迫害の背景


バハイ国際共同体国連事務局が2010年9月にまとめた「イランのバハイに対する迫害の背景」からの抜粋の概要

内容
1.  イランバハイの状況-歴史的、法的背景
2.    信仰で結ばれた平和な共同体としての機構を組織する権利の剥奪
3.  生活権、自由と安全保障の剥奪
4.  教育を受ける権利の剥奪
5.    共同体所有財産の没収と破壊
6.  バハイ個人の所有物の没収
7.  就業機会、年金他の受給機会の剥奪
8.  市民権と諸種自由の剥奪
9.  宗教、信仰を理由とした憎悪の煽動
10.  結論

1. イランバハイの状況-歴史的、法的背景

バハイはイラン国内の信仰の歴史を通して迫害されてきている。初期の信者は、イスラム聖職者と、当時の統治者であったペルシャ王朝の両方から激しい 弾圧をうけ、19世紀の間で20,000人もが殺戮された。その後も迫害は衰えることなく、概して、政府が原理主義イスラムの指導者達を懐柔し、おもねる 必要を感じた時、激化した。

イスラム指導層の一部の保守派は信教をイスラムへの脅威とみなし、背教者の烙印を押した。女性の権利、真理の独立的探求、聖職者の不要性等の進歩的 な考えに懸念を抱く原理主義イスラム聖職者は数多い。加えて、イランのシーア権力層にすれば、コーランの後に啓示されるという独立宗教の出現は理論上許さ れない。新しい宗教を抹消し、その信者を抑圧することは、長い間、イランのシーア権力層に定められた役割であるとされてきた。

イスラム革命の後、バハイ共同体はイラン国内で発展性ある存在ということで、抹殺しようとする組織的な計画が政府後援のもとに急速に進められ、バハ イに対する人権侵害の件数、頻度、範囲が増大している。1980年代初期から、200名以上が、処刑、殺戮され、数千人もが、逮捕、拘禁、尋問を受け、何 万人もが、就業、年金受給、教育の機会を剥奪された。共同体所有の聖地、墓所、財産は没収、破壊された。当局によるバハイへの差別政策の模様を以下に説明 する。

イラン政府代表は、国際フォーラムにおいても、他国政府からの質問に対しても、いかなる差別も存在しないと真っ向から否定するが、これは虚言としか 言いようがない。信仰のために教育の機会を剥奪される国民はいないというが、バハイであると判明した生徒は誰であれ追放せよと命じる指令が各大学に発せら れており、その旨を記載した文書が動かぬ証拠として発見されている(4.2章にその詳細を記す)。

1.1 「バハイ問題」への政府による覚書

迫害に対する政府の関与が公に晒されたのは1993年のことである。前イラン国連特別代表が「バハイ問題」について政策を定めていることを示すイラ ン政府の覚書を公開した。この覚書は、最高革命文化評議会が草稿を作成し、最高指導者アヤトラ・アリー・ハメネイ (ならびに当時のイラン大統領アヤトラ・アリー・アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニ)が承認したものである。この覚書には、バハイ共同体の「進歩と発 展」は「阻害すべき」ものであるとして、阻止を確実に遂行するための指示が明記されている。今日も実施されているように、バハイであると知れたすべての者 から高等教育を受ける権利、多種な職業に就業する権利を剥奪することが指示規定されている。[1]

繰り返し説明したように、バハイ共同体がイラン政府を脅かすようなことは何もない。他国政府との同盟、イデオロギー、反対運動に組みすることもな い。信教の原則により、バハイは所属する国の法に従う。党派への関与、破壊工作、いかなる形のものであれ暴力に関与することは戒められている。人権につい て記した国際的な法案(イランも部分的に賛同している)のもとに、宗教の自由の権利、教育、就業の権利の保証、殊に、生存、自由、安全という基本的権利を 求めるだけに過ぎない。これら基本的権利の他には何一つ特権的権利を求めることはない。

1.2 憲法上の課題

300,000人以上のメンバーを擁するバハイ共同体はイラン国内では非イスラムの宗教少数派とし て、最大である。しかしその現状を当局は認めない。イスラム政権はバハイ信教を異端宗派として、信者を異教徒と分類している。

