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かくされたる言葉

「かくされたる言葉」は聖なる神秘の宝庫である。
汝らがその内容について熟考する時、神秘の扉が開かれよう。
アブドル・バハ

ア ラ ビ ア 編

彼は栄光中の栄光なり
この書は、栄光の国土より降り、
権威と威信の舌によって語られ、
また古の神の使者たちに啓示されたところのものである。
われはその真髄を取り、正しき者たちへの天恩のしるしとして、
これを簡潔なる衣服もて包んだ。
これぞ正しき者たちが、神の聖約に忠誠を守り、
彼らが生涯において、神より託されたることを成就し、
心霊の領域において、
聖なる美徳の宝石をかち得んがためである。

一 おお心霊の子よ!

わが第一の忠言はこれである。すなわち、純粋にして優しく、また輝かしき心を持て。さらば古よりつづく不朽にして永遠なる主権は汝のものとならん。

二 おお心霊の子よ!

すべてのもののうち、わが目に最愛なるものは正義である。汝もし、われを求むるならば、正義にそむくな。またわれ汝を信頼し得るよう、それを等閑にするな。
その助けにより、汝、他人の目ならぬ汝自らの目にて見、隣人の理解力ならぬ汝自らの理解力にて知らん。汝の心のうちに熟考せよ。汝はいかにあるべきかを。まことに正義こそは、わが汝への贈物であり、わが慈愛のしるしである。されば、それを汝の目前に置け。

三 おお人の子よ!

わが太古よりの存在と、わが本質の不変の永遠性に包まれて、われ汝への愛を知った。さればこそ、われ汝を創った。汝の上にわが面影を刻み、汝にわが美を表わした。

四 おお人の子よ!

われ汝の創造を愛した。さればこそわれ汝を創った。されば汝、われを愛せよ。
われ汝の名を呼び、汝の魂を生命の生気もて満たし得んがために。

五 おお実在の子よ!

われを愛せよ。さらばわれ汝を愛し得ん。もし汝、われを愛さずば、わが愛は決して汝に達するを得ず。これを知れ、おお僕よ。

六 おお実在の子よ!

汝の楽園はわが愛である。汝の天の住処は、われと再び融和することにある。その中に入れ、ためろうな。これぞわが天上の王国にて、またわが崇高なる国土にて、汝のために定められたるところである。

七 おお人の子よ!

もし汝われを愛せば、汝の自我に背を向けよ。またもし汝わが喜びを求むるならば、汝自身の喜びを重んずるな。さらば汝、わがうちに死に、われ汝のうちに永遠に生きるを得ん。

八 おお心霊の子よ!

汝自らを放棄し、われに目を向けるより他に、汝の安息はなし。何故なら、汝自らの名でなく、わが名を汝の誇りとし、汝の信頼を、汝自らにでなく、われに置くことは、汝の務めであるからであ る。またわれ一人あらゆる他のものよりも愛されることを欲するからである。

九 おお実在の子よ!

わが愛はわが砦である。その中に入る者は安全にして無事である。それより背き去る者は、必ず道に踏み迷い、滅びに至らん。

十 おお言葉の子よ!

汝はわが砦である。この中に入れ。されば汝安らけく留まるを得ん。わが愛は汝のうちにある。それを知れ。されば汝、われを汝の身近に見出すを得ん。

十 一 おお実在の子よ!

汝はわがランプであり、わが光は汝のうちにある。汝それより汝の輝きを得よ。そしてわれ以外に何ものをも求むるな。われ汝を豊かに創り、汝にわが恵を惜しみなく注ぎたれば。

十 二 おお実在の子よ!

権威の手もてわれ汝を創り、威信の指もてわれ汝を創り、なおわれ汝のうちにわが光の真髄を置いた。汝それに満足せよ。そして他に何ものも求むるな。わが業は完全にして、わが命令は免れ得ざれば。何故と問うな。また疑いも抱くな。

十 三 おお心霊の子よ!

われ汝を豊かに創れるに、何故汝自ら貧しくするや。気高くわれ汝を創れるに、何故汝自ら卑しくするや。知識の精華もてわれ汝を生ぜしに、汝何故われより他の者に教化を求むるや。愛の粘土もてわれ汝を創りしに、汝何故他のものに没頭するや。汝の眼を汝自らに向けよ。されば汝、汝のうちに威光に輝き力強く自存しつつあるわれを見出さん。

十 四 おお人の子よ!

汝はわが領土である。わが領土は滅びることなし。汝何故に汝の滅びることを恐れるや。汝はわが光である。わが光は決して消されることなし。何故汝消滅を畏れるや。汝はわが栄光である。わが栄光は萎むことなし。汝はわが衣服である。わが衣服は決して古びることなし。さればわれに対する汝の愛の中に住まえ。汝われを栄光の国土の中に見出すを得ん。

十 五 おお言葉の子よ!

汝の顔をわが顔に向けよ。そしてわれより他のすべてを放棄せよ。わが主権は永続し、わが領土は滅びることなければ。たとえ汝われより他のものを求めんとし、さらにまた宇宙を永久に探し求めようとも、汝の探索は徒労に帰さん。

十 六 おお光の子よ!

われより他のすべてを忘れ、わが霊と交われ。これわが命令の真髄である。それ故それに面を向けよ。

十 七 おお人の子よ!

われに満足せよ。われの他に救い手を求むるな。われより他の何ものも、決して汝を満足させること能わざれば。

十 八 おお心霊の子よ!

われ汝のために欲せざることを、われに求むるな。われ汝のために定めたるものにて満足せよ。もし汝それに満足せば、それは汝を利するものなれば。

十 九 おお不思議なる幻影の子よ!

われ汝のうちに、われ自身の聖霊を吹き込んだ。汝わが愛する者とならんがために。汝何故われを見捨て、われより他に愛する者を探し求むるや。

二 十 おお心霊の子よ!

汝へのわが権利は大なり。それを忘れてはならない。汝へのわが恵は豊富なり。それを覆い隠すことはできない。わが愛は汝のうちに住まっている。それを隠すことはできない。わが光は汝に明らかに示されている。それを覆うことはできない。

二十一 おお人の子よ!

光輝ある栄光の木に、われ汝のために選り抜きの果実を実らせた。汝何故それに見向きもせず、それより劣れるものにて満足するや。 天上の領土において汝のためによりよきものへ帰れ。

二十二 おお心霊の子よ!

われ汝を気高く創った。しかるに汝は自らを卑しくした。さらば汝が創られたるところにまで汝を高めよ。

二十三 おお至高なる者の子よ!

われ汝を永遠なるものへと招いている。しかるに汝は滅びるものを探し求めている。何が汝をしてわが望むものから目をそらせ、汝自らの欲するものを求めさせしや。

二十四 おお人の子よ!

汝の分を越えるな。汝に相応しからざるものを要求するな。威信と権威の主なる汝の神の御顔の前にひれ伏せ。

二十五 おお心霊の子よ!

貧しき者に汝自らを誇るな。われ貧しき者を道すがら導き、悪しき状態にある汝を見て永久に汝を辱かしむれば。

二十六 おお実在の子よ!

いかにして汝、自身の欠点を忘れ、他の人々の欠点を挙ぐるに急なるを得るや。何人がこれをなすも、わが呪いを受けん。

二十七 おお人の子よ!

汝自身罪人である間は、他人の罪を囁くな。汝この命令に背くならば呪われん。われこれを証言す。

二十八 おお心霊の子よ!

汝まことに知れ。人々に正しくあれと命じながら自ら不正を行う者は、われに係りなし。たとえその者がわが名をふりかざすとも。

二十九 おお実在の子よ!

汝が自身の責任にされたくないことを、他の何人の責任にもするな。また汝がしないことを言うな。これわが汝への命令である。これを守れ。

三 十 おお人の子よ!

わが僕が汝に求むることは何事も拒むな。彼の顔はわが顔なれば、わが前にて恥じよ。

三十一 おお実在の子よ!

決算の日の来るまでは、日毎に汝自らを反省せよ。予告なき死は汝を訪れ、汝は汝のなしたることの決算をすべく召されんに。

三十二 おお至高なる者の子よ!

われ死を汝への喜びの使者とした。汝いかなれば死を悲しむや。われ汝を照らすために光を作った。何故汝その光から自身を覆うや。

三十三 おお心霊の子よ!

