠を一つたりとも示すことができようか。諸々の世の主なる御方にかけて言う。そのようなことは決してない。われは一瞬たりとも汝に反抗したことも、汝の大使たちに反抗したこともない。今までにわれを苦しめてきた試練をしのぐ厳しい試練に今後遭遇したとしても、神の御心によりわれは決して汝に反抗したりはしない。 

 われは昼も夜も、日没にも夜明けにも汝に代わって神に祈る。神の恩寵の助けにより汝が神に服従し、神の命令を遵守し、神が汝を悪の軍勢より擁護し給うようわれは祈りつづける。したがって、汝は欲するままになし、汝の地位と汝の主権にふさわしい方法をもってわれを処遇するがよい。何を達成しようとしても、今後何を目指すにしても、決して神の法を忘れてはならない。言挙げよ。諸々の世の主なる神に讃美あれ。  

 

<115>

 おお、ザビヒよ。啓示のペンは、神によって啓示されたほとんどすべての書簡につぎのような言葉を記している。われは、神に愛されし人々にこう忠告する。わが神聖なる衣の裾が不法な行為によって汚されぬよう、また、恥ずべき行動の塵によって汚されぬよう注意せよ。また、われは彼らにこう警告する。わが書簡に記されたことに汝らの目を据えよ。もし彼らが慈悲に満ち給う御方のペンの黎明の場より輝きでた神聖なる忠告に耳をかたむけ、彼の呼び声を聞き入れていたならば、地上のほとんどの人々はすでに彼の教導の装飾に飾られていたであろう。しかし、前もって運命づけられていたことが現実となったのである。

 この最大なる牢獄にあって、日の老いたる者の舌は、純白の巻物に記録されたつぎの言葉を再び語る。おお、唯一真実の神に愛されし人々よ。邪悪で汚れた自らの欲望の狭苦しい空間を脱出し、無限の広がりを誇る神の領土に入り、清らかさと解脱の草原にとどまれ。そうすることにより、全人類が汝らの行いの芳香によって神の衰えることのない栄光の大海にみちびかれよう。この世とこの地上にまつわる事柄に捕らわれるな。この世の外見的指導者たちの活動に干渉することのないようくれぐれも自制せよ。

 神の栄光は高遠なり。唯一真実の神は、地上の統治を世の国王たちに委ねたのである。権力の座にあるものらが(はか)って決めたことに反する行動を起こす権限は誰にも与えられていない。神は、人の心の都を御自分のために取っておかれたのである。そして、すべてに君臨する真理におわす御方に愛されし人々こそはその都の鍵である。彼らの一人一人が最大名の威力によりこれら都の門を開け放つことができるよう、われは神に嘆願する。唯一真実の神を援助するということは、このことを意味するのである。夜明けをもたらした者のペンは、そのすべての書や書簡を通じてこの命題に言及してきたのである。

 同様に、神に愛されし人々は、隣人に対し寛容でなければならない。神に愛されし人々は、全人類が彼らをこの地上での神の信託人として認めるほどに聖別され、あらゆる事物を超越し、誠意と公平を表わすものでなければならない。全能者の戒律がいかに崇高な次元に達したかを見よ。それに比べ、弱き心の人々が今もとどまっている場所がいかにみじめなものかを見よ。慈悲に満ち給う汝らの主のペンが築いた天界を確信の翼に乗って飛行するものは幸いなり。

 おお、ザビヒよ。すべてに君臨する真理におわす神の成せる(わざ)を見よ。そして、つぎのように宣言せよ。彼の威力は偉大なり。諸々の世を包含する彼の威力は何と偉大なるものか。彼の解脱は崇高なり。森羅万象の理解をはるかに超える彼の解脱は何と計り知れぬほど崇高なるものか。彼の従順さに栄光あれ。神に近づくことのできた人々の心を溶かし去った彼の従順さに栄光あれ。   

 われは、わが敵の手によって無数の苦悩を味わった。しかし、日の老いたる者のペンはいかなる苦悩によってもその目的達成を阻まれないことを知らしめるために、われは地上のすべての支配者たちに向けて、神の命じ給う言葉を宣言した。彼のペンは神の許しによって動き、神こそは朽ち果てる骨を創造し給う。

 この偉大なる事業について考えてみよ。彼を愛する人々は腰を据えて努力し、神の大業の勝利をもたらすものに心を集中させなければならない。そして、恥ずべき下劣な行為に決して走ってはならない。永遠の真理におわす御方の外面的行動や行為について少しでも考えて見るならば、汝は地に伏してつぎのように叫ぶであろう。おお、主の中の主におわす御方よ。あなたは全創造物の主におわし、目に見えるものと見えぬものすべての存在の教育者におわすことを証言いたします。あなたの御力は全宇宙を覆いつつみ、地上の軍勢はあなたをくじくことはできず、地上のすべての民族や国家の権勢をもってしてもあなたの目的の成就を阻むことはできないことを証言いたします。あなたの願いは全世界の蘇生、全人類の和合の確立、そして地上に住むすべての人々の救済以外の何ものでもないことを証言いたします。

 神に愛されし人々のあるべき姿と、彼らが昇り詰めなければならない高所についてしばし考えてみよ。彼らが御力の援助により、神の御心に沿って行動できるよう慈悲の神におわす汝の主に絶えず嘆願しつづけよ。まことに、神こそは最も強力におわし、栄光に満ち、すべてを知り給う。

 おお、ザビヒよ。投獄はこの虐げられし者に何ら危害を加えたこともなければ、これからも加えることはない。同様に、世俗の全財産の剥奪、追放、殉教、その他いかなる外見的な辱めも彼を害することはできない。彼を傷つけるのは、神に愛されし人々が悪を働き、それを至上の真理なる者に帰することである。これこそがわれを襲う苦しみである。このことについては、すべてに君臨し給う御方がわが証人なり。われをひどく痛めるものは、バヤンの人々が日ごと繰り広げている主張である。あるものは、わが枝(息子)たちの中のひとりに忠誠を誓い、また、他のものは独自の主張を展開し、自らが欲するままに行動している。

 おお、ザビヒよ。荘厳なる舌はこう述べる。真実を語るわれ自身に誓って言う。過去のすべての宗教は、この最も強大なる啓示に至ってその最も高い完成の域に達したのである。彼の後に現われて、神の啓示をたずさえてきたと主張するものはまさしく虚偽を語るいつわりものである。その人物が、そのような主張を撤回し放棄するよう神が恩寵深く援助されるよう、われは神に祈る。もし悔い改めるならば、無論、神は彼を許すであろう。しかしもし、過ちに固執するなら、神は必ずそのものを容赦なく扱うものを遣わすであろう。まことに、神こそは全能者にして、最も威力ある御方におわす。  

 バヤンの人々を見よ。われ以前の顕示者であり、わが美の先駆者であった者の啓示の唯一の目的は、わが啓示とわが大業の宣布であったにもかかわらず、バヤンの人々はこのことにまったく気づいていない。わがためでなければ、彼は彼の告げた言葉を決して口にしなかったであろう。このことについては、至上の真理なる御方がわが証人なり。すべてを所有する近づき難い者の大業を、慰めや気晴らしとしかとらえないこの愚かな人々を見よ。彼らの心は日ごと新たなたくらみを編みだし、彼らの妄想は日ごと彼らをさらなる後退にみちびく。彼らの言うことが真実ならば、汝の主の大業の安定はどうして保障されようか。このことについて心の中で熟考せよ。そして、鋭い視力を有し、物事を注意深く観察し、初志に忠実で、信念に固いものであれ。未だかつて誰も述べたことも、誰も想像したこともないような主張を、全人類がこぞって支持したとしても、汝はそれを完全に無視し、その主張から自らを遠ざけ、すべての世の愛慕の的におわす御方に顔を向けつづけなければならない。汝の確信のほどはこうでなければならない。    

 わが正義にかけて言う。この大業は計り知れないほど偉大である。この日は想像を絶するほど強大である。すべてを放棄し、天と地にあるすべてのものを照らす御方の顔に目を据えるものは幸いなり。

 おお、ザビヒよ。利己的欲望は常に人の心にささやいている。その猛襲に揺るぎなく確固としていたいのならば、汝の視力は鋭く、汝の魂は強く、汝の足は鋼鉄のように丈夫でなければならない。これこそは最大名のペンが、いにしえの王の御心によって伝えようと決めた確かなる指導である。この指導を掌中(しょうちゅう)の珠のように大事にし、感謝するものであれ。永遠なる真理におわす御方の大業の奉仕に日夜努力し、彼以外のあらゆるものを離れよ。われ自身にかけて言う。汝がこの日、目にしているものはすべて消滅する。汝の主の大業に確固不動でありつづけるならば、汝の地位は崇高なものとなろう。汝の活動は彼に向けられ、汝の最後の安息所は彼と共にある。

 

<116>            

 おお、キリスト教国の王たちよ。神の精神なるイエスのつぎの言葉を汝らは耳にしたことがないのであろうか。「私は去って行くが、また、あなたがたのところに戻ってくる」。ならば、彼が天上の雲に乗って汝らのもとに戻ってきたとき、汝らはなぜ彼に近づかなかったのか。なぜ彼の顔を見るために彼の前に進まなかったのか。また、イエスは他の個所でつぎのように語った。「その方、すなわち、真理の霊がくるとき、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」。にもかかわらず、見よ。 彼が真理をたずさえて現われたとき、汝らは彼に顔を向けることすらしなかった。そして、汝らはいつものように娯楽や虚栄に没頭していた。汝らは彼を歓迎することもなく、彼の前に進もうともしなかった。そのために汝らは彼の口を漏れる神の聖句を聞くこともなく、全能者の無限なる英知にあずかることもなかった。神こそは栄光に満ち、すべてに賢き御方におわす。汝らは大いなる失敗を犯したのである。その失敗により、汝らは神の息吹が汝らに届くことを妨げ、汝らの魂は神の息吹の甘美を味わう機会を逸したのである。汝らは、腐敗しきった欲望の谷底を歓喜してさまよっている。汝らと、汝らの所有するすべてのものは無と化すであろう。汝らは、必ず神のもとに戻り、森羅万象を呼び集め給う御方の前で自分の行いについて説明を求められるであろう

 おお、国王たちよ。過去の二十年間、われは日毎に新たな苦悩を味わってきた。われに先立った者は、誰ひとりとしてわれが耐え忍んできたことを経験したことはなかった。汝ら、このことが理解できたならば。われに刃向かった人々は、われに死を宣告し、わが血を流し、わが財産を略奪し、わが名誉を傷つけたのである。汝らは、わが苦しみのほとんどを知らされている。にもかかわらず、汝らは暴虐者の手を制止しようとしなかった。圧制者の暴虐を止め、すべての国民を公平に扱い、それにより汝らの高い正義感を全人類に示すのが汝らの明白な義務なのではないのか。      

 汝らが正義をもって国を治め、踏みにじられた人々の権利を擁護し、悪を働く人々を罰するために神は人民の政治の手綱を汝らに委ねたのである。神がその聖なる書により汝らに定めた義務を怠るならば、神は汝らの名を不正者の一員として記すであろう。そうなれば、汝らは何と深刻な過ちを犯したこととなるであろうか。汝らは自分の想像の産物にすがり、神の教えを投げ捨てるのか。神こそは最も崇高にして近づき難い御方におわし、すべてをしたがわせ給う全能者なり。自分の所有物を投げ捨て、神が遵守するよう命じたものにすがれ。神の恩寵を追求せよ。何となれば、神の恩寵を求めるものは神のまっすぐな道を歩むからである。  

 われの置かれた状況について考えてみよ。そして、われを苦しめた辛苦や苦悩を見よ。一瞬たりともわれを無視してはならない。そして、われとわが敵について公正に判断せよ。このことは、汝らに明らかな利益を提供するものである。われがわが生涯について汝らに語り、われに襲いかかったことについて述べるのは、汝らがわが苦しみを癒し、わが重荷を軽減するためである。欲するものは、わが苦悩を除去せよ。また、それを望まないのであれば、わが主は実に最高の援助者なり。   

 おお、しもべよ。われが汝に伝え与えたことを人々に知らしめ、警告せよ。誰をも恐れることなく、揺らぐものであってはならない。天と地にあるすべてのものが見つめる前で神が彼の大業を高め、彼の証言を褒め称える日は迫りきている。いかなる状況にあっても、常に全幅の信頼を主に置き、主に目を据え、主の真理を拒絶するあらゆるものに背を向けよ。主なる汝の神を、汝に満ち足りる救済者とし、援助者とせよ。汝に顔を向ける王がひとりとして存在しなくても、われは地上での汝の勝利を確約し、必ずやわが大業を全人類を覆うまでに引き上げることを果たす。        

 

<117>   

 偉大なる存在者は世界の平和と安らぎ、そして人類の進歩のための必要条件を表わすことを欲し、つぎのように記した。全人類を巻き込んだ大会合が開催される必要性が広く認識されるときが必ず到来する。地上の指導者や国王たちはこの大会合に出席し、その協議に加わり、大平和の基礎をこの世にいかにして築くかについて検討しなければならない。このような平和を確立し、人類の平安を保障するためには、世界のすべての列強は互いに完全に和解しなければならない。ある国王が武器を取り他国に向かうことがあれば、万人は決起してそれを阻止しなければならない。これがなされれば、各国は自国の領土の安全を保障し、国内の治安を維持するに充分なもの以上の軍備を必要としなくなる。これはすべての国民と政府と国家の平和と安寧を保障するものである。神の恩寵と威力に満ちた御名を映す鏡である地上の王や支配者たちが、この段階に到達し、人類を圧制の猛攻より守ることをわれは切に願う。人類が一つの共通の言語と共通の文字を採用する日が近づいている。これが達成されるとき、人はどこの都市に旅しても、自分の故郷に入るが如くとなる。洞察力と理解力を有する人はみな、ここに記されたことを実行に移し、実現させるよう努力しなければならない。この日、自らを全人類への奉仕に捧げるものこそが真の人間である。偉大なる存在者は言う。全世界の国民と民族の最高の利益を追求するために立ち上がるものに祝福と喜びあれ。また、他の個所で偉大なる存在者はこう宣言した。自国を愛することは自慢にはならず、全人類を愛することこそが誇るに値する。世界は一つの国であり、人類はその市民である。

