信頼

序文

バハオラは、信頼という美徳を「世界が繁栄するための最高の手段であり、あらゆる人びとの安全の地平線である」といわれました。この小冊子は、バハイの書から抜粋した句を編さんしたものです。ここで、この重要な美徳について、はっきりとした力強い指示が、はじめて日本語で与えられました。

信頼という美徳は、各個人のバハイの人格育成、および共同体全体の生活の中心となるものです。万国正義院は、平和をもとめる世界の人びとに、バハイの経験を平和への模型として研究するように呼びかけました。より多くの人びとが、この呼びかけに応じてくるにしたがって、私たちバハイは、信頼という美徳のバハイの基準はなんであるかを理解することが必要になってきます。また、この美徳を、バハイ共同体の内外、つまり、家庭内、仕事や事業の場、および他人との交際上で実行することが非常に重要になってきます。この小冊子では、どのような基準が求められているか、また、その理由とそれに達するための方法が説明されています。

信頼ということは、バハイやその機構が、着手、または管理する社会経済発展計画が増えるにつれて、とくに重要になってきます。それらの計画の成功や健全さは、主に、バハイの道徳基準を理解し、すべての言動でそれを示す私たちの能力に依存するからです。バハイの原則や道徳を守ることは、ますます疑い深くなり、不信をつのらせている世界の人びとに、この信教が真実であることを示すことにもなります。さらに、私たちは、全人類が利益を受けるような模範的な行動をとるように奨励されているのです。

この貴重な編さん集は、個人の勉強と共同体の研究に豊富な資料を提供するものです。ここに集められた引用文の大半は、はじめて出版されるものです。

信頼

バハオラの書からの抜粋

1. おお人びとよ!今日、神の眼にもっともうるわしく見える衣は、信頼という美徳である。この最高のかざりでよそおう人には、すべての恩恵と栄誉が与えられるであろう。

2. 信仰は木とみなされる。その果実、葉、大小の枝は、過去も現在も信頼、正直、高潔、忍耐である。

3. 神に属する美徳と属性はすべて明らかに現されており、すべての聖典に述べられ、説明されてきた。それらのなかには、信頼、正直、神と交信するときの心の純粋さ、寛容、全能者が命じたもうたすべてのことへの服従・神の意志により下されたことへの満足、苦しみのなかでの忍耐、いや、それどころか感謝すること。そして、あらゆる境遇に:おいて神に全面的に頼ることがある。

これらの美徳を身につげることは、あらゆる行為のうちでもっとも高貴で、もっとも賞賛されるべきものと神は判断したもう。ほかのすべての行為は、二次的、従属的なものである。今後もずっとそう見なし続けるであろう。

4. おお人びとよ、つねに真実を語ることであなたがたの舌を清め、正直のかざりであなたたちの魂をかざりなさい.おお人びとよ、誰も裏切らないように気をつけなさい。神が創造されたもののなかで、神から信頼される人となり、神の人びとのなかで、寛大さの象徴となりなさい。欲望と堕落に向く人たちは誤りにあり、努力をむだにした人たちである。まことに、かれらは迷った人たちである。

5. 唯一真実の神が自らを顕わされる目的は、全人類がつねに真実を語り、誠実であり、敬虔で信頼できる人となるように導くためである。また、神の意志に自分を委ね、それに服従し、寛容で親切な人となり、高潔で英知をもつように指導するためである。神の目的は、すべての人に聖人のような品格の外衣をきせ、清らかで立派な行為のかざりでかざることである。

6. 言あげよ。つねに真実を語ることと礼儀正しさをあなたのかざりとしなさい。清らかで甘美な香りが、あなたがたの心から万物に放散されるように、寛容と正義の衣を失ってはならない。

言あげよ。バハの人びとよ、言動が一致しない人たちの道を歩まないように気をつけなさい。神のもろもろのしるしを地上の人びとに現し、神の命令を実行できるように努力しなさい。

7. 神の栄光は高遠である。世界の人びとの間に正義と公正が広がるように、その国のバハイの友人たちのひとりひとりが、称賛に値する性格をそなえるように、われは神の援助をこん願する。

全創造の根本にある第一の基本的な目的は、立派で信頼される、誠実で好意的な人びとが人類のなかに現れることにほかならない。その目的は将来も変わらないであろう。というのも、これらの特性は、平和、安全、静穏をもたらすものであるから。そのような美徳を身につけている人たちは幸いである。

8. おおわが神よ、あなたの御名の超越的な栄光により、愛する人たちを正義の衣でつつみ、かれらの実体を信頼という光で照らしたまえ。あなたは望むままにすべてを為す力をもちたまい、眼にみえるもの、見えないものすべてを手中に収める御方でありたもう。

9.言あげよ。神の人びとよ!信頼と敬虔というかざりで、心身をかざりなさい。さらにまた、数多くの立派な行動と称賛に値する性格で、あなたがたの主を援助しなさい。

10.ある日、われは緑の島におもむいた。そこに着いたとき、小川はせせらぎ、木々はこんもりと繁り、そして日の光はそのなかでたわむれているのを見た。顔を右に向けたとき、そこに、ペンが描写できないものを見た。また、そのもっとも聖別され、もっとも崇高で、祝福され、もっとも高遠な場所で、人類の主が目撃されたことを述べることはできない。それから、われは左方に眼を向け、最も崇高な楽園の麗人の一人が、光の柱に立ち、このように声高らかに叫んでいるのを見つめた。

「おお天と地の住民たちよ。わたしの美、その光輝、その出現、そのさん然とした輝きを見よ!真実者なる神にかけて誓う。わたしは信頼であり、その出現であり、その美である。忠実にわたしに従い、わたしの地位と身分を認め、わたしのすそに確固とすがる人たちのすべてに、わたしは報いを与えるであろう。わたしはバハの人びとの最高のかざりであり、創造界にあるすべての人びとへの栄光の衣である。わたしは世界の繁栄への最大の手段であり、すべて存在するものへの安全の地平線である」

あなたがたが創造主に近づけるものを、われはこのように下したのである。

11.第四のタラズは、信頼に関するものである。まことに、信頼という美徳は、地上に住むすべての者にとり、安全の戸であり、全慈悲者から下された栄光のしるしである。まことに、それにあずかる者は、富と繁栄の財宝にあずかる者である。信頼は人民の静穏と安全にみちびく最大の門である。実に、すべての事柄の安定は信頼という美徳に依存してきた。また、現在もそうである。威力と壮大さと富の領域はすべてその光で照らされている。

