落穂集(151-166)

<151>
おお、神のうぐいすたちよ。悲惨と不幸のとげといばらより自らを解放し、不朽の栄光の花園に向かって飛び立て。おお、塵の上に住まうわが友らよ。汝らの天上の住居に急げ。そして、つぎの吉報を自分自身に告げよ。「最愛なる御方が現われたのである。彼は神の啓示の栄光を冠とし、古来の楽園の扉を人類に向けて開け放ったのである」。すべての目は喜び、すべての耳は歓喜せよ。今や彼の美を凝視するときがきたのである。今や彼の声に耳かたむけるにふさわしいときが到来したのである。愛と切望を胸に抱くすべての人々に宣言せよ。「見よ、汝らの最愛なる御方は人類の前に出現したのである」。そして、愛の君主の使者たちに知らせよ。「見よ、あこがれの御方は完全なる栄光に飾られて出現したのである」。おお、彼の美を愛する人々よ。彼との別離の苦悶を永遠の再会の喜びに変えよ。彼の宮廷より遠く隔たっていることの苦痛を彼の面前に入ることの甘美により消滅させよ」。
見よ、聖なる栄光の雲より注がれる神の豊かな恩寵はこの日、全世界を取り巻いている。過ぎ去りし日、愛を心に秘めた人々は最愛なる者を必死に探し求めたのである。逆に、今日のこの日、最愛なる者が彼らに呼びかけ、愛を心に秘めた人々を御自分の面前に招集しているのである。この貴重な恩恵を放棄することのないよう注意せよ。彼の驚くべき恩寵の証を軽視することのないよう心せよ。不朽の利益を捨てるな。滅びる事物に満足するな。汝の目をくもらせているヴェールを取り除き、汝の視界をつつむ暗闇を追い払え。このことを成し遂げたならば、最愛なる者の御顔のありのままの美を見つめ、いかなる目もみたことのないものを見、いかなる耳も聞いたことのないことを聞くことができよう。
おお、死すべき運命にある小鳥たちよ。われに耳をかたむけよ。不変の光輝の花園に一輪の花が咲き始めている。それに比べれば他のすべての花はとげに過ぎず、その栄光の輝きの前では美の精髄も色あせてしぼんでしまう。それゆえに、心に秘めた情熱を奮い立たせ、魂に宿る熱意を呼び覚まして立ち上がれ。彼の面前の楽園に達することができるよう確固たる決意に身を固め、汝らの全存在を集中させて努力せよ。不朽の花の芳香を吸いこみ、神聖さの甘美な芳香を嗅ぎ、この天来の栄光の香りの分け前を獲得できるよう努力せよ。この勧告にしたがうものは自らをしばる鎖を引き裂き、愛の歓喜に身をゆだねる喜びを味わい、心の望みに達し、自らの魂を最愛なる者の手にゆだねるであろう。そして、精神の鳥のように、自らを拘束する鳥篭を破って神聖にして永遠なる巣に向けて飛び立つであろう。
夜を日に継ぎ、日を夜に継ぎ、こうして汝らの生涯は過ぎ去って行く。しかも、滅び行くものを一瞬たりとも離れることに同意するものは誰ひとりとしていない。汝らに残されている短い時間が浪費され失われないよう奮起せよ。汝らの日々は電光のように素早く過ぎ去り、汝らの身体は塵の天蓋の下に安置されてしまう。そうなったとき、汝らに何が達成できるというのか。また、過去の怠慢をどのようにして償うことができようか。
永遠のロウソクは、その栄光をさえぎるものなく輝いている。見よ、その炎は滅びる運命にあるすべてのヴェールを焼き尽くしている。おお汝ら、彼を愛し、彼の光に蛾のように引きつけられる人々よ。あらゆる危険をものともせず、すべてを焼き尽くす炎に汝らの魂を捧げよ。おお、彼を渇望する人々よ。世俗のあらゆる未練を捨て、最愛なる者を抱擁するために急げ。誰も比肩し得ない情熱をもって彼のもとに急げ。これまで人間の目より隠されていた花は汝らの目前に現わされたのである。彼はその栄光の光を公然と輝かせながら汝らの前に立っているのである。彼の声は神聖で聖別されたすべてのものに呼びかけ、人々を彼との融合の場に招集している。そこに向かうものは幸いなり。彼のもとに到達し、彼のすばらしい御顔より放たれる光を見つめるものは幸いなり。