光のうれしい便りもて、われ汝に呼びかける。されば、汝喜べ。聖なる宮廷にわれ汝を招く。永久に平安に暮らせるよう、そこに住まえ。

三十四 おお心霊の子よ!

神聖なる霊は汝に再び融和するとの嬉しい便りを伝う。何故汝悲しむや。威力ある精霊は汝を神の教えに強からしむ。汝何故自らを覆うや。神の御顔の光は汝を導く。汝いかなれば迷い得るや。

三十五 おお人の子よ!

汝われより遠く離れていること以外に悲しむな。汝われに近づき、わがもとに帰り来つつあること以外に喜ぶな。

三十六 おお人の子よ!

汝われに会い、わが美を反映するに相応しくなれるよう汝の心に喜びを持て。

三十七 おお人の子よ!

わが美しき衣を脱ぐな。わが不思議なる泉より汝の分け前を失うな。永遠に喉渇かぬために。

三十八 おお実在の子よ!

わが愛のため、わが律令の中を歩め。もし汝わが喜びを求むるならば、汝の欲することを自制せよ。

三十九 おお人の子よ!

汝もしわが美を愛するならば、わが命令を等閑にするな。また汝もしわがよき喜びを得んと欲せば、わが忠言を忘れるな。

四 十 おお人の子よ!

汝無限の空間を走り抜け、広大なる天空を横切ろうとも、汝はわが命令に服従し、わが顔の前にへり下る以外に安息は見出せないであろう。

四十一 おお人の子よ!

わが教えを讃美せよ。われ汝にわが偉大なる神秘を示し、永遠の光もて汝を照らし得んがために。

四十二 おお人の子よ!

わが前にへりくだれ。さればわれ汝を恵み深く訪わん。わが教えの勝利のために立て。されば汝この世にて勝利を得ん。

四十三 おお実在の子よ!

わがことをわが地上にて述べよ。さればわが天上にて、われ汝を記憶せん。かくてわが目と汝の目は慰められん。

四十四 おお玉座の子よ!

汝の耳はわが耳である。汝その耳もて聞け。汝の目はわが目である。汝その目もて見よ。されば汝、汝の深奥なる魂のうちにわが崇高なる神聖を証明し、またわれ自らのうちに汝のための気高き地位を証言せん。

四十五 おお実在の子よ!

わが道に殉教せんことを求め、わが喜びをもて満足し、わが定めしことに感謝せよ。されば汝われと共に、栄光の神殿の後なる荘厳なる天蓋の下に安息するを得ん。

四十六 おお人の子よ!

熟考し反省せよ。汝の願望は汝の寝所に死することなりや。あるいはわが道に殉教し、汝の生き血を塵の上に流すことにより、至高なる楽園にて、わが命令の具現者となり、わが光を表わす者となることなりや。正しく判断せよ。おお僕よ。

四十七 おお人の子よ!

わが美にかけて誓う。汝の血もて汝の毛髪を染めることは、わが目には宇宙の創造よりも、二つの世界の光よりも偉大である。されば、それに到達せんと努めよ。おお僕よ。

四十八 おお人の子よ!

すべてのものには標がある。愛の標は、わが掟の下で不撓不屈の精神、わが試練の下で堅忍不抜なることなり。

四十九 おお人の子よ!

真の愛人は艱難を慕うものである。あたかも反逆者が寛恕を求め、罪深きものが慈悲を切望するが如くに。

五 十 おお人の子よ!

もし苦難がわが道で起らないとしたら、汝いかにして、わが喜びに満足している人々の道を歩み得るや。もし試練が、われに会うことを切望する汝を苦しめなければ、汝いかにしてわが美を求める愛の光に達するを得るや。

五十一 おお人の子よ!

わが災厄はわが配慮である。外見は火であり復讐である。しかし内面は光明と慈悲である。それに向かって急げ。さらば汝永遠の光となり、不滅の精霊となるを得ん。これわが汝への命令である。これを守れ。

五十二 おお人の子よ!

汝繁栄の中にあるとも喜ぶな。汝またおちぶれるとも悲しむな。二つながら過ぎ去り、消え去るものなれば。

五十三 おお実在の子よ!

もし貧困が汝を襲うとも悲しむな。早晩富の主が汝を訪れるであろうから。屈辱を恐れるな。栄光がいつかは汝の上に留まるであろうから。

五十四 おお実在の子よ!

もし汝の心が、この永遠不滅の領土と、この古来より未来永劫に続く生命を得んと決めたならば、この朽つべき束の間の主権を見捨てよ。

五十五 おお実在の子よ!

この世のことで、あくせくするな。われ火もて黄金を試し、また黄金もてわが僕らを試さんに。

五十六 おお人の子よ!

汝黄金を欲し、われ汝それより自由ならんことを欲す。汝は黄金の所有により、自らを富めりと考え、われは汝がそれより高潔ならんことに汝の富を認む。わが生命にかけて誓う。これはわが知識であり、それは汝の空想にすぎない。いかにわが道、汝の道と一致し得るや。

五十七 おお人の子よ!

わが富をわが貧しき者に与えよ。されば汝天国にて、不滅の輝きの倉庫と不朽の栄光の宝庫より引き出し得ん。しかしわれ生命にかけて誓う。汝もしただわが目をもちて見ることを得ば、汝の魂を捧げることはさらに輝かしいことである。

五十八 おお人の子よ!

肉体の神殿はわが玉座である。あらゆるものよりそれを浄めよ。さればそこにわれ即位し定住せん。

五十九 おお実在の子よ!

汝の心はわが家である。わが降臨のためにそれを清めよ。汝の精神はわが啓示の場である。わが顕現のためにそれを浄めよ。

六 十 おお人の子よ!

汝の手をわが胸に入れよ。さればわれ汝の上に燦然と輝かしく立ち上がるを得ん。

六十一 おお人の子よ!

わが天国に昇れ。されば汝われと再び融和する喜びを得、不滅の栄光の聖杯より類なき美酒を心ゆくまで飲むことを得ん。

六十二 おお人の子よ!

汝が汝の気まぐれと、とりとめのない妄想に没頭せし間に長き歳月は過ぎ去った。汝寝所にていつまで眠る気ぞ。眠りより覚めて汝の頭を上げよ。太陽は中天に昇り、恐らく美しき光もて汝の上を照らしおれば。

六十三 おお人の子よ!

光は聖なる山の端より汝を照らし、教化の精霊は汝の心のシナイ山で息吹いた。それ故愚かしき妄想のべールを払いのけ、わが宮廷に入れ。さらば汝永遠なる生命を受けるに相応しく、われに会うに足るものとならん。かくて死は汝の上に来らず、疲労も苦悩もなからん。

六十四 おお人の子よ!

わが永遠性はわが創造である。われ永遠性を汝のために創った。それを汝の殿堂の装いとなせ。わが統合は、わが作りしものである。われそれを汝のために作った。汝自らそれをまとえ。さらば汝永久に、わが永遠の実在を顕す者となるを得ん。

六十五 おお人の子よ!

わが威厳は汝へのわが贈物である。またわが威光は汝へのわが慈悲のしるしである。われに相応しきことを何人も理解できず、また誰も語り得ない。まことに、われそれをわが僕への慈愛のしるしとして、またわが民への慈悲のしるしとして、わが隠されたる倉庫の中に、またわが命令の宝庫にしまいおきたれば。

六十六 おお神聖にして見えざる真髄の子らよ!

汝らわれを愛することを妨げられるであろう。また魂は、われについて語る時かき乱されん。理性はわれを理解し得ず、心はわれを容れ得ざれば。

六十七 おお美の子よ!

わが精神とわが恩寵にかけて誓う。わが慈悲とわが美にかけて誓う。権威の舌もてわれが汝に啓示せるすべては、また威信のペンもて汝のために書きしすべては、汝の能力と理解に一致させたものであり、わが地位とわが声の旋律に合わせたものではない。

六十八 おお人の子らよ!

何故われ汝らすべてを同一の土塊より創れるかを知るや。何人も他より自らを高しとなすべきにあらざるためなり。常に汝の心のうちに、如何にして汝ら創られしかを熟考せよ。われ汝らすべてを同一の物質より創りし故汝ら一つの魂のごとく、同じ足をもって歩み、同じ口で食し、また同じ国土に住む義務がある。されば汝らの最奥なる本質より、汝らの行為と行動より、一体性のしるしと、世俗超脱の真髄が明白とならん。これぞわが汝への忠言である。おお光の群集よ。この忠言を心に留めよ。さらば汝ら不思議なる栄光の木より聖なる果実を入手し得ん。

六十九 おお汝ら心霊の子らよ!