当局者は、すべての市民は市民の権利を請求する際に、『人としての権利、政治、経済、社会、文化的権利を享受する』ものとして、イラン憲法の14条 [2]、20条[3]を引用する。しかしこの二つの憲法条項はバハイが関与する事例においては考慮されることがない。これは13条での制限による。13条 では、ゾロアスター、ユダヤ教、キリスト教のみが宗教的少数派として認可を受けている。この条項に基づき、イラン政府当局者が「宗教的少数派」の言葉を用 いる時は、前述の三宗教のみを指す。そのため、宗教的少数派権利の促進策はバハイを対象外とする。たとえば、イラン議会は、2003年1月に、認可された 宗教的少数派に賠償金を等しく支払うことを認める法案を承認したが、このことは、バハイはこの法規による恩恵に預かることはできないと裁定することに他な らない。憲法上、信仰の自由を認可宗教のみに限定することにより、それ以外の宗教から、その自由を剥奪し、迫害を合法化している。

さらに、イラン憲法23条には「個人の信仰への調査は禁止される。信仰を持つというだけの理由で、妨害行為を受けること、咎められることは認められ ない」とあることに留意すべきである。しかし当局は過去5年間、個人情報収集のための大がかりなキャンペーンに着手している。具体的には、全バハイの所在 を突き止め、活動を監視したのである。詳細は下に記す。

2. 平和的な宗教共同体の機構を組織する権利の剥奪

バハイ信教に聖職者はいない。他宗教では聖職者に諸事が委ねられるが、バハイではその多くが機構に託され、行使されている。これはバハイ共同体生活 の基本要素である。機構の運営評議会が世界180の国と地域に存在し、同じ行政規則に従い、それぞれの共同体活動を組織している。

イランのバハイ共同体は行政機構を構成する9人を毎年選挙で選出し、共同体のニーズに対応してきた。しかし1983年、政府から解散命令が出される と、この行政機構、すなわちイラン全国精神行政会は政府への恭順を示すため、国内の行政構造のすべてを解散した。この時以来、イランのバハイ共同体は結社 の自由、集会の権利、機構維持の権利が剥奪されている。

その結果、イランのバハイは少人数のグループで礼拝をし、子供クラスを持ち、信教について勉強し、相談し、共同体のために必要な様々な活動を個人宅 で行うようになった。当局は長期間、イラン人のバハイが自分たちの共同体の宗教的集まりや、その他グループでの活動、バハイ共同体生活の行事への参加を禁 止してきた。2004年以降、役人による圧力は激化し、嫌がらせや脅迫が度重なるようになった。彼らは、社会的、教育的、また共同体に関する諸活動の中止 をバハイに命じた。すなわち、バハイにとって自分たちの宗教的習慣と不可分の要素である活動の遵守をすべて禁止したのである。

どのような宗教共同体でも、自分たちの行事を運営する何らかの手段が必要であるが、バハイたちは機構の維持が認可されなかったため、小規模の一時的 なグループを形成し、共同体活動の運営、全国、地方レベルで信者の奉仕にあたった。当局は、数年間、こうしたグループが機能していることを黙認し、監視下 に置きながら寛容な姿勢を示してきた。

ところが2009年早々、政府はバハイが行政機能を整えることは違法であるとの声明を発表した。2009年2月15日のFARSニュースの報道によ れば、その声明[4]は、イランの検事総長によるもので、「バハイ共同体の行政的要素は完全な絶滅まで決定的に打ち砕かれる」となっている。同じニュース はIRNAからも報じられ、国立TVでも発表された。この発表の後、バハイは改めて政府の意向に従うことに同意し、もっていた略式の行政グループの集合機 能を自主的に閉鎖した。2009年3月、バハイ国際共同体は検事総長宛てに公開質問状を出した。[5]

政府がメディアを通して行った違法宣言に先行し、全国行政グループ(ヤラン)の前メンバー7名が明白な理由もないまま10カ月近く拘留されていた [6]。拘禁期間中、7人全員が執拗な尋問と不当な扱いを受けている。独房から移動させられた2008年9月から、家族との短時間の面会を許されたが、保 釈は拒絶され、二年以上もテヘランのEvin刑務所209房に監禁されている。

7 人の最初の公判は2010年1月に行われ、4月と6月にも行われた。被告人たちと彼らの弁護士は公判の公開を請願したが、その度に裁判官はこの請願を頑と して撥ねつけた。一方では、非公開裁判という規則に反して、情報省の役人とカメラマンの入室が許され、裁判の進行状況を収録させている。裁判は2010年 6月14日に終了した。同8月早々、この7人は、ラジャエ・シャー刑務所として知られるキャラジのGohardasht刑務所に移送された。

詳細は更新報告、または次のリンク参照のこと: http://news.bahai.org/archive.php?category=489&year=0&month=0&Submit=Search ).