<152>
汝らの眼はわが信託である。空虚な欲望の塵によってその輝きをくもらせてはならない。汝らの耳はわが恩恵のしるしである。不浄な動機より立ちのぼる騒音のために、全創造物をつつむわが言葉に耳をそむけてはならない。汝らの心はわが宝庫である。われがそこに秘蔵した真珠を、自我の反逆の手が強奪することをゆるしてはならない。汝らの手はわが慈愛の象徴である。われにより守り隠された書簡を握り締めようとする汝のその手をとめてはならない。求められないままに、われは汝らの上にわが恩寵を注いだ。乞われないままに、われは汝らの望みをかなえた。汝らはそれにまったく値しないにもかかわらず、われは汝らを選別し、計り知ることのできない最も豊かな恩恵を汝らに授けた…。おお、わがしもべらよ。大地のように忍従し、従順であれ。されば、わが知識の香り高い聖なるヒヤシンスが、汝らの存在の土壌より色とりどりに咲き誇るであろう。炎のように燃えさかれ。そして、その火炎により無思慮のヴェールを焼き尽くせ。また、神の愛の生命力あふれるエネルギーにより、冷えびえとしたかたくなな心に点火せよ。風のように軽く、自由であれ。されば、侵し難いわが聖所と、わが宮居の境内に入ることができよう。

