バハオラの書簡(アグダスの書の後に啓示されたもの) (上)

第一章 ローへ・カルメル (カルメルの書簡)
ローへ・カルメル(カルメルの書簡)

この日に賛美あれ。この日こそは、慈悲の芳香が全創物の上を漂った日であり、過ぎ去ったいかなる時代も及ぶことのできない日、そして日の老いたる御方の御顔が彼の聖なる座へ向けられた日である。ここに全創造物の、そしてその彼方からは天上の群集の高らかに叫ぶ声が聞かれた。「急げ、おおカルメルよ。見よ、名の王国の統治者にして天の造物主なる神の御顔の光は汝の上に投げかけられた故に。」

歓喜に我を忘れ、カルメルは声高らかに叫んだ。「私の命があなたへの犠牲とならんことを。なぜなら、あなたは私を見つめ、あなたの恩恵を授け給い、あなたの歩みを私の方へ向け給うたが故に。おお、永遠の生命の源なる御方よ、あなたからの隔離で私はもはや焼き尽くされ、あなたのおそばから遠く離れることにより私の魂は焼き尽くされてしまいました。あなたに賛美あれ。なんとなれば、あなたの呼び声に私の耳を傾けさせ、あなたの足音で私に栄誉を授け、あなたの日から漂う生命を与える芳香と、あなたの民の間であなたのラッパの音と定め給うたあなたのペンのかん高い声により、私の魂を活気づけ給いました故に。そして、あなたの抵抗できない信教の啓示の時がやって来ると、あなたはあなたの精神の息吹をそのペンに吹き込まれました。すると、見よ、全創造はまさにその基盤より揺り動かされ、全創造物の所有者なる御方の宝庫に隠されていた神秘は人類に明かされたのです」。

カルメルの声がその最も崇高なる場所へ届くやいなや、我はこう応えた。「汝の主に感謝せよ、おおカルメル[一]よ。わが存在の海が汝の面前でうねり、汝の眼と全創造の眼を慰め、全ての見えるものと見えないものを喜びで満たした時、我よりの隔離の炎は汝を焼き尽くしつつあった。この日、神は汝の上に神の玉座を確立し、汝を神の印の黎明の場となし、神の啓示の証拠の曙となし給うた。それ故、大いに喜べ。汝の周りを巡り、汝の栄光の啓示を宣言し、汝の主なる神より汝に与えられた、溢れんばかりの恩恵について述べる者は幸いである。栄光に満ち給う汝の主の名において不滅の聖杯をつかみ、主に感謝せよ。なぜなら、主は汝への慈悲の印として汝の悲しみを喜びに変え、汝の嘆きを転じて至上の歓喜へとなし給うたのであるから。まことに主は、御自身の玉座を据え、主の足が踏み入れられ、主の来訪によって栄誉を与えられ、主が呼び声をとどろかせ、主が涙を流し給いしこの地を愛される。

「おお、カルメルよ、シオン[二]に呼びかけ、吉報を告げよ。人類の目から隠されていた御方は今や出現した!すべてを征服する彼の主権は現され、すべてを包みこむ彼の光輝は明示された。ためらったり、立ち止まったりすることなきよう注意せよ。急ぎ行きて、天より降りてきた神の都の周りを駆け巡れ。この神の都とは、神の寵愛を受けた人々、心清き人々、そして最も崇高なる天使の集合が崇敬にその周囲をかけ巡った天のカーバである。おお、この啓示の吉報を地上のあらゆる場で告げ、その一つ一つの都市にあまねく伝えることを我は切に願う。この啓示にシナイ[三]の心は魅惑され、この啓示の名において燃える柴[四]はこう叫んでいる。「天と地の王国は、主の中の主におわす神に属す。」まことにこの日こそは地と海とがこの吉報に歓喜する日である。そして、人間の知性や心の理解力を超える恩恵をもって神が啓示のために定め給うたものは、この日のために蓄えられてきたのである。やがて神は、汝の上に神の箱舟[五]を走らせ、名称の書で述べられたバハの人々[六]を現されるであろう」。

全人類の主は神聖なり。主の名が述べられるやいなや、地上のすべての原子は震動し、壮大なる舌は、主の知識に包まれ、主の威力の宝庫に隠されていたものを明かされたのである。まことに彼こそは、強大にして力に満ち、最も高遠なるその御名の力によって天と地にある全てのものを統治し給う御方なり。

第二章 ローへ・アクダス (最も聖なる書簡)

ローへ・アクダス(最も聖なる書簡)[七]

これは、世界の崇敬の的なる御方の方へ顔を向けた者へ送られた、聖なる王国からの最も神聖なる書簡である。その御方とは、超越した栄光を与えられ、永遠の天からやって来た御方である。

偉大なる栄光の主の御名において

これは、名前のベールによって天と地の創造主なる神から遠ざけられることのなかった者に宛てられた、わが存在からの書簡である。それによって苦難の中の救助者におわし、ご自力にて存在し給う御方なる主の日々において、その者の眼が活気付けられんがために。

言挙げよ、おお子[八]の信奉者たちよ!わが御名のために我から汝ら自身を閉め出してしまったのか。汝らの心の内で熟考しないのか。汝らは日夜、全能者なる主を求めていたのに、彼がその偉大なる栄光において永遠の天からやって来られると彼より顔をそむけ、無頓着の底に沈んだままであった。

聖霊[九]が明らかな統治権をもってやって来た時、彼を拒否した人々のことを考えてみよ。彼からの別離を嘆きつつ、彼の名のシナゴーグ[一〇]に引きこもったパリサイ派の人々がどれだけいたことか! しかし、再会の門が広く開け放たれ、聖なる発光体が美の夜明けからまぶしい輝きを発した時、彼らは、崇高で強大なる御方である神を信じなかった。彼の到来はイザヤの書においてだけでなく、預言者や使者たちの書においても彼らに対して約束されていたにもかかわらず、彼らは彼の面前に達することができなかった。人々の間で権力を持たなかった人々の他は誰も、神の恩恵の夜明けに顔を向けなかった。しかし、今日では権力を授けられ主権を与えられた者はみな、彼の名を誇りとしている。さらに、イエスに死刑を宣告した者のことを思い出してみよ。イエスの母国においてその時代に最も学識あるものであったその者ではなく、一介の漁夫に過ぎなかった者[ペテロ]がイエスを信じたのである。十分用心し、警告に従う者であれ。

同じ様に、今日、どれだけ多くの僧が、聖霊を求めて教会の中に引きこもりながらも、真理の力によって彼が現れされた時は彼に近づくことができず、道から遠く逸れてしまった人々として数えられているか考えてみよ。彼らを見捨て、天と地にある全ての人々の望みである御方に顔を向けた人々は幸いである。

彼らは福音書を読み、栄光に満ちた主が彼の崇高なる力と、彼の強大で慈悲深い支配の力を通して現れされたにもかかわらず、彼を認めるのを拒んでいる。まことに我は汝らのために来、汝らを救済するためにこの世の不幸に耐えた。汝らは汝らを目覚めさせるために命を犠牲にした御方から逃げるのか。おお、聖霊の信奉者たちよ。神を畏れよ。そして、道から逸れた聖職者のように振舞うな。彼は常に敵の剣によって脅かされているが、汝らは彼が自分の利益を求めていると思っているのか。また、彼は都市の中でも最も荒れ果てた所に投獄された後、世俗的虚栄を求めたと思うのか。汝ら、公平に判断せよ。そして、不正なる人々のような行いをするな。

汝らの心の扉を開け。聖霊なる御方はまさにその扉の前に立っておられる。汝らを輝かしい場に導こうとされた御方をなぜ遠ざけるのか。言挙げよ。まことにわれは、汝らのために御国の門を開けた。わが顔の前で汝らの家の戸を閉じるのか。これこそ重大な過ちに他ならない。まことに、彼は天よりやって来た。ちょうど最初にやって来たときのように。昔の人々が彼の発言に異義を唱えたように、彼が宣言することに異義を唱えることがないよう注意せよ。真実なる御方はこのように汝らに指図された。汝ら、もしそれを理解するならば。

ヨルダン川は最大の海へとつながり、子は聖なる谷において叫ぶ。「我はここにあり。我はここにあり。おお主よ、わが神よ。」そして、シナイは家の周りを回り、燃える柴は、「望みの御方はその超越した威厳においてやって来られた。」と大声で叫んだ。言挙げよ、見よ。父はやって来られた。そして、御国において汝らに約束されたことは果たされたのである。これが、彼が彼の周りに居た人々に、「汝らは今、それに耐えることができない。」と言った時、子が隠した言葉である。そして、約束された時が来て、時が満ちた時、言葉が神の意志の地平線上に輝き出たのである。おお、子の信奉者たちよ。それを投げ捨てることがないよう注意せよ。これにしっかりとつかまれ。これは汝らが所有する全てのものにもまして良いものである。まことに彼は善行をなす人々のそばにいる。我が、地上の人々や寵愛を受けた天使たちの知識から隠していた時はやって来たのである。言挙げよ。まことに彼は我について証言し、われは彼について証言する。まことに、彼が意図し給うたものはわれ以外の何ものでもないのである。これについては公平な心と理解力あるあらゆる者が証言する。

数え切れぬ苦難に悩まされながらも、我は名の主である神に人々を召喚する。言挙げよ。神の書で汝らに約束されたものに達するために努め、無知なる人々の道を歩むな。汝らが自我の束縛から解放されるよう、わが肉体は投獄に耐えてきたのである。それゆえ、汝らの顔を彼の顔に向けるがよい。そして、悪意に満ちた圧制者の後を追うな。まことに、汝らが栄光を得るようにと、彼は大いなる卑しめを受け入れた。しかるに、汝らは無頓着の谷に遊び惚けている。汝らは自分の宮殿に住んでいるのに、実に彼は汝らのために最も荒れ果てた住まいに住んでおられるのである。

言挙げよ。バヤンの荒野において大声で叫び、全てに慈悲深き御方なる汝の主の到来という吉報を告げるふれ役人の声に耳を傾けないのか。見よ。彼は決定的証拠を携えて、証言の庇護を受けてやって来た。そして、彼を真に信ずる人々は彼の存在を神の御国の権化と見なすのである。彼に面を向けた者は幸いなり。彼を否定したり、疑ったりする者に災いあれ。

聖職者たちにこう告げよ――見よ!統治者なる御方がやって来られた。あらゆる者の頭を下げさせる御方なる汝らの主の名において、ベールの後ろから歩み出でよ。そして、この強力で栄光ある啓示の吉報を全人類に宣言せよ。まことに、真理の御霊なる御方は汝らを全ての真理に導くためにやって来た。彼は自らに促されて語るのではなく、全知にして全てに賢き御方に命ぜられて語るのである。

言挙げよ、この御方こそ、子に栄光を与え、その大業を賛美した御方なり。おお、地上の人々よ、汝らの所有するものを放棄し、神の信託を受けた者である御方、力に満ちた御方が汝らにお命じになったものにしっかりとつかまるがよい。汝らの耳を清め、心を彼の方に向けよ。そうすれば、最も栄光ある御方なる汝らの主のお住まいであるシナイからあがった最も驚異的な叫びに、汝らは耳を傾けることができよう。それはまことに、この輝かしい地平線上に輝く彼の御顔の光輝を知覚できる場所に汝らを近付けるであろう。

おお、聖職者の群衆よ!鐘を置いて教会から出でよ。国々の間で最大名を大声で宣言することは、今日、汝らにふさわしいことである。あらゆる石や樹は、「主は、その偉大なる栄光においてやって来られた!」と大声で叫んでいるというのに、汝らは沈黙を好むのか? 彼のもとへと急ぐ者は幸いなり。まことに、そのような者は、自分の名が永遠に記録され、天上の群衆によって語られる人として数えられる。この驚くべき書簡において、それはかくのごとく聖霊によって定められた。わが名において人々を呼び出す者は、まことにわれのことを語るものであり、地上のいかなる力も及ばぬ力を示すであろう。主の道を進み、無頓着の底に沈んでしまった人々のような振舞いをするな。神の微風によって奮起させられ、主の道に歩みを向けながら、死人の中から起き上がった眠りにあった人は幸いである。まことに、そのような者は、真なる御方である神の目において人々の間の宝石として見なされ、この上なく幸福な者として見なされる。

言挙げよ――東洋では彼の啓示の光が差し、西洋では彼の統治権の印が現れた。これについて心の中でよく考えてみよ、おお人々よ。そして、すべてに称えられ、全能なる御方である彼の警告に耳を傾けない人々のようであるな。神の微風によって目覚めよ。まことに、それは世界中に漂った。その芳香を嗅ぎつけ、確信を持った者として見なされた者は幸いである。

おお、牧師の群衆よ!汝らはわが知識の天の星である。わが慈悲は、汝らが地に落ちるのを望まない。しかしながら、わが正義は宣言する。「これは、子が命じたことなり。」と。そして、潔白で、真実を語り、信頼できる彼の口から発せられたことは何であれ、決して変更することはできない。まことに、それらの鐘はわが名を鳴り響かせ、われのことを嘆き悲しむが、わが精神は明らかな喜びに歓喜する。すべてに慈悲深き御方の道において、愛される御方の身体は十字架を切望し、彼の頭は槍を欲する。圧制者の優勢は彼をその目的から引き離すことは決してできない。我は全創造物に対し、すべての名の王、汝らの主の面前に達するように呼びかけた。自らの顔を審判の日の主なる神に向けた者は幸いなり。

おお、修道士の群衆よ!もし汝らがわれに従うことを選ぶなら、われは汝らをわが御国の相続人となすであろう。そして、もし汝らがわれに叛くなら、われはわが忍耐においてそれを辛抱強く耐えよう。われはまことに、常に許し、すべてに慈悲深き者なり。

おお、シリアの地よ!汝の公正さはどうなったのか。汝はまことに、汝の主の足跡によって高潔にされている。汝は天の再会の芳香に気づいたか、それとも無頓着な者として見なされるか。

ベツレヘムは神の微風によって奮い立っている。われは、彼女がこう言っているのを聞いた。「おお、最も寛大なる主よ!あなたの偉大な栄光はどこに確立されているのでしょうか。あなたからの隔離で溶かされた私はあなたの存在の甘い香りによって活気づけられました。ベールを挙げ、明らかな栄光の力をもって来られたあなたに賛美あれ。」われは、威厳と壮大の幕屋の後ろからこう彼女に叫んだ。「おお、ベツレヘムよ!この光は東洋で昇り、西洋へ向かって進み、最終的に汝の所へ到達した。それでは、われに答えよ。子らは父を認め、承認するのか、それとも、以前に人々が彼(キリスト)を否定したように、父を否定するのか。」そこで、彼女は、「あなたこそはまことに、全知にして、全てに精通なさる御方です。」と叫んだ。まことに、われは、全創造物がわれについて証言させられたのを見る。あるものはわれを知り、証言する。しかし、大部分は証言はしても、われを知らずにいる。

シナイ山は、わが顔を見た喜びで奮い立っている。彼女は、主を賛美するためにその魅惑的な声をあげて、言った。「おお主よ!私はあなたの衣の芳香を感じます。神の印を授けられたあなたが近くにいらっしゃると思います。あなたは、あなたの足跡によってこれらの地域を高潔にされました。あなたの民への祝福は大きい。もし彼らがあなたを知り、あなたの甘い香りを吸い込むことができるなら。そして、深い眠りにある者らのなんと哀れなることよ。」

わが顔に己の顔を向けた汝は幸いである。なぜなら、汝はベールを引き裂き、偶像を粉々にし、汝の永遠なる主を認めた故に。コーランの民はなんらの明白な証拠もなしにわれに対して立ち上がり、常に、休みなくわれを苦しめた。彼らは、苦難によってわが目的を挫くことができるとたわいない想像をしている。彼らの想像のなんと空虚なことよ。まことに、汝の主こそは、望み給うことのすべてをお命じになる御方なり。

わが心はいかなる樹木に対しても、「ああ、わが名において汝が切り倒され、わが身体が、汝の上にはりつけにされるなら。」と、語りかけることなく通り過ぎることはない。この節が、諸々の宗教の信奉者たちに忠告としての役割を果たすようにと、われはペルシャ国王への書簡の中でこの節を啓示した。まことに、汝の主は全知にして全てに賢き御方なり。

