高等教育機会剥脱の背景

高等教育の機会をバハイから剥奪するためのイラン政府による組織的運動

バハイ国際共同体 広報局

2011年 5月

内容                                                                          項

1      序論                                                                                       1

2      バハイ共同体破壊を目的としたイラン政府の秘かな青写真 4

3      国際的なイラン人権監視団体によるレポート, 過酷な星回り 7

4      高等教育からの最近の除籍事例                                                        10

5      バハイ高等教育機関                                                                  11
6      バハイ高等教育機関からの事例研究                                             12

7      バハイ高等教育機関  – 生徒からの供述                                                15

8      国際社会からの反応                                                                  17

9      参考資料                                                                                   18

1 序論

”誰もが教育を受ける権利を有している”

世界人権宣言

長期的視野にたてば、教育を受ける権利の剥奪は、自由で生産的な一人の人間として存在する権利を奪うことに他ならない。

世界人権宣言により明確にされ、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約により保証されている教育の権利にイランは署名批准している。この権利において強調されるように高等教育を受ける対象に差別はない。就学する教育水準にかなうことについてのみ正当な入学基準が適用される。

1979年以来、イラン政府は、国内最大の非イスラム少数派宗教として30万人強の信徒を擁するバハイ共同体の若者たちから高等教育の機会を組織的に剥奪してきている。バハイ以外にも数千人の学生が、学生組合、学内広報、女性の人権、学問の自由、人権、囚人の権利を始めとする社会的政治的課題に積極関与したがために大学から除籍処分を受けている。

しかし政府の干渉はそれらのみにとどまらない。大学での就学機会を奪われた学生のために共同体で自主的に設立運営してきた教育の機会をも閉鎖しようとしている。バハイ高等教育機関もその対象から免れることはない。

イラン政府によるこうした干渉は、イラン社会におけるバハイ共同体の存続・発展を根絶しようとする連動した試みの一環であることは疑うべくもない。

バハイ質疑”

イランがイスラム共和国として政権を開始してからの数年間に200名以上のバハイが姿を消し、さもなくば、公衆の前で処刑された。指導的立場にあった者は数多い。各地の拠点施設と墓地は破壊され、放火、略奪、群集による攻撃、強制棄教が国内50以上の都市と町で行われたことがバハイより報告されている。大学から除籍処分となった若者も数多い。

新政権によるバハイを標的にした攻撃は国際社会で明るみに晒された。しかしその後に政府が攻撃を新たにしたのは、露見したことが一因した可能性がある。

1990年12月、最高指導者のアヤトラ・アリ・ハメネイはラフサンジャーニ大統領に「バハイ質疑」の作成に取組むよう指示し、発行は最高革命文化評議会に付託された。この覚書の文中には、バハイに対する処遇について、「何をすべきか、すべきでないのか、誰が読んでもわかるように工夫された」策案をアヤトラ・ハメネイが望んでいたことが記されている。このハメネイの要請に答え、最高革命文化評議会書記、Dr.セイイェド・モハンマド・レザ・ハシュメイ・ゴルパイェガニがイラン憲法、宗教法、民法に照らし、抑圧策ガイドラインの概要化のために機密覚書を作成した(2章を参照)。

政府最要職者数名が署名したこの覚書は事実上国策となったものを具体化している。すなわち「進歩と発展を阻止されるような待遇をバハイは受けなければならない」がこれに該当する。「質素な暮らし」を送るだけの収入は許されても、大学から除籍処分としなければならない。バハイであると確認されたなら、解雇し、教育を始めとする影響力のある分野の者は職位を剥奪されること、他が規定されている。さらに青少年に至っては、強制力のある宗教イデオロギーを前面に押し出した学校に入学させるべきとされている。

この機密覚書が1993年に漏洩した後、「迫害政策」の証拠を固めるものだとヒューマン・ライト・ウォッチは結論付けた。

高等教育への機会

1981年以来、バハイの学生たちは正式な高等教育を受ける機会を剥奪されている。バハイ共同体の静かな絞殺がイラン政府の組織的運動のもくろみであることを恐らくこれほどに明らかに実証しているものはない。

高等教育からバハイを除外するために当初用いられたメカニズムは単純この上ない。国立大学入学試験を受験する生徒に宗教属性を明かすことを要請するものだった。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教という政府が公式認可した四宗教以外のものを信仰するとした受験生は排除された。

1980年代後期には、こうした排除の影響を緩和しようと、若者たちへの教育機会が非公式で取り計らわれるようになった。1979年のイスラム革命の直後に教職を解雇された大学教員が自主的に教えるものである。やがてこの試みは進化し、バハイ高等教育機関(BIHE)と称され、通信教育コースと全国の教員個人の家庭における授業が提供された。

けれどもこの試みが全国レベルで普及してからというもの、イラン政府はこの平穏ながら若者にとっては死活ともいえる自発的取組みを停止させようと干渉を繰り返してきた。1998年には、政府役人が連続して襲撃をしかけ、BIHEの教職員少なくとも36名が逮捕され、装置と記録の殆んどが押収された。

しかしBIHEへの襲撃により、イラン政府の抑圧策は国際的に大きな関心を集めることとなった。国連の複数人権団体が信仰を理由としたバハイ学生に対する差別を止めるよう要求し、各国政府もバハイ学生が大学に戻ることを許可するようイラン政府に圧力を加えた。