<153>
おお、流浪の身であるわが忠実なる友よ。わが恩寵の聖水もて無思慮の渇きをいやし、わが神聖なる臨場の黎明の光により別離の暗黒を追放せよ。汝に対するわが不滅の愛が宿る住処を、強欲の暴虐に破壊させてはならない。自我と欲望の塵によってこの天来の若者の美を覆い隠してはならない。正義の真髄を自らの衣とせよ。汝の心は、神以外の何ものも恐れてはならない。汝の魂より湧きでる清水を、空虚にして過度な執着の茨でとめてはならない。また、汝の心の源泉より湧きでる命の泉の流れをさまたげてはならない。神にすべての望みをかけよ。神の確かな慈悲に全力をもってすがれ。貧困にあえぐものを富ませ、堕落の淵にしずむものを救済し得るものが神以外にいようか。
おお、わがしもべらよ。朽ちることのないわが隠されたる無限の富の大海を発見することができれば、汝らはこの世のものを、否、この全宇宙をもまったく価値のないものと見なすに違いない。 最も崇高にして至上なる目標に到達できるよう、心にともる探究の炎を赤々と燃焼させよ。その目標とは、最愛なる御方に近づき、融合できる地位に到達することである…。
おお、わがしもべらよ。栄光に満ち給う神に対する信仰の基礎を、空虚な望みや幻想によって弱めてはならない。何となれば、このような空想は人間にとってまったく無益であり、人間の歩みを正しき街道にみちびくことはできないからである。おお、わがしもべらよ。すべてを包含し、すべてを覆いつつむわが超越した主権の御手が鎖につながれていると思うなかれ。いにしえより絶え間なくすべてに差し伸べられてきたわが慈悲が止められたと思うなかれ。崇高にして、すべてにまさるわが恩恵の雲が人類に賜物を雨と降らせることをやめたと思うなかれ。神聖にして、抵抗し難いわが威力を宣言するすばらしき偉業の数々が退けられたと思うなかれ。人類の運命を方向づけるわが意志と目的の威力が阻まれたと思うなかれ。もしそう思うならば、なにゆえ、汝らは神聖にして恩寵に輝くわが顔の不滅の美を遮断し、人類の目にふれることをさまたげようと努力するのか。なにゆえ、汝らは栄光に満ち、全能なる神の顕示者がその啓示の光で地上を照らすことをさまたげようと奮闘するのか。もし汝らに公正な判断をなす能力があったならば、万物がこの新鮮にしてすばらしき啓示の喜びに酔い、この地上のすべての原子がこの啓示の栄光の光に照らされていることを容易に発見したであろう。汝らの心をめぐった想像、そして今も汝らの心に宿る想像はまことに空虚で卑しいものである。
おお、わがしもべらよ。汝らの歩んできた道をもどり、汝らの創造の源である者に心を向けよ。堕落した邪悪なる愛着から自らを救済せよ。神秘に満ち、超越したこの啓示のシナイ山に輝く不滅の炎の光明を求めて急げ。すべてを覆いつつむ原点なる神の神聖なる言葉を曲解してはならない。神の言葉の神聖さと崇高なる特質を汚してはならない。おお、無思慮な人々よ。すばらしきわが慈悲は、目に見えるものと見えぬもののすべての創造物を覆いつつみ、わが恩寵と恩恵の放出は、宇宙のすべての原子に浸透したのである。しかし、悪なる人々を罰するわが鞭(むち)はなおも恐ろしく、彼らに向けられるわが怒りの激しさはなおもすさまじいものである。虚栄と世俗の欲望から清められた耳をもって、慈愛を込めて汝らに示すわが忠告を聞き入れよ。内なる目と外なる目の両眼をもって、すばらしきわが啓示の証拠を検討せよ…。
おお、わがしもべらよ。神聖なる栄光のランプにともる光は燦然(さんぜん)と輝き、決して消えることのない光である。自らをこの光から遠ざけてはならない。神の愛の炎を汝らの輝く心に赤々とともせ。神聖なる導きをこの炎の燃料とし、この炎を汝の不動の精神の内に保護せよ。神に対する信頼と、神以外のすべてのものからの超脱をもってこの炎を守るほやとし、よこしまな人々の悪なるささやきがその光を消すことのないようにせよ。おお、わがしもべらよ。神の命令によるこの聖なるわが啓示は大海にたとえられよう。その深海には、無比の輝きを持つ高価な真珠が無数かくされている。探究者たるものの義務は、奮起してこの大海の岸を目指すことである。探求者は、神の隠されたる不変の書簡に前もって定められた利益を、その探究の熱意と努力に応じて得ることができよう。この大海の岸に誰も歩みを向けず、誰も立ち上がらず、誰も彼を発見するものがなければどうなるであろうか。このような事態におよんだとしても、この大海がその威力を奪われ、その宝庫の価値が少しでも減少すると言えようか。汝らの心が編みだし、今も編みだしつづけている空想は、いかに空虚で下劣なものであろうか。おお、わがしもべらよ。唯一真実なる神こそわが証人なり。波立つこの最も偉大な底知れぬ大海は、汝らに非常に近いところにある。それは驚くほど近いところにある。見よ、それは汝らの身体をめぐる動脈よりもなお近い。欲するならば、汝らはまばたく間にこの大海に到達し、その不朽のめぐみを手にすることができる。これこそは神の授け給う恩寵であり、不朽の賜物であり、最大の威力と、言葉に尽くせぬほどの栄光に満ちた恩恵である。
おお、わがしもべらよ。われは、わが恩恵と寛大さにより、汝らの魂に驚くべきものを託したのである。それがいかにすばらしいものであるかを理解できたならば、汝らはすべての創造物に対する執着を絶ち、自己をまことに知るに至るであろう。まことに自己を知ることは、われの存在を理解することに等しい。この状態に至り、汝らは、われ以外のすべてのものより独立した自己を発見する。そして、わが慈愛と恩恵の大海が、汝らの内に波うつ様子を見る。汝らは、それを内なる目と外なる目の両眼をもって、わが光輝なる名の出現を見るが如くはっきりと認めるであろう。汝らのむなしい妄想と、邪悪な欲望と、不実で盲目な心とによってこの高遠なる地位の輝きが奪われ、その神聖さが汚されることを決してゆるしてはならない。まことに、汝らは強力な翼を存分に羽ばたかせ、歓喜に満ちた完全な自信をもって無限の天空を舞う鳥の如くである。やがて空腹を覚える鳥は、下界の水と粘土を求めて地上に飛来する。しかし、そこで欲望の網に足を捕られた鳥は、以前いた領土に舞いもどる力を失ってしまう。羽を覆う泥は重くのしかかり、鳥は泥を払う力をもたない。かつては天界の住人であった鳥も、今や塵の中に住居を求めることを強いられるのである。したがって、おお、わがしもべらよ、むなしい欲望と強情の粘土で汝らの翼を汚してはならない。妬みや憎しみの塵の汚れを汝らの羽につけてはならない。これにしたがえば、神聖なるわが知識の天空に舞うことをさまたげられることは決してない。
おお、わがしもべらよ。神の威力と強大さを通じ、われは神の永遠なる大海の深海に隠されていた真珠を、神の知識と英知の宝庫より取りだし、汝らに示したのである。ヴェールに覆い隠されていた天の侍女たちをわれは召喚し、至上の威力と英知に満ちたわが言葉をもってその姿を着飾ったのである。さらに、われは神聖なる威力の御手により、わが啓示の選り抜きの美酒の栓を抜き、その隠された神聖なる芳香を全創造物の上にただよわせたのである。これこそは、すべてを超越し、すべてを覆う神の恩寵の大いなる放出である。これほどの恩寵を受け入れないものは、自分以外に誰を責めることができようか。これほどにまぶしい神の慈悲の光り輝く出現を受け入れないものは、自分以外に誰を咎めることができようか…。
おお、わがしもべらよ。わが心に輝くのは、神聖なる教導の朝日の不滅の光以外の何ものでもない。わが口より発せられる言葉は、主なる汝らの神が顕わし給う真理の精髄以外の何ものでもない。したがって、汝らは世俗の欲望を追ってはならない。神の聖約を侵してはならない。神に対する自らの約束を破ってはならない。確固たる決意と、自らの心に宿るすべての熱意と、自らの発言の最高の威力をもって彼に向かえ。愚かなるものの道を歩んではならない。この世はまったく空虚で、なかみのない見せかけの存在である。この世は現実であるように見えるが、その真相はまったくの無である。この世のものに愛着してはならない。汝らを創造主にむすびつける絆を絶ってはならない。過ちを犯し、神の道を遠くはずれるものとなってはならない。まことにわれは言う。この世は砂漠に出現する蜃気楼(しんきろう)にたとえられる。渇きにあえぐものはそこに水があると想像し、全力で蜃気楼を追う。しかし、そこに到達すると、それが幻影でしかなかったことを知る。さらに、この世は恋人の姿をうつした肖像にもたとえられる。命の宿らないこの肖像を求めて長く探究をつづけたものは、最後にこの事実を発見し、大いに失望する。つまり、それは彼の「欲求を増すことも、満たすこともできない」ものであるからである。
おお、わがしもべらよ。この地上での日々において、神が汝らの望みと異なることを定め現わしたとしても、それを決して嘆いてはならない。何となれば、汝らを待ち受けるのは幸福と喜びにあふれ、天来の歓喜に満ちた日々である。このことは確かである。神聖にして精神的な光に満ちた数多くの世界が汝らに明かされよう。今の世にいるときも、また、つぎの世に進んでからも、汝らはこれらの世界が提供する恩恵を享受し、その喜びを共有し、すべてを支えるその恩寵の分け前にあずかることができよう。これこそは神が汝らに定めた運命である。汝らはこれらの世界のすべてに到達できよう。このことには疑う余地もない。