彼らが犯したことによって煩わされるな。まことに、彼らは死んでいるに等しく、生きてはいない。彼らを死人にゆだね、世界に生命を与える御方の方へ汝の顔を向けよ。無頓着な人々の発言が汝を悲しませることなきよう警戒せよ。大業に確固とし、最高の英知を持ってその人々に布教せよ。天と地の統治者はかくのごとく汝に命じる。彼はまことに全能にして最も寛大なる御方なり。やがて、神は汝の記憶を賛美し、神の愛のために汝が発したことを栄光のペンをもって記されるであろう。彼はまことに、善行をなす人々の保護者であり給う。

わが記憶をモラードという名の者に与え、言え。「汝は幸いなり、おおモラードよ。なぜなら、汝は己の欲望の誘惑を投げ捨て、全人類の望みである御方に従ったのであるから。」

言挙げよ。わがそよ風によって覚醒させられた、眠りにあった人は幸いである。復活をもたらすわが息吹によって活気づけられた死人は幸いである。わが栄光と威厳の大聖堂へ己の歩みを向ける旅人は幸いである。わが天蓋のもとに避難を求める、苦悩する者は幸いである。わが慈愛の、穏やかな流水へと急ぐ、ひどく喉の渇いた者は幸いである。われへの愛のために利己的欲望を捨て、われの選んだ人々のため、我が聖なる恩恵の天から送った宴の座に席をとる、飽くことを知らない者は幸いである。わが栄光の網にしっかりとつかまる卑下された者、わが富の大聖堂の下陰に入る困窮者は幸いである。わが知識の泉を求める無知な者、わが記憶の網にしっかりとつかまる無頓着な者は幸いである。わが蘇生の息吹によって蘇り、わが天上の王国へ入ることを許された者は幸いである。われとの再会の甘い香りによって奮起させられ、わが啓示の夜明けへと近づいた者は幸いである。壮大さと統治権を与えられた、偉大な栄光と威厳をもち給う主御自身の述べられたことを聞いた耳、その主について証言した舌、その主を見、認識した目は幸いである。彼の面前に達した人々は幸いである。わが言葉の太陽から啓発を求めた者は幸いである。わが愛の王冠で己の頭を飾った者は幸いである。わが嘆きを聞き、わが人々の間でわれを援助するために立ち上がった者は幸いである。わが道に己の命を捧げ、わが名のために様々な苦難に耐えた者は幸いである。わが言葉を確信し、わが賛美を祝うために死人の中から起き上がった者は幸いである。わがすばらしき旋律によって魅惑され、わが威力の力を通してベールを引き裂いた者は幸いである。わが聖約に確固とし、世俗のことによってわが神聖の宮廷に達することを妨げられなかった者は幸いである。われ以外の全てから離脱し、わが愛の大気へと舞い上がり、わが王国へ入り、わが栄光の領土を凝視し、わが恩恵の活水を飲み、わが愛しの摂理の天の川から存分に飲み、わが大業に精通し、わが言葉の宝庫にわれが隠したことを理解し、われを賛美することに従事した、聖なる知識の地平線から輝き出た者は幸いである。まことに、そのような者はわれのものである。わが慈悲と慈愛、わが恩恵と栄光はその者の上にある。

第三章 べ シャラトの書簡 (吉報)


べ シャラトの書簡 (吉報)

これは、「アッカの牢獄」の「最高の地平線」から宣言された「栄光に満ちた御方」の「叫び」である。

「彼」こそは解説者であり、すべてを知り、全てに精通する御方なり。

「真なる御方」である神と、その神の名と属性を「啓示する者たち」は次のことを証言する――われが「叫び声」をあげ、神の荘厳なる「言葉」を宣言する唯一の目的はここにある。すなわち、全創造の耳が神の発言の活水によって作り話から清められ、「天の造物主」と「名前の創造者」の知識の貯蔵庫から発せられた神聖で栄光ある、高尚な「言葉」に調子を合わせるようにすることである。公平に判断する者らは幸いである。

おお地上の人々よ!

第一の吉報

この「最も偉大な啓示」において「母なる書」が地球の人々に与える第一の吉報は、聖なる戦の法は「この書」から消し去られたということである。慈悲深き御方、恵み深き主に栄光あれ――「彼」を通して天の恩恵の扉は天と地に住む全ての物の面前に開け放たれたのである。

第二の吉報

地球の民族や親族には喜びと輝きをもって互いに交わることが許される。おお人々よ!あらゆる宗教の信奉者らと友好と親善の精神をもって交われ。神の認可と権威の太陽はかくのごとく諸々の世界の主なる神の命令の地平線上に輝き出た。

第三の吉報

第三の吉報は様々な言語を学ぶことに関するものである。この命令は以前に「最も高遠なる御方」の「ペン」から発された。ともに協議し、世界各地の学校で教えるべき言語を現存するもののひとつを採用するか、あるいは、新しい言語を採用することは、世界の君主たち――神が彼らを援助されんことを――や地上の大臣たちにふさわしいことである。共通文字についても同じである。こうして全地球はひとつの国と見なされるようになるであろう。神の「呼び声」に耳を傾け、「強力なる玉座の主」なる神によって命ぜられたことに従う者は幸いである。

第四の吉報

もし国王たち――神が彼らを助け給わんことを――のうち誰かがこの虐げられた民を保護し助けるために立ち上がったなら、あらゆる者は競って彼を愛し、仕えようとせねばならない。これはあらゆる者の義務である。これに応じて行動する人々は幸いである。

第五の吉報

この人々が住むあらゆる国で人民はその国の政府に対し忠誠と正直と誠実をもって振舞わねばならない。これは、「命じ給う御方」、「日の老いたる御方」の命令によって啓示されたことである。

永遠なる神の「意志」の天から下されたこの重要な「大業」に援助の手をさしのべることは、地上のあらゆる人々に課された義務である。そうすれば、地上の人々の心中に燃える敵意の火は神の英知の活水と天の忠告や勧告によって消し去られ、和合と調和の光が輝き出し、地上にその輝きを放つであろう。

神――その栄光に誉れあれ――の権力の代表者である人々の熱心な努力によって、世界中の武器が世界再建の道具に変えられ、争いや不和が人々の間から取り除かれるようにという望みをわれは心に抱く。

第六の吉報

第六の吉報は「小平和」の確立であり、これに関する詳細は以前にわが「高貴なるペン」によって啓示された。それを支持し、全知にして賢明なる神によって命ぜられたあらゆることに従う者の祝福は大いなるものである。

第七の吉報

服装の好みやひげの切り方、その手入れについては人々の分別に任される。しかし、おお人々よ、汝ら自身が無知なる者らの遊び道具にされぬよう注意せよ。

第八の吉報

「聖霊」[一一]――彼の上に神の平穏あれ――の信奉者らの内の修道士や聖職者たちの敬謙な行為は神の面前において記憶されている。しかし、この「日」において、彼らは隠遁生活をあきらめ、広々とした世界へと歩みを向け、自らと他人のためになることに没頭せねばならない。彼らが、目に見えるもの、見えざるものの主であり、高尚なる玉座の主なる神のことを述べる者を産み出すように、われは彼らが婚姻することを許可した。

第九の吉報

罪人が神以外のすべてのものから離脱し、解放された時、その罪人は神から許しを乞い求めるべきである。罪や犯罪について人間の前で告白することは許されない。なぜならそれは、これまで、聖なる許しに寄与したことは決してなかったし、これからもそうなることはないからである。さらに人々の前でそのように告白することは人の屈辱と卑下につながり、神――その栄光に誉れあれ――は、しもべらの屈辱をお望みにならないのである。まことに神はあわれみ深く、慈悲深い御方である。罪人は、己と神との間において慈悲の「海」から慈悲を懇願し、寛大の「天」から許しを乞い、こう述べるべきである。

おお神よ、わが神よ!あなたの優しいお言葉に歓喜し、最も栄光ある殉教の場である「栄光の頂点」へと急いだ、あなたを真に愛する者らにより懇願いたします。またあなたの知識に秘められた神秘とあなたの恩恵の海に秘蔵された真珠により私は嘆願いたします。私と、私の父と母を許し給え。慈悲を示す者らの中にあってあなたこそはまことに「最も慈悲深き御方」におわします。常に許し給い、恵み深き御方なるあなたの他に神はありません。

おお主よ!あなたはこの罪深さの真髄があなたの好意の大洋に向い、このか弱き者があなたの天の力の王国を求め、この貧しき生き物があなたの富の太陽に傾くのを見給う。おお主よ、あなたの慈悲と恩恵により、彼を失望させ給うな。また、あなたの日々の、あなたの恩恵の啓示から彼を閉め出し給うな。さらに、あなたの天と地に住むすべての人々に広く開け放たれたあなたの扉から彼を追放し給うな。

ああ悲しいかな!私は、己の罪によってあなたの神聖の「宮廷」に近づくのを妨げられ、己の咎によってあなたの威厳の「大聖堂」から遠く逸れてしまいました。私はあなたが禁じ給うたことを犯し、あなたが従うよう命じ給うたことをなおざりにしてしまいました。

「名前の最高の主」なる「御方」により私は嘆願いたします。あなたの恩恵の「ペン」をもって、私があなたに近づくことを可能にし、私とあなたの許しとの間を妨げる私の罪から私を清めるものをあなたが書き記されるように。

まことにあなたは強力にして恵み深き御方におわします。強大にして恩恵に満ちたあなたの他に神はありません。

第十の吉報

この「最も偉大なる告知」の「啓示者」である聖なる恩恵の印として、われは「聖なる教典や書簡」から本の破壊を命じる法を排除した。

第十一の吉報

科学や芸術を学ぶことは許されるが、これは、人々の役に立ち、進歩と発展を促進するような学問のことである。命じ給う御方、全てに賢き御方はかく定め給うた。

第十二の吉報

工芸や商いというようなある種の職業につくことが汝ら一人ひとりに命ぜられている。われは汝らがそのような仕事に従事することを「真なる御方」である神への崇拝という地位に高めた。神の恩恵と祝福について心に熟考し、朝夕、神に感謝せよ。怠惰や無精によって時間を無駄にすることなかれ。汝ら自身と他人のためになるようなことに従事せよ。この「書簡」――その地平線からは英知と発言の太陽が輝き出る――でかくのごとく命じた。

人々のうちで神の目に最もさげすまれるものは、何もせずにすわり、物乞いをする者らである。すべての富の供給者である神を完全に信頼し、物質的な富の網にしっかりとつかまれ。工芸や商いなどに従事するとき、そのような職業自体、神の目には礼拝の行為と見なされるのである。そして、これは神の限りない、普遍的な恩恵の印に他ならないのである。

第十三の吉報

神の正義院のメンバーたちは人々の業務の管理を委ねられている。彼らこそはまことに神のしもべらの間にあって「神から信託を受けた人々」であり、神の国々における権威の夜明けである。

おお神の人々よ!世界を鍛えるものは「正義」である。なぜならそれは報酬と罰という二本の柱によって支えられるからである。これら二本の柱は世界の生命の源である。各時代には新しい問題があり、それぞれの問題にはそれに適した解決策があるのであるから、そのような事務は「正義院の大臣たち」に委託すべきである。そうすれば彼らが時の必要条件に応じて行動するであろう。神のために神の大業に奉仕するために立ち上がる彼らは、目に見えぬ「王国」からの神の霊感を受け取るものである。彼らに従うことはすべての人の義務である。社会のあらゆる問題は正義院に委託されるべきであるが、礼拝の行為については神が神の「書」中に啓示されたように行うべきである。

おおバハの人々よ!汝らは神の愛の夜明けの地であり、神の慈悲の夜明けである。人を罵しったり、悪口を言ったりして自らの舌を汚すことのないように。そして、不適切なことから自らの目をかばい、保護せよ。汝らが有するものを明らかにせよ。もしそれが好意をもって受け入れられるなら、汝の目的は達成されよう。さもなければ、主張することは無駄である。その人をそのままして、保護し給う御方、自力に満ち給う御方なる主に頼れ。悲しみを引き起こしたりするな。ましてや不和や争いなどはなおさらである。汝らには神の優しい慈愛の樹のもとで真の教育を得、神がお望み給うことに従って行動するよう望まれる。汝らはみな、ひとつの樹の葉であり、ひとつの大洋の雫である。

第十四の吉報

死者の眠る場を訪れるために特別な旅をする必要はない。富や資産のある人々がそのような旅の経費を正義院に提供するなら、それは神の面前に喜ばれ、受け入れられることである。神の教えに従う人々は幸いである。

第十五の吉報

共和制の政府は世界のあらゆる人々のためになるが、王制の威厳は神の印のひとつである。われは世界の国々がそれを失わないよう望む。もし賢明なる人々がこの二つの形態をひとつに結合するなら、神の面前において彼らが受ける報酬は大きなものであろう。

これまでの宗教では、時代の必要性に応じて聖なる戦や本の破壊、他の民族との交わりの禁止、ある本を読むことの禁止などの法令が規定され、断定されていた。しかし、この強大な「啓示」、この重大な「告知」においては、神の様々な恩恵と好意はあらゆる者にその影を落し、「永遠なる主の意志」の地平線から下された神の不謬の命令はわれがいま述べたことを規定したのである。

この祝福され、栄光ある、類なき「日」において恵み深く啓示されたあらゆることに対し、神――彼は神聖にして栄光あるものなり――を賛美する。まことに地球のあらゆる人が無数の舌を授けられ、休むことなく神をほめ称え、終わりなき終わりまで神の名を賞揚したとしても、彼らの感謝はわれがこの「書簡」中に述べた恵み深き恩寵のたったひとつにも満たないのである。これについては、英知と認識力、理解力と知識あるすべての者が証言する。われは神――その栄光に誉れあれ――に心から嘆願す。権力の代表者で、栄光の夜明けである統治者や元首らが神の法律や法令を執行するのを援助し給わんことを。神こそはまことに全能者で力に満ち、人々の叫びに常に応え給う御方である。

第四章タラザトの書簡(飾り)


タラザトの書簡(飾り)

全ての名の上に最高のものとして立つ、わが「御名」において

賛美と栄光は「名前の主」、天の創造主なる御方に似つかわしく、その御方の啓示によって生じたの海の波は、世界の人々の前でうねりを上げる。彼の大業の太陽はあらゆるベールを通して輝き、彼の断言の言葉は否定することができない。圧制者の勢力も、邪悪な者の残虐も彼の目的を妨害することはできなかった。彼の主権は何と栄光に満ち、彼の支配は何と崇高なことか!