汝らはわが宝庫である。われ汝のうちに、わが神秘の真珠とわが叡知の宝石を秘蔵したれば。わが僕らのうちの異邦人と、わが民のうちの邪悪なる者らからそれらを守れ。

七 十 おお自身の王国にて自身の本質によりて立つ神の子よ!

汝これを知れ。われ汝に聖なる芳香のすべてを送り、汝にわが言葉を完全に啓示し、汝を通じてわが恩恵を完成し、われ自身のために欲せしものを汝のために欲せしことを。さればわが喜びに満足し、われに感謝せよ。

七十一 おお人の子よ!

われ汝に啓示せるすべてを、汝の心霊の書簡に光のインクもて書け。もしれそが汝の力に及ばざる時は、汝の心の精華もて汝自らのインクを作れ。もし汝これをなし得ざれば、わが道にて流されたるかの深紅のインクもて書け。実にこれこそわれにとりて他の何よりも快く、その光は永久に存続せん。

ペ ル シ ャ 編

言葉の主、強大なる者の名において

一 おお汝ら知る心と聞く耳を持つ人々よ!

最愛なる者の第一の呼びかけはこれである。おお神秘なる小夜鳥よ。心霊のバラ園以外に住まうな。おお愛のソロモンの使者よ。最愛なる者のシバ以外に隠れ場を求むるな。おお不滅の不死鳥よ。誠実の山以外に住まうな。汝もし汝の魂の翼に乗り無限の領土に舞い上がり、汝の目的を達せんことを求むるなら、かしここそ汝の住処である。

二 おお心霊の子よ!

鳥は巣を求め、小夜鳥はバラの魅力を求む。しかるに人々の心の鳥は、儚ない塵に満足して、その永遠の巣より遠くさまよい出で、無思慮の泥沼の方へ視線を転じ、神の御前に至る栄光を奪われている。ああ、何と奇妙なことであり、哀れむべきことであろうか。ただ一杯を口にせんがために彼らは天上のさかまく海より目を転じ、最も光り輝く地平線より遠い所に居残っている。

三 おお友よ!

汝の心の花園に愛のバラのみ植えよ。愛情と願望の小夜鳥から汝の手を放すな。正しき者との交わりを大切にせよ。されど邪まなる者とのすべての親交を避けよ。

四 おお正義の子よ!

愛する者が最愛なる者の国以外のどこへ行き得ようか。どの探求者が自分の心に欲するものから遠ざかって安息を見出すや。まことの愛人には融和こそ生命であり、別離は死である。彼の胸には忍耐が欠けている。また心には平安がない。最愛なる者の住処に急ぐためには幾百千の生命も捨てるであろう。

五 おお塵埃の子よ!

われまことに汝に告ぐ。あらゆる人間のうち最も怠慢なるものは、無益なる論争をし、兄弟より自ら優らんことを望む者である。言あげよ、おお兄弟たちよ。言葉にあらずして、行いをもちて汝の飾りとせよ。

六 おお地の子よ!

まことにこれを知れ。少しでも妬みが残っている心は決してわが永遠の領土に達することを得ず。またわが聖なる王国から香り出づる神聖の甘き香をかぐこともできないであろう。

七 おお愛の子よ!

汝は天上の輝かしき丘と天上の愛の木よりただ一歩遠のいている。その一歩を踏み出せ。そして二歩目で不滅の領土に進み、永遠の館に入れ。かくて栄光のペンによりて啓示されたることに耳傾けよ。

八 おお栄光の子よ!

聖なる道に急ぎ、われと親交し得る天国に入れ。心霊もて汝の心を磨き浄め、最高なる者の宮廷に急げ。

九 おお儚き影よ!

疑いの低き段階を過ぎて、確信の崇高なる丘に登れ。真理の眼を開け。さらば汝明らけき美を見、かく叫ばん。「すべての創造者中最も卓越せる主の崇められんことを。」

十 おお欲望の子よ!

これに耳を傾けよ。朽つべき眼は決して永遠の美を認めないであろう。また生なき心は萎んだ花しか楽しまないであろう。何故なら似たるものは似たるものを求め、同類との交わりを好むが故に。

十 一 おお塵埃の子よ!

汝の眼を閉じよ。さらば汝わが美を見ん。汝の耳をふさげよ。さらば汝わが声の快き音調を聞かん。汝自身からすべての知識をなくせ。さらば汝わが叡知の分け前を受けん。富より汝自身を浄めよ。さらば汝わが永遠の財宝の海より永久の分け前を得ん。
汝の眼を閉じよとは、わが美以外のすべてに対してである。汝の耳をふさげとは、わが言葉以外のすべてに対してである。汝自身からすべての知識をなくせとは、わが叡知以外のすべてに対してである。かくて汝清き眼と、純粋なる心と、注意深き耳とをもちて、わが神聖なる宮廷に入ることを得ん。

十 二 おお二つの視覚を持つ者よ!

一方の目を閉じ他方の目を開け。一つはこの世界とその中にあるすべてに対して閉じ、他は最愛なる者の聖き美に対して開け。

十 三 おおわが子らよ!

わが恐るるは、汝ら天上の鳩のメロディを聞かず喪失の闇に再び陥り、バラの美を見ることなく水と土に帰することである。

十 四 おお友らよ!

消滅せねばならぬ美のために永遠の美を捨てるな。またこの滅ぶべき塵の世に愛着を持つな。

十 五 おお心霊の子よ!

聖なる小夜鳥が、もはや心奥の神秘を解き明かすことを止め、汝らすべてが天界のメロディと天上よりの声を奪われる時がやがて来る。

十 六 おお怠慢の真髄よ!

幾百千の不思議なる言葉は、一つの発言で語られ、また幾百千の隠されたる神秘は一つのメロディのうちに表されている。ああ、しかしそれを聞く耳はない。それを知る心もない。

十 七 おお仲間らよ!

超空間に通じる門は広く開いている。最愛なる者の住処は、愛する者の血で飾られている。しかも少数を除くすべてのものは、この天上の町からとり残されたままでいる。これら少数者の中にさえ純粋なる心と聖き霊を持つものは極めて僅かである。

十 八 おお汝ら最も高き楽園の住人たちよ!

神聖なる領土内の天上の楽園に近く、一つの新しき花園出現し、その周囲を高きにある領土の人々と崇高なる楽園の不滅の住人たちが取り巻いていることを、確信の子らに宣布せよ。されば汝らその地位に到達し、アネモネの花より愛の神秘を解き明かし、神聖にして究極なる英知の秘密をその永遠の木の実より学ぶよう努力せよ。そのうちに入りて住まう人々の目こそ慰められん。

十 九 おおわが友らよ!

神聖にして祝福されたる環境のもと、あの栄光に輝く楽園に植えられし生命の木の陰で、わが面前に汝らすべてが集まりしあのまことの輝かしき朝を忘れしや。われこれら三つの最も神聖なる言葉を述べし時、汝らは畏れかしこまって聞いた。すなわち「おお友らよ。わが意志を措いて汝の意志を選ぶな。汝のためわが欲せざりしものを決して欲するな。世俗の欲望や欲求で汚された生命なき心もて、われに近づくな」。汝らもし汝らの魂を浄めさえすれば、汝らは今あの楽園とその周辺を思い出すであろうに。そしてわが言葉の真理は汝らすべてに明白とならん。

楽園の第五書簡の最も神聖なる八行目に彼は次のごとく宣う。

二 十 おお汝ら軽率の床に死人の如く横たわる人々よ!

多くの年月は過ぎ去り、汝らの貴重なる生命は、ほとんど終りに近づいている。しかし汝らからは清い呼吸の一息すらもわが宮廷には届いていない。誤信の海に身を沈めながらもなお、汝らの唇は神の唯一なる真の教えを信仰すると告白する。わが嫌うものを汝らは愛した。またわが敵を汝らは友とした。されども汝らは、わが地上を得意になり自己満足して歩んでいる。わが大地が汝らに飽き飽きし、そこにあるすべてのものが汝らを避けていることに気づかない。もし汝ら目を開きさえするならば、まことにこの喜びよりも無数の悲しみを選ばん。またこの生命よりもむしろ死を好ましく思わん。

二十一 おお浮動する塵埃よ!