<154>
おお、サルマンよ。他人の言葉や書物をあまり批判的な目で見ぬよう、唯一真実の神に愛されし人々に忠告せよ。むしろ、偏見のない広い心と、愛に満ちた同情の精神をもってこれらの言葉や書物に接するようにせよ。しかし、この日、煽動的な言葉をもって神の大業の教義を攻撃するものに対してはこれと異なる対応が求められる。神の信教を攻撃するものを論破することは万人に課せられた義務であり、各人は自分の能力の範囲でそうしなければならない。威力に満ち給う全能者はこのように命じたのである。唯一真実なる神の大業を推進しようと欲するものは、剣や暴力に訴えるのではなく、自らのペンと舌にたよれ。われは以前にもこの命令を発したが、ここに再びこの命令を確認する。汝、このことを理解することができたならば。この日、全創造物の最も内なる心から「神よ、あなたの他に神は存在しません」と叫ぶものの正義にかけてわれは言う。自らの書き記した文書をもって神の大業をその攻撃者から守ろうと立ち上がるものは、その貢献がいかに微細なものだとしても、天上の軍勢もうらやむほどの栄誉をきたる世において授けられよう。いかなるペンもその崇高な地位を描写することはできず、いかなる舌もその光輝を語ることはできない。この神聖にして、栄光に満ち、崇高なる啓示に確固不動たるものには、天と地のすべての勢力に立ち向かって耐えるほどの力が付与されよ。このことについては、神がわが証人なり。
おお、神に愛されし人々よ。創造者なる汝の主を認め、彼の身に降りかかったことを聞いたなら、長椅子に横たわるのではなく、直ちに奮起して彼の加勢に急げ。自らの舌を解き放ち、彼の大業を休むことなく宣言しつづけよ。こうすることは、汝らにとって過去と未来のすべての財宝にも増して価値のあることである。おお、汝ら、この真実を理解できたならば。