こうした圧力に耐えかねた政府は、国立大学入学試験の出願用紙に宗教属性を明らかにさせることを取り止めることを、2003年暮れに公式発表した。

バハイの学生を除籍処分とするよう指令を受けた大学81

2006年に漏洩した機密文書では、国立大学全校を監督する科学研究技術省の中央保安局長から、国内81校に向けて、バハイと確認された学生は例外なく除籍処分とするようにとの指令がなされている。

「入学の時点、さもなくば、履修期間にバハイであることが判明したなら、除籍処分としなければならない」との文言がこの文書に記されている。

この指令が過去数年間に政府役人の公私の場での供述内容と矛盾していることは誤魔化しようもない。国の教育システムはバハイに開かれており、差別行為はないとしていたのである。

たとえば2007年3月初旬、ロイター・ニュース通信社によれば、その学年度に70名ものバハイ学生がイラン国内の複数大学で除籍処分されていたと報じている。報道では、質問に対し「信仰のために大学から除籍される学生はイランでは一人もいない」と返答する国連イラン政府代表部の匿名広報官の供述が引用されている。

イラン当局者による虚言は他でも明るみにされている。英国下院議員のクレア・ショートがロンドンのイラン大使館代理大使ハミド・レザ・アレフィから受理した書簡にはこう記されていた。「思想の理由のみで高等教育機関から除籍された学生はイランでは一人もいない」

さらに展開した策略

高等教育機関へのバハイ学生の入学を阻止するために考案された方法は一通りではない。

2007年6月には、バハイ学生約1000名が入学試験で答案用紙を記入提出したが、700名以上が提出は「不完全」であるため評価の対象にできないと後で告げられている。それでも200名以上の学生は入学を許可されたが、128名が就学後にバハイであることが確認され、除籍処分となった。

2008年、入学試験の結果を知ろうとしたバハイ学生は「誤り-不完全提出」と表示が出るウェブページに案内された。

この時以来、かろうじて大学の中で居場所を確保しても、バハイであることが知れて、除籍処分となった者は数多い。しかも最終試験に着座する直前で除籍処分とされることがえてして行われた。

2 バハイ共同体破壊を目的としたイラン政府の秘かな青写真

高等教育を受ける機会をバハイから剥奪しようとするイラン政府による試みは、共同体ごと破壊しようとする包括的な試みの中でとらえなければならない。

1991年に記された機密覚書には、共同体の静かな絞殺を意図した国家政策の概略が定められている。これは、最低限の生活のみ許し、無学文盲状態のままにすべしとする命令以外の何ものでもない。さらにほんのわずかでも違反行為を行えば、投獄、さもなくば、さらに過酷な仕打ちが待っていると脅かし、心の休まることは一時もない状態にしておくべきとの意味に他ならない。

この覚書からは、迫害手段の方向転換が明らかにみてとれる。すなわち、殺害、拷問、投獄等のあからさまな迫害から、社会、経済、文化的生活での制限に重点が移っている。国際社会からの集中的な監視と非難を招く可能性を薄めようとする思惑がうかがえる。

覚書はイランイスラム共和国最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイと、当時の大統領アヤトラ・アリ・アクバー・ハシュメイ・ラフサンジャーニの要請に従い、最高革命文化評議会が作成した。「機密」とスタンプが押され、評議会書記、Dr.セイイェド・モハンマド・レザ・ハシュメイ・ゴルパイェガニと連名で署名したハマネイの承認を受けている。

「進歩と発展が阻害」されるようにイランバハイを処遇すべしとの要請が覚書の主旨である。

これを遂行するために、「影響力ある地位」をバハイから剥奪すべきであり、「一般大衆とほぼ変わらぬ慎ましやかな生活を送る」のみ許可されるべきものと覚書で具体的に記されている。「バハイであることを自ら明らかにした者は解雇すべき」とも記されている。

教育については、「バハイであることが判明したなら、入学試験の時点、さもなくば、履修期間に、大学から除籍処分としなければならない」と記されている。

さらに、バハイであることを明かさない限りは通学が許可されるが、信仰から力づくで引き離すよう、「宗教的イデオロギー」色が強い学校に送られるべきであるとの方向性が示されている。

2006年、国立大学全校を監督するイランの科学研究技術省の中央保安局長より発行された書簡には、バハイであると判明した学生は例外なく除籍するようとの指示がなされている。

「機密」とスタンプが押印された文書には、「バハイであることが判明したなら、入学試験の時点、さもなくば、履修期間に、大学から除籍処分としなければならない」と記されている。

さらにこの文書では、1991年の機密文書と、その中に記されたイランのバハイ共同体の進歩と発展を「阻害」するための包括計画とがはっきりと言及されている。

イラン・イスラム共和国

最高革命文化評議会文書

[ペルシャ語の英訳をさらに和訳したもの]

神の名にかけて!

イラン・イスラム共和国

最高革命文化評議会

番号: 1327/….