われ汝と霊の交わりをなさんと欲す。されど汝はわれに信頼を置こうとはせず。汝の反逆の剣は汝の希望の木を切り倒した。われは常に汝の傍らにいる。されど汝は常にわれより遠くにいる。われ汝のため不滅の栄光を選んだ。しかも汝は、汝自らのために果てしなき恥辱を選んだ。間に合ううちに帰り来って汝の好機を失うな。

二十二 おお欲望の子よ!

知識あり知恵ある人々が、長い年月の間努力したが、いと栄光ある御方の面前に達することはできなかった。彼らは神を求めて生涯を費した。しかもなお神の面影の美を見なかった。されど汝は何の努力もせずに汝の目的を果し、また探求することなしに汝の追求の目的を達成した。されども汝は自我というべールに包まれたままであるので、汝の目は最愛なる者の美を見ず、汝の手は神の衣服の裾にも触れなかった。目を持つ汝らは見よ、そして不思議に思え。

二十三 おお愛の都の住人たちよ!

死の風は永遠の燭火を襲い、天上の青年の美は塵埃の闇に覆われている。愛の王中の王は暴虐なる者らによって虐待され、聖なる鳩は梟の爪に捕えられている。栄光の館の住人たちと天上の集いの人々は歎き悲しんでいる。しかし汝らは怠惰の国に安臥して汝自らを真の友人たちの仲間と考えている。汝らの想像のいかに空しきことよ。

二十四 おお汝ら賢いという名を持つ愚者らよ!

汝ら内心は、わが羊の群を襲わんとする狼になりしに、何故羊飼の衣を着るや。汝らは曙に先だちて昇る星の如きものである。それは輝きて明るく見ゆれど、わが都の旅人らを導きて破滅の道に迷い入らせるものである。

二十五 おお汝ら外見は美しく、内面は汚れたる者たちよ!

汝らは透明なれど苦き水の如くである。それは外観は水晶の如く清く見ゆれど、聖なる分折者により試される時は、その一滴さえも受け入れられぬものである。実際、太陽の光は塵埃の上にも鏡の上にも同様に注がれる。しかし星が地球と違うが如く、それらは反射の程度において異なっている。否その相違は測り知れないほどである。

二十六 おお口先だけのわが友よ!

しばし熟考せよ。友と仇とが一つの心の中に住めるなどと汝かつて聞きしことありや。されば友が自身の家に入れるよう、その見知らぬ者を追い出せ。

二十七 おお塵埃の子よ!

天と地にあるすべてのものをわれ汝のために定めた。ただ人間の心は別である。それをわが美と栄光の住処とした。しかも汝はわが家、わが住居を、われならぬ他の者に与えた。かくてわが神聖を顕示する者が、彼自身の住処を探し求むる時はいつも、そこに見知らぬ者を見出し、宿るに家なく最愛なる者の聖所に急ぎ帰るのであった。しかもわれは汝の秘密を隠し、汝の恥になることを欲しなかった。

二十八 おお欲望の真髄よ!

超空間の国から、われ幾朝も汝の住処に向かった。そして安楽の床にあって、われならぬ他の者たちの応対に忙しい汝を見た。それ故われは心霊の閃光の如く、天の栄光の領域に帰った。されどもわれ、わが天上の隠れ家にて、それを聖なる軍勢に囁かなかった。

二十九 おお恩恵の子よ!

無の荒野より、わが命令の粘土もてわれ汝を出現させた。そして汝を訓練するために、存在するあらゆる原子と、あらゆる創造物の本質を定めた。かくて汝が、汝の母の胎内より生れ出づる前に、われ汝のために、輝く乳を出す二つの泉と、汝を見守るために目を、汝を愛するために心を前もって定めておいた。わが慈悲心から、わが慈愛の木蔭でわれ汝を育て、わが恵と好意の精髄もて汝を守護した。すべてこれらのことは、汝をして、わが永遠の領土に達せしめ、わが見えざる贈与を受ける資格を持たしめるためである。
しかもなお汝は軽率のままであった。そして汝青年に達せる時、すべてのわが贈物を無視し、すべてを忘れ去るほどに自らの妄想に没頭し、われという友の正門に背を向けてわが敵の邸に住むことを選んだ。

三 十 おおこの世の奴隷よ!

幾朝も、わが慈悲の微風が汝の上を吹き渡った。そして軽率の床にぐっすり眠りこけている汝を見出した。そこで汝の有様を悲しみながら、それはもと来たところへ帰って行った。

三十一 おお地の子よ!

汝われを得んと欲せば、われ以外の誰をも求むるな。また汝わが美を見つめんと欲せば、世界とその中にあるすべてのものに汝の目を閉じよ。わが意志とわれ以外のものの意志とは、火と水の如く一つの心の中に住むことを得ざれば。

三十二 おお助けられた見知らぬ者よ!

汝の心の燭火は、わが権威の手で灯されている。自我と情欲の逆風もてそれを消すな。汝のあらゆる病を癒すものは、われを記憶することにある。それを忘れるな。わが愛を汝の宝となし、汝の目や生命そのものの如くそれを慈しめ。

三十三 おおわが兄弟よ!

わが蜜の如き舌より発する楽しき言葉を聞け。甘き水を出すわが唇から聖なる神秘の流を飲め。わが神聖なる叡知の種を汝の心の清き土に蒔き、確信の水をそれに注げ。さればわが知恵と叡知のヒヤシンスは、汝の心の聖なる都にあざやかに青々と萌え出でん。

三十四 おおわが楽園の住人たちよ!

慈悲の手もて、われ汝らの愛と友情の若木を天国の聖なる花園に植え、わが優しき恵の雨を注いだ。その果実の実る時が来ている今、それを守り、欲望と情欲の炎もて焼き尽くされることなきよう努めよ。

三十五 おおわが友らよ!

汝ら誤りの灯を消せ。そして汝らの心の中に聖なる導きの永遠に消ゆることなき灯火を燃やせ。やがて人類の試験者らは、最愛なる者の聖き面前において、最も純粋なる美徳と汚れなき神聖なる行い以外は、何も受けつけぬであろう。

三十六 おお塵埃の子よ!

賢者とは聞く者を得ざれば語らぬ人々のことである。あたかも酌取りが、求むる人を見出すまでは盃を差し出さず、愛するものが愛さるるものの美を見るまでは、その心の底から愛を叫ばないのと同じように。それ故知恵と叡知の種を心の清き土に蒔き、それを聖なる叡知のヒヤシンスが、泥や土からでなく、心の畑より萌え出づる時まで隠しておけ。

書簡の一行目にそれは記されており、神の礼拝堂の聖域内に隠されているものは次のことである。

三十七 おおわが僕よ!

消滅するもののために永遠の領土を見捨てるな。また世俗の欲望のために天上の主権を放棄するな。これは慈悲深き者のペンの源泉より流れ出づる永遠の生命の川である。それを飲む人々に恵あれ。

三十八 おお心霊の子よ!

汝の籠をずたずたに破れ。そして愛の不死鳥の如く聖なる天空に舞い上がれ。汝自身を捨てよ。そしてあふるる慈悲の心もて、天上の聖なる領土に住め。

三十九 おお塵埃の子孫よ!

過ぎ行く一日の安らかさに満足して、永遠の安息を奪われるな。永遠の喜びの花園を、死すべき世界の塵の山と交換するな。汝の牢獄から起ちて、天上の輝かしき牧場へ昇れ。また汝の死すべき鳥籠より、超空間の楽園に飛び立て。

四 十 おおわが僕よ!

この世の束縛より自由になれ。また自我の牢獄より汝の魂を解き放て。汝の好機を掴め。それは再び汝を訪わざれば。

四十一 おおわが侍女の子よ!

汝不滅の主権を見れば、儚なきこの世から逃がれんと努めるであろう。されど汝から前者をかくし後者を示してあることは、心の清き者のみが理解し得る神秘である。

四十二 おおわが僕よ!

悪意より汝の心を清めよ。また妬みを持たず、天の聖なる宮廷に入れ。

四十三 おおわが友らよ!