12.今日、人が信頼という衣で身をかざるならば、神の眼には、聖なる宮1に徒歩で旅し、最愛なる御方に会見する祝福を受け、その栄光の座の面前に達するよりも好ましい。

信頼は、人類の町を守るとりでのようなものであり、また人体の眼のようなものである。それを身につけない人は、神の王座の前では、視力に欠けている人に数えられる。

13.われは、友らひとりひとりを思い起こし、信頼の重要性を訴える。神はそのしもべらに決して信頼を裏切らないよう命じられたのである。また、神から慈愛を受ける人たちと、忠実で謙虚なしもべたちのために、正義を強力なとりでとなした。すべての国の人びとのなかで、友らに威厳と栄誉をもたらすあらゆる美徳を重要視するように勧告するのである。

14.おお、あらゆる国と地方の、神より選ばれ、慈愛を受ける人びとよ!この世の人びとから虐待を受けた者(バハオラ)は、信頼と正義を貫くようあなたがたに命じる。これらの特質の光で照らされた町は幸いである。これらは人の地位に栄誉をさずけ、創造の世界に住む万物の眼前で、静穏と安全の門を開くものである。これらの特質を着実に身につけ、それらの美点を理解する人は幸いである。そして、その価値を論議する人にわざわいあれ。

15.おお、神の町に住む神の友らと、神に愛される人たちよ!この虐待を受けた者は、あなたがたに正直と敬虔を命じる。正直と敬虔の光で輝く町に幸いあれ。それらを通して人は高揚され、安全の戸は全創造の面前で開かれるのである。正直と敬虔の美徳を確固として守り、それらの真価を認める人は幸いである。そして、それらの地位を否認する人にわざわいあれ。

16.あらゆる国で、神に従って信頼を身をもって実行する人であれ。あなたがたは、たとえ黄金で満たされた町を通りすぎても、一瞬たりとも、それに誘惑されないほど、この美徳を身をもって実行しなければならない。

おお、真に信じる人たちの集まりよ。これがあなたがたに求められている基準である。あなたがたの富と財力で恩恵深い主を援助しなさい。それにより、神のすべての世界で、そのしもべらが唯一真実の神の芳香をあなたがたから感知することができるように。

17.今日、金銀で満たされた町を通りすぎても、それらを一べつもしようとしない人こそ神の真のしもべである。この世で眼にするすべて、それが品物であれ、財宝であれ、それらによって汚されず、心を純粋に保ちつづける人こそ神の真のしもべである。真理の太陽にかけて誓う!そのような人の息吹には力が付与され、その言葉には魅力が与えられる。

18.言あげよ。わたしの名をになう人よ!あなたにこそわたしの栄光と慈愛が下される。あなたは信頼と敬虔のうるわしい衣でかざられてきた。これらのふたつの美徳は、あなたに慰めを与えてくれるふたりの友のようなものである。そしてまた、これらはあなたを見守るふたりの番兵のようなものであり、神の指示によってあなたを害から守るふたりの保護者のようなものである。

19美徳の衣のすそにすがり、敬虔と信頼のひもを固くにぎりなさい。自分の利己的な欲望にではなく、世の利益になることを考えなさい。おお神の人びとよ!あなたがたは世の人びとの羊飼いである。群が邪悪な情欲と愛欲の泥沼で汚されないように、そして各々が神の正義をおそれるというかざりでかざられるように守りなさい。これは、今日、永続者のペンから出された確固とした命令である。神の正義にかけて誓う!正しい行為と立派な性格は、はがねの刃より鋭い剣である。

20.すべての人が、神が喜ばれるような美しい性格と立派な行為と親切な言葉を身をもって示すことができるよう、神の慈悲深い援助を懇願する。

人びとの心のとりでは、高貴な性格と称賛に価する行為という軍勢によって征服されるべきである、と神は命じられてきた。論争、不和、争い、および扇動はすべて神の書で禁じられてきた。主が、その領土1から信頼の太陽のさん然と輝く光をうばわれないよう、また、正直の昼の星の輝きと、正義と公正の天体の光輝を拒まれないよう、主にこん願しなさい。信頼と敬虔は、神の定めが記されている書簡の天空の地平線上にさん然と輝くふたつの光体のようなものである。それらの輝きを認めた人たちは幸いである。思慮なき人たちにわざわいあれ!

21.われは、もっとも明白で雄弁な言葉をもって、信頼と敬虔、および存在の世界において人の地位を高揚するような美徳で、人格をかざるようにすべての人びとに忠告してきた。死ぬ運命にある人間が、まったくの無から存在の領域に踏みでてきた目的は、この世界の向上のために働き、和合と調和のうちに暮らすことであることを、この虐待された者は証言する。神はつねに不和と争いを否認されてきたし、将来もそうされつづけるであろう。このもっとも強大な啓示の根底にある目的は、世界とその国々の再建にほかならないこと、言葉の力が武力を征服し、世界の諸事は愛の力で運営されるようになることである。過去の時代の聖書、聖典、経典はすべてこの吉報を宣言してきた。われは、すべての人びとに信頼の外衣が与えられるよう、真実の神に懇願する。その外衣こそ世界で最も美しい衣服だからである。

1かくされたる言葉 アラビア編14番参照

22.神への畏れと神の書に明かされたすべてにすがりなさい。「真理の言葉」であり、見えざるものを知る者(バハオラ)は、このようにあなたがたに命じられる。

言あげよ。信頼に答えることはわれの法の天の太陽であり、正直はその月であり、称賛に価する性格はその星である。しかも、大半の人びとはそのことを理解しない。

23.わたしは、甘美な慈愛の水を飲み、眼を栄光の国に向けた唯一真実の神の忠実な信者たちにあいさつを送る。わたしは、かれらに、信頼と正直をもって振る舞い、純潔で徳の高い生活を送るように命じた。おお、わたしの愛する友人たちよ!そのような美徳で、自分の性格をかざる人はだれであれ、神の真のしもべのうちに数えられ、その名は天の集合より祝されるであろう。しかし、そのような美徳を身につけない人は、そのうちには数えられないであろう。永遠の命をもたらすような美徳と特質を身につげるように、刻苦して努力しなさい。信頼の木の果実を、裏切りの石の的としてはならない。また、その枝を暴虐と圧政の道具で切り裂いてはならない。正直と誠実は、つねに、人の性格のかざりであった。将来もそうありつづけるであろう。