 

<118>  

  おお、地上の王たちよ。神を畏れ、全能者の定める限度を逸脱することのないよう注意せよ。彼の書に記された汝らに対する命令を遵守し、その限界を超えることのないよう留意せよ。いかなる人をも不当に扱ってはならない。それが芥子粒ほどの不正であったとしても。正義の道を歩め。まことに、これこそがまっすぐな道である。

 汝らを隔てる不和を解消し、軍備を削減せよ。それにより支出の重荷は軽減され、汝らの心は安らぎを覚えるであろう。汝らの分裂の原因となっている不和を癒すがよい。それにより、自らの都市や領土を守るに充分な軍備以外の武器はまったく不要となろう。神を畏れ、中庸の領域より踏みだすことのないよう注意せよ。そして放蕩(ほうとう)と浪費に生きるものらの内に数えられないよう注意せよ。 

 汝らが年ごとに支出を増やし、その負担を国民に強いていることをわれは知らされた。まことに、これは国民の耐え得る限度を超え、嘆かわしいほどの不正である。公正をもって人を裁き、人々の中に立つ正義の象徴であれ。公平に判断するならば、これこそが汝らに似つかわしい姿であり、汝らの地位にふさわしい有り様なのである。

 注意せよ。汝らに直訴し、汝らに保護を求めるものを不当に扱ってはならない。神への畏れを心に抱いて進み、正しき人生を歩むものであれ。汝らの権力や軍備や財宝に安住してはならない。汝らを創造した神に全幅の信頼と確信を置け。いかなる事柄についても神に援助を求めよ。援助は、神のみより来らん。そして、神は欲するものを天と地の軍勢をもって助け給う。

 このことを知得せよ。貧民は汝らと共にある神の信託である。神の信頼を裏切ることのないよう注意せよ。貧しき人々を不当に扱ってはならない。そして、不誠実なるものの道を歩むな。正義の天秤が設置される日、万人はその報いを得る。富めるものも、貧しきものも例外なくその行いが審判されよう。その日、汝らは神の信託をどのように遇したか必ず問われるであろう。

 明白にして無類の言葉をもってわれは汝らに忠告した。この書に示された忠告を無視するならば、天罰が汝らを四方より攻め、彼の正義の判決が汝らに下されよう。その日、汝らは彼に対して無抵抗となり、自らの無力なることを知らされる。自分たちと、自分たちの配下にある人々を哀れに思わないのか。神が最も聖なる、最も崇高なる書に記し給う教えにしたがって人々の間に裁きを行なえ。この書を介し、神はあらゆるものに限度を定め、すべての事柄について明白なる説明を与えたのである。それらの説明は、それ自体、神を信ずる人々に対する戒めである。

 わが大業を調査し、われに降りかかったことについて調べてみよ。その上で、われとわが敵に関して公平に判断せよ。隣人を公正に扱うものであれ。圧制者の手をとめ、虐げられた人々の権利を擁護することを怠るならば、汝らは何を根拠に人の上に立つのか。汝らがまことに誇れるものは何か。口にする飲食が汝らの自慢なのか。宝庫に積み上げた富が汝らの自慢なのか。それとも、身を飾る装飾の種類の多さと価値が汝らの自慢なのか。このようなはかない所有物がまことの栄光をもたらすのであれば、汝らに踏み付けられている大地の方が汝らの上位にあることになる。何となれば、大地は全能者の命令によりこれらすべてのものを汝らに提供し、付与しているからである。そして、汝らの所有するすべてのものは、神の定めるところにしたがい大地の奥底より取りだされたものである。汝らが汝らの富をその中から得ることができるのは神の慈悲の証拠に他ならない。自らの置かれた状況を見よ。汝らが誇りとしているものを見よ。汝ら、このことが理解できたならば。

 否、森羅万象の王国を御手に納める神かけて言う。汝らにとって永遠にしてまことの栄光はつぎのことにのみ由来する。神の教えに確固としてしたがうこと、全身全霊をもって神の法を遵守すること、神の法の確実な実行を決意すること、そして、正しい道をひたすら歩みつづけること。まことの栄光はここにこそ存在する。

             

<119>

 おお、地上の支配者たちよ。なにゆえに、汝らは太陽の輝きをくもらせたのか。なにゆえに、汝らは太陽がその光を放つことを止めたのか。汝らと、世の貧しきものたちが共に平和と安らぎを得ることができるよう、最上なる者のペンの忠告に耳をかたむけよ。地上の王たちによって平和が樹立されることを、われは神に嘆願する。まことに、神は望むままになし給う。

 おお、地上の王たちよ。汝らが年毎に出費を増し、国民にその重荷を課していることをわれは見る。このことは公正にまったく反した行動である。この虐げられし者[4]の流すなみだと、ため息を恐れよ。国民に過大な負担を課すことをやめよ。宮殿を建てるために国民から盗むことをやめよ。否、むしろ、自分に選ぶものを国民にも選択せよ。こうして、われは、汝らを利することを示すのである。おお、汝ら、理解するものならば。国民は汝らの宝である。神の命令にそむき、汝らの信託である国民を強盗の手に引きわたすことのないよう注意せよ。汝らは国民によって支配し、国民によって生活し、国民の助けによって征服する。にもかかわらず、汝らは国民を蔑視する。何と奇妙なことか。

   最大平和を拒否した以上は、自らの状況と、汝らに頼る国民の状況を少しでも改善できるよう、小平和にしっかりとすがれ。

 おお、地上の支配者たちよ。自国の領土を守るに充分な軍備以上は所有する必要のないよう、互いに和解せよ。すべてを知り、忠実なる者の忠告を無視することのないよう注意せよ。

 おお、地上の王たちよ。不和の嵐が静まり、国民が平安を得ることができるよう、互いに和合せよ。おお、汝ら、理解するものならば。汝らの中のあるものが武器をかざせば、全員でそのものに向かえ。これこそは明白なる正義である。

 

<120>

  おお、選出された各国民の代表者たちよ。共に協議せよ。そして、人類を利することのみを追求し、世の状況の改善を協議の課題とせよ。おお、汝ら注意深く観察することができたならば。この世を人間の身体と同等に見なせ。それは完全かつ完璧な姿をもって創造された。しかし、様々なことが原因となり、今や深刻な病や障害に侵されている。一日たりとも安らぎを得ず、その病は益々深刻化している。なぜなら、この世は、私欲に走り、重大な過ちに陥った無知なる医者たちの手当てにゆだねられているからである。そして、あるとき、有能なる医師の治療により身体の一部が治癒されても、残りの部分は癒されることはなかった。全知にして賢明なる者は、汝らにこう告げるのである。           

 この日、傲慢さに酔いしれた為政者のなすがままになっている世界をわれは見る。その傲慢のあまり、為政者たちは自分の最善の利益となることすら見分けることができず、ましてや、これほど驚異的かつ挑戦的な啓示を認識することは到底できないでいる。世の状況の改善に立ち上がる為政者が現われるたびに、このことを告白するかいなかにかかわらず、常にその動機は自己を利することにあったのである。そして、その卑劣な動機が原因となり、世を癒し改善する能力が限られたものとなったのである。

 一つの普遍な大業と、共通の信仰のもとに全人類が融合されること。主は、これを世の病を癒す最高の治療薬、そして最強の手段と定めたのである。しかし、有能にして、全能なる、そして霊感を得た医師以外にこのことを実現できるものは存在しない。まことに、これこそは真実であり、これ以外のことはすべて過ちである。   

 

<121>    

 言挙げよ。われを妬み、傷つけようと欲する人々よ。われに向けられた汝らの怒りの猛威は汝らを混乱させた。見よ、栄光の昼の星はわが啓示の地平線上にのぼり、その輝きは全人類を覆いつつんでいる。にもかかわらず、汝らは自らをその光輝より遮断し、無思慮の淵に沈んでいる。汝ら、自らを哀れに思わないのか。既に真理と認めた者の主張を拒否するな。過ちを犯すものであってはならない。

 唯一真実の神の正義にかけて言う。この啓示を拒否するならば、地上のすべての国々が汝らをあざけり笑い軽蔑するであろう。大業の真実を証明するために神の証言を人々に示したのは汝らに他ならない。神こそは荘厳なる庇護者におわし、御力と栄光に満ち、すべてを知り給う。しかし、すべてをしたがわせる主権の栄光につつまれた神のつぎなる啓示が汝らに下されるや否や、汝らはその啓示に背を向けたではないか。おお、無思慮な人々の内に数えられるものらよ。                    

 太陽の輝きを消し、その光を奪う力を有すると汝らは本当に心に思っているのか。わが命にかけて言う。天と地にあるすべてのものの援助を得たとしても、汝らは決してその目的を果たすことはできない。神の畏敬の街道を歩み、汝らの業績を無と化すな。彼の言葉に耳をかたむけ、ヴェールによって彼のもとより締めだされたものであってはならない。言挙げよ。神はわが証人なり。われは、われ自身のために何も求めない。神の勝利と、神の大業の完勝こそがわが望みである。神こそは、われと汝らの間に立つ充分な証人なり。わが行いはわが言葉の真実を立証し、わが言葉はわが行いの道しるべである。汝ら、自らの目を清めるならば、この事実を容易に認めることができよう。

 汝らの目はその視力を失ったのであろうか。神の威力と主権の偉大さは汝らの目に映らないのか。彼の荘厳さと栄光が見えないのか。汝ら、嫉妬と悪意みなぎる集団に災いあれ。わが言葉を聞き入れ、一瞬たりともためらってはならない。慈悲に満ち給う神の美である者が汝らにこう命じるのはなぜなのか。それは、汝らが自分の所有するものを離れ、全宇宙が彼の啓示のもとに守られていることを発見できる高みに登りつめることを望むからである。

  言挙げよ。この日、彼の啓示の庇護のもとに入る以外に神の怒りの猛威と神の激烈な威力を逃れる所はなく、避難所もなく、汝らを守り擁護するものもない。まことに、これはこの若者[5]を通じて現わされた啓示である。これほどの輝きを放ち、貴重にしてすばらしい構想を与え給う神に栄光あれ。

 われ以外のすべてのものを離れ、わが顔に面を向けよ。汝らにとってこのことは汝らの所有するもの以上の価値がある。神の舌は、真実を語り、すべてを包含し理解するわれ自身の言葉を介してわが言葉の真実を証言する。

  言挙げよ。彼の大業に対する汝らの忠誠が彼を利すると思うのか。または、彼の大業の真実を否定することによって彼に損害を与えることができると思うのか。すべてを征服し、近づきがたく、最も高遠なるわれ自身にかけて誓うが、そのようなことは決してない。名称のヴェールを引き裂き、名前の王国を突破せよ。わが美にかけて言う。すべての名の王者が現われたのである。始まりのない始まりよりすべての名は彼の命令によって創造され、彼は思うままにすべての名を創造しつづけるであろう。まことに、彼は御力に満ち、すべてに賢き御方におわす。

 神の導きの衣を脱ぎ捨てることのないよう注意せよ。天上の青年たちが汝らの頭上に掲げた聖杯より心行くまで飲め。汝らにこう命ずるのは誰なのか。それは、汝らに対し汝ら自身以上に慈悲を持ち、汝らに感謝も報酬も求めない者である。彼に報酬を与えるのは、真実の威力により彼を汝らのもとに遣わし、唯一彼を指名し、彼を全創造物に対する御自身の証言として定めた神である。神の御しるしを現わす力を彼に与えたのは神である。日の老いたる者の舌が汝らを呼び寄せる方向を見、真実を理解できるようもう一度目を凝らして見よ。つぎのことについて考えてみよ。明白にして崇高なる権力を有し、啓示の雲に乗って現われ、右手には神の王国を、左手には神の永遠なる主権にまつわるすべての力と栄光を握り、全能者におわし、すべてを征服し、御力に満ち給う神の軍勢にみちびかれ、その口を途切れることなくもれる言葉は、最も学識ある賢者たちをもってしても計り知ることのできない者が神以外に由来するメッセージをたずさえて出現することがあり得ようか。先祖より伝わった話の中にも、最初のアダムにさかのぼる最古の世代から伝わった話の中にも果してこのようなことを耳にしたことはあろうか。汝が正直と高潔を自負するならば、洞察力をもって判断し、真実を語れ。 

  言挙げよ。われの著した聖句の数は、前の啓示においてバブに下されたものに匹敵する。神の精神なる者が語る言葉の真実を疑うものは、わが御前の宮廷に進み、神聖なる啓示によって現わされたわが言葉を聞き、わが主張の明白な証拠の目撃者となれ。

 言挙げよ。全能者の正義にかけて言う。神の恩恵の升は満ち溢れ、彼の言葉は完成され、彼の御顔の光は明らかに示され、彼の主権は全創造物を覆いつつみ、彼の啓示の栄光は出現し、彼の恵みは雨となって全人類に降り注いでいるのである。 

 

