聖典

ここ掲載される文献は、バハオラ、バブ、アブドル・バハによる著作です。

バハオラは、バハイ信教の創始者で、その生涯で100冊以上に相当する書簡を著されたと言われます。そのうち、英訳されているものから日本語としてすでに発行されているものをここで読むことができます。バハイ聖典で「神の言葉」とされるのは、厳密にはバハオラの言葉を指します。

バブはバハオラ到来の準備をすべく、短期間ながらバビ教という独立宗教を説き、広めました。短期間とは言え、著された書簡は膨大と言われていますが、邦訳されているものはまだわずかです。これから徐々にその量は増えていく予定です。バブの使命は、バハイ教の道を敷くことでしたが、ある意味ではバブの時代はバハオラの時代が続く限り、同時に続くとされるため、バブの言葉もこの時代の「神の言葉」として紹介されることがあります。

アブドル・バハは、バブやバハオラのような神の顕示者ではありませんが、バハオラ亡き後のバハイ共同体をまとめるという役割(=「聖約の中心」)と、バハオラの言葉や教えの意味を解釈する(=「解釈者」)という役目をバハオラより直接授けられた、特別な存在です。厳密には、その言葉は「神の言葉」の部類に入りませんが、アブドル・バハに授けられた役割故に、その言葉の妥当性はバハオラのそれと同じとされます。その意味で、アブドル・バハの言葉も「バハイ聖典」の中に数えられます。

さらに、アブドル・バハは晩年、欧米を訪問し、様々な場所で講演をなさいました。それは講演集として記録が残っています。また、聖地(イスラエルのハイファ)では巡礼者を迎えて、巡礼者が出す問いに答える形でのテーブルスピーチが「質疑応答集」という形で残っています。これらの講演集や「質疑応答集」は、アブドル・バハご自身が後に内容を確認されているため、「書簡」とは異なる「講演」ではあるものの、「聖典」として見なされています。

このように、この時代の「神の言葉」としての定義は厳格かつ明瞭である一方、「聖典」としては、「聖約の中心」かつ「教えの解釈者」なるアブドル・バハの書館と講演まで含まれるという独特な構成になっており、それゆえに、その量は非常に豊富で、主題は多岐にわたり、それを読む者にとっては大変大きな恩恵を被ることになっています。

(注:上記を除いて、聖地を訪れた巡礼者が、アブドル・バハのお話を聞いて書き取ったメモは、アブドル・バハの直接の認証がないものは「聖典」に入らず、バハイの正式な教えに入りません。しかし、内容的に参考になるものも多いため、しばしば「巡礼ノート」という名称で紹介されることがあります)