おお、バハイの友人たちよ!このはかない世界、万物が無常を証言している世界のごまかしの魅惑によって、神の永続する贈り物から切り離されてはならない。また、神が恩寵の天より下された精神的な食べ物をうばわれてはならない。至高なる『真理の言葉』である御方に注目しなさい。神をまったく信頼し、適切であなたがたにふさわしいことが与えられるようこん願しなさい。創造の主である神の手に、諸事を委ねなさい。前の世代の人びとを思い起こしなさい。あの高慢で、虚栄心の強い者たち、不正と邪悪を行った者たちは、いずこに駆け去ったのだろうか。かれらの財宝の宝庫、宮殿、とりで、そして王座はどこにあるのだろうか。過ぎ去った時代とその栄枯盛衰をよく考え、それからいましめを受けなさい。すべての人が、神の承認と満足にかなうことを実行できるように神の援助を求めることが、この虐待を受けた者の祈りである。

24.わたしは、あなたをもっとも愛しく思う。そして、わたしがあなたを愛するように、信頼と正直のうるわしいかざりと、強大な王座の主である神の書で命じられている美徳と高潔の特質を現しているすべての人を愛するのである。聖なる言葉の芳香を嗅ぎ、全知者、全識者である神が明かされたことに耳を傾けた人の運命は幸いである。まことに、神はその大業が幾多の立派な行為と公正な性格によって援助されることを望まれた。この真理を理解し、それにしたがって行動する人は幸いである。それを無視、または否認する人にわざわいあれ!

25.わたしはバハイの友人たちにあいさつを送り、かれらが公正と信頼と敬虔と高潔と慈愛をもって行動するように勧告する。なぜなら、このような特質こそは、最終的には、この世界で人間が真の地位に達するために役に立つものだからである。

永遠の真理である御方一その栄光は高遠である一は、忠実さをこよなく愛されてきた。その衣で身体をかざり、この最高の栄誉を受ける人は幸いである。

26.まことに、信頼と英知と正直は、創造された者たちをかざる神のうるわしいかざりである。これらの美しい衣は、すべての身体を被うにふさわしいものである。このことを理解する人は幸いであり、これらの美徳を身につける人は幸運である。

27.つねに、信頼のひもにすがり、正直の衣のすそを固く握りなさい。真実を述べる、信頼される御方は、このように命じられる。

神はこれを証言したまう。信頼は天よりけんらんと輝く光であり、全能者、比類なき者、全賛美者である神の大業を高めるものである。聖約を忠実に守ってきた人は、信頼を固く守ってきた人である。一方、それを否認した人は、なげかわしくも誤った人である。

28.あなたがたはすべて、内部と外部をかざり、信頼の衣を着、正義の帯をしめ、正直と公正で装って、大業の発展と人類の教育の手段とならなければならない。

29.今日、神の友らは、世の人びとに発酵をおこさせなければならないパン種のようなものである。全人類がその模範から利益を受けられるように、信頼と正直と忍耐と立派な行為と性格を示さなければならない。

30.神の幕屋に住み、永遠の栄光の座にその地位を確立した人は、飢えで死にひんしていても、隣人の持ち物に不法に手を出すことを拒絶するであろう。その隣人がどれほど下劣で価値のない人間であっても。唯一真実の神が、自らを顕わされる目的は、全人類がつねに真実を語り、誠実であり、忠実で信頼できる人となるように導くためである。また、神の意志に自分を委ね、それに服従し、寛容で親切な人となり、高潔で英知をもつように指導するためである。

神の目的は、すべての人に聖人のような品格の外衣をきせ、清らかで立派な行為のかざりでかざることである。

31.おお、わたしの愛する人たちよ!わたしは信頼と公正をもって振る舞うようにあなたたちに命じる。あなたがたの主の属性が、あなたがたを通してしもべたちに顕示され、主の高遠な神聖さの証拠がすべての国に現れるように。

主は、まことに制定者であり、日の老いたる者でありたもう。

32.おお、神の友人たちよ。わたしのしもべたちとわたしの人民に対して、最高の信頼をもって振る舞うようにあなたがたに勧告する。信頼の助けにより、神の大業は世界中に推進され、その高遠な神聖さは全創造に現されるのである。

全人類の信頼の宝庫になりなさい。わたしは、書簡のなかでこのように命じてきた。まことに、あなたの主は全知者であり、全賢者でありたもう。

33.あらゆる国の神の友人たちよ!この虐待を受けた者は、世界の最愛の御方に誓ってあなたがたに厳命する。かれは、あなたがたが同胞の所有物を不法に取り扱わないように、言葉を通して、声高らかに叫ばれているのである。あなたがたは、神の領土で信頼を受ける人たちとなり、神の国全土にわたって正直の権化となりなさい。

神の勧告を心に留め、その教えを守る人は幸いである。

24.わたしは、すべての人が仕事または専門職に就くように命じ、そのような職業に従事することを礼拝行為とみなした。しかしながら、神が満足されるしるしとして、神の恩恵の手より信頼の外套を受け取るべきである。信頼に答えられることは神の援助と繁栄をひきつける最大の手段であるから。信頼に足ることが、あなたがたがたずさわる諸事に成功と祝福をもたらす輝かしい、そして慈悲深く雨を降らす雨雲となりますように、神にこん願する。神は、まことに全てに恩寵を与える者、慈悲者でありたもう。

35.商業を天とみなせば、その天の太陽は信頼で、月は正直である。至高の真理である御方からみれば、万物のうちもっとも貴重なものは信頼である。神の巻物にはこのように記録されてきた。全人類がこのもっとも高貴で、崇高な地位に達することができるよう、唯一真実の神にこん願しなさい。

36.あなたが手紙のなかで述べている支払いの要求に関して述べてみよう。負債を支払う能力がありながら、それを怠る人は、唯一真実の神の意志にしたがって行動していない人である。負債を負った人は、全力をつくして支払いを終えるように努力すべきである。信頼、高潔、他人の権利を尊重することに関する神の拘束力のある命令は、すべての聖書、書簡、聖典、経典に明白、明快な言葉で記録されてきた。

この世のはかない虚栄のために、不朽のかざりを失わなかった人、どん欲と怠慢から信頼の太陽の光輝をさえぎられなかった人は幸いである。しかしながら、そのことに関しては、相手に返済能力があるかどうかによる。というのは、返済要求は、相手の返済能力に依存するからである。