1991年2月25日

同封: なし

機密

Dr.セイイェド・モハンマド・ゴルパイェガニ

指導師(ハメネイ)局長

拝啓

1990年12月31日付け文書番号#1/783に関し、バハイ質疑に関わる、大統領に伝達された尊師の指示を通達します。大統領と最高革命文化評議会議長がこの質疑を検討し研究するよう評議会に付託したことにより、バハイ質疑が1991年1月22日のセッション#119と、1991年2月5日のセッション #128の議題として位置付けられることになりました。

さらに、尊師(最高評議会長ならびに評議員)が司会進行された1987年7月24日のセッション#112 of 2/5/66でのこの件に関する審議により、バハイ質疑に関する尊師の最近の見解と指令が最高評議会に伝えられたことも併せて通達します。イラン・イスラム共和国の憲法の内容ならびに宗教法、民法、一般的な国策に照らして念入りに研究され、決定が公表されました。

上記決定に達し、前述の質疑に対抗する合理的方法を提案するに際し、イランイスラム共和国の指導師(ハメネイ)が望まれることが慎慮されました。すなわち「何をすべきか、すべきでないのか、誰が読んでもわかるように具体策は工夫されるべき」という点になります。従って、下記の提案と推奨案は上記審議の結果になります。

イランイスラム共和国大統領、ならびに、最高革命文化評議会長は、これら推奨案を承認する一方、尊師(ハメネイ)の指導に従い適切な措置が取られるよう、尊師に奏上するよう評議会に指示されました。

審議結果と推奨案の要約

A.  国のシステムの中の概ねのバハイの状態

1.  理由なく、国から追放されることはない。

2.  理由なく、逮捕、投獄、罰則を受けることはない。

3.  進歩と発展が阻害されるような方法で政府はバハイを扱わなければならない。

B.  教育と文化的状態

1.  バハイであることを明かさない限りは学校入学は可能である。

2.  強制力のある宗教的イデオロギー色が強い学校に入学させるのが好ましい。

3.  一旦バハイであると知れたなら、入学試験の時点、さもなくば、履修期間に大学から除籍しなければならない。

4.  政治的 (スパイ)活動は、適切な国法と政策に従い、取り扱わなければならない。宗教、プロパガンダへの応酬は、宗教的、文化的対応ならびにプロパガンダにより対応すべきである。

5.  プロパガンダ機構 (イスラム・プロパガンダ機構)はバハイによるプロパガンダと宗教活動に対抗すべく独立した部局を設立しなければならない。

6.  国外に根を張る文化的組織に対抗し破壊するために計画考案しなければならない。

C.  立法上と社会的状態L

1.  一般市民と同等の慎ましやかな生活を許可する。

2.  バハイであるよう励まさない程度に、全てのイラン市民に与えられている一般権利に合致する普通生活を送る手段は許可できる。即ち、冊子配給、パスポート、埋葬許可証、就労許可他が該当する。

3.  バハイであることを明かした場合、就業を剥奪する。

4.  教育部門等、影響力のある分野での職位は認められない
神の確証があらんことを

最高革命文化評議会書記

Dr.セイイェド・モハンマド・レザ・ハシュメイ・ゴルパイェガニ.

[署名]

[ハメネイによる手書きの言葉]

神の名にかけて!

最高革命文化評議会による決定は不備ないとみえる。

諸兄の対応と努力に感謝する。


3 国際的なイラン人権監視団体によるレポート, 過酷な星回り

2010年12月、国際的なイラン人権監視団体(ICHRI)により、過酷な星回り:イラン高等教育における組織的差別と排除、と題する文書が発行された。大学での就学を阻止された学生へのインタビューを元に作成したものである。大学キャンパスで展開されている社会的および政治活動を標的に、情報省と科学省との緊密な連携を通した組織的な抑圧をイラン政府が加えていった模様が、信仰のためにバハイ学生が除籍処分を受けていることとあわせて浮き彫りにされている。

2005年以来、「星評価をされた学生たち」という言葉が高等教育に関するイラン人の間の会話に登場している。この言葉は、政府による学生差別、高等教育機関からの排除のメカニズムが存在していることを物語っている。政治的信念、表現の自由の行使、バハイについては信仰、学生たちが排除される理由はそうした思想上のものであるにすぎない。この人権団体からインタビューを受けた学生は大学から締め出された者たちが対象であるが、競争率の高い国立大学入学試験で最高点を取った学生も中にいる。

過酷な星回りでは、バハイの若者が、大学入学試験の出願用紙に宗教属性について明示しないよう強いられている模様が報じられている。いかなる大学も、彼らを見つけ次第、除籍処分とするよう政府から命じられている。

レポートによれば:

バハイの若者からの高等教育機会の剥奪は、政府が許可したバハイへの組織的迫害と差別計画の一環である。学生運動家のように、科学省に提出内容が不完全であるとされ、入学試験の時点で振るい落とされたバハイ学生は少なくない。すなわち二つ星評価である。

2007年に高等教育を受ける機会を剥奪されたあるバハイ学生はこの監視団体ICHRIにこう話している。

「入学試験の時点で私は入学を禁じられました。試験結果を受け取るかわりに、送られてきたのは『出願不全』の文言でした。もう入学する可能性はないのです」

別のバハイもこう語っている。

「毎年入試を受ける度に、試験結果のかわりに「出願不全」と記されたものが送られてきます。同じバハイの友人全員が同じ処置をとられています。最初の出願時点で何か見落としがあれば、受験に必要なIDカードがなぜ発行されるのでしょう。2005、2006、2007年と連続して受験しましたが、大学に入ることはできませんでした」