7人の事例は恣意的拘禁に関する国連作業部会により、所見No. 34/2008の課題で発表されている。この所見は国連人権委員会への報告書で更新されている[7]。

3.  生存権の剥奪、自由と安全保障の剥奪

イラン全土のバハイ共同体メンバーを確認し監視するという国を挙げての試みは、2005年暮れごろに始まった。迫害、差別の公認の活動は、この時を契機に大きく増加している。

2006年3月、宗教と信仰の自由に関する国連特別報告書は、イラン軍事司令本部議長を発信者とする2005年10月29日付け機密文書について深 い懸念を表している[8]。この文書は情報省、革命防衛隊司令官、Baij、警察、軍部などに宛てて、司法長官、最高指導事務局議長にも送られている。文 書には「誤ったバハイ教とバビ教」と言及され、「イラン最高指導部の指示による」と記されている。

「…これら間違った宗派に属する全ての個人を特定するために、軍司令部に政治、経済、社会、文化に及ぶ全活動について包括的かつ完全な報告を得る使 命を与える。これに伴い、各個人のこれらの活動に関するあらゆる情報を集め、指令本部に報告するよう、関連当局に機密伝達することを各位に要請する」

7月の終わり近く、アムネスティ・インターナショナルはこの文書について声明を発表し、(我々にも)コピーを入手する機会が与えられた。

後に我々は、2006年に政府から発せられた実施命令を耳にすることとなった。たとえば、同年8月、内務省からイラン全土の総督府の政策保安部門の 地方代理宛てに書簡が送られた。関係者は、地方のバハイについてアンケートを完成させ、その社会/教育上の活動全てを警戒し、細部にわたり監視し監督する よう、関連当局に命令するよう指示されている。居住地、職業、教育、各世帯の構成員の氏名すべて、どのようにイスラム教徒の隣人や同僚と関わっているか、 その他についての詳細な情報が求められた[9]。

2006年から今日に至るまで、警察、イランの情報局(以下、情報省と記す)の当局者は市や町20か所の何百人ものバハイを尋問している。彼らは直 接、家宅や職場に来ることもあれば、召喚し、質問することもあった。情報省に情報が伝えられたバハイは、仲間について知らせるよう圧力をかけられた。当局 者はジャーナリストを装ったり、路上にいる子供たちに質問したりして、内密に情報を入手することもあった。また、バハイでない人の家を訪れ、隣家のバハイ についての情報を収集し、監視するよう依頼したりしていた。

一度バハイであることが判明すると、本人だけでなく、そのバハイでない友人もが、子供、青年、軍務訓練生などが年齢を問わずに巻き込まれ、身体的攻撃、嫌がらせ、脅迫を受けた。詳細は次の章で記す。

同時期、バハイ以外の団体も、無論、攻撃対象となった。当局は、学者、女性の権利のための活動家、通商同盟の活動家、学生、ジャーナリスト、平和の ためのデモ参加者を標的に市民社会をも弾圧した。この抑圧行為は昨年の大統領選を契機に増えている。バハイは市民の騒乱、騒動を焚き付けた団体の一つであ るとする虚偽の告発を受けた。当局は、国際社会に人権侵害を通報する者は誰であれ、口封じを試みている。中でも人権擁護者への攻撃は殊に激しい。

3.1 激しい攻撃

本報告書内容の再検討に入ったばかりの頃、我々は憤った。Mr. Dhabihu’llah Mahramiの獄死(2005年12月) を耳にしたのである[10]。信教と信者を標的にした一大誹謗メディアキャンペーンが始まった頃であった。この頃にはすでに身体攻撃等の暴力が複数件起き ていた。2005年早々に勃発したケースもその一つである。このケースはMr. Mahrami が投獄された町、ヤズドで起きたものだが、身元不明の複数名により、二人のバハイが重傷を負うに至る傷害を受け、店舗に放火 され(商品は全て破壊)た。墓地は破壊され、墓石は粉砕。埋葬されていた亡骸が晒された。

攻撃は、後日、他の地域でも発生した。バハイは、当局者や私服警官、匿名電話などで嫌がらせや脅迫を受けた。生命を脅かされた者も、家宅からの強制 退去させられた者もいた。墓地、家宅、自家用車、果樹園、店舗、勤務場所のことごとくが損傷を受け、落書きで汚された。[11]攻撃はしばしば連続放火を 伴い、同じ町のたくさんのバハイが標的にされた。ごく最近(2008-2009)では、ラフサンジャーンとキャラジのバハイが攻撃対象にされている。