汝ら友の好み給う道を歩め。そして彼の喜びは彼の創造物の喜びの中にあることを知れ。すなわち何人も友の好まぬ時に彼の家に入ってはならぬ。またその財宝に手を触れることもせず自己の意志を友の意志より優先させることもせず、また決して友より有利ならんことを求めてはならぬ。これを熟考せよ。汝ら識見ある人々よ。

四十四 おおわが玉座の伴侶よ!

悪しきことを聞くな。また悪しきものを見るな。汝自らを卑しくするな。歎き悲しむな。悪しきことを語るな。さればそれが汝に語られることもなし。他人の過ちを誇張して語るな。されば汝自らの過ちも大げさに思われず。何人の屈辱をも望むな。されば汝自らの屈辱もさらされまい。かくて汝儚き一瞬よりも短き汝の生涯の日々を、汚れなき心と清き心情と純潔なる思考と、また汝の聖められたる性格とをもちて生きよ。されば汝自由に満足してこの死すべき形骸を放棄し、神秘なる楽園に行き、永遠に不滅なる王国に永久に住むを得ん。

四十五 ああ、ああ、俗界の欲望を愛する者らよ!

稲妻の如く速やかに汝らは最愛なる者の傍らを過ぎ去った。そして汝らの心は悪魔のようなる幻想を切望した。汝らは空しい幻影の前に跪き、それを真実と呼んでいる。汝らは目を茨棘の方に向けて、それを花と呼んでいる。一息といえども汝らは清い呼吸をしたことがない。また汝らの心の牧場から世俗超脱の微風が吹いて来たこともない。汝らは最愛なる者の愛の忠言を風に飛ばせた。またそれを汝らの心の書簡から完全に抹消した。かくて野の獣の如く、汝らは欲望と情欲の牧場の中に住まっている。

四十六 おお信仰の道の兄弟らよ!

何故に汝らは最愛なる者について語ることを怠り、彼の聖なる面前に近付くことを避けるや。美の真髄は類なき楼閣の中なる栄光の玉座の上にある。しかるに汝らは愚かしき争いに没頭している。神聖なる甘き香は漂い、恩恵のそよ風は吹いている。しかも汝らは皆それを奪われ痛ましくも悩んでいる。ああ悲しきは汝らよ。そして汝らと道を共にし、汝らの後に続く者らよ。

四十七 おお欲望の子らよ!

虚栄の衣を脱げ。傲慢の衣服を捨てよ。

紅玉の書の中に記載されている最も神聖なる節の三行目に、見えざる者のペンによって次の如く示されている。

四十八 おお兄弟らよ!

互に忍耐し合え。また下界のものに愛情を注ぐな。汝の栄誉を誇るな。また屈辱を恥ずるな。わが美にかけて誓う。われ塵埃よりすべてのものを創った。またわれすべてのものを再び塵埃に帰せしめん。

四十九 おお塵埃の子らよ!

富める者らに、貧しき者らの真夜中の嘆息を語れ。無思慮が彼らを破滅の道に導かざるため、また富の木より彼らを奪わざるために。施与と寛大とはわが属性である。わが美徳をもって自己を飾るものは幸いである。

五 十 おお激情の真髄よ!

すべての貪欲を捨てて満ち足りることを求めよ。貪欲なるものは常に奪われ、満足を知るものは常に愛され称讃されん。

五十一 おおわが侍女の子よ!

貧困を思い煩うな。富を信頼するな。貧困には富が次ぎ、富には貧困が次ぐものなれば。されど神以外のすべてにおいて貧しくあることは驚くべき賜物である。その価値を軽視するな。結局は、それは汝を神で富ましむれば。かくて汝「まことに汝らは貧者なり」という言葉の意味を知り、また「神こそすべての所有者なり」という聖語は、まことの朝の如く、愛する者の心の地平線から堂々と輝き出で、富の玉座の上にしっかりと留まるであろう。

五十二 おお怠慢と欲情の子らよ!

汝らはわが家に、わが敵が侵入するのを許し、わが友を追出した。汝らわれならぬ他の者の愛を汝の心の中に安置したれば。友の言うことに耳を傾け、彼の楽園に向かえ。自らの利益に汲々たる世俗の友らは互に愛し合うように見える。されどまことの友は汝ら自身のために汝らを愛して来たし、また愛している。まことに彼は、汝らを導くために限りなき苦しみを受けて来た。かかる友に不実であるな。否むしろ彼のもとへ急げ。これこそすべての名前の主のペンの地平線上に明け初めた真理と誠実の言葉の昼の星である。汝の耳を開け。されば汝ら危急の時の救助者にして自存する神の言葉を聞き得ん。

五十三 おお汝ら消滅すべき富に傲る者らよ!

まことに汝ら、富は求むる者と、その者の欲求との間、また愛する者と愛される者との間の強大な障壁であることを知れ。富める者は、極く少数の外は決して彼のい給う宮廷にも達せず、また満足と服従の都にも入れないであろう。自分の富によって永遠の王国に入ることを邪魔されず、またそれによって不滅の領土を奪われない富者は幸いである。最大の御名にかけて誓う。かかる富者の光輝は、太陽が地上の人々を照らすが如く、天上の人々を照らすであろう。

五十四 おお汝ら地上の富者よ!

汝らの中にいる貧者はわれが汝らに託した者らである。われより託された者を守れ。そして汝ら自身の安楽にのみ熱中するな。

五十五 おお激情の子よ!

富の汚れより汝自身を清めよ。また全く安らかに貧の国に進め。かくて世俗超脱の源泉より不滅の生の美酒を飲まん。

五十六 おおわが子よ!

不信心なる者との交際は悲しみを増す。されど正しき者との親交は心の錆を除く。神との親交を求むる者は、神の愛する人々と交わり、また神の言葉を傾聴せんと欲する者は神の選べし人々の言葉に耳を傾けよ。

五十七 おお塵埃の子よ!

注意せよ。不信心なる者と共に歩むな。また彼と交わらんことを求むるな。かかる交際は、心の輝きを地獄の火に変えるものなれば。

五十八 おおわが侍女の子よ!

汝聖霊の恵を求むるならば、正しき者と交われ。彼こそは不死の酌取りの手より、永遠の生命の盃を飲んだ者であり、まことの朝の如く、死者の心をも生き返らせ、それを照らすものなれば。

五十九 おお軽率なる者らよ!

心の秘密が隠されていると思うな。否、むしろそれらは確かに明瞭なる字もて刻まれ、神の御前に公然と現わされていることを知れ。

六 十 おお友らよ!

まことにわれは言う。汝らが心の中に何を包み隠そうとも、われには白日の下にさらすが如くあからさまに分っている。しかもそれが隠されてあることは、わが慈悲と恩恵の故であり、汝の功績によるものではない。

六十一 おお人の子よ!

われわが慈悲の底知れぬ海より、一滴の水をこの世界の人々の上に注いだ。されど、誰もそれを顧みるものはなかった。それはすべての人々が天上の統合の美酒から不潔なる腐った酒粕の方へ顔を向け、死の盃に満足して、不滅の美の聖盃を捨てたためである。彼らは何と下劣なことに満足していることか。

六十二 おお塵埃の子よ!

永遠不滅の最愛なる者の類なき美酒から汝の目をそらすな。そして不潔なる朽つべき酒粕に汝の目を開けるな。聖なる酌取りの手より不滅の生命の聖盃を取れ。さればすべての知恵が汝のものとならん。また見えざる領土より不思議なる呼び声を聞くを得ん。大声に叫べ。汝ら志の低き者らよ。汝ら何故に、わが聖なる不滅の美酒より目をそらせて、儚なき水の方に向うや。

六十三 おお汝ら世界の人々よ!

まことに不慮の災難が汝を追い、悲しき報いが汝を待伏せしていることを知れ。汝のなしたる行動が、わが目より消されていると思うな。わが美にかけて誓う。汝らのなせることすべてを、わがペンは橄欖石の書に、明らかなる文字もて刻みしことを。

六十四 おお地上の圧制者らよ!

圧制より汝らの手を引け。われ如何なる者の不正も許さじと誓いたれば。これわが保管する書に変更し得ぬものとして定め、わが栄光の封印もて閉じたる聖約である。

六十五 おお反逆者らよ!

わが寛容は汝らを大胆にし、わが長き忍苦は汝らを怠慢にした。かくて汝らは激情の火の馬に拍車をあて、破滅へ導く危険な道に飛び出した。汝らわれを不注意にして気付かぬと思いしや。

六十六 おお移住者らよ!