<122>

 人間は、最も不思議な力を有する存在である。しかしながら、適切な教育の欠如のために、人間は自己に内在するものを失ってしまっている。神の御口をもれる一言により、人間は生みだされた。つぎに発せられた一言により、人間は自らの教育の源泉を認識できるようみちびかれた。さらに発せられた一言により、人間の地位と運命は保障された。偉大なる存在者はこう語る。人間を、計り知れないほど高価な宝石に富む鉱山と見なせ。教育のみがその宝を放出させ、人類にその利益を与えることができる。神の聖なる意志の天より下された諸々の聖典が明らかにしたことについて瞑想するならば、その目指す目標は以下の通りであることを容易に認めることができよう。つまり、その目標とは「王国は神に属せり」の言葉のしるしがすべての心に刻まれ、聖なるめぐみと、恩寵と、慈悲の光が全人類を取り巻くよう、全人類があたかも一つの魂のように見なされることである。神の栄光は高遠なり。唯一真実の神が御自身のために欲するものは何もない。人間が神に誓う忠誠は神にとって何の利益にもならない。同時に、人間の背信は神に何ら危害をおよぼすものではない。御言葉の領土の飛鳥(ひちょう)は、絶え間なくつぎのように呼びかけている。「われは万物を汝のために望んだ。そして、汝自身をも汝のために望んだ」。この時代の学識者や世俗にたけたものらが、人々に融和と愛の芳香を吸収することを許すならばどうなるであろうか。理解力を有するあらゆる心は真の自由の意味を悟り、乱されることのない平和と、完全な平静の秘密を発見するであろう。世界がこの地位に達し、その光に照らされるとき、まことにつぎの言葉がこの大地に当てはまるであろう。「汝はそこに窪地(くぼち)も高まる丘も見ることはない」。

 

 

<123>

 汝らに先立った世代の人々はどこに逃れたのであろうか。生前、この地上の最も豊かですばらしい土地をわがものとしていた人々は、今はどこにいるのであろうか。おお、人々よ。彼らを教訓とし、正しい道を踏みはずすものとなるな。

 汝らの所有する物は早晩(そうばん)他人の手にわたり、汝らの家は他人の住居となる。わが言葉に耳をかたむけ、愚かなる人々の内に数えられることのないようにせよ。

 汝ら全員にとって最も重要な義務はこれである。つまり、他人によって侵されることも、奪われることもないものを自分のために選ばなければならないのである。それは何か。全能者こそわが証人なり。それは神の愛である。おお、汝らこのことを理解し得たならば

 いかなる豪雨や洪水によっても破壊されない住居を建てよ。人生のあらゆる移り変わりや栄枯盛衰(えいこせいすい)からも汝らを守る住居を建造せよ。この世にみすてられ、虐げられた者が汝らに送る指示はこれである。

 

<124>  

 変わることなき生ける神の一体性は何とすばらしいものであろうか。それはあらゆる限界を超え、あらゆる創造物の理解力をも超越する。いにしえより神は近づき難い神聖さと栄光の場所に住まい、未来永劫を通じて神はすべてより独立した主権と荘厳さの高みにある王座にとどまり給う。神の侵し難い真髄は何と高遠なるものか。神の真髄は、あらゆる創造物の知識より完全に独立し、天と地のすべての住人の讃美をはるかに超えて崇高なり。  

 崇高なる源泉と、恩恵と賜物の真髄を通じて神はあらゆる創造物に神の知識のしるしを託したのである。それは、あらゆる創造物に、その能力と地位に即して、神の知識を表現する機会を与えようと欲したからである。神の託し給うしるしは、神の美を創造の世に投影する鏡である。この明敏にして高貴なる鏡を磨く努力を重ねれば重ねるほど鏡は神の御名と属性の栄光を忠実に映し、神のしるしと知識の不思議を忠実に現わすのである。この鏡には偉大なる反射力が備わっており、鏡の作用により万物はその定められた地位に内在する潜在性を実現し、自らの能力と限界を認め、「まことに、彼こそは神なり、そして神以外には神はなき」の真理を証言することができるのである。  

 人は自らの意志による努力と、自らの精神的能力の働きによりこの鏡を磨くことができる。これは、疑う余地のない真理である。そして、鏡に付着した世俗の塵や汚れを洗い流し、悪魔的空想を排除することにより、人は永遠なる清らかさの緑地に到達し、永久なる友愛の宮廷に達することが可能となる。しかし、いかなるものごとにも定められた時があり、いかなる果実にも定められた季節がある。この原理にしたがい、これらの恩恵に内在するエネルギーが放出される最適な時期があり、この賜物の新鮮なる栄光は神の日々においてのみ出現する。神は、その日その日に、前もって定められたすばらしい恩寵の分け前を与え給う。しかし、神の顕示者に直接かかわる日々は他に類を見ない日々であり、この日々に与えられた地位を人の心は理解することはできない。この日々には大いなる価値が注入されている。もしこの永遠なる歓喜の日々において、天と地に住むすべてのものが、衰えることのない栄光に満ちた昼の星に対面し、彼の御心に心を合わせるならば、各人は地上のあらゆるものを超越し、彼の光に照らされ、彼の恩寵により清められた自己を発見するであろう。この恩寵に讃美あれ。いかに大いなる祝福もこの恩寵に優ることはない。また、創造物が未だかつて見たことのないこの愛情あふれる親切に栄光あれ。彼は、人々が語り、彼に帰するいかなるものにも増して崇高なり。      

 この恩寵により、その日、人はもはや隣人を必要とすることはない。神によって定められたその日、彼の聖なる宮廷を求め、そこに到達し得た大半のものは大いなる知識と英知を現わすに至った。この事実は充分に立証済みである。清らかにして神聖なる魂をもつ彼らの得た知識と英知は、それ以外の人々がいかに長期間学び研究してもその一滴に相当するものすら決して把握することも理解することもできない。この威力の働きにより、神に愛されし人々は真理の昼の星の出現の日において人間のあらゆる学問より独立し、それを超越できたのである。否、人間の学問と英知の最も奥深い真髄が彼らの心と彼らの内に秘められた力の泉より絶え間なく湧きでたのである。

 

<125>

 おお、わが兄弟よ。真の求道者が、日の老いたる者の知識に通ずる道に足を踏み入れようと決心したとき、先ず最初に、神の内奥の神秘の啓示の場である自己の心を清浄にし、それまでに習得したあらゆる知識という、光をさえぎる塵や、悪魔のような幻想の化身たちの暗示を払いのけなければならない。まことに、道を求めんとするものは、最愛なる者の永遠の愛の聖所である自分の胸中をあらゆる不浄なものから聖別し、自らの魂を水と粘土に属するあらゆるものや、すべての影のようなはかない愛着から清めなければならない。愛ゆえに盲目的に過ちに傾斜することなく、あるいは、憎しみゆえに真理を拒絶することのないよう、愛憎いずれの痕跡も残らないほどに求道者は自らの心を清めなければならない。まさしく汝は今日、いかに多くの人々が、このような愛や憎しみのために不滅の御顔を見失い、神の神秘の権化たちから遠く離れてさまよい歩き、導きもなく、忘却と錯誤の荒野をあてどもなくさまよい歩いているかを、まざまざと目の当たりにしている。

 求道者たるものは、常に神を信頼し、世俗の人々と断交し、塵の世から自分を引き離し、主の中の主におわす御方にすがらなければならない。道を求めるものは、決して自己を他より高位に置こうとしてはならず、自分の心の紙片から傲慢や虚栄のすべての痕跡を洗いながし、忍耐と甘受を固守し、沈黙を守り、無益な無駄話を慎まなければならない。何となれば、舌はくすぶる火であり、過度の饒舌(じょうぜつ)は致命的な毒となるからである。物質的な火は肉体を焼き尽くすが、舌の火は心も魂も共に焼き滅ぼしてしまう。前者はほんの一時しか燃えていないが、後者の影響は一世紀も持続する。

 求道者たるものは、また、陰口を重大な罪と心得なければならない。陰口は心の灯を消し、魂の生命を滅ぼすものであるため、その支配より自らを遠ざけなければならない。求道者はわずかなものに満足し、あらゆる法外な欲望をすてなければならない。世俗をすてた人々との交わりを大切にし、高慢な俗人たちから遠ざかることを得難い恩恵と考えなければならない。道を志すものは、毎日、夜明けに神と親しく語り合い、全魂をかたむけて、敬愛する御方を不屈に求めつづけなければならない。求道者は、神の御名を切に唱えるその炎により、あらゆる気まぐれな考えを焼却し、稲妻の如き速さで神以外のすべてのものを通り過ぎなければならない。探求者たるものは、追い立てられている人々を救い、貧しい人々への親切を差控えるようなことがあってはならない。道を求めるものは、動物に親切にしてやらねばならない。ならば、言語を与えられている人間にはなお一層親切でなければならない。求道者は、敬愛する御方のために自らの生命を捧げることをためらってはならない。また、人々の非難に左右され、真理から顔をそむけるようなことがあってはならない。求道者は、自分の欲せざることを他人に望んではならず、また、自分が守れないことを約束してはならない。悪事を行うものと交わることを心して避け、その人々の罪がゆるされるよう祈らなければならない。道を求めるものは、罪深い人々をゆるし、彼らの地位の低さを決して軽蔑してはならない。なぜならば、誰も自分の最期を知るものはいないからである。罪深いものが、臨終の(きわ)に信仰の本質に到達し、不滅の盃を飲み干して天上の集合の方へと舞い上がっていったという例が、何としばしばあったことか。また、実に信心深かったものが、霊魂の昇天に際し、あまりもの変わりように地獄の火中に落ちてしまうということも何と度々あったことか。われが今ここで、これらの得心のいく重要な話をした目的は、神以外のものはすべて、束の間のはかないものであり、全幅の崇敬の的である神以外のものはみな、まったくの無であることを求道者に痛感させたいがためである。

 これらは、崇高なる人々の属性の一部であり、霊的な心の持ち主であることを証明するものである。これらの属性については、既に、確実なる知識の道を歩む旅人としての必要条件に関する記述の中で述べてある。超越した旅人や、誠実な求道者がこれら必須の条件を満たしたとき、彼らを真の求道者とはじめて呼べるのである。人が、「わがために奮闘する人々」という聖句に含まれる条件を満たしたときはいつでも、「われ自らその手を引き、正しい道を歩ませよう」という言葉によって与えられる祝福が受けられよう。 

 求道心、真剣な努力、燃えさかる願望、情熱的な献身、熱烈な愛、歓喜と忘我の灯が求道者の心の中にともされ、また、神の慈愛の微風がその魂の上にただようとき、過誤の暗黒は初めて追い払われ、疑いや不安の霧は晴らされ、知識と確信の光は求道者を覆いつつむようになるであろう。そのときにこそ、神秘の先駆者が、精霊の喜ばしい音信を持って、神の都から朝日のように輝きだし、知識のラッパの吹奏により、心や魂や精神を怠慢の眠りから覚醒(かくせい)させるであろう。ここに至り、神聖な不滅の精霊の豊かな恩寵の発露により求道者はかくも新しい生命を与えられ、新しい目、新しい耳、新しい心、新しい意志が授けられることを発見するであろう。そのものは、この宇宙の明らかなしるしを熟視し、魂の隠された神秘を理解するであろう。神の目で凝視すれば、彼は、完全なる確信の地位への門が、すべての原子の中に存在することを感知するであろう。そして、万物の中に、神の啓示の神秘と永遠なる顕示の証拠を発見するであろう。  

 神かけて誓う。教導の道を歩み、正義の極点に昇りつめようと努力するものがこの栄光ある最高の地位に到達したとき、求道者は三千里も離れた所からでも神の芳香を感じ取り、万物の地平線に昇る神の導きの光り輝く朝日を認めるであろう。あらゆるものは、たとえそれがいかに小さなものであっても、道を求めるものにとっては、それぞれ探求の目的である敬愛する御方の方へみちびく教示となるであろう。この探求者の洞察力は非常に鋭くなるため、あたかも太陽と影とを区別するが如くにはっきりと真理と虚偽を見分けるであろう。東方はるか彼方の隅に神の甘美な芳香がただようならば、たとえ西方のはるか果てに住んでいようとも、必ずやその芳香を感知し嗅ぐことであろう。同様に、探求者は神のあらゆるしるし、即ち、神の不可思議なる言葉、偉大なる業、力強い偉業と、人間の行動や言葉や手段とを明白に見分けるであろう。それは丁度、宝石と石ころの違いを知っている宝石商のように、あるいはまた、春と秋、寒冷と温熱とを見分ける人のように。人間の魂の水路が、流れをさまたげるあらゆる世俗的執着から清められたとき、果てしない遠方からでも必ずや敬愛する御方の息吹を感知することができ、また、その芳香にみちびかれ、確信の都に到達し、その中に入るであろう。確信の都に入った探求者は神の古来の英知の不可思議を発見し、都に繁茂する木の葉のささやきから、隠された教えのすべてを理解するであろう。求道者は、都の土塊(つちくれ)から立ちのぼる栄光と讃美の聖歌に気づき、その聖歌が主の中の主の方へと鳴り響いていくのを内なる耳と外なる耳とをもって聞くであろう。  

 また、求道者は、その心眼により「再来と復活」の神秘を発見するであろう。御名と属性の王なる神が、確信の都のために定めた光、証、啓示、光輝は、何とも言い表しようのないほど素晴しいものである。この都に到達すると、水がなくとも喉の渇きは消えさり、火がなくとも神の愛が燃えあがる。草の葉一枚一枚の中には計り知れない知恵の神秘が秘められ、あらゆるバラの茂みに数知れぬ小夜鳥が、無上の歓喜に心ひかれて美しい調べを奏でている。そこに咲き乱れる色うつくしいチューリップの花は、燃えさかる(やぶ)の神秘を現わし、その神聖さの甘美なる香りは救世主の精霊の芳香をただよわせている。確信の都は黄金なくして富を与え、死のない不朽性を授ける。その一枚一枚の葉の中に、言い表せないほどの歓喜がたくわえられており、その一つ一つの部屋には数知れぬ神秘が秘蔵されている。

 神の御心の探求に精進するものが、一度、神以外のものをすべてすてさったとき、この都に強く心をひかれ、愛着を感じ、一瞬の別離すら考えられなくなるであろう。彼らは、都の集合に咲くヒヤシンスの花が語る誤りのない証拠に耳をかたむけ、都のバラの美や、そこでさえずる小夜鳥の調べから、最も確かな証言を得るであろう。およそ一千年に一度、この都は更新され、改装されるのである。その都はあらゆる時代に、また、あらゆる宗教制において啓示された神の言葉に他ならない。それは、モーゼの時代にあってはモーゼの五書であり、イエスの時代にあっては福音書であり、神の使者モハメッドの時代にあってはコーランであり、今日ではバヤンであり、また、神が現わすであろう者の宗教制においては、その彼の聖典がそれに当たる。そしてその聖典は、それまでの宗教制のすべての聖典中で特に卓越し最高のものであり、これ以前にあった諸々の聖典はすべて、この書に照らし合わされなければならない。  