聖典の主にかけて誓う。返済能力がない人に、返済の要求をすることは認められない。つぎの句はこのことを証言するものである。「負債者が払えるまで待ってやること。」1

37.わたしは、大半の書簡のなかで、神のしもべたちに信頼と正直と公正と公平な態度をもつ人間になるように勧告してきた。しもべたちが不正と邪悪を避け、敬虔と神への畏れをもって行動するように命じてきたのである。

しかしながら、思慮のない人たちはますます道に迷って行くばかりであった。まことに、神の創造物である人間が、神一その栄光は高遠である一の意志と満足にしたがって行動したのであれば、全地球は現在、ひとつの国、美と光の祝福された領土となっていたであろう。

38.言あげよ。不正と犯罪をやめ、信頼と敬虔と正直と誠実に固守しなさい。これは審判の日の主である神の命令である。この世から虐待を受けた者(バハオラ)は、世俗の欲望に駆られて語っているのではない。制定者であり、日の老いたる者である神の書に明かされたとおりに語っているのである。この世で、人間が高い地位に達する手段は、公正な性格をもつことであることが明らかにされるであろう。神の栄誉あるしもべたちは、このように証言する。かれらは、この世の人びとの邪悪なうわさに妨げられることなく、強大な王座の王であるかれらの主に奉仕するために立ち上がった人たちである。

コーラン、牝牛、二八○節

39. 地獄の火に入る者であっても、偽善者であるな。

不信心者であっても、陰謀者であるな。

居酒屋に居をかまえても、不和の種をまく者となるな。

神を恐れても、人を恐れるな。

死刑執行人に首を与えても、心を与えるな。

聖なる葦笛はこのように美しい調べを詠唱し、楽園のうぐいすはこのように歌うのである。願わくば、死ぬ運命にある人間の身体に、永遠の命を吹き込み、ちりで造られた身体に聖霊の真髄と天国の光を与え、そして、ただ一語の力により、このはかない世を永遠の王国に引き寄せることができるように。


バブの言葉からの抜粋

40. ある日、バブは蜂蜜を買ってくるように依頼した。しかし、依頼された人が買ってきた蜂蜜の値段はバブには法外に思われた。かれはそれを受け取ることを拒否し、こう云われた。

「たしかに、これより上質の蜂蜜がもっと安い値段で買えるはずだ。あなたの模範であるわたしは、商いを仕事としていた。取り引きをするときは、つねにわたしのやり方にしたがわなければならない。あなたがたは、隣人からだまし取ったり、だまし取られたりしてはならない。

あなたの師は、このようなやり方を取ってきた。もっとも抜け目がなく、もっとも才にたけた者も、あなたの師をあざむくことはできなかった。師もまた、もっとも卑しく、もっとも無力な人びとに対して物惜しみをすることはなかった」

バブは、蜂蜜を買ってきた付き添いの者に、それを返し、もっと上質のものをもっと安い値段で買ってくるように強く言い渡たされた。


アブドル・バハの書からの抜粋

41. つねに真実を述べることは、あらゆる美徳の土台である。つねに真実を語らなければ、神のどの世界においても、進歩し、成功することはできない。この尊い美徳が身につけば、ほかのすべての聖なる特質もまた身につくであろう。

42. おお、サディクよ!つねに真実を語ること、高潔であるであること、誠実であることは公正な人の特質であり、清純な人の特徴である。つねに真実を語ることは、ほかのすべての美徳を包含するために、もっともすばらしい特質である。

つねに真実を語る人は、すべての道徳的苦しみから保護され、すべての邪悪な行為を避け、すべての不正な行動から守られるであろう。というのも、すべての悪徳と非行は、まさしく、つねに正直であることの正反対であり、つねに真実を語る人は、それらを忌み嫌うからである。

43. おお、清純な人よ!つねに真実を語る人の例に習い、公正な人の道を歩きなさい。つねに真実を語ることにより、「真理の座」1を獲得し、正しい行いにより永遠の栄誉に達することができるように。

すべての罪を秤にかけるならば、うそはそれだけで、ほかのすべての罪を合わせたものに匹敵するであろう。いや、それどころか、その悪弊の目方はより重く、その害はより重大なことがわかるであろう。

信仰を告白しながらうそつきであるよりも、冒涜を口にしても真実を語る方が良いことである。これらの明白な言葉は世の人びとへの忠告である。あなたを通して、この勧告が全人類に与えられることを神に感謝しなさい。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――-

コーラン、月、五五節1

44. 神の軍隊よ!祝福された美(バハオラ)――かれの愛する人びとのためにわたしの命が犠牲にされんことを――の保護と援助により、あなたがたは人びとのなかで太陽のように際立ち、光り輝くように振る舞わなけれぱならない。

あなたがたのうちの一人が、ある町に入れば、その人の誠意、忠実と愛、正直と忠誠、世界のすべての人びとに対する誠実と慈愛によって、人びとを引きつける中心とならなければならない。そうしてこそ、その町の人びとは声高らかにこう言うであろう。「この人は、まぎれもなくバハイである。この人の態度、振る舞い、行動、道徳、性格、そして気質にはバハイの特質が反映されているから」

あなたがたが、この地位に達するまでは、神の聖約と聖なる書に忠実であったとは認められない。というのは、神はその論破できない聖句により、私たちのすべてと、拘束力のある聖約を結ばれたからである。その聖約は、私たちに神の聖なる教訓と勧告にしたがって行動するように求めているのである。

45. . . . 私たち、および神の友人たちは、忠実で、誠実で、善意の人となる努力をどんな事情があってもゆるめてはならない。

私たちは、つねに真実を語り、誠実を示し、いやむしろ、絶えず忠実で信頼できる人となり、すべての人びとのために祈りを捧げることに専心しなければならない。

46. 真に信じる人の主な特徴は、信頼できることであり、一方、反抗者の主な特徴は、信頼できないことである。

47. ある人が、あらゆる善行をつくしても、始終一貫して信頼できず、正直であることをためらうならば、その人の善行は乾いた火口のようになり、その失敗は魂を焼き尽くす火となるであろう。

一方、もしその人がすべての諸事を十分に果たさなかったとしても、信頼と正直をもって行動するならば、その人の欠陥は最後にはすべて正され、傷はすべて治され、弱点はすべて癒されるであろう。

この意味は、神の眼には、信頼は神の信教の土台であり、あらゆる美徳と完全性の基本であるということである。

信頼できない人は、すべてに欠けている人である。信頼がなければ、信仰と敬虔が何の役に立ち、結果はどんなものになるであろうか。また、どんな利益と恩恵を与えることができるであろうか。