セムナーンでは2008年12月に一連の逮捕、家宅捜索が行われた。この町のバハイが特定された2009年、2010年は、本人とその親族が所有す る家宅、店舗、乗用車への攻撃が繰り返された。また、特定の全員に対するセムナーンからの強制退去も、確かに当局の意図によるものであるということは、こ の暴力的な行為の開始前に数週間にわたって行われた地方の聖職者による煽情的な説教、反バハイ公開セミナーや集会の継続開催といった組織的キャンペーンが 明白に物語っている。こうした機会で市民に対し、「バハイと関わるな、商売の取引をするな、町から追放せよ」と、強力に働きかけられた。バハイ敵視はセム ナーンだけにとどまらない。殊にSari市とIvel村では激しく、最近、バハイの個人宅50軒が徹底的に破壊された。さらにアバデー、アリーグーダル ズ、Bukan、ホラマーバード、Laljin、ルサバッド、Ravansar, アラーク郊外のAsfinとザグレブでもバハイ追放の兆候が確認されている。

バハイ共同体メンバーが、暴力を伴う損害に賠償を受けることは非常に難しい。警察は事件について調査せず、犯人究明の様子もない。バハイ個人や、所 有物への攻撃についての情報を予め入手しても、警察は何らの保護対策も講じない。攻撃はイスラム当局の許可を得て行われるため、実行犯が処罰されることは ない。

当局関係者には、イラン人はバハイを異教徒とみなすので、それゆえ攻撃したいと望んでいると語る傾向がある。しかし、多くのイラン人はバハイを尊敬 し、称賛しており、イランのバハイ共同体はその好意を実感している。民間では、バハイの考え、善良な性質、揺るぎない信念が認知されているのである。否定 的姿勢のほとんどは、イスラム指導層と政府当局者が打ち出し、増長させていることといっても過言ではない。

3.2 任意の逮捕と投獄

最近の出来事を記すにあたり、次の事柄を想起する必要がある。2001年に5名、2002-2003年には4名がイラン国内の刑務所に監禁され、 2004年には2名のバハイが逮捕された。この後、迫害は苛烈さを盛り返し始め、2004年8月から今日までの6年間に300人以上が逮捕されている。さ らに、警察と情報省当局者が何百人ものバハイを尋問のために召喚している。彼らは公式に逮捕、拘禁されたわけではないが、2007年の一年間で196 件の尋問が行われたことが報告されている。最新の事例の詳細、現在の投獄者の人数、2004年以降の累積数については更新報告を参照のこと。

バハイはイラン全土の各地域で逮捕されたが、最近では、より多くの者がテヘランのEvin刑務所の209房に拘留されている。情報筋によると、政府の情報省が管理するこの監獄で、彼らは時折独房に拘留され、罪状もないまま数か月にわたる尋問を受けていると伝えられている。

拘留され尋問されている者達(一部の者は繰り返し受けている)の多くが、臨時の行政グループメンバーであった。このグループはさまざまな町で、共同 体活動のニーズに応じて適宜形成されていた。殆どの者が、数週間もしくは数か月の間、拘留された後、ようやく釈放された。保釈金は非常に高額であるため、 家族は財産、営業許可証を譲渡するなどして、工面した。ほとんど例外なく、彼らの家宅や職場が捜索され、本人の所有物、殊に、信教に関連する書物、写真、 資料、コピー機、コンピューター、生活用品が没収された。

2006年5月、シラーズの当局は54名のバハイの若者を逮捕した。理由は、恵まれない子供たちのために教育プログラムを行ったというものであった。

後に、
・  告発された者の3名は、禁固4年の判決を下された[12]。2007年11月19日以来、

シラーズの情報省拘置所に拘禁されているが、イランの法の下では情報省といえども

市民を投獄する権利はない(尋問目的の拘留は限られている)。獄中環境は苛烈を極め、

長期の入獄には到底耐えられない。

・   他、50名は禁固刑1年とされたが、イスラムの宣伝組織が取り仕切るクラスに出席

すれば、入獄は途中でも停止されるとあった。
・  イラン当局のある関係者が本件を調査し、53名全員が無実であることを確証し、2008年

に報告書にまとめたが、当局は一顧だにしなかった。しかしこの文書の所在が知れた後、関

係者は報告書を別に書くよう強要され、元来の報告内容の結論は撥ねつけられた。

・      近年、イラン当局は、国際社会からの圧力のためバハイに対して長期間にわたる入獄を宣

告することはなかった。最近の判決では、数か月から数年間であるが、国内追放の際に追徴期間を宣告される者もいる。

前述のように、最近の逮捕と拘禁の事例は、更新報告に定期的に記載される:

(http://bic.org/areas-of-work/persecution/bic-documents#updates).