大学での就学機会をかろうじて得た者も中にはいるが、いったん信教に属していることが明るみにされると、科学省から除籍処分を受けた。イスファハーン市のSenaii大学で履修期間に除籍されたある学生は、多くのバハイが高等教育を受けることを阻止されているとICHRIに語っている。

「私はバハイ家庭の出身です。このことが、私がイスファハーンのSenaii大学で、二学期間、英語翻訳の履修を終了した後の2008年に除籍された理由として、科学省からの手紙で触れられていました。殆んどの級友が私がバハイであることを全く知らなかったし、話題にのぼることもありません。たいていは科学省の保安部から裁定通知が届いてから除籍されます。情報省がバハイ家庭の統計を全て保有しているので、誰が『学生』であるかを割り出し追放するのです。バハイは信仰を隠すことを禁じられているので隠したりしません。尋ねられたら、そうですと明かすのです」

彼は続けてこう語る:

「科学省とSanjesh機構、最高革命文化評議会に手紙を書き、直接担当者に会い、異議申立てをしましたが、間違ったことはしていないとして回答はもらえませんでした」

バハイであるために、続けて履修することを禁止された女子学生はこう語る:

「最初の学期の履修は完了しましたが、二学期に入って受講登録を試みた時、申請用紙の宗教属性が『イスラム-シーア』とされていました。そこで修正を要請したところ『その他』に変更されました。およそ二週間後、その後の手続きをするよう大学に行くよういわれましたが、大学当局は何をすべきかきちんと分かっておらず、科学省のSanjesh 機構に行くように私に言いました。科学省の中では、教育副総監局から他の事務局へと、父と私は次々と盥回しをされました。省の人々は『あなたが何をする必要があるかわからない』と言い、大学から科学省に手紙を書かなければならないだろうと最後に言いました。けれども大学当局は私に手紙はあげられないと言いました」

「大学に行くと、今度はSanjesh 機構に行かなければならないといわれました。しかしここでも科学省の返答と同じでした。結局、大学に戻ると、出願を取り下げなければならないと告げられました。学校による除籍処分との言葉が出ないように、私から自主的に取り下げするよう、当局は私を説得しようとしました。けれどもわたしは取り下げませんでした。現在私は『登録中止』状態にいます」

同様な別の例である:

「大学の保安局に行った数日後、『出願で問題なのは信仰についてだ』と保安局長から言われました。たしかに四つの選択肢のどれをも選んでいませんでした。そこで出願用紙に記載されている宗教四種のどれをも信仰の対象としていない、だから選ばなかったとはっきり答えました。保安局長はその私に何を信仰しているのか尋ねてきたので、バハイ教徒ですとついに出願用紙に記しました。それから数日して、大学総長のDr.アクバリからの伝言を局長が伝えました。バハイ教徒であるため、この大学で受講登録することも学習することももはやできなくなったとのことでした」

バハイであるために、タブリーズのサハンド大学から2008年に除籍・就学禁止処分となった学生が、ある公開文書の中で次のように語っている:

「何回か学校職員に連絡を取りました。職員関係者は情報を否認したので、他の生徒たちと変わらずに勉強を続ける希望が生まれました。ところが今日、2008年3月4日、なんと私の『経歴』の詳細がウェブサイトから削除されていました。ウェブに入ろうとすると、今度は『このユーザーは活動停止』とのメッセージでした。そこで大学に連絡を取った数時間後、ようやく学長の事務部長のCheraghi女史が電話に出て私にこう告げました。『Sanjesh 機構がウェブサイト上のリストからあなたの名前を消しました。あなたのケースの今後の対応は機構を通してのみ行われます』。なぜこうした措置が取られたのか理由をたずねると、女史は電話を切り、それ以上私の呼びかけに応えることはありませんでした」

「法的根拠が一つもなく」「就学機会を奪われた学生の権利復権を求めた訴訟の結果として」継続して履修することを当局から禁止されたと、別の学生もICHRIに報告している。
「最高文化革命評議会の決議により、バハイは大学で学習することは禁止される、と告げられました」

サーリーの農業科学自然資源大学で農工学を履修していたある女生徒は、バハイであるがために、級友一人と伴に、除籍・就学禁止処分を受けたことを報告した。
「除籍決定の理由について問い質そうと級友が学長の元を訪れると、副学長から『あなたの友人(私)も除籍になる』と告げられたと私に伝えました。これはワハビ宗が議題となった3月11日の会議に参加したことに端を発しています。ある聖職者が席上で『バハイはロシアのスパイ』だと言い始め、言葉の限りを尽くして信教を侮蔑したのです。耐えかねた私は、他多くの生徒の中から立ち上がり、信教の擁護に弁を振るいました。雰囲気が強く張り詰めていく中、ついに、どう応酬したらよいものか相手が途方に暮れるところまで反論しました。副学長が(級友の)Sona Gholinejadに語ったことによると、この出来事で私の除籍が決定したそうです。しかしこの出来事が学生の間に深い影響を与えたことは言うまでもありません。この後、大学当局は『バハイカルトによる歴史的批判』と題する会議を開かざるを得なくなりました。けれども私は多くの理由からこの会議には出席しませんでした」