したがって、アブドル・バハはこのようにバハイの友人たちに忠告、いやむしろ、熱烈に求めているのである。つまり、神の大業の神聖さを決して汚さないように注意し、個人自らの威厳をきちんと守ることである。そのようにすれば、どの国においても、バハイは信頼でき、公正な人として知られ、尊敬されるようになるであろう。

今日、バハイの友人たちは、これ以上偉大な奉仕をすることはできない。それに反する行動は、神の大業の根底に斧を打ち込むようなものである。

私たちは、そのような憎むべき違反から逃れて、神のもとに避難し、神から愛される人たちがこの極悪な誤りを犯さないように、神の保護を祈るのである。

48. あなたは、バハイ同士の事業上の取り引きに関して質問した。これは非常に重要な質問であり、最大の関心を寄せるに価するものである。

この種の関係においては、神の友人たちは、最大の信頼と正直をもって振る舞うべきである。これを怠ることは、祝福された美の勧告と神の教えに背を向けることである。

人が自分の家のなかで、親族や友人たちに信頼されるよう振る舞わなけれぱ、世間の人びととの関係で、どれほどの信頼と正直を示したとしても、それはむだに終わり、実を結ばないであろう。

人は、まず第一に、自分の家庭内の問題を整え、それから世間との取り引きに精を出すべきである。

ほかのバハイとの人間関係はそれほどきちんとする必要はないとか、あるいはバハイでない人びととの交際において、正しく振る舞いさえすれば、バハイ同士の取り引きでは信頼をそれほど重要視する必要がない、などと論ずべきでないことはもちろんである。

このような話は、まったくの空想であり、害を招くだけである。人びとのなかで信頼の光で輝き、全人類のなかで完成のしるしとなる人こそ幸いである。

49. あなたがたの会の順調な運営は、神の友人たちが示す献身と正直と公正と目的の純粋さに依存する。したがって、業務の管理には、清らかさと気高さと遠目のきく賢明さを示さなければならない。

そうしてこそ、ほかの団体の模範となり、すべての人びとがその模範によって教化され、啓発されるであろう。

このようにして、バハイは信頼できる人であり、正直で、徳が高く啓発され、純粋で洗練された人として知られるようになろう。

また、勤勉で高尚な主義をもち、偏見にとらわれずに自由を促進し、その関心事は公益に奉仕することであり、私利を求める者ではないこと、そして、その目的は人びとの幸福と繁栄を促進することであり、自分の幸福を追求する者ではないことが知られるようになろう。

50. 商業活動は公平で公正な態度で行うべきである。そうすれば、ほかの人びとの教訓となろう。これが基準である。

神の友人たちは、仕事をとおして人びとを神の道にみちびくべきである。努力すれば、かれらは驚嘆し、つぎのように叫ぶであろう。「なんというすばらしい正直さであろうか!なんと信頼をおける人たちであろうか。そして、この人たちの善意はなんと本物であろうか」

51. すべての会社は、神の法則にしたがって設立されるべきである。人びとの権利を保護するために、その土台は信頼と敬虔と正直でなければならない。

52. 商業、農業および工業は、唯一真実の神への奉仕をはばむものであってはならない。実際、このような職業は、人の敬虔と信頼、そして慈悲深き主の美徳を明らかに証明するもっとも強力な手段である。

53. 国家の幸福を心から願い、政府に従順にしたがうあなたがたは、つねに奉仕に専心すべきである。

政府で働く人は、すべての行為で、最高度の公正と正直、節度と自制、清純と高潔、正義と公平を示すべきである。

こういったことは起こるべきでないが、もし、そのような立場にある人が、わずかでも信頼を裏切るようなことをしたり、いい加減で、漫然とした態度で仕事に取りかかったり、民衆からほんの一文でも不法にうばったり、私利や私腹をこやそうとするならば、その人は必ず神の恩恵の流露を失うであろう.

54. 任命された職務を果たすにあたり、あなたは行動によって最高水準の信頼と正直、まったく疑いの余地のない誠意、私利に左右されない高潔さを立証しなければならない。

そうすれば、バハイは正直そのものであり、非のうちどころのない美徳の真髄であることをすべての人びとに示すことができよう。

バハイが職務を引き受けるときの動機は全人類への奉仕のためであり、私利をこやすためであってはならない。

その目的は、真理の大業を立証するためであり、恩を全く忘れ、自分だけの利益を追求することではない。

55. 政府の仕事にたずさわっている人は、最高の忠誠、信頼、公正、正直、高潔、および心の高尚さをもって職務を果たすべきである。

私利を求めて良い評判を汚したり、はかないこの世の利益を追って世間の非難の的となったり、崇高な敷居(バハオラ)から追放されたりしてはならない。

56. 国家に仕えるために選ばれるか、または行政官の地位に任命された人たちは、真の奉仕の精神と任務に快く取りかかる精神をもって業務を果たすべきである。

言いかえれば、その人たちは、立派な気質と徳の高い性格で知られ、定められた報酬に満足し、すべての行動で信頼を受けるべきである。

かれらはまた、くだらない動機を避け、どん欲な企みから離れて超然としていなければならない。というのも、公正、正直、正義は神の恩恵を引きつけ、国家の繁栄と国民の福利を保証するもっとも強力な手段のなかに数えられるものだからである。

人間の栄光と名誉は、富や財産に見いだされるものではない。とりわけ、食い物にされた民衆の犠牲の上に、強奪や横領や汚職によって不法に蓄積された富や財産には栄光と名誉は見いだされることはない。

人間界における最高の栄誉、気高さ、偉大さ、およびこの世と次の世における真の幸福は、公正、正直、高潔、そして愛着から離れていることにある。

人が高貴になりたいと望むならば、質素な食べ物で満足し、その国の貧しい人たちの生活の向上をはかり、正義と公正の道を選び、気高い奉仕の道を歩まなければならない。

そのような人は、貧しくても不滅の富を得、永遠の栄誉を勝ち取るであろう。

57. バハイの友人の誰かが政府の仕事に就くときは、その仕事を聖なる敷居に近づくための手段となすべきである。

その人は、正直と高潔をもって行動し、あらゆる種類の金銭上の不正と腐敗を徹底的に避け、受け取る給料に満足し、むしろ自分が仕事に注ぐことのできる機敏さ、力量、そして判断力に誇りをもたなければならない。

ある人が一塊のパンで満足し、自分の力でできるかぎりの正義と公正をもって職務を果たすならば、その人はこの世の王子となり、人びとのなかでもっとも称賛に価する人となるであろう。