さらなる詳細は http://www.bahai.org/persecution/iranへ。

4. 教育を受ける権利の剥奪

4.1 小、中学校

バハイの子供達や青少年がイラン全土の小学校、中学校、高校で被る状況は容認し難い。虐待行為は嫌がらせ、悪口、酷い心理的圧力におよび、信頼関係を築きあげるべき教師や学校経営陣がこれらの行為の主体となっている。

除籍の脅迫を受け、転校を余儀なくされるバハイ学生は数多い。学生達はイスラムへの改宗を強要されたり、信教を侮辱する、虚偽の記事が載った検定教 科書の使用を義務付けられたりしている。多くの学生が呼び出されて、教室の皆の前で自分たちの信教を中傷されている。反発したら、厳しい叱責を免れない。 その範囲と過酷さが極めて似ていることから、組織的な加虐行為であることが明らかとなっている。2007年1、2月の二ヶ月間だけで10の市から150件 を超えるケースが報告されている。同年、文部省は、新たに、何教に属すかを記入する項目がある申請用紙を高校在籍登録の際の制度として導入した (バハイの学生に、信教への所属をこの用紙に書かないよう強要する教師もいた)。広範に及ぶ不当な扱いはとどまることなく、2008年10月から 2009年2月までの間に10ヶ所以上の地方で100件を超える事件が報告されている。

こうした動きと並行し、教師達は信教について「教育」を受けていた。彼らに配布された資料には、信教の初期以来、イラン国内で流布された歪曲された情報がそのまま記載されていて、それらの情報はメディアによる中傷的な宣伝内容と酷似している(9章で後述する)

少なくとも四年間、反バハイ運動のチラシがさまざまな市の学校で配布された。学校システムを通じて、あらゆる年齢のバハイ学生とその家族を特定する 試みがなされた。例えばシラーズの教育部管理保安局から回覧された用紙は「邪悪な少数派宗教、バハイ派に属する」学生全ての特定に向けて万全の用意がなさ れている。学生は自分自身と両親、さらに、兄弟全員の情報をこの用紙に記入しなければならない。宗教属性には「キリスト教徒」「ユダヤ教徒」「ゾロアス ター教徒」、そして「邪悪なバハイ教徒」の四項目だけが記載されている。

4.2 高等教育

信教メンバーから高等教育の機会を剥奪するという行為は一向にやむ気配はない。バハイであると確認されたら即、大学、職業訓練所から追放するのが政策である。追放されたことを、関連当局や法廷に告訴しても、却下されるだけである。

2006-2007年の学年度で800名を超えるバハイが受験し、480名が合格、289名が入学を許可された。しかし大学生活に入ってからバハイであることが判明し、さまざまな段階で追放された。2007年1月までに160名以上のバハイ学生が追放された。

この追放が政策であることが数種の公文書からうかがえる。中でも、2006年1月に科学研究技術省の中央保安局から出された通知ははっきりとした証 拠物件である(入手コピーからは発送月日の読み取りが不能)。この通知はイランの81の大学宛に発送されており、各大学の名前も記載されている。入学時、 あるいは就学後でもバハイであると確認された学生は全て追放せよとの明確な指示が記載されている[14]。

2006年の文書には「法令番号 1327/M/S, 6/12/69( 1991年2月25日)」の規定の下、本指令が公布されたと記載されている。これは前述した最高革命評議会が発した1991年の覚書を指す。規定には次の ような指令が含まれている。「彼ら(バハイ)は、入学試験段階でも、就学期間でも、バハイであると確認された時点で、即刻、大学から追放処分しなければな らない」

さらに、Payame Noor大学[15]の中央保安局から、地域支部宛てに送られた公式書簡(2006年11月2日付け)には次のように明記されている。
「文化革命評議会の規定、ならびに情報省およびPayame Noor大学中央組織事務局の保護主局の裁定により、バハイは大学及び高等教育センターへの入学はできない。それゆえ、入学申請が報告されたなら手続きし てはならないし、すでに入学している場合は追放処分とすること」[16]

関連文書(2007年3月17日付け)にはPayame Noor 大学の、いくつかの支部保安局はこの指示通りに動いたことが示されている。保安局は支部長に、バハイの受験生の入学を阻止するために必要な指示を与え、事 前に彼らの氏名を保安局に提出するよう指揮したという。[17]