慈悲深き神よ全く驚いたものだ!彼の印は世界を包みこみ、彼の証拠と証言は輝き、光のごとく明らかであるというのに、無知なる人々は無頓着、いやむしろ、反抗的であるかのようにさえ見える。もし彼らがその反対の態度で満足していたならまだよいのだが、彼らは常に、「聖なるロートの樹」を切り倒そうと企んでいる。この啓示が始まって以来、利己主義の権化(ごんげ)ともいうべき人々は残虐と圧制の手段に頼り、聖なる顕現の光を消そうと努めてきた。しかし神は、彼らの手を抑え、神の主権によってこの「光」を啓示なさり、神の勢力によってその「光」をお守りになり、遂には天と地はその輝きと明るさによって照らされたのである。あらゆる条件の下で、神に誉あれ。

あなたに栄光あれ、おお、世界の主にして、あらゆる国の望みなる御方よ、おお、「最大名」において顕現されたる御方よ。「最大名」によって英知と発言の真珠は、あなたの知識の大きな海の貝殻から現れ、聖なる啓示の天はあなたの御顔(おんかお)の「太陽」の出現の光によって飾られたのです。

あなたの創造物の間で、あなたの証拠が完全になされた「言葉」、あなたのしもべたちの間で、あなたの証言が実現された「言葉」により、私はあなたに懇願致します。大業の顔が、あなたの領土において輝き、あなたの力の旗が、あなたのしもべらの間に立てられ、あなたの導きの領土の至る所に掲げられるよう、あなたの民を強くなし給え。

おお、わが主よ!あなたは、彼らが御あなたの網と御あなたの情けのマントのへりにしっかりとつかまっているのを見ておられます。あなたのおそばにさらに近づけるものを彼らにお定めになり、あなた以外のものから彼らを引き離し給え。私は懇願致します、おお、生存の王にして、見えるものと見えないものの保護者なる御方よ――あなたの大業に仕えるあらゆる者をあなたの望みによって動く海のごとくなし、あなたの意志の天上にある地平線から輝く、あなたの聖なる樹の火によって燃え上がる者のごとくなし給え。まことにあなたこそは、全世界の力も、総ての国の強さも打ち負かす、弱めることができない強力な御方におわします。あなた以外に神はいまさず、あなたは唯一で、比類なく、保護者におわし、御自力にして存在し給う御方におわします。

おお、わが知識の聖林から、わが発言のワインを飲んだ汝よ!名前の主なる御方が、天の力の手によって最高の楽園に植えつけた「聖なるロートの樹」の葉の揺れる音から、次のような荘厳なる言葉が聞こえた。

第一の飾り

「母なる書」の地平線から出でた第一の飾り、第一の輝きは、人は己自身を知り、何が崇高につながり、また何がみすぼらしさへつながり、何が栄光または卑下へ、何が富または貧困へ人を導くかを認識しなければならない、ということである。実現の段階と成熟に達すると、人は富が必要になる。工芸や専門職業によって得る富は英知ある人々の目にはおいて、そして特に自らを世界の教育やその人々の啓発のために捧げる僕(しもべ)らの目にはおいて、立派で賞賛すべきものである。彼らこそはまことに、知識の、生命を与える水をつぐ者らであり、理想的な道へと導いてくれるのである。彼らは世界の人々をまっすぐな道へと導き、人間の高揚と高尚のためになることを人々に知らせるのである。まっすぐな道とは、人間を認知の夜明けと理解の曙の地へと導き、栄光と名誉と偉大さに人間を導く道のことである。

最も賢く全知なる御方の慈愛によって、視界をさえぎる塵がを払い落とされ消し、認知力が高められ、増すという望みをわれは抱いている――そうすれば人々は自らが生まれてきた目的を発見するであろう。この「日」には、無知をなくし、ビジョン(洞察力)を増す役目を果たすものは全て、考慮するに値するふさわしい。このビジョン(洞察力)は真の知識を得るための手段でありそして指針としての役目を果たす。まことに英知ある人々から見ると、理解力の鋭さはビジョン(洞察力)の鋭さによるものである。バハの人々はいかなることがあっても、適切でふさわしいことを守り、それに応じて人々に勧告しなければならない。

第二の飾り

第二の飾りは、あらゆる宗教の信奉者らと友好や親善の精神をもって交わり、シナイの山で「語りし者」が述べたことを宣言し、あらゆることにおいて公平な態度を持つであることである。

誠実で忠実なる者らは地上のあらゆる民族や親族と喜びや輝きをもって交わるべきである。なぜなら、そのような態度が人々の間に和合と調和をもたらしたからである。それは今後も変わらない。そして和合と調和はさらに、世界の秩序の維持と国々の再生に役立つのためになる。親切と優しさの網にしっかりとつかまり、敵意や憎しみを持たぬ者らは幸いである。

第三の飾り

第三の飾りは立派な人格に関することである。立派な人格はまことに、神から人間へ与えられた最善のマントである。それをもって神は神の最愛なる者らの聖堂を飾られるのである。わが命にかけて誓う!立派な人格の光は太陽の光やその輝きに勝るものである。それを得る者はみな、人々の間の宝石として見なされる。世界の栄光と向上はそれに依存しなければならない。立派な人格は人々が「一直線の道」と「偉大なる告知」へ導かれるための手段である。聖なる属性や「天上の群衆」の性質で飾られた者は幸いである。

あらゆる状況下で正義と公平に目を据えることが汝にふさわしい行いである。「隠されたる言葉」の中で、「わが最も尊きペン」から次のような高尚なる発言が啓示された。

「おお聖霊の子よ!総てのもののうちわが眼において最愛なるものは『正義』である。汝もし、われを求むるならば、『正義』にそむくな。またわれ、汝を信頼し得るよう、それをなおざりにするな。その助けにより汝は他人の眼ならぬ自らの眼にて見、隣人の理解力ならぬ汝自らの理解力にて知らん。汝の心のうちに熟考せよ。汝はいかにあるべきかを。まことに正義こそは、わが汝への贈り者であり、わが慈悲の印である。されば、それを汝の目前に置け。」

己の判断において公正かつ公平なる者らは、荘厳なる地位と高貴なる地位を占める。信心深さと正直の光はこれらの人々から眩く(まばゆく)輝き出でる。世界の人々や国々がこれら二つの発光体の輝きを失わぬよう、われは心から望んでいる。

第四の飾り

第四の飾りは、信頼できるということに関する。まことにそれは地上に住む全ての者らのための安全の扉であり、「慈悲あふれる御方」の栄光の印である。それをともに預(あず)かる者はまことに、富と繁栄の宝庫をともに預(あず)かるのである。まことにあらゆる事柄の安定はそれに依存してきたし、またこれからも依存するのである。権力や偉大さや富の領域はその光によって照らされている。

しばらく前に、次のような荘厳なる言葉が「最も高遠なる方のペン」から啓示された。

「われは今、『信頼』について、また『強力な王座の主』、汝の主なる神の目における『信頼』の地位について汝に述べん。ある日われは、わが『緑の島』へいた。そこへ着いたとき、われはそこに小川が流れ、木に緑が生い茂り、太陽の光が燦爛(さんらん)と輝いているのを見た。右へ顔を向けると、われはペンは弱すぎて描写し得できない程のようなものを見た。また、そのペンでは、『人類の主』の目がその最も神聖で最も荘厳な、あの祝福された最も高貴なる『場所』で目撃したものを述べることもできない。そうして左へ顔を向けると、われは『最も荘厳なる楽園の美』のひとつを見つめた。それは光の柱の上に立ち、声高らかにこう叫んだ――『おお天と地の住人たちよ!わが美と輝きと啓示そして光輝を見よ。真実のなる御方なる神にかけて誓う!われこそは『信頼』であり、その啓示とその美である。われは、われにしがみつき、わが地位を認め、わがへりにしっかりとつかまえるあらゆる者を報うであろう。われこそは、バハの人々の最も偉大なる飾りであり、創造の王国に住む全ての者への栄光の衣(ころも)である。われこそは世界の繁栄のための最高の手段であり、全生存物への確信の地平線である』。われはかくのごとく、人々を創造の主に近づかせるものを汝のために送り出したのである。

おおバハの人々よ!信頼こそはまことに汝らの聖堂におけるの最高の衣(ころも)であり、汝らの頭(こうべ)のための最も栄光ある王冠である。お命じ給うになる御方、全てを御存知なる御方の命令に従って汝ら、信頼を固守せよ。

第五の飾り

第五の飾りは神の僕(しもべ)らの地位の保護と保存に関することである。人はあらゆる事柄の真理を無視してはならず、正しくかつ真実なることを表現すべきである。バハの人々は、ある人に当然与えられるべき報酬を拒むべきではないし、職人を敬意をもって扱うべきである。また、これまでの人々とは違って己の舌を悪口で汚すべきでない。

この「日」において技巧の太陽は西洋の地平線の上に輝き、技術の川はその地域の海から流れ出でている。人は公平に語り、かような恩恵をありがたく思わねばならない。神の生命にかけて誓う!「公平」という言葉は太陽のごとく明るくかつ眩く(まばゆく)輝く。その輝きを恵み深くあらゆる者に放って下さるよう、われは神に祈る。神こそはまことに全てを支配なさり、常にあらゆる者の祈りに答えられるのを常となさる御方なり。

この頃、正直や誠実は、偽りの支配によって苦しめられ、正義は不正の鞭により苦しめられている。あらゆる方向に兵士の連隊だけが見られ、あらゆる地に剣の衝突の音しか聞こえないほど、堕落の煙は世界を覆(おお)ってしまった。世界を復帰させ平静を国々にもたらし、神の権力を行使する者らを強化して下さるよう、われは「真なる御方」である神に嘆願する。

第六の飾り

知識は神のすばらしい贈物のひとつである。知識を得ることはあらゆる者の義務である。今明らかとなっている技術や物質的手段は、神の知識と英知によって得られたものである。この神の知識や英知は、神の「最も高遠なるペン」によって「書簡」の中に啓示されてあり、この「ペン」の宝庫から英知と発言の真珠が現れ、世界の技術や技能が明るみにもたらされたのである。

この「日」、地上の秘密は人々の目の前に打ち明かされた。すみやかに現れる新聞のページはまことに、世界の鏡である。それらは様々な民族や親族の行いや活動を映し出し、人に知らされ、知られるようになす。それらは聴覚や視覚や発言力を授けられた鏡である。これは驚くべきかつ強力な現象である。しかしながら、それを書く者らは、邪悪な情欲や欲望の誘惑から清められ、正義と公平の服で身をまとうのが似つかわしい。彼らはできる限り状況を調べについて尋ね、事実を確かめた上で、それからそれらについて書き記すべきである。

この「虐げられた者」に関して、新聞で報告されたことのほとんどは偽りである。公平な発言と正直は、その深遠な地位のために、知識の地平線上に輝く太陽として見なされている。この「海」から来る波は世界の人々の目の前において明らかであり、英知と発言の「ペン」から出ずるものは、あらゆる所で明白である。

新聞には、この「僕」(しもべ)が「タ」の地(テヘラン)から逃げ出しイラクへ行ってしまったと報告されてある。全く驚いたものだ!この「虐げられた者」は、ほんの一瞬でも身を隠したことはなかった。むしろ「彼」は常に確固とし、全ての人々の目についていた。われは決して退却したことはなかったし、逃げようとすることもしない。まことに、愚かな人々こそ、わが面前から逃げ出すのである。われは、ペルシャとロシアという二つの尊敬されている政府を代表する、二人の乗馬した護衛者に伴われて故国を去り、遂には栄光と力に満ちあふれてイラクへ到着した。神に賛れあれ!この「虐げられた者」が「使者」とされている「大業」は、天のように高くそびえ、太陽のようにまばゆく輝く。隠れることなどは、この地位にある者にはありえないし、恐れや沈黙の余地もない。

「復活」の神秘と「最後の時」の出来事は全て明らかであるが、人々は無頓着に落ち入り、ベールに包まれてしまっている。「そして海が沸騰する時...そして経典がひも解かれる時」[一二]。まことに夜明けが訪れ、光は輝き、暗闇は去っていった。理解する者らは幸いである。そしてそこに達した者は幸いである。

神に栄光あれ!「ペン」は何を記してよいか戸惑い、「舌」は何を発してよいか迷う。前例のないほどの苦難にもかかわらず、そして長年の牢獄生活や監禁生活や痛ましい試練の後にもかかわらず、われは今、われがすでに引き裂いたベールよりもさらに厚いベールが妨げに入り、視野を遮り(さえぎり)、理解の光を覆い隠しているのを見る。さらにわれは、今広まっている新たな悪態は以前にも増してのものよりさらに悪意あるものであることを見る。

おお、バヤンの人々よ!慈悲深き主を畏れよ。昔の人々について考えてみよ。彼らは何をし、どんな実を集めたというのか?神がその力によってお守られたこと以外はりになったことを除いて、彼が発したことはみな詐欺にすぎず、彼らがなしたことは全て何の価値もないことが明らかになった。

われは、世界の望みなる御方の生命にかけて誓う!もし心の奥深くで熟考するなら、人は、この世への愛着から解放され、「最も偉大なる光」の方へと急ぎ、空虚な想像の塵とたわいなき空想の煙から自らを洗い清めるであろう。何によって昔の人々は過ち誤ちを犯し、誰によって過った方向に導かれたのであろうか? 彼らはいまだに真実を否定し、己の利己的な欲求に向かってしまっている。この虐げられし者は、神のために大声で呼かけん。そこへ顔を向けたい者はそうするがよい。そして顔を背(そむ)けたい者は背(そむ)けるがよい。まことに神は過去であれ未来であれ、いかなるものの助けも必要となさらない。

おお、バヤンの人々よ!圧制と妨げの源となり、人々に迷信の重荷を負わせたがために、今でさえ人々が、架空の場所から架空の人々を待ち望むようにしてしまったのは、ハディ・ドーラット・アベディ[一三]のようなターバンと杖[一四]を持った者たちであった。警戒せよ、おお、汝ら理解力ある人々よ!

おお!ハディよ!この信頼できる「勧告者」の「声」に耳を傾けよ――汝の歩みを左から右へと向けよ。つまり、たわいない空想から顔を背(そむ)け確信の方へと向かうがよい。人々を過ちの方へ導くな。聖なる「発光体」は輝き、彼の大業は明白であり、彼の印は全てを包みこんでいる。危難の中の救助者にして自力で存在し給う神の方へ汝の顔を向けよ。神のために、己の指導権を放棄し、人々を放っておくがよい。汝は本質的な真理について無知なのであり、そのことに気付いていない。

おお、ハディよ!神の道において汝の容貌を変えることなかれ。不信心な者らといる時、汝は不信心であり、敬虔(けいけん)なる者らといる時、汝は敬虔である。その地において己の命と財産を捧げた者らのことをじっくり考えてみよ。それにより汝が勧告され、眠りから呼び起こされるように。つまり、己の肉体や命や所有物を守る者と、神の道において全てを捨てる者とのどちらがより好ましいであろうか? 公平に判断せよ、そして不公平な者ではあるな。利己的な動機のために、宗教を罠(わな)として利用したり、金欲のために真理を無視したりせぬよう、正義にしっかりとつかまり、公平を固守せよ。まことに、汝や汝のような者らの不公平は甚(はなは)だしく悪化したため、「栄光のペン」はこのように記さざるを得ないすようさせられた。汝、神を畏(おそ)れよ。この啓示の先駆者なる「御方」はこう宣言された――「あらゆる条件下で彼はこう宣言なさるであろう――『まことに、まことに、われこそは神であり、危難の中の救いにして自力で存在するわれ以外に神はおらぬ』」。

おお、バヤンの人々よ!汝らは、神に愛されたる者らと交わることを禁ぜられた。なぜ、そして何が目的でこれを課せられたのであろうか?われは神にかけて命ず。公平であれ、そして無頓着な者らのようであるな。洞察力ある者らにとって、そして「最大の美」の面前では、この禁止の目的ははっきりと知られているおり、明らかである――つまり、それによって誰も彼(ハディ)の秘密や行いについて気づかないようにするため、ということである。

おお、ハディよ!汝はわれに同伴しなかった。故に、この大業について知らないのである。己の無駄な想像に従って行動してはならない。これらに加えて、「文書」を己自身の眼にて綿密に調べ、これまで起きたことについて熟考せよ。汝自身と神の僕(しもべ)らを哀(あわ)れみ、昔の人々のように強情を引き起こすことなかれ。道を間違える余地はなく、証拠も明らかである。神の霊感の息が汝を強くし、汝の内なる耳が次のような聖句に耳傾けることができるようになるという望みをわれは心に抱いている――「言挙げよ、『神なり』と。それは神である。そのあとは、彼らには、難癖をつけることに没頭させておくがよい」[一五]。汝はそこ[一六]にいたし、彼[一七]に出会ったことがある。ならば公平に発言せよ。汝自身にも人々にもその事柄について偽って述べることなかれ。汝は無知であり、またよく知らされてもいない。この虐げられた者の声に耳を傾け、神の知識の海へと急ぐがよい。そうすればおそらく、汝は理解の装飾りによって飾られ、神以外の全てを放棄するであろう。王たちやその臣民の前で、公然と大声で呼びかけるかけるこの情け深き「勧告者」の声に耳を傾け、世界の人々をひとり残らず、永遠の主なる御方の方へ呼び出すがよい。これは、その地平線から完全なる恩恵の太陽が輝き出でる「言葉」である。