<155>
神がしもべらに定めた最初の義務は、神の啓示の曙であり、神の法の源泉であり、神の大業の王国と創造の世の双方において神の地位を代表する者を認めることである。この義務を果たしたものは、何人であれ、すべての善に達したものである。また、この義務を怠ったものは、いかなる良き行いの実行者であっても、道を踏みはずしたものである。この最も崇高なる地位、この超越した栄光の頂きに達したものに求められることは、世界の望みの的である者の法のすべてにしたがうことである。対(つい)をなすこれら二つの義務は不可分である。どちらも単独では受け入れられないのである。聖なる霊感の源である御方はこのように定めたのである。
神より洞察力を授けられたものは、つぎのことを容易に認めるであろう。神の定めた教えは、世の秩序の維持と人々の安全のための最高の手段である。神の教えに顔をそむけるものは、卑しく愚かなるものの内に数えられる。まことに、われは汝らに命ずる。自らの邪悪な情欲と腐敗した欲望の指図を拒否し、最も崇高なる者のペンが定めた限界を超えるな。何となれば、これらは全創造物への生命の息吹であるからである。神聖なる英知と言葉の大海は、慈悲深き御方の息の微風により湧き立っている。おお、理解ある人々よ。急ぎ行き、心行くまで飲むがよい。神の法を破ることによって神の聖約に違反し、背を向けたものは、嘆かわしい過ちを犯したものとして神の目に映るのである。神こそはすべてを所有し、最も高遠なり。
おお、世界の人々よ。このことを確信せよ。わが法は、わがしもべらに与えられたわが愛情あふれる摂理のランプであり、わが創造物に対するわが慈悲の鍵である。法はこのために啓示の主におわす汝らの主の御心の天上より下されたのである。御心によって慈悲者の御口より発せられた言葉の甘美を味わったものは、彼の恩恵に満ちた保護と慈愛の地平線上に輝く法の真実を一つでも立証するためであれば、たとえ地上の富をすべて所有していようとも、それをすべて放棄するであろう。
言挙げよ。わが法からは、わが衣の甘い香りがただよい、これら法の援助により勝利の旗は最も高い頂きに立てられよう。わが威力の舌は、わが全能なる栄光の天上より、つぎの言葉をわが創造物に対し語りかけたのである。「わが美を愛するがために、わが法にしたがえ」。この言葉には、いかなる舌も描写することのできない恵みの香りが満ちている。最愛なる御方の神聖なる芳香をこの言葉より嗅ぐことのできた愛するものは幸いなり。わが命にかけて言う。わが恵み深き恩恵の手より公平さの選り抜きの美酒を飲んだものは、わが創造の地平線上に輝くわが法のまわりを巡行するであろう。
われが単なる法典を現わしたと思うな。否、まさにわれは威力と強大の指により選り抜きの美酒の封を切ったのである。啓示のペンが書き記したことが、このことの真を証言する。これについて瞑想せよ、おお、洞察力ある人々よ…。
わが法が、わが発言の天上より太陽のごとく現われるとき、万人はそれに忠実にしたがわなければならない。たとえわが法があらゆる宗教の天界を粉砕するものであったとしてもしたがわなければならない。彼は望むままになし、また、彼は選び、誰も彼の選択に異論を唱えることは許されない。まことに、最愛なる御方の定めることは、そのまま愛されるものである。これについては、全創造物の主こそわが証人なり。慈悲に満ち給う御方の甘美なる芳香を嗅ぎ、この言葉の源泉を認識したものは、神の法の真を人々の間に確立するためであれば、敵の矢をも自らの目をもって受けとめるであろう。神の法に向かい、彼の決定的な命令の意味を理解するものは幸いなり。

<156>
永遠の真理なる者は、栄光の曙よりその目をバハの人々に向け、つぎのように呼びかけている。「汝らは、人の子の福利と平安の増進に取り組まなければならない。汝らは、自らの心と意志とを地上の民の教育にかたむけ、人類の分裂をもたらす不和が、最大名の威力を通じて、この地球上より排除されるよう努力しなければならない。されば、全人類は一つの秩序の支持者となり、一つの都市の住民となろう。汝らの心を照らし清めよ。憎しみの茨や、悪意のとげによって心を汚してはならない。汝らはみな一つの世界に生き、一つの意志の働きによって創造されたのである。至上の親切と愛の精神をもって万人と交わるものに祝福あれ」。

<157>
わが大業を教えひろめるために故郷をあとにしたものは、忠実なる精霊の威力により力づけられよう。わが選ばれし天使の一団が全能者、全賢者なる神の命令にしたがい彼らに付き添って行くであろう。全能者に奉仕する栄誉に達したものを待つ祝福は何と偉大であろうか。わが命にかけて誓う。いかに偉大なる行為もこの奉仕には匹敵しない。全能者におわし、威力に満ち給う神によって命ぜられた行為以外、まさにこの奉仕に比較し得るものは何もない。実に、この奉仕はあらゆる善行の王子であり、あらゆる立派な行為をかざる装飾である。至上なる啓示の発布者におわす日の老いたる者は、このように定め給う。
わが大業を教えひろめるために立ち上るものは、世俗の事物をすべて超脱し、常にわが信教の勝利を至上の目標とみなさなければならない。まことに、これは庇護された書簡に定められたことである。そして、自らの主の大業のために故郷を離れることを決心するとき、旅の最上のそなえとして神に全信頼を置き、美徳の衣で身をかざらなければならない。全能者にして、すべてに讃美される神はこのように定め給う。
神の愛に燃え、あらゆる創造物を放棄するなら、そのものの口をもれる言葉は聞き手に点火するであろう。まことに、汝の主は全知者にして、すべてに精通し給う。わが声を聞き、わが呼び声に応える者は幸いなり。まことに、それはわれに接近することを得るものである。

<158>
神はあらゆるものに対し、神の大業を教えひろめる義務を定めた。この義務の遂行のために立ち上がるものは、神の教えを宣布する前につぎのことをしなければならない。つまり、感受性をそなえた人の心をひくためには、まず、賞賛に値する高潔な特性をもって自らを飾る装飾としなければならない。これなくしては、聞き手に影響をおよぼすことは決して望めない。