政府はこれらの指示を覆すことも反対することもなく、阻止は国内全土で指示通りに実施された。

一方、公的機関は、共同体メンバーを特定する数々の試みの中から、バハイと判明した学生の大学入学を禁じるために、より簡単な方法を編み出してい た。学年度2008-2009に受験した生徒は、試験結果を入手できるウェブサイトを閲覧するよう指示された。バハイと確認されていた学生全てが次の URLによる頁に選り分けられている(最後の語句に注意)

http://82.99.202.139/karsarasari/87/index.php?msg=error_bah,

このURLから入ると、次のようなメッセージを受け取ることとなる:

「エラー:不完全提出。c/o 私書箱31535-3166, キャラジの教育評価機構に転送すること」

この処遇に対し、学生の多くが文書で上訴し、あらゆる手段で抗したが、バハイに味方した裁定はまったくなかった。それどころか、数多くの法廷が政府の差別政策を支持している。その間にも追放処分は続行し、現学年度では、20名以上のバハイ学生が追放されている。

バハイと確認された学生の高等教育を阻む政策は長期間続行している。形ばかりの人数を入学させ(後日、退学させている)ることは、国際社会への欺瞞戦術以外の何ものでもない。しかもこうしたプロセスは信者を突き止める新たな手段なのである。

1980年代後期以来、共同体メンバーは、個人宅でだけではなく、国内全土に散在する数多くの専門教室、研究所、図書館でクラスを編成してきた。これはバハイ高等教育機関と称される(BIHE)。

大学レベルの就学機会の剥奪は人権侵害として嘆かわしい。修学すれば、社会の発展のために著しい貢献をする地位に就くだろう者達の芽を、敢えて求めて潰している。この問題のさらなる情報は次のサイトで参照可能:http://denial.bahai.org/index.php と、 http://www.bahai.org/persecution/iran.

5. 共同体所有財産の没収と破壊 (略)

6. バハイ個人の所有物の没収 (略)

7. 就業、年金他の受給機会の剥奪 (略)

8. 市民権と諸種自由の剥奪 (略)

9. 宗教、信仰を理由とした憎悪の煽動

過去6年間のバハイに対する人権侵害の波の高まりに先行し、憎しみが煽動され、また高まりに並行し、煽動は勢いを強めた。迫害を公然と奨励する当局 者もいれば、バハイの教えと信者を誹謗した説教を行うイスラム聖職者もいる。国家も県も、信教に「立ち向かう」ための「教育」プログラムに予算を割り当て ている。煽動を目的とした公的機構も複数組織されている。

文献、TV、ラジオ番組、政府関連のウェブサイト、パンフレット、ポスター、展示などあまりに夥しい数にのぼるため、詳細を記すことができないが、 これら全てが信者と教えを中傷している。数多くの地方で、墓地の内外、家屋、店舗、果樹園、乗用車等、数々の所有物に、次のような標語がスプレー書きされ ている。「イスラエルの傭兵、バハイ」「米国と英国の傭兵、バハイに死を」「バハイは不浄」。こうした諸々の虚偽の文句が、反バハイの文書、パンフレット で広く配布されている。

こうした文句は、国家メディアに喚起されたものであることは疑うべくもない。信教の歴史の歪曲、虚偽文書の使用、信教の道徳原則の甚だしい冒涜、メ ディアによる所作は夥しい。中傷記事を過去6年間定期掲載していたのが、イランで最も歴史がある日刊紙の一つKayhanである。Kayhan 機構の最高リーダーが管理するこの新聞から引用された記事は、後に、別の新聞に転載され、反バハイウェブサイト、書物にも掲載された。

煽動で特に懸念されるのは、子供達、青少年への影響である。「激しい攻撃、暴力事件」の章で前述したように、中傷的な非難を鵜呑みにした虐待を彼ら は受けている。そしてイラン全土の共同体メンバーが、脅迫電話、脅迫メール、匿名文書を受けている。政府と連携したメディアから、殆ど例外なく、悪意に満 ちた中傷が発せられている。

共同体は大衆とコミュニケーションをとる手段を禁じられている。それゆえイスラムの指導者達から発せられる中傷的な流言に反論することができずにい た。ウェブサイトは情報提供の点で効果最大であるが、発信が国内外の如何に関わらず、政府はバハイのウェブサイト全てを封じている。これは信教についての 正しい情報を国内の信者が入手する機会を剥奪するものである。

10. 結論

国際的な監視体制以外には、イラン国内の共同体を保護する術はない。イランに住む信者に対する国際社会からの支援が減退すれば、当局は人権侵害の継 続が認可されたとみなすだけである。完全な解放の確立には、法律的、公共的措置を講じる必要がある。さもなければ、普遍的人権遵守のイランへの要求は効果 的ではない。