おお、ハディよ!この虐げられた者は、地上の人々が心の中に激しく燃える敵意と憎しみの火を消さんがために、この世への愛着を全てなくし、できる限りを尽くしてきた。神――その栄光に誉れあれ――に感謝し、この卓越した大業を促進するために立ち上がることが、あらゆる公正で公平な心の持ち主にふさわしい。それにより、火が光に変わり、憎しみが愛と友好に取って代わらんがために。神の正義にかけて誓う!これが、この虐げられた者の唯一の目的なのである。まことに、この重大な大業を宣言しその真実性を実証するにおいて、われは様々な苦痛や試練や苦難に耐えてきた。汝自身、われが述べたことについて証言するであろう、もし公平に語りさえするなら。まことに、神は真実を語られ、「道」を先導される。彼こそは力に満ち、強大にして恵み深き御方におわす。

バハの人々の上に、わが栄光があらんことを――圧制者の残虐にも、攻撃者の勢力にも、諸々の世界の主なる神から引き離されることのなかったバハの人々に。

第五章 タジャリヤトの書簡(光輝)

タジャリヤトの書簡(光輝)

これは、危難の中の救いであり、自力で存在し給う神の書簡である。

彼こそは、その「栄光の王国」からお聞きになる御方なり。

神は証言なさる――彼以外に神はいまさず、現れた御方こそは「隠されたる神秘」、「秘蔵の印」、全ての人々の「最高の書」、そして全世界への恩恵の「天」である。彼こそは人々の間の「最も強力な印」であり、創造の王国における最も威厳ある諸々の性質の「夜明け」である。彼を通して、古(いにしえ)より隠され、人間の眼から覆(おお)い隠されていたものが現れた。彼こそは、以前とそして最近の聖天なる「経典」においてその顕現が告げられていた御方である。彼とその印と証言を信じることを認める者は全て、まことに、「壮大の舌」が、天地の創造されの前に、また名前の王国がの啓示されるの前に発したことを認めるのである。彼を通して、日々の主なる神の命令により、知識の海は人類の間でうねりを上げ、聖なる英知の川が勢いよく流れ出したのである。

その「真理」を認め理解した眼識力ある者は幸いであり、彼の美しい「声」に耳を傾けた者、そして、この世と次の世の主なる神より生じた決意をもって、彼の「書」を受け取った手は幸いである。また、彼の栄光ある地平線へと急いだ熱心な旅人、そして統治者らの圧倒的な勢力や宗教の指導者たちが起こした騒動にも動揺されなかった力を授けられた者は幸いである。神の恩恵を拒み、神の慈愛と権力を否定した者は哀れなるかな。かような者はまことに、神の証言と証拠を常に拒否した者として数えられる。

人々の間で広まっているものをこの「日」に投げ捨て、名前の主にして全創造物の造物主なる神がお命じられになったことを固守した者の祝福は大いなるものである。そして神は、地上の全ての権力もが彼に抵抗することもできない程の無敵の権威を持って、「最大名」の権力を通して永遠の天からやって来られた。これについては、「最も荘厳なる地位」から呼びかける「母なる書」が証言する。

おお、アリ・アクバル[一八]よ!われは汝の声を何度も聞き、全人類の賛美も匹敵できないものをもって汝に答えた――その「もの」を通して、誠実な者らは全てに慈悲深き御方の言葉の甘い香りを吸いこみ、彼の真の愛人たちは天の再会の芳香をかぎ、喉の渇いた者らはまことに命を与える水のせせらぎを聞き取るのである。それを得た者は幸いなり。そして危難の中の救いにして全能で恵み深き神の「ペン」から今、放散されているものを認めた者は幸いである。

汝が、自分の顔を神の方へ向け、神の面前に達し、この「虐げられた者」の声に耳を傾けるまで長い道を旅したことをわれは証言す。そしてこの「虐げられし者」は、神の印と証言を否定し、全世界を輝かせたこの天の恵みを否定した者らの悪行により、投獄された。「彼」の方を向いた汝の顔に祝福あれ。「彼」の声を聞いた汝の耳に祝福あれ。そしてあらゆる主の主なる神の賛美を祝った汝の舌に祝福あれ。神の大業を促進するための旗となるよう汝を恵み深く援助し、常にまたあらゆる条件下で汝が神に近づけるようになし給うよう、われは神に祈る。

その地における神に選ばれし者らと神に愛されし者らは、われにより記憶されている。そしてわれは、「審判の日」の最高の「支配者」である主の発言の「王国」から、彼らに敬意を表して下されたものを、彼らに吉報として授けた。彼らにわれのことを述べ、わが発言の輝かしき栄光にて彼らを照らすがよい。まことに、汝の主は恵み深く、寛大な御方におわす。

おお、われを賛美する汝よ!わが日々に、残虐な人々がわれのせいにすることに耳を傾けよ。彼らの一部は「彼は神に対して嘘をついた」と言い、さらに別の者らは「彼は不和を広げるためにやって来た」と言う。彼らはまことに卑劣で惨(みじ)めなり。見よ!彼らはまことに、無駄な想像にとらわれてしまっている。

ここでわれは雄弁な言葉[一九]を使うのをやめる。まことに、汝の主は強力にして、束縛されることのない御方におわす。われは喜んでペルシャ語で話すことにする。そうすればおそらく、ペルシャの人々は全て、慈悲深き主の発言に気づき、「真理」を見つけるために出てくるであろう。

第一の光輝

「真理の太陽」から出でた第一の光輝は神――その栄光に誉れあれ――の知識である。そして永遠なる日々の「王」の知識は「最大名を持つ者」なる「御方」を認めること以外によって得ることは決してできない。「彼」こそはまことに、今「啓示」の玉座に座っているシナイの上で話された「御方」なのである。「彼」こそは「隠された神秘」であり「大事にされたる象徴」なのである。あらゆる以前の、そして後の「神の書」は「彼」の賛美によって飾られ、「彼」の栄光を称えるのである。「彼を通して知識の標準は世界に据えつけられ、神の唯一性の旗は世界の人々の間でったのである。「神の面前」に達することは「彼」の面前に達することによってのみ実現できる。「彼」の力によって、太古から隠されてきたことは今、明らかにされた。「彼」は「真理」の力によって顕示さ去れ、「全能なる御方」の望みによって免れた者以外のを除く天と地の全ての者らを唖然とさせた「言葉」を発したのである。神を真に認め信じ認めることは、神が啓示されなさったことを受け入れ、神が命令し、「栄光のペン」によって「書」の中に示されたことを守ることに他ならない以外によっては完全とはなりえない。

「彼」の発言の海に身を浸す者らは常に、神によって啓示された法令や禁止に最大の注意を払うべきである。まことに「彼」の法令は世界とその人々の保護のための最強の要塞を成すものである――それは、真理を認め認識する者らへの光であり、真理から背(そむ)き、それを否定する者らへの火である。

第二の光輝

第二の光輝は、神――「彼」の栄光に誉れあれ――の大業において確固であり、神の愛において確固としていることである。そしてこれは神を完全に認めること以外を通しては達成できない。さらに完全に認めるということは、「彼は望むままになし給うお望みになることを全てなさる」という神聖なる言葉を信じない限り達成できない。この荘厳なる言葉にしっかりとしがみつき、その内に本来備わっている発言の活水生きた水を飲み干す者は皆、「母なる書」以外の世界中のいかなる書物にも頼らずにすむ程の堅忍不抜の精神を与えられるであろう。ああ、この荘厳なる地位、この高貴なる地位、この究極の目的は何と栄光に満ちたことか!

おおアリ・アクバルよ!不信心な者らの状態がいかに惨めなものであるかを考えてみよ。彼らはみな次のような言葉を発する――「まことに『彼』は『彼』の行いにおいて賛美さるべきで、『彼』の命令において従われるべきなり」。それにもかかわらず、もしわれがほんの少しでも彼らの自分勝手なやり方や欲望に反することを啓示するなら、彼らは横柄(おうへい)にもそれを拒むのである。言挙げよ、神の最高の英知の様々な必要条件については、誰も知ることができない。まことに、もし神が地を天であると告げられたとしても、誰も神の権威を疑う権利はないのである。これが、夜明けをもたらされた御方なる神の命令によってまことに、「バヤンの点」に下された全てのことについて、「バヤンの点」が証言したことである。

第三の光輝

第三の光輝は技術や技能や学問に関することである。知識は人間の生命の翼のようであり、人間が上昇するのための梯子(はしご)のようである。知識の習得はあらゆる者の義務である。しかしながら、言葉に始まり言葉に終わるような学問ではなく、世界の人々のためになるような学問を習得すべきである。科学者や技術者たちが世界の人々に主張することは、まことに偉大なものである。これについては「母なる書」が「彼」の再来の日において証言す。聞く耳を持つ者らは幸いである。まことに、知識は人間にとって正真正銘の宝であり、人間の栄光と喜びと高揚と慰め、そして歓喜の源である。この「最も偉大なる牢獄」において「壮大の舌」はかくのごとく語った。

第四の光輝

第四の光輝は神や神性などに関する。もし洞察力ある者が、祝福された「ロートの木」とその実の方へ視線を向けるならば、その者はそれによって非常に豊かになる。それされるが故に、他のそれ以外の全てのものから独立し、シナイ山の上で話した「者」が「啓示」の玉座から発したことを信じることを認めるであろう。

おおアリ・アクバルよ!人々を汝の主の聖句なる節に精通させ、主の強力な「告知」であなる「彼」が説くの一直線の「道」について彼らに知らせよ。 おお人々よ、もし汝ら公正かつ公平に判断するなら、「最も高貴なるペン」から流れ出でたあらゆることの真実性をについて証言するであろう。もし汝ら、バヤンの人々であるなら、ペルシャ語のバヤンが汝らにとって十分な証明となるであろう。もし汝ら、コーランの人々であるなら、シナイ山の上での「啓示」と、「柴」からイムランの「子」[モーセ]に発された「声」について熟考せよ。

何ということか!「唯一の」真なる神が啓示された時には、神を認める能力が発達し、成熟し、またその最高の状態を維持するにようにと意図されていたにもかかわらず、不信心な者らにとってはこの能力は未発達にとどまり、むしろ退化してしまったことが今や明らかに実証された。

おおアリよ!彼らが「柴」から受け入れたことを彼らは今、生存の世界の「樹」なる「御方」から受け入れるのを拒んでいるのである。言挙げよ、おおバヤンの人々よ、情欲や自分勝手な望みの命ずるままに語るなかれ。地上の大部分の人々は「柴」から出でた祝福されたる「言葉」の真実性について証言するのである。

神の正義にかけて誓う!神の「啓示」の先駆者であった「彼」が発した賛歌がなかったら、この「虐げられた者」は、無知なる者らの心をおののかせ、滅ばせるような言葉を発したりはしなかったであろう。神が顕示し給う「御方」――「彼」の顕示に誉れあれ――を賛美すべく、バブはバヤンの初めにおいてこう書いておられる――「彼こそはあらゆる状況においてこのようにう宣言されなさる『御方』なり――『まことに、まことにわれこそは神なり、全創造物の主なるわれ以外に神はいまさず。まことに、われ以外の全てのものはわれの創造物なり。おお、わが創造物よ!汝ら、われのみを崇拝せよ』」。同じ様に、顕示し給う「御方」の「御名」を称えて、別のおりにバブはこう書いておられる――「われは、彼を崇拝する最初の者であろう」。さて、「崇拝する者」と「崇拝される者」の意義について熟考すべきである。そうすれば、おそらく地上の人々は、神の知識の海からひとつの雫(しずく)をいただき、この啓示の偉大さを理解することを可能にさせられるであろう。まことに、「彼」は現れ、「真理」を宣言するために舌を緩(ゆる)めたのである。真理を本当に認める者は幸いであり、片意地で強情な者は哀れなるかな。

おお地上の親族たちよ!世界を覆いこむ聖なる「ロートの樹」から発される「声」に汝らの耳を傾けよ、そして地上の残虐な人々――神の顕示者とその無敵の権威を否定し、神の好意を受け入れなかった者ら――とはなるな。そのような者らこそはまことに、全人類の主なる神の「書」において卑劣なる者らとして見なされている。

わが優しき慈愛の地平線の上に輝く「栄光」は、汝の上にあり、汝とともにある。また、栄光に満ち全能のなる「御方」なる神の大業に耳を傾けるあらゆる者の頭上に輝く上にある。

第六章 カラマテ・フェルドフィエ (楽園の言葉)

カラマテ・フェルドフィエ(楽園の言葉)

彼こそは、発言の王国にて「真理」の力によって語る御方なり。

おお、正義と公平を具現し、そして正直と天の恩恵を顕現する汝らよ!涙を流し、嘆きながら、この虐げられた者は大声でこう叫ぶ――おお神よ、わが神よ!あなたの愛されし人々の頭(こうべ)を離脱の王冠で飾り、彼らの聖堂を正義の衣で装い給え。

発言の力で主に勝利を与え、立派な振舞いと人格で人々に勧告することが、バハの人々にふさわしい。なぜなら、行動は言葉よりもはるかにずっと大きな影響を与えるが故に。

おお、ヘイダー・アリ[二〇] よ!汝に神の賛美と栄光あれ。言挙げよ――正直や美徳や英知そして高徳な人格は人の地位を高めるが、不正直や詐欺や無知そして偽善は人を卑しめる。わが命にかけて誓う!人間の優秀さは、飾りや富にあるのではなく、むしろ高徳な振舞いと真の理解にある。ペルシャの大部分の人々は、ごまかしとたわいない空想に浸っている。これらの人々の状態と、名前の海を越え、離脱の大海原の岸辺にテントを張った勇敢な人々との地位の差は何と大きいことか。まことに、現世代のほんの数人を除いては、最高の楽園に住むの鳩のさえずりに耳を傾けることの価値を認める者はいない。「わがしもべらのうちで真に感謝する者は少ない」[二一] 。大部分の人々は迷信を楽しんでいる。彼らは幻想の海の一滴を確信の海よりも好ましいと見なす。彼らは名前に固くこだわって内なる真理を失い、空虚な想像に執着して天の印の「夜明け」から隔てられている。願わくば、迷信の偶像を打ち砕き、人々の想像のベールを引き裂けるよう、汝らがあらゆる状況で援助されんことを。啓示と霊感の「源」であり、「復活の日の主」なる神のもとに権威はある。

問題の当人が、「信教」のある布教者たちについて述べたことをわれは聞いた。まことに彼は真実を語った。ある無頓着な者は、神の名においていろいろな土地を訪れては、神の大業を破壊する行為をしながら、神の言葉を広めているのだと言う。そしてこれは、その「信教」の布教者らの能力は、星のように、聖なる「書簡」の天の至る所でまばゆく輝いているというのに、そのようなことがなされているのである。あらゆる公平な心の持ち主は、次のことを証言し、洞察力あるあらゆる者は次のことを十分承知している――それは、唯一の真なる神――その栄光に誉れあれ――は、人の子らを引き上げ、その地位を高め、ランクを引き上げるものを絶え間なく述べられ、説明されたということである。

バハの人々は、集会で蝋燭のごとく明るく燃え立ち、神が意図されなさったことを固守する。この地位はあらゆる地位の中で最高のものである。この世の人々が所有するものを投げ捨て、永遠の最高の主なる神のに関するものを渇望する者は幸いである。

言挙げよ――おお神よ!わが神よ!あなたは、わたしが己の目をあなたの恩恵の地平線の方へ向けて、「あなたの意志の回り」をかけめぐり、あなたの好意の太陽のまばゆく輝く啓示をしきりに待っているのを見ておられます。おお、あらゆる理解力ある心の最愛なる御方で、あなたのおそば近くにいる者らの望みなる御方よ、私はあなたに懇願致します。あなたに愛されし者らが自分の望みから全く離脱し、あなたのお気に召すことにすがりつくようなし給え。おお主よ、彼らに正義の衣を装わせ、離脱の光の輝きによって彼らを明るく照らし給え。そうして英知と発言の軍勢を彼らの援助のために呼び出し給え。そうすれば彼らは、あなたの言葉をあなたの創造物の間で賛美し、あなたの大業をあなたのしもべらの間で宣言するでしょう。まことにあなたはあなたのお望み給うになることを行う力がおありで、全ての事はあなたの支配下にあります。強大にして常に許し給うあなたの他に神はいまさぬ。