財布は空っぽでも、その人は高貴で、名高い人になるであろう。着古した衣服を身につけていても、その人は愛着の束縛より自由になった人たちのなかで、卓越した地位を占めるであろう。

人間にとって、称賛と栄光は徳の高い高貴な性格にあり、栄誉と卓越性は聖なる敷居に近づくことにあるからである。

これと比べると、この世の富は実体のない幻にすぎない。それを渇望する者たちは、邪悪にしたがう者たちであり、やがて、かれらは混乱と絶望に陥るであろう。

人はそのような状態である方がよいのか、それとも神聖な目的をもって献身し、誠実、高潔、および正直によって著しく卓越する方がよいのであろうか。

いや、実に、そのような特質はコーラの富1よりすぐれ、世界にあるすべての宝物より大切なものである。

58. バハイの友人のひとりが・・・行政庁の高官に任命されたならば、まったくの正直、高潔、誠実、公正、および潔白さをもって、託された任務を勤勉に果たす努力をすべきである。

しかしながら、不正または金目当てのため自分の地位を悪用するならば、「壮大なる敷居」で嫌悪の的となり、アブハの美(バハオラ)の怒りを招くであろう。

いや、それどころか、唯一真実の神とその賛美者のすべてから見捨てられるであろう。

そのような行動にはしることなく、自分の給与と手当金に満足し、正義の道を求め、国家と国民の奉仕に命を捧げるべきである。

バハイの行動と態度はこうでなければならない。これから逸れる者は、最後には損失をこうむることが明らかになるであろう。

59. 政府の各部門に雇用される人たちは、完全に愛着を断った態度と高潔と独立した精神をもって、また、完全な献身と清らかな目的をもって、自分たちの業務に取りかからなければならない。

かれらは、受け取る給与に満足し、汚職や不正手段で自分たちの立派な評判を汚さないように注意すべきである。

膨大な富(コーラン)1

今日、バハイの友人のひとりが、一円でも着服したならば、神の大業の聖なる衣は、その行為で汚され、その恥は共同体全体のものとなるであろう。

そのようなことは絶対許されない!それどころか、政府と国民が全国各地ですべての政務を神から愛される人びと(バハイ)の汚れのない清らかな手に委ねたいと望むほどにバハイは信頼されるようになるべきである。

60. 政府で働く人たちはすべて、地位の高低にかかわらず、まったくの高潔さ、正直、公正をもってささやかな俸給と手当に満足すべきである。

かれらは自分の手を汚したり、立派な名を損なわないようにしなければならない。

・・・ある人が公正な政府に対して忠実な態度をとらなければ、神に対しても忠実でないことになる。もし、政府に忠実に仕えるならば、その人は神に仕えることになるのである。

61. まったくの清らかさと愛着を脱した心で任務を果たし、けっしてわいろを受け取ったり、見苦しい動機を抱いたり、不健全な悪習を行ったりして、自分を汚してはならない。

与えられた給与で満足し、正直であり、率直であること、および徳行と美点を求めることにすぐれるように努力しなければならない。

というのは、富にうぬぼれることは、卑劣者だけが望むことであり、財産を自慢することは、愚か者だけにふさわしいことだからである。

真の栄光と栄誉を得るためには、正義と公正を実行し、強制を慎み、政府に仕え、同胞市民の利益のために働かなければならない。

これ以外のことを求めれば、明らかに損失を招くことになろう。

62. 人がわいろや汚職や国家に対する不義の害毒で自分を汚すならば、その人はなんと愚かで、無知で、その性格はなんと卑劣で、その人が造られている粘土はなんと汚いものであろう。

実際、そのような人よりも地上の害虫のほうが好ましいのである。

63. バハイの友人のひとりが、国家と国民に何らかの立場で仕えるように求められたならば、その人は、その仕事に真心をこめて専念し、まったくの正直と信頼と清らかな心をもって業務を果たさなければならない。


ショーギ・エフェンディの手紙からの抜粋

64. この時期は、神の大業に勝利をもたらすために、効果的な援助の手を差しのべるときである。神の信教の勝利は、その普及にかかっている。そして、普及の条件は、公正な行動と立派な行為と振る舞いである。神の道を生きる人生の礎石は、より高い道徳水準を求めることと、神の眼に満足な美点を備えた性格を身につけることである。バハイはこの聖なる衣装でかざらなければならない。かれらはこの強大な剣で人びとの心のとりでを征服すべきである。人びとは、美辞麗句や説話や説教や訓話にあきあきして、耐えきれなくなっている。

今日、世界をその陣痛の苦しみから救い出し、人びとの心を引きつける唯一のものは行為であり、言葉ではない。模範であり、教訓ではない。清らかな美徳であり、社会・政治的な諸事に関して政府や国家が発布する声明文や宣言書ではない。

大小すべての事において、言葉は行為を補足するものであり、行為は言葉にともなうものである。言葉と行為は相互に補足し合い、支え合い、強化し合わなければならない。この面で、バハイはほかの民族や国民よりすぐれるように努力しなければならない。もっとも高遠なる者のペンは、これらの民族や国民をつぎの言葉で要約された。「かれらの言葉は世界の自慢であり、かれらの行為は国民の恥である」

(バハイ共同体への手紙、一九二三年一二月八日)

65. バハイが引き受けるべき仕事、かれらが果たすべき職務と任務は、国民全体に利益を与えるような種類のものでなければならない。小グループの高官や少数の特定の人たちを利する手段となるようなものであってはならない。

さらに、敬愛するバハイの友人たちとバハイ行政会のメンバーは、それぞれの生活環境のなかで、また多方面にわたる取り引きや営みにおいて、自分たちの行為、態度、振る舞いを通してこの神聖な大業の真理を国民同胞に認識してもらうために、その卓越性を示し、その力とその精神の崇高さを証言する努力をしなければならない。

バハイは、単に口だけでメッセージを伝え、説明し、解説し、解明することに留まらないで、以上のような生活態度を示すべきである。バハオラの信教の主な解釈者であるアブドル・バハはこう書かれている。