イランでのバハイに対する迫害は、イラン国外では国際社会-国連、政府間組織、市民社会-の懸案事項の一つである。国際的人権基準を侵害したイラン 政府を糾弾する非難の声は繰り返されていて、20年以上に及んで国連総会で採択されている決議案には、バハイを含むイラン国内の少数派に対する人権侵害へ の言及が含まれている。2005年来、5つ以上の国連特別手続で、上記で詳述した抑圧行為の高まりを報告し非難している[22]。その多くは、2009年 9月に国連事務総長から国連総会に提出された報告書[23]の中でも言及されている。

条約に基づく国連機関の対応では国連人種差別撲滅委員会(CERD)が挙げられる。同委員会は事実に留意し「特定の権利を剥奪されている、バハイを 含む特定の少数団体が直面する差別の報告を受けた」こと、また、イランの立法規定が「民族、宗教に根差した差別を顕にしている」ことについての懸念を表し ている。イラン共和国は15年以上に及び、人権委員会、経済/社会/文化権委員会に対し非協力的であった。2009年暮れ、イラン政府は条約に基づく諸機 関に、締切期限をとうに過ぎた報告書を提出したが、これは人権記録が2010年2月に国連人権理事会普遍的定期審査 (UPR)の下で調査される前の、新たな提携を発表する時期に間に合わせたものであった。

過去6年間、イラン国内のバハイに対し、気の向くまま、残虐に権力が行使されたケースが着実に増大したことは大きな懸念である。事件の性質、件数、 その範囲からして、水面下で政策として操作されていることは疑うべくもない。共同体メンバーを過酷な圧力の下に晒し、友人や、同じ市民から切り離し、知り 合いを恫喝し、嫌悪感、不信感を抱かせようと国民を煽動している。

2010年6月16日、カナダ上院で、名誉上院議員Roméo Dallaireは、イランのバハイ迫害に関し 「深刻極まる状況」であるとし、「国連事務総長のもとにある虐殺予防顧問委員会の一員として言えるが、虐殺行為になる可能性がある事態に向けて、政府がこ こまで明白に陣頭指揮している例は他にない。虐殺指標にことごとく適合している」と発言し、議会内の関心を引き寄せた。

王制から政教一致へと政権の主体が変わった中でも、イランバハイへの迫害は途絶えることがなかった。それでもバハイたちは耐え、国土を愛する気持ち が強く、また彼らの諸権利を擁護しようと一般民衆の間で高まる支援に心を熱くしている(ごく最近、国内在住のある市民が勇敢にもバハイ擁護のためのウェブ ログを立ち上げた) 。この共同体のメンバー達は、信教の原則と教えを促進し、国と人類に奉仕しようと自由を求めている。制約が課せられていようとも、精神と社会的責任を放棄 することはない。近隣の人々、同僚、友人、知り合い達との建設的な会話に参加する中で、国家の進歩の中で重要な役割を果たすために健闘し続けている。

[1]1991年の政府による覚書の文章は次のリンクから参照可能。
ペルシャ原語: http://news.bahai.org/documentlibrary/575/5_TheISRCCdocument.pdf
英訳: http://news.bahai.org/documentlibrary/575/5_TheISRCCdocument_en.pdf
[2] 第14条はこう読める:「『神は、宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けず、あなた方

を家から追放しなかった者たちに対してあなた方が親切を尽くし、公正に待遇することを禁じられない』とするコーラン[60:8]により、イランイス ラム共和国政府は非イスラム教徒の取扱いを、倫理規範とイスラムの正義と公正の原則に従い、彼らの人権に敬意を払う義務がある。この原則はイランイスラム 共和国に抗した陰謀、活動に関与しない全ての非イスラム教徒に適用される」

[3] 第20条:「この国の全ての市民は、男女ともに、法の保護ならびに人権、政治的権利、経

済的権利、社会的権利、文化的権利を、イスラムの基準に従い、皆、等しく享受する」。但し書きで「イスラムの基準に従い」としたことは、法の前の平等と保護からバハイを除外する効果がある。
[4]   ペルシャ語の原文は、次のリンクを参照:

http://www.farsnews.com/newstext.php?nn=8711271271 .
[5]   公開質問状のコピーは、次のリンクから参照可能:

http://bic.org/areas-of-work/persecution/prosecutor-general-iran-en.pdf
[6]   拘束されたバハイのリーダーは次の通りである:  Mrs. Fariba Kamalabadi,