舌はわれを語るために、わが創りしものである。悪口をもってそれを汚すな。汝ら自我の火によって襲われた時は汝ら自身の過ちを思い出し、わが創りし者らの過ちを思うな。汝らはすべて他人のことより自分のことをよく知る故に。

六十七 おお空想の子らよ!

まことに汝ら輝かしき朝が、永遠に聖なる地平線上に明け初める時、夜の暗闇の中に隠されていた数々の非道な行いや秘密は、世の人々の前に暴露され明示されることを知れ。

六十八 おお塵埃に芽ぐむ雑草よ!

何故に汝の汚れたる手は、汝自身の衣服に先に触れざるや。また何故に欲望と激情とに汚された心をもちて、汝われと親しく交わり、わが聖なる領域に入らんとするや。汝らは汝らの欲するところよりは遥かに遠くかけ離れている。

六十九 おおアダムの子らよ!

聖き言葉と清らかなる善き行いは、聖なる栄光の天国に昇る。汝らの行いを自我と偽善の塵埃より清め、栄光の宮廷にて恩寵を受けるべく努めよ。やがて人類の試験者らは、最愛なる者の聖なる御前にて、完全無欠なる美徳と汚れなき純粋な行為の他は何ものも受けつけぬであろう。これこそ神意の地平線上に輝き出た叡知と聖なる神秘の昼の星である。それに向かうものに幸あれ。

七 十 おお煩悩の子よ!

喜ばしきは実在の国である、汝もしそこに達するならば。輝かしきは永遠の領土である、汝もしこの死すべき世を乗り越えるならば。快きは聖なる恍惚の境である、汝もし天上の若者の手より神秘なる聖盃を飲むならば。汝この段階に到達するならば、滅亡と死と労苦と罪より解放されん。

七十一 おおわが友らよ!

汝らザマンの聖域にあるパラン山にてわれと結びしあの聖約を思い出せ。われ天上の群衆と永遠の都の住人たちを証人とした。しかも今や誰一人として聖約に忠実なるものを見出すことはできない。疑いもなく、傲慢と反抗によって聖約は人々の心から消し去られ、かくてその痕跡さえも残っていない。しかもこのことを知りながらわれは待ち、これを公表しなかった。

七十二 おおわが僕よ!

汝はよく鍛え上げられ、暗い鞘に封じこめられた剣の如きものであり、その剣の価値は職人には隠されている。それ故自我と俗望の鞘より抜け出でよ。さらば汝の真価は輝き出で全世界に明らかとならん。

七十三 おおわが友よ!

汝はわが聖なる天空の昼の星である。世の汚れにより汝の光輝を覆い消すな。無思慮のべールを寸断せよ。されば汝雲の陰より輝き出で、あらゆるものを生命の衣もて装わん。

七十四 おお虚栄の子らよ!

儚き主権のために汝らはわが不滅の国土を見捨てた。また世俗のきらびやかな装いもて身を飾り、それを汝らの誇りとしている。わが美にかけて誓う。われはすべてを塵埃の一色の被いの下に集め、これら異る色彩をすべて消し去らん。唯一免れ得るのはわが色を選びし者らであり、わが色とはあらゆる色より清められた色なり。

七十五 おお怠慢の子らよ!

滅ぶべき主権に愛着するな。またその中にて喜ぶな。汝らは梢にて自信満々と囀る軽率なる小鳥の如きものである。突然猟人なる死が、それを塵埃の上に射ち落し、そのメロディも、その形も、またその色も消え去り、痕跡も残らないであろう。されば心せよ、おお欲望の奴隷らよ。

七十六 おおわが侍女の子よ!

導きは、かつては言葉によって与えられたが、今やそれは行いによって与えられる。何人も純粋にして聖き行いを示さねばならぬ。言葉は万人の共有するものであるが、聖き行いはわが愛する者らのみのものである。されば汝らの行いによりて見分けられるよう心魂を打ち込んで努力せよ。かくの如くわれはこの聖く輝かしき書において汝に忠言する。

七十七 おお正義の子よ!

夜のうちに不滅なる者の美は、忠誠の新緑の丘より、サドラトル・モンタハヘ行ってさめざめと泣いた。彼の悲しむ様を見て天上の群衆も、天国の住人たちも貰い泣きしたほどであった。そして何故にかくも歎き悲しむやと問われた時、彼は答えた。命じられた如く、われ忠誠の丘にて期待して待てり。されど地上の住人たちより誠実の香は匂い来らず。かくてわれ帰るよう召された時、ああ悲しいかな、われは何羽もの聖なる鳩が地上の犬どもの爪に甚だしく苦しめられたるを見た。そこで天の侍女は彼女の神秘なる館よりべールを脱ぎ捨て、光り輝きつつ走り出で、彼らの名を尋ねた。すると一つを除くすべての名が告げられた。せき立てられて残りの一人の第一の文字が語られた。そこで天上の館に住む人たちが栄光の住いより駈け出した。第二の文字が述べられた時、彼らは一人残らず塵埃の上に平伏した。この時最奥の神殿より一つの声あり、曰く「これまでは、されどもうこれ以上は断じて」。まことにわれ彼らがなせること、またなしつつあることの証人とならん。

七十八 おおわが侍女の子よ!

慈悲深き者の舌より聖なる神秘の流れを飲め。また聖なる言葉の曙光より、知恵の昼の星の明らかな輝きを見よ。わが聖なる知恵の種を心の清き土に蒔き、確信の水を注げ。されば知識と知恵のヒヤシンスは、心の聖き都より生々した緑の芽を出さん。

七十九 おお欲望の子よ!

汝いつまで欲望の領域で飛ぶや。わが汝に与えし翼は、神秘なる神聖の領域へ飛ぶためにして、悪魔の幻想の領域を飛ぶためにあらず。わが汝に与えし櫛もまたわが黒髪をくしけずるためにして、わが喉を引き裂くためにあらず。

八 十 おおわが僕らよ!

汝らは、わが花園の樹である。汝ら自身と他のものの利益のために、立派なる素晴らしき果実を結ばねばならぬ。かくて技術を身に付け職業に従事することは万人の義務である。そこにこそ富の秘訣があるからである。おお理解力ある人々よ。結果は手段に依存し、神の恩恵は汝らに全く十分であろう。果実を結ばぬ樹は焼かれてきたし、また永久に火にくべられるであろう。

八十一 おおわが僕よ!

地上において果実を結ばぬ者こそ最も卑しい者らである。またかような者らは、まことに死人の仲間とみなされている。否、神の目には、これらの怠惰にして価値なき者らよりも死者の方がましである。

八十二 おおわが僕よ!

すべての世界の主なる神の愛のために、職業によって生計を得、自らとその同族のためにそれを使う者こそ最も善き人々である。

言葉のベールの下にこれまで隠されていた神秘にして素晴らしき花嫁は、
輝かしい光が最愛なる者の美によって放たれたるが如く、
今や神の恵と聖なる恩寵によって現わされた。
おお友らよ。恩恵は完全であり、論証は満たされ、
証拠は現わされ、証明は実証されたことを証言する。
今や世俗超脱の道における汝らの努力は何を示さんとするかを見よう。
かくて聖なる御恵みは、汝らと、また天と地にある者らに十分与えられている。
諸々の世の主なる神に御栄えあれ。

ジョージ・タウンゼント氏によるあとがき

「かくされたる言葉」は、バハオラがバグダッドに滞在中の一八五八年に著わされたも
のです。守護者ショーギ・エフェンディはこの書について「人々の心を再教育し、その魂
を啓発し、その行いを矯正するために、人の世に投げ入れられた強力な精神的酵母」であ
ると解説され、バハオラの聖典で倫理的テーマを扱ったものの中では特に卓越したもので
あると評しておられます。守護者はまたその著書「神よぎり給う」の中で、「かくされた
る言葉」の書中に納められている「宝石のような言葉」は、バハオラがチグリス川のほと
りを瞑想に耽りながらそぞろ歩きをしている時に、神から授けられたものであり、ファテ
メの「かくされたる書」と深く関係するものであると説明しておられます。ファテメの「か
くされたる書」は、マホメットの娘ファテメがマホメットの昇天を悲しみ、打ちひしがれ
ていたときに、彼女を慰めるために、天使ガブリエルがイマム・アリを通じて示したもの
と伝えられています。ファテメにそのとき贈られた言葉は長い間世の人々の目に隠された
ままになっていましたが、その内容が、今はじめて明かされたというのです。

