歴史と歩み

バハイ共同体の計画的発展

1844年、バハオラの先駆者バブが、人類に新しい時代の夜明けが到来したことを宣言して以来、167年の間に、その教えは世界の隅々まで浸透してしまった。2112の民族や部族を背景にもつ人たちがバハイ共同体のなかにふくまれ、 189の独立国と46の属領で確立されている。

仏教が日本に伝来したときはすでに創立から千年たっていたこと、そして、キリスト教が日本に紹介されたときはすでに千五百年たっていたことを考えると、バハイ共同体の世界への浸透はおどろくべき速さで行われたことがわかる。ちなみに、日本に紹介されたのは1909年(明治42年)であった。

分裂の無いバハイ共同体

では、バハイ共同体はまったく分裂することなく、和合を固めながらどのように広がって行ったのであろうか。それは、前に述べた聖約の力によるものである。つまり、バブ、バハオラ、アブドル・バハショーギ・エフェンディ、そして万国正義院の確かな指導のもとに計画的にひろがっていったのである。 バブの生存中に、その教えは2カ国に伝わった。バハオラの時代には15の国と属領、アブドル・バハの時代には35の国と属領、ショーギ・エフェンディの時代には、259の国と属領、そして、1963年の万国正義院の設立から現在(2010年)までに、すべての国と属領に伝わったのである。

聖なる計画の書簡

1916年、アブドル・バハは「聖なる計画の書簡」をあらわし、そのなかで、バハオラの教えがどのように北米から世界にひろがってゆくかを示した。ショーギ・エフェンディは、その「聖なる計画の書簡」に基づいて、1937年、最初の七年計画を立てた。そのあと、ふたたび七年計画、つづいて十年計画が立てられた。かれは、十年計画の最中にこの世を去ったが、計画は最後までつづけられ、259の国と属領にバハオラの教えはひろがった。 万国正義院も「聖なる計画の書簡」に基づいて、つづけて計画を立てていった。1964年の九年計画、1973年の五年計画、1979年の七年計画、1986年の六年計画、バハオラの昇天百年にあたる1992年は一年休んで、1993の年三年計画、1996年にはじまった四年計画、そして2000年から2020年まで五年ごとに区切られた20年にも及ぶ計画がそれにあたります。
計画ごとに、バハイ共同体は着実に拡大してゆき、現在(2010年)では 2112の民族や部族を背景にもった人がそのメンバーとなり、すべての国と属領に浸透し、草の根から社会の変革を押し進めており、国連のNGOとしても、もっとも相談を受ける機関に成長し、さまざまな国の首脳や高官が相談に訪れるまでになった。
このバハイ共同体の聖約の力による確実な発展は、人類はその多様性にもかかわらず、ひとつの人類家族として、共通の地球という祖国に生き、はたらくことを学び得ることができることを証明するものと言えます。

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