Mr. Jamaloddin Khanjani, Mr. Afif Naeimi, Mr. Saeid Rezaie, Mrs. Mahvash Sabet, Mr. Behrouz Tavakkoli, Mr. Vahid Tizfahm.  Mrs. Sabetは、2008年3月5日に Mashhad で逮捕された後、テヘランに移送された。他6名は、テヘランの自宅で2008年5月14日に逮捕された。

[7]   作業部会の報告書全文は次のリンクから参照可能:

http://www2.ohchr.org/english/bodies/hrcouncil/docs/13session/A-HRC-13-30-Add1.pdf.
[8]   書簡(ペルシャ語による原文と英訳の両方)は次の頁から参照入手可能:

http://www.bahaiworldnews.org/story/473
[9]   2006年8月の書簡の英訳を読むには, click here
ペルシャ語原文を閲覧するには, click here
[10] 1990年代中頃、Mr. Mahrami は、バハイ信教を信仰する「背教者」であることを理由に、

一人だけで、裁判を受けた。死刑判決となったが、1999年に減刑可能となり、終身刑と

なった。 59 歳であった。
[11] 攻撃の模様の一部を記録した写真は次のリンクから参照可能:

http://news.bahai.org/story/645
[12] 三人の氏名は、Ms. Haleh Roohi, Ms. Raha Sabet と、 Mr. Sasan Taqva.
[13] イランでは、全国規模の入試に一つの宗教の知識を試す科目が含まれている。受験生は

試験を受けたい宗教を選ぶことができるが、選択肢は四種しかない。すなわち認可宗教

のみである。
[14] 大学に送られた2006年の書簡は 以下のリンクから参照可能:
ペルシャ原語:

http://news.bahai.org/documentlibrary/575/1_LetterFromMinistriesToUniversities.pdf

英訳:

http://news.bahai.org/documentlibrary/575/1_LetterFromMinistriesToUniversities_en.pdf

[15] ウェブサイトによれば、 Payame Noor 大学は、「テヘランに本部を置く、遠隔地教育の国立大学。国内に、10ヶ所の地域センター、130ヶ所の学習センター、126ヶ所の学習ユニット、国外 1ヶ所に海外センターを置く」とされる。何十名ものバハイの学生がこの大学から追放された。

[16] 2006年11月2日付けの書簡は以下のリンクから参照可能 :

ペルシャ原語:  http://info.bahai.org/pdf/payame_noor_univ_memo_farsi.pdf

英訳:  http://info.bahai.org/pdf/payame_noor_univ_memo_english.pdf

[17]  2007年3月17日付けの書 簡は以下のリンクから参照可能 :

ペルシャ原語:

http://news.bahai.org/documentlibrary/575/2_LetterToPayam-i-NurUniversity.pdf

英訳:

http://news.bahai.org/documentlibrary/575/2_LetterToPayam-i-NurUniversity_en.pdf

[18] 1849年、イスラム指導層 は、改宗を拒んだという理由で、Quddus(最聖)を殺害した。信

教の先駆けとして最高位の伝道者に序せられている彼の安息の地も、他多くの史跡、聖地同

様に、イスラム革命時、イラン政府当局による没収を受けている。

[19] 2007年4月付けの書簡(ペルシャ原語と英訳)は、「バハイ問題-イランの文化的粛清」

の86-87頁から参照可能。この文書は以下のリンクからダウンロード可能:

http://news.bahai.org/human-rights/iran/the-bahai-question.html

もしくは、製本編集版として、バハイ国際共同体代表からも入手可能。

[20] こうした話し合いが2006年 6月15日のILO大会で行われた。以下のリンクの文書、

41頁の下方から44頁で参照可能:
http://www.ilo.org/public/english/standards/relm/ilc/ilc95/pdf/pr-24-part2.pdf

[21] 2009年大会のイランへの言及箇所は、以下のリンクの暫定議事録から参照可能: http://www.ilo.org/global/What_we_do/Officialmeetings/ilc/ILCSessions/98thSession/pr/lang–en/docName–WCMS_108378/index.htm see pp. 99-106 .

[22]  2005年以来、イランバハイに対する人権侵害の模様は宗教と信仰の自由に関する特別

報告官、少数派問題の独立専門家、恣意的な拘留についての作業部会、適切な居住権利

に関する特別報告官、意見と表現の自由に関する特別報告官により、国連人権評議会に

提出された文書の中で言及されている。
[23] 次のリンクを参照:http://news.bahai.org/story/732