「かくされたる言葉」には過去のすべての啓示の本質が残らず含まれており、しかも、
それらの真意が非常に簡潔な形で示されています。古より続く予言は成就し、ガエムに至
る神のすべての使者や預言者たちは、約束された御方が掲げられた聖なる御旗の下に集合
したのです。同様に、彼らの教えの本質もここに結集されているのです。

「かくされたる言葉」は、要約でも、理路整然と書き記された声明でもありません。そ
れはまったく新しい形の創造です。それは多くの聖なる芳香から蒸留された精髄なのです。
それは過去にあったすべての偉大な光明が一つの光に統合され、神のすべての過去が今の
この時代に凝縮された焦点なのです。

「かくされたる言葉」は精神的原動力として人類に提供されたものであり、そこには過去
に顕れた神の啓示の君主たちの存在が満ちあふれています。この原動力は生命力にあふれ、
無限の広がりをもち、何ものによっても妨げられません。いまやそれは、人類に運命づけ
られている再生をもたらすために人類の魂の奥深く注入されたのです。

この書は二つの部分で構成されています。第一部の原文はアラビア語で書かれており、
第二部はペルシャ語で書かれています。これら二つの部分の主題および題材が配列されて
いる様式は同じですが、読者はすぐに、言語の違いよりも別の差異があることに気付くこ
とでしょう。アラビア編はペルシャ編よりも短く、頁数も、二十六頁に対して四十二頁で
す。また、ペルシャ編よりも簡潔で、率直で、限定的で、倫理的内容に満ちています。ペ
ルシャ編はより個人的で、人の心を動かすような神秘的、詩的なところがあります。アラ
ビア編はすべて「…の子よ」と呼びかけているのに対し、ペルシャ編の呼びかけは非常に
変化に富んでいます。たとえば「おお儚き影よ」「おお汝ら最も高き楽園の住人たちよ」
「おお欲望の真髄よ」「おおわが玉座の伴侶よ」「おお汝ら地上の富者よ」「おお汝ら世
界の人々よ」「おお地上の圧制者らよ」「おお移住者らよ」「おお塵埃に芽ぐむ雑草よ」
のように、対比的な呼びかけが多く見られます。アラビア編の呼びかけは六六、六八、六
九を除き、「…の子よ」というように個人に向けられています。ペルシャ編では三三の集団
に向けられています。これらの二編においては、著者バハオラの態度や語調はそれぞれ異
なります。アラビア編では愛情のこもった教師であり、ペルシャ編では教えを説く愛する
者としての立場です。さらに、ペルシャ編では、たとえば十五、十六、十七、二三、二四、
二九、三四、三五、四五、四六、五二にあるように、しばしば顕示者に言及しています。

また、一九、六三、七一のように今日までの時の流れの中のできごとに言及するものもあ
ります。また、アラビア編にある序言はこの書の性格を記述しています。すなわち「この
書は、栄光の国土より降り、権威と威信の舌によって語られ、また、古の神の使者たちに
啓示されたところのものである…」は同じくペルシャ編にも適用されます。そしてペルシ
ャ編の結びの言葉は同様にアラビア編にも適用されます。この書を構成する一五三編の文
はすべて、それらの意味や本質においてきわめて密接に織りまぜられ、互いに依存し合っ
ているため、それらは一つの完全な統合体を形成しています。

「かくされたる言葉」は個人として、また、社会としての体験を通してのみ理解できる
書です。我々はまさに夜明けの時代に生きており、いまだ黎明の時刻の暗闇に包まれてい
るのです。こうして我々は疑いと拝金主義の伝統を受け継いでいるため、「かくされたる
言葉」のより深い意味を洞察することも、この書が要求する生命や宇宙に対する展望に到
達することも容易にできないのです。人間が自分の魂を縛りあげている束縛をふりはらい、
長い間使われずにいたことによって失った洞察の鋭さを取り戻すまでには、長い年月と多
くの世代が経過するに違いありません。

「かくされたる言葉」の最初の一編は地上における人生の真の最高の目標を述べ、それ
を実現するための方法を明らかにしています。それはすなわち意志と感情の正しい鍛練で
す。キリストは同じような目標や結果についてタレント(古代ヘブライの貨幣)のたとえ
話の中で説明しています。すなわち、主人が彼の忠実な召使に「汝は僅かなるものに忠な
りき。我、汝に多くのものを司らせん」と。「かくされたる言葉」の他の部分で、人間の
目的や希望は「永遠なる領土に達し、目に見えぬ神の贈与を受ける資格のあるものとなる
こと」「神が人間のために創り給うた聖なる統合と永遠性とをもって魂を装い、従って永久
に神の永遠なる本質を顕わす者となること」「人は神のために創られたことと、従ってそ
の舌は神を語るために、その心はそこに神が降臨し給うために、その霊は神の啓示の場所
になるために創られたことを認めること」「神の愛が人に到達するように、また神が彼の
名を呼び、彼の魂が生気に満たされるように神を愛すこと」「そしてためらうことなく神
の愛の楽園、神との融和の天上の住処に入ること」であると述べています。これらの目標
はすべて本質的、精神的なものであり、神との特別な関係から成り立っています。そして
ひとたびこれらの目標に到達すると、その達成は確固としたものであり、確実なものであ
り、永遠なるものであり、決して奪われることのないものです。このようにして人が到達
し得る所は「古より続くもの」、すなわち神の道です。それは宇宙の体系の一部であり、
人間の創造の内に最初から暗示されていたものです。人は努力によってついに自分自身の
本来あるべき所に到達したのです。その達成は決して物質的なものではなく、そのため、
分解し消滅してしまうことはありません。この到達点はバハオラの教えておられるところ
の真実であり、従ってそれは永遠なるものです。逆に、永遠でないもので聡明なる人間の
探求に値するものは一つとして存在しません。これこそが「かくされたる言葉」の教える
ところです。

人間の目指すべき到達点について「かくされたる言葉」は比喩的な表現を用いて説明し
ていますが、そのために明確さを欠くようなことはまったくありません。アブドル・バハ
は、神の使者たちはどうして比喩やたとえ話をこうも頻繁に用いるのかと問われた時、こ
う答えられました。「我々の言葉の貧しさと不完全さゆえに、預言者の啓示は適切な表現
に言い換え難いのである。預言者たちの考えは非常に高遠であるため、人間の心はそれを
容易につかむことができない。それ故、たとえ話を用いるのである。たとえ話を用いると、
人々はその中に隠されている意味を理解しようと深く考えたり、啓発と悟りを求めたりし
て祈るのである。真理の探究は人間の理解力を深め、知的な己惚れを生じることなく
洞察力を洗練するのである」。「かくされたる言葉」は、たとえばアラビア編三、四、九、
十、十一、十二、十三、十九、三二、六四、六五およびペルシャ編二三、二七、二八、二
九、三十、三四のように主権、融和、統合および生命が、神の最初の創造計画の重要部分
であったということを非常に力強く、また無数の最も美しい表現を用いて示しています。
人間とは何か、また、どうして創られたのかを述べるに当たって、この書は次のように
説いています。神はその太古よりの存在と、その本質の普遍の永遠性に包まれ、人間がま
だ隠された宝石でしかなかった頃に人間に対する愛を知って人間を創造し給うたのです。
神に創造の仕事をさせたのは、直接神の愛ではなく、むしろその愛を神が知り給うたがた
めです。この深い神秘的な真理を次の訓話の中に見出すことができます。「わが愛は汝の
うちにある。それを知れ」。また、この真理は、天使たちを九つの位をもって順位付ける
伝統にも微かに反映されています。つまり、その伝統によれば、最高位の天使は愛の天使
ではなく、知識と叡智の天使なのです。

この愛は人間の砦です。それを知りその中に入る時、人間は過ちと死滅から守られて
永久に安泰です。人は神御自身の光を放射するように創造され、愛の粘土で造られ、知識
の精華から生じたものです。人は神の領土であり、神の領土は決して消滅することはあり
ません。また、人間は決して消えることのない神の光なのです。神は無の荒野から人間を
生ぜしめ、人間を訓練するために存在するあらゆる原子と、あらゆる創造物の本質を定め
給いました。神の前に従順である以外に人間にとって平和も安息もありません。神より遠
く離れていること以外に悲しむことはありません。また、神に近づいていること以外に喜
ぶべきことはありません。人は神を愛するまでは、神からも楽園からも遠く引き離された
ままでいます。神の愛は届かず、満足も得られず、不安は増すばかりです。なぜなら、神
の住処は忠実な信者の心にあり、人間の住まいは神との融和にあるからです。