「したがって、すべてのバハイは心のなかで、この非常に微妙で重要な問題を深く考えるべきである。つまり、ほかの宗教と違って、宗教上の教義について騒いだり、空虚な論争に甘んじないようにしなければならない。いやそれどころではなく、むしろバハイは生活のすべての面で、神から生み出された属性と美徳を身をもって示し、立派な振舞いで知られるように立ち上がるべきである。かれらは名前だけのバハイではなく、行為をもってバハイであることを証明しなければならない。次ぎに述べるような人こそ真のバハイと言える。つまり、日夜努力の道を前進し、向上しようとする人、最大の望みは、世界を豊かにし、明るくするために生き、行動する人、神の美徳の真髄から霊感を引き出す人、ほかの人が限りなく進歩できるための源となるように行動することを人生の目的とする人である。そのような完全な特質を身につけてこそ、その人は真のバハイと呼ばれることができるのである。というのは、過去の時代と周期の最高の栄光であるこの聖なる宗教制において、単に真の信仰は、神の唯一性を認めることではなく、むしろ、その信仰に含まれている完成と美徳をすべて現すような生活を送ることであるから」

アブドル・バハのこの言葉は、なんと堅実で、なんと力強い表現であろうか。その要求はなんと負担に感じられるであろうか。しかし、それにもかかわらず、バハイがこれらの聖なる美徳のかざりで自分たちの性格を十分に、また適切にかざることができれば、その立派でバハイにふさわしい姿ははじめて世間の人たちの眼に留まる。そのときバハオラの名が宇宙を燃え立たせるであろう。

(ある地方精神行政会への手紙、一九二四年一○月三○日)

66. 今日、バハイの精神は、長い間はぐくまれてきた理想1を永続する偉業に変える唯一の力であると私たちは主張するのである。しかしながら、それが最終的に立証されるのは、ただ私たちのあふれるばかりの立派な行動と清らかな生活と高潔な性格によってのみ可能である。

67. 現代は、すぐれた性格と行動を示す時代である。私たちは皆、この世にいる間にこれらの神の王国のかざりで自分をかざるべきである。そうすることにより、最も慈悲深き者の敷居にふさわしい奉仕ができるであろう。 (個人の信者へ、一九二四年一一月二四日)

68. 何れの協会、団体、または国家も永続し、安定するためには、その業務管理と活動方針が健全で有用な基本的原則に基づかなければならない。

バハイの方針原則は、正直、愛、慈善、信頼であり、個人的な利益の前に公の利益を置くことであり、敬度、美徳、中庸を実行することである。

そうすることにより、最終的にはバハイの保護と幸福は確保されるのである。

策略をめぐらす者や他人の不幸を願う者がもたらす不幸はどんなものであっても、それは波のように消え去り、その苦しみは喜びに変わるであろう。バハイの友人たちは、神の抗しがたい力と計りがたい摂理の庇護の下にある。

すべてを支配するこの力に、自分の生活を調和させて生きる清らかな人たちは、かならず、自分の業績に輝きを与え、十分な報酬を勝ち取るであろう。私たちは、この力に反対する人たちに反感をおぽえたりせず、むしろ、かれらが導かれるように祈るべきである。

そうすることがバハイの生き方であったし、現在も、未来もつねにそうなければならない。

(ある全国精神行政会ヘ、ー九二五年一二月一八日)

69. 東洋の国々で、神の大業の普及にたずさわっている精神行政会のメンバーの責任は、聖なる書に明白に定められてきた。

その書には次ぎのように命じられている。道徳観念の向上と学問の普及のために働くこと。無知と愚かさを除き、偏見を排除し、真の信仰を人びとの心と知性にしっかりと根づかせるために努力すること。自立心をもち、盲目的な模倣を避けるように努力すること。効果的な業務管理を促進し、あらゆる状況において、清純であり洗練されていること。つねに真実を語り、正直であるようにつとめ、率直に、勇気と決意をもって行動する能力を示すこと。

それらの書は次ぎのようにも命じている。農業と工業の発展を支持し、相互援助と協同の土台を強化すること。女性の解放と向上を促進し、男女双方の義務教育を支持すること。すべての階層のなかで、協議の原則を応用するように奨励し、あらゆる取り引きにおいて一点のやましさもない正直な基準を固く守ること。

その書はさらに、信頼と敬神、純粋な動機、親切な心、そしてこの物質界の足かせから超越する、といった美徳をもつように行政会のメンバーに強調している。

それはまた、かれらに自分自身を清めるように求めている。それは、西洋に大きな勢力をふるっている堕落した邪悪な影響を受けないためである。

また、つねに、そしていかなる状況の下においても、中庸を守るように命じているのである。

その聖なる書は、次ぎのように力説する。現代の学問――芸術も科学も同じく――のさまざまな部門をくわしく調査し、国民全体の利益に奉仕するために全力を注ぐこと。聖なる書を注意深く研究して理解を深め、そこに述べられている神の教えを現代の社会情況、必要性、状勢に適用すること。入り組んだ政党問題に加わることを避け、政治家たちの議論、神学者たちの論争、または人びとのなかで現在流行している病んだ社会理論のいづれにも関心も関わりももたないこと。

結論として、その聖なる書は次ぎのように勧告している。自分の住む国の政府が正式に制定した法律に、心から言葉どおりに忠実にしたがい、極端な伝統主義あるいは現代主義者の種々の方式、概念、および誤った基礎に基づいた議論から遠ざかること。技術者や科学者たちに栄誉、崇敬、尊敬を現し、かれらの努力を支持し、広い知識と学間的な博識をもった人たちに敬意を表し、かれらを尊敬すること。良心の自由の権利を支持し、ほかの個人、民族、国民の風習、習慣、信仰を批判したり、軽べつしたりしないこと。

以上が東洋の諸国民にとってもっとも緊急な必要条件として数えられるものである。

これらは慈悲深き者から委託された人たち、つまりバハイ共同体の代表者たち、精神行政会のメンバーたちの基本的な、実行すべき、避けられない責任なのである。

(東洋の精神行政会へ、一九二六年一月三○日)

70. バハの人びとは、いかなる国家または政府の管轄内に住んでいようとも、正直と誠実、信頼と公正をもって振る舞わなければならない。

かれらは、人びとの心に関心を寄せ、この偶発的な世界の変動と限界から超越すべきである。

かれらは著名になることを渇望したり、権力を求めたりはしない。かれらは偽装や偽善の達人でもなく、富と権勢を求める者でもない。重要な官職の盛大な儀式や宴会を切望したり、栄誉ある肩書や地位を渇望したりはしない。

かれらは虚飾や見栄を嫌悪し、強制的な力を用いることを避けるのである。かれらは神以外のすべてに眼を閉じ、確固として論争の余地のない主の約束に信頼を置いたのである。

かれらは、世俗的な願望や愛着のきずなを断ち、自分の生活を唯一、比類なき敬愛する御方に結びつけたのである。

かれらはまた、自己を忘れ、自分のエネルギーを社会の利益のために用い、神の信教の健全で有益な原則に確固としたがうのである。そして、気まぐれと愚劣さの犠牲者となった者たちの病的な想像、とりとめのない理論、人心を害する考えに背を向けた。