おお、己の眼をわが顔の方へ向けた汝よ!最近、われを非常な悲しみに落し入れたことが起きた。神の大業に忠誠を誓うと言いながら悪事を働く行をする者らが、誠実と正直、そして正義と公平の手足を震わせるようなことをした。最高の親切と好意を与えられた、ある名の通った者が、神の目に涙を流させてしまうようなことをしでかした。以前、われは勧告と警告の言葉を発したが、彼が注意し悔い改めんがために数年間、われはこの事をふせておいた。しかし全ては無駄であった。結局彼はあらゆる者の面前で神の大業をけなすことに没頭したのである。彼は公平のベールを引き裂き、自分自身にも、また神の大業にも同情することはなかったのである。しかしながら、ある者らの行為は、ここで述べた者ら以前の人々が引き起こした悲しみよりもさらに耐え難い激しい悲しみをもたらした。無頓着な者らが己の発言を撤回し悔い改めるのを、恵み深く可能にして下さるよう、汝、真なる御方である神に嘆願せよ。まことに彼は許し給い、恵み深く、最も寛大な御方におわす。

和合と調和をしっかりと固守し、神の大業を促進するために努力することは、この時代に住むこの日々においてあらゆる者の義務である。それによりおそらくは、強情な者らが永続する繁栄を得らんがために。

端的に言って、様々な宗派の間の不和は弱さを引き起こした。それぞれの宗派は自分自身のやり方を選び、ある網にしっかりとつかまっている。明らかな盲目と無知にもかかわらず、彼らはその洞察力と知識を誇りにしている。その中にうちの何人かはイスラム教に忠誠を誓う神秘主義者らもいれば、さらにそのうちの何人かは怠惰と隠遁生活を引き起こすものに耽っている者もいる。神にかけて誓う!それは人間の地位を低くし、うぬぼれを強めるのである。人間は、実を結ばねばならない。実を結ばぬ者は、聖霊[二二] の言葉で言えば、実のならぬ樹のようであり、そして実のならぬ樹は燃やされるしかない。

前に述べた者らが、神の単一性について述べたことは大いにたわいなさと空想を引き起こすであろう。これらの滅ぶべき者らは、明らかに地位の差というものをなおざりにし、自分自身を神と見なすようになった。しかし神は全てを超越して計り知れぬほど崇高なのである。しかしあらゆる創造物は神から放散される神の印を反映し、明示するのであり、それは神御自身ではない。これら全ての印は生存の書の中に示され、また見ることができる。宇宙の形と模様を描く巻物はまことに偉大な書である。そこに、あらゆる洞察力ある者は、「まっすぐな道」へ導いてくれるもの、「偉大なる告知」に達することを可能にしてくれるものを見いだすのである。世界をおおう光を放つ太陽光線について考えてみよ。その光線は太陽から発散し太陽の性質を示すが、それは太陽そのものではない。地上で見ることのできるものはみな、神の力と知識、そして神の恩恵のほとばしりを豊富に実証する。しかし神御自身は全創造物を超越して計り知れぬほど崇高でおられる。

キリストはこう言った――「あなたは、学識ある者や賢き者らに与えられなかったものを子供たちにお与えになりました」。サブズィヴァーの賢者[二三] はこう言った――「悲しいかな!注意して聞く耳は見当たらない。さもまなくば『シナイの柴』のささやきはあらゆる樹から聞こえるであろうに」。「模範的真理」の意味について尋ねた。英知ある者への「書簡」の中で、われは次のような言葉でこの有名な賢者に話しかけた――「もしこの言葉が真に汝のものであるなら、どうして世界の頂点から『人類の樹』が上げた『叫び』に耳を傾けることができなかったのか。もし汝はその『叫び』を聞きながら、汝がしかし恐れ、己の命を守らんがためにという望みによってそれに注意を払わずにいるのなら、汝は昔もこれまでも、そして今も語られるに値せぬ者である。もし汝はそれをまだ耳にしていないのなら、汝には聞く力がないのである」。端的に言って、そのような人々は、自分の言葉が世界の誇りであり、己の行為が国々の恥である者らである。

まことにわれは、わが「栄光のペン」に他ならぬ「ラッパ」を鳴らした。すると、見よ!神がその恩恵の印として救わんとお望みになった者ら以外を除いて、人類はすべてその前で気絶してしまった。彼こそは恩恵の主、「日の老いたる御方」なり。

言挙げよ――おお聖職者の群衆よ!この「ペン」に対して非難の声を発するや?この「ペン」がその鋭いかん高い声を上げるやいなや発言の王国はそれを聞くための準備をし、そしてその「ペン」の強大で栄光ある主題の前においてその他全ての主題は取るに足りないものに色あせてしまった。

神を畏れ、自らのたわいない空想や堕落した想像を追うに従うことなかれ。いや、むしろ、否定しがたい知識と不動の確信をもって汝らの所にやって来た「御方」に従え。

神に栄光あれ!人間の宝とはその発言であるのだが、この虐げられた者は「口」を閉ざしていたその「舌」を動かさずにいた。というのは、不信心な者らが待ち伏せているからだ。しかし、全ての世界の主なる神が保護して下さる。まことに、神をわれは信頼し、神に全ての事を委ねた。神はまことに、われと全創造物に十分なのである。彼こそは、そのお許しとその御命令の力によって、最高の力を持つ「太陽」が世界の地平線上に輝くようになさった御方なのである。「真理」を理解し認める者は幸いなり。片意地で不信心な者は哀れなり。

この虐げられた者は、賢き者らを常に愛情深く取り扱った。賢き者の意味することは、己の持つ知識が単なる言葉だけにとどまらず、人生に実り多く、永続する結果を生じた人々のことである。これらの祝福された者らを敬うことはあらゆる者の義務である。神の教えに従う者らは幸いなり。「真理」を認めた者らは幸いなり。全ての事柄を公平に判断し、侵しがたいわが「正義」の「網」にしっかりと捕(つか)まる者らは幸いなり。

ペルシャの人々は、保護者にして救助者なる御方から顔を背(そむ)けてしまった。彼らは、愚かな者らの空しい想像に執着し、それにのわなにかかって絡(から)まってしまった。迷信を非常に断固として固守するため、神――その栄光に誉れあれ――の強力な腕以外は、彼らを迷信から切り離すことができないのである。様々な民族や親族を閉め出してしまったベールを、神が、御力の手で神の力をもつ指でもって取り除き、彼らが安全と進歩と発展の役に立つものを彼らが得、比類なき「友人」の方へ彼らが急ぐよう、汝ら全能なる御方に嘆願せよ。

第一の葉

「アブハのペン」が「最も崇高なる楽園」の第一の葉に啓示し、記した神の言葉は次の通りである。まことにわれは言う。神への畏れは世界の人々のための確実な防備であり、安全な要塞である。それは人類を守る保護のための主要な原因であり、人類を保護する最高の手段である。まことに人間にとっては、取るに足らず、ふさわしくない物事から人間を思いとどまらせ、それから人間を守ってくれる機能が存在する。その機能は羞恥心として知られている。しかしながらこれは一部の者に限られており、必ずしも全ての者がそれを持っていたわけでもなく、また持っているわけではない。

第二の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第二の葉の上に記した神の言葉は次の通りである――「最も高遠なる御方のペン」は今、権威の顕示者と権力の源、つまり王や君主や大統領、そして統治者や聖職者や賢明な者らに、宗教の大業を支持しそれを固守するよう勧告し命令す。宗教はまことに、世界の秩序を確立し、その民族らの間の平穏を確立するための主な手段である。宗教の柱が弱まったことは、愚かな者たちを強くまた大胆にし、より高慢にした。まことにわれは言う、宗教が衰えれば衰えるほど、不信心な者たちのわがままが悪化するのである。これは結局、混乱と混雑を引き起こすとなることは避けられない。われの言うことを聞くがよい、おお洞察力ある者たちよ、そして警戒せよ、認識力を授けられたる汝らよ!

第三の葉

「最高のペン」が「最も崇高な楽園」の第三の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――おお人の子よ!もし汝の眼が慈悲に向けられているなら、汝の益になることを捨て、人類の益になることにしがみつけ。そしてもし汝の眼が正義に向けられているなら、汝自身に選ぶことを隣人のために選べ。謙遜は人を栄光の天まで高めるのに反し、自惚れは惨めさと堕落のどん底へ人を落とす。

おお神の人々よ!この「日」は偉大で、この「叫び」は強力なり!わが「書簡」の中でわれは次のような崇高な言葉を啓示した――「もし精神の世界が全て聴覚に変えられたなら、それは『最高の地平線』から発する『声』を聞くであろう。というのも、もしそうでなかったなら、偽りの話によって汚されたこれらの耳は、今も昔もその『声』を聞くのに値しないふさわしくもなかったし、今もふさわしくはないのだから」。耳を傾ける者らは幸いであり、わがままな者らは哀れなり。

第四の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第四の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――おお神の人々よ!統治と権力の顕示者たちを自我と欲望の示唆から守り、正義と導きの輝きを彼らの上に放ってくださるよう、「真なる御方」――彼の「名」に誉れ賛れあれ――に嘆願せよ。陛下ムハムマド王は、その秀れた地位にもかかわらず二つの極悪な行為を犯した。ひとつは、「恵みと恩恵の王国の主」なる「最初の点」の追放を命じたことであり、もうひとつは「政治的手腕と文学的業績の市の王子」[二四] の殺害である。王たちの過ちはその好意と同様に大きなものでありえる。権力と権威がもたらすによるうぬぼれによって正義に忠実であることを妨げられず、ぜいたくや富や栄光、そして軍勢や軍隊を並び立てることによって公平の太陽の輝きを失わずにいる王は、天上の「群衆」の間で高く荘厳な地位を占めるであろう。そのような者に援助の手を差し伸べ、親切を示すことはあらゆる者の義務である。己の情欲を厳しく統制し、己の怒りを抑え、不正や残虐よりも正義と公平を好む王は幸いである。

第 五 の 葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第五の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――最大の贈り物にして最もすばらしき祝福は、何にもまして「英知」であったし、これからもそうあり続ける。それは人を確実に「守るもの」である。それは人を助け、強める。「英知」は神からの「使者」であり、「全知なる方」という神の御名の「啓示者」である。それを通して、人の地位の高尚さ深遠さが顕示され、明示される。それは全てを知り、生存の学び舎における最高の「教師」である。それは「案内者」であり、傑出した地位を授けられている。その教育的影響力により、地上の生存物は、諸々の天よりも輝く宝石のような精神を吹き込まれた。正義の町において、それは比類なき「話者」であり、この「話者」は九の年にこの「啓示」の喜ばしき知らせをもって世界を照らし出した。世界の基礎が築かれ始めた頃に内なる意味の階段を登ったものも、そして発言の説教壇で玉座についた時に聖なる「意志」の働きを通して二つの言葉を宣言したものも、この類なき英知の「源泉」だったのである。最初の言葉は報酬の約束を布告し、二番目の言葉は罰の不吉な忠告を発した。この約束は希望を生み、忠告は恐れを引き起こした。このようにして世界秩序の基礎は、これら二つの原則の上にしっかりと確立されたのである。「英知の主」、「偉大なる恩恵の所有者」は崇高なり。

第六の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第六の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――人間の光とは「正義」である。圧制や暴虐の残待や残虐という逆風によってそれを消すことなかれ。正義の目的とは人々の間に和合をもたらすことである。神の英知の海はこの崇高なる言葉の内にうねりを上げるが、世界の諸々の本にはその言葉の内なる意義を収めることはできない。もし人類がこの衣服で飾られたなら、人類は、「その日、神は神の豊富さによってあらゆる者を満足なさるであろう」)[二五] という発言の太陽が、世界の地平線の上にまばゆく輝いているのを見るであろう。汝ら、この発言の価値を理解せよ――それは「栄光のペンの樹」が結んだ高貴な実なのである。それに、耳を傾け、その教えに従うものは幸いである。まことにわれは言う。「神の意志」の天から送られることは全て、世界に秩序を確立し、その民族の間に和合と友好を促進するための手段なのである。「この虐げられた者」の「舌」は「彼の最大の牢獄」からかくのごとく語った。

第七の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第七の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――おお汝ら、国々の間の賢明なる人々よ!疎遠(そえん)であることに汝らの眼を閉じ、和合に眼を据えよ。全人類の幸福と平穏をもたらすものをしっかりと固守せよ。この地球とは単にひとつの母国、ひとつの住まいにすぎない。隔たり隔離を生むうぬぼれを捨て、調和を築く確保するあらゆるものを切望せよ。バハの人々の目において、人間の栄光はその知識や正直な行動、立派な人格や英知にあり、国籍や地位にあるのではない。おお地上の人々よ!この天の言葉の価値を理解せよ。まことにそれは、知識の海に浮かぶ船、そして知覚の領域での輝く発光体にたとえることができよう。

第八の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第八の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――学校ではまず子供たちを、宗教の原則においてしつけなければならない。そうすれば神の諸々の「書」の中で記されている「約束」や「罰則」が、子供らが禁じられている行為から守り、子供らを命令のマントで飾るであろう。しかしこれは、無知な狂信や偏狭につながる行為で子供らを傷つけたりしない程度にしなければならない。

「書」の中ではっきりと啓示されていない事柄について、ともに協議を行い、合意することを執行するのは、「正義院の信託人たち」の義務である。まことに神はお望まれることを、彼らに霊感としてをお与えになるであろう。そして神はまことに、お与え給うになる御方、全知治なる御方なり。

以前われは、人々が二言語で会話するように命じたが、それを一つの言語にし、同様に世界の文字も一つにする努力がしなければならない――そうすれば、様々な言語を学ぶことによって人々の人生が浪費され、無駄にされることがなくなるであろう。このようにして全地球はひとつの都市、ひとつの国として見なされるようになるであろう。

第九の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第九の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――あらゆる事柄において中庸を守ることが望ましい。もしある事を度を過ぎたら、それは悪の源となるであろう。西洋の文明、そしてそれがいかに世界の人々を動揺させ不安にさせたかについて考えてみよ。地獄の機械が考案され、それは今だかつて誰も見たり聞いたりしたことがない残酷な破壊的武器となった。世界の人々がひとつの共通の目標を求めて結合し、ひとつの普遍的な信仰を受け入れない限り、そのような深く根ざした抵抗し難い圧倒的な堕落をなくすことはできない。この「虐げられた者」の「叫び」に耳を傾け、「小平和」をしっかりと固守せよ。

奇妙で驚くべきものが地球に存在する。しかしそれらは、人々の知性と理解から隠されている。これらのものは地球の全大気を変えることができるのであり、その汚染は死をきたすものとなるであろう。何と言うことか!われは驚くべきものについて述べたのである。稲妻(いなずま)やそれに似た力というものは、操作する者によって統制され、技師の命令によって動く。勢力あり無敵な命令の力を通して意図なさったことを明かされた「力の主」は、計り知れないほど崇高なのである。

おおバハの人々よ!わが啓示した法令のひとつひとつは、生存の世界を保護するための強力な要塞である。まことにこの「虐げられた者」は、汝らの安全と向上のみを望む。

男性、女性、子供たちを確実に保護するよう、われは正義院の者らに勧告し、命令する。常に、あらゆる条件下において、人々の利益に最大の配慮を示すことは彼らの義務である。囚(とら)われた者を救助する統治者、貧しき者らの世話をする裕福な者、虐待する者から虐げられた者らの権利を守る者は幸いであり、「お命じ給うになる御方」、「日の老いたる御方」が規定されたことに従う信託されし者は幸せである。

おおヘイダー・アリよ!わが栄光と賛美が汝の上にあらんことを。わが勧告と忠告は世界を取り囲んだ。しかし、喜びとうれしさを放散させるかわりに、彼らは悲しみを引き起こしてしまった。というのも、われを愛すると主張する者らの幾人かが、以前の宗教の信奉者らやペルシャの聖職たちが今だかつて与えたことのないような苦難をわれに与えたからである。