バハオラは人間に付与された能力と機会について語り、人間に対して奮起するよう求め
ておられます。神は人間を豊かに気高く創り給いました。神は人間が選り抜きの果実を食
べられるよう、栄光の木にそれを実らせ給いました。神は光明と融和の吉報をもって人に
呼びかけ、威力ある精霊をもって力づけ、神の御顔の光で導き、永遠なるものに招き給い
ます。神が人間にその偉大さを現わし、地上の人々が勝利を得られるよう、神の大業を広
めよと命じておられます。人間に与えられた心は花園です。その花園には憧れの小夜鳥が
歓喜の歌を口ずさむ愛のバラのほかに何も植えてはならないと忠告しておられます。バハ
オラは「死」は喜びの使者であることを示し、正義の名において最愛なる御方のためなら
ば幾百千の生命も躊躇なく投げ出せるようになるよう求めておられます。

神との融和に至る魂の道は愛の中にあり、そこで求められるのは一切を投げ捨てて顧み
ないほど完全な愛であり、神の他のすべてを嫌うほどの愛です。それは世俗超越、解脱、
統一を意味します。キリストは心の清いものは神を見る幸せが得られると教えられました。
「かくされたる言葉」の第一の忠言は、純粋な心を持つことです。神を愛するためには自
分自身から顔をそむけ、神の喜びを求めるためには自分自身の喜びに重きをおいてはなら
ないのです。人は自分自身の名を誇りとするのではなく、神の御名を誇りとし、自分自身
を信頼するのではなく、神を信頼しなければならないのです。自己を放棄して神に帰依す
る以外に、人は平安を見出すことはできないでしょう。神以外のすべてを放棄し、顔を神
の御顔の方に向けなければならないのです。また、神以外のすべてのものを忘れ、神と霊
的に交わらなければなりません。人は神以外に救助者を求めるべきではありません。他の
いかなるものも人間を満足させることはできません。あるいはまた、宇宙や天国の無限の
空間を探し求めても、神の前にへりくだり、従順を示す以外には安息を見出すことはでき
ません。真実の愛のしるしは不屈の精神と忍耐です。そして真に愛する者は、反逆者が許
しを請い、罪深い者が慈悲を願うように、苦難と試練を切望するのです。誠にすべてを放
棄して殉教者の死を求める程までに神の御意に満足し、神が命じ給うことは何ごとによら
ず感謝するようにならなければなりません。

なぜなら、人は生来その中に我欲すなわち下等な利己心を持っており、天使と同時に悪
魔を内に宿しているからです。別の所でバハオラは人間を評して「誤りの精」であると述
べておられます。この「かくされたる言葉」でバハオラは人に対して、一方では「おお怠
慢の真髄よ」「おおこの世の奴隷よ」「おお激情の真髄よ」「おお塵埃に芽ぐむ雑草よ」
と呼びかけ、他方では「おおわが兄弟よ」「おおわが玉座の伴侶よ」と呼びかけておられ
ます。自我は、火と水のように、高次元の自己とは相容れないものです。自我は神の敵と
手を結んでいます。そのために人は道に踏み迷い、遠方を彷徨い、神から遠ざかってしま
うのです。なぜなら、自我は人を無思慮の眠りに引き入れるか、人を神と対等の者に仕上
げようとする虚しい探求に招き寄せるからです。

バハオラはこれまでに過ぎ去った預言者の周期を展望し、人間が自分自身の選択と行動
によって自らを貧しくし、卑しくし、自分の空しい幻想と無益な空想に没頭し、神を信じ
ず、神に反抗し、このようにして自らの期待を裏切り、限りない恥辱を選び、自分自身を
この世の足かせや自我の牢獄の中に縛りつけ、朽ち果てる浮世の塵の山を楽園と交換して
いる様を見ておられますが、それほどまでに人間の中にある悪の本質は善なるものに打ち
勝ってきました。

バハオラはこの書全体を通じて人間に内在する下等な自我の巧妙な破壊力を明らかに
され、人はあらゆる形の自我に対抗し、妥協を許さない不断の戦いを挑まなければならな
いと警告しておられます。また、バハオラは次のように命じておられます。「汝の自我に
背を向けよ」「汝自らを放棄し、われに汝の目を向けるより他に、汝の安息はなし。汝の
信頼を汝自らにではなく、われに置くことは、汝の務めである」「汝の顔を、わが顔に向
けよ。そしてわれより他のすべてを放棄せよ」「われより他のすべてを忘れよ」。
神を信じようとする者は決して神以外のものを求めてはなりません。神の美を見つめよ
うと思う者は世俗のすべてのものに目を閉じなければなりません。神の御意と他のものの
意志とが一つの心の中に同居することはできないのです。心が欲望と情欲で汚れている限
り、誰も神と霊の交わりをすることはできません。世俗超脱の泉から永遠の命の美酒を飲
もうと欲する者は、富の汚れから自身を清めなければなりません。自分の中に神の叡知の
種を芽生えさせ、それを成長させようとするなら、その種が植えられる心の土壌は浄めら
れ、確信の水が注がれなければなりません。バハオラは次のように忠告しておられます。
これは正義の時代であり、真に信仰深い者は過去に例がなかったほどの褒賞を手にするこ
とができます。ただしこの時代においては、信仰の審査の基準も同様に高められています。
信者たる者は自分の行動が我欲や偽善の塵から清められ、栄光の宮居で恩恵を受けるに値
するよう努力しなければなりません。なぜなら、今や人類の「試験者たち」は、最愛なる
御方の聖き面前において最も純粋な美徳と汚れなき神聖なる行い以外は何も受けつけな
いからです。

自我を抑えることと我欲から断絶することは、向上心に燃える人の直面する実に重要な
務めです。「今や世俗超脱の道における汝らの努力は何を示さんとするかを見よう」とは、
バハオラがこの書を結ばれるに当って忠実な信者に宛てられた最後の要望です。創造主は
人間の本質の中に自我という不完全さを残し、人間が自身の努力によって神に向かい、神
の美を反映するに相応しいものとなるために自我と葛藤し続ける意志の自由を人間に与
え給いました。もしかりに自我が存在しなかったならば、人間は自分の不断の努力を通じ
て賞賛や褒賞を得る機会を失うことになったでしょう。人間は試練や労苦を免れるかも知
れませんが、その状態では人は機械的に行動する単なる機械仕掛けの人形となってしまう
でしょう。この不断の努力への要求とこの自由選択の特権は、この世を苦悩の場とするも
のかも知れませんが、反面、この世の生涯を勝利の場となす機会を提供しているのです。
同様にそれは、正義という慈悲に満ちた原理のもとで人間にすばらしい機会を与えている
のです。すなわち、精神的達成を、我々自身の知識、決断、行動によって勝ち取り、それ
を真に自分の功績とする貴重な機会を提供しているのです。「次の世」においては、自ら
の努力を通じて価値あることを達成するような機会は与えられません。そこでの進歩は自
身の努力や正義によるのではなく、ひとえに神の御慈悲にかかっています。それ故バハオ
ラは、今この世でこの機会をつかむようにと忠告しておられます。なぜならば、その機会
は二度と訪れないからです。他の所で説明されているように、地獄の火とは、投げ捨てら
れて今ではもう永久に失われてしまった多くの機会の意味なのです。

「かくされたる言葉」は神の勝利のしるしであり、人類に対する神の古より続く目的成就
の象徴でもあります。このような強烈な光を放つ書がかつて人類に与えられたことはなく、
また今までは人類はこのような書を受け取るに足る能力すら持っていなかったのです。こ
の書はすべての啓示を完全に統一した総和であり、啓示の威力はこの書を通じてさらに
一新され、最後を飾るバハオラの言葉によってその統合が完成されたのです。「かくされ
たる言葉」は世界の初めから今日に至る東西すべての預言者たちが一つであることの象徴
であり、最大平和を築こうとするバハイ世界信教のしるしでもあるのです。

ジョージ・タウンゼント

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