4 高等教育からの最近の除籍事例

大学入学が許可されたが、履修期間に除籍処分となったバハイたちの最近の事例である。

  • 2010年12月12日、イスファハーン県, ナジャファーバード近郊の小規模の町、Alavichehの Payam-e Noor 大学から一名のバハイ学生が除籍処分を受けた。彼はコンピューター科学を学び、最初の学期を修了する直前であった。
  • 2010年12月13日、Payam-i-Nour大学 Damavand分校にて会計学の最終学期を履修していたテヘラン出身の女生徒が除籍された。
  • 2010年12月20日、ヤズド大学自然資源工学学校で学んでいた学生が自分のオンラインアカウントにアクセスしたところ拒否された。その後、システムから自分の名前が削除されていることに気がつき、学校当局に問合せしたところ、当局からテヘランの国立教育測定評価機構(EMEO)に照会がなされた。12月27日、その後どういう展開となったか、EMEOに学生が赴くと、最高革命文化評議会による規定により、高等教育を受ける権利はバハイにはないと担当者は告げた。しかし除籍理由について記した書面を渡すことについては拒否した。
  • 2011年1月7日、Mazandaran大学、Babolsar分校で語学を履修していた学生が除籍処分となった。
  • 2011年4月9日、イスファハーン工業経営研究所で応用会計学を専攻していた学生が除籍処分となった。

5 バハイ高等教育研究機関

「共同体による精巧な自己保存行為」とニューヨーク・タイムズに呼称されたように、1987年、バハイ共同体はイラン政府により高等教育の機会を組織的に剥奪されていた若者たちの声に応えるべく、高等教育プログラムを設立した。

バハイ高等教育機関(BIHE)は非公式な取り計らいである。イラン政府は国内にバハイに関する一切の機構設立を認めようとしないことによる。

BIHEは、大学から解雇されたバハイの教員、講師による自発的な申し出から始まり、大部分が手紙のやり取りで運営されていた。後に、授業や実習指導が個人宅や地下室で行われ、ごく近年には、オンライン学習が加えられた。

1998年の9月と10月、イラン政府は一連の一掃襲撃を個人宅500軒にしかけ、BIHEの教職員少なくとも36名を逮捕し、使用していた装置と記録の殆んどを没収した。その後の数年間も、規模の差異はあれ、集中攻撃が定期的に行われ、2001年、2003年には熾烈を極めた。

しかしそのような災禍に面しても、BIHEの最高水準の教育体制は揺らぐことがない。

関係者と資財を標的にしたごく最近の襲撃時には、17の大学レベルのプログラムが提供されていた。200-300名が授業を担当し、管理体制を通して運営を支援している。毎年、平均1000名の学生がBIHEに出願している。

BIHEは履修を完了した学生に学位を発行するが、イラン政府が機構の存在自体を否認するため、正式な学位として認可されることはない。しかしヨーロッパ、北米、オーストラリア、インドの数多くの大学が、大学院レベルの学習ができるよう、BIHE卒業生の入学を許可している。こうした学生の殆んどは学位を取得するや、イランに帰国し、今度は自分たちが教える側となり、BIHEの教育水準を維持可能としている。

BIHEに対する攻撃は、中央政府が共同体を急速に貧窮化させるために組織的運動の下に実施しているものであることは疑うべくもない。バハイの若者の意欲を挫き、バハイ共同体の教育のレベルを低下させることが意図されている。これは共同体を衰えさせる目的以外の何ものでもない。

今回、政府は国内の大学から追放するだけにとどまらず、新たに攻撃を拡大し、共同体の若者が大学レベルの知識を得るための非公式の教育機会をも阻害している。

6 バハイ高等教育機関からの事例研究

2005年に初版が発刊された下記事例研究に登場する学生の氏名は本人たちの身辺保護のために変更を加えている。

–          大学入学の夢

テヘランで成長したハミドは知っていた。世界中殆んどどこの地域と同じように、よい仕事を得るには大学で学位を得ることが必要だということを。しかし大学に行く可能性が殆んどないことも彼は知っている。なぜなら彼はバハイなのだ。

「バハイであるということで、若者たち全てが将来に悲観的になるのです」とハミドは語る。「イランでは、大学の学位がないと、仕事に就くのが非常にむずかしいのです」

「何度、大学入学を許可された夢を見たことでしょうか。けれど朝起きたら夢にすぎませんでした」

今や32歳となり、イラン国外の大学院に通学しているハミドは、かつてバハイであることを理由に通学を拒否された経験がある。1984年、中学生だった11歳の時に除籍処分とされた。国内ほとんど全てのバハイの子どもたちも同じ処分をこの時に受けている。

「数ヶ月間、自宅学習するしかありませんでした。家族が手伝ってくれましたが、11歳の子どもが独りで学習するのは生易しいことではありませんでした」

こうした事態に国際社会で非難の声が紛糾し、政府は初等教育と中等教育への再入学を許可せざるを得なくなったが、イランバハイの若者に限っては大学入学を認めない方針を崩そうとはしない。

「高校に通っていた時、他の生徒たちが大学入試の受験勉強をしているのを目にしました。けれど自分には入学する希望がないことをわかっていました」

それでも出願用紙を提出してみた。しかしイランでは、宗教属性について出願用紙上に印をつけることが受験生に要求されている。しかも選択肢は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教の四つのみに限られている。