われはこう言った――「われが投獄されたことも、わが敵の手によってわが身にふりかかったことも、われを傷つけない。われを傷つけるのは、わが名を語りながらもわが心とペンを嘆かせることをする、わが愛する者らの行いである」。このような発言は何度もくり返し何度も啓示されたにもかかわらず、無頓着な者らはそれによって益を得ることができなかった。なぜなら、彼らは己の邪悪な情欲と堕落した欲望の虜であるからだ。あらゆる者が悔い改め、神に戻ることを可能にして下さるよう汝、「唯一」の真なる神に嘆願せよ。人の性質が邪悪な情欲に屈服する限り、犯罪や違反がはびこるであろう。神の力の手と天の祝福のほとばしりが、全ての人々を支え、許しと恩恵の衣服を彼らに着せ、神のしもべらの中で間の神の大業を害するものから彼らを守って下さるという望みをわれは心に抱いている。彼こそはまことに、強力で、力に満ち給う御方なり。そして彼は常にお許しになり、慈悲深き御方なり。

第十の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第十の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――おお地上の人々よ! 隔離生活を送ることや禁欲主義を実践することは、神の面前において好まれない。喜びや輝かしさをもたらすようなことを守るのが、洞察力と理解力ある者らにとって似つかわしい。たわいなき空想や迷信から生まれた慣習は、認識力ある者らにはふさわしくない。昔も今もそして最近も、ある者らは山のほら穴に住まいを持ったり、またある者らは夜、墓地を訪れたりしている。言挙げよ、この「虐げられた者」の勧告に耳を傾けよ。汝らの間に、今広まっていることを捨て、忠実なる「勧告者」が汝らに命じることを採用せよ。汝らのために創造された恩恵を失わぬようにせよ。

慈善行為は神の眼において好ましく賞賛されるべきものであり、立派な行いの間の王子としてと見なされる。汝ら、よく考え、「全て慈悲深き御方」がコーランに啓示なさったことを思い出すがよい――「貧困が運命であろうとも、彼らは自身よりもその教えを好むであろう。己の貪欲から守られたものをもって、幸いになるであろう」[二六] 。この見地から考慮すれば、今述べた聖なる発言はまことにあらゆる発言の太陽である。己よりも同胞の方を好む者は幸いである。まことに、かような者は、「全知なる御方」で「全てに賢き御方」なる神の「意志」により、「深紅の箱舟」に住む「バハ」の人々と共にあると見なされる。

第十一の葉

「最高のペン」が「最も崇高なる楽園」の第十一の葉の上に記した神の言葉は、次の通りである――神の(様々な)名前を属性の象徴なる者らにわれはこう命ずる。これからは、この「最も偉大なる啓示」において述べられたことをしっかりと固守し、己自身が争いの原因とならぬようにせよ。また、終わりを知らぬ終わりまで、この「書簡」に記されたこれらの輝かしい言葉の夜明けの方向に目を据えよ。争いは流血を引き起こし、人々の間に暴動を起こす。汝ら、この「虐げられた者」の「声」に耳を傾け、それから逸(そ)れるなかれ。

もし人が心の中で、この「啓示」において「栄光のペン」から流れ出でたことについて熟考するなら、この「虐げられた者」が何を断言したとしても「彼」には「彼自身」のために何の地位や卓越性をも得ようという意図は全くなかったことを確信するであろう。いやむしろその目的とは、「彼」の言葉の崇高さによって人々を超越した栄光の頂点へと引きつけ、宗教的差異が引き起こした争いや不和から世界の人々を洗い清めるものを知る能力を彼らに与えるということであった。これについては、わが心と「ペン」そしてわが内なる「存在」と外なるの「存在」とが証言する。あらゆる者が己自身の内にある宝に眼を向けることを神がかなえて下さるよう願う。

おおバハの人々よ!技能や科学や技術の源は熟考力である。地球に住むの全ての親族の幸福と調和を促進するような真珠や英知や発言が、この理想的鉱山から輝き出でるよう、汝ら、最大の努力を尽くすがよい。

あらゆる条件下において、苦難の時も安楽な時も、栄光に満ちた時も苦しめられた時も、この「虐げられた者」は、愛とやさしさと情けと調和を示すよう、あらゆる者に指導してきた。しかし少しでも進歩と発展があると必ず、ベールの後ろに隠れていた者らが突撃し、剣よりも人を傷つける悪口を吐いたのであった。彼らは間違った非難すべき言葉にしがみつき、神が啓示された節の海を失ってしまうのである。

もしこれらの、障害になるベールが邪魔しなかったならば、ペルシャは二年程の間に、発言の力によって征服され、政府と国民両方の地位は高められ、「最高の目標」はベールがはがされ、明らかにされ、栄光で燦然と輝きながら、公然とした栄光において現れたことであろう。端的に言えば、ある時は明白な言葉で、またある時は暗示によって、我は言うべきことを全て語ったのである。したがって、一旦ペルシャが復興したなら、神の「言葉」の甘い味はあらゆる国の上に漂ったであろう。なぜなら、「最も崇高なるペン」から出でたことは、地上のあらゆる民族や親族の栄光と発展と教育のためになるからである。まことにそれは、あらゆる病のための最高の治療薬である――もし彼らがそれを理解し知ることさえできるなられば。

最近アフナンたちとアミン――彼らの上にわが栄光と慈愛あれ――がわが面前に達し、わが顔を見た。同様にナビルとその息子そしてサマンダーの息子――彼らの上に神の栄光と神の慈愛があらん――もそこに居合わせ、再会の杯を交わしたコップを取って飲んだ。彼らのために、この世と次の世のよきものを神が恵み深く定め給い、神の寛大の天と神の優しき同情の雲から神の祝福と恩恵のほとばしりが彼らの上に注がれるよう、われは神に懇願す。まことに、慈悲を示す者らのうちでも神は最も慈悲深き御方であり、また神は恵み深く、情け深くあり給う。

おお、ヘイダー・アリよ!汝がジュド[二七] (恩恵)という称号を持つ者を通して送った汝の別の手紙は、わが聖なる宮廷に届いた。神に誉れあれ!それは聖なる和合(神の単一性)と離脱の光によって飾られ、愛と愛情の火によって輝いて燃え上がっていた。汝の眼に鋭敏さを与え、新しい光によってその眼を明るくなし給うて下さるよう、神に祈れ。さればおそらく、その眼はたぐいなき匹敵するものがなく類なきものを見るであろう。

この日、「母なる書」の節は太陽のごとく輝かしく明白である。それらの節は、昔や今の言葉の、そして最近の発言と取り違えられることは決してありえない。まことに、この「虐げられた者」はそれ「自らの大業」を他人が出した証拠によって実証したいとは思わない。彼こそは全てを包みこむ御方であり、彼以外の全ては取り囲まれているのである。言挙げよ、おお人々よ、汝らの間で広まっているものを熟読するが良い。しかしわれは我にふさわしきものを読む。神にかけて誓う!世界の諸々の民族によるの賛美も、地球の諸々の親族が所有するものも、わが名の記憶の前においては語るに値しない。これについては、あらゆる条件下で「まことに彼こそは、『復活の日』の最高の統治者にして強大なる玉座の主なる神におわす」と宣言し給う御方が証言なさる。

神に栄光あれ!人は、バヤンの人々の中にいる間の不信心な者らは何を証拠とし、また何が理由で生存の主から顔をそむけてしまったのであろうかと思っている。まことに、この啓示の地位は、これまでに顕現されたものとこれから顕現されるもの全ての地位を超越するのである。

もし「バヤンの最初の点」がこの日に生きていて、この大業を認めるのをためらったなら――そのようなことは決してありえないが――「彼自身のバヤン」の源から流れ出たまさに次の聖なる言葉が彼に当てはまる。彼は次のように言う、そして彼の言葉こそ真理である――「『神が顕示なさるであろう御方』が、地上で最も偉大な者を拒絶することは合法的なのである」。言挙げよ、おお、理解力に欠けた汝らよ!今日、その「最も崇高なる存在」はこう宣言している――「まことに、まことに、われは彼を崇敬する最初の者である」。人々の知識は何と浅く、その理解力は何と弱いことか。わが「栄光のペン」は、彼らの救い難い非常な貧しさと、全ての世界の主なる神の富について証言す。

創造をもたらされた御方に誉れと栄光あれ。彼こそは最高の「真理」であり、目に見えぬものについて知っておられる御方である。「母なる書」は啓示され、恩恵の主は、最も聖なる栄光の座の上に確立された。「夜明け」は訪れたが、その人々は理解していない。印はもたらされたのに、それらの印を啓示した御方は明らかな悲しみにひしがれている。まことにわれは、生存の世界を嘆かせたものに耐えてきた。

言挙げよ!――おお、ヤーヤ(アザール)よ! ひとつの節を作り出してみよ、もし汝、神の霊感を受けた知識を持っているのなら。これらの言葉は、この時代に今「まことに、まことにわれは彼を崇敬する最初の者なり」と叫ぶわが「先駆者」によってかつて語られた。公平であれ、おお、わが兄弟よ!わが発見のうねりを上げる海に面と向かう時、汝は己を表現することができるというのか。わが「ペン」の鋭い声に直面する時、汝は言葉を発する舌を緩めることができるのか。わが全能の啓示の前で、汝に何の力があるというのか。われは神にかけて汝に命ず。公平に判断せよ。そしてこの虐げられた者の面前に汝が立ち、危難の中の救助者にして自力にして存在し給う神の節を、われが口述し書き取らせたときのことを思い起こせ。偽りの源によって汝らから明らかな「真理」が隠されることのないよう注意せよ。

おお、わが顔に己の眼を据(す)えたる汝よ!言挙げよ――おお汝ら、無頓着な者らよ! たった一滴のために汝らは天の節の大洋を失い、取るに足りない原子のために「真理の太陽」の輝きから己を閉め出してしまった。バハ以外の誰に、人類の面前で発言する力があるというのか。公平に判断し、不正な、者らのようではあるな。彼を通して、海はうねりを上げ、次のように叫んだのである――「天と地の王国は、印の『啓示者』にして明白な印の『源なる御方』、神のものである」。この「啓示」の先駆者なるであった御方が啓示されたペルシャ語の「バヤン」を熟読し、公平の眼にてそれを見よ。まことに、彼は彼の道へ、汝らを正しく導いて下さるであろう。今彼は、その最も崇高なる名の玉座の上に座っていた時に語りし彼の舌が発したことを宣言す。

汝は、それらの地域に住む愛されし者らのことを語った。神に誉れあれ、彼らのひとりひとりは真なる御方――彼の栄光に誉れあれ――によって記憶されるという名誉を得、彼らの名前は全て、発言の王国にて「壮大の舌」より流れ出でた。彼らの祝福と幸せはまことに大いなる非常なものである。なぜなら、彼らは、あわれみ深くまた慈悲深き彼らの主の手から、啓示と霊感のえり抜きのワインを飲んだが故に。確実たる堅忍不抜を顕現するために彼らを助け、英知と発言の軍勢を彼らの援助のために呼び出し給うよう、われは神に懇願す。まことに彼こそは強大にして全能なる御方なり。わがあいさつの言葉を彼らに伝え、記憶の「太陽」は出現して、常に許し給い全てに慈悲深き彼らの主の、恵み深き恩寵好意の地平線の上からその輝きを放ったという吉報を彼らに告げよ。

汝はフセインのことを述べた。われは彼の身体を許しの衣で装わせ、彼の頭を許しの王冠で飾った。全ての人々の間で、このまばゆく輝かしく明らかな恵みを誇りとすることが彼に似つかわしい。言挙げよ――落胆するな。この聖なる節が啓示された後は、汝はまるで母親の子宮から新しく生まれたごとくであろう。言挙げよ――汝は罪と過ちから免れている。まことに神は、その最も偉大な牢獄において彼の発言の生きた水の中に汝をお浸しになった。神――彼に祝福と誉れあれ――をほめたたえ、神の栄光を賛美することにおいて汝に確証を与え、神の目に見えぬ軍勢の力によって汝を強くし給うよう、われは神に懇願す。まことに彼は全能にして無限の力を有する御方なり。

汝はタール[二八] の人々について述べた。われは、そこにいる神のしもべらの方に「わが顔」を向け、この啓示に関して「バヤンの点」が啓示したことをまず考慮するように勧告す。そしてこの啓示によってあらゆる名前や称号は震えあがり、空虚な想像の偶像は砕かれ、「壮大の舌」は栄光の領域から次のように叫んだのである――神の正義にかけて誓う!「隠されたる宝」、「不可解な神秘」は人間の眼に明かされ、過去と未来の全てのものを喜ばせたのである。彼は次のように言い、彼の言葉は真実である――「われの後に来る御方に対してわれが述べた敬意の言葉の中で最も偉大なものは、書き記されたわが告白なる次の言葉である。わが言葉は彼について十分に述べることはできず、わが『書』なる「バヤン」の中で彼について述べたいかなる言及も彼の大業について公平に評価することはできない」。

さらにわれは、正義や公平や正直や敬謙な態度を身に付けるよう彼らに勧告す。それに従い、「神の言葉」や彼ら自身の自らの地位が共に人々の間で高められるものに従うよう、彼らに勧告す。まことに、われこそは正義にて勧告する者なり。これについては、その「ペン」から慈悲の川が流れ出し、その発言から命ある水が全創造物へ向けて流れ出でた御方が証言し給う。この恩恵は計り知れぬほど崇高であり、この輝かしい好意は非常に神聖なり。

おお、タールの人々よ!お望みになることを全てなし給う御方の「叫び」に耳を傾けよ。まことに彼は、諸々の世界の主なる神に汝らを近づけさせるものを汝らに思い出させ給う。彼は、アッカの「牢獄」から汝らの方へ顔を向け、「書」の中で汝らの記憶と名前を不滅にするものを、汝らがために啓示なさった。その「書」を消し去ることはできないし、それは、片意地な者らの疑いによって影響を受けされることもない。人々の間に広まっているものを投げ捨て、お命じになる御方、日の老いたる御方の意志によって汝らに命ぜられたことに固守せよ。しっかりとつかまるがよい。この「日」は、聖なるロートの樹が大声で次のように叫ぶ「日」である。――おお人々よ!わが実と葉を見、そうしてそのさわぐ音に耳を傾けよ。人々の疑惑によってが、汝らを確信の光から離れ隔離せぬよう注意せよ。発言の「海」は叫び、次のように語る。「おお、地上に住む汝らよ!わがうねりを上げる水を見、われが流し出した英知と発言の真珠を見よ。神を畏れ、無頓着な者らのようではあるな。」

この「日」、偉大な祭りが天上の領域で開かれている。諸々の聖典で約束されていたことが実現したのだから。非常な喜びと歓喜に満ち溢れ、神に近い彼の接近の宮廷の方へと急ぎ、遠隔の火から自らを救うことが、あらゆる者の義務にふさわしいことである。

おお、タールの人々よ!わが名の強いパワーを与える力によって知識の聖杯をつかみ、この世のその人々を物ともせず存分に飲め。その人々とは神の聖約と遺言状の法を破り、神の証拠と明らかな印を拒否し、天と地の全てにみなぎる神の印にけちをつけた人々である。

バヤンの人々の中にいる間の不信心な者らは、シーア派の信奉者のようであり、彼らのした通りのことをしている。彼らを、自らのたわいなき空想と空虚な想像にふけさせ、ほおっておけ。彼らはまことに、全知にして全てに賢き神の書諸の中で、道に迷った者らとして見なされている。シーア派の聖職者たちはみな、今、その説教檀から真なる御方を罵(ののし)り非難している。何と言うことか。ダウラト・アバディ[二九] もその真似をした。彼は説教檀に上り、「書簡」を苦痛のために泣かせ、「ペン」を嘆き悲しませるような言葉を発した。彼の振る舞いとアシュラフ[三〇] ――彼の上にわが栄光と慈愛あれ――の振る舞いについて瞑想せよ。そしてし、同様に、わが名において殉死の場へと急ぎ、世界の望みなる御方の道において命を捧げた愛されし者らのことを考えてみよ。

この大業は明らかであり、それは太陽のごとくまぶしく輝く。しかし人々は自らをベールでおおって帳(とばり)にしてしまった。神の方へ戻るために彼らに恵み深く助け給うよう、われは神に懇願す。彼こそはまことに、お許しになり、慈悲深き御方なり。