 

 

<126>

 われがどこに追放され、どれほどの苦悩を強いられても、神の人々は確固たる決意と確信をもって栄光の黎明の場に目を据え、世の改善と人類の教育に資する活動に専念しつづけなければならない。これまでにわれに降りかかった多くの困難は、どれもわが啓示を前進させ、その名を高めた。今後われを襲うであろう困難も同じ結果をもたらすのである。心の底から神の大業にすがれ。これは命令者におわし、すべてに賢き神によって遣わされた大業である。われは最高の親切と慈悲をもって世界のすべての民族と国を彼らの真の利益となるもののもとに招喚し、みちびくのである。 

 輝きの頂点にある真実の昼の星はわが証人なり。神の人々は、この世界に新たな生命を与え、地上での生活を高貴なものとし、人類をよみがえらせること以外に目的をもたない。いかなる人間との関係においても、神の人々は常に正直と善意をもって接するのである。彼らの行動は彼らの内面を反映し、彼らの内面は彼らの行動を映す鏡である。彼らの信仰の基礎となる真理を覆い隠しくもらせるようなヴェールは存在しない。これらの真理は万人に披露され、誰もがそれを間違いなく認識できるのである。彼らの行いこそは、この言葉の真実の証拠である。

 この日、洞察力を有するあらゆる目は神の啓示の夜明けの光を見ることができる。また、聞く耳を有するものは、燃える(やぶ)よりとどろいた声を聞くことができるのである。神の慈悲の清水は洪水のごとく放出されている。そのため、神の御しるしの黎明の場であり、神の栄光の諸々の証拠の啓示者である者は、今やいかなるヴェールにも遮断されることなく地上の人々と自由に交流し語らっているのである。何と多くのものが敵意を胸に抱いてわが面前に進み、忠実で親愛なる友となって帰って行ったことか。恩寵の扉は万人に向けて開け放たれている人と接するとき、われは正しきものも、罪人も外見上は分けへだてなく一様に遇した。それは、罪人が神恩赦の無限の大海に到達すことを願ってのことであった。「覆い隠す者」というわが名より放射される光のために、よこしまなものも自らを敬虔なるものと思い込むほどである。われを求めるものを、われは決し失望させない。また、われに顔を向けるものに対しては、わが面前に進むことをわれは決して拒まない

 おお、友らよ。良き行いと、神の受け入れ給う行為と人格をもって唯一真実なる神に加勢せよ。神の栄光は崇高なり。この日、神に加勢しようと欲するものは、自らが所有するすべてのものに目を閉じ、神に属するものに目を開けよ。自分を利するものに没頭することをやめ、すべてに君臨し給う全能者の名を高揚することに専念せよ。神に加勢しようと欲するものは、あらゆるよこしまな情欲や腐敗した欲望を心からはらい清めなければならない。神への畏敬の念こそが勝利をもたらす武器であり、目標達成のための最大の道具である。神への畏敬の念は、神の大業を保護する楯であり、神の人々を勝利にみちびく(ほこ)である。神への畏敬の念は、何人も卑しめることのできない旗印であり、いかなる威力も匹敵し得ない力である。神に接近した人々は、神への畏敬に助けられ、また、万軍の主なる者の許しにより、人の心の要塞鎮め、征服することができたのである。   

 

 

<127>    

 おお、人々よ。神を知り、神の威力の偉大さを発見したいと欲するならば、われ以外のものの目ではなく、わが目を通してわれを見よ。さもなければ、御国が持続する限りわが大業について熟考し、神の永遠なる時を通じて森羅万象について瞑想しつづけたとしても決してわれを認めることはできない。神は万物に君臨し給う主におわし、御力に満ち給い、永遠に変わることなく、すべてに賢き御方におわす。人々が無思慮の状態を脱し、理解あるものとなることを期待し、われはわが啓示の真理をこのようにして明かすのである。    

 見よ、この人々の下劣さを。神に対する彼らの信仰を守るためにわれはわれ自身とわが親族を神の道に捧げたのである。彼らはこのことを充分承知しているにもかかわらず、自分の安全と安らぎのみを求めたのである。人々の心が恐怖に(おのの)震えた日々、敵に包囲されたわが状況を重々知っているにもかかわらず、彼らは神愛されし人々と神の敵の双方より身を隠したのである。

 われは神の大業の樹立にやがて成功し、大業を崇高な地位にまで引き上げた。その地位のすばらしさゆえに、この若者[6]に敵意を抱き、自らを全能者の協同者と見なすもの以外の誰もが神の主権と、威力みなぎる神の支配を認めた。この啓示の影響力は万物に浸透し、この光明は誰もかつて見たことのないほどの明るさをもって輝いているのである。しかし見よ。この啓示の偉大さにもかかわらず、バヤンの民はわれを否定し、われに論争を挑んだのである。あるものは神の道に背を向け、かつて信奉した御方[7]の権威を否認した。また、他のものは神を冒瀆した。まことに、神は御力に満ち、最上の保護者におわし、最も崇高にして、最も偉大なる存在におわす。さらに、あるものはためらい、神の道を前進することをやめた。彼らは、わが意志によって創造されたものの承認がなければ、創造主の大業はその真髄において無効であると考えたのである。こうして彼らの業績は無と化したが、なおも彼らは気づかなかったのである。彼らの仲間には、自分の尺度をもって神を計ろうとした人物がいた。この人物は、神の諸々の名に当惑するあまり、われに刃向かい、われを死刑に値するものと非難した。そしてこの人物は、自らが犯した罪をわれに負わそうとしたのである。  

 それゆえに、われはわれを創造し、われにその教えを託し給う神にわが苦しみと悲しみを訴える。また、わが孤独と、神より遠くさまよう人々がわれに強いる苦悩と、神がわれに定め与え給うすべてのことに感謝と讃美を捧げる。われを襲うあらゆる試練にわれは耐え、これからも耐えつづける。われは全幅の信頼と確信を神に置く。そして、われはつぎのように神に嘆願する。おお、わが主よ。しもべらをあなたの恩恵と恩寵の宮廷にみちびき給え。しもべらがあなたの恩寵と無限の祝福を逸することのないようなし給え。宇宙を覆いつつむあなたの慈悲によりあなたが彼らに定め給うことを彼らは知らないのです。主よ、外見上、彼らは弱く、自分ではどうすることもできません。そして、内面的には彼らはまさに孤児(みなしご)であります。あなたは恩恵にあふれ、寛大におわし、最も崇高にして、最も偉大なる御方にまします。おお、わが神よ。あなたの怒りの嵐を彼らに向けることなく、あなたの慈悲の不思議が出現するまで彼らをとどめ置き給え。そうすれば、彼らもあなたのもとに戻り、あなたに対して犯した罪の許しを乞うでしょう。まことに、あなたは許し給う御方におわし、慈悲に満ち給う御方にまします。

 

<128>   

 言挙げよ。慈悲に満ち給う主の信奉者を自称するものが、心の中では悪魔のような行為を犯してよいものだろうか。否、それは決してふさわしい状態ではない。このことについては、栄光に満ち給う御方の美こそわが証人なり。おお、汝ら、このことが理解できたならば。

 心を清め、世俗の事物への愛着を断て。口を清め、彼を記憶する以外の言葉を断て。全身全霊を清め、彼の顔を仰ぐ障害となるものを排除し、汝を腐敗とよこしまな衝動に誘うものを断て。おお、人々よ。神を畏れ、正しい道を歩むものであれ。 

 言挙げよ。おお、人々よ。汝らに言動の不一致があってはならない。さもなければ、主なる神への信仰を告白しながらも、神聖なる雲に覆われて訪れた主を拒絶し、主の真実を否定したものらと、汝らは自らをどう区別することができようか。世俗への愛着と虚栄から自らを解放し、それらに近づかぬよう注意せよ。なぜならば、それらは汝らを情欲と欲望の道に誘い、栄光あふれるまっすぐな道に入ることを阻むからである。 

 「世俗」とは、創造主を忘れ、彼以外のものに没頭する状態を指す。また、「来世」とは、栄光に満ち、比類なき神のもとに汝らを安全にみちびくものを意味する。この日、神の愛から汝らを遠ざけるものは世俗以外の何ものでもない。祝福される人々の内に数えられるよう、世俗を逃れよ。地上の宝石で身を飾り、その衣をまとい、地球が提供するあらゆる恩恵を享受することには何の害もない。ただし、自分と神との間に割って入るいかなるものをも許さないことが条件である。神は、天と地に創造されたすべての良き物を、まことに神を信じるしもべらのために定め与えたのである。おお、人々よ。神の許可された良き物を味わい、神のすばらしい恵みより身を遠ざけるな。神に感謝と讃美を捧げ、まことに感謝するものであれ。

 おお、故郷を逃れ、神の御前に入ることを望んだものよ。汝の主の教えを人々に宣言せよ。人々が腐敗した邪悪な欲望の誘惑に負けることなく、最も崇高にして、最も偉大なる神を記憶することができるよう、主の教えを伝えよ。言挙げよ。おお、人々よ。神を畏れ、誰の血も流してはならない。隣人と争うことなく、善行に生きるものであれ。地上に秩序が確立された後も、無秩序なる行為を犯すことのないよう注意せよ。そして、あやまてる人々の足跡を辿るな。

 主の大業の布教に立ち上がるものは、その言葉が聴き手の心を捕らえることができるよう、まず何よりも先に自分に教えなければならない。自分に教えなければ、口より発せられる言葉は探究者の心に影響を及ぼすことはない。おお、人々よ。他人に良き忠告を与えながら、自分自身はその忠告を実行することを怠るものとならぬよう注意せよ。このような人々の語る言葉は、それ自体、彼らの偽りを告発するものである。これらの言葉を超えて、万物に内在する真理と、さらにこれらの真理を超えて、神の近くに控える天使たちも彼らの偽りを告発するのである。  

 人に影響を及ぼすことができた場合、その成功を自分の功績と考えてはならない。つまり、その成功は、全能にして聡明なる御方の定め給う神の言葉の影響によるものであるからである。自らを絶えず消耗しながら光を放射しつづける人間を神はランプと見なし給う。

 言挙げよ。おお、人々よ。自らを辱め、神の大業の不名誉となるような行為を犯してはならない。不和を起こすものらに加わるな。理性のとがめるものに近づくな。あらゆる種類の悪を避けよ。これらはすべて聖典の禁ずるところである。この聖典は、神がそのすべての罪の痕跡を完全に洗い流し、純粋なる人々の内に数えられるもの以外は触れることのできない聖典である。    

 自分に対しても、他人に対しても公平であれ。そうすれば、汝らの行為によって正義の証がわが忠実なるしもべらに示されよう。隣人の財貨を侵害することのないよう注意せよ。隣人の信頼と信用に値する人間であることを立証せよ。恩寵に満ち給う神が汝らに与える賜物を困窮者に提供することを惜しんではならない。まことに、慈善を行うものに神は報い、施したものを倍にして返し給う。神以外に神は存在せず、全宇宙とその支配は神に属す。神は選び給うものに賜物を与え、意図し給うものには賜物を控えるのである。神は偉大なる提供者であり、最も寛大におわし、恩恵に満ち給う。

 言挙げよ。おお、バハの人々よ。神の大業を教え広めよ。何となれば、彼のメッセージを宣言することを神は万人の義務と定め、最も価値ある行為と見なしたからである。しかし、この行為が受け入れられるには、まず大業を教えようとする本人が、最高の保護者におわし、恩寵に満ち、全能者にまします神の確固たる信者でなければならない。また、彼はつぎのように定めた。この大業は武力ではなく、人の言葉の威力によって伝えられなければならない。彼の命令はこのようにして、最も崇高におわし聡明なる御方の御国より下されたのである。何人とも論争せぬよう注意せよ。むしろ、親切と、説得力のある言葉をもって相手を真実に目覚めさせよ。聴き手が反応を示すならば、それは聴き手本人を利することである。反応しないのであれば、聴き手のもとを去り、光輝みなぎる神聖さの座である神の聖なる宮廷に顔を向けよ。

 この世と、この世に係わる事柄について人と論争してはならない。何となれば、神はこの世を、この世に愛着する人々に委ね、放棄したからである。この世に存在するすべてのものの中で、神が御自分のために選び給うたのは、啓示と言葉の威力によって征服される人間の心のみである。最高の命令者におわし、全知者におわす御方の命令により、バハの指は神の不変の命令の書簡にこのように定め記したのである。

 

<129>

 おお、神の道を旅するものよ。神の恩寵の大海より汝の分け前にあずかり、その深海に秘められたものを逸するな。その財宝を享受する人々の一員となれ。この大海の雫の一滴は、それが天と地にある万人に注がれるなら、それだけで彼らを神のめぐみに富ますに充分なのである。神は全能者におわし、すべてを知り、すべてに賢き御方におわす。無欲なる手もて、この大海より生命を与える水を汲み上げ、全創造物に散水せよ。そうすることにより万物は、人間が造り上げたあらゆる限界より清められ、この栄光に輝く神聖なる場所に近づくことができよう。この場所こそは神の強大なる座である。

 汝、たったひとりでこの事業に従事していても、それを決して嘆いてはならない。神をして、汝を完全に満ち足らすものとなせ。神の精霊と親密に語らい、感謝するものであれ。天と地にあるすべてのものに、汝の主の大業を宣言せよ。汝の呼びかけに応えるものがあれば、神の精霊が汝に与えた主なる神の英知の真珠を披露せよ。そして、まことに信ずるものであれ。逆に、汝の提供するものを拒むものがあれば、退却し、汝の信頼と確信を主なる汝の神、諸々の世の主に置け。