「どの宗教でもないので、どれにも印はつけませんでした」とハミドは語る。バハイに印をつける箇所はもちろんなかったのである。「受験用カードをもらえないと告げられました」

1992年のことであった。その後数年間受験を試みたが、結果はすべて同じであった。

最終的に彼はバハイ高等教育機関(BIHE)に入学した。バハイが運営しバハイのための学校のBIHEはこの時点では通信教育学校とそう変わらなかった。

「BIHEでは自分の力で勉強しなければなりません。監房の中で独りで勉強するようなものです。友達も先生もいなければ、質問に答えてくれる人もいません」

生活のために働く必要もあったため、履修を修了するのに6年の歳月を費やした。

「何度、大学入学を許可された夢を見たことでしょうか。けれど朝起きたら夢にすぎませんでした」とハミドは言う。

ようやく2003年、工学学士の学位を取得し、ハミドはBIHEを卒業した。この時すでに機構は相当に高い教育水準に達していた。ハミドは国外の大学院に入学するためにイランを出国した。

しかし彼は大学院での教育を修了させた後は帰国することを望んでいる。 「イランは故郷です。バハイはイランの進歩と繁栄しか望んでいないことを、いつの日か政府が理解してもらえればと思います。帰国して故国の進歩を手助けしたいのです」

–          囲み枠の外で働くこと

大学受験の出願用紙上の四つの選択肢-イランの四大宗教、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教-に直面した時、パルヴィーズはじつに創造性に溢れる策を講じた。

「選択肢用の囲み枠を別につくり『バハイ』と書き添えて、その中にチェックを入れたのです」とパルヴィーズは語る。

けれどもこの思い付きは、1980年初頭からバハイの若者を高等教育から締め出していた当局を感心させるには至らなかった。

「出願不全」という文言が記された文書が返答でした」パルヴィーズは現在、イランを出国し国外で就学している。「そこでバハイの友人と一緒に文部省の試験局に行きました」

「『出願の何がいけなかったのですか?』 そう尋ねると、着座していた局員は下からちらりと一瞥しただけでこう言いました。『何が問題なのかわかっているはずだ』 そこでこのことについて話し合おうとしましたが、取り合ってくれず、ついにこう言われました。『出ていきなさい。さもなければ警備員を呼ぶぞ』」

拒絶されることは無論承知の上だった。何千人ものバハイの若者が、1979年のイスラム革命以来、高等教育の機会を剥奪されてきている。

「拒絶されたからといってもショックを受けたわけではありません」とパルヴィーズは言う。「けれどもがっかりした気持ちはまだ引きずっています。出願のたびに、何かしら変化するのではないかって、普通、期待しますからね」

パルヴィーズはバハイ高等教育機関(BIHE)に入学することでようやく大学レベルの教育を受けるようになった。この機関は1987に設立された、バハイによるバハイの若者たちのための大学レベルの教育機関であり、通信教育を基盤としている。

「BIHEについてはなんでも知っています。独自の試験があって、国の試験と同じくらいたくさん試験があるんです。受けたら入学許可が降りて、学習を開始しました。1990年のことです」

四年と半年後、パルヴィーズは土木工学の学士号を取得し卒業した。

パルヴィーズは土木技師としての仕事をようやく見つけた。バハイで、BIHEの卒業生であるがためにライセンスを得ることはできなかったにかかわらずである。

「イランではライセンスは不要です。仕事を全てやり、ライセンスを持っている人にサインをしてもらえれば謝礼がもらえます」

しかし最終的にパルヴィーズは、人に教えるという目的に向かって前進するには、大学院レベルの学位が必要であることをわかった。「イラン国内の大学院に行くことはできなかったので、国外で進学するためにイランを離れました」 このレポートの作成時、パルヴィーズは欧米の著名なある大学の博士号課程に在籍していた。

「私たちはまだ生きている」

高校で除籍処分を受けずに済むようにするために、ミリアムは、自分がバハイであることを、学校の誰にも告げないことを誓う声明文に署名をするしかなかった。

「法律では高校通学はできますが、テヘラン、イスファハーン、ヤズドなどイスラム教聖職者の影響がより強い多くの都市では、多くのバハイの学生は苦労しているのです」こう語る彼女の名前ミリアムは実名ではない。

「私の場合、バハイであると見つかってしまいましたが、生徒、先生を始めとする校内の人たちに見つかっていないと書かれた文書に署名することを条件に、除籍されずに済むことになりました」

「もし私がバハイであることに気づかれたら、除籍されます」

しかし大学受験となると、誰にも言わずにおいたとしても、入学する見込みは無に近いことをミリアムは知っていた。

1989年のイラン国内の大学受験出願用紙には宗教属性についての明示が要求されているが、その四つの選択肢の中にバハイ信教は含まれていない。しかも信教の原則として、尋ねられた場合には正直に告げなければならないため、大学入学を許可された若者はいない。今日、蔓延している状況である。

他のバハイの若者と同じく、ミリアムもバハイ高等教育機関(BIHE)に入学する以外に選択肢はない。この機関は1987に設立され、通信教育を基盤とする、バハイによるバハイの若者たちのための大学レベルの教育機関である。

しかしミリアムはうれしくなかった。「医学系の大学に行きたかったのです。けれど前の年にできたばかりの通信教育の学校ではそれが無理なことははっきりしています。病院で働ける可能性も、医学部の学生として必要な経験を得る見込みもないのです」