おお、タールの人々よ!われはこの「場所」から汝らにあいさつの言葉を送り、神が――彼に祝福と誉れあれ――御恩寵の御手で好意の手から堅忍不抜の選り抜きのワインを汝らに飲ませ給うになるよう、神に懇願す。まことに、彼は恩恵の主にして恵み深く、誉れ高き御方におわす。我欲のままに利己的な望みによって動き、たわいなき空想の解説することにしがみつく、この世の未熟な者らをほおっておくがよい。まことに、彼こそは汝らの救助者であり、救援者助におわす。彼はまことに、お望み給うになること全てをなさる力がおありである。唯一にして類なく、強大にして最も偉大なる彼以外に神はいまさぬ。

彼の啓示の「夜明け」の方へ己の顔を向け、発言の「舌」がこの祝福され、栄光に満ち、他に匹敵するもののないこの「日」に語ったことを認めた者らの上に、わが存在からの栄光があらんことを。

第七章 ローヘ・ダニャ

(世界の書簡)

ローヘ・ダニャ(世界の書簡)

発言の王国において大声で呼びかけるわが御名において

明白なる領土の主には、賛美と感謝が捧げられるのが似つかわしい。主は、アリ・アクバーとアミンの存在によって強力なる牢獄を飾られ、その牢獄を、確信と堅忍不抜と保証の光で明るく照らされた。[三一]

光と栄光、敬礼挨拶と賛美が、主の大業の翼成者の上にあらんことを。彼らを通して、不屈の精神の光は輝き出で、選ぶ権威は強力かつ強大にして全き自由な御方なる神にある、という真理は確立されたのである。神は強力かつ強大にして全き自由なる御方である。また、彼らを通して、恩恵の海はうねりを上げ、人類の主なる神の恵み深き恩寵好意の香りは、放散したのである。神の軍勢の力によって彼らを守り、神の領土の力によって彼らを擁護し、全創造物にみなぎる、神の不屈の強さによって彼らを援助し給うよう、われは神に懇願す――神は崇高なり。主権は神のものであり、神は諸々の天の創造主にして、諸々の名称の王国の主におわす。

「偉大なる告知」はこう宣言す――「おおペルシャの人々よ!昔、汝らは慈悲の象徴であり、愛情と親切の具現者であった。世界の諸々の地域は、汝らの知識の光の明るさと、汝らの学識の炎で明るく照らされ、飾られていた。何ゆえに、自らと友人たちを、自らの手で破壊しようと立ち上がったのか。

おおアフナンよ、おお、わが古来の「幹」から分岐した汝よ!わが栄光と慈愛は、汝の上にある。神の大業の幕屋はいかに広大なことか!それは地球の全ての民族と親族をおおいこんだ。そしてそれはやがて、全人類をその下陰影の下に集めるであろう。奉仕の日は今や到来した。無数の「書簡」が、汝に授けられた恩恵について証言する。わが大業の勝利のために立ち上がり、汝の発言の力によって人々の心を征服せよ。汝は、みじめな人や虐げられた人々の平穏と幸福を保証するものを示さねばならない。おそらくそのような人の鎖の束縛を解き、その人が真の自由を得られるよう、気を引き締めて待ち努力のために身を構えよ。

「正義」はこの日、その境遇を嘆き、「公平」は圧迫の支配の下でうめいている。残虐の厚い雲は地球の表面を暗くし、その人々をおおってしまった。わが栄光のペンの動きを通して、われは、全能なる「命令者」の命令により、あらゆる人間に新しい生命を吹きこみ、あらゆる言葉に新たな力を教えこんだ。全創造物は、この世界的再生の証拠を宣言する。これが、この虐げられた者のペンが人類に告げた最も偉大で、最も喜ばしい知らせである。されば何ゆえに恐れるのか、おお、わが最愛なる人々よ。誰が汝らを狼狽させることができるというのか。この強情な世代の人々を作っているが形造られている土、その固い土を溶かしてしまうには、ほんの少しの水分で十分である。汝らが共により集まることだけでも、これらの虚栄心が強く、何の価値もない人々の勢力を追い散らすに十分である。

争いや不和は、野獣の行いに適したことである。バビ共同体によってが鞘(さや)から抜かれた剣が彼らの鞘(さや)に戻されたのは、神の恵みと、適切な言葉や賞賛さるべき行為の助けによってであった。まことに、立派な言葉の力により、廉直な人々は、常に、人々の心の牧草地を支配することを成し遂げてきた。事挙げよ、愛されし人々なる汝らよ!思慮分別を見捨てることなかれ。最も崇高なるペンが与えた勧告の方へ汝らの心を向け、自らの手や舌が人類の間の何者にも害を与えぬよう、注意せよ。

「タ」の地[テヘラン]について述べながら、われは「ケタベ・アグダス」の中で、人類に勧告するものを啓示した。この世で残虐行為をなす人々は、地球の民族や親族の権利を横奪し、自らの利己的な望みを熱心に追い求めている。「ヤ」の地[ヤズード]の暴君[三二] は、天上の群衆が血の涙を流すような事をしでかした。

おお、わが発言のワインをから飲み、「わが啓示」の地平線に視線を向けた汝よ!科学や教養において匹敵するもののなかったペルシャの人々が、地球の親族のうちで最低の堕落の底に落ちてしまったのは、何と奇妙なことであろうか。おお人々よ!この祝福された、この栄光ある日に、豊富な恵みの主が汝らにお与えになった寛大な恩恵のほとばしりを失うことなかれ。この日、英知と発言の雨は、聖なる慈悲の雲からどっと降り注いでいる。神の大業について公平に判断する者は幸いであり、不正なる者は哀れなり。

「虐げられた者」のペンが啓示した事は、世界の発展とその人々の地位を向上させるのための最高の原動力であることを、この日、あらゆる洞察力ある者は喜んで認めるであろう。立ち上がれ、おお人々よ、そして神の力によって己を克服して勝利を得よ。されば全地球はそのたわいなき空想が作り出した諸々の神々への隷属から解放され、聖別されるであろう。その神々は、その崇拝者らに大いなる損失を招き、その崇拝者らの惨(みじ)めな状態に落とし入れたさに対して責任があるのである。このような偶像は、人が完璧さに達する道で払う努力の妨げとなる障害である。神の力の「手」によって人類に援助が差し伸べられ、人類をその悲惨な堕落の状態から救い出されるという望みを、われは抱いている。

ある「書簡」の中で、次のような言葉が啓示された――おお神の民よ!自らの関心事に没頭忙しく従事するな。人類の富を回復させ、人々の心や魂を神聖にするものに、自らの思考を集中させよ。これは、清く神聖なる行為によって、そして高徳な人生と善良な振舞いによって最もよく達成されできる。勇敢な行動はこの大業の勝利を確実にし、高徳なる人格は大業の力を強化する。正義を固守せよ、おお、バハの人々よ!これはまことにし、この「虐げられた者」が汝に与えた命令であり、汝らめいめいに対する、「彼」の束縛されぬ「意志」の第一の選択である。

おお友人たちよ!この聖なる、魂を奮い立たす「春季」に汝らに降り注がれ、浴びせられている恵み深き好意を通して、自らの魂を活気づけ、蘇(よみがえ)らせることが、汝らの義務であるに似つかわしい。神の偉大なる栄光の太陽はその輝きを汝らの上に放散し、神の無限の恵みの雲は汝らをおおいこんだ。それほどすばらしい恩恵を奪われず、この神の新しい衣における最愛なる御方の美を認めそこねることもなかった者の報いはいかにすばらしいものか。自分を見守るがよい。なぜなら、「邪悪なる者」は汝らをわなにかけようと待ち構えているのだから。「邪悪なる者」の邪悪な工夫に対して身を構え、全てを見抜かれる神の名

の光によって導かれ、汝らを取り囲む暗闇から脱出せよ。自らの視野を、己自身に限るものよりむしろ、世界を包みこますものに向けよ。「邪悪な者」とは、人の子らの向上と精神的進歩を妨げる者のことである。

全ての国々や政府の利益を促進し、その地位を向上させるもの全てにしっかりとつかまることは、この日、あらゆる人の義務である。最も高遠なる御方のペンが啓示した節のひとつひとつによって、愛と和合の扉の錠は開けられ、人々の面前で広く開けられた。われは以前にこう宣言した――そしてわが言葉は真実である――「友好と親善の精神にて、あらゆる宗教の信奉者らと交わるがよい」。人の子らにお互いを避けさせ、彼らの間に不和と分裂を引き起こしたものは全て、これらの言葉の啓示により、取り消され、廃止された。神の意志の天から、また、生存の世界を高潔にし、人々の知性と心を向上させるために、全人類の教育のために最も効果的な手段であるものが送られてきた。昔の人々が語り、書き記した全ての事柄の最高の真髄を最も完全に表現したものは、この最強の啓示により、全てを所有なさり永続し給う神の意志の天から送られてきたのである。昔についてはこう啓示された――「自国への愛は、神の信教の要素である」。しかし、「壮大の舌」は、その顕現の日にこう宣言した――「誇りは自国を愛することにあるのではなく、全世界を愛することにある」。これらの崇高なる言葉が放った力により、彼は新たな推進力を与え、人々の心の鳥に新たな導きを与え、彼の聖なる「書」から、あらゆる抑制と制限の跡を取り除いたのである。

この虐げられた者は、神の民が口論や争いに従事することを禁じ、正しい行為をなすことや賞賛さるべき人格を持つように勧告した。この日、大業の勝利を確実にできる軍勢とは、善良な振舞いと高徳な人格という軍勢である。それらをしっかりと固守する人々は幸いであり、それらから背(そむ)く人は哀れなり。

おお神の民よ!われは、礼儀正しくあるよう汝らに勧告する。なぜなら、それは他の全てに勝って、美徳の中の王子なのであるから。礼儀正しさの光によって明るくされ、正直の衣を着せられた者は幸いである。礼儀正しさを授けられた者はみな、まことに、崇高な地位に達したのである。この虐げられた者や、その他あらゆる者がそれを得ることを可能にされ、それを固守し、それに視線を固定さすことが望まれている。これは、「最大名」の「ペン」から流れ出でた義務的な命令である。

この日こそは、人々の内なる自分の鉱山に隠されている堅忍不抜の宝石が明かされるべき日である。おお「正義」の人々よ!光のようにまばゆく、「燃える柴」の中で燃え上がった火のごとく輝かしくあれ。汝らの愛の火の明るさは、疑いなく、地球の争い合う民族や親族を融合させ、和合させる。しかし敵意と憎しみの炎の激しさは争いと破壊を引き起こすことしかできない。神の創造物を神の敵の邪悪な企みから擁護して下さるよう、われは神に懇願す。神はまことに、全てを支配する力をお持ちである。

唯一の真なる神に最高の誉れあれ――神の栄光は崇高なり――なぜなら神は、「最も高遠なる御方」の「ペン」を通して、人々の心の扉の錠を開けられたのだから。この「ペン」が啓示したあらゆる節は、高徳で敬謙なる人生や清く汚れのない行為の栄光を明かす。明るく輝かしい門なのである。われが発した呼びかけやメッセージは、ひとつの国やひとつの民族のみに伝えたり、または利益を与えるように意図されたものでは決してないのである。全人類は、自らに啓示され付与された全ての事をしっかりと固守せねばならない。そうして初めて、人類は真の自由を得るのである。全地球は、神の啓示の輝かしい栄光によって明るく照らされている。「神の導き」の光の前触れとなった御方は――全創造が彼のための犠牲とならんことを――六十年に[三三]「神の精神」の新たな啓示を告げるために立ち上がり、それから二十年後、その到来により世界が、この約束された栄光、このすばらしい好意を受け取ることになされた御方が現れた。人類の大部分がいかに、神の最も崇高なる「言葉」に耳を傾ける能力を授けられたか見よ。全ての人々が供に集まり、精神的に復活することは、その「言葉」に依存するのである。

アッカの牢獄にいる間、われは、人類の進歩と世界の再建設のために役立つことを、「深紅の書」に啓示した。創造の主の「ペン」がそこで述べた言葉は、人々の業務を管理するための根本的原則である次のような事柄を含んでいる。

第一原則。「小平和」を促進することは、正義院の大臣らの義務である。されば、地球の人々は途方もない経費の重荷から解放されるであろう。敵意と争いは苦しみと大惨事の根源であるが故に、この事柄は絶対的に必要かつ不可欠である

第二原則。諸々の言語はひとつの共通語となされ、世界中のあらゆる学校で教えなくてはならない。

第三原則。友好と親切と和合を促進する事をしっかりと固守することが、人間にふさわしい。

第四原則。男女に関わらず、あらゆる者は、商売や農業やその他の職業によって、自らが得る収入の一部を、委託人に渡すべきである。それは、子供らの訓練と教育のために、また、正義院の信託人らの認識のもとに使われるべきである。

第五原則。特別な配慮を、農業に払わねばならない。これは五番目に挙げられたが、疑いなく他の事柄に優先するものである。農業は他の国々では非常に発達しているが、ペルシャでは今までのところ、はなはだしくなおざりにされている。陛下ペルシャ王――神が恵みにて彼を援助し給わんことを――が、この重大かつ重要な事柄に注意を向けることが望まれている。

「最も高遠なる御方」の「ペン」が「深紅の書」の中で啓示したことを、人々が厳しく守るならば、彼らは、世界に広まっている諸々の規則なしで済ませることが十分にできるようになるであろう。おそらく、権力の顕現者や勢力の夜明けなる人々が、いつか執行するために、あるいくつかの勧告はくり返し、「最も高遠なる御方」の「ペン」から流れ出でた。まことに、誠実なる探究者らが見つけられるなら、神の行き渡る抵抗しがたい「意志」のあらゆる放散は神の愛のために明示されるであろう。しかし、熱心な探求者や探求の心の持ち主らはどこにいるのであろう。現在、一日たりとも、激しく燃え上がる新たな残虐行為の火なしに過ぎ去ることはなく、新たな攻撃の剣がさやに収められずに過ぎ去ることはない。

全く驚いたものだ!ペルシャの身分高き人々や貴族は、非常に野蛮な行為に誇りを感じている。そのため、人はその話を聞いて驚きのために戸惑ってしまうほどである。日夜、この虐げられた者は、人々の主に感謝している。なぜなら、われが発した助言と勧告の言葉は効果を現し、この人々は、わが眼において望ましい人格と振舞いを示したのだから。これは、世界の眼を元気づけた出来事によって確認されている。その出来事とは、友人たちが自らの敵の味方となって高い地位の権威者らに取りなしをしたことに他ならない。まことに、廉直な行為は、自らの言葉について証言する。敬虔なる人々が、自らの振舞いの輝かしい光によって世界を明るく照らすことを、われは望んでいる。また、この日、あらゆる人が神の愛において確固とし、神の大業において不動であることをかなえて下さるよう、われは全能なる御方に懇願する――全能なる御方は栄光あり、崇高である。神はまことに、神に全く献身的で神の教えに従う人々を保護なさる御方なり。

おお、神の民よ!わが「栄光のペン」が啓示した領域は無数であり、それによって真の啓発を与えられた眼は様々である。しかしペルシャの大部分の人々は、有益な勧告の益に預かれず、役に立つ科学や教養に全く無知なままである。以前、これらの崇高な言葉は、ある忠実なる者に敬意を払って、「栄光のペン」により特別に啓示された。それによりおそらく、道から逸(そ)れた人々が「真理」を受け入れ、神の法律の難解な点について知ることができるように。

不信心な人々や不忠な者たちは、四つの事に専念してきた。ひとつは、流血であり、ひとつは書物を焼き払うこと、もうひとつは他の宗教の信奉者を避けることであり、さらにもうひとつは他の共同体や集団を絶滅することである。しかし今や、神の言葉の強化させる恵みと力により、この四つの障壁は破壊され、これらの明白な禁止令は「書簡」から消し去られ、残忍な性質は精神的な属性に変えられた。神の目的は崇高にして、神の権力は栄光あり、神の統治権は誉れ高きものなり!それでは、シーア派の信奉者らを恵み深く正しい道へと導き、不適切な振舞いから彼らを清めて下さるよう、神に懇願しよう――神の栄光は崇高であり、この宗派のメンバーの唇から、淫(みだ)らな呪(のろ)いの言葉が止めどもなく発される一方、彼らは、日々の好みとして「マルン」(呪われた)――それは「アイン」という文字の喉音によって発されるのだが――という言葉を唱えるのである。