<159>
人々の心の狭量について考えてみよ。彼らは自らを害するものを求め、利益となるものを捨てる。実に、これらは遠くさまよう人々である。あるものは自由を欲し、自由に振る舞うことを誇りとしている。これこそは無知の深みにある人々である。
自由は最終的には騒乱に至り、誰もその炎を消すことはできない。審判者にして全知者におわす御方はこのように警告する。自由の具現と象徴は獣である。人間にふさわしいことは、自分の無知から自分を保護できるような節度にしたがうことであり、悪事を働くものから自分を守ることである。自由により人は礼節を逸脱し、人間の地位の尊厳を侵害するに至る。自由は人間を極度の堕落と邪悪の状態に陥れる。
人類を、羊飼いの保護を必要とする羊の群れと見なせ。まことに、これは真実であり、疑う余地のない真理である。われは一定の状況のもとでの自由は是認するが、その他の状況においては許すことはない。まことに、われは全知者なり。
言挙げよ。真の自由は、わが命令にしたがうことにある。しかし、汝らはこのことに気づいていない。啓示の天上よりわれが下し与えたことを遵守するならば、人は完全な自由を必ず獲得することができよう。全創造物にみなぎる彼の意志の天上より現わされたあらゆるものの中に神の目的を発見することのできるものは幸いなり。言挙げよ。汝らを利する自由は、永遠の真理なる神に完全にしたがう以外にはどこにも見いだすことはできない。そして、一度その甘美を知ったものは、天と地のすべての主権をもってしても、それを交換することを拒むであろう。

<160>
この時代において、神の一体性をまことに信ずるものは誰か。それは、神が、人々の用いるあらゆる比喩や比較をはるかに超越する崇高なる存在であることを認めるものである。これらの比喩や比較を神御自身と取り違えるものは嘆かわしい過ちの中にある。名工とその製作物、もしくは画家とその作品の関係について考えてみよ。作者が自分の手で作り上げたものが作者と同等であると言えようか。天と地の王座の主にかけて言う。作品は、作者の優れた能力と技術の完成のほどを示す証拠でしかない。
おお、シェ?クよ。汝は自らの意志を捨て、神の御心を受け入れた。自我の滅却や神との永遠の融合の意味はつぎの通りである。つまり、自分の意志を神の御心に完全に融合させ、神の目的の前に自分の望みを完全に無と見なすことである。創造主によって命じられたことを創造物は熱心に遵守し、立ち上がって最高の喜びと熱意をもって実行しなければならない。自分の抱く空想によって判断力をくもらせてはならない。また、自分の想像を、永遠なる御方の声と取り違えてはならない。われは断食のための祈りにこのように著した。「御心によりつぎのような言葉があなたの御口をもれるとしたらどうなるでしょうか。『おお人々よ。わが美のために無期限の断食を実行せよ』。あなたの御栄光の崇高さに誓って言います。彼らはひとり残らず、命ある限り、この命令を忠実に守り、あなたの法に違反することを避けつづけるでしょう」。これこそが自分の意志を完全に捨て、神の御心にしたがうことの意味である。全人類の主の言葉を通じて流れでる永遠の命の清水を飲むことができるよう、また、唯一真実の神はその創造物を計り知れぬほど超越した存在であることを証言できるようこの言葉について熟考せよ。まことに、神は比類なき御方、永遠なる御方、すべてを知り、すべてに賢き御方におわす。完全なる自我滅却の地位は、他のいかなる地位にも増して崇高であり、永遠にそうありつづけるのである。
神の御心に自らを捧げよ。これこそが汝にとってふさわしい行為である。この書簡に記されたことは神の意志を反映するものである。汝の献身は、あらゆる世俗の欲望の痕跡を汝の心より洗い流すほどのものでなければならない。これが真の融合の意味である。
この道をきわめることができるよう神に祈願せよ。世界の人々をこの明白にして至上なる主権者のもとにみちびくことができるよう神に嘆願せよ。彼こそは独特の衣を着て出現し、神聖にして固有の教えを語る者なり。これこそが信仰と確信の本質である。自らの想像力が作り上げた偶像を内なる真実と崇めるものは、まことに無神論者の内に数えられる。慈悲に満ち給う御方は多くの書簡を通じてこの真実を証言した。まことに、彼こそはすべてを知り、すべてに賢き御方である。