けれども大学レベルの教育を受ける選択肢はBIHE以外にない。そして医学を学ぶ代わりに、彼女は心理学を選んだ。

「最初は身が入りませんでした。足を引きずるように歩いていました。でも他に選択肢がないのです。そう思い直してからは、勉強に身が入り、挫けそうになる自分を叱咤しました」

最終的にミリアムはイランを離れることができた。彼女のBIHEでの学位は北米のある一流大学に認められ、心理学に関係する分野の修士課程に入学した。

「あの時、誰もが言いました。医者になりたいんだったら、今からでも遅すぎることはないと。『25歳じゃない。勉強始めたらいいじゃない』 けれども、医学の勉強をしたいとはもう思っていなかったのです。BIHEで取得した心理学の学位はそれほどに私には大きく意味をなすものなのです」“

「私ならイラン政府に対してこう言います。『私はバハイです。誇りに思っています。私たちを破壊しようとしても平気です。まだ生きています』。私は取得した学位ですべきことがありました。ただで学位を取ったのではないことを証明したかったのです」

7 バハイ高等教育機関 – 生徒からの供述

イラン国内の大学進学を阻止された若者に提供された奉仕の価値について、バハイ高等教育機関の卒業生から寄せられた言葉を次に紹介する。

HS:  私は土木工学を学ぶために1992年にBIHEに入学しました。バハイであるために大学入学を拒否されたのです。卒業しても証書を与えられるわけでも、政府機関に雇用される見込みもありませんでしたが、学習が大好きだし、一人一人に教育が必要であることから、自分の教育レベルを向上させてみたい気持ちになりました。講義も、定期的に指導陣から教えてもらえることもなく、図書館等の便宜がないため、学習は困難でしたが、若者たちの科学教育のレベルを上げようと、無償ながら一生懸命教えてくれる先生たちの愛、犠牲、献身の精神がありがたく、理想的な教育施設のある大学で学ぶ同世代の若者たちと張り合って勉強する意欲が生まれました。

FN:  私は土木工学を学ぶために1992年にBIHEに入学しました…この時のBIHEは数百名の学生に数十名の人々が教えるという活動にすぎませんでしたが、備えた知識を他者の教育に用いるために立ち上がった献身的な人々です。

国際数学コンテストのイランチームの候補として、筆記試験なしでどの大学のプログラムにも参加することができるはずだったのですが、大学進学を拒否されました。そんな私にBIHEは挑戦意欲を掻き立ててくれました。活発な共同体の成長を阻止することは不可能であることを政治家に証明することに私は挑戦したのです。一つのドアが閉ざされたとしても、神が別のドアを開けてくれるということを、2000年にカナダのオタワ大学の修士プログラムに入学許可されたことで証明したのです。

SM:  BIHEで経験を積んだおかげで大学院での学習と研究がずいぶん進めやすくなりました。教職員の皆さんと生徒たちの弛むことない献身ぶりと高い精神は、わたしの公私にわたる生活のあらゆる面で、優秀を目指して頑張るための原動力として今後も力付けてくれるでしょう。

RR:  「もぐりの大学を卒業したの?」よく尋ねられる質問です。バハイへの教育が禁止されていたイランで、バハイ高等教育機関で勉強することは、控えめに言っても、挑戦的な経験でした。

けれども高等教育を続けようと決心したのは、バハイの教授陣のひたむきでたゆまぬ努力と、プログラムの維持のために払われた自己犠牲の精神に触れたからです。あらゆる困難をものともせず、持っている知識と技術を、報酬を期待することなく、先生たちは提供してくれました。切手代、コピー代は別として入学費用はほとんど要りませんでした。学習期間、当時のイランの国立大学で正式に授業で使われていたものと同じ教科書を私も使いました。

NH: 最初の数年間は自己学習が主でしたが、さまざまな情報源から科学の諸問題を解決する答えを探す能力が養われました。最後の二年間には、親愛なる先生たちから毎週の授業の中で貴重な経験を得ました。心に火が付けられるような、科学へのひたむきな情熱、BIHEへの自己犠牲・・先生たちは身をもって示してくれました。

BIHEは正式に建物を構えるということはなく、場所は特定していません。授業の殆んどが個人の家や借りスペースで行われます。先生と生徒、職員の間に育まれる暖かな協力精神で、生徒たちは困難を克服し、履修を終えることができるのです。


8 国際社会での反応

高等教育の機会を求めるイランバハイの願いを阻む政府に対し、過去数年間、国際社会で非難の声が広まった。

支援の声を表明した数多くの国の中から一部を紹介する:

オーストリア:  支援表明の書簡をウィーン大学、ウィーン技術大学、カソリック大学、リンツ大学(事態について記した印象的な記事が発行された)、グラーツ大学、パラケルスス私立医科大学が執筆した。

カナダ:  ウィニペグ大学で本件に関する上院決議案が可決された。ゲルフ大学はイランのバハイが面する状況も一部考慮し、イランとの合同スタディプログラムを取り止めた。