おお神よ、わが神よ!あなたは、あなたの「光」(バハ)なる者のため息を聞き、日夜の彼の嘆きに耳を傾けておられます。また、彼は自らには何も望まず、むしろ、あなたのしもべらの魂を神聖にし、彼らを常に悩ませている火から彼らを救おうと努めていることを、あなたはご存じであります。おお主よ!あなたの好意を持たれた僕(しもべ)らの手は、あなたの恩恵の天へ向けて上げられ、あなたの誠実な愛人たちの手は、あなたの寛大さの荘厳なる頂点へと持ち上げられました。私はあなたに嘆願致します。あなたの好意の海と、あなたの恵みの天と、あなたの恩恵の太陽から彼らが求めるものにおいて、彼らを失望させ給うな。おお主よ、世界の諸々の民族の間で彼らの地位を高めるような美徳を得るよう、彼らを助け給え。まことに、あなたは強力にして強大であり、最も寛大なる御方におわします。

おお神の民よ!注意を払えば、人々の自由と幸福と平穏、地位の向上と発展を確実にするような事に耳を傾けよ。ある法律や原則は、ペルシャのために必要かつ不可欠である。しかし、これらの手段は、陛下――恵みによって、神が彼を援助し給わんことを――や学識ある神学者や高位なる統治者らが考慮した見解に応じて採用するのがふさわしい。彼らの認可を得て、会合の場を決めるべきである。その会合で、彼らは協議の綱にしっかりとつかまり、人々の安全と繁栄と富と平穏のためになる事を採用し、執行するべきである。なぜなら、これ以外の手段が採用されたなら、混乱と騒動が引き起こされるだけであるから。

「ケタベ・アグダス」や他の「書簡」の中で、われが以前に啓示した根本的な法律に従って、あらゆる業務は、公正な国王や大統領や正義院の信託人たちが管理するよう委ねられている。われが発した事について熟考するなら、公平な心と眼識力ある全ての人は、内なる眼と外なる眼にて、その事から輝き出でる正義の太陽の輝かしさを容易に感じるであろう。

英国人がロンドンで採用している政治形態は望ましいものと思われる。なぜならそれは、王権と、人民の協議の両方の光によって飾られているが故に。

原則と法律を述べるにあたって、人々の安全と保護のための効果的な手段となる刑罰について、一部をあてがった。しかし、刑罰の恐れによって、人々は下劣で蔑(さげす)むべき行為から外見的に思い留められるのに反し、人間を外見的にも内面的にも保護し抑制するものは、これまでも、そして今も、神への畏れなのである。この最高の恩恵が現れるようになす事をしっかりと固守するのが、人間に似つかわしい。わが「栄光のペン」が宣言した全てのことに耳を傾け、日の老いたる御方なる命令者が命ぜられた事に従う者は、幸いである。

おお神の民よ、汝らの真の類なき「友人」の勧告に自らの心を向けよ。神の言葉は若木のようであり、その根は人々の心に植えつけられているのである。英知の命ある水と、聖別され神聖な言葉の命ある水によってその成長を促すことは汝らの義務である。されば、その根はしっかりと固定し、その枝々は天とその彼方と同じく高く伸びゆくであろう。

おお、地上に住む汝らよ!この最高の啓示の卓越した性質を示する顕著な特徴とは次の通りである。ひとつは、人の子らの間で争いと悪意と危害の原因となった全ての事を、われは神の聖なる「書」のページから消し去ったことであり、もうひとつは、調和と理解と完全かつ永続的な和合のための不可欠条件を示したということである。わが法令を守る人々は幸いである。

危害の匂いがするもの全てを避けるよう、いや、そのようなものから逃避するよう、われは、わが親愛なる人々に何度も勧告した。世界は大変な混乱に陥り、その人々の心は全くの混乱状態にある。神の正義の栄光にて、恵み深く彼らを明るく照らし、常にまた全ての条件下で彼らに有益なものを彼らが見つけるのを可能にして下さるよう、われは全能力者に懇願する。彼こそはまことに、全てを所有なさり、もっとも高遠なる御方なり。

われは以前に次のような荘厳なる言葉を発した――この虐げられた者に忠誠を誓う人々は、慈善と善意の行為をなす時には雨雲のようであらねばならず、自らの卑しく貧欲な性質を抑制するにあたっては燃え上がる火のごとくあらねばならない。

驚いたものだ。非常な驚嘆の念を起こさせた事が最近起こった。ある人[三四] がペルシャの王宮を訪れ、その機嫌取りの振舞いにより、その貴族のいく人かの好意を得るのに成功した、と報告されていた。まことに、何と哀れで、何と嘆かわしいことか。最高の栄光の象徴であった人々が、なぜ、限りない恥べき事さえもするのかと人は不思議に思う。彼らの高遠な決意はどうなったのだろうか?威厳と栄誉の誇りはどこへ行ってしまったのであろう。栄光と英知の太陽は絶えることなくペルシャの地平線上に輝いていたのに、今やそれは、ある高官たちは、愚かな人々の手の中で遊び道具として扱われるほどに下落してしまった。前述した人物は、物事に精通した人々や学識ある人々が驚嘆するようなことを、この人々に関して、エジプトの新聞やベイルートの百科辞典の中に書いている。そうして彼はパリへ行き、「ウルヴァトル・ヴトゥカ」[しっかりした柄]という名の新聞を発行し、その写しを世界のあらゆる所に送った。彼は、その写しのひとつをアッカの「牢獄」にも送り、そうすることによって彼は、愛情を示し、過去の行為の償いをしようという意図を持っていたのである。端的にいって、この虐げられた者は、彼に関しては何も語らずにいた。彼を保護し、彼の上に正義と公平の光を放って下さるよう、われは、真なる御方なる神に懇願する。彼は、次のような言葉を唱えるのが似つかわしい。

おお神よ、わが神よ!あなたは、私が、あなたのお許しと慈悲の扉の前に立っているのを見、あなたの恵み深き好意と様々な祝福の地平線の方へ視線を向けているのを見ておられます。私は、あなたの優しい語調と、あなたのペンの鋭い声にかけて懇願致します、おお全人類の主よ。あなたの日々にふさわしく、あなたの顕示と威厳の栄光に似つかわしいように、あなたの僕(しもべ)らを恵み深く助け給え。まことに、あなたは、お望みになる全てのことをなさる力がおありです。諸々の天と地に住む全ての者は、あなたの権力と勢力、あなたの栄光と寛大さについて証言致します。あなたに誉れあれ、おお、諸々の世界の主にして、理解力あるあらゆる者の心の最愛なる御方よ!

おおわが神よ!あなたは、貧しさの真髄があなたの富の海を求め、不公平の本質があなたの許しと優しい慈悲の水を渇望しているのをごらんになります。おおわが神よ、あなたの偉大なる栄光に似つかわしく、あなたの限りなき恵みの深遠さにふさわしいものを与え給え。まことにあなたこそは、全てに恵み深く、恩恵あふれる主にして、命令者であり、全てに賢き御方におわします。あなた以外に神はいまさず、あなたは最強にして、全てを制し、全能なる御方におわします。

おお神の民よ。今日あらゆる者は次のような言葉の地平線の方へ視線を定めるべきである――「単独で、誰からも援助されることもなく、彼はお望みになる全てのことをなさる」。この地位に達する者はみな、まことに、神の本質的な単一性の光に達したのである。その反面、それに達しない人々は全て、神の書の中で、たわいない空想と無駄な想像に従う者と見なされている。この虐げられた者の声に耳を傾け、自らの地位の高潔性を保護せよ。あらゆる者がこの事を守るのは、まことに必要不可欠なことである。

遮(さえぎ)られず、隠れることなく、この虐げられた者は、科学や技術や知識、幸福や繁栄や富の扉の錠を開ける鍵となるものを、世界の全ての民族の目の前で常に宣言してきた。圧制者たちが与えた虐待は、最も崇高なるペンの鋭い声を黙らせることはできなかったし、強情な人々や扇動的な人々の疑惑は、彼が最も荘厳なる言葉を啓示することを妨げることもできなかった。バハの人々を、これ以前の信教の信奉者らのたわいなき空想や堕落した想像から守り、清めて下さるよう、われは熱心に、神に嘆願する。

おお神の民よ!他の人々の導きのために身を捧げ、卑しく貧欲な性質の誘惑から解放され、また十分に守られている廉直なる学識ある人々は、世界の望みなる「者」の目からすると、真の知識の天の星なのである。敬意を持ってそのような人々を取り扱うことが必要である。そのような人々はまことに、穏やかに流れる水の泉であり、きらきらと輝く星であり、祝福された「樹」の実であり、天の権力の具現者であり、天の英知の海なのである。彼らに従う者は幸いである。まことに、彼らに従う者は、強大なる玉座の主なる神の書の中で、幸いな者として数えられているのである。

天上の玉座と下界なる地球の主なる神から生じる栄光は汝らの上にある、おおバハの人々よ、おお「深紅の箱舟」の伴侶者らなる汝らよ。その栄光はまた、汝らの美しい声に耳を傾け、この強大で驚くべき「書簡」の中で自らに命ぜられたことに従った人々の上にある。

第八章 アシュレ・コレ・ヘール (知恵の書)

アシュレ・コレ・ヘール (知恵の書)

崇高なる御方、最も高遠なる御方なる神の名において

善の源は、神を信頼し、その命令に服従し、そしてその聖なる御意志と御意向に満足することである。

英知の真髄とは、神を畏怖し、その裁きと処罰を恐れることである。

宗教の真髄とは、主が啓示なさったことを認めて、その強力な『書』にて定められたことに従うことである。

栄光の源とは、神が授け給うものをすべて受け入れ、神が定め給うことに満足することである。

愛の真髄とは、主がお望みになることのみを求め、神以外のすべてから超脱し、『最愛なる御方』の方へ心を向けることである。

神を記憶するとは、最高に讃えられし方なる主の名を述べ、主以外のすべてを忘れることである。

真の信頼とは、この世で職業に従事し、主にしっかりとしがみつき、彼の恵みのみを求めることである。なぜなら、人間の運命はすべて神の手中にあるゆえに。

超脱の真髄は、人が顔を主の宮廷へ向け、主の面前に達し、その御顔を見、彼の前で証人として立つことである。

理解の真髄とは、己の貧困を認め、慈悲深く、力に満ち給う王である神の御心に服従することである。

勇気と力の源は、神の言葉を広め、神の愛において不動なることである。

慈悲心の真髄とは、神の祝福を詳述し、常に、そしてあらゆる状況下において、神に感謝することである。

信仰の真髄とは、言葉数が少なく、行動が豊富なことである。言葉数が多く行動が乏しい者は、まことに、死んでいる方がましであることを知れ。

真の安全の真髄は、沈黙を守り、物事の最終の結果を見、世俗から超脱することである。

寛大の始まりとは、己の富を己自身とその家族、そして信教の中の恵まれない仲間のために費やすことである。

富の真髄とは、われを愛することである。われを愛する者はあらゆるものを所有し、われを愛さぬ者は、まことに、貧しく困窮している。これは『栄光と光輝の指』が啓示したことである。

悪の源は、主に背を向く、邪悪なものに愛着を持つことである。

最も激しく燃える炎とは、神を否定し、神の御前で高慢な態度を示し、啓示なさったことに対して根拠のない異議を唱え、神の徴(しるし)を疑うことである。

学識の源は神――神の栄光に誉れあれ――を知ることである。これは神の顕示者を知ることによって以外には達成できない。

堕落の真髄とは、『慈悲深き御方』の保護のもとから出て行き、『邪悪なる者』の保護を求めることである。

過ちの源は唯一の真なる神を否定し、その『命令』から逃げ、彼以外のものに頼ることである。

真の喪失とは、己を全く知らぬままに人生の日々を過ごしてしまうことである。

われが汝のために啓示した全てのものの真髄は正義である。そしてそれは探究心を持ってあらゆることを調べ、空想や模倣から解放され、神がなさった輝かしい行いを一体性の心眼で見ることである。

汝が、主なる神に感謝し、世界の人々の間でそれを誇りとせんがために、かくのごとく、われは汝らに指図し、『英知の言葉』を顕示した。


[一] イスラエルのハイファにある聖なる山。この書簡はこの山でバハオラに啓示された(1868年)。バハイ信教の世界本部はこの山の麓にあり、万国正義院、国際資料館、聖典研究所、国際テイーチングセンターなどから成るアークが存在する。バブの廟もここにある。(訳注)

[二] イスラエルのエルサレムにある丘。エルサレムの神殿がここにあった。(訳注)

[三] シナイ山はモーセが十戒を受けたといわれる山。シナイ半島はエジプト北島部、紅海の北端にあるが、ここがその山のあったところと考えられている。正確な位置は確認されていない。(訳注)

[四] モーゼはシナイ山に登り、燃える柴を見、神と会話したとされる。(訳注)

[五]象徴的な意味で、神の法律を指す。(訳注)

[六]万国正義院のメンバー(訳注)

[七] 時に「キリスト教徒への書簡」とも呼ばれる。(英語訳注)

[八] イエス・キリスト(英語訳注)

[九] イエス・キリスト(訳注)

[一〇] ユダヤ教の教会(訳注)

[一一] イエス・キリスト(英語訳注)

[一二] コーラン 81:6、81:10(英語訳注)

[一三] ミルザ・ハディ・ドーラット・アバディ・イシファハンの聖職者のひとりで、バブの信奉者となったが後にミルザ・ヤーヤの支持者となり、ミルザ・ヤーヤのイランの代理人、そして後継者として指名された。バビ教徒の迫害のとき、彼は信仰を否定した。(英語訳注)

[一四] ターバンと杖=ムラ[イスラム教律法学者]のしるし、象徴。(英語訳注)

[一五] コーラン 6:91(英語訳注)

[一六] キプロス

[一七] ミルザ・ヤーヤ

[一八] ヤズードにいた忠実な信者のひとり。彼はイシュガバードのマシュリゴウル・アズローをデザインし、それはアブドル・バハによって承認された。彼は1903年に殉死した。(英語訳注)

[一九] アラビア語(英語訳注)

[二〇] 優れたペルシャのバハイの伝道者そして著者。彼は9年間をカートゥムで牢獄・追放生活を送り、イランのあちこちを旅し、1920年に聖地で没した。彼は、「カルメル山の天使」として、西洋の巡礼者らに知られていた。(英語訳注)

[二一] コーラン、34:12

[二二] イエス・キリスト

[二三] ハジ・ムラ・ハディ・サブズィヴァリのこと。バハオラと同時代の人物で、イランの著名な哲学者かつ詩人。1873年没。

[二四] ミルザ・アブル・カスィム・ファラーニ、ガイーム・マカーム。ファート・アリー・シャー時代の優れた詩人、学者。

[二五] コーラン、四章百二十九節参照)

[二六] コーラン、五十九章九節

[二七] ムハムマド・ジャヴァデイ・ガズヴィニ。バハオラは彼に、「イシュムラヒ・ジュド」(神の御名、恩恵)という称号を授けた。彼は、バハオラの時代にバハオラの書簡を数多く書き写す仕事をしたが、後に聖約を破壊した。God Passes By[神よぎり給う]の二四七ページおよび三一九ページ参照のこと)。

[二八] イスファハンの近くの村

[二九] ミルザ・ハデイ・ダウラト・アバデイ。イシュファハンの神学者。バブの信奉者になったが、後に、ミルザ・ヤーヤを支持し、イランにおけるミルザ・ヤーヤの代理、後継者に指名された。バビ教徒の迫害の間、信仰を否定した。

[三〇] ミルザ・アシュラフ。イシュファハンで殉死した。God Passes By、二百一ページ参照。

[三一] 神の大業の翼成者なるハビ・ムラ・アリ・アクバー・シャーミルザディとハジ・アブル・ハサン・アーダカニ、アミニ・イラヒ(ホゴゴラの信託人)は、1891年に、ガズヴィンに投獄され、後にテヘランの牢獄へ移された。

[三二] アフマド・ミルザ王子、ジャラルド・ドーリー、ペルシャのヤズードの知事。

[三三] A.H.一二六〇年[イスラム紀元]。西暦一八四四年。

[三四] ジャマルド・ディニ・アフガニ。God Passes By[神よぎり給う]、二九六ページ、三一七ページを参照。