<161>
汝の隣人を、慈悲に満ち給う神の法のもとにみちびくよう努力せよ。すべてを所有し、最も高遠におわす神の目には、このことこそが他のいかなる行為にもまさるものとして映るのである。世俗のいかなるものも、汝を自らの義務より引きとめることのないよう、汝は神の大業に確固不動でなければならない。地上の勢力が群をなして汝に刃向かっても、万人が汝に反対しても、汝の心は揺らいではならない。
神の教導の夜明けをもたらした者の教えを伝えるとき、縛られることを知らない風の如くあれ。しばし風について考えてみよ。風は神の命令にまったく忠実にこの地上の諸々の地に、つまり人の住む所にも、荒涼とした地にも吹きわたるのである。荒涼たる風景も、繁栄の姿も、風を苦しめたり喜ばせたりできない。風はその創造主に命じられるままにあらゆる方向に吹く。唯一真実の神を愛すると告白するものもこうでなければならない。自らの目を神の信教の基礎にしっかりと据え、その普及に勤勉に努力しなければならない。神のためにのみ彼の教えを宣布せよ。そして同様の精神をもって、自らの言葉が聞き手に呼び起こした反応を受け入れよ。神の教えを受け入れ信ずるものには、その報酬が与えられよう。また、それにそむくものは、自らの罰を受けるに過ぎない。
イラクを出発する前夜、われは忠実なる信徒たちに対し、暗黒の鳥たちの出現に注意するよう警告した。かの烏(からす)の声は近年すでに聞こえてきているが、疑いもなくその鳴き声は今後各地で聞かれよう。何事が起ころうとも、神が汝らを偽りものの策略より守り給うよう、唯一真実の神のもとに庇護を求めよ。
まことにわれは告ぐ。過去のすべての宗教制はこの最も強大なる啓示において、その最高かつ最終の極点に達したのである。すべてを知り、すべてに賢き汝らの主はこのように忠告する。諸々の世の主におわす神に讃美あれ。

<162>
慈悲に満ち給う御方は人間に視力を与え、聴覚を授けたのである。あるものは人間を「小世界」と称した。しかし、まさに人間を「大なる世界」とみなさなければならない。人間の地位にそなわった潜在力は、神の約束されたこの日において顕わされるであろう。また、この地上における人間の運命の全貌も、そして、人間の実体に宿る天性の卓越性も、すべてこの約束の日において顕わされるであろう。
最も高遠なる者のペンは、いかなる状態にあっても常に、彼の愛する人々を喜びといたわりとをもって思い起こし、彼の道にしたがうよう彼らに勧告してきた。この世の変化と偶然によっても、神の一体性の曙を認めることをさまたげられないものは幸いなり。揺ぎない決意を抱き、御自力にて存在し給う御方の御名において、彼の啓示の選り抜きの美酒を飲み干したものは幸いなり。そのようなものは、諸々の世の主におわす神の書に、楽園の住人と共に数えられよう。

<163>
この世を飾り、装飾を施した神に讃美あれ。地上のいかなる権力もこの装飾を奪い去ることはできない。いかに強力な軍勢を有するものであっても、その富がいかに膨大であっても、その影響力がいかに強大であってもこの装飾を奪うことはできない。言挙げよ。権力の真髄は、創造の最高かつ究極の目的である神に属する。あらゆる主権の源は、天と地にあるすべてのものの崇敬の的である神に属する。本来、この塵の世に由来するいかなる勢力も何ら評価に値しない。
言挙げよ。この鳥たちの命を養う泉はこの世に属するものではない。この泉の源泉は人間の理解力の届くところをはるかに超えたところにある。神の純白の手が灯した光を誰が消すことができようか。すべての力を有し、すべてを服従させる全能者におわす主の威力により燃え盛る炎を、誰が消すことができようか。否、聖なる威力の手は不和の火炎を鎮火させたのである。彼は欲するままになし給う御力の御方におわし、彼が「在(あ)れ」と発すれば、その通りのことが実現する。言挙げよ。この世の強風や竜巻をもってしても、また、世俗の人々をもってしても、決してわが選ばれし人々の岩のような安定を支える基礎を揺るがすことはできない。おお、神よ。この人々は何が原因で永遠なる真実におわす御方に愛されし人々を捕らえ、牢に押し込めたのであろうか…。忠実なる人々が、栄光の黎明の場より燦然と輝きでる正義の昼の星を目の当たりにするときが迫りきている。すべての存在の主なる者は、この悲惨な牢獄にあって汝らをこのように指導するのである。