 神の正義にかけて誓う。この日、口を開き、主の名を述べるものの上には、全知者にして全賢者なるわが御名の天上より聖なる霊感の軍勢が降りてくるであろう。天上の集合もまた、各々純粋な光の聖杯を高々とかかげて彼のもとを訪れるであろう。このことは栄光に満ち、最も力強い御方の命令により、神の啓示の領土において前もって定められたことである。

 神への奉仕のために準備された選ばれし人々の一団が、聖なるヴェールの内に隠されている。彼らはいずれ人類の前にその姿を現わし、神の大業を助けるであろう。彼らは何者をも恐れず、全人類が奮起して彼らに闘いを挑んだとしても決してひるむことはない。彼らは、天と地にあるすべての住人のみつめる前で立ち上がり、声たからかに全能なる御方の御名を歓呼し、栄光に満ち、すべてに讃美され給う神の道に人の子をまねくであろう。汝も彼らの進む道を歩め。そして、何者にも狼狽(ろうばい)させられてはならない。創造主の道において、世の中の動乱が汝をどれほど動揺させても決して悲嘆に暮れることなく、非難者の非難によっても決してその目的を(くじ)かれることのないものであれ。

 神の書簡と諸々の証拠をたずさえて、われを信ずる人々との再会に向かえ。そして、最も聖なるわが楽園よりの音信を彼らに伝えよ。さらに、自らを神の協同者と称するものらに警告せよ。言挙げよ。おお、人々よ。われは神よりの知らせをたずさえて、栄光の王座より汝らのもとへときた。神は最も強大にして、最も高遠なる御方、最も偉大なる御方におわす。汝らの主であり、汝らのいにしえの祖先の主なる神の証言を、われはこの手にたずさえてきた。汝らの有する正しき秤を用いてこの証言を評価せよ。その秤とは、過去の預言者や神の使者たちの証言にほかならない。そして、この証言が真理に基づくものであることを発見し、神からのものであると信ずるならば、そのあら探しをすることのないよう注意せよ。さもなければ汝らの労力は無と化し、汝らは不信仰者たちのうちに数えられよう。まことに、この証言は真理の威力を通じて下された神のしるしである。まことに、この証言により、神の大業の真実性は神の創造物に示され、純粋無垢(じゅんすいむく)の旗印は天と地の間に掲げられたのである。

 言挙げよ。これこそは、神の取り消し難い定めを納めた神秘なる封印の巻物である。神聖なる指が書きとめた言葉を記したこの巻物は、不可知なる神秘のヴェールの内につつまれてきた。しかし、今やそれは全能者なる日の老いたる者の恩寵の証として下されたのである。われはこの巻物に、天と地にあるすべての住人の運命を定め記し、万事に係わる知識を始めから終わりまで書き記した。過去に創造されたものであれ、未来に創造されるものであれ、何者も神を逃れ、神の目的をくじくことはできない。おお、汝ら、このことを理解し得たならば。

 言挙げよ。神より遣わされた啓示はまさしく繰り返されたのである。そして、差しのべられたわが威力の手は、天と地にあるすべてのものを覆いつつんでいる。われは真理の、まさしく真理の力により、わが不可知なる神秘の光明をわずかに顕わし、その深紅の光はわが啓示のシナイ山をつつんだ。すると、見よ、シナイの壮麗なる光輝を認め知る人々はこの深紅の光を一瞥(いちべつ)するや否や、息絶えた。慈悲に満ち給う神の美におわす者は、このようにして彼の証言の雲により降下したのである。そして、栄光に満ち、すべてに賢き神の意志により、定めは成就された。  

 言挙げよ。おお、至上の楽園に住まう天界の乙女よ。汝の聖なる室よりでよ。不滅の生命の優雅なる衣を望むままにまとい、栄光に満ち給う御方の御名において、刺繍(ししゅう)を施した光の美衣(びい)を身に着けよ。そして、最も高遠にして、近づき難い汝の主の王座より聞こえてくる声の甘く不思議な調べに耳をかたむけよ。汝の顔をさえぎるヴェールを取り、黒い瞳の乙女の美を顕わし、汝の輝く顔の光を神のしもべらから取り上げるな。たとえ地上の人々の嘆息や、天上の住人の悲嘆の声を耳にしても、それを嘆いてはならない。彼らを消滅のの中に滅びるままに放置せよ。憎悪の炎が彼らの胸の内に燃えさかっているゆえ、彼らを無に帰せよ。天と地にある人々の面前で、最も美しい調べにのせて讃美の聖歌を唱え、神の諸々の御名と属性の王におわす御方を想起せよ。われは汝の運命をこのように定めた。われはまさしくわが目的を成就し得る者なり。

 おお、純粋無垢の真髄なる者よ。燦然(さんぜん)と輝く汝の栄光の衣を脱ぎすてることのないよう注意せよ。否、むしろ、創造の王国においても、汝の神の不朽の衣もて自らをますます豊かに飾れ。このことにより、全能者の美しき姿は汝を通じてあらゆる創造物に反映され、汝の主の恩寵はその完全な威力をもって森羅万象に浸透するであろう。

 汝の主の愛の芳香をただよわすものがあれば、自らをそのものに捧げよ。何となれば、われは汝をこの目的のために創ったのである。そしてわれは、わが寵愛する人々の集う前で、まさしくこの目的のために汝との間にいにしえよりつづく聖約を交わしたのである。心の盲目なる人々が愚かなる妄想の(やり)を汝めがけて放ったとしても、汝は決して忍耐を欠いてはならない。邪悪なる者の衝動にしたがう彼らを放置せよ。

 天と地にあるすべての住人がみつめる前で、つぎのように声を張り上げよ。われは天界の乙女であり、バハの精神から生まれた子である。わが住処は、栄光に満ち給う御方の御名の邸宅にある。天上の集合を前にして、われは、彼の御名の装飾をもって飾られた。われは侵し難い保護のヴェールにつつまれ、人間の目より隠されてきた。そのとき、慈悲なる神の右手より、神聖にして比類なき甘美なる声が聞えてくるように思えた。すると、見よ。その声の調べを聞き、それを語る者の美を眺めることを熱望するあまり、われの見る前で楽園全体が感動に揺れ動き、興奮のるつぼと化した。このようにしてわれは最も甘美なる言葉を用いて、久遠の舌がガユモル・アスマ[8]の中で語った聖句を、この輝かしい書簡に記したのである。

 言挙げよ。彼は、主権により望むままに命じ、その命令により欲するままになすのである。望むままに命じたことにおいて、彼は何者にも問われることはない。まことに、彼は何者にも束縛されず、すべてに力強く、すべてに賢き者である。

 神を信ずることを拒み、神の主権に反抗するものは、自らの堕落した心と欲望の救い難い犠牲者にほかならない。彼らは、地獄の炎の中にある自らの住処に戻るであろう。拒否者の住処は哀れなり。 

                                  

<130>

 繁栄の中にあっては寛大であれ。逆境に際しては感謝するものであれ。隣人が汝に信頼を置くにふさわしいものであれ。明るく、親しみのある顔をもって隣人を見よ。貧しきものには宝庫であれ。富めるものには警告者であれ。困窮者の叫びに応えるものであれ。汝の誓約の神聖を守るものであれ。判断に公正であれ。発言に慎重であれ。何者にも不公平であってはならない。如何なるものにもまったく謙虚であれ。暗闇の中を歩むものには明かりであれ。悲しみに打ちひしがれたものには喜びであれ。渇きにあえぐものには大洋であれ。苦悩におぼれるものには避難所であれ。圧制の犠牲者には、その支持者となり、その擁護者であれ。汝のすべての行動を、誠実さと高潔さとをもって際立たせよ。異邦人には住処であれ。苦しみにあるものの慰めであれ。亡命者には力みなぎる砦であれ。盲目なるものには目となり、あやまてるものにはその歩みをみちびく光であれ。真理の(おもて)を飾る装飾であれ。忠誠の額に置かれた冠であれ。正義の殿堂の支柱であれ。人類の身体には生命の息吹であれ。正義の軍勢の旗印であれ。美徳の地平線上に輝く光体であれ。人の心の土壌を潤す露であれ。知識の大洋に浮かぶ箱船であれ。恩恵の天上に光る太陽であれ。英知の王冠の宝石であれ。汝の世代の天界にきらめく光であれ。そして、謙遜の樹に実る果実であれ。 

                                  

<131>

 いにしえの王のペンは、神に愛されし人々を絶えまなく想起しつづける。あるときは、慈悲の大河が彼のペンより流れいで、また、あるときは、神の明快な書がそのペンの動きにより著わされたのである。彼こそは比類なき者であり、必滅の運命にある人間は決して彼の言葉に対抗する言葉を持ち得ない。彼こそは、いにしえより主権と威力の王座に据えられた者である。彼の口をもれる忠告は、全人類の必要を満たし、その戒めは、全人類を利するものである。

 唯一真実の神とその創造物はわが証人なり。われは自らの姿を一瞬たりとも人々の目から隠したこともなければ、人々のおよぼす危害から身を守ろうとしたこともない。われは万人の面前に立ち、わが望みにしたがうよう命じたのである。そして、世の改善と人類の安寧こそがわが目的である。人類の和合が確立されない限り、人類の幸福、平和、安全は決して実現しない。また、至上なる御方のペンが著わした忠告が無視されつづける間は、この和合は決して達成されない。

 彼の語る言葉の威力は全人類を和合の光で照らし、彼の名を述べることによって万人の心に点火し、彼の栄光との間に立ちはだかるヴェールを焼き尽くすに充分である。正しい行いには強大なる威力が付与されている。そして、たった一つの正しい行いは、塵のような存在を高め、天中の天を越えるところまで引き上げることができる正しい行いの威力はあらゆる束縛を寸断し、消耗し尽くされもはや消滅してしまった活力をも復活させることができる。

 おお、神の人々よ。純粋であれ、清純であれ。正しくあれ、公正であれ。言挙げよ。おお、神の人々よ。永遠の真理なる御方と、彼の軍勢と、地上における彼の援助者たちの勝利を保障するものは、聖なる書と書簡に明記されており、太陽のように明瞭かつ明白である。この軍勢とは、正しき行いであり、彼の思し召す行動と人格である。この日、わが大業の加勢に立ち上がり、称讃される人格と高潔な行動を自らの援助者とするものの行為は、全世界を覆う影響力を持つであろう。このことを確信せよ

                                  

<132>

 神の栄光は高遠なり。唯一真実の神が御自身を人間に顕わす目的はここにある。つまり、人間の最も奥に存在する真の自己の鉱山に潜む宝石をあらわにするためである。地上の多様な宗教共同体や信仰の様々な体系は、決して人々の間に敵意をもたらすものであってはならない。これこそは、この時代における神の信仰と宗教の精髄である。これらの原則や法律、また、これらの確固として確立された強力な体系は、同一の根源から生じたものであり、同一の光源の光線である。宗教間に見られる差異は、それらが確立された時代の様々な要求によるものであると見なされなければならない。

 おお、バハの人々よ。地上の人々を混乱に陥れた宗教的不和と争いの動乱が鎮まり、その痕跡さえも完全に抹消されるよう努力せよ。神の愛と、神に奉仕する人々のために立ち上がり、この最も崇高にして重大なる啓示に加勢せよ。宗教的狂信と憎悪は世界を焦土と化す炎であり、何者にもその猛威を治めることはできない。神の威力の御手のみが人類をこの荒廃の苦悩から救出し得るのである。 

 神の言葉は灯火であり、つぎの聖句こそがこの灯火から放射される光である。汝らはみな一つの樹の果実であり、一つの枝の葉である。互いに最高の愛と調和、親愛と友情をもってふるまえ。真理の昼の星なる者こそわが証人なり。和合の光は非常に強力であり、それは地球上をすべて照らし得るほどである。唯一真実の神、すべてを知り給う神御自身が、この言葉の真理を証言し給う。

 この超越した最も崇高なる域に到達し得るよう努力せよ。この地位こそは、全人類の保護と安全を保障するものである。この目標は他のいかなる目標にもまさり、この望みはあらゆる望みの中の君主である。しかしながら、正義の昼の星をくもらす圧制の暗雲が消散されない限り、この地位の栄光が人間の目に明らかにされることは困難である。

 おお、バハの人々よ。親愛と友情の精神をもって万人と交われ。もし汝がある真理を把握し、他人の知らない宝石を有するならば、最高の親切と善意の言葉をもってそれを彼らと分かち合え。もしそれが受け入れられ、その目的を果たしたならば、汝の目的も果たされたことになる。また、もしそれを拒むものがあれば、そのものを放置し、神が彼をみちびくよう嘆願せよ。彼を不親切にあしらうことのないよう注意せよ。親切なる舌は人々の心を引きつける磁石である。それは魂の糧であり、言葉に意味という衣を授けるものである。それは、英知と理解力の光の泉である。 

                                  

<133>

 神の律法は、神の最も荘厳なる啓示の天より下された。万人はこれらの法を厳守しなければならない。人間の最高の殊勲、その真の進歩、その究極の勝利は常にこれらの法にかかっている。また、将来もそうありつづけるであろう。神の法を守るものは永遠の喜びを得よう。

 神の一体性の曙を認め、神の唯一性の顕示者の真理を認めたものにかかる義務は二つある。最初の義務は、顕示者に対する愛に確固不動たることである。その不抜さは、敵の引き起こす動乱にも、愚かな詐称者の主張にも怖じず、永遠の真理におわす彼にすがる手を決して放すことのないほどのものでなければならない。それはまた、彼らのことをまったく意にとどめないほどの不抜さでなければならない。第二の義務は、神の定めた法を厳格に守ることである。神は人間に対し常に法を定め、未来を通じても定めつづけるであろう。これらの法を介し、偽りは真理より区別され、分離されるのである。 

                                  