フランス:  ニース-ソフィア・アンティポリス大学の名誉学部長が、本件を主旨とした手紙を少なくとも8通用意し、諸種の研究機関、個人、グループに送った。

イタリヤ:  司祭、ジャーナリスト、国際団体、パルマ大学のDr.エモリオ・イオリやパレルモ大学建築学校の教員を含む学識経験者により、夥しい数の手紙が書かれた。

ノルウェイ:  教員対象の雑誌に本件に関する記事が発表され、260,000名以上の読者の耳目に達することとなった。この国の数多くの著名人が本件について言明を行った。

スペイン: 2006年6月、スペイン下院議会がイランバハイに対する政府による迫害を強い口調で非難する決議案を可決した。この 非難声明には大学入学を阻止している障害を廃止するようイラン政府に断固として要求する文言も含まれている。

英国: 2007年11月、オックスフォード大学のウォルフソン・カレッジとセント・アントニーズ・カレッジの両校が、バハイの若者たちに対する差別行為に異議表明する決議案を可決した。決議案はさらにオックスフォード大学の学生組合 (OUSU)でも2008年に可決され、大学副学長に対措を取ることを要請するようOUSU組合長に指示がなされた。

米国: プリンストン大学総長シャーリー・ティルマンがイラン国連代表宛てに、国連総長と人権高等弁務官をCCにして文書を送った。「イランでバハイが受けている組織的な差別と嫌がらせを止めるよう強制力のある措置が取られることをお願いするものです。こうした振る舞いは道義的に擁護不能であり社会に破壊をもたらします。国際社会での貴国の立場を弱体化させ得るのみです」


9 参考資料
オンラインによる参考資料リストである。イランバハイの状況についてさらに多くの情報を提供する。特に学生から高等教育機会を剥奪する政府運動に焦点が置かれている。

–          バハイ質疑:イラン内における文化的粛清(2008年度版)は、バハイ国際共同体によるイランのバハイ共同体に対する迫害についての主な情報冊子である。PDF版は以下からダウンロードができる:
http://news.bahai.org/human-rights/iran/the-bahai-question.html

–          イラン国内の教育機会の現状について、バハイ国際共同体より2005年度に発行された「閉ざされたドア」のオンラインアクセスは:http://denial.bahai.org/.

–          イランの1991年の機密覚書「バハイ質疑」は: http://info.bahai.org/article-1-8-3-14.html.

–          イラン科学研究技術省から81の大学に向けて、バハイと判明した学生は例外なく除籍せよと指令を下した機密書簡は:http://news.bahai.org/story/575.

–          Payame Noor 大学の中央保安局から地域分校に向けて送られた2006年11月2日付けの書簡とその暫定訳は次のリンクで参照可能:http://news.bahai.org/story/575. この書簡は「文化革命評議会の裁決と情報省ならびにPayame Noor 大学中央機構主保護局の指示により、バハイは大学ならびに高等教育施設への入学は許可されない。それゆえ判明したら報告の上、入学を厳禁する。就学中であれば除籍処分とするべき」と断固とした表現で明示されている

–          イランバハイの状況の最新情報は「Bahá’í World News Service」の「Iran Update」の頁で定期更新される:http://news.bahai.org/human-rights/iran/iran-update/

–          「Baha’i World News service」の国際的な反応の頁は各国政府、非政府団体(NGO)、著名人がイランバハイに対する政府の迫害に対し、非難声明等を発した情報を定期更新している:http://news.bahai.org/human-rights/iran/iran-update/international-reaction.html

–          イランバハイの状況について世界中のメディアから寄せられた報道内容の概要が「The Media Reports」の頁から参照できる:
http://news.bahai.org/human-rights/iran/iran-update/media-reports.html

–          バハイを含む高等教育から排除された学生たちへのインタビューを元に、国際的なイラン人権監視団体(ICHRI)により作成された、過酷な星回り: イラン高等教育における組織的差別と排除 と題する文書は以下から読取りが可能:
http://www.iranhumanrights.org/2010/12/punishing-stars-dec2010/ .

–          教育機会に関する、Baha’i World News Service stories のアーカイブ

  • バハイから高等教育の機会を奪うためのイラン政府による新しい策略

2004年8月11日

http://news.bahai.org/story/317

  • 高等教育の機会で差別を受け続けるイラン人バハイ

2007年2月28日

http://news.bahai.org/story/507

  • イランの大学のバハイ除籍処分で明らかにされる公的性質

2007年3月7日

http://news.bahai.org/story/510

  • 一層の激しさを増す嫌がらせと虐待を学校当局から受けるバハイの小学生

2007年4月5日

http://news.bahai.org/story/515

  • 職業教育から排除されたイランのバハイ

2007年7月31日

http://news.bahai.org/story/570

  • イラン政府の機密覚書で露見したバハイ学生から大学教育の機会を奪う政策の存在

2007年8月27日

http://news.bahai.org/story/575

  • イランバハイの学生に対する万国正義院の働きかけ

2007年9月14日

http://news.bahai.org/story/577

  • イランの大学へのバハイの入学を阻止する新戦略

2008年1月31日

http://news.bahai.org/story/601

  • 新学期で再び繰り返されるバハイ学生への除籍処分

2008年10月3日

http://news.bahai.org/story/657

  • 襲撃の標的とされるバハイの教育プログラム

2011年5月22日

http://news.bahai.org/story/825

  • イランバハイ発展阻害のための政府運動の一環としての逮捕

M2011年5月25日

http://news.bahai.org/story/827