<164>
おお、人類を構成する人々よ。何者にも切断されない綱にしっかりとすがれ。実に、これは生涯を通じて汝らに利益をもたらすものである。なぜなら、その力は諸々の世の主におわす神に由来するからである。正義と公正にすがり、愚者のささやきより顔をそむけよ。愚者とは、神のもとを遠く離れ、学問の装飾で頭上を飾りながら、英知の源である者に死刑の宣告を下すものらである。彼らは、わが名により、高き地位に引き上げられたのである。にもかかわらず、われが彼らの眼前にわが姿を現わすや否や、彼らは明白なる不正をもってわれに死刑の宣告を下した。このようにしてわがペンは真実を明かす。しかしながら、人々はなおも無思慮の内にある。
正義にすがるものは、いかなる場合にも中庸の範囲を超えてはならない。正義にすがるものは、すべてを見給う御方の教導により、万物の中に真理を発見するであろう。技術や科学を推進する学識者がしばし自慢の種とする文明も、中庸の域を逸脱することがゆるされれば、文明とて人類に大いなる悪をもたらすであろう。全知者は汝らにこのように警告する。中庸が守られるとき、文明は最も豊かな善の源泉となる。しかし、極端に走れば、文明は同様に大量の悪の源泉となろう。おお、人々よ。このことについて熟考し、過ちの荒野を混乱に覆われてさまようものとなるな。文明の火炎が都市を飲み込む時が近づきつつある。その日、荘厳なる舌はこう宣言するであろう。「御国は神に属し、神こそはすべてに讃美される全能者なり」。
中庸の原則は他のすべての事柄にも適用される。このすばらしき書簡に汝らを記憶する汝らの主に感謝せよ。栄光の王座の主におわす神に讃美あれ。最も高遠なる者のペンが顕わしたことを心の中で熟考し、その甘美なる味を覚えたものは、自分自身が空となり、自らの欲望から解放され、全能者の意志に完全に従順となった自己を必ず発見するであろう。これほど高遠な地位に達し、これほどのめぐみに満ちた恩寵を逸することのないものは幸いなり。
この日、恐怖に襲われ、自らの信仰をかくそうとするものの行為を、われは容認することはできない。同様に、大業への忠誠を騒がしく主張するものの行動をも、われは是認しない。両者とも英知にしたがい、信教の最善の利益を促進するために不断に努力しなければならない。
汝らみな、この虐げられし者の行動を観察して熟考せよ。この啓示の誕生より現在に至るまで、われは敵から身を隠すことも、友との交遊から身を引くことも、常に拒んできた。数限りない苦悩と苦しみに取りかこまれながらも、われは最強の確信をもって地上の人々を栄光の曙のもとへと召喚した。最も高遠なる者のペンはこれと関連して、自らに降りかかった苦悩を述べることを良しとしない。それらを明かすことは、敬愛の的である信徒たちを悲しみに陥れ、神の一体性をまことに支持し、神の大業に完全に献身する人々が悲嘆に打ちひしがれることになる。まことに、彼こそは真実を語り、すべてを聴き、すべてを知り給う御方である。
この聖地はあらゆる聖典にその名が記され、賞賛されている。神の預言者たちや、神の選ばれし人々はこの地に出現したのであった。神のすべての使者はこの荒野をさまよい、彼らの叫ぶ「おお、わが神よ。われここにあり、われここにあり」の声はこの地より上がった。これこそは、神の啓示におわす者が出現する運命にあった約束の地である。これこそは、神の知られざる定めの谷であり、純白の地点であり、薄れることのない光輝の地である。この日の出来事はすべて、昔よりの聖典に予告されている。同時に、これらの聖典は一致してこの地に住む人々を非難している。この地の人々は、ときには「毒蛇の世代」の汚名を被った。そして見よ、この虐げられし者を。彼はこの「毒蛇の世代」に包囲されながら、なおも声たからかに万人を召喚し、この世の究極の希望の的であり、栄光の頂点であり、その曙である者のもとへと人々を呼びよせているのである。言葉の王国の主なる者の声に耳をかたむけるものは幸いなり。そして、彼の真理より遠く迷いでた無思慮なものは不幸なり。

<165>
このことを知得せよ。聴力あるすべての耳は、それが純粋で汚れのないものであれば、四方にとどろくつぎの聖句を語る声を常に聞くであろう。「まことに、われわれは神に属し、神のもとへと帰らん」。肉体の死と、人間の帰還に係わる神秘は明かされておらず、それは未だ解読されないままである。神の正義にかけて誓う。もしこれらの神秘が解き明かされるならば、あるものは恐怖と悲しみのあまり息絶えてしまうであろう。他方、あるものは非常な喜びに満たされ、そのため、死を渇望し、切なる思いをこめて、自らの死期を早めるよう唯一真実の神に絶え間なく嘆願するであろう。神の栄光は高遠なり。
確信を得た信者に対し、死は生命そのものの聖杯を提供する。死は喜びを与え、歓喜を運ぶ。そして、死は永遠の生命の賜物を付与する。
唯一真実の神を認識することこそが地上での生活の果実である。神の栄光は高遠なり。この果実を味わったものの死後の生については、それはわれが叙述し得ないほどのものである。その知識は、諸々の世の主におわす神のみにある。

<166>
一千年が完全に経過する前に、神より直接の啓示をたずさえてきたと主張するものはまさしく虚偽を語るいつわりものである。そのような主張を撤回し放棄するよう神が恩寵深く援助し給うことをわれは神に祈る。もしそのものが悔い改めるならば、無論、神は彼を許すであろう。しかし、もし過ちに固執するならば、神は必ずそのものを容赦なく扱うものを遣わすであろう。罰することにおいて、まことに神は恐るべき御方である。この言葉をその明白な意味以外に解釈するものは、万物を取り巻く神の慈悲と精霊から見放されたものである。神を畏れ、自らの愚かしい妄想にしたがうことなく、全能にして聡明なる汝らの主の命に服従せよ。

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