<134>

 永遠の真理におわす御方を認め知ることのつぎに、人間に課せられた最初かつ最大の義務はこれである。つまり、彼の大業において確固不動たることである。汝、これにすがり、神に心をしっかりと据え、神に基礎を置くものであれ。いかに賞賛される行いも、これに比較できるものではない。また、未来永劫を通じてこれにまさる行為はない。これはあらゆる行為の中の王である。この真理を、最上の御方におわし、御力に満ち給う汝の主が証言し給う。  

 神に係わる美徳や属性はすべて明白明瞭であり、それらはあらゆる天来の書に記され、説明されている。つぎのものもそこに含まれる。つまり、信頼に値すること、正直であること、純粋な心をもって神と語らうこと、寛容であること、全能者の定めたことすべてに忍従すること、神の御心によって与えられたものに満足すること、忍耐強くあること、否、むしろ、苦難の中にあって感謝の心を持つこと、そして、いかなる境遇にあっても神に全幅の信頼を置くことである。神の評価し給うところによれば、これらはあらゆる行為の中で最も高貴にして、最も賞賛されるものに数えられる。他のすべての行いは、これらの行為に対し副次的なものであり、従属するものである。このことは時を超えて不変である。

 神を認め知ることこそが人の心に生気を与える息吹である。人の心を飾る真の装飾は、「神は御心のままになし給い、欲するままに命じ給う」という真理を認識することにある。人の心を装う衣服は神に対する畏敬の念であり、その完成の極みは神の信教の中にあって確固不動たることである。神を求めるものに対し、神はこのように指導し給う。まことに神は、神に向かうものを愛す。寛恕者におわし、恩寵に満ち給う神のほかに神はおわさず、諸々の世の主なる神に讃美あれ。 

 

<135>    

 おお、生ける者の文字[9]よ。神の耳は汝の叫びを聞き、神の目は汝の嘆願の書を見た。彼は栄光の座より汝に呼びかけ、危急の場の救助者におわし、御自力にて存在し給う御方より下された言葉を汝に現わすのである。

 自我と空しい妄想という偶像を完全に捨て去った汝に祝福あれ。最高の保護者におわし、全能にして最愛なる御方におわす汝の主の威力により愚かなる空想のヴェールを切り裂いた汝は幸いなり。まことに、汝はすべての文字に優る文字の一つに数えられよう。そのために、神は汝の主なるバブの口を介して汝を抜擢(ばってき)したのである。まさにバブの御顔は全創造物を覆い、これからも覆いつづけるであろう。汝は、彼の援助により、天上と地上の住人の心を震撼させた大業を認めることができたのである。そして汝は、創造と啓示の王国の住人が歓声を上げ、人々の心の秘密が明かされ試された大業を受け入れることができたのである。このことを全能者に感謝し、その御名を讃美せよ。  

 汝の主である至高なる御方[10]は、その栄光の領土より、つぎのような言葉をもって汝に呼びかけている。 おお、生ける者の文字よ。大いなる祝福が汝を待ち受けている。何となれば、汝はまことにわれを信じ、天上の集合の前でわれを辱めるようなことを汝は行わず、汝の誓約を実行し、空しい妄想のヴェールを捨て去り、主なる汝の神に目をしっかりと据えたからである。神こそは目に見えるものと見えぬものの主におわし、人々が絶えまなく集う神殿の主におわす。われは汝に満足している。何となれば、人々の顔が憂鬱(ゆううつ)のあまり黒く変色したこの日、われは光り輝く汝の顔を発見したである。 

 言挙げよ。おお、バヤンの人々よ。わがすべての書簡と、わがすべての隠された聖典を通じてわれは汝らにつぎのように警告したではないか。自らの邪悪な欲望に溺れてはならない。自らの堕落した意向にしたがってはならない。そして、最も偉大なる天秤が据えられ、神の精神の甘美なるメロディーが汝らの主の玉座の右手より流れてくる日、汝らはただひたすら最上なる栄光の場を見据えなければならない。彼こそは全能なる保護者におわし、力に満ち、神聖なるものの中の最も神聖なるものにおわす。また、われはこうも命令したではないか。わが美の顕示者がつぎに出現するとき、汝らをその顕示者から隔てるあらゆるものを断たなければならない。それが神の御名のすべての栄光を具現するものであっても、また、神の属性とその主権を現わすものであっても、それが汝らを顕示者から隔てるものであれば、決してそれに執着してはならないとわれは警告した。しかし、見よ。 われが姿を現わすや否や、汝らはわが真理を拒絶し、われにそむいた。そして、汝らは、神のしるしをたわむれと気晴らしの対象とした。

 わが美にかけて誓う。この偉大なる日、汝らの捧げるものは何一つとして受け入れられない。神の御前にひれ伏し、神の永遠なる主権が持続する限り礼拝しつづけても受け入れられない。なぜなら、すべては彼の御心に委ねられ、あらゆる行為の真価は彼の承認と満足にかかっているからである。宇宙は彼の手のひらに置かれた粘土にすぎない。この偉大なる日、神を認め、神を愛さない限り、いくら叫んでもその声は神に届かないのである。これこそが彼の教えの真髄である。汝ら、このことを理解し得たならば。  

 汝らは荒野に現われる蜃気楼(しんきろう)に満足し、神の御心を通じて人々の魂を活気づける清水の大海を放棄するのか。このような空虚で卑しむべき行為をもって神の恩恵に報いるものに災いあれ。まことに、汝らは、以前の啓示に際してわれを拒絶した人々に属するのである。汝らの心がこのことを理解し得たならば。

 立ち上がれ。そして神の見守る中で、彼に対する義務を怠った罪をつぐなえ。これが汝らに送るわが戒めの言葉である。汝ら、わが戒めに耳をかたむけるならば。われ自身に誓って言う。コーランの民も、旧約聖書や福音書を信ずる人々も、またそれ以外のいかなる聖典の信奉者も、汝らがその手によって犯した罪を犯してはいない。われ自身、この教えの真実の立証に全生涯を捧げた。われ自身、わがすべての書簡を通じて彼の啓示の出現を宣言した。しかし、つぎの啓示において彼がバハの栄光をまとい、荘厳なる衣に身を飾って現われるや否や、汝らは最高の保護者におわし、御自力にて存在し給う者に刃向かったのである。おお、人々よ。警戒せよ。汝らの手が犯したことによって神の道においてわが身に降りかかったことを恥じよ。神の超越した栄光の天上より下されたことを拒絶するものとならないよう注意せよ。  

 おお、生ける者の文字よ。これこそは汝の主が高遠なる領土より汝に語りかけた言葉である。しもべらが眠りから覚めて神に許しを乞うよう、汝の主の言葉をしもべらに宣言せよ。神こそは彼らを創造し、彼らに形を与え給う。神こそは、光にあふれ、最も神聖なるこの明白なる彼の美の啓示を人々に下し与え給うたのである。

 

<136>

 言挙げよ。おお、人々よ。魂を自我の束縛より解放し、われ以外のすべてのものへの執着から清めよわれを思い起こすことによりすべてのものの汚れを洗い清めることができる。汝ら、このことを発見し得たならば。言挙げよ。全創造物が世俗の虚栄と欲望のヴェールを完全に脱ぎ捨てるならば、神の御手は「創造の世において神は欲するままになし給う」の衣を万物に例外なく着せるであろう。このことにより、その日、神の強大なる主権の証拠があらゆる創造物の内に現わされよう。したがって、彼に讃美あれ。彼こそはすべてのものに君臨する主におわし、至上の保護者におわす全能者にましまし、栄光と御力に満ち給う。  

 おお、わがしもべよ。汝に授けられた神の聖句を、神のおそば近く仕える人々が唱えるように唱えよ。されば、汝の祈りの調べのうるわしさは、汝自身の魂に火をともし、また、すべての人々の心をも引き寄せるであろう。何人であれ、自室において神の啓示し給う聖句を唱えるならば、その口をもれる言葉の芳香は、全能なる神の御使いたちにより、広く世に広められ、すべての心正しい人々の胸を感動に打ちふるわせるであろう。たとえ最初はその作用に気づかずとも、祈るものに賜わる恩寵の効力は早晩必ずその魂に影響を及ぼすであろう。このように神の啓示の神秘は威力と英知の源である神の御心により定められたのである。   

 おお、カリルよ。神こそわが証人なり。わがペンは今もわが書面に動きつづけているが、心では涙を流し、苦悩に溺れているのである。王座の前にともるランプも同様に涙を流し、うめき声を上げているのである。その悲しみの原因は、古来の美の味わった苦しみであり、その苦しみをもたらしたのは彼の御心によって創造された人々である。神はわが言葉の真実を証言し給う。不信心者の騒音を締めだし、森羅万象の声に耳をかたむけるものは、宇宙に響きわたる悲嘆の声を聞くことができよう。それは、われを否定し、われに背くわがしもべらがわれに浴びせた苦悩のために万物から起こる嘆きの声である。こうして、われはわれを襲う苦難の断片を汝に示したのである。それは汝がわれの苦しみについて知り、自らの苦しみに対しては忍耐強く耐えることを望むからである。

 いついかなる状況にあっても汝の主の援助に立ち上り、主の援軍の一員であれ。神の精神なる御方が、光みなぎるこの書簡に述べたつぎの言葉に耳をかたむけるよう人々に忠告せよ。言挙げよ。おお、人々よ。不和の種を人々の間に蒔いてはならない。隣人と争ってはならない。いかなる状況にあっても忍耐し、神に全幅の信頼を置き、確信をもて。英知と言葉の剣もて汝の主に加勢せよ。これこそが人間の地位にふさわしい生き方である。この正道をそれることは神の評価に値しない。神こそは主権者におわし、栄光に満ち給う。しかし、人々は過ちの方向に先導され、まことに無思慮な状態にある。

 おお、人々よ。人々の心を閉ざしている錠を取りはずせ。神の面影であり、汝らの英知の源泉である御方を思い起こすことがその錠をはずす鍵である。彼は世界にあるすべてのものの中からしもべらの心を選び、一人一人の心を彼の栄光の啓示の王座として定めた。したがって、人間の心の創造の本来の目的である事柄がそこに刻まれるよう、自らの心をあらゆる汚れから清めよ。これこそは恩寵に満ちた神の恵みの証である。

 おお、人々よ。正直をもって自らの口を美しくせよ。真実をもって魂を飾る装飾とせよ。おお、人々よ。互いに不誠実であってはならない。神の創造物に対し、神の信託者であれ。神の人々に対し、神の寛大さの旗印であれ。肉欲や自らのよこしまな性質にしたがうものは過ちの中にあり、その努力は水の泡となる。まことに、彼らは迷える存在である。おお、人々よ。常に目を神の慈悲に向けるよう努力せよ。常に心を神のすばらしき記憶に調和させるよう努力せよ。常に魂が神の恩寵と恩恵を確信できるよう努力せよ。常に神の喜びの道を歩むよう努力せよ。これが汝らに遺すわが忠言である。汝ら、この忠言にしたがうものならば。  

 

<137>    

 あるものは隣人の財産を侵すことを合法と見なし、神の書に記された神の命令を軽んじる。彼らを待ち受けるのは災難と神の懲罰である。神こそは全能にして威力に満ち給う。神聖さの黎明の地平線上に輝く御方にかけて誓う。地上のすべてのものが金銀に変えられたとしよう。その財宝を拾いわがものとするのは言うまでもないが、それらに目をくれただけの人も信仰と確信の天上に真に昇り詰めたものとは言えない。われは以前、アラビア語で記した書物の中で、極めて美しい言葉をもってこのことについて述べた。神こそわが証人なり。その言葉の甘美を一度味わったものは、神が定める境界を決して侵さないであろう。また、決して最愛なる御方以外に目を向けることもしないであろう。このような人は、地上に属するものははかなくまったく虚しいものであることを心眼の威力により容易に認め、より高い次元のものに関心を向けるであろう。                            

 言挙げよ。恥を知れ、おお、古来の美を愛すると自称する人々よ。古来の美を苦しめた試練と、神のために彼が負った苦悩の重荷を汝らの戒めとせよ。汝ら、目を見開いて見よ。古来の美は無数の苦しみに耐えてきた。しかし、その結果が汝らの価値のない信仰告白と下劣な行動なのであれば、古来の美がこれほど苦労する理由はどこにあろうか。わが啓示に先立つ時代、あらゆる盗人と不正者は汝らと同じ言葉を吐き、汝らと同じ行動に走ったではないか。

 まことにわれは言う。わが甘美なる声に耳をかたむけよ。邪悪な欲望と腐敗した願望の汚れを払い、自らを清めよ。神の幕屋に住まい、不滅の栄光の座にある人々を見よ。空腹のために絶命寸前であっても、彼らは手を伸ばし隣人の財産を不法に奪うことは決してしない。その隣人がいかに卑しく、価値のない存在であったとしてもこのことに変わりはない。  

 唯一真実なる神が自らを現わす目的は何か。それは全人類を正直と誠実さ、敬虔と信頼、神の御心に対する従順と服従、寛容と親切、公正と英知のもとに呼び寄せることにある。聖人のような性質をもって万人を覆うマントとし、清らかで正しい行動を万人の装飾とすることこそが神の目的である。

 言挙げよ。自らと同胞を哀れむがよい。汝らの虚しい空想と、見苦しく腐敗した想像をもって神の大業を汚すことのないようにせよ。まことに、神の大業は、神聖さの真髄をはるかに越えて崇高なるものである。  

 

<138>  

 御力により森羅万象に君臨し給う慈悲なる神よ。あなたの(とりこ)となったこのしもべらをそなわせ給え。御恩寵と御恩恵の宝庫に秘められた良きものを切望し、あなたの御心にしたがい、あなたの定めた断食を日々守り、夜明けの時刻に御名を唱えあなたに讃美を捧げるために床を離れたこのしもべらをそなわせ給え。全宇宙の手綱を御手に握り、あなたの御名と属性の王国のすべてを手のひら治め給う神よ。この日、御慈悲の雲より注がれる雨をしもべらから取り上げ給わぬよ、また、あなたの御喜びの大海の分け前をしもべらに拒み給わぬよう嘆願いたします。 