政治的な職務に就くことはきっぱりとことわるが、一方、行政上の職務には喜んで就くべきである。なぜなら、バハの人びとの主な目的は、国民の利益を助長し、その福祉を促進することであり、放埓で恥を知らない者たちのよこしまな目的と策謀を助長することではないからである。

これがバハイの方法である。これがすべての精神的に啓発された人びとの行動であり、そのほかは、すべて明らかな誤りなのである。

71. バハオラにしたがう者の共同体は、家庭内と毎日の仕事上の接触において・・・世間一般の人びとの眼と、常に見守っている師(アブドル・バハ)の眼に、自分がバハイの真理の生き証人として写ることを自覚するべきである。これは、師が生涯の最後の日までやさしくいつくしみ、疲れを知らずに擁護されてきた真理である。

(米国とカナダの全国行政会へ、一九二七年四月一二日)

72.もっとも高遠なる者のペンは、このように記録している。「神に対する畏れは、神の大業に勝利をもたらす最大の司令官である。この司令官にもっともふさわしい軍勢は、過去も現在も、正直な性格と清らかで立派な行為である」

したがって、バハの人びとは、最高度の高潔と敬神をもって生活し、諸事にあたるべきである。

そして、西洋の人びとのなかで広くはびこっている見苦しい習わし、嘆かわしいやり方や習慣をきっぱりと拒絶し、それらに関わることを断たなければならない。

敬度と献身が、この大業を賛美する人の目的であり、すべての公正な人のかざりでなければならない。そうでなければ、人間世界の徳行によって人びとの心の内奥の実体に与えられた輝きは、悪徳と堕落の暗やみに包み込まれ、圧倒され、徐々にしかも確実に不安定になり、衰え、消滅してしまうであろう。

礼儀と威厳は人間に高貴と尊敬をもたらすものである。一方、軽薄、滑稽、下劣、無礼な行為は、人間の屈辱、堕落、恥に通じる。

バハイはすべてに卓越するように努めるべきであり、実際そうしなければならないのである。そうでなげれば、バハイとほかの人たちとの間になんの違いがあるであろうか。

したがって、人間の地位の尊厳を落とすような行為はすべて固く避け、遠ざけなければならない。

(個人のバハイヘ、一九二八年一月二一日)

73. 秘密や欺まんやわいろ、または脅迫の罪で非難されるような根拠をつくらないように、自分たちの生活を整え、行動を規律正しいものにすべきである。

74. すべてのバハイは、仕事の取り引き、家庭生活、職場のすべてにおいて、公正なる行動をとらなければならない。また、将来、かれらが政府や国民に奉仕するときもそうでなければならない。

75. あなたは、正直と信頼をもって国家に仕える課題を出された。これらの特性を示すことによってこそ、バハイの友人たちの活動がほかの人から区別されなければならないのである。

むしろ、これらの特性を身につけることは、すべてのバハイがきびしく守らなければならない義務なのである。

かれらが仕えている指導者たちのなかには、かれらの努力の価値を認めてくれない人もいるであろう。またかれらの奉仕を正しく評価してくれない人もいるであろう。が、そのことによって、驚くことはない。

そのような指導者たちは、正義、公正、および公平の真の源泉から遠くへだたっているからそのような態度をとるのである。

私たちは、人間の行動にではなく、つねに眼を神の方に向けなければならない。すべての汚れのない行動、すべての誠実な意図は、真実者である神の賞賛を勝ち取るであろう。そして、神によって高められ、高く評価され、寛大な報酬をもって報いられるであろう。

(個人のバハイヘ、一九四八年三月八日)


ショーギ・エフェンディの代理から個人のバハイに宛てられた手紙からの抜粋

76. あなたが仕事上で困難に会ったことを知り、かれ(ショーギ・エフェンディ)は非常に心配されています。そして、あなたが、ある人たちとの激しい競争に出会っているのを聞いて、とくに心を痛めておられます。

その人たちは、あなたが親切に対応し、きびしく対処することを拒否したにもかかわらず、あなたを破産させ、事業から強制的に追い出す決心をしているようです。

守護者は、あなたがそのような本当のバハイにふさわしい寛容の態度をもちつづけるように忠告されていますが、同時に、くじげず、相手側のおどしに落胆したり、混乱させられたりしてはならないとおっしゃっています。

かれらが、どれほど道義に反するような方法を用いても、そのような悪意のある謀略は、長い目でみれば成功するはずはないということ、そして、それらに対抗するためのもっとも効果的な方法は、バハイの教えに一致する唯一の真の経営基準を無条件に固守することであるということに固い確信をもつことです。       (一九三八年一○月三一日)

77. 最後に、ショーギ・エフェンディはA氏の事業状態が改善されたことに満足しておられることも述べておきます。

かれが仕事の取引上できわめて立派に維持された高い道徳基準は、神の確証と祝福を引き出すことになるだけでなく、さらに、多くの人たちを信教に引きつける効果的な手段であることが証明されるよう、ショーギ・エフェンディはつづけて祈っておられます。

(一九四○年一一月四日)

78. 私たちの敬愛する大業の真実性を証明するために、信教は無私で愛に酔ったバハイたち、すぐれた精神的な資質をもった人たち、強力で勇敢な話し手、物的資源と能力をもった人びとを必要としている、というあなたの見解について、守護者は次のように書くよう指示されました。

「必要なことは、性格と行為を卓越させることであり、バハオラが啓示された法律にしたがうことです。それこそは神の援助を引きつける磁石となり、栄光に輝く者の大業の真実性と独特性を立証する手段となるのです」

かれはさらに、次ぎのように書くよう指示されました。

「欠点は徐々にしか除かれません。共同体は一歩一歩、自分たちを悩ませているさまざまな欠点を正し、計画的に、そして秩序正しい基盤の上にその業務を管理できるように、不断の忠告と勧告を受ける必要があります」

79. 同僚の医師や薬剤師から紹介料を受け取るという腐敗した習わしに対するあなたの態度は、非常に立派であると守護者は感じておられます。

バハイの行動がより正直で、より高潔であればあるほど、自分たちが信じる信教の精神的活力で一般大衆により深い印象を与えるでしょう。     (一九五三年十月二十日)