 おお、わが主よ。地球上のすべての原子はあなたの御威力と御主権の偉大さを証言しております。また、宇宙に秘められたあらゆるしるしはあなたの御統治と御力を証明するものであります。おお、万物に君臨し給う主権者よ。おお、永遠なる時の王なる主よ。おお、すべての国々を治め給う統治者よ。あなたの掟の御綱にすがり、御心の天上より下されたあなたの法の出現を前に頭を垂れるこのしもべらに慈悲を示し給え。

 おお、わが主よ。あなたの御慈愛の黎明の場に目を向けるしもべらを見そなわせ給え。御恩恵の大洋に心ひかれたしもべらを見そなわせ給え。栄光に満ち給う御名により最も高遠なる地位より呼びかけるあなたの最も甘美なる御声の前に声をひそめるしもべらを見そなわせ給え。おお、わが主よ。あなたの有するものを得ようと自ら所有するすべてのものを放棄したあなたに愛されし人々を助け給え。彼らはこの世に背を向け、あなたの栄光の領土に心を向けたために今や試練と苦悩に包囲されています。おお、わが主よ。彼らを擁護し給うよう嘆願いたします。彼らを邪悪な欲望の猛襲より守り、この世ときたるべき世を通じて彼らを利するものを得ることができますよう彼らを助け給え。

 おお、わが主よ。あなたの秘められた貴重な御名は創造の世にとどろき、全人類を、最高なる栄光の座である、超えることのできない聖木のもとに召喚しております。その御名により祈願いたします。御慈悲にあふれる雨を私どもと、あなたのしもべらの上に注ぎ給え。その清水により、あなた以外のすべてのものの記憶を洗い流し、私どもを御恩寵の大洋の岸辺に引き寄せ給え。主よ、あなたの最も崇高なるペンの定めにより私どもの魂を栄光の領土に不滅となし、私どもの名をあなたの御国に永遠にとどめ、私どもの命をあなたの保護の宝庫に庇い、私どもの身体を決して侵されないあなたの頑丈な砦の中に守り給え。過去と未来を問わず、あなたはあらゆるものを超えて強力におわします。あなた以外に神はなく、あなたは全能なる保護者におわし、御自力にて存在し給う御方にまします。

 おお、主よ。あなたの御恵沢と御恩恵の天上に差し伸べられた私どもの嘆願の手を見そなわせ給え。私どもの手をあなたの御寛大さと大いなる恩恵の賜物で満たし給え。私どもを許し給え。私どもの父や母を許し給え。御恩寵と神聖なる御寛大さの大洋により私どもの願いを叶え給え。おお、心より愛する御方よ。あなたの道に捧げる私どもの奉仕を受け入れ給え。まことに、あなたは御力に満ち、最も崇高におわし、比類なき唯一なる者におわし、許し給い、御恩寵に満ち給う御方にまします。

 

<139>    

 おお、ナビル・アザムよ。 栄光に満ちた御名の王国から汝に呼びかける日の老いたる者の声に耳をかたむけよ。今や日の老いたる者は天上の領土より全創造物の内なる真髄に向けてつぎのように宣言している。「われはまことに神であり、われ以外に神はない。われこそはいにしえよりつづくすべての主権と威力の源であり、未来永劫を通じて王位をもって森羅万象をその保護のもとに置く者である。全宇宙を覆いつつむわが威力とわが主権の偉大さがわが証拠である」。     

 おお、わが名よ。汝の上に祝福あれ。汝はわが箱舟に入り、わが主権の力と、最も高遠なるわが威力により崇高なる大海を驀進(ばくしん)している。汝は、われが寵愛を寄せ、神の指がその名を記した人々の内に数えられる。そして、汝はこの若者[11]の差しのべる命の聖杯を飲み干したのである。まことに、栄光に満ち給う御方の顕示者たちはこの若者の周囲を舞い、慈悲の黎明である者らはこの若者の存在の光輝を朝な夕なに称えるのである。 

 神の栄光が汝の上に宿らんことを願う。汝は神より神へと旅し、衰えることのない光輝の宮廷の境内に足を踏み入れたのである。人は決してこの聖域を言葉に尽くすことはできない。その聖域にあって、主の愛情に満たされた神聖さの微風が汝の精神を奮い立たせ、理解力の清水が、汝の心に残っていた疎遠と罪の痕跡を洗い流したのである。人類の中に立つ神の面影の具現者を認めたことにより、汝は神の面影の楽園への入場を許されたのである。  

 神は汝を強化し、彼の大業を支援できるようにし、汝の心の庭に知識と理解力の花を咲かせたのである。このことを神に感謝せよ。このようにして彼の恩寵は汝を覆いつつみ、全創造物をも覆いつつんだのである。いかなることがあっても、嘆き悲しむことのないよう注意せよ。人々の空虚な主張より完全に身を引き、暗幕によって神から隔てられている人々の無益で取るに足らない論争に背を向けよ。そして、主の大業への奉仕に立ち上がるとき、最も偉大なる精霊が汝に与える霊感にしたがって発言し、宣言せよ。汝のその言葉は万人の心に響き、それにより人々はこの最も祝福された栄光の宮廷に心を向けるであろう。       

 剣の支配によってわが大業を押し進めることをわれは無効としたことを知れ。そしてわれは、人の言葉より生まれる威力を剣の代わりとした。これこそはわが恩寵を通じて示された不変の命令である。言挙げよ。おお、人々よ。世間に不和の種を蒔いてはならない。隣人と争うことのないよう自制せよ。汝らの主は、地上の王たちに主権を与えることを選び、その主権によりこの世とその都市を王たちに委ね、彼らをして主の威力の象徴とした。そして主は、この世の支配の一切を拒み、その支配のかけらすら自らに残すことを拒否したのである。この事実は、永遠なる御方が証言するところである。主が自分のために残した唯一のものは人の心の都である。その目的は、心の都を地上のあらゆる汚れから清め、不信仰なるものの手が決して汚すことのできない聖所に人々が近づくことができるようにすることである。おお、人々よ。汝らの言葉の鍵によって人の心の都の扉を開放せよ。これこそは、あらかじめ決められた定めによってわれが汝らに課す義務である。 

 神の正義にかけて誓う。この世とそこに存在するあらゆる虚栄、栄光、もしくはこの世が提供し得るあらゆる享楽は、神の目からすれば灰や塵と同じ価値、いやそれ以上に卑しむべき価値のものにすぎない。人々の心がこの事実を理解できたならば。おお、バハの人々よ。この世の汚れと、この世に属するあらゆるものから自らを完全に清めよ。神こそわが証人なり。この世のものは、汝らにとって決してふさわしいものではない。地上の事物は、それを求める人々に投げ与え、汝ら自身はこの最も神聖で最も輝きある顔に目をしっかりと据えよ。

 汝らにふさわしいものは、神に対する愛と、神の真髄の顕示者に対する愛であり、彼が汝らに定めるすべての事柄を遵守することである。汝らこのことが理解できたならば。

 言挙げよ。正直と礼節をもって自らを飾る装飾とせよ。寛容と正義の衣を失うことのないよう注意せよ。そうすれば、神聖さの甘美なる芳香が汝らの心から全創造物に向けて発散されよう。言挙げよ。おお、バハの人々よ。言動の一致しない人々の道を歩むことのないよう注意せよ。神の御しるしを地上の人々に示し、彼の教えを鏡のように映すことができるよう努力せよ。汝らの行動をもって人類を教導せよ。何となれば、その地位の上下にかかわらずほとんどの人間は、口で言うことと実際に行うことが違うからである。汝らを他と区別するものは、汝らの行動である。汝らの光の光明は、汝らの行いを通じて世を照らすことができるのである。わが忠言を聞き入れ、すべてを知り、すべてに賢き御方が定め給う教えを守るものは幸いなり。

 

<140>

 おお、モハメッド・アリよ。大いなる祝福が汝を待ち受けている。それは、汝が、栄光に満ち、すべてに讃美される主の愛を心の装飾としたからである。この日、この地位に到達したものはすべての良きものを得よう。

 神の愛されし人々がこの時代に味わった屈辱に心を乱してはならない。この屈辱は、世俗の世が提供し得る栄誉と高尚の中にあって、最高の誇りと栄光に値するものである。日の老いたる者の舌が、最大の牢獄にあって、愛されし人々を思い起こす以上の栄誉が想像できようか。光をさえぎる雲が完全に消える日が近づきつつある。その日、つぎの言葉の光明が全能者の御心の地平線に輝きいで、太陽のようにはっきりと出現するであろう。「すべての栄誉は、神と神を愛する人々に属す」。

 身分の上下を問わず、人はみなこの偉大なる栄誉を追い求めている。しかし、真理の太陽がこの世を照らすや否や、人はみなその恩恵を逸し、ヴェールによってその栄光より遮断されたのである。その唯一の例外は、唯一真実の神の確かな摂理の綱にすがり、彼以外のすべてのものを完全に断ち、彼の聖なる宮廷に顔を向けた人々である。

 すべての世の希望の的である者が、汝にこれほど崇高な栄誉を授けたことを感謝せよ。早晩、この世とそこに存在するものすべては忘れ去られるであろう。そして、すべての栄誉は汝の主に愛されし人々に与えられるであろう。彼こそは栄光と恩恵に満ち給う主なり。

 

<141>

  まことに、これは洞察力を有する人々に下された聖典である。人の子らが眠りより覚めるならば、この聖典に含まれた指導に気づくであろう。つまり、正義にしたがうこと、正しい行いをもって生きること、邪悪な衝動にしたがってはならないこと、そして、肉欲に屈してはならないことである。

 言挙げよ。おお、人々よ。わが書に記された教えにしたがって生きよ。煽動者たちの編みだした空想にまどわされてはならない。彼らは悪を働き、その悪行を最も神聖にして、栄光に満ち、最も崇高なる神に帰するものらである。言挙げよ。汝らがあらゆる世俗の汚れから清められることを望み、われは苦難と苦しみを受け入れて耐えた。ならば、わが目的について心に熟考することを汝らはなぜ拒むのか。神の正義にかけて言う。われが耐えた苦悩について熟考するものの魂は、悲しみのあまり、消滅してしまうであろう。わが言葉の真実を汝らの主が証言し給う。汝らが地上のあらゆる腐敗から聖別されるよう、われは諸々の災難の重荷に耐えたのである。しかし、汝らはまったく無関心ではないか。

 言挙げよ。わが衣の裾にすがるものは、天上の集合が忌み嫌ういかなるものにも毒されていてはならない。栄光に満ちた汝らの主は、この明瞭な書簡を通じてこのように命じるのである。言挙げよ。汝らはわが愛をなおざりにし、わが心を悲しみに満たす行為を犯すのか。汝らは、全知にしてすべてに賢き者が汝らに示したことをなぜ理解できないのか。一体何が汝らの理解を阻んでいるのであろうか。  

 まことに、われは汝らの行動を見守っている。純粋にして清らかな行為の甘美なる芳香を察知すれば、われは必ず汝らを祝福する。それを受けて、楽園の住人は汝らを讃美する言葉を語り、神の近くにある人々に向けて汝らの名を称えるであろう。 

 神の衣の裾にしっかりとすがれ。そして、誰にも断ち切ることのできない神の綱をにぎりしめよ。この最も偉大なる宣言を否定するものらの騒動が、汝らを目的の達成から引きとめることのないよう注意せよ。この書簡を通じて汝らに定め与えられたことを宣言せよ。万人が汝らに反対し、刃向かったとしても宣言しつづけよ。まことに、汝らの主は抵抗し難い御方におわし、確かなる庇護者におわす。 

 わが栄光は汝らの上に宿り、汝らと共同するわが愛されし人々と共にある。かくなるものこそは幸いなり。

 

<142>  

 最愛なる御方の美にかけて誓う。これこそは全宇宙をつつむ慈悲である。今日こそは、神の恩寵がすべてに浸透し、すべてを覆う日である。おお、アリよ。わが慈悲の命の水は滝となって流れ、わが心は愛と優しさに熱せられ溶けて行く。いついかなるときも、われはわが愛する人々を襲う苦しみや、彼らの心の喜びをくもらせる苦悩を甘んじて受け入れることはできなかった。 

 「慈悲者」というわが名のもとに、愛されし人々の中の誰かが、わが期待に反することを口にしたと伝えられるたびに、わが名は悲しみと憂いに沈み、その住まいに戻ったのである。「覆い隠す者」というわが名のもとに、わが信奉者の中の誰かがその隣人を卑しめ屈辱を与えたと知らされるそのたびに、同様にわが名は無念と悲痛に襲われ、その栄光の隠れ家に帰還して悲しみの涙を流したのである。「永遠に許す者」というわが名が、わが友らの中の誰かが罪を犯すのを見るごとに、わが名は悲痛の叫びをあげ、苦しみにもがき地に倒れたのである。そして、目に見えぬ天使たちの一団がそこに出現し、わが名をその天上の住処に運び去ったのである。  

 おお、アリよ。真実者なるわれ自身に誓って言う。バハの心に燃える炎は汝の心に点火した火よりも猛烈に燃え、バハの悲嘆の叫びは汝の叫びにも増して高く鳴り響く。友らが犯した罪がわが存在の宮廷で語られるとき、古来の美は、その顔の栄光を人の目から隠そうと願うほどの羞恥(しゅうち)の念にかられるのである。何となれば、古来の美は友らの誠実さに常に注目し、その必須の条件が守られているかを見ているのである。

 汝が記した言葉がわが面前で読まれるや否や、わが忠誠の大海はわが体内に波立ったのである。それによりわが許しの微風は汝の魂に吹きわたり、わが慈愛の樹木は汝を覆い、わが恩恵の雲はその賜物を汝の上に雨と降らせたのである。永遠の地平線上に輝く昼の星にかけて言う。悲嘆に暮れる汝の姿をわれは悲しみ、汝の苦悩をわれは嘆く。汝がわがためになした奉仕をわれは証言し、汝がわがために受けた苦しみをわれは証言する。地上のすべての原子は、汝に対するわが愛を宣言している。

 おお、アリよ。汝の行った呼びかけをわれは高く評価する。汝の筆と汝の舌をもってわが大業を宣布せよ。すべての人々が汝を通じて点火されるよう、大いなる熱意をもって人々を声たからかに召喚し、すべての世の主権者たる主のもとに呼び寄せよ。                             

 言挙げよ。おお、わが主よ、わが最愛なる御方よ、わが行いの原動力よ、わが魂を引き寄せる星よ、わが存在の奥底に叫ぶ声よ、わが心の崇拝の的よ。あなたに讃美を捧げます。あなたは、私をあなたに向かわせ、あなたを記憶することにより私の魂を燃えたたせ、あなたの御名を宣布し、あなたの讃美を歌わせたのであります。

 おお、神よ、わが神よ。あなたの道をはずれるものがなければ、あなたの慈悲の旗印はどうして翻り、あなたの恩恵に満ちた御恵みの旗はどうして立てられるでしょうか。不正が行われなければ、あなたを「人の罪を覆い隠す御方」、「永遠に許し給う御方」、「すべてを知り、すべてに聡明なる御方」と呼ばせるものがどこに存在するでしょうか。あなたに対して罪を犯したものの罪に対し私の魂を生贄(いけにえ)として捧げます。何となれば、「哀れみ深い御方」、「慈悲に満ち給う御方」というあなたの御名の慈愛の甘美なる芳香はこのような罪に向けて放出されるからです。あなたに対して罪を犯したものの罪に対し私の命を捧げます。何となれば、あなたの恩寵の息吹と、慈愛の芳香はこのような罪の存在を通して人々に知らされ、普及するからです。あなたに対して罪を犯したものの罪に対し私の最も奥なる存在を捧げます。何となれば、このような罪の結果として、限りない御恵みの昼の星が御恩恵の地平線上にその姿を現わし、あなたの無限の摂理より全創造物の真髄に向けて賜物が雨と注がれるからです。

 おお、主よ。私は自分の犯した多くの罪をあなたに告白し、誰も認めたことのないことを認めるものであります。私はあなたの許しの大海に急ぎ、御恩寵に満ちた御恵みの下陰に避難所を求めました。おお、永遠なる王におわし、すべての人類を守り給う主権者よ。私の行動により、人々の心と魂が御愛情の無限の天空に舞い、あなたの精霊と語らうことができますよう私を助け給え。すべての創造物をあなたの出現の黎明の場に向かわせることができますよう御主権の威力を通じて私を強化し給え。おお、わが主よ。私がこの地上での命を大切にする唯一の理由は、あなたの啓示の幕屋と御栄光の玉座を巡回したいからであります。したがって、あなたの御心に完全に身を委ね、あなたへの奉仕に立ち上がることができますよう私を助け給え。おお、わが神よ。ご覧のように、私はあなた以外のすべてのものを離れ、あなたの御心につつましく仕えるものであります。あなたにふさわしいままに、また、あなたの高遠さと大いなる栄光にふさわしいままに私をあしらい給え。

 おお、アリよ。諸々の世の主なる御方の恩恵は汝に下され、今も注がれている。彼の威力と力に身を固め、彼の聖なる御名を称え、彼の大業の加勢に立ち上がれ。無学であることや、読み書きができないことを嘆いてはならない。大いなる恩寵の扉は、唯一真実なる神の威力の手中にあるのである。彼は、彼に仕えるものに対しその扉を開放し、今後も開放しつづけるであろう。汝の心の牧場から全世界に向けて神聖なる甘美の微風が常にただよい、その影響がすべての国土に現われることをわれは切望する。彼こそはすべてのものに君臨する。まことに、彼は最も力強く、栄光に満ちた全能者である。

 

<143>   

 おお、わがしもべよ。真理を認め、真理を受け入れた汝に祝福あれ。慈悲に満ち給う御方を否定し、母なる書に「邪悪者」と非難されたものより身を遠ざけた汝に祝福あれ。神の愛の道を確固と歩み、彼の信教の道を直進し、汝の言葉の威力を通じて彼に加勢せよ。迫害者により投獄の苦しみを強いられている慈悲者は汝にこう指示するのである。

 わがために苦悩を味わうときは、わが苦しみと困難を思い起こし、わが追放と投獄を想起せよ。栄光に満ち、すべてに聡明なる御方よりわれに下されたことをわれはこのようにして汝に伝える。

 われ自身にかけて言う。この世とそこに存在するすべてのものが巻き上げられ、その代わりに新しい秩序が繰り広げられる日が近づきつつある。まことに、彼の威力はすべてのものを支配する。

 われを思い起こすことができるよう、汝の心を清らかにせよ。わが言葉を聴きとることができるよう、汝の耳を浄化せよ。慈悲の神におわす汝の主の王座が据えられた地点に顔を向けてつぎのように述べよ。 おお、わが主に讃美あれ。御助けにより私はあなた御自身の顕示者を認めることができ、御援助により私は魂の崇敬の的であるあなたの存在の宮廷に心を向けることができました。天界を引き裂き、地上を砕く御名により嘆願いたします。あなた以外のすべてのものを離れ、あなたに心をしっかりと据えた人々に定め与え給うものを私にも定め与え給え。栄光の幕屋における真実の座につき、私があなたのお側近くとどまることを許し給え。あなたは御心のままになし給う御力の御方におわします。あなた以外に神はなく、あなたは栄光に満ち、すべてに聡明なる御方にまします。

 

<144>

 最も高遠なる者のペンは、この大業を教えひろめる義務を定め、その義務を万人に課したのである。神以外のすべてを超脱したものに対し、神は霊感を与え、その心に英知と言葉の清水を湧きおこし、豊かにながれださせ給うであろう。このことは疑いもない。まことに、汝の主なる慈悲深き御方は、自らの意のままになし、望むままに命じる力を有するのである。 

 この世について考えてみよ。世俗に属するもののはかなさに気づくならば、汝は汝の主の大業への奉仕の道以外を歩むことを拒否するであろう。万人が汝に反対して立ち上がっても、神の讃美を称揚する汝をさまたげる力は誰も持ち得ないであろう。

 一直線に進み、彼の奉仕の道に忍耐せよ。言挙げよ。おお、人々よ。あらゆる聖典が汝らに約束してきた日は今や到来した。神を畏れよ。そして、汝の創造の目的である御方を認める機会を逸するな。彼のもとに急げ。汝らにとって、これはこの世とそこに存在するすべてのものに増して有益である。おお、汝ら、この真実を見抜くことができたならば。

 

<145>   

 零落(れいらく)したものや、虐げられたものに出会うとき、彼らを軽蔑し、背を向けてはならない。何となれば、栄光の王は常に彼らを見守り、無類のやさしさで彼らを取りまいているのである。そのやさしさは、恩寵にあふれ、聡明なる汝らの主の意志に自らの望みと願いを融合させたもの以外は、誰も計り知ることのできないほどのやさしさである。おお、地上の富めるものらよ。地に倒れた貧しきものの顔をのがれてはならない。それどころか、貧しきものに親身となり、神の計り難い定めにより負わされたその苦悩を語らせよ。神の正義にかけて誓う。汝が彼と交わる間、天上の集合は汝を見つめ、汝のためにとりなし、汝の名を賞揚し、汝の行為を讃美するであろう。自らの学識を(おご)らない博学者に祝福あれ。罪人をあざ笑うことなく、その罪を覆い隠す正義者は幸いなり。このことにより、彼ら自身の短所も人々の目より隠されたままとなろう。 

                                  

<146>

 汝らの一人一人が全人類に対しあらゆる善きものの源泉となり、高潔さの見本となることがわが願いであり、わが望みである。隣人を差し置いて自らを優先させることのないよう注意せよ。人類の中に立つ神の神殿におわす者に目を据えよ。彼はまさにこの世の救済の代償として、自らの命を捧げたのである。まことに彼は恩寵深く、最も高遠におわし、恩恵に満ち給う。もし汝らの間に何らかの不和が生じたならば、汝らの眼前に立つわれを見よ。そして、わが名のために、また、燦然(さんぜん)と輝くわが明白なる大業への汝らの愛の証として、互いの欠点に目をつぶれ。わが御心の楽園に汝らが常に融和と一致をもって交わるのを見、汝らの行動より親愛と和合、慈愛と友情の芳香を感知することをわれは愛す。すべてを知り、忠実なる者は汝らにこのように忠告する。われは常に汝らと共にある。汝らの友好の芳香を嗅ぐことによりわが心は必ず喜びに満たされよう。また、それ以外にわれを満足させ得るものは何もない。真の理解力を有するものはすべてこのことを証言する。 

                                  

<147>

 最大名こそわが証人なり。この偉大なる日において、この世のはかない事物に心を囚われるものがあれば、これほど悲しむべきことはない。立ち上がり、神の大業にしっかりとすがれ。最高のいたわりをもって互いに接するがよい。最愛なる者のために、不滅の火の炎で自我のヴェールを焼きすてよ。そして、光り輝き、喜びあふれる顔をもって隣人と交われ。汝らと共にある真理の言葉なる者の言動を、汝らはあらゆる面で充分に観察している。神の愛し給う人々の中の誰かが、この若者のために心に悲しみをおぼえたとき、その状態をたとえ一夜でも放置したままにすることがこの若者にとってどれほど苦痛であるかを、汝らはよく知っている。

 神の言葉は世界の核心に点火したのである。もし汝らがその炎にともされなければ、これほど残念なことはない。願わくは、汝らがこの祝福された夜を一致和合の夜と見なし、汝らの魂を互いにむすび合わせ、賞賛に値する立派な人格をもって自らを飾る装飾となすよう決意することを。堕落した人々を、迫りくる消滅のぬかるみから救出し、神のいにしえの信教を受け入れるよう彼らを助けることを汝らの最大の関心事とせよ。隣人に対する汝らの態度は、唯一真実の神の御しるしを明白に表わすものでなければならない。何となれば、汝らはこの世にあって、彼の精霊により新たな生命を得た最初の人々であり、最初に彼の前にひれ伏し、彼を崇め、最初に彼の栄光の王座の周囲をめぐった人々であるからである。御心にかなうままにわれに啓示させ給う神かけて誓う。汝らが自らについて知っている以上に、天上の王国の住人たちは汝らについて知っている。この言葉を根のない空言として聞きながしては決してならない。すべてに慈悲深き汝らの主が見給うものを汝らも感知する能力を持っていたならば、汝らの地位の卓越性を証明し、汝らの価値の偉大さを証言し、汝らの位の崇高さを宣言するものを、汝らも目撃したであろう。汝らに定め与えられたものに向かう中で、汝らが未だ制するに至っていない情欲や欲望によってさまたげられることのないよう、われは神に嘆願する。 

 

<148>

 おお、サルマンよ。人間の知力は有限であり、厳格な限界のもとに置かれている。世の賢者や神秘主義者たちの言葉や書物はこの限界を過去に越えたこともなければ、これからも越えることは決して望めない。最も優れた人間の知性がいかにすばらしい高所に昇りつめたとしても、また、世俗を断ち、理解力を備えた心がいかに深遠な真実に到達したとしても、このような知性や心は、その本人の思考の領域や、本人の構想の産物を越えることはない。最も深い洞察力を有する哲学者の瞑想も、最も清らかな聖者の礼拝も、人間の口やペンから流れでる最も高尚な讃美の表現も、主なる神の啓示を介して彼らの内に創造されたものを反映するものに過ぎない。この真理について心して熟考するものは、人間が決して越えることのできない限界の存在を容易に認めることができよう。始まりのない始まりより、神を知り、神の姿を心に描こうとしたあらゆる試みは結局、神の創造の条件の範囲内に閉じ込められてきたのである。そして、その創造は神の意思の働きと、神のみが定める目的のために行われたのである。人間の心は神の本質を理解しようと奮闘し、人間の舌は神の神秘を語ろうと努力する。しかし、神はこれらいかなる試みをもはるかに超越して崇高である。創造物を神に直接つなぐ交わりは存在しない。創造されたものの最も難解で深遠な引喩も神の存在を充分に言い表わすことはできない。森羅万象は、全宇宙にみなぎる神の意思によって創造されたのである。神は常に神の崇高にして不可分の本質の永遠なるいにしえの中に隠れ、接近し難い神の尊厳と栄光の内にとどまり給う。天上にあるすべてのものと、地上にあるすべてのものは神の命令によって創造され、神の意志にしたがって完全なる無の状態から存在の世に踏み入ったのである。ならば、神の言葉によって形を得た創造物がどうして日の老いたる者の性質を理解できようか。          

 

<149>

 この偉大なる日、天と地にあるすべてを完全に離脱し、神の聖なる啓示の黎明の場に心を向けるものは、すべてを知り、すべてに聡明なる主の御名の中のたった一つの名の威力により全創造物を征服する力を与えられよう。この偉大なる日において真理の昼の星は、過去のいかなる時代も見たことのないほどの光輝をこの世に注いだのである。このことを確信せよ。おお、人々よ。彼の栄光の光を浴び、無思慮なものであってはならない。

  

<150>

 勝利が到来するとき、あらゆる人々は信者であると告白し、神の信教の庇護のもとに急ぐであろう。世界を取り巻く試練の日々において大業に確固として耐え、その真理より踏みはずすことを拒否したものは幸いなり。

 



[1] 「この虐げられし者」:バハオラご自身を指す言葉

[2] トルコ帝国の首都、コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)

[3] バハオラに三度の追放を令したトルコ皇帝、ソルタン・アブドル・アジズ

[4] 「この虐げられし者」:バハオラご自身を指す言葉

[5] 「この若者」:バハオラご自身を指す言葉

[6] 「この若者」:バハオラご自身を指す言葉

[7] バブ

[8] バブの聖典

[9] バブの最初の18人の信者の称号

[10] バブ

[11] 「この若者」:バハオラご